EP02 ◆ あだ花に実はならぬ #02
アマネは、その自分に嘘をつけない性格のせいで、上官とトラブルになったことも何度かあった。ムクロやカバネも、そういった現場に居合わせたことがある。
彼が怒りを抱く原因は大抵、人道に反すること、彼の信念を捻じ曲げられることであるのも、部下たちはよく知っていた。
だからこの数日間の不機嫌も部下が原因ではないのだろうが、やり場のない怒りをひたすら前進するエネルギーに変換していたのだろう。
「あの……」
ムクロは何かこたえようとしたが、言葉にならない。圧縮語で言葉に詰まることはそうないが、日本語で自分の感情を伝えるのを非常に苦手としているせいだ。
圧縮語は必要最低限にして必要充分な『情報』を、間違いなく仲間に届けるための言語である。そこには数値化された情報と白黒二択の的確な判断が要求される。
だが日本語での会話は、データ以外の『感情』や『思想』を中心にした曖昧な基準で展開されがちだった。
特に自分の判断間違いに対して非常にデリケートなムクロは、自然と俯きがちになってしまう。
「僕は……」
その時、カバネがムクロの背を軽く叩いた。ムクロは慌てて顔を上げる。アマネはムクロを待つように静かに見つめていた。
「俺について来てくれるか?」
視線が合うと、アマネはもう一度訊ねる。彼らの間で何度となく交わされた確認の言葉だった。
「――はい。了解です」と小さくうなずいたムクロはようやく、肩の力を抜いた。
* * *
緑地帯に入ったからといって、すぐさま民家に行き着くというわけではない。だが、それでも孤独感が薄れるのは三人に共通した感覚だった。調査用らしき簡素な小屋でさえ、視界に入るとほっとする。
やはり適度に植物や建物が存在する風景というのは安心できるものらしい。
更に、そこに人々の『生活』の気配を感じることは、自分たちもまたそんな人々の中のひとりであるという気分に浸れる。
緑地で火を熾すのははばかられるため、バーナーとケトルで湯を沸かし、インスタントコーヒーと甘めの携帯食料で休憩を取った。
普段は甘いものをほとんど口にしないアマネも珍しく、チョコチップ入りのクッキーバーをしみじみ噛みしめていた。
「なるほど、ここからだとあと二日ほどでベリーヌの町ですね」と、カバネが地図を確認しながら言う。
アマネたちが携帯している地図は特殊なシリコンシートでできており、通常は現在地を中心にして表示されている。
地図の情報は人工衛星からリアルタイムで送信されるのだが、その基本情報は数年前から公式には更新されていない。道路の情報は更に古いため、地図の通りに進んでも道路が分断されていたり、逆に、現地の住民たちが新たに造った地図上にはない道が突如現れたりする。
地図は大まかに分けて二種類ある。
数日前出逢ったセールスマンが持っていたような、基本の地図情報が更新されないものと、アマネたちが持っているような、リアルタイムで地図データを受信・表示するものだ。そのどちらも、自分で情報を書き込んだり消去したりできるようになっている。
アマネは更に、衛星の地図データを更新する権限をもっている。地図と実際の地形や建物などの情報に相違がある場合、データを書き換えることが可能なのだ。
ちなみに、公道上にあるモスベへの分岐は、この周辺では数少ない昔からの公式の指標のひとつだ。
アマネは草地へ寝転がり、空を仰いだ。
「ベリーヌか……昔から美人の産地という噂だが、実際はどうなんだろうなぁ。ミスなんとかってのも、終戦直後に二、三度開催されたようだが、ここ数年はまったく聞かないしなぁ」
「ミスコンですか? オレ、ああいった攻撃的な美人はちょっと……」
カバネが苦笑すると、ムクロは何故か不機嫌そうな表情になる。
「アマネもカバネもそういうのを見てるんです? 不潔ですね」
「不潔って……いや、そこはせめて健全と言って欲しいな」
アマネは上半身を起こして苦笑した。「まぁ、今の時代は異性に惹かれるだけが人生じゃないってのは既に定番だけど、そうじゃなくてもさ、ほら、魅力的な人は性別に関係なく魅力的って――」
「ではアマネは、魅力的なミスターコンテストもご覧になるんですね?」
「見るわけないだろ、そんなの」
挑発めいた口調のムクロに対し、ついアマネは本音を洩らした。途端にカバネが爆笑する。
ムクロは呆れた表情を彼らに向けて、大袈裟なため息をついた。
* * *
今日の食事当番はアマネだった。
メニューはベーコンとほうれん草のペペロンチーノ。ニンニクがほどよく利いており、香辛料も辛過ぎず、しかしきちんと刺激的な按配だ。
彼らは均等に当番を回す。たった三人の分隊であるため上司であるアマネもあぐらをかいているわけにはいかない。
だがアマネの料理の腕は非常に残念なもので、下手に凝った料理を作らせるくらいなら何もしない方がいい、とまで言われる始末である。
そんな彼だが、何故かパスタのペペロンチーノだけは絶妙な味付けで仕上げるので、三回に一回はペペロンチーノが出て来る。
それでも一応、都度具材を変えるなど彼なりに工夫をしている。
「それで、任務ってやつだが――」とアマネが改めて説明すると、連れの二人も唸ってしまった。
「『緑化研究事業とそれ以前の植物の分布の差異を調べろ』ってのは、オレらの専門外なんじゃないですか?」
カバネは眉間に皺を寄せた。「だってオレ、タンポポとほうれん草の区別もつきませんよ」
「あなたが今食べてるのがほうれん草、そこに生えているのがタンポポ――あれ? でもおかしいですね? 今は春じゃないのに花をつけている」と、ムクロは首を傾げる。
「そうなんだよ。緑化研究の奴らは、緑を増やすことしか考えてないらしくてね。四季を無視した植物の配置をすることがあるらしい――ってことで、このタンポポも一応報告することになりそうだな」
アマネは左手をタンポポの方へ向けスキャンする。同時にカメラモードも起動させて画像を添付した。




