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奏でる笛の音ありて、センリの彼方へ  作者: 柩梁ろく
第6章 再会できますか?
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もう一度トモダチと


 馬車を降り、丘という名の聖地に足を踏み入れた。街より、とても心地よい風が吹き、街中の混在した匂いはなく、香のような匂いがところどころ漂っていた。大きな屋敷を囲むように貴族の屋敷は建ち並び、その四隅に使者の住まう屋敷があった。だがそこに使者の気配はしない。たぶん、貴族や王族の世話をするために各屋敷で働いているのだろう。現に、今案内してくれている者も使者の装束を身に纏っている。屋敷に視線を向けると、使者とはまた違った装束を身に纏う、貴族や王族が長い廊下をスルスルと歩いていった。女、子ども、男、老人など歳関係なくいるようだった。


 その様子に見とれていると、啉杜に突然手を引かれた。


「迷子になって一人で歩いてたら、殺されるで」


「あ、うん……」


 貴族や王族はそうも人殺しをするのだろうか。人間の道徳があるのか不思議に思うが、やはり貴族や王族の価値観とはそんなものなのだろうか。


 使者は僕たちにずっと背をむけたまま、どこかへと案内している。口では何も言わないが、どこか僕たちを歓迎していないようにも見えた。


 着いてから啉杜はほとんど黙ったまま、苦い表情を浮かべ、ずっと使者の背を見ていた。


 ため息を吐いたそのとき、どこからか綺麗な笛の調子が聞こえてきた。ハッとして啉杜を見るが、啉杜は聞こえていないのか全く気にもしていないようだった。笛の音に耳をすまし、どこから聞こえるのかを探った。残念ながら笛を吹く主は見えないが、この音、この調子は、きっとソウシャだろう。一度だけ聞いたことのあるその笛の音は、とても綺麗な音だった。どうして、笛が上手なのに吹かないのか気になっていた。もしかすると、王族が吹くものなのかもしれない。それ故に、吹きたくなかったのかもしれない。でもどうしてだろう。この笛の音を聞いていると、この世のものがすべて儚く思えてくる。とても哀しげに、寂しげに聞こえるのは僕だけだろうか。


 ソウシャ……。そこにいるのに、僕はソウシャには会えない。僕がどれほど、望んでもきっと会えないまま、僕は大人になってしまうのかな。ソウシャに、ありがとうもごめんねも言えないまま、別れてしまうことになるのかな。……そんなのは嫌だと駄々をこねたところで、この状況が変わるはずがないことは分かっている。分かってはいるが、どうしても、納得できない。


「こちらにどうぞ」


 使者の足が止まり、屋敷の戸口から入るように促された。草履を脱ぎ、素足に足袋を履いた。普段履き慣れていない足袋は、何だか心地悪い。


 足袋に履き替え、使者に案内され奥へ奥へと進んでいった。長く複雑な廊下を歩いていき、大きな屋敷内を見回した。


 とても広く、たくさん部屋があるようだ。廊下では使者や貴族、王族らが立ち話をしたり、通り過ぎて行ったりと世界が全く別のものに見えた。


「大丈夫か?」


 啉杜はすごく分が悪そうに、困惑した表情を浮かべていた。僕の心配よりも自分のことを気にするべきだと言いたいが、僕にもそれほどの余裕はない。


「うん……」


「無理せんでや。何か遭ったらいいな」


「ありがとう」


 何を言えばいいのか、言葉が出てこない。


「ここから先は、センリ様おひとりでお願い致します」


 気が付けば、屋敷のかなり奥に来ているようだった。背後に見える中庭のようなものは、とても丁寧に剪定されているようで樹は風に揺れ、小川は澄んで底まで見えていた。


 啉杜は使者の言葉に驚くこともなく、小さなため息を吐きやれやれといった表情を浮かべ、僕を見た。


「せやろうなぁ。……センリ、一人で行けるか?」


 正直、この屋敷のなか、一人になることだけは避けたかった。チナに会うにしても、ソウシャに会うにしても、一対一では話したくなかった。だが、そんな自分勝手なわがままなど言えるはずもない。でも、本当に怖い……。そのとき、啉杜が僕の手を包み込むように掴まれた。どうやら、握っていた手が無意識のうちに震えていたらしい。


