潜むかげの
ソウシャはのれんを潜り、店の中へと足を踏み入れた。煙草と香の匂いが漂っている。嫌なにおいだが、懐かしいにおいでもあった。
薄暗い中を進んでいくと、店の奥で煙草をふかす男がいた。服を乱れさせ、上半身の半分は見えている。
「懐かしいですね、この匂いは」
声を掛けると、男の目が開いた。男の目は、鋭い紫だった。
男は何も言わず、煙草を置きこちらに向き直った。
「何しに来た」
男の声はとても太く低いものだった。普通の者なら、恐怖におののき、即刻逃げ去ってしまうほどである。
しかし、ソウシャは冷笑を浮かべていた。
「『魔ノ子』について、お話をしませんか?」
男は、鋭い視線を向けたまま舌打ちをすると、店の奥へと消えていった。ソウシャも、その後を追い、奥へと姿を消した。
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商店で買った団子を食べながら、周囲の店を見て回った。興味をひくものから、身をひいてしまいそうなものまで、多種多様に並んでいた。ナルシア街にないものを見るのは、とても楽しかった。ソウシャの言うような、怖そうな輩はいない。想像以上に、有意義に過ごせていた。
「僕~、これ買わないかい?」
ナルシア街で見たことがあるような雑貨屋だった。もちろん、店に並ぶ商品は違う。目を輝かせ、商品を見ていった。ふと、ソウシャのことを思い出す。
――――ソウシャにお土産……
考えてはみたものの、頭を抱えてしまった。ソウシャが常日頃、何を使っているのかを全く知らないのである。ソウシャが使いそうなもの、身に着けてくれそうなものを考えても、答えは全く出てこなかった。
――――アイツ……ほんと、謎だらけ
視線を落としたところに、木箱に入った房紐があった。
ここへ来る道中に、ソウシャが落とした木箱を思い出した。そういえば、あの木箱の中には一体、何が入っていたのだろう。それに、どうしてあの日は、朝から機嫌が悪かったのだろうか。一緒に住んでいるのに、何も話してくれないんだな……。
ソウシャの房紐は薄水色である。だが、長年着ているからか、少し薄汚れていた。
視線をあげると、色とりどりの房紐が、木箱に入れられ並べられていた。啉杜を思い浮かべる赤や柩婪を思い浮かべる黒、自分の色の茶など様々な種類があった。
「僕、房紐が欲しいのかな!?」
「水と白が混じった髪の男に似合う色の房紐ありますか?」
「そうだねぇ、じゃあ、これなんてどうかな? 綺麗な空色だよ」
商人に手渡されたその房紐は、確かにとても綺麗だった。少しラメ掛かり、より一層綺麗に見えた。
ソウシャには、やはり青系が似合う。
「うん! これ、ください!」
「六十四オーフェだよ」
想像以上に高かった。お金有ったかな……。ソウシャが、啉杜が買ってくれた小袋にお金を入れていたのを思い出し、小袋を開け、てのひらに全部出した。それを見た商人も驚いていたが、僕も驚いた。
そこには、百リルオーフェ入っていた。
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刻々と約束の時間は迫ってきていた。しかし、街から少し離れた場所にある石に座ること三十分。楽しかった時間も、今は不安で仕方がなかった。
善意で名も知らぬ、顔も知らぬ僕を助けてくれた。僕に、衣食住を与えてくれた。どうして、僕があんなにみすぼらしい姿でいたのか、どこから来たのかなど、何故僕について必要以上に聞いてこないのか。
ソウシャ一人、リス一匹にしては、広すぎる家。時々訪れる柩婪という名の情報屋と陽気な啉杜、人の言葉を話すリス。
何者かも分からない、教えてくれない。
お金持ちという啉杜の発言。
昔聞いた話に、リルオーフェ神国は、主に四つの階級、王族、使者、国民、奴隷に分かれているというものがあった。一番上の王族は、神国国王、その血族をさし、またその貴族のことをいう。そして彼らは、装束は繍衣を身に纏っているという噂である。続いて使者は、貴族らの臣下や使用人。巫女、巫のことをいい、装束は実にさまざまである。それから国民は、商人、農民など、神国内で極々普通に過ごしている人々をさし、装束は民族衣装やニスデールが多いが、これもまた実にさまざまである。一番下の奴隷は、人身売買の商品となった人、貧しい人々をさし、数少ないが、国民はいつどんなときでも、奴隷に格落ちする可能性が高い。扱いが最低最悪である。
ソウシャは、装束こそ、国民となんら変わらないが、普通の国民があれほど立派な家に住んでいられるわけがない。毎年、国に税を払わなければならない。その率は、自分の財産によって決まる。普通の国民なら精々払えて、八十リオーフェ程度。しかし、ソウシャほどの財産があれば、どう考えても裕に三十リルオーフェは下らない。だが、仕事もしていないソウシャにそれほどのお金があることは、可笑しかった。親もいないというソウシャのお金の収入源が気になる。柩婪や啉杜に聞けば一発で分かるのだろうが、彼らはソウシャのことについて多くを語らない。全く知らないというわけでもなさそうだった。
