国王というもの
某所にその国は存在した。四つの街に分かれ、それぞれがそれぞれの街を営み、国を作っている。
国の中で最も広大な面積を誇り治安も一番に良い、イーストに位置するナルシア街。そこは主に王族、使者、国民と呼ばれる者たちが住む街であり、水源以外は豊富に揃い、国の顔となる街である。ひとたび足を踏み入れれば、にぎやかな商人の声と活気あふれる街並みが広がり、旅人の心を掴んで離さない。だが、その反面、王族、貴族が街に隠れ住んでいたり旅人として紛れ込んでいたりするために、常に街人は王族、貴族に見張られているように感じ、恐怖を抱き続けているのだ。
国の中で最も水源に恵まれており、治安は並み程度、サウスに位置するユティア街。そこは主に研修使者、国民、奴隷と呼ばれる者たちが住む街であり、特に水源が豊富で、各街、各国との貿易は盛んな街である。だが、人身売買の商品となる人間を見つけ誘拐する商人や闇取引をする商人が多く、基本的に一人では出歩くことが出来ない。この街で出産をする親も少なく、子が育つまではこの街から離れて過ごし、落ち着きはじめたら我が家に戻るということも少なくはない。
国の中で最も平凡といっても過言ではなく、治安は二番に良い、ノースに位置するヒカリア街。そこは主に研修使者、使者、国民と呼ばれる者たちが住む街であり、水源以外は、ナルシア街より劣るが、なんでもバランスよく揃う街である。ナルシア街ほどの活気はないが、それでも街に出れば、商人たちの活気ある声が聞こえてくる。緑も豊かなため、耳をすませば鳥のさえずり、遠くを流れる滝の音も聞こえる。旅人が宿をとるなら、大体この街である。
国の中で最も狭小な面積であり治安も一番に悪い、ウエストに位置するワシュア街。そこは主に国民、奴隷と呼ばれる者たちが住む街であり、衛生面も悪く、死人が最も多く出る街である。旅人はおろか街人ですらこの街には近づかず、街並みは腐ったようにぼろく、あちこちから死臭が漂ってくる。人身売買の取引場所であり、穢れた地と名高い場所であった。
それら四つの街を合わせて、リルオーフェ神国という。
そしてリルオーフェ神国には四つの位が存在する。上位から順に、王族、使者、国民、奴隷である。更に細かく分けると、王族位の中に王族、貴族が属し、使者位の中に神職、臣下、使者が属し、国民位の中に職人、商人、農民、国民が属し、奴隷位の中に商品、奴隷が属しているという具合だ。
リルオーフェ神国は隣国、遠国から、すべての街を合わせればすべてを持つ国だ、と言われる国であった。そんな国を支え、統べる国王の名を、カナデ国王と名乗る。だが、最近までその者は姿を隠し、容姿等詳細不明であった。王族に位置する者たちでさえも、国王として会ったことのあるものは数えられるほどであった。だが最近になって、ことが起こり、国王の正体が国中に広まり、その者がソウシャと名乗っていることも広まってしまった。誰も予想しなかった国王の存在に、誰もが驚愕した。
国王は、国の第一人者であり、常に位に関わらず、全国人のことを考えなければならない。国王の言葉は、国全体に影響するものであり、国王の行動は、国全体を動かすものである。それを忘れてはならない。
そして、国王に自由というものは存在しない。生きているだけで、その存在は権威を持ち、象徴となる。弱き心を持てず、常に前を向き、皆の模範にならなくてはならない。自分のことなど気にせず、常に国人のことのみを頭に日々を過ごす。
籠に囚われた鳥のように、丘の上の屋敷で一生を始め終えなければならない。
ソウシャにとって、それほど堅苦しいものはなかった。
私のことを皆、カナデ様、カナデ殿、カナデ陛下などと呼ぶ。ソウシャとして国王に立っているわけではなく、ソウシャという名はあくまで街で過ごすための名とされていたため、それも致し方ないと言えばそうなのかもしれない。だが、こんな堅苦しさが嫌で、あの場所から逃げ出してきた私にしてみれば、結局どこも同じようにしか思えなかったのである。