 きっと今の僕の顔は、とても醜いものだろう。いつも見せる笑顔など、そこには存在しないも同然であった。


「センリ」


「……ごめん。大丈夫だから……、僕一人で行けるから」


「無理せんでいいんやで?」


「うん、大丈夫。啉杜はソウシャに会いに行っていいよ。僕は、チナと話してくるよ」


 それでも強がる僕の背を啉杜は叩いた。


「痛っ」


「しっかりせんで。応援してるで、がんばりや」


 少し元気が出た……。


「うん。分かった」


 使者に連れられ、長い廊下を更に進んでいく。ここで、啉杜とは一旦お別れである。


 啉杜は歩いていくセンリの背を、見えなくなるまで見据えていた。


――――頑張りや……センリ。俺は味方や


          ‡


 チナ。王族に位置する貴族で、七歳の男の子。黒髪は親譲りらしいが、本人はその黒髪をあまり好んではいなかった。


 チナは部屋でセンリを待つ間、センリとおそろいで買った筆を手に、弄んでいた。


――――センリよ、わいのことを嫌いなのじゃろうて……。どうして、呼べば来るのじゃ……。呼べば吹く風ではないのじゃ……。殺されるかもしれないと、少しでも考えていないのじゃろうか? まさか、そこまでバカなセンリではなかろう。のう? センリ。……あぁ、楽しかったのう……


「チナ殿下」


 襖を挟み、くぐもった使者の声が聞こえた。


 筆をテーブルの上にころがし、立ち上がる。


「どうしたのじゃ?」


「御客人を連れて参りました。名をセンリ様と仰せられます」


 とうとう来てしまったようだ。


得ればそれほど失うものも増えてしまう。友など、誰一人としていなかったわいに初めての友が出来たのじゃ。なのに、わいはその者すらも失ってしまいそうなのである。わいはどうしたらいい? どうしたら、センリと仲直りとやらをすることが出来るのじゃ……?


 友を持たぬ者に、その仕方は分からぬ……。


「よい、通すのじゃ」


 さあセンリよ、わいと話をしようぞ。どんな話になるのか、とても楽しみじゃ。


 チナは静かに、ゆっくりと開く襖を見据えていた。


          ‡


「やっほー、ソウシャ!」


 ソウシャは苦笑を浮かべ、部屋に入ってきた啉杜に背を向けていた。


「どうして、いつもあなたはそう能天気なのですか」


「あれ? 柩婪はどうしたんや?」


「少々お遣いに行ってもらっています」


「そうなんや。で、ソウシャはどうなんや?」


「どうとはどういうことですか?」


「国王に戻らされた挙句、どうせ、街はおろか国中に名が知れ渡ったから街に戻ってこれんのやろ?」


 それが分かっているなら聞くなと言いたいところだが、それは今の啉杜には言えない言葉である。


――――啉杜も啉杜ですが……


「そうですね。確かに外出禁止にはなりました」


「だろうなぁ。どんまいや」


「仕方のないことです。大体、このようになるだろうとは思っておりましたから」


 そう言いながらもどこか哀しげな表情を浮かべるソウシャに、啉杜は深いため息を吐いた。


――――センリの味方は俺で、ソウシャの味方は柩婪やテトゥーやセンリがいて……。じゃあ、俺の味方って誰や……


「だったら、覚悟ぐらいしときや」


 鋭く吐き捨てるように言われ、振り返ると腰に手をあて、呆れ顔を浮かべる啉杜がこちらを見ていた。啉杜は、いつも明るく笑うことが多かった。出会ったときから、啉杜が泣くようなところをあまり見たことがない。泣いても良いのだと言うが、俺は泣かない、と強がっていた。その強気がいつまで続くか、それが心配ではあったが、それももうここまでということだろう。


 啉杜をここまで追い込んでしまっていたとしたら、それはきっと自分のせいである。私がきちんと啉杜を見ておらず、啉杜は大丈夫だとして放っておいてしまったからであろう。まさかそれがこうなってしまうとは思わなかった。


