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奏でる笛の音ありて、センリの彼方へ  作者: 柩梁ろく
第5章 それは真実ですか?
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ソウシャのひとつ

 彼の名をソウシャといった。


 ソウシャは綺麗な水と白の混じった髪色をしており、その透き通ったような髪は空を吸い込むようだった。まるで、髪が透明のように、裏に何かを隠す鋭い視線のように。髪は長く、いつもニスデールの中になおされていた。それでも量が多いからか、少し出ている髪は、風に靡きさらに輝いて見える。瞳はまるで傷一つない、曇など全く見せないほど、透き通った薄水色をしている。何でも吸い込んでしまいそうで少し怖い。


 彼は奏者と名付けられた。


 普段笑うことなどあまりない。それはただの社交辞令で、本当の笑顔などきっと今まで一度も見たことはない。どうして笑顔を見せないのかは分からない。でも、僕に優しくしてくれていることだけは、身に染みて分かっているつもりだ。優しく、包容力のある奏者なら、きっと、僕じゃなくてもそう思ってしまうだろう。だが、誰とも深く干渉しないようにしている。溢れだした盃をただただじっと見据えているだけ。最後のひとつ残ったパズルのピースを、わざとはめずに無くしてしまう。そんな危うさがあるのに、誰も寄せ付けようとはしない。


 それは無頓着というより、何かに怯え、何かに背を向けている子のようにも見える。光りに照らされているのに、自ら陰を作ってしまうのだ。


 ソウシャは笛が上手い。だが、その演奏を聞いたのは僕が眠りに深くついたときだった。それが、最初で最後のソウシャの本当の姿だった。ふと目を覚ますと、心地よい音色が響き渡っていた。覗きにいくと、そこには哀しげな表情に、聞いたことのない調子を演奏するソウシャの背があった。それがきっと、ソウシャの本当の姿なのだと、僕は思う。


 そして今、目の前にいるのは馬にまたがり、無表情に周回しているソウシャの姿だった。一体、何を考えているのだろう。一体、何を見ているのだろう。


 僕は一体、何をしているのだろう。


「そうっ」


 呼び止めようとしたその瞬間、啉杜に口を抑えられてしまう。


 嫌だ。ソウシャはそちら側の人間じゃないでしょ? 僕の大切な人だよ。


 それでも啉杜の手を抜けようともがくが、啉杜も必死だった。


「ダメや、センリ。殺されるで」


 王族の列に入り込むことは、王の危険が迫っているとし、切り殺されてしまうのだ。まさかそれを知らない僕ではないが、それでも、我慢できるものではなかった。


「そっ……。離してっ」


「ダメや、本当にダメやッ」


 勢いよく啉杜の足を蹴ってしまったらしく、啉杜が苦い声をあげた。その瞬間、拘束が解け、一目散にソウシャのもとに走り寄った。


「ソウシャっ!」


 僕に気付いた王族と使者は立ち止まり、僕を凝視していた。それはソウシャも同じことで、目を丸くさせて驚いていた。


 手を広げ、止まるように促していると、使者らが剣を出し僕に向けた。使者の背後にはソウシャたち王族が構えている。だが、身構える王族や使者たちと違い、ソウシャだけは堂々としていた。


