貴族というもの
ソウシャに助けられ一ヶ月が過ぎた。
一人の外出を許されるようになり、少量のお金を懐に街に出た。街に出ると、無意識に走ってしまう。
「おーセンリ~! 今日も元気だね」
「おはよう! おばさん!」
街を意味もなく、無邪気に走れば顔見知りの人が声を掛けてきた。この街は、かなり広いにも関わらず皆、仲がいい。一度顔見知りになれば、こうして声を掛けてくるし、たまに物々交換もやっている。治安も悪くない。本当に素敵な街だ。
「センリ! 生きのいい魚がいるぞ!」
「魚屋のおじさんっ。ソウシャに言っておくよ!」
「あとで買いにこいよ!」
「ソウシャがね!」
そして、こんな街なかで僕が通っている商店がある。ソウシャにお金を貰えば、いつもそこに買いに来ている。
「ザエリさーん!」
無精ひげを生やしたザエリが顔を出した。会った時よりも、ひげがのびている。
「センリ。お前いつも来るんだな」
「僕、果物大好きだから!」
「仕方ねぇな。今日はひとつだけ、おまけしておいてやるよ」
「ありがとう!」
あれ以来、仲良くしてもらっているザエリは、ソウシャの影がある僕に手を出してはこない。寧ろ、普通に良い人になっていた。
「で、今日は何を買うんだ?」
美味しそうなオレンジ色の実を指さした。
「これにする」
「あいよ」
お金を渡し、オレンジの実を二つ受け取る。
「ありがとう、ザエリさん。じゃあね」
「また来いよ」
「はーい」
ザエリは背中が見えなくなるまで見送った。
「あいつ、この一ヶ月で変わったな」
オレンジ色の実に齧りつきながら、街中を歩いていた。風が吹き、フードが脱げないように手でおさえた。
「おっと」
息を吐き、笑みを浮かべる。
フードを脱がないという約束で、一人で街に出ることを許されている。それを破るわけにはいかなかった。
前に視線を向けると、雑貨屋で品物を眺めている啉杜の姿があった。飛び跳ねるように啉杜のもとに走り寄った。
「啉杜!」
「びっくりした。どうしたんや」
「久しぶりだなって」
「一週間くらいやろ」
「ここで何しているの?」
「うーん、良いものはないかな~思って探してたんや」
「啉杜って雑貨好きなの?」
「いや? 下らんものを集めるのが好きなんや」
そういう啉杜の顔は笑顔だった。ソウシャと違い、啉杜はすごく感情豊かで、はきはきとしている。
「そうなんだ。そういえば、啉杜ってどんな仕事してるの?」
「ん~、そんな大したことしてないで」
「何でもいいから」
「ん~強いていうなら、ある人の手助けかなぁ」
「手助け?」
「んー、まあ、そんなところ。まあ、気にせんといてや」
「うん……」
やっぱり、教えてくれない。数日前、ソウシャにも同じ質問をしていた。
『ねぇ、ソウシャってどんな仕事しているの!? お金って働かないと手に入らないよね?』
『……そうですね』
『どんなの?』
『私は特にこれといって何かをしているわけではありません。一緒に居るセンリならご存知でしょうに』
ときっぱりと言われてしまった。お金の出所が分からない。不思議である。
「センリ、なにか買ってあげようか?」
「ほんと!?」
「ほんとや。あ、でも高いのはダメだからね。俺はソウシャたちと比べてそんなに金持ちじゃないから」
ソウシャは金持ち発言。
まあ、薄々勘付いてはいたものの、実際、親しい人から確信の言葉が聞けるとは思ってもみなかった。
啉杜に小袋を買ってもらった。
「それ、何に使うんや?」
「お金を入れたり、買ったものを入れたり……。あ、そうだ。啉杜にこのオレンジの実、ひとつあげるよ。ザエリさんが、ひとつおまけしてくれたから」
「おう、ありがとうな」
啉杜がオレンジの実を受け取ったそのとき、人々が騒ぎ始めた。
「どうしたのかな?」
啉杜もそわそわしている。そして、動物のように耳をピクリと反応させ、僕の頭を抑えた。
「痛いっ」
無理矢理座らせられ、頭を下げさせられた。まるで土下座をしているようだった。
「啉杜!?」
「ちょっと、我慢せ」
啉杜に渡したオレンジの実が転がり、街路の中央に転がった。周りを見ると、周りも皆、頭を深々と下げていた。老若男女問わず、地面に頭をつけている。
そのときだった。
地面が揺れ、馬と馬車の音がした。街路を次々に通って行き、頭に響いた。
オレンジの実が、馬車にひかれ潰されてしまう。
やがてすべての馬と馬車が通り過ぎ、啉杜の手も頭から退けられた。
「ごめんなぁ。手荒な真似して」
「い、いえ」
額と服に着いた土を払い落す。少し額がヒリヒリする。
「あの……あれって」
啉杜に視線を戻すと、啉杜は馬と馬車が去って行った方をじっと見据えていた。
「……か」
啉杜が何かつぶやいたのは分かるが、何を言ったのかは分からない。
「啉杜?」
啉杜は笑みを浮かべ、驚いているようだった。
「なんや、知らんのか」
一応、質問は聞いていたらしい。
「えっと、貴族?」
「そうそう。貴族様や」
「でも、どうして、頭を下げるの?」
「貴族様には逆らえんからなぁ。逆らったらこれや」
指を立て首元でスッと動かした。
「ど、どうして?」
「さあ? 昔から」
「いつも通るたびにこうして、頭下げるの?」
「そうそう。それが普通や」
この街は治安が良い。ソウシャもそう言っていたし、僕もそう感じていた。ソウシャのいう、人身売買が行われているのも一度も見たことはない。
「待って」
「どうした?」
「貴族の家ってどこにあるの?」
