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奏でる笛の音ありて、センリの彼方へ  作者: 柩梁ろく
第7章 笑っていてくれますか?
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霧のなかで


 舗装されていない道を歩いていくと、とある丘へと続く道が現れる。誰でもそこに行くことは出来ず、本当に何かを望む者の前にだけ現れる。ソウシャは深い霧のなかを、歩いていた。裾の長いニスデールは、坂を上ると少しだけすれて汚れてしまう。片手には篠笛。


 ひんやりとしたその世界は、私を包み込んでいく。


 私以外に誰もいないそこで、私は唇に笛をあてがうと息を吸いゆっくりと吹き込んだ。すると、自分でも驚くぐらいに綺麗な音色が篠笛から鳴り響いた。私の知るその調子を奏でると、霧は少しずつ晴れていった。


 ふと我に返り、自分の姿を見ると服も手も、顔も髪も赤く染まっていた。それが誰かの血であることを理解したのは、それから少し後のことだった。


 笛を止めると、霧も段々濃くなっていく。


 曇る空を見上げ、静かに目を閉じる。


 屋敷の一室、血の臭いが立ち込めていた。


『ソウシャ……。ごめんなさい』


『センリ!』


 私の腕の中で震える血まみれのセンリは、私の頬に触れた。とても冷たい手だった。


『私は、あなたが好きですよ』


『私も……あなたが好きです……』


『だからね、殺してくれたのがソウシャで良かった……』


『私はっ!』


 両手で触れたセンリの手は生温かかった。それはセンリの体温ではなく、血の温かさであった。


『ソウシャ』


『センリ、申し訳ありません……。私がっ、私が非力でした……。結局っ、結局私は誰も護れない……』


『違うわ、ソウシャ。私を護ってくれたわ』


 涙ながら何度も首を横に振った。


『ねぇ、ソウシャ……。最期に笛を聴かせて? 私の大好きな歌を聴かせて?』


 センリは涙を流し、声を震わせていた。しかし、表情だけは笑みを浮かべていた。


『泣かないで、ソウシャ……。大丈夫よ、大丈夫。私はいつまでもソウシャの味方よ……』


『センリ…………』


 センリは息絶える最期の最期まで笑みを浮かべていた。


『殺してくれて……ありがとう……』


 その瞬間、頬に添えられていた両手が床に力なく落ちた。


『センリ? センリ、お願い……。目を開けて……。お願い…………』


 静かな部屋の中、聞こえるのはソウシャの泣き声だけだった。


『あなたがいなくなったら、私はどうやって生きていくのです!? センリっ、私を置いていかないでッ! ……もう…………』


 伸ばした手は、二度と届くことはなく、彼女の声も二度と聞くことは出来ない。


 深いため息を漏らし、唇に再び笛をあてがった。


 これが最期だ。最期に彼女、センリが好きだった歌を届けよう。


 奏でられていくその歌は、霧の中を切り開くように進んでいった。誰もが知らない、この物語が切り開くように、この歌が響くように、届くように……、私があなたを想ったその心のすべてを、この歌にのせて……これで終止符を打つ。


 そのときだった。背後で足音が止まり、笛を止めて振り返ると霧に隠れ見えにくいが、男の子のような影がこちらを見ていた。


 霧はさらに深まるが、ひんやりしていた霧はどこか温かな霧へと変わっていた。


「誰?」


 人影は答えずにいた。


 あなたは一体誰?