この世界もあの世界も、すべてが霞んで見えて、自由などという言葉はないに等しい。永遠に閉じ込められた牢獄のなか、さらに鎖に繋がれ、用意される立場と食べ物だけで飢えしのぐ日々。どんなに苦しくても、哀しくても、嫌でも首を横に振って拒むことすら出来ない人間性の欠けた拘束。名も知らない、顔も知らない誰かのために、全てを与え、尽くしていかなければならない窮余。
ため息を吐くだけで、周りの反応は二手に分かれる。私のことを心配して、どうしたのか、何があったのかを問うてくる者と国王の威厳を思い、国王がため息を吐くなど有り得ないと豪語する者。たぶん、多くの人が前者の方がいいと言うかもしれないが、王族や貴族は後者が普通だと真顔で答えるだろう。それに私は、どちらが良いとも悪いとも思えないし感じられない。労わられても、何が分かるのだと言いたくなるし、怒られても、そんなことは私に関係ないと思ってしまう。それほど自分勝手なところはあるのかもしれないが、それが中立の立場なら出てくる言葉だと思う。
国王だから、国王なのだから、そんな言葉は聞き飽きた。
私は実の国王の息子でも養子でもない。本来なら、国民として平凡に生きるだけのひとなのだ。あのとき、前国王のカナデ陛下に声さえかけられなければ私の自由はある程度確保されていたのかもしれない。啉杜と柩婪が居れば、それくらいどうってことはない。夏の賑わいも過ぎ、葉も秋色になりはじめるこのころだった。このころ、私とカナデ陛下は出会ったのだ。だがそれもう何年も前の話。
冷たい水に浸っているような感覚。
私はリルオーフェ神国、国王。
そして今、目の前にいるのは私の全てを握る天照大御神という神様。
私をどうしようと言うのだろうか、殺して焼いて食べでもするだろうか。それは冗談だが、それでも、そんな恐ろしいことを平気でするような者である。ひとは見た目によらずとはこのことである。
可愛らしい笑みの奥に揺れる瞳は、可愛らしさとは程遠い。
私は一時でも、心を揺るがすことは出来ない。
「センリか? さあ、どうしようとも思っておらぬ」
「……何を企んでおられるのですか?」
「企む? そなたは可笑しなことを申すの。よく思い出してみよ。わらわが、センリとやらを呼んだのか?」
その言葉に思い出してみれば、ヴァリスが自ら連れて来いと言っていただけで、決して彼女が頼んできたのではない。あらぬ疑いをかけてしまっただけというのだろうか。それならば、私の命はかなり危険な状態にあるかもしれないと薄ら笑みを浮かべた。
「思い出したかの?」
彼女は得意気に笑みを浮かべ、そばの蝋燭の灯を吹き消した。
「わらわに濡れ衣を着せるとは相応の覚悟は出来ておろうのぉ、ソウシャ殿」
彼女が一歩こちらに近づいて来れば、一歩後ずさった。
彼女は中央にある小さなテーブルまで近寄り、置かれた空のティーカップの上で奇妙に手を動かした。すると、手から色のついた水が零れ落ちティーカップの中に注がれていった。二つのうちひとつを手に取り、もうひとつを私の方に向けておいた。
飲めと言わないばかりに、目で訴えかけ、一口飲んだ。だが無論、飲む気は全くなかった。何が入っているのか分からないものに手を出すことは出来ない。
全く動かない私を見て、彼女はため息交じりにカップを置き、スッと手を動かした。すると、空間上に浮かび上がったのは、今までの私を中心としたセンリと啉杜、柩婪、テトゥーらの映像だった。死ぬ前の走馬灯のようにも見える。
「さて、真面目な話をしようか、ソウシャ殿」
そう言う彼女の表情は笑みこそ浮かんでいるものの、目だけは笑っていなかった。
――――やはり、来るのではなかった……
彼女は更に笑みを深め、目を細めていた。
‡
僕が眠ったと思ったのだろう、ソウシャは柩婪と啉杜に一言言うと部屋を出て行った。虚しく閉まる扉の音だけが耳に響いた。
掛布団を動かし、柩婪と啉杜の様子を窺うと二人は何やらコソコソと話しているようだった。何を話しているのかは、この距離でも分からない。狭い部屋で、二人だけでコソコソとされると何だか寂しさを感じる。そんな僕の気配を感じ取ったのか、柩婪が先にこちらを振り返った。
目が合うと、話す啉杜の肩に手を置き、あごで僕を差した。
ゆっくりと身体を起こし、柩婪と啉杜を見据える。
啉杜とはずっと過ごしていた分、柩婪がとても懐かしく感じられた。妙な緊張感を抱き、布団を強く握りしめた。そこに、柩婪は僕から見て右に、啉杜は左にある椅子に座り僕を覗き見る。