それに、小袋に入れられた百リルオーフェ。街の人々から話を聞く限り、普段持ちあるくとしても、一ルオーフェくらいまでだという。それでも、多い方なのだという。リルオーフェの硬貨を持っているだけで、大金持ちだという証拠になってしまうほどである。
「ソウシャは、貴族……?」
呟いて、横に首を振る。
貴族は国民と同じ場所に住んではいけない。これは、格差をはっきりさせるためである。ただし、何人かの貴族は街に溶け込み、何食わぬ顔で日々を送っているのだそうで、それは、見た目にも貴族だとは分からないらしかった。
もし、ソウシャがその貴族だったとしたらつじつまが合わない。潜入している貴族は、一ヶ月に一度、国に報告しに行くのだそうで、かならず一ヶ月に一度、姿を見かけない日があるのだという。それでようやく、貴族だと気付く。しかし、ソウシャは一緒に出掛けるとき以外、家から一歩も出ずに、書き物や縫い物をしている。第一に、縫い物を貴族がわざわざするはずはない。じゃあもし、貴族じゃないとしたら、ただの金持ちということになる。
一リルオーフェ持つだけでも凄いのに、百リルオーフェも……。
深いため息を漏らし、空を見上げる。
助けてもらった身、他人の詮索などあまりしたくはない。
スッと立ち上がり、背伸びをする。
「そろそろ、待ち合わせの場所に行かないと」
――――ソウシャ。あなたは何者ですか? 僕に言えないような、人間ですか?
歩き出したそのとき、腕を捕まれ後ろに引っ張られた。体制を崩し、しりもちをついてしまう。すると、周りを二人の人影に囲まれた。
『約束してください。小路には入らないこと、街から離れないこと、宿に一人で戻らないこと、知らない人に声を掛けられたら、絶対に逃げること』
――――街から……離れないこと……
「そうっ」
片方の人影に口を抑えられ、もう片方の人影に縄で縛られた。
――――ソウシャ! やばいッ
眠気が押し寄せ、そのまま意識を失ってしまった。
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ソウシャは一本のろうそくを挟み、男と向かい合わせに座っていた。
男は煙草をふかしながら、寝転がり数枚の紙をペラペラと見ていった。
その間、ソウシャは男を見据え、黙り込んでいた。
時計を確認すると、時刻はもうすぐ約束の時間をむかえようとしていた。これでは約束の時間に、間に合いそうもない。
知らない土地に一人にさせてしまったことを、今更ながら後悔する自分がいる。男に気付かれないようにため息を漏らした。
――――帰ったら、本格的な暑さに向けて準備か……
「ソウシャ」
声を掛けられ、時計から視線を逸らした。
「はい」
「……今度はその男の子とともに来い」
「はい?」
「知りたいのだろう? 見定めてやる」
「ですが……」
ソウシャの反応に、男は少し驚いた表情を浮かべた。
「お前、まさかとは思うが、自分の正体を何も話していないのか!?」
「話しておりません」
「お前はバカか?」
「あなた様に言われたくはありません」
「変わらない口だ」
「申し訳ありません。ですが、話していないのは、センリのためでもあるのです」
「男の子の名を、センリというのか」
「はい」
「また、不思議な名前を付けたものだ」
「意味あってのことですよ」
「だろうな。お前の見る目は確かだ」
「どうでしょう」
「どうして、話さない!?」
「彼は、あの場所から逃げ出した子です」
「……ほぉ。お前と同じか」
「ですから、尚更話しにくいのですよ。何度も聞かれますが、ただの人間としか答えようがないのです。彼が普通の迷い子でしたら、もう少し話しやすいのですが」
「お前も迷い子だろ」
「そうですね。でも、私は『魔ノ子』ではありませんので」
「センリがもし、『魔ノ子』だったとしたら、お前、死ぬぞ」
男がそういうと、ソウシャは笑みを浮かべていた。落としていた視線を男に向け、笑みを深める。
「そのときは『神ノ子』がお救いくださるでしょう」
「よく言う」
「でなければ、この手で殺してしまうかもしれませんね」
「大惨事だな」
「そうならないように、あなた様に話をしに来たのですよ。ヴァリス様」
「ワシの言うことは何一つ聞かないくせに」
「一応聞いてはいるのですが」
「だからお前は恐れられるのだ。今お前がいないソコはとても楽しそうにしている」
「構いません。たまに戻るだけで良いのです」
「だがな、ソウシャ。そろそろ決めろ。こちらにつくのか、戻るのか」
「難しい選択ですね」
「どちらにとっても、お前は必要な存在だ」
「上辺だけだと思いますよ」
「じゃあ、ワシから忠告をしておく」
「あなた様からですか?」
「違う。あの方からだ」
「またお偉い方からですね」
「良いか。期限は残り、一年。それまでに、どちらにつくのか、よく考えろ。選び方次第では、敵を作るぞ」
「私の敵は、あの方のみです……」
少なくても、今は。