故あって
柩梁ろく です。
足を運んでいただきありがとうございます。天神さんに負けないように頑張りますので、よろしくお願い致します!
――――故あって、僕が誰なのかを教えてください
陽が燦々とふりそそぐ小さな街のなか、ボロボロで少し大きめの薄着を身に纏う。ある意味、この時期にはちょうどいい服装ではあるが、それはなんともみすぼらしい姿であった。
街路は人々で賑わっていた。その小路に、僕はいた。僕に名前はない。自分が誰なのか、どこからきたのか、ここがどこかすらも分からない。つまり、何も知らない。
小路の陰、時々野良犬や野良猫が通りかかるだけで、人間は誰も通らなかった。
ずっと身体も洗っておらず、髪からはぽろぽろとフケが落ちてくる。整えていない明るめの茶髪は、ぼさぼさに伸びていた。ここまで逃げてくるときにどこかで切った切り傷も、土がつき化膿していた。顔も身体も汚れていた。これでは人前に出ることは出来ない。出ていけば汚らわしい存在として、痛い目に遭わされるかもしれない。そう考えると、前には出ていけなかった。
胸元には、首からさげられたネックレス。唯一それだけが、銀色の綺麗な輝きを放っていた。
ふと街路に視線を向けると、人を乗せた馬が何頭も通り過ぎていった。所謂、貴族様と呼ばれる者たちである。僕には程遠い存在。
深いため息を吐き、ふらふらしながら立ち上がった。あの場所を逃げ出してから、二週間。捨てられたごみのなかから、食べられるものを探して食べてきた。そろそろ、きちんと食事を摂らなければ死んでしまう。自分の死期は自分がよくわかるものとは、よくいったものである。
痛い目に遭いたくない。しかし、食べなければ死んでしまう。
なりふりかまっていられない。
最期の力を振り絞りながら、街路へと顔を出した。民族服を身に纏った老若男女の人々が、硬貨と商品のやり取りをしていた。キョロキョロと見回すと、斜め前の商店で果物を売っていた。
ちょっと怖そうなおじさんが店番をしているようだった。
――――食べたい……
零れそうになるよだれを抑えながら、こそこそと店の前に歩み寄った。店の陰に隠れながら、ゆっくり手を伸ばしていく。もう少しで美味しそうな赤い実に届きそうである。だが、悪い予感は的中してしまう。
どう考えても怒っている商人のおじさんが、手前に出てきた。
「お前! 何やってんだッ! コラァッ!」
「ひっ」
逃げ出せばいいものを、その場にうずくまってしまった。おじさんは、容赦なく、蹴り始める。
「クソガキがッ! 舐めたまねしやがってッ! ふざけんじゃねぇよッ!」
もともと体力は残っていなかった。痛みであふれ出す涙に視界が滲んでいった。
街路で賑わっていた人々もこちらに視線を向けるが、誰一人として声を掛けてくる者はいなかった。
どうして、僕ばかり……こんなに不幸なのだ……。僕は何もしていない。何も知らない。何も…………。
僕は普通の人間なのに。
‡
「こいつはほかの餓鬼と違うな。上物だ」
暗闇の中、気がついたら全く知らない壁に囲まれた部屋にいた。
泣いても、叫んでも、喚いても、誰にも届くことはなかった。
「無駄だよ」
顔も名前も知らない、痩せ細った男の子がそう言った。
僕はそのとき、もう、自由はないのだと感じた。
少し落ち着いたころ、部屋が案外広いことに気付いた。薄い壁でところどころ区切られているとはいえ、すべての部屋が繋がっているため、運動には困らないほどの広さがあった。そして、壁や家具、おもちゃや皆が着ているこの服に至るまで、そのほとんどが白で統一されていた。ただ、一箇所。入り口から一番遠い部屋の片隅だけが、赤黒くなっているだけである。この場所だけ、何故そこだけこの色なのかを聞いても、誰も答えてはくれなかった。そしてここには、自分と同じくらいの男の子四人と、自分より年上に見える女の子三人がいた。僕も含め、誰も自分の本名を知らない。