「無礼者ッ! 御前に出てくるということが、どれほど無礼な行いと知っての所存かッ!」


「この無礼、死んで詫びよッ」


 使者たちの声が聞こえる。だがそれは、今の僕にとってはただの雑音にしか聞こえなかった。


「ソウシャッ」


 急いで啉杜が僕を庇い前に出た。


「申し訳ありませんッ。どうか、許してやってください。まだ、この街に来てなにぶん短いゆえのことでございます」


「そんなもの知らぬ。お前も無礼者ッ。殺してしまえッ!」


 使者たちの剣がすべてこちらに向いた。


 しかし、恐怖は感じていなかった。それより、今大切なことがある。


 啉杜を押し退け、一歩前に出ると、更に僕に剣先が向いた。


「ソウシャッ、僕だよ、僕。センリだよッ!」


 フードを被っているから、上からでは誰なのか分からないのかもしれない。だが、啉杜には気づいているはずである。


 スッとフードに手を伸ばし、脱ごうとしたその時、ソウシャが口を開いた。


「構いません」


「え?」


 僕が驚いていると、使者も驚きを隠せないようだった。


「しかし、陛下っ。この者はッ」


 口答えをする使者に、ソウシャは鋭い視線を向けた。


「私が構わないと言っているのです。何か文句はありますか?」


 口調は柔らかいものだが、有無を言わせない視線は、とても怖い。


――――陛下……


 確かに使者はそう言った。


「ソウシャ……」


「陛下、この者は!?」


 ソウシャは啉杜に視線を向けていた。呼ばれ、視線を落とすと僕を見た。


「さて、誰でしょうね。どこにでもいるただの国民にすぎません」


「でしたら殺すべきでは!?」


「文句ととってよろしいですか?」


「ッ……」


 使者は黙り下がった。


 それを見たソウシャは啉杜を見た。


 口を動かし何やら言っているようだが、口をパクパクとさせているだけで何を言っているのかまでは分からなかった。だが、啉杜はそれに小さく頷いた。


 そしてソウシャは僕を一瞥すると、ため息交じりに視線を前に向けた。


「行きましょう」


 カナデ陛下は正体不詳だった。歳も見た目も性別も、何もかもが不明だった。それが今、あの使者が口を滑らせたおかげで、大衆に知れ渡ることになる。


 これはソウシャと僕が出会って約半年の出来事であった。


 この事実は、風よりもはやく神国中に広まり、ナルシア街のザエリのもとはもちろんのこと、ヒカリア街の荻のもとまで届いていた。


 ソウシャをよく知る者達は、とても驚いただろう。


 誰も知らない王の素性は、よく知る身近な人物だったのだ。今頃、不安と驚きを感じているはずだ。


 王族の去り際、チナがそばを通り過ぎたそのとき、小さな紙を渡された。


 震える手でそれを開くと、そこにはチナの字が並んでいた。


[丘で待っておる]


 壊れかけた歯車がまたまわりだしてしまう。そう思えば思うほど、僕は歩き出す足を止めることは出来なかった。


 例え、深い泥沼に足を取られようとも僕は進んでいく。


 そう心に刻み込んだ日である。


          ‡


私のひとつの時間が動き始めたのは六年前……。

 

