チナ
赤く染まり始める葉を見上げれば、空も夕暮れを迎えていた。
「チナ様」
「何じゃ?」
中庭を流れる時間は、どこよりも遅く感じられた。侍従の呼び声に、チナは振り返った。
「夕食の準備が整っております」
「今いこう」
もう、会えないのかもしれないと思うだけで、寂しくなるのは、友達だからだろうか。もう一度、二人で花火を見たい。
‡
センリは啉杜とテトゥーと朝食を食べていた。テトゥーは相変わらずどんぐりを食べていたが、今日は、贅沢に胡桃まで食べていた。
「センリ」
「何?」
「今日は街へ行こうや」
「うんっ」
未だにソウシャからの手紙は読んでいない。そろそろ読むべきだと、毎夜、開いては閉じを繰り返してきた。それでも読むに至らないのは、やはり、自分の勇気のなさにあるのだろう。
街へ出ると、ソウシャの家の近くの街路とは違った街並みが広がっていた。ここに、ザエリはいない。走り回る気持ちすら起きなかった。
「センリ、俺の買い物に付き合ってくれや?」
「もちろん」
雑貨、着物、陶器など幅広く見て回った。啉杜は商店廻りが趣味なのだという。
だけど、どうしてだろう。
いつもは、啉杜と一緒にいるととても楽しいのに、今日は全く楽しくない。
啉杜と買い物が出来るなんてとても嬉しいのに、今日は全然嬉しくない。
ダメだ。啉杜を困らせないように、もっと笑っていなければいけない。でも、その笑みを浮かべることすらできなかった。
そんな僕を見て、啉杜は困惑した表情を浮かべていた。
啉杜も啉杜で、どうしていいのか分からないようである。
気分転換に、甘味処に入り、二人で食べた。無邪気な笑みを浮かべて、美味しいと食べた。やはり、思っていたより甘くない。
ソウシャがいないというだけで、これほど変わってしまうのだと思うと、心に悲しみが広がっていった。
会いたい。だけど、会えない。
いつ帰ってくるのかも分からない、そんな約束を、僕はずっと守っていきたいと思った。なのに、もう既に破ってしまいそうになる。
帰り際、啉杜がふと訪ねてきた。
「そうや、センリは貴族様のこと知らんのやったなぁ?」
「え、うん。前に啉杜と会ったときしか知らないよ」
「貴族様の行列が、二ヶ月後にここを通るらしいんや。見に来るか?」
「でも、また頭下げないといけないんだよね?」
「まあなぁ。それが決まりや」
「それは嫌だよ」
「センリは貴族様が嫌いなんか?」
「ううん。でも、ちょっと苦手かも」
「どうしてや?」
「王族、使者、国民、奴隷も皆、同じ人間だよ。ただ、生まれたところがその位だったというだけで、この差はおかしいよ。どうせ位を作るなら、優れた人に与えるようなものにすればいいのに」
「まあ確かにそうやなぁ。センリは偉いなぁ。ソウシャが聞いたらきっと驚くで」
「そうかな……」
ソウシャと話をしたら、ソウシャは……。
「まあ、貴族様嫌い言うたら、大変なことになるけどなぁ」
貴族はたまに街人に紛れているという。どんな姿で、どこにいるのかは分からない。そして、貴族の悪口を言った者は即殺されてしまう。
「センリ」
顔をあげると、啉杜は穏やかな笑みを浮かべていた。