 笛を止めれば濃くなる霧。それは容赦を知らない。やがて、人影の姿は見えなくなり、ゆっくりと振り返り、再び空を見上げた。


「死ぬ気?」


 その声にハッとして振り向くと柩婪が佇み、こちらを面倒そうに見上げていた。先程の人影は柩婪だったのだろうか。


 私は何も答えなかった。それでも、柩婪はすぐに察してくれる。


「残念だけど、その丘から飛び降りたところで死なない。こちらの世界とあちらの世界の狭間で永遠に彷徨い続けるだけだ。それでもよかったらどうぞ?」


 私が死ねば、柩婪も死ぬ。それを知らない柩婪ではない。もしも本当に、私がそうなってしまったら、柩婪は私を責めないのだろうか。


 柩婪は丘を上がってきて、距離一メートルほど離れたところに立った。


「今の私に生きる意味はありません」


「元々生きる意味なんてないだろ」


 フッと笑い、呆れ笑みを浮かべる。


「そうですね。生きる意味など求めるからいけないのですね」


「大体、無頓着だったお前のことだ。ひとつ大切なものを亡くしたくらいで、落ち込むことはない」


「私にとってセンリはそのくらい大切な人でした。彼女のいない世界に私はいないのと同じです」


「お前はセンリを守っていたよ」


「ですが私は非力です。何も出来ないまま、結局センリを殺してしまった」


「お前が殺したわけではない」


「何を言っているのですか? センリは私が殺したのです」


「……だったらその罪から逃れるために、お前は死ぬのか?」


 静かな丘の上、濃い霧の中でも、柩婪の姿だけはしっかりと見えていた。この霧はもしかして、私の心の霧なのかもしれない。


「センリのために、生きていたようなものです」


「だったらお前は弱虫だな」


「え?」


「それに、もしお前が本当にそう思っているのなら、俺がお前を一発殴りたい気分だ」


「何故殴るのです?」


「お前は俺の大切な主だ。お前が死んだなら俺も死ぬ。俺のために生きろよ。俺だって、少しはこの世界を堪能してから死にたい」


「柩婪のために……ですか」


「考えてもみなかったという顔だな」


「いいえ……」


「一応心の片隅くらいにはあったのか?」


「いいえ、それも違います」


「じゃあなんだ」


 ソウシャは哀しげに笑みを浮かべ、丘の下に視線を向けた。だが、霧が濃く、その下がどうなっているのかを確認することは出来なかった。


「誰かのために生きてばかりだなぁと思っただけです……」


 センリと出会う前は、天照大御神のために生きていた。そして、センリと出会い、センリのために生きることを決めた。センリが亡くなった今、柩婪のために生きることとなる。自分が嫌いだったから、自分のことを気にもしていなかったが、少し落ち着いてきた今、少しだけ、自分のことを考えられるようになっていた。


「お前がお前のために生きたければそれでいい。だけど、お前は自分のためには生きようとしないだろ? 現に死のうと考えているようなやつだ」


「結局、私は籠の中でしか生きられないということですよ」


 柩婪に背を向け降りはじめると、柩婪はその手を掴んだ。驚いて振り返ると、柩婪は泣き出してしまいそうな表情を浮かべていた。


「柩婪?」


「自分を大切にしろ」


「え?」


「頼むから死なないでくれ…………」


 柩婪の手が離れ、向き直り柩婪に優しげに笑みを向けるが、柩婪は俯いてしまった。


「ありがとう……柩婪。ですが、所詮私は生きていてはいけない存在なのです。皆が恐るべき、存在に変わりありません」


「違う、お前はっ」


「柩婪。……私のために生まれてきてくれて、ありがとうございました」


 柩婪はその瞬間、静かに涙を流した。ソウシャはそれを見て、深々と一礼すると丘を降りて行ってしまった。


 柩婪はひとり、膝をつき泣き崩れた。


 ソウシャのいない、その丘はとても暗く、霧がさらに増していった。とても冷たく、凍えてしまいそうだが、今の柩婪には、そんなことさえ全く感じていなかった。


 ソウシャが丘を降りていくと、見知らぬ場所にでた。


――――道を間違えた?


