「なろう系主人公はなぜ嫌われるのか」をなろう作家が考える
「なろう系主人公はなぜ嫌われるのか」という動画をご覧になったであろうか?このタイトルでこの小説(のようなもの)を開いた方でその動画をまだ見ていない方はユーチューブで検索して見ていただきたい。機械音声が苦手な方は音声なしでも十分であろう。
まず初めに、私はこの動画の投稿主ではないことを宣言しておこう。この動画を見て思った事を綴っただけの単なる感想文だ、小学生の読書感想文を眺めるような感覚ならばなお良しと言える。
そして、私自身も異世界転生小説作家である。これを読んでいる作家及びこれから執筆を考えている読者の方はこの感想文が気に食わないかもしれない。この文は異世界小説を否定することになってしまうからだ。
私はこの文を書くことにより、私が書いてきた小説を自分自身で否定する。覚えていただきたい、この動画で何よりも傷を負ったのはこの動画投稿者でもなく読者様でもなく、私自身だということを。
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さて、この動画で一番に考えるべきは「異世界ファンタジー小説がなろう内で圧倒的に多い」ということだ。もちろん、ほかの小説投稿サイト「ハーメルン」「Arcadia」「カクヨム」などが存在し、そちらでもハイファンタジー小説は幾度となく生み出されている。
しかし、その中でも群を抜いて異世界小説が多く、しかも人気を博しているのがこのサイト「小説家になろう」だ。これを読んでいる方は一度ブラウザバックして連載中小説ランキングを開いていただきたい。『異世界』『最強』『無双』というワードが一つも入っていない小説はいくつあるだろうか?おそらく大多数。この三つのワードのうち二つが入っている小説もいくつかあるだろう。
まあ、別にそれは無問題。異世界小説が多いからなんだ、はい終わり。
問題なのは「どれもこれも小説の主人公設定が似通っている」ということだ。動画内の言葉を借りるならば『量産型主人公』。
このサイトに小説を読みに来る貴方、あなたはとても良い人だ。こんなに一般化されて量産された似たり寄ったりの主人公だらけの世界に飽きずにストーリーを理解しようとしてくれている。なんとも心優しい。
そこそこ顔が良くて偶然貰った能力、人を助けるいい感じの性格なのに私情で動いて敵には容赦なし。この一文だけでどれほど都合の良いことか。
動画内の解説では、異世界小説に対して
1.主人公のデメリット。転生前が平凡なのに転生して完璧超人になれる因果がまず不明。
2.世界観の変革。設定を新しく生み出すことによりご都合主義を通しやすい。
3.知識の存在。平凡な存在であるならばそれ相応の頭脳であるべき(転生した際にアシストがあれば除く)
という三つのポイントを述べている。これに加えて私は新たなる問題として、
4.主人公への共感。作者個人の趣味で完結していないか。
が重要であると考える。1~3は系統が変わり、さらに動画内で解説されているので省くとしよう。
小説が人気になるには読んでいて面白くなければならない。面白くない文字の羅列など苦痛でしかないからだ。そして面白さを見出すためにはその情景を頭で思い浮かべたり、はたまた自分を重ねてみるのもいいだろう。とにかく「主人公への理解」が必要になる。
異世界小説はこの問題に常に直面することになる。なぜならハイファンタジー、現実に似たような場面がほとんど存在しない。目から読み込んだ文を脳内で描かなければならないのだ。
さらに、主人公を理解するためにはその行動が意味のあるものでなければならない。意味がなければ何をやっているのか分からないであろう。最強魔法を使って敵を惨殺していく主人公が仲間に笑顔で「僕は普通の人です」なんて言うだろうか。どう考えても普通じゃない、と多くの人は考えるのではないか?それでも異世界小説はそれで通用するのだ。これには読者も「は?」の一言。
実際に私が過去に「敵を何の感情もなしにガンガン倒しておいて『普通の人です』と名乗るのは意味が分からない」と言われたことがある。確かに分からない。ここで私は目を覚ますことになった。
『普通』という言葉はハイファンタジーで大きなインパクトになる。なぜって、「転生前超優秀エリート人生充実成人男性が転生して最強無敵になった」という小説があったらどうだろう。これは面白そうに見えるかどうか?