 啉杜、あなたの気持ちが分かるようで分からない。その気持ちは、痛く伝わってくるが、何を考えているかまでは分からない。


――――何の覚悟もないままここまで来た私とは違うのでしょうね……


 啉杜と視線を合わせ、胸に手を当てた。


「最近、なにかありましたか?」


 その言葉に啉杜は少し驚きの表情を浮かべていた。


「何で分かるんや!?」


「啉杜には話していませんでしたね」


 柩婪には伝え、啉杜には伝えていないこと。柩婪は知り、啉杜は知らないこと。柩婪には頼み、啉杜には頼めないこと。それらが、重なり啉杜は自分を卑下してしまうようになった。だとしたらそれは、すべて私の責任。だがそれを解決するべき日は、今日という日ではない。


「……それはまた次の機会にでもお話いたしましょう。それより、啉杜」


 啉杜は不満そうにしていたが、すぐに小さなため息を吐き、首を傾げた。


「なんや」


「私は覚悟をしていたつもりなのですが、どうやら覚悟が足りなかったようです。不甲斐なく、申し訳ありません」


 ゆっくりと頭を下げた。それを見た啉杜は手を握りしめ、苛立ちを募らせていた。どうしてソウシャに苛立っているのかも自分では分かっていなかったが、自分をコントロールできていないのだと思うと、深く悲しく、苛立ちは募っていくばかりだった。


「お前はええやんな」


「え?」


「味方がたくさんいて、いいひとやから、いろんなひとに期待されて……。俺は違うんやで? 俺は柩婪より劣っているから、ソウシャの力にはなれない」


 そんなことを考えていたのかと、薄ら笑みを浮かべた。


「啉杜にひとつ、良いことを教えてあげましょう」


「良いこと?」


「はい」


「どうせ、一時の気休めに過ぎない言葉だけやろ?」


「気休めなどではありません。……本心です」


「本心?」


 笑みを浮かべるソウシャと違い、啉杜は困惑しているようだった。


 啉杜と出会った日、私はとても喜んだ。とても嬉しかった。柩婪にはない可愛さと元気、そして柩婪が持っていないものを持っていた。


「啉杜は――」


 啉杜はその言葉に、フッと笑い呆れ笑みを浮かべた。


「お前、意味が分からんなぁ。ふざけてるやろ」


 二人の間には打って変わって笑みがほころび、穏やかな雰囲気に戻っていた。


「陛下」


 口を開こうとしたそのとき、襖の奥から使者の声が聞こえた。口を噤み、ひとつ呼吸を置いてから口を開いた。


「どうしましたか?」


「センリ様がチナ様のお部屋に御着きになられたのですが、その……チナ様を傷つけられたとのご報告です」


 驚きのあまり、二人は固まってしまう。


――――センリがチナ様をですか!?


――――センリ何しとんのや!? チナ様を傷つけた!?


「……陛下?」


「……何が遭ったのです?」


 啉杜は使者と会話をするソウシャを静かに見据えていた。


「――」


 二人は使者の言葉に、部屋を飛び出した。


 貴族、王族への手出しは、有無問わず死罪となってしまう。それを知らないのは、センリただ一人である。ソウシャと啉杜は、額に汗を滲ませながら屋敷のなかを必死に走った。


――――お願いです、センリ……。もう、大切な人を失いたくありません……


 どんなに手を伸ばしても届かない。


 あがけばあがくほど、自分がみじめに見えてくる。


 大切なものなど作るから失うときに怖くなる。そう思うから大切なものなど作らなかった。なのに、大切なものを作ってしまった。


 嫌だ……お願い、センリ。センリを私から引きはがさないでっ!


          ‡


 襖を開けると、そこには強張った表情を浮かべこちらを見るチナが立っていた。


「よう来たのう」


 その言葉でチナはスッと笑みを浮かべる。僕の知るチナは、こんな笑顔の可愛い黒髪の男の子。だが、装束からして普通の男の子ではないことくらいすぐに分かる。僕とは生きる世界の違う貴族育ちの男の子。


 夏祭りで一緒に見た花火は、きっと今から見る花火よりも一番きれいで美しいものになるだろう。チナと並んで見たあの花火を、思い出すだけで、きっと僕は涙する。


 部屋に入るなり、動かず固まる僕を見て、チナは首を傾げ小さな笑みを浮かべた。


「どうしたのじゃ?」


 その問いに僕は答えられなかった。今、目の前にいるのはあの日、一緒に遊び、笑ったチナというトモダチ。今、目の前にいるのはあの日、冷たい死体を何食わぬ顔で見下ろしていたチナという貴族。初めて出来たトモダチだった。初めての喧嘩というものだった。だけど、仲直りしたくてもその言葉が出てこない。こうして改めて向き合うと、チナとの立場の差が明確に分かれてしまう。チナは貴族、僕は国民。その差が、僕を壊していった。