 咄嗟に振り返るが既にそこに丘は見えなくなっていた。


――――迷い込んでしまった……


 霧に囲まれたその場所は、さらに濃さを増していき、気付けば真っ白な空間と化していた。歩いて行けば聞こえるのは、自分の足音だけ。


 しばらくその真っ白な空間を歩いていると、目の前に現れたのは紛れもなく自分自身、ソウシャだった。


 だが、少し違うそのソウシャを見て自分の髪に触れる。水と白の混じった長い髪。自分の姿を映す壁に視線を向ければ、そこには薄水色の瞳。


 もう一度目の前のソウシャに視線を向ける。


 紛れもなくそれは自分なのだが、髪は赤と白が混じり、瞳も赤く染まっていた。無表情なソウシャと驚きを隠せない私が向き合う。何とも妙な気持ちになる。


 しばらく黙りお互い見つめ合っていると、赤い瞳のソウシャが先に口を開いた。


「逃げますか?」


 その声も私そのものであった。


「あなたは一体……」


 ソウシャは薄ら笑みを浮かべ、私を指さした。


「あなたの裏の顔とでも言っておきましょうか」


「裏の顔……?」


「知っているでしょう?」


「知りません」


「ならば目を背けているのです。私自身から目を逸らしているのです」


「私自身から?」


「そう。私は私。ソウシャはソウシャ。私はあなたなのですよ?」


「意味が、解りません」


 ソウシャは何故かとても楽しそうにクスクスと笑っている。赤い瞳のソウシャという存在を知らないはずなのに、どこか懐かしく感じる。そしてこの瞳を知っているような気がしていた。


「死にますか?」


「それは……」


「ここにずっといますか?」


「ここに?」


「ここは、ソウシャの心のなか。逃げも隠れも出来ます」


 この世界から消えられるのなら、それが一番楽だろう。この世とお別れをして、すべてを忘れてしまいたい。だが、そんなことをすれば柩婪は……。


 ソウシャは子どもが笑うように、明るく笑みを浮かべた。


「柩婪が邪魔ですか?」


「ちが」


「柩婪が邪魔なら消してしまいましょう?」


「邪魔などではないのです」


「でも、あなたの死を紛らわしているのは、柩婪でしょう?」


「柩婪は私のっ」


「あなたの何ですか?」


「私の……」


「道具?」


「違う……」


「玩具?」


「違う」


「では、トモダチ?」


「柩婪はトモダチではなくて……」


 ソウシャは首を傾げ、憐みの視線を向けていた。


「じゃあ、大切なひと?」


 大切なひと……。


 脳裏に過るのはセンリの優しげな笑顔ばかりだった。


「柩婪はただの道具でしょう?」


「違う……」


「違わないでしょう? だって、柩婪は大切でも友達でもない。だったら、何だと言うのです?」


「違う、違う……」


「そればかりですね」


「あなたは誰!? 私はそんなっ」


「だから、私はあなたです。さっきから言っているではありませんか」


「あなたは私などではない!」


「さあ、それはどうでしょうね」


 俯く私のもとにソウシャは近づいていき、そして、私の手とよく似たその手を差し出してきた。顔をあげると、ソウシャは優しげに笑みを浮かべている。


「私があなたを助けてあげます」


 この手をとってしまえば楽になれるのかもしれない。そう思うと手がゆっくりと、差し出された手へと向かっていった。


「大丈夫、何も心配することはありません」


『初めまして、柩婪』


 まだ幼かった柩婪は、大きめな服に埋もれていた。そこから顔を覗かせる柩婪のきょとんとした顔は、とても可愛く今でも忘れない。


『ぐらん?』


 小さな手をとり立ち上がらせる。そして、丁度いいサイズの服に着替えさせ、頭に手を置き、笑みを浮かべた。


『「柩婪」それが、あなたの名前です』


 それから何年も経てば、すくすくと育ち大きくなっていた。


『リルオーフェ!』


 部屋に来ては私の名前を不必要に呼び、心配そうに私のことを見ることが増えた。気にしなくていいというのにも関わらず、柩婪は嫌というほど気にしてくれていた。


 でもそんなある日、柩婪が倒れ込んでしまった。


 柩婪の痛みに気付いていながら、声を掛けるだけであまり気に留めていなかった自分のせいであった。それからよく自分を責めた。だが、柩婪はそれほど自分を責めるなと言っていた。


