恋情など
翌朝、久しぶりに広間の前まで来ていた。中に入る勇気を持てず、扉の前で立ち尽くしていると柩婪が背に手を置いた。
「行って来てください」
私はものにも誰にも興味がない。無欲、無関心、無頓着な神。それに揺らぎはないはずだった。なのに、私が友情というものを飛び越えて、恋情を抱いていると天照大御神は言い始めた。それを確かめようとここまで来たのだが、少しの勇気が出ずに立ち尽くしている状態だった。
「もし……、私がセンリのこと……」
「好きだったとしても、リルオーフェはリルオーフェです。俺は絶対に見放しませんよ、安心してください」
柩婪に微笑みかけ、扉に手を掛けた。一つ深呼吸をし、ゆっくり扉を開き中に入ると、そこには驚きの表情を浮かべ咄嗟に立ち上がるセンリがいた。
お互いに何も言わず、閉まる扉の音が虚しく響く。
何か言わなければならない。
「えっと……、ずっと来られなくて申しわ」
「よかった……」
あぁ、やっぱりだ。胸がざわついて、落ち着かない。
「え……」
センリは心底ほっとした表情を浮かべ、私に微笑みかけていた。
「本当によかったです……」
今にも泣きだしてしまいそうなほど、目を潤ませるセンリを見据える。
何と返していいものか分からず、黙り込む私にセンリは距離を詰めた。だが決して、私が普段近づいていた以上には近づいてこなかった。
「私の病気がうつってしまったのかもしれないと考えていたのですが、天照大御神様は違うとしかおっしゃらないので、大変心配致しました」
自分の両手を見つめ、センリに視線を向けた。
会えば分かる。
その距離を静かに歩み寄り、そっと手を伸ばす。
「リルオーフェ様?」
触れれば分かる。
そのままセンリに触れ、静かに抱き寄せた。
センリが驚き、身体を強張らせるのが分かる。
「り、リルオーフェ様!?」
どうして、好きになってしまったのだろう。私を高貴な神と見ていないから? いや、それだけなら他にもいる。一緒に居ることが多いから? それなら、天照大御神だってあるはずだ。無論、天照大御神を好きになることなど死んでもないと思うが。
好きだと、気付いてしまったなら自分に嘘は吐けない。どれほど、誤魔化そうとしてもその心は動かないだろう。生まれてから心を動かすことのなかった私が、センリに心を向けたこと自体が、奇跡なのであり、その思いが強いことを表しているのであった。
好き?
私は今とても安堵している。安心している。そして、一緒に居たいと思い、センリのことをもっと知りたいと願っている。
それがもし、恋というものならば、認めざるを得ないのかもしれない。
――――柩婪……
センリから離れ、深く頭を下げた。
――――私はセンリを好きになりました……
「申し訳ありません」
センリの表情を窺うことは出来ないが、センリは頬に手をあてて隠していた。
スッと顔をあげると、何故かセンリは涙を流していた。
突然抱き付いてしまい、それほど傷つけてしまったのかと慌ててもう一度、深々と頭を下げ謝罪した。
「申し訳ありませんっ、驚かせるつもりはなかったのです!」
「リルオーフェ様……」
顔をあげると、泣き顔に笑みを浮かべるセンリがいる。そんな表情でも、嫌ではない。寧ろ、何というのだろう、守りたいとそう感じられた。
「センリ?」
「ご、ごめんなさい……。泣くつもりはなかったのですが……、少し驚いてしまって」
涙を拭うセンリの手を取り、優しげな笑みを浮かべると、センリは更に驚くそんな様子が、新鮮で少し面白い。
「驚かせてしまい、申し訳ありません。……明日からまた来ます。毎朝、センリに会いに、この広間に来ます」
「嫌われてしまったのかと……」
私がセンリを嫌うなど、到底ありえない話である。
「そんなことはありませんよ、ただ少し、自分と向き合いたかっただけです」
ただセンリには、私自身の気持ちをそれ以上伝えることはしなかった。フラれてしまうのが怖いというより、もともと人というものが苦手だったために、こんな気持ちを向ける先が人間であることに、違和感を覚えていた。それに、彼女は許婚。その一時の気の迷いなのではないかとも思う。私が好きだと感じているのは、疑似なのではないかと……。ただの、人として好きという部分を知らない私が似て間違えた、そんな気持ちなのではないかと……。
それが分からない限りは、黙って様子を見る方が賢明な判断であった。
その日、変わったことが二つ。
一つは二人の間に流れる空気の穏やかさ。和やかな会話のなかに、時折混ざる優し気な笑みがあった。