先に口を開いたのは啉杜だった。
「まだ起きてたんか?」
「うん……。慣れないところではどうしても眠れなくて」
「起きてたら、ソウシャが話してくれたかも知れんのに。いいんか?」
「うん……」
嘘だった。本当はソウシャと話していたい。だが、ここは王族の住む丘の上、ソウシャの屋敷。身分の低い僕がわがままを言えるような立場ではない。
俯く僕を見て、柩婪はため息を吐きながら本を開いた。
「お前もソウシャも不器用同士だな」
久しぶりに聞いた柩婪の声。久しぶりに会えたことが嬉しいのに、それすらも伝えられない。でもやっぱり感じるのは、ソウシャの前で挨拶したときとは違う顔と声音。普通に聞くならその顔も声も同じに聞こえるかもしれないが、僅かに違うように感じられた。
「元気にしているようで、何よりだ」
柩婪はどこかつかみどころのない人だ。それでも、僕のことを少しでも気に掛けてくれていたのだと思うと、すごく嬉しかった。
黙り込み俯いたままの僕に、啉杜は笑みを浮かべ首を傾げた。
「どうしたんや? ……チナのこと、気にしてるんか?」
ゆっくり、静かに頷いた。どうして、チナは自らの腕を切ったのだろうか。チナは僕のことどう思っているのだろうか。そして、ソウシャはどうして僕に寄ってきてくれなかったのだろう。考えれば考えるほど、浮かんでくるのは最悪な考えばかり。打ち消してしまいたい思いが募っていくばかりだった。
「チナの怪我なら大丈夫そうやで?」
「ほんと!?」
「うん。でも、包帯は巻いてたみたいや」
「ち、チナに謝らないと」
「本当にセンリがしたわけやないやろ?」
「え……うん。でも、ソウシャはきっと僕がしたって思ってるよ……」
「思ってないで?」
「ううん、思ってる。きっと、僕がチナの腕を切りつけたって思ってるっ」
「思ってないて」
「どうして啉杜にそんなこと分かるの!? ソウシャの考えはソウシャにしか分からないんだよ!? 啉杜が分かるわけないよっ!」
その言葉に啉杜の顔が曇ってしまう。強く言いすぎてしまったかもしれないと口を抑えるが、啉杜はそれを見てフッと笑い視線を逸らした。
「それが、分かるんやで。ソウシャのことはなぁ」
「……どうして?」
啉杜は僕を一瞥し、すぐに視線を逸らしため息を吐いた。
「ごめんやけど、俺から話すのは無理や。ソウシャから何も聞いてないんやろ?」
何もとは、一体何のことだろうか。国王以外にも何かあるというのだろうか。ソウシャはまだ、僕に何かを隠しているというのか……。
啉杜と柩婪は知っていること。なのに、僕だけまた仲間はずれ。
「ごめん……。良いよ、言わなくても。ソウシャが僕に言わないなら、僕ももう聞かないから」
ソウシャが僕に話さないということは、今の僕に話せないことか、僕には話す必要のないことなのだろうと自分に言い聞かせる。だがどんなに言い聞かせたところで、胸に広がっていく冷たいなにかは、全く収まってはくれなかった。
そんな僕と啉杜の話を聞いていた柩婪が、本を閉じ僕の隣に立った。
「お前ら本当面倒くさい」
「え?」
「ちょっと、柩婪。そんなこと言わんであげてや」
「お前も面倒くさい」
「ひどいなぁ」
柩婪は僕に視線を向け、手にしていた本を指さした。
「俺は本が好きだ」
「……へ?」
柩婪が本好きなのは、言われなくても見ていれば分かる。急にそんなことを言いだして、何が言いたいのだろう。
柩婪は本を椅子の上に置き、啉杜を指さした。
「ちなみに啉杜は、こう見えて花が好きだ」
その言葉にいろんな意味で啉杜を見た。啉杜は慌てて手を前に出し首を横に振った。
「ち、違うんやで!? センリ、信じんでなっ! 柩婪も何言い出すんや」
「確かにここにきてからは、花と戯れるところを見たことはないが、ここに来る前は、ニコニコしながら花壇に水をあげていた」
「ちょっ、止めてやぁ」
啉杜が顔を手で覆っている仕草からして、柩婪が本当のことを言っていることはわかる。頬を赤らめ照れる啉杜に、僕は思わず笑った。
そんな僕を見て柩婪は、壁に背を預けるようにして腕を組んだ。
「やっと笑ったな」
「え?」
僕を笑わせようとしてくれていた?