「我慢しすぎんでや。子どもなんやから、もっと自由にしていていいからなぁ? もっと、俺を頼ってくれていいんやからなぁ? ソウシャのこと、ずっと待っていてあげてや。ソウシャもセンリから、離れたくないと言っていたんや」
その言葉がなによりうれしくて、なのに、何より哀しくて……。
「ねぇ、啉杜」
「なんや?」
「ソウシャは僕のこと好きかな?」
「好きやと思う。俺は少なくても、そう思うで」
「ありがとう、啉杜。少しだけ、勇気がでた……」
今夜、ソウシャからの手紙を読もう。そして、伝えよう。ソウシャに、僕の気持ちを……。
‡
昨日……。
ソウシャは昼間から、寝転がりうたた寝をしていた。
退屈なのだ。
――――あの家だったら、これほど暇なことは無いのですが……
啉杜が居て、柩婪が居て、テトゥーが居て。そして、センリが居て。
「帰りたい……」
カタッ
目を開け、身体を起こし音のした方を見た。何もない。廊下に出て、外を見たが、そこにも何もなかった。気のせいかと思いながらも、下を見ると、リスが一匹疲れ、倒れていた。だが、そのリスは見たことがある。
「テトゥー?」
その声に反応したテトゥーは、ハッとして起き上がり廊下に上がろうとしていた。しかし、身体の小ささにどうしても廊下には上がって来られない。それを見て、フッと笑みをこぼし、テトゥーを持ち上げた。
「どうしたのですか?」
「あ、ソウシャみーっけ!」
「放り投げますよ?」
「わ、わっ、止めろって。俺はセンリからの届け物をしに来たのだっ!」
「センリから?」
その名を聞いて、これほど安心してしまう自分がいるとは知らなかった。
テトゥーを膝の上に置き、テトゥーに巻かれている紐をほどき、背に背負わされていた紙を抜いた。紙は大小、二枚の紙が挟まっていた。
小さな紙を開くと、そこには啉杜の字が並んでいた。
[ソウシャへ
センリがお前に、渡し忘れたと嘆いていたから、これを届ける。大事にするんやで。
啉杜]
紙を床に置き、大きな紙を開く前にテトゥーを抱え、部屋に入った。
そして、小さな杯に水を汲み、テトゥーに渡した。するとテトゥーは待ってましたというように、水を一気に飲み干した。
「はい、おかわり」
二杯、三杯と飲んでいく。
やっとテトゥーが飲み終わり、寝てしまったところで、大きな紙を開いた。
センリが一生懸命書いてくれたのであろう、文字と絵があった。特徴からして、この絵は、私だろうか。
残念ながら上手とも言えないが、その気持ちはよく伝わってきた。
[ソウシャへ
正直、何を書いていいのか分からない。でも、伝えたいことはたくさんあるんだ。
あの日、僕を助けてくれてありがとう。あのまま、ソウシャに見つけて貰えなかったら、きっと僕は死んでいた。きっと、人間の温かさを知らないまま、死んでいたから。ソウシャに、啉杜に、柩婪に、出会えて本当によかった。
ソウシャが居ない間、僕、良い子でいるから。
絶対帰ってきてね。
僕は何もできないし、ソウシャのこと知ったふりしていたけれど、ソウシャが好きだっていう気持ちは誰にも負けないから。
絶対、ソウシャをがっかりなんてさせないから。
もっともっと、笑って過ごしたいよ。
ソウシャ、お仕事頑張ってね! 僕、待ってる。
何週間でも、何か月でも、何年でもずっと、ソウシャが嫌っていうくらい、待ってるから。約束、守ってよね!