一つは二人の距離感。壁際にいた私は、センリの隣に座るようになった。二人で同じ空を見上げ、同じ風を感じる。二人で顔を見合わせ、笑みを浮かべるだけで、なんだか心が安らいでいった。
翌日も、その翌日も毎日のように二人は、広間だけで顔を合わせては笑い合った。
何もない日々、何もない退屈な時間に、たった一人の人間が加わったことにより、色が飾られ楽しさ溢れる日々へと変わってしまった。
なんと微笑ましいことだろう。
それから十年が経ったある日の夕暮れ、私は夕陽を背に天照大御神と対峙していた。二人の表情に、緩んだ笑みはなく、鋭く突き刺さってしまいそうなほどの交わる視線と、弦が張りつめたような緊張感が漂うだけだった。
「……それはどういうことでしょうか」
「そなたはよく分かっておるはずじゃ」
「私には……分かりません。天照大御神の考えていることが分かりません……」
「そなたのためよ」
「私のためであるならば、このままにしていただけませんか? それが、私にとってです」
何故、これほど必死に請うているのかは分からない。だが、それほど私にとって大切なことであることには変わりなかった。
「そなたを失うわけにはいかぬ。そなたの中には、柩婪も入っておるのじゃ。もともと負荷がついておる。それを考えよ」
「それを考えたうえです」
「ならばそなたがやるか?」
「ッ」
「そなたをわらわは護らねばならぬ。これは、父神の願いでもあるのじゃ」
「私を棄てた神のことなど知りません」
その言葉に天照大御神は驚きを隠せないようだった。
「そなた、記憶を取り戻しておるのか?」
「え?」
何も分かっていない私を見て、天照大御神はそれ以上何も言わなかった。
「それはそうと、そなたのことを考えておるのじゃ。それをよく考えてみよ」
「……それでも、私は……」
「ならばわらわがやる。それまでのことじゃ」
「今はまだっ!」
「……ならば、時間をやろう。そう長くはなかろうて」
そのまま私の言葉を待たずに、天照大御神は煙のように去って行った。
私は両手を握りしめ、震わせていた。私の感情に暴れた力が、地面の一部を凍らせていった。
それからまた三年経った。私は未だにセンリに気持ちを打ち明けてはおらず、未だに二人は許婚同士で止まっていた。
その方が良いと、自分の何かが止めているような気がして、一歩前に出ることは出来なかった。
一人、庭で笛に息を吹き込んでいた。綺麗な調子が高天原全体に響き渡る。
吹き終わり、スッと手をおろすと、笛を持つ手が掴まれた。驚いて振り返るとそこには満面の笑みを浮かべるセンリが立っていた。
「センリですか」
最近は、身体の調子が良いらしく外に出ることも増えてきていた。私自身も、柩婪に出ろ出ろ言われるたびに出るような日々ではあるが、以前よりも少しだけ出る日は増えたように感じられる。
「リルオーフェ様って、笛がとてもお上手ですよね」
「そうですか?」
苦笑を浮かべセンリから視線を逸らすと、センリは肩を並べて立った。
「夜などに時々、吹いていませんでしたか?」
夜は確かに吹くことが多い。
「えぇ」
「その音色を聞きながら眠りにつくのです。とても心地よい音です」
「ほかの人でもできますよ」
「いいえ、この音はリルオーフェ様しか出せませんよ! とても綺麗で、繊細な音色です。きっと、この笛がリルオーフェ様を選んだのでしょうね」
クスクス笑いながら笛をセンリに差し出す。
「吹いてみませんか?」
「え!? でも私が吹いても……」
「吹いてみたら分かりますよ。大丈夫、私の神力などは一切使っていませんから。どこにでもある普通の篠笛です」
センリは受け取り、緊張しながらも笛を口にあてがった。どのくらい吹けばいいものか分からず、息を吹き込むと甲高い調子はずれの音がなった。
思わず吹き出し笑いをしてしまい、お腹を抱えてしまった。
それを見たセンリは、頬を膨らませムキになり笛を振り翳した。
「もうっリルオーフェ様ったらひどいです。この笛がどうなっても知りませんからっ!」
「申し訳ございませんっ。ですが、面白くて……」
こんなに爆笑したのはいつぶりだろう。初めてかもしれない。いや、でも何となく懐かしいとも感じられた。
センリから笛を受け取り、笑い出た涙を拭うと、センリはやはり怒っているようだった。
「申し訳ありません。センリは音楽が苦手なようですね」
「ですから、それはリルオーフェ様しか出来ないのです!」
「そうかもしれませんね。でもこれは、私の笛ではないのですよ」
「リルオーフェ様のものではないのですか?」
「はい。貰ったものです」
「誰にですか?」
その言葉に返事を詰まらせた。
――――誰に?