「そうじゃの……。何か食べるか? 飲むか?」


 そう言ってチナは自らお茶を入れた。テーブルに置かれた二つのゆのみに視線を向けるが、それでもそこから一歩も動かずに黙り込んでいた。


「そう堅くならなくてよいのじゃぞ? わいとセンリの位の差を気にしておるのかも知らんが、わいはそんなこと全く気にしてはおらぬのじゃ。寧ろ、わいはセンリと同じく国民じゃと思うておるぞ」


 そんなこと正直どうだっていい。いや、どうてもよくはないが、今はそれどころではない。


 チナはトモダチ。チナは貴族。


――――なんだか……怖い……


 それでも全く動かず自分を見つめるセンリに、チナはため息を吐き、ゆのみに視線を向けた。


「……怖がらせて悪かったのう」


 その言葉に僕は俯いてしまう。チナからの謝罪の言葉が聞きたいわけでもないのだ。


 自分が何を求めているのか、何と言ってほしいのかは分からない。だが、チナを心のどこかで許してはいけないという気持ちがあった。


「センリに貴族観を押し付けても仕方のないことじゃ。わいが悪かったと思うておる。本当にごめんなさいじゃ」


 座り、額を床につけ謝るチナに、流石に口を開いた。


「止めてよ」


「え?」


 スッと顔をあげたチナと視線が交差する。


「僕はチナを責めにきたわけじゃないんだよ。これじゃあまるで、チナを責めに来たみたいじゃないか」


「責めても構わんのじゃぞ?」


「チナは確かに貴族だよ。でも、僕は国民だ。王族の中に位置する貴族と違って、国民は使者を挟んでその下だ。僕はチナのような高貴な方の側にいて、友達と名乗られるような立場じゃないんだ。それに、僕はチナとはずっと友達でいたいって思ってた」


「わいが人殺しだから嫌いになったのじゃな?」


 小さく首を横に振った。


 チナは鋭い視線を向け、僕の心を見通そうとしているかのように視線を逸らさなかった。


「違う」


「わいが貴族じゃから、嫌いになったのじゃろ?」


「違うっ」


「わいが嘘吐きじゃからか?」


「違うっ……。お願い、話を聞いて……」


 必死に訴えかけるセンリに、チナは深いため息を漏らした。そしてゆのみを手に立ち上がり、何を思ったのか、次の瞬間、床に叩き付けた。ゆのみは音を立てて割れてしまう。


「わいはな、生まれてからこの丘を出たことが無かったのじゃ。あの夏、どうしても一度はナルシア街の祭りとやらに参加してみたくて、駄々をこね続けた結果、ようやく外に出た日なのじゃ。初めて見る外の世界はとても薄汚れていた。ここのように空気は澄んでおらず、静けさなどどこにもなかったのじゃ。あの騒がしさは、耳が悪くなってしまうかと思ったのう。でものう、わいの自由時間はそれほどない。そう思うと、街に出て子どものようにはしゃぎまわってみたかったのじゃ。そなたと出会ったあの日、わいは使者の手から抜け出し、街中を逃げ回っていたところだったのじゃ。そなたの髪は珍しい茶髪じゃ。確かにこの国に他にも茶髪はいるが、そなたのように綺麗で明るい茶髪はそれほどおらぬ。珍しいものを見たと、そなたに近寄ってしまってのう。まさか、ソウシャ様といらっしゃるとは思わんかったがのう。人間嫌いのソウシャ様が、人間と一緒にいるのだから少しどころじゃないほど、驚いたのじゃ。あぁ、もちろん、誰にも言っておらぬよ。言えば、ソウシャ様がわいを殺しにでも掛かってくるじゃろうしなぁ。それから、そなたがわいと仲良くしてくれたおかげで、祭りを最後まで楽しむことが出来たのじゃ。朝から夜まで、一日騒ぎまくった日はとても楽しかった。一生忘れられぬ思い出じゃ。あの夜の花火はとても綺麗じゃった。ナルシア街は薄汚れ、五月蠅い街だと思っておったのじゃが、あれほど綺麗なものがあるとは知らんかった。わいは、今まで生きてきたなかで、あれほど綺麗で美しいものを見たことがない。あれは、まことに素晴らしいものじゃ。そなたが話してくれたソウシャ様の悩み事も、実に初々しかったのう。ソウシャ様がそなたを嫌っておるなら、早々に棄てていように、そんな小さな悩み事など抱えて、正直おかしかった。じゃがな、センリよ。わいはそなたがとても羨ましいのじゃ。ソウシャ様とは、あの方が国王に即位してから出会ったのじゃが、どうも人間が好きではないようでのう。わいのことをとても大切にしてくれているのじゃが、それもどこか他人行儀なのじゃ。そなたのように、笑みを見せることもない。あるのは社交辞令という名の笑顔と国王の姿だけじゃ。