「違うからな」
「え?」
「今、自分を笑わせようとしていたのかもしれないとか思ったのだろうが、俺はそんなつもりなどこれっぽちもない」
「じゃあどうして……」
「……俺の優先順位を教えてやる。一番、ソウシャ。二番、啉杜、テトゥー。三番、センリ、お前だ」
「あ、ちなみに俺は、一番ソウシャ、二番センリ、三番柩婪、テトゥーやで!」
いつもの啉杜に戻り、和気藹々と奇妙なポーズをとりながらそういった。
二人の三番内に入れていることだけで嬉しかった。
「嬉しい……」
でもやっぱり、一番はソウシャ……。そのときふと思い、顔をあげた。
「ねぇ、どうして二人はそんなにソウシャに入れ込むの? ただの友達でも、こういう立場の関係でも、信頼関係があったとしてもそこまで入れ込むことはできないでしょ?」
「俺はソウシャと出会うのが早かったから、信頼関係以上の何かがあるのかもしれないな」
「俺もそうかもっ!」
「啉杜はだいぶ俺より遅く出会ったがな」
「まあまあ、十年も後じゃないやん!」
この二人もだ。正反対の性格をしているわりに、お互いに好意を抱き、面倒だという柩婪も啉杜を嫌がることはない。そこまで親しくなれるほど、長くいたのだろうか。もしそうなら、一年も一緒に居ない僕に何も話さないのも納得できる。
「二人にとってソウシャって何?」
「……そうだな、放っておけないやつ」
「俺は大切なひとやっ」
「センリ」
「なに?」
「俺は本が好きだ。啉杜は花が好きだ。お前が好きなものは何だ?」
「だから、花は言わんでや~」
俯き考える。僕の好きなもの。
フルーツ? この街? 柩婪? 啉杜? テトゥー? 研究室の仲間? ネックレスを託してきたあの人? 違う。僕が好きなものはほかにある。
「僕はソウシャが好き……。ソウシャに助けて貰えて、僕すごく嬉しかった。僕、凄く幸せに生きられてる。それって、全部ソウシャがくれたもの」
「ひとにはそれぞれ好きなものがある。逆に言えば、嫌いなものもそれぞれある。それと同じく大切なものも、皆それぞれだ。俺や啉杜がソウシャを大切だと言うように、センリはソウシャが大切だと言う。ソウシャの心にあるのは、今となっては俺たちではない。お前だ、センリ。泣くことはない。前を向いて、ソウシャを信じてやれ。そして、チナをトモダチだと思ってやれ。あいつはあいつで外の世界を知らない餓鬼だ。お前がチナの知らない外の世界を教えてあげてくれ。俺らでは教えられない、分からないことも、お前なら分かるかもしれない。チナとソウシャは、お前のことを大切に思っている。
目を背けるな。
与えられている愛に気付いていながら、それを無きものとするのなら、それはお前が弱く逃げているだけだ。
逃げずに、向き合え。
お前が向き合う覚悟をするのなら、俺らもその覚悟をする」
気づいたときには、頬を涙がつたっていた。手で涙を拭うが、拭えば拭う以上に涙はあふれ出していた。
――――僕は逃げていただけ……
確かにそうだ。ソウシャは僕が嫌いなのだと決めて、ソウシャと一線を自らひこうとしていた。それなのに、ソウシャがソウシャがと駄々をこねていたにすぎなかった。
「覚悟をするか?」
啉杜と柩婪の温かい視線に、僕は更に涙が零れ、布団にたくさんの染みをつくっていった。
「僕……、ソウシャもチナも大好きだよ。……もっと、仲良くなれるかな?」
「なれる。お互いがきちんと逃げずに向き合えば」
「じゃあ、僕頑張るから。ソウシャとチナともっと仲良くなりたい」
その視線は全く揺らがず、握りしめられた手は、その意思を示すかのように強く握られていた。
センリの言葉を聞いた柩婪は啉杜と視線を合わせ、頷き合った。
「なら、今から俺らはソウシャから距離をとる」
「どうして!?」
「ソウシャは自分を卑下している部分がある。自分の欠点を、俺ら二人で補おうとしているから、自分を見つめ直してもらう。ただしこれは賭けだ。ソウシャがもっと病んで、最悪な方向に進むか、きちんと考え直して強い心を持って望むべき方向に進むかは、ソウシャ自身にかかっている」
「それから、センリもやで。いつまでも泣いてばかりいたらダメや。センリも男の子らしく、もっと活発になって笑いや」
大きく頷き、心を決めた。
「分かったッ」
ソウシャとチナを大切に思う気持ちは皆同じ。なのに、不器用な二人が揃うとそれは茨の道を自ら進むようなものなのだと、思い知らされた。
頷く僕を見て柩婪も啉杜も優しげな笑みを浮かべていた。
‡
帰ろうと天照大御神に背を向け歩き出した。
「そなたは何を望むのじゃ? センリの不幸か? 幸福か?」
ソウシャは振り向くことなく、静かに答えた。
「センリの笑顔を見たいだけです……」