ソウシャ、大好き。
センリ]
これは、ダメだ。
ずっと我慢していた何かがはじけてしまいそうになる。
センリに伝えたいことがたくさんある。だけど、それを伝えてしまったら、センリは離れていくかもしれない。ずっと、私を好きでいてほしい。
こんな私を好きだという人間は、きっとセンリ以外に現れることはない。だからこそ、センリを大切にしたかった。
――――大切なものなんて作らないという戯言は、本当に戯言で終わるのですね……
こちらこそ、ありがとうと伝えたい。センリに、ありがとうとごめんなさいを伝えたい。しかしそう思うことしか出来ない自分が、嫌いだった。
私がセンリのために出来ること……。
「センリが知りたいこと……」
私は、大きく分けて、二つの顔を持つ。その顔を全て知っているのは、柩婪、啉杜、テトゥーである。いや、他にも数人いる。しかし、主にその二人と一匹は知っている。彼らは良い。口が堅いから。
でもそれが、逆に仇となる日が来るなど、昔の自分なら考えもつかないだろう。
「テトゥー、啉杜へ届けてください」
二ヶ月後、王族が街を周回する。そのとき、センリは見に来るだろうか。気にもいないかもしれない。だから、啉杜に伝えよう。啉杜なら、すべてを悟ってくれるはずだ。
‡
それから一ヶ月後、センリはひとり街に出ていた。すっかり啉杜家近くの商店にも慣れ、今では以前と変わらないほどはしゃぐようになっていた。ソウシャほどではないが、啉杜にもいくらかお金を貰い、買い物をするまでになっている。
「おじさんっ」
「へい、いらっしゃい、センリくん」
「果物ちょうだい!」
「毎日買いに来るね!」
「前にいたところでも、毎日買っていたんだ」
「なるほど、そうかそうか。センリくんは良いお客さんだよ」
「ありがとうっ、おじさん」
「今度からお兄さんって呼んでくれたら、一個サービスしてあげるからな」
「分かった、おじさん」
「おい、センリくん?」
冗談を言い合える仲にまでなった。
そんな僕を見て、一番喜んでいたのは啉杜である。
果物を買い、商店を廻った。
ソウシャ家近くの商店とはまた違った商品が、とても珍しかった。
帰ろうとしたそのとき、背の小さな、でも、僕よりも少し大きな男の子の背を見た。ハッとして後を追う。小路に入り、何やら声のする方に向かった。
そして、少し開けた小路の裏に、その子はいた。
――――貴族の服……
そしてその子のすぐそばには、血だらけになり倒れる中年の男の死体があった。男の子の周りには、数人の使者の姿もある。
怖くなり、震えながら後退った。その時、枝を踏み、音がしてしまう。その音に反応した使者がいち早く、僕を追いかけてきた。
「ギャァッ!」
怖くて、怖くて、逃げることしか出来なかった。走り、小路を曲り、商店が並ぶ街路に出る。それでも使者たちは追ってきた。商店の者たちも、何事かとこちらを見るが、手は出してこなかった。貴族に歯向かえば、どうなることか、知らないわけではない。寧ろ、僕よりも嫌というほど知っているはずだった。
嫌だ。殺されたくない。
ただ、死体を見るのははじめてではなかった。
嫌だ。僕は、生きるんだ……。僕はっ……。
『私たちを見捨てるのね。この裏切り者』
血に染まる服を着た女の子は僕にそう言った。僕の手を見ると、血に濡れ、服も血に染まっていた。
僕は裏切ってなどいない。僕は、僕は……。
『へぇ~、私たちを殺すのね。やってみなさいよ、殺せるものなら』
僕は殺してなんか……。
僕は何も知らない。僕は死にたくない。そう思っただけなのに。
『面白いのね、あなたって。チビのくせによくやるわ』
僕は僕で……。僕はセンリで……。
僕は、誰も殺してなんかなくて、僕は、生きていて。
嫌だ……。死にたくない……。
手をどんなに伸ばしても、その願いは叶わない。なら、いっそ僕の手で……。
「捕まえたぞ、大人しくしろっ」
腕を掴まれ、どこかに運ばれた。口を抑えられ、声すら出せない。
啉杜、助けて! 嫌だ、怖いよ、啉杜っ!