 のうセンリよ、王族、貴族と聞いて何を思う? 豪華な暮らしに、豪華な装束、貧乏という言葉を知らぬものだとは思っておらぬか? 何不自由なく、子は甘やかされて育てられ、人の上に立つものだと……。そう思っておるのであれば、それは半分正解で半分間違いじゃ。確かに王族、貴族は使者に比べたら数倍、国民に比べたら何十倍、奴隷に比べれば何千倍もいい暮らしをしておる。ものに困ることはないし、欲しいと頼めば使者がすべて用意してくれる。服も民族衣装など知らぬし、貧乏という言葉を知らぬほど華やかなものかもしれぬ。じゃが、何不自由なくは嘘じゃ。王族や貴族は、国民以上に厳しい戒律に縛られ、わいのように自由に街へ出ることは出来ぬうえに、教養も相当な量を学ばなければならぬのじゃ。甘やかすどころの話ではない。寧ろ、ここから逃げてしまいたいと思うほどに厳しい決まりのなかで、使者に護られ、見張られたなかで、生きていかねばならぬのじゃ。籠の中の鳥とはこのことじゃ……。王族や貴族に、自由時間などないのじゃ。センリが街を自由に歩き回るようなことが、わいは出来ないのじゃ。静かに、ずっと、ただひたすらこの丘から出ずに仕事をするのみじゃ。四六時中、わいに自由はない。羽を伸ばせる場所すらないのじゃ。そんな場所に、わいはずっと閉じ込められておる。よく考えらば分かることじゃ。街を知らぬわいたちが、国などを支えていけるはずがない。上に立つ者は、下にいるようなものじゃ。国という大きな塊は、わいたちのような王族や貴族がいなくても、案外うまくまわるようなものじゃ。それ故に、生きる意味が分からず死に逝く王族や貴族は多いのじゃ。わいはその一人になりたいのじゃが、ソウシャ様がいる限りは死ねぬのじゃ。それが、わいとソウシャ様の間にあるひとつの約束じゃ」


 チナの話を聞き終え、センリは膝から崩れ落ちるように座り込んだ。


 まさか、貴族がそこまで厳しいものだとは思っていなかった。毎日を楽に謳歌しているものだと思っていた。小さな子が、仕事をするなど有り得ないと思っていたのに、それは間違いだったらしい。


 こんな鎖に縛り付けられた丘で、自由に生きることも出来ず、ただ国のために働かなければならないという義務のなかで、生きている王族や貴族のありさまはまるで、牢獄に閉じ込められた囚人のようだった。価値観がズレるはずである。