リルオーフェ神国、某所。


 ソウシャは負傷した右肩を庇いながら雨の中を走っていた。だが、力尽き雨でぬれた道に倒れ込んでしまった。


 目が覚めたとき、身体を勢いよく起こすと、隣には男二人が頭を揺らしながら眠っていた。もうすぐ座っている椅子から転げ落ちそうである。


 ひどい頭痛に頭を抑えたそのとき、一人が案の定、椅子から転げ落ち頭を打った。その音に二人は目が覚め、こちらを凝視してきた。その顔を見て、安堵の息を漏らした。


――――良かった。助けてくれて……。本当に良かった……


「ありがとう、柩婪、啉杜」


 二人は心から安心した笑みを浮かべていた。


「全く、何日も探して見つからないと思ったら、あんなところに倒れていて」


「柩婪が見つけてくれたのですか?」


「二人でな」


「ありがとございます、二人とも。本当にすみません」


「変な輩に捕まるんじゃねぇよ」


「そうそう。探すの大変やったんや」


「すみません……」


 柩婪はソウシャの右肩の傷に視線を向けた。


「まあ、でも、俺らが助けられなかったのは、事実だから。こちらこそ、申し訳なかった……。役立たずですまない」


 柩婪の言葉に、ソウシャはフッと笑みを浮かべた。


「今更ですか」


「な、なんだと!」


「冗談ですよ。大丈夫です、私は死にませんから」


 水と白の混じった短髪は、今とは違う。何故髪をのばしているのか。それは、ただ単に怖いからである。その恐怖は、例え、柩婪や啉杜でも分かり切れない。


「啉杜、柩婪。ここはどこですか?」


 ふと寝かされている部屋を見回して、見知らぬ場所だと気付く。


「リルオーフェ神国、ナルシア街という場所。そして、お前の新しい家だそうだ」


「新しい……家?」


「詳しくは、あいつに聞いてくれ」


 柩婪の指さすところに、深々と一礼する男が立っていた。視線を向けると、視線が交差する。


「助けていただいてありがとうございました」


 男は返事をするように、頭を下げた。


「貴殿に……お願いがございます。会っていただきたい方がいるのです」


 それから数分後、ノック音がし部屋には老いた男が入ってきた。歳相応に、杖をついている。


 そして男の容姿は確認できない。


 深くフードを被り、顔も髪も見えなかった。少し怪しい。


「どうですか?」


 社交用の笑みを浮かべ、小さくお辞儀した。


「おかげさまで、だいぶ回復いたしました。失礼ですが、助けていただいた方でしょうか?」


「まあそんなところでしょうな」


「このたびは、助けていただきありが」


「そんなかたい言葉など要りません」


「え……」


「もし、よに恩を感じている言うなら、よの願いを聞いてはくれませんか?」


 啉杜と柩婪と顔を見合わせ、小さく肩をすくめた。


「私などでよければお聞きいたします」


「よは、今病に掛かっているのです。残念だが、もう先は長くないと言われております。……あぁ、紹介がまだでしたね。こちらから名乗らないとは何と失礼なことをしました」


「あ、いえ、こちらこそ名乗りませずに……。奏者と申します。奏でる者と書いて奏者です。助けていただいて、本当にありがとうございました」


「よはこの国の国王です。名はカナデ」


 流石の私でも驚いた。自分を助けてくれた相手が、この国のトップである国王だったのである。そして、私が探していた人物でもあった。


「お願いを話す前に、お願いがあります」


 お願いの前にお願いとは変わった人である。


「何でしょう?」


 だが助けてもらった身、無碍にするわけにもいかない。


「お願いを聞いたら、必ず承諾することをお約束ください」


 内容によるだろう。


「助けていただいた身で、大変申し上げにくいのですが、その内容によっては承諾し兼ねます」


 カナデがフッと笑みを浮かべたような気がした。


 そしてフードに手を掛ける。


「この神国は、よがいるから、成り立っているのです。今の貴族は皆、権力を手に入れたいと目論んでいます。病に掛かったよを、心配するふりをして、いつ死ぬかと楽しみにしておられるのです。よには世継ぎはいないゆえ、今のままでは、次に権力の強い人間が権力を握り、国王に鎮座してしまいかねないのです。そして、そうなればこの国は不安定になり、今の平和な状態を築けなくなってしまいます。よはそれを、どうしても食い止めなければならないのです」


「……それが、私と何の関係があるのでしょうか?」


 カナデは、スッとフードを脱ぎ、ニスデールを脱ぎ落した。床に静かに落ちるニスデールに視線を落とし、顔をあげた。


 危うく目を落としてしまうのではないかというほど目を見開いていた。


 開いた口が塞がらない。


 それは啉杜も柩婪も同じだった。目を見開き、驚きを隠せないようだった。二人はしきりに、私とカナデを見比べていた。


 そこに立っているのは、紛れもなく老いた男ではある。だが、白髪に混じる水色の髪と色こそ違うもののガラスのように透き通った瞳。その姿はまるで、老いた私のようだった。ほぼ瓜二つの容姿に、私は言葉を発することは出来なかった。


「よも驚きました。まさか、よのような姿をしている者が他にいるなどと思わなかったのですから」


「……えっと」


「国民はもとより、王族のなかでも一部の人間しかよの姿を知りません。今のよを知っている人間を全て殺せば、誰もよを知る人物はいなくなるというわけです」


 カナデが次になにを言おうとしているのかは容易に考えついた。だが、それに首を縦に振ってしまってもいいものだろうか。いいわけがない。私はこのような場所にいていい者ではないのだ。彼らのことに首を突っ込んでしまっていいはずがない。断るには十分すぎる理由だった。


