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拝み屋と磯女 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と、内容についての記録の一編。


あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。

 こーらくんはモンスターについては詳しいだろうか?

 お、いかにも自信ありって感じだね。じゃあ、先生から一つクイズを出そうか。

 この日本で「吸血鬼」だと考えられている怪物は何か? だよ。

 ――「ひのえんま」じゃないですか?

 おお、グッドだ。正解だよ。付け足しておくと、ひのえんまが生まれた当初は精力を奪うものだったんだけど、昭和あたりから今でいう吸血鬼的な特性を与えられたらしいね。

 もう一つは九州に広く伝わっているという、「磯女」かな。セイレーンのような声と美貌によって漁師を誘惑し、髪の毛を突き刺して生き血を吸い取ってしまうのだとか。


 日本では血を単体で奪い取る怪物は、意外と少ない。鬼たちは肉ごとバリバリムシャムシャと食べてしまうものがほとんどだ、あえて「磯女」に肉を食べさせる印象をつけなかったのは、なぜなのだろうか。

 先生も若い頃に疑問を持って、磯女関連を調べたことがあったんだけど、ひとつ興味深い事件を知ることができた。

 ……ふふ、ここでこーらくんにしゃべる前振りをするあたり、先生も話したがり屋なんだろうね。


 磯女のイメージというのは、地域によって多少の差異が見受けられる。

 濡れ女子のように全身が濡れているとか、背後からだと岩にしか見えないとかね。先生が調査した場合は、下半身が蛇となっているタイプ。ギリシャ神話に出てくる、ラミアのごとき外見だと思ってもらえばいい。

 この話は、先生の祖母から詳細を聞くことができて、ようやっと形になった。時代は祖母がまだ幼い頃。明治時代末期のあたりのことらしい。


 祖母が住んでいた地域は、ずっと昔から磯女が断続的に人を襲う、という言い伝えが、この地域の拝み屋によって語り継がれてきた。

 拝み屋については、こーらくんも知っていることと思う。神職や僧侶のような宗教関係とは異なり、民間の専門家として祈祷や占いをする人たちだ。属するコミュニティによっては、薬を処方したりするのだとか。

 その言い伝えによると、磯女は夜の闇に溶け込み、寝入っている人を狙って血を吸うのだとか。彼女の被害に遭った者は、目覚めると布団が真っ赤に染まっているという。その身体のいずこかには、無数の小さい穴が集まる特徴的な傷痕ができ、その穴から一晩をかけて、ゆっくり、されどとめどなく血が垂れ落ちて、布団を色づけていくのだとか。

 狭い部屋だと、家具がさんざんになぎ倒されて惨事になっていることもあるらしい。下半身が大蛇であるがゆえに、動く際の巻き添えになっているとのことだった。

 広い家ばかり狙えばいいものを、腹が減ると見境がなくなるようだと、このことは半ば怪談、半ば笑い話として伝わっていた。

 祖母も笑い飛ばす側だったんだ。自分が被害に遭うまでは。

 

 ある朝。祖母は目が覚めると、部屋の襖がかすかに開いているのが見えて、下半身に痛みを感じた。

 月に一回くるものにしては、時期がずれているし、質も違う。太い注射の針を打ち込まれたように、右足がうずくんだ。布団をひっぺがして、祖母は悲鳴をあげた。

 寝間着として着ている、簡素な浴衣。その右太ももを隠している生地が赤く染まり、ちぎり取られている。縁から縫い糸が半端に飛び出ているところを見ると、かなり強引に持っていったのだろう。

 血は、裾に至るまで浴衣に吸い込まれ、本来は浮かび上がっていたであろう、スズランの花柄を、すっかり塗りつぶしてしまっている。そのおかげか、布団は話で聞いていたほど「まっかっか」になったわけじゃなかったけど、祖母の脚の形に沿って、血の跡がべっとりと残ってしまった。