「何故、泣いておるのじゃ?」


「え?」


 言われて頬に触れると、涙が頬をつたっていた。無意識のうちに流れ出していた涙を拭い、チナに視線を向けた。


「僕はチナが初めての友達だった。夏祭り、とっても楽しかったよ。一緒に笑って、一緒に走って、一緒にはしゃいで。でも、あの日、チナが貴族だってことを知ってから、怖くなったんだ。貴族は殺しをする、だったら、僕も殺されるんじゃないかなって。僕はチナがとても怖くなった。しばらく信じられなくて、一人でずっと泣いていた。今思えば、そんなことで悩んでいた自分が馬鹿らしく思えてくるけど、でも僕ね、こんなことで悩めていたことが凄く幸せなんだなって思う。チナ……チナ様は、僕と違って勉強たくさんして、笑うことも知らず、遊びを知らずに過ごして来たんだなって知ったら、僕は本当にみじめな気持ちになるよ。僕は自分が何歳なのかも知らないけど、僕はチナ様みたいにすごくない。僕はわがままで、ソウシャや啉杜、柩婪やテトゥーに甘えてばかりで、大人なチナ様とは違う。僕がもっと大人だったら、きっとチナ様の気持ちが分かるのだろうけど、僕には分からないみたい。貴族観っていうのが、未だに分かっていないけど、、チナ様が素晴らしい人なんだっていうのがよくわかったよ」


 泣きたくないのに涙してしまう。チナから視線を逸らし、俯いた。


「僕はチナ様の友達にはなれなかったね……」


「そなたはなにか勘違いしておるようじゃな」


 俯き身体を震わせるセンリを見て、チナは落とし割った欠片を手に持った。


「例えば、そなたがわいを傷つけたらどうなると思う?」


「え?」


 顔をスッとあげると、チナは片手にゆのみの破片を持っていた。片手をあげ、今にも破片で手を切りつけてしまいそうである。


「何を……?」


「わいは貴族じゃ。国民が、貴族を切りつけたとなったらどうなると思う?」


 言われずとも分かる。きっと、重い罪として殺されてしまうだろう。チナは一体、何を考えているのだろうか。もしかして、僕に死んで欲しいのだろうか。


 殺されても仕方ない。確かにその気持ちはあった。だが、こんな幕引きでいいはずがない。


「どう……するの?」


 チナは感情のない顔を浮かべ首を傾げた。


「本当ならのう、センリはここで殺されるのじゃ」


「え?」


「じゃが、それは嫌じゃ。わいのたった一人の友達じゃから」


「でもっ」


「でも……。もう会えんのじゃ」


「どうして!? 僕、チナと仲直りしに来たんだ!」


「友達としか出来ないものじゃな。でもセンリよ、わいはそなたが嫌う、貴族じゃ。そなたを騙したのはこのわいじゃ」


「僕はそんなこと、気にしてな」


「気にしてないと言うのか? 面白い話じゃのう。かなり伏せていたそうじゃのう?」


「そ、それはっ」


「良いか、センリ。わいは貴族、そなたは国民じゃ。それを忘れるでない」


 その瞬間、チナは覚悟を決めたように唇を噛みしめ、勢いよく破片を腕に刺し滑らせた。チナの腕には、深い傷が腕に刻まれ、そこからは鮮血がぽたぽたと流れ始めた。


「チナっ!」


 慌てて自分の着ていたニスデールを脱ぎチナの傷口に抑えつけた。


 痛みに顔を歪ませるチナをよそに、必死に血を止めようと傷口を抑えるが、なかなか血は止まらなかった。


「どうして!? これじゃ、僕がっ」


「疑われるのう」


 チナの額には脂汗が滲み、嘲笑めいた笑みを浮かべていた。


 チナはこれほどまでに、人間みのない人だっただろうか。有り得ない。


「ふざけるなっ! 僕はやってないからな!」


「確かにそうじゃ……。ほら、センリ。わいは最低なやつじゃろう? こんなやつとは縁を切るのじゃ」


 驚き抑える手が緩み、ニスデールが床に落ちてしまう。


「……わいは、結局誰も大切には出来ないのじゃ。自分自身のことも、大切にはしておらぬのじゃ……」


「確かに僕は、チナが怖いよ! 今、凄く最低なやつだなって思ってた。でも、僕から離れるために自分を傷つけるのは許さない! 本当に、僕のことが嫌いで、貴族だと罵るなら僕を刺せばよかった。なのに君はそれをしなかった。ふざけるのもいい加減にしてよ! 僕も、たった一人の友達なんだ!」