どうせだったら最初から優秀な人が転生して無敵になるより、普通の凡人が転生して無敵になった方がストーリー性も増して読みたくなるだろう?だから異世界転生は転生前がただの凡人の高校生であることが多い。
それに関する話でもう一つ。ただの凡人高校生スタートなのは「主人公が自分を重ねやすいから」であるとも言える。作家にしろ読者にしろ、とても私生活が充実していて人生が楽しい人は小説やアニメなんて触れる機会は少ないだろう。ましてや深夜にやるようなライトノベルのものであればなおさら。
その事からして、「自分は何の取り柄もない凡人の高校生だ」と思い込んでいる男子高校生が読者に必然的に多くなる。作家はそう思い込んでいる心を忘れきれない大学生や大人が書くようになってしまう。「現実で活躍できないから自ら箱庭を作ってそこに自分を当てはめれば十分」だから。
おっと、別にライトノベルが好きな諸君をバカにしているわけではない。でも考えて欲しい、剣を持って戦う小説が大好きで剣道を始めても、現実では魔法も使えないし、その主人公のように格好良く剣で一対多人数戦を繰り広げられるわけでもないのだから。
ふむ、少し否定的な話になってしまった。ちょっと話題がズレることになるが、自分は何もできない凡人だと思い込んでいるそこの方。別にそう思い込むのは構わないが、そうだな、視点を変えてみるのはいかがだろうか?
その主人公は自分自身じゃなくて「友達」だと思い込む。そうすれば主人公の気持ちが違う視点で観察出来て小説の理解が進むだろう。そのようにして視野を広げる。ライバルから見る主人公はどう映るだろうか?町の商人から見る主人公はどう映るだろうか?悪役から見る主人公はどう映るだろうか?
―――違う世界の少年が伝記を通して読む主人公はどうだろうか?
作品の主人公は作者の意志を強く反映しているものが強い。そして、作者がその作品でアピールしたいことも主人公に現れてくる。だが主人公視点で見てしまっては自分自身の気持ちが出てしまう。それでは作者の努力は水の泡。ひとまずヒロインにでもなりきってみたらどうだろうか?
「なぜこのヒロインはこの主人公が好きなのだろうか」、そして「作者はこの二人を引き寄せてどのような光景を見せたいのか」を妄想してみよう。そうすれば作者がなぜ主人公を最強無敵にしたかったのか分かるかもしれない。
……ヒロインがたくさんいたら例外だが。
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ここまで読んでいただいた画面の先にいる貴方に感謝を。タイトルからズレてしまっているかもしれないが、なろう作家が考えるなろうの問題と読者の問題は以上だ。
さて、ここからは私の話になってしまうが、私も先ほど述べたとおり異世界転生小説を書いている。現在進行形だ。でも、自分で書いているものが面白くないのではないか?と不安に感じることもある。
なぜなら自分が書いているものは自分が楽しくなければ書けないからだ。他の人に意見を聞けば完全な駄作かもしれない。自分の自信に酔う事、それが私は怖いのだ。自分だけが楽しくなって読み手は何も面白くない、そんな作品こそアニメになって批判されるのではないか?
少なくとも楽しめている読者がいるのだからアニメになっているわけで、それについては謝ろう。だが、批判されているということは面白くないと感じている人もいるのだ。その割合が傾いた瞬間、作品は崩壊する。
そもそもチート主人公の作品で「主人公を客観視しろ」は自分で言ってて無理があると思う。だって、他人が強くても自分は面白くないじゃん?ソシャゲのガチャで自分は全然出ないのに友人が隣で一発で当ててて、それが心から嬉しく感じられるか、ということと大方一緒だ。
結局、ハイファンタジーは「現実逃避の一環」に近いものとなってしまっている。間違いではないしその通り。でも、このままではパワーバランスが一極化して運だけで勝ち取った最強能力でドヤ顔をする主人公だらけになってしまう。
それでも読んでいて耐えられる方、あなたは本当に素晴らしい。小説作家が一番に苦労するのは設定でも人物でもなくて『描写』だ(個人差あり)。だが話題になると設定と人物ばかり有名になってしまう。作者が本当に見てもらいたくても見てもらえないものを読んであげようとしているのだ。もはや聖人だ。
最後に。小説を読んでいて「この小説嫌い」と思う小説があるかもしれない。そうなったら感想で「嫌いという明確な意思」と「なぜ嫌いなのか」を書いてあげよう。
問題点を提示しなければ何も変わらない。いつかその嫌いな小説が、また目の前にも表れるかもしれないからだ。また嫌いなもので頭を悩ませるより、改善案を提示してあげればちょっとはマシになるかもしれないだろ?
楽しく小説を読むために、また、好きな小説がメディア化されたときに批判されないために。投稿者一同は今一度主人公の存在意義を考えて、読者様はその作品と作者のために「批判」ではなく『意見』を送ってあげるのがお互いのためだろう。
それでは。