 出血は止まりかけていたけれども、下手に力が入ると、また血が染み出て来るかも知れない。祖母は家の人に助けを求め、ほどなく拝み屋の一人が家にやってきた。数人いる拝み屋の中でも、最年長の老女だったらしい。

 傷口を見るや、「これはやられたわねえ」と、老女は持って来た薬箱のフタを開けて、折りたたまれた紙を取り出し、それを見ながら軟膏や包帯を並べて、処置をしていく。

 紙は、かなり昔から読み継がれてきたようで、端はボロボロで、ところどころに液体をこぼしたようなシミが浮かんでいるのが、見て取れた。

 尋ねてみると、これには「磯女」に襲われた者への治療法が書いてあるとのこと。今、処方している軟膏も、拝み屋に伝わる独自の調合によって用意されたものらしく、少し臭いを嗅いだだけで、鼻が痛くなるような刺激臭をまとっていた。

 傷の処置が終わると、短めの呪文を唱えて、拝み屋は席を立った。祖母の親から礼金を受け取りつつ、「しばらくゆっくりするように。もしも、具合が悪くなったらすぐに来なさい」と言い置いて。

 

 指示通り、数日間安静にしていると、傷はすっかり塞がって、祖母は普段通りの生活ができるようになった。ただ、その間も磯女にやられたと思しき人が何名かいたらしく、拝み屋はたびたび家に赴いて、治療を施したらしい。

 磯女騒ぎは、二週間が経つ頃には終息し、治療をしてもらった家は手土産を片手に、拝み屋の家に、改めてお礼をしに行った。祖母も菓子折りを持たされて、件の老女の家に向かう。

 老女は亡き夫のものであった屋敷を、譲り受ける形で済んでいた。子供も親戚もおらず、相続させるにふさわしい相手が、彼女しかいなかったのだという。

 祖母は丁寧にお礼をしたかったけれど、対する老女は、菓子折りを受け取ると、「たいしたことはしていない」とだけ告げて、後は祖母の言葉に、適当なあいづちを返すばかり。

 帰ってほしいんだ、と察した祖母は、少し落ち込みながらも玄関の戸を開けて、足を踏み出しかける。

 

 ふと、右のふくらはぎに、あの日の注射器を刺されたような痛みが走った。同時にしびれが広がって、あっという間に右脚に力が入らなくなってしまう。

 思わず、その場で膝を折る祖母。痛みの源を押さえる右手のすき間から、血がじわじわと生き物のように這い出して来る。止まらない。

 後ろから老婆が「大丈夫!?」と上ずった声を掛けながら駆け寄り、祖母を家の中に入れつつ、あがりかまちに腰かけさせる。

 けれども、その間に祖母は見た。ほんのわずかな間だったけど、茶色くて太い、縄のようなものが、庭の植え込みの中に消えていったのを。

 老女はすぐに治療の用意をしてくれたけど、祖母は首を傾げる。用意してくれた軟膏は、あの時「磯女用」として使われたのと同じ、強い刺激臭がしたからだ。

 

 なぜ、こんなものを……という疑問を祖母は発することができなかった。

 目の前で、黙々と足の治療を進めてくれる老女。彼女しか住んでいないはずのこの屋敷。なのに、祖母は自分の背中から、にらみつけられているような怖気を感じていたからだ。

 突っ込んだら、確実に口を封じられる。そう確信できるほどの殺意が、自分の首筋をなめている。


 汗をかくのをごまかそうと、老女が包帯をぎゅっと結ぶのに合わせて、祖母は大げさに悲鳴をあげて見せた。

「痛かった? ごめんね」と老女は申し訳なさそうに頭を下げるけど、どこまで本気か祖母には分からない。

 弁明を始めそうな老女と、さっさと立ち去りたい祖母。立場は逆転した。

 祖母はその家を後にし、以後、拝み屋とは関わらないことを誓う。その後、上京した祖父に押しかけ女房のような形で付き添い、実家にも戻っていないとのこと。

 数年前に亡くなるまで、これ以上、「磯女」の被害が広がらないことを、ずっと願っていたそうだよ。

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