 チナはフッと笑い、ふらふらと立ち上がりセンリから視線を逸らした。


「国民は国民らしく生きよ。わいに関わることで、そなたに危機が及ぶ。それは、ソウシャ様とも同じじゃ」


 チナの傷口からは、血が次々に流れ出し床に血だまりをつくっていった。


「ソウシャ……?」


「そなたは、研究室出じゃろう?」


 驚き言葉を失う僕を見て、チナは机に手を置きふらふらとする身体を支えた。


「やはりそうじゃな。研究室から逃げ出したという子は、やはりそなたじゃったか」


「何でそれを……」


「……それをわいの口から話せば、わいの首が飛ぶやろうのう」


 そう言って手をのばし、机の上にあるベルを鳴らした。


 チナの顔は青ざめ、呼吸も整っていない。


 チナは僕を見ると、無邪気な笑みを浮かべた。


「センリ、そなたはナルシア街から出た方が良かろう」


「チナッ!」


「お別れじゃ……、センリよ」


 勢いよく立ち上がりチナの肩を掴み揺らす。


「どうして! 嫌だ! 僕はチナとずっと友達でいるんだ!」


「違うじゃろう? チナ様じゃ」


 手を落とし、一歩後ずさる。止まりかけた涙が再び流れ出した。


「いやだ…………。いや……だ…………」


 首を横に振り、泣きながらチナを見た。しかしチナは、哀しげに笑みを浮かべるだけで、欲しい言葉を言ってはくれなかった。


「……いやだ。僕の友達は……チナだけなのに…………」


 そのとき、チナは気配を感じ取り自分の羽織っていた上衣を脱ぎ、センリの頭から被せ着せた。


「お呼びでしょうか、チナ殿下」


 使者の声だ。ハッとしてチナを見ると、チナはスッと僕の耳元に唇を寄せた。


「被っておれ。髪を隠しておるのじゃろう?」


 そう言うなり離れると、机においてあった筆を手に取った。


「忘れぬ。ありがとう、センリ。幸せに、生きよ」


 僕の返事を待たずに、チナは使者に視線を向ける。


「よい、入れ」


 使者はスーッと襖を開け、入ってくるなり悲鳴にも似た声をあげた。


「ち、チナ様ッ! こ、これはどういうことですか!?」


「少しもみ合いになっただけじゃ、気にするようなことではない」


――――え?


 その言葉に訳が分からなくなった。チナは、僕を殺そうとしたのではなかったのか。あぁ、違う。チナは生きろと言った。つまり、あれは演技……。


 つくづく勝手なやつだ。


 涙を拭い、振り向こうとしたそのとき、チナは口を開いた。


「陛下をお呼びください」


「あ、え、あの、これは……」


「判断はあなたがするようなものではない。陛下をここへ呼ぶのじゃ。わいの名を出せば、来て下さる」


 陛下……。それは、ソウシャである。


 チナは一体何を考えている?


 もしかして、チナは、僕とソウシャを会わせようとしているのだろうか。


「わ、わかりました! し、失礼いたします。あの、ですが、そのお怪我を先に……」


「はよう、行くのじゃ」


 使者は、チナの手当てをすべきか命令を聞くべきか悩んでいるようだった。しかし、チナも子どもながらに負けてはいない。


「行くのじゃ、わいの言うことが聞けぬか?」


「……い、いえ。行ってまいります」


 使者は足早にその場を去って行った。再び訪れた二人だけの時間、先に口を開いたのはチナである。


「振り返らず聞くのじゃ」


 チナに背を向けたまま、耳だけをチナの声に傾けた。


「今からソウシャ様がいらっしゃるじゃろう。使者はそなたを疑っておるが故、きっとそなたによって傷つけられたと話すじゃろう。ソウシャ様がどんな形相で来られるかはわからぬが、わいは真実を言う。自分で怪我をしてしまったと。だがのう、このままじゃ、わいとセンリはもう二度と会えぬ。そなたは、ソウシャにこう言うのじゃ……。―-と」


 チナはどこまでも優しく、どこまでも分からない。ただ、僕の友達であるということは、今なら胸を張って言えるような気がした。


 僕はセンリ。ソウシャに拾われ、名付けられた。僕はとある研究室から逃げ出し、ナルシア街に着いた。そこでソウシャに出会い、ソウシャと柩婪、啉杜、テトゥーと日々を過ごしている。そんな中、チナというトモダチが出来、一緒に祭りを楽しみ花火を見た。その後に、チナはチナ様と呼ばれる貴族であることを知った。貴族と国民である僕との価値観は違い、僕は人殺しを平気でする貴族を許せず、恐怖を抱くようになっていた。そんななか、信頼していたソウシャも、そちら側の人間ということを知り、僕はかなり落ち込んでいたのかもしれない。勇気が出ずに手紙すら読めず、現実から逃げていた。そして、チナと再会することが出来た。貴族としてのチナと、国民としてのセンリ。僕のたったひとりの大切なトモダチ。でもお別れの日がやってきた。しかもそれは突然に、一方的なもので……。