僕たちには共通の『親』と呼ばれる者たちがいた。白衣を着て、たまに来ては、僕たちのなかからひとり連れ去って行った。ひとり減れば、翌日にはひとり連れて来られた。
ある日の朝、いつものように朝ごはんが配られた。
ここに連れて来られて、一番初めに話しかけてきた男の子が、今の僕の友達。
名前は無いから、それぞれ適当に皆、思い思いにつけていた。その子はタツと名乗っていた。
「タツはいつからここにいるの?」
「お前が来るずっと前だよ。ここは時間の流れが分からないから、俺も分からない」
「そう……なんだ」
「俺が来たときいたやつらは、もう一人もいない。きっと、次は俺の番だ」
スプーンを握るタツの手は、震えていた。無理もない。今まで連れ去られた子供が、ここに再び戻ってくることは一度もなかった。
「タツ……」
「なんで、俺……。ここに連れて来られたんだろう」
タツの頬を涙がつたっていった。
どうして連れて来られたのかは誰も知らない。きっとそれを知ることが出来るのは、ここから連れ出されるとき。そして、連れ去られた者は、きっと殺される。
‡
痛い。
おじさんに蹴られ続け、抵抗すらままならなくなってきた。折角逃げ出して来たのに、ここで僕は死ぬのだ。この世の中、本当に意味の分からない、意味のないことだらけ。僕はただ、生きたかっただけなのに、それは許されない。普通の人間……。僕は普通の人間。ひとつだけ、皆と違うことがあるだけで、他は何もかも皆と一緒なのに……。
「クソガキがッ!」
痛いのは嫌だ。皆嫌い。あのとき、逃げ出さずに死んでいた方が楽だったな……。
「何をしているのです?」
おじさんの蹴る足が止まった。
「このクソガキが、俺の店の商品を盗もうとしていたんだ!」
「そうですか」
「は!?」
おじさんは、声の主を探した。周りの野次馬の中から、スッとひとりの男が姿を現した。その男を見て、おじさんは声のトーンが変わった。
「チッ。なんだよ、お前かよ」
「それで、盗もうとしていたから何をしていたのです?」
男の足が後退った。痛みがはしる身体をゆっくり動かして、男を見ようとした。しかし、太陽が眩しく、顔は陰になって見えなかった。だが、額からは冷や汗が流れた。
「うわぁっ」
悲鳴をあげながら、這うようにして砂埃をあげながら逃げる僕を、好奇の目で見つめる野次馬は、道をあけていった。
それに気づいたおじさんと男は、少し驚いているようだった。
男は呆れ顔でおじさんを見た。
「あなたのせいですよ」
「どう考えてもお前に怯えているだろ?」
男は肩をすくめ、僕に近寄ってきた。
顔は見えなくても、足首まである服は真っ白だった。あの悪夢が蘇る。僕にとって、それは恐怖でしかなかった。
それを分かっていない男は、顔色ひとつ変えずにしゃがみ込み手を伸ばしてきた。
「大丈夫ですか?」
暴言を言われるのかと思っていた。まさか、労わる言葉がくるとは思ってもみなかったため、無意識に行動が止まってしまう。
男の手は、白くすらっとしていて、とても綺麗だった。見上げると、顔立ちが良く小顔で、水色と白が混じったような色をした長髪の男の顔があった。髪が透き通っているように綺麗で見惚れてしまう。
ボーっとしていると男は、手を掴み立ち上がらせた。
「大丈夫ではなさそうですね」
よく聞けば、声も透き通ったように綺麗な声をしている。
男は僕を一瞥すると、おじさんに近寄った。
「ザエリさん、これを六個貰えますか?」
ザエリと呼ばれたおじさんは、紙袋に六個の赤い実を入れて男に手渡した。
「一個、四オーフェな」
「では、二十四オーフェですね」
そういって男はザエリに硬貨を手渡した。
そして男は、再び僕に近づいてきた。今のうちに逃げていればよかったと少し後悔するが、もう遅い。
「ついてきてください」
男はそういうなり僕に背を向け、歩き始めた。一応助けてもらった身。裏切るわけにもいかないと、小走りで後を追った。