『俺が相談しなかったのが悪いんだ。悪かったな』


 相談できるような環境をつくっていなかった自分が悪い。


『柩婪、申し訳ありません……』


 私は自分をどれほど責め、傷つけてもすぐに傷は癒えていった。それがとても悔しくて、寂しかった。


『リルオーフェ』


 いつしか、柩婪に気を遣わせないように、柩婪に迷惑を掛け過ぎないようにと自分の思いを隠すようになっていた。それでも、もともと私の変化に敏感な柩婪は、私のことを心配して声を掛けてきていた。


『私の心配なんていりませんから、大丈夫ですよ』


 そう言えば、柩婪の心は沈んだ。


 差し伸べられた手に、私の涙が零れ落ちる。


「私さえいなければよかったのかもしれません……」


『俺はお前が一番大切だぞ。それをいつまでも忘れるな』


 堪えていた涙が一気にあふれ出していく。


 私のことなど放っておけばいいのに、懲りずに声を掛け続けてくれていた。なのに、そんな優しささえも無碍にすることしか出来ない。


『いい加減気づけよ。お前に与えられている愛っていうものに』


 ソウシャはもう少しで乗せられる手を見て、勝機に満ちた深い笑みを浮かべていた。しかし、その瞬間、その手はスッとおろされてしまう。


「どうしたのですか? 私があなたの味方になってあげますよ?」


「必要……ありません」


「どうしてですか?」


「私はどうやら、一人ではないようですから……」


 涙にぬれた笑顔は、ソウシャにとって有り得ないものだったに違いない。だが、今の私は一人ではなかった。柩婪がいる。柩婪だけでもいい。唯一無二の存在を見つけられたなら……。


「柩婪のもとに帰ります。そして、柩婪が生きたいのなら、私も生きます」


 赤い瞳のソウシャはそのまま煙になって消えていってしまった。


 知っている景色に戻り、ホッと振り返るとそこには天照大御神が立っていた。一瞬、彼女の仕業かと疑ったがどうやら違うようだった。


「奏者殿、わらわのために……、柩婪のために、これからを生きよ。そなたは一人ではないのじゃよ」


 その夜、恐る恐る屋敷に戻ると柩婪は何事も無かったかのように、本を片手に私を待っていてくれた。だから、そんな彼に私から一言伝えよう。


「柩婪」


「ん?」


「生きていてください、私のために」


 それが柩婪との一つ目の約束。このあとすぐ、ことが起こり、私と柩婪だけが知る合言葉が出来た。


          ‡


 時間がとまった世界のなか、啉杜はソウシャを抱きかかえ、紗の奥にある布団の上に静かに寝かせた。


「テトゥー」


「どうした?」


「ソウシャの様子を見たのは使者だけか? 貴族や王族はどうだ?」


「使者だけだと思うけど、一応全体の方がいいと思うぞ」


「そうだな……」


 柩婪は何かを唱えながら、奇妙に手を動かし始めた。そして、花開くように空に手を広げると、空によどみが生じ、段々とこの丘を包んでいった。


「柩婪」


 呼ばれ振り返ると、ソウシャの血に濡れた啉杜の姿があった。


「怪我はないか?」


「ソウシャに傷はないで。治癒能力は前から高かったやろ」


「違う、お前だ」


「え? あ、大丈夫や」


「それなら……いい」


 柩婪は床に散らばる割れた破片や家具を元に戻し始めた。それを見て啉杜も手伝う。


「どうするんや? あぁなったらなかなか起きないんやで?」


「目が覚めるまでどうにかしなければならない」


「もって何日や?」


「四日程度だな」


「手は考えてあるんか?」


「……全く」


 柩婪と啉杜の手により、少しずつ部屋がもとに戻っていった。


 だが、飛び散った血だけはソウシャにしか片づけることは出来ない。


「どうしたらいいんやろうなぁ」


「なあ、啉杜」


「何や?」


「ソウシャがもし、俺らを棄てたらどうする?」


「まさか。ソウシャは俺らを棄てんやろ!?」


「俺はソウシャが昔みたいに危うくならないか、とても不安なんだ……」


 そう話す柩婪は小さな笑みを浮かべていたが、その表情はどこか偽物で目は笑っておらず、とても哀しげに、儚げに見えた。



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