貰ったことは覚えている。だが、誰に?
「分かりません……。ですが、貰ったことは事実です」
「覚えていないのですか?」
「ど忘れでしょうか」
笑う私を見て、センリも何だと笑い出した。これでいいのだと、自分に言い聞かせるが、心の隅では、一体誰に貰ったものだろうかと首を傾げていた。
「あのっ」
「は、はい?」
「リルオーフェというものは、名前ではないのですよね?」
「はい。神国の名前です」
「そうなのですね」
そのときのセンリの悪戯な笑みは、その答えを知っても覚えている。
翌日普段通り広間に入ると、窓際に佇むセンリがいた。
「センリ」
呼ぶと振り返る彼女の髪はさらさらと靡き、太陽の光りにあてられる。
「ソウシャ」
「え?」
突然のことに、センリが何を言っているのかが分からない。ソウシャとは何だろう。
「ソウシャという名はどうですか?」
『リルオーフェというものは、名前ではないのですよね?』
私はセンリから視線を逸らし、薄らクスッと笑った。なるほど、こういうことだと理解するまで一秒も掛からなかっただろう。
余程ネーミングセンスに自信があるらしいセンリは、得意気にこちらに笑みを向けていた。
「ソウシャって良い名でしょう?」
「素敵な……名前です」
「そうですね、漢字は……」
唇に指をあて、考える素振りを見せる彼女のその姿は、とても魅惑的だった。見惚れていると、背後に気配を感じ視線だけ背後に向けた。
――――柩婪?
「ソウシャは笛が上手ですから。『奏者』です」
「私にはもったいないほどの名ですね。センリ」
私は名のない神。リルオーフェ神国という国を次期に統べる神であり、高貴な神に位置するものである。私の呼名はリルオーフェ。そのほかに、私は皆にこう言われていた。『皆が欲しがるものを、すべて手に入れておきながら、あっさりそれを棄ててしまう』確かにその通りだった。ものもひとも、何もかもどうでもよかった。興味という興味は湧かず、好きなものも嫌いなものも、人間が苦手以外には何もなかった。
私は自分のことさえもどうでも良いと思っていた。自分の立場にも興味はないし、神という存在さえどうでもいいと思っていたのだ。
そこに現れた私の人生を変えた人物。
その名をセンリといった。センリは現人神であり、私を高貴な神として見ることは基本的になかった。一神として見てくれるセンリのその対応が、とても嬉しかった。気づけば、許婚という枠を超えたように、私はセンリを好きになり、いつしか愛しいとすら感じるようになっていた。
私には昔、あるひとから貰った笛があった。それが唯一、私の心のよりどころであり、それ以外、何の興味もなかった。
私が笛を吹く理由はひとつだけ。
儚い気持ちに、なったときだけ……。それ以外に、吹く意味はなかった。だが、その理由は覚えていないのか、知らないのか、考えたこともないのか分からないが、全く説明は出来なかった。
視線をセンリに戻し、穏やかな笑みを浮かべた。
私は名のない神。
私は名のある神。
私の名は、呼名ではなくて……。
「改めましてですね、センリ。初めまして、奏者といいます」
それが私の大切な名前となる。
奏でる笛の音を、届けられる神として、奏者という名を賜る。
私にとって、その贈り物は今まで生きてきたなかで、最も嬉しく、幸せを感じられるものだった。
だがその幸せなひとときは、それから十五年後に全て失ってしまうこととなる。
皆さま、初めまして
柩梁ろくと申します。
この度は、今作をお読みいただきありがとうございます。
この作品は、現在(2018.6.6)で17章まで書き終えております。ですが、諸事情により少しの間投稿をお休みさせていただきます。
数ヶ月ほど時間をあけて、次章を投稿していきたいと思っております。
皆さまにはご迷惑をおかけしますが、ご了承のほどよろしくお願いします。
今後とも、よろしくお願い致します。
柩梁ろく