「……国王を変わってほしいと……、そうおっしゃるのですか?」


 国王の死を国民に知らされることはない。何故なら、国王を知らないのだから知らせたところでどうしようもないという考えからだそうだ。


 ここで入れかわったとしても、確かに知っている人物を殺してしまえば、一件落着かもしれない。


 だが、人間の道徳とはそんなものだろうか。


「国王になっていただけませんか?」


 カナデは真っ直ぐ私にそう言った。それが、彼のお願いなのだろう。


 助けたお礼に、国王の座を変わってほしい。あまりに対価が大きすぎる。


 私が返答に困っていると、カナデは深々と頭を下げた。


「どうかお願い致します、奏者殿!」


「……頭をあげてくださいっ」


 慌ててベッドから降り、カナデに駆け寄った。


「よはもうだめなのです。この国を……守ってほしいのです」


「ですが、こんな見ず知らずの私に何を託すというのです? 私のことを何も知らないあなたが、私に託すものはそれほど小さなものですか?」


「よはあなたを知っていますから」


「え?」


 男の瞳には涙が溜まっていた。


「よはあなたに託したいのです」


「それはどういうことですか?」


「奏者殿。奏者の奏を使い、カナデと名乗り国王をお願い致したい」


「カナデ様?」


「奏者殿。よろしく頼みます……」


 そう言うカナデはソウシャの両手を包み込むように握りしめていた。手から伝わってくる震えと、弱弱しい力。そして、優しい体温。


 私の心はすべて溶けてしまったようだった。人はこれほど、温かい生き物だったのだと知った。この男は、私に純粋な心で頼みごとをしてきている。私にすべてを託すために、私に頭を下げてまで……。


 だが、ひとつだけ気になることがあった。


 それを解決しないことにはすっきりなどしない。


「どうして私のことをご存じなのですか?」


 カナデはハッとして顔をあげた。うまく話を逸らしたつもりでいたようだが、それほどバカではない。


 カナデは困惑した表情を浮かべ、必死にその顔を隠していた。


 だが、自分で言うのもなんだが鋭い私が、気が付かないわけがない。


「カナデ様?」


 返答を促すが、カナデはそれでも口を噤んだままだった。


「申し訳ありません……」


 とても擦れた声だった。


 カナデは俯き、それ以上何も言わなかった。


 仕方がないとため息を漏らし、啉杜と柩婪を見つめた。


 二人が顔を見合わせ、こちらに頷くのを見て、私も頷いた。そして、カナデの背に手を置き、小さな笑みを浮かべた。


「その願い、受けましょう……」


 時間は流れ、時間は止まらない。時間はいつものように青い空から橙の空へと変えていった。それが妙に幻想的で、いつもとはまた違った色をしている。


 私は私の願いを叶えるために、国王となる。


          ‡


 縁側に座る啉杜の背を遠くから眺めていた。すると啉杜は振り向きもせず、僕がいることに気付いた。


「そんなところでなにしてるんや? おいでや」


 啉杜はそういいながら自分の隣をトントンと叩いた。


 遠慮がちに近づき、啉杜の背後で立ち止まる。啉杜はそれに気づき、不思議そうに振り向いた。


「どうしたんや?」


 涙が頬をつたった。


 しかし啉杜は驚くこともなく、優しげに笑みを浮かべた。僕を抱き寄せ、何度も静かに頭を撫でた。


 どうしていつも僕ばかり……。


 僕はただ笑っていたいだけなのに。それなのに、どうして邪魔をするんだ。僕は僕らしく生きていたいだけなんだ。


「啉杜……」


 涙がおさまりはじめ、啉杜から少し離れた。


 啉杜は僕の目を真っ直ぐに見つめている。最後まで僕の味方でいるよ、というように。それが僕にとってどれほど心強いものだったかは計り知れない。


「……丘のチナとソウシャのもとに……」


「ん?」


「連れて行ってください……」


 僕はセンリ。ソウシャに拾われ、ソウシャに名付けられた。


 トモダチはチナ、ただ一人……。


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