「それも知らんのか。ほら、この街路をずっと進んでいったところに、丘があるやろ? そこに、貴族様のお屋敷と国王のお屋敷はあるんや」
「丘の上に……」
「まさか、行きたいと思っているわけじゃないやろな!?」
「え、うん」
「行ったら殺される。絶対に行ったらダメや!」
啉杜は肩を掴み、僕を揺らした。
それほど、貴族とは恐れられているのだろうか。それにしては、この街はよく栄えている。貴族に対しての不満もあまり聞いたことはない。
「う、うん。分かった」
「なーんてな。俺の迫真の演技どうやった?」
「え?」
「まあでも、本当に行ったらダメやで。じゃあな、気を付けて帰りな」
そういうなり啉杜は早々と去って行った。
絶対に行ってはいけない。それは、階級差というものだろうか。大人の世界は難しい。
ソウシャなら分かるかもしれない。
小袋を腰に提げ、足早にソウシャの家に帰った。
‡
「おかえりなさいませ、カナデ様」
「ん」
ろうそくの灯もところどころにしかついておらず、カーテンも閉められ、屋敷内は暗闇と化していた。しかし、誰も灯を増やそうとはしなかった。
カナデは、カーテンに手を掛け、丘に続く坂をのぼってくる馬車に視線を向けた。
――――無駄足
「カナデ様?」
「あのお客人は、お引き取り願いください」
「し、しかし」
「なにか?」
使用人の女は、黙り一歩後ずさった。そして一礼すると、部屋を後にした。
カーテンの隙間から見える街を見下ろした。
このリルオーフェ神国は、四つの街に分かれている。
ソウシャの家があるイースト・ナルシア街。柩婪の家があるノース・ヒカリア街。水が豊富なサウス・ユティア街。治安が一番悪いウエスト・ワシュア街。
その中央に貴族が住まう丘はある。場所は、ナルシア街に位置する。
コンッコンッ
ノック音に振り返ると、男が立っていた。
「例の研究室より、報告。子どもが一人行方不明とのこと」
カナデはスッと窓の外に視線を戻した。
――――子ども……
‡
その夜、お風呂に入った僕の額には塗り薬が塗られていた。どうやら、地面に頭を付けた際、切り傷が出来たらしい。
「しみた」
「でしょうね。大丈夫ですか?」
「大丈夫」
「啉杜も力強くしたものです」
「貴族って何?」
「貴族様と呼ばれる者でしょうか」
「うん」
「一概には言えませんが、絶対的権力を持つ方たちでしょうか」
「でも、そんなことしたら、貴族嫌いになっちゃう人たちもいるんじゃ……」
「確かにいるでしょう。ですが、貴族の悪口は外で言わない方が身のためですよ」
「え!?」
「商人の中に、稀に貴族が混じっていることがあるのです。ですから、皆、むやみやたらに貴族の悪口を言わないのではなく、言えないのです。現にここ、ナルシア街は多いことで有名ですし」
「ど、どういうこと!?」
「国王は知りませんが、貴族は皆、自分は偉いと思い込んでいます。自分の悪口を言う、つまり、気に食わなければ殺してしまうということです」
「それって!」
ソウシャは自分の唇に指を立てた。
「貴族に支配されるとは、そういうものです」
「ソウシャは不満なんてないの!?」
「不満……ですか」
「ソウシャだって、こんな肩身狭いところに住みたくないでしょ!? もっともっと良いところに住みたいでしょ!? 世の中もっといいところがあるのに」
「センリ」
「だって可笑しいよ! 僕らも貴族も、皆同じ人間だよ!? なのにどうして、僕らばかり下を向いて歩かないといけないの!?」
感情的になり、両手を握り震わせていた。
だって、可笑しい。貴族だろうが、商人だろうが、街人だろうが、関係ない。皆、同じ人間じゃないか。
どうして、こんな格差が生まれるんだ。
「センリ」
「貴族なんて、どうせバカばっかだから、分からないんだよね。そんな人間みのあるようなことが」
「センリ、それ以上はやめてください」
「だって……。だってさ……。可笑しいよ! どうして、ソウシャは可笑しいと思わないの!? 僕よりここに住んでいるのが長いから慣れたの!? 慣れるものなの!? 分からないよ……。どうして、僕らばっかり」
僕らばっかり、こんなにひどい目に遭わないといけないんだ。
『チビッ! 助けてッ! 助けッ! チ……』
僕ら……ばっかり。
「可笑しいのに……」
ソウシャはまだ乾いていない髪に触れた。
「いずれ分かりますよ」
ソウシャの手はそのまま下がり、腰の小袋に触れた。
「これはどうしたのです? 高いでしょう? センリの持っていたお金では買えないはずです」
話を逸らされてしまう。一度話を変えられれば、もうどれだけ聞いても教えてはくれない。
「これ……啉杜に買ってもらった」
小袋を見せると、ソウシャは笑みを浮かべることなく視線を逸らした。
「それは、良かったですね」
早々に薬を片づけ、紙と筆を準備し始めた。
そんなソウシャの背を見据える。
貴族だから、何なのだ。位が上? そんなの関係ない。
僕が何も知らないことをいいことに、きっとソウシャは僕をバカにしているんだ。
「ソウシャは今日一日、何してたの? というより、僕がいない間って何してるの?」
一瞬。本当に一瞬だけだったが、ソウシャは動きを止めた。紙と筆をテーブルに置き、こちらに向き直る。
「家で呆然と過ごしていましたよ。なかなか、帰って来ないなと思いながら」
「ソウシャって……」
首を横に振った。
どうせ、聞いても教えてくれないことは目に見えている。
「文字、今日も教えて!」
――――ねぇ、ソウシャって何者なの?