 やっぱり、このまま引き下がれるはずがない。


 このままお別れなんて、絶対にいやだ。


「チナっ」


 振り返るとチナはこちらを真っ直ぐに見据えていた。


「僕はチナが、僕を友達だと言うまで帰らないから」


「は?」


「チナがもし、本当に僕のことが嫌いでも、僕がもし、本当にチナのことが怖くても、友達は友達だ。笑えば泣くし、喜べば悩むよ。一緒に喧嘩だってするよ。でも、それじゃだめなの? 僕とチナは生きる世界が違うから、離れないとダメなの?」


「そなたの話は実に滑稽な話じゃ。だがのう、今のセンリには分からないことかもしれぬが、センリがわいより大人になったらきっと分かってくるじゃろう」


「僕は確かに子どもだよ! チナより何倍も何百倍も子どもだよ! でも、まだチナだって七歳なんでしょ? まだまだ子どもだよ! 街の七歳の子どもは、無邪気に遊びまわってニコニコしてる。やりすぎて、親に怒られたりうるさく泣いたりする。それが僕の知る七歳の子。


 ねぇチナ、君はどれほど今まで我慢してきたの? もっと自由に生きていていいんだよ」


 その言葉にチナの表情は曇ってしまう。


「……そなたには、わいのことなど何も分からぬよ……」


「それは……」


「わいは貴族、そなたは国民。……ただそれだけじゃ。そこにトモダチという概念をおいてしまったことが間違いだったのじゃ……」


「それでも僕は……、チナの友達だよ」


 その言葉に驚いた表情を見せるチナの背後から、ソウシャと啉杜が部屋を通り過ぎてしまうほどに猛突進してきた。


「チナ様!」


「センリ!」


 僕を呼ぶソウシャの声、チナを呼ぶ啉杜の声。その声ひとつで、ホッとしてしまう。


「ソウシャ……」


 しかし二人は、予想外にもチナの方に歩み寄って行った。


――――どうして…………


「そのお怪我、どうなさいましたか!?」


「ソウシャ様、この怪我は気にするようなものじゃない」


「センリが何か致しましたか?」


「……いや、わいの不注意で怪我をしてしまっただけじゃ。センリは悪くない」


「そうですか……。チナ様、処置を受けてください」


「いえ、わいよりセンリを見てやってほしいのじゃ」


「ですが……」


「頼む……」


 チナとソウシャは目を合わせ、ソウシャが折れ頷いた。


「チナ様の処置をお願いします」


 先ほどソウシャを呼びに行った使者に、ソウシャはチナを預けた。部屋を出て行くチナは、薄ら笑みを浮かべ小さく頷いた。そしてソウシャは、チナを見送ると床に散らばっているゆのみの破片を拾い集め始めた。


「……怪我はありませんか?」


 俯き、ソウシャから視線を逸らした。その様子を見ていた啉杜は、驚いたように口を開いた。


「センリ?」


 ソウシャも拾い集め終わり、テーブルに破片をまとめておくと向き直った。


「センリ、何をしたのか話していただけませんか?」


 口調からして、怒っていることはわかった。だが、何故怒っているのかは分かるようで分からなかった。チナを傷つけたのは僕ではない。だが、きっと今のソウシャと啉杜のなかでは、僕が傷つけたことになっているはずだった。


 まずはその誤解を解かなくてはならない。


 だが、その前に、ソウシャに聞きたいことがあった。今のままでは、ソウシャと面と向かって話すことなど出来ない。


「……センリ、話していただけませんか?」


「その前に、いい……ですか?」


 出会ったころ、ソウシャとは敬語で話していた。嫌だ……この関係を崩したくない。瞳から零れ落ちそうになる涙を必死にこらえていた。


「ソウシャは、僕のことをどう思っているの……ですか?」


 僕に駆け寄るわけではなく、チナに駆け寄ったソウシャの気持ちを今、一番知りたかった。




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