連れ込まれた小路に、馬車がとめてあった。貴族が使用するものだ。
あれに積み込まれたら、きっと啉杜にはもう会えない。ソウシャにも二度と会えないだろう。それは即ち、死を意味する。
「何をしておる」
その声には聞き覚えがあった。
しかし、使者に捕まえられたままでは動くことすらできず、その者を見ることさえ出来ない。
「殿下、先程逃げた子を捕らえました。屋敷に戻り次第、処分いたします」
「子か?」
「はい」
「見せよ」
「で、ですが……」
「わいに指図するのか?」
そう、その声だ。君は……。
使者に離され、地面に下ろされた。急ぎ見上げると、そこには貴族の恰好をしたチナが立っていた。
驚きのあまり言葉が出ない。
チナは僕だと気付き、使者に視線を向けた。
「この者は良い。寧ろ、詫びるのじゃ」
「何故です?」
「わいの友じゃ」
「そ、それは失礼いたしました!」
チナだと知っても、恐怖は消えない。
あの死体をチナは平気な顔で見ていた。それに、チナが貴族!? そんなはずは……。
『お戯れが過ぎますよ、チナ様』
ソウシャは確かにチナを様付で呼んでいた。
――――ソウシャはチナが貴族だと知っていた……!?
チナは近づき、手を差し伸べてきた。
「センリよ、大丈夫か?」
しかしその手を握り返すことは出来ない。
「どうしたのじゃ? 手荒にして悪かった。なにぶん、そなたのことを知らぬゆえの働き、許しってやってくれ」
違う。
使者のことなどどうでもいい。
僕が聞きたいのは、あの死体のことだ。チナがやったのか!?
「センリ?」
「……チナ、あれはチナがやったの?」
チナは一瞬何のことか分からず首を傾げるが、すぐに、あぁと唸った。
「死んだやつのことか?」
恐る恐る頷いた。
するとチナは困ったようにため息を吐いた。
「そなたは、わいがやったと思うておるのじゃな?」
頷きはしなかった。怖かったから。
「センリよ、貴族とはそういうものなのじゃ。わいがやったわけではないが、わいのせいでこうなったことに違いはない。やったのは、そなたの後ろにおるそこの使者たちじゃ。だが、わいは自分がやったのと同じじゃと思うておる。
実はな、センリにずっと会いたいと思うておうたのじゃ。まさか、このようなかたちで会うことになるとは思うておらんかったのじゃ……」
「どうして……」
「どうして殺したのか聞きたいのか?」
「貴族だからって、国民を殺す必要なんてないよね? どうして罪なき命をっ」
「罪なき命……か。人は皆、罪を背負って生きてくるものじゃろう? 違うか?」
「え……」
「ある方はそう言っていたのじゃ。だから、わいもそう思うておる。まあ、その方はわいにそのように人間を卑下してもだめだというのじゃがな」
「だったらっ」
「でも、貴族と国民には差があるのじゃ。それを知らぬまま育ってきたというのなら、そなたは、まことに愉快な子じゃ。わいは羨ましく思うぞ」
「チナはそんなことをしないって思っていたのに……」
「わいは生まれもっての貴族でのう。残念ながら、祭りに行ったことがなかったのじゃ。やっと許可が貰えて、今年、初めて行ったところにそなたと出会った。とても楽しかったのじゃ」
「僕だって、とても楽しかったのにっ」
「センリよ。世を知れ。それが今のそなたに足りぬことじゃ」
「チナッ!」
馬車に早々と乗り込もうとするチナを呼びとめた。
「何じゃ? このまま、わいがそなたといると、そなたを本当に屋敷へ連れていかねばならぬ。わいはそなたと話がしたい故、連れていきたいのじゃが、それも出来ぬ。ならば、わいがここから去るしか無かろう?」
「チナは友達だと思っていたんだっ!」
「それは嬉しいことじゃ」
「なのに……貴族だなんて……。しかも、殺しなんて……」
「センリ」
「呼ぶなッ」
「……わいはそなたが好きじゃぞ。そんなそなたじゃから、ソウシャも好きになったのじゃろうな」
「……え?」
「良いか、センリ。そなたはそなたじゃ、わいはわいじゃ。残念じゃが、そのようにできておるのじゃ」
チナを乗せた馬車は、どんどん離れていった。
拳をつくり、何度も地面を殴り続けた。
信じた自分が馬鹿だったのだと、言い聞かせるように……。そして、もう、チナに会いたくない。




