忘れないように
深夜、ソウシャはいなくなってしまう。
笑顔で別れたい。
ソウシャに伝えておきたいことがある。
そんなことを考えながら、今日は朝から部屋に閉じこもっていた。ソウシャに会いたいという気持ちはあるものの、会えば泣いてしまう自信があった。泣けば、ソウシャは困り果ててしまう。ソウシャのために、少なくてもご飯などの時以外は、夜まで会わないようにしようと、部屋に閉じこもっていた。
紙と筆を用意し、紙とにらめっこすること一時間。
ソウシャに思い出に持って行って欲しいものを、僕なりに考えてみた。だが、文にするか絵にするか。どんな文面にするか、どんな絵にするか、全く考えが思い浮かばなかった。いや、思い付きすぎて、書けないのである。書こうと思えば、きっといくらでも書ける。でもそれをソウシャに託してしまえば、ソウシャの荷物が増えてしまうだけだと思うと、どうしても絞るほかなかった。
その日の夜、ソウシャ手作りの夕食がテーブルに所狭しと並んだ。
どれも、僕の好きなものばかりだった。
それだけで、目に涙が溜まっていった。それでも、一生懸命平静を装うが、きっとソウシャには気付かれてしまっているだろう。
夕食を食べ終わり、早々に部屋に戻ろうとするとソウシャに腕を掴まれた。しかし、振り返ることは出来ない。振り返ればきっと、いや、絶対に泣いてしまう。
僕が固まり黙っていると、ソウシャは小さな震える声で話し始めた。
「今夜……。ここを去ります。お話した通り、いつ帰ってこられるのかはわかりません。九ヶ月後には遅かれ早かれ、一度は帰ってきます。
啉杜と時々現れるであろうテトゥーと一緒に、啉杜の家で過ごしてください。もしも、啉杜と過ごしていて、不満があったり、啉杜に相談出来ないことがあったりしたときには、生地屋のおばさんに話してください。センリがお世話になりますと伝えてありますから。誰でも頼ってもらって構いません。
私に甘えられない分、私がいない間に、たくさん甘えてください。あなたの歳くらいなら、もっと自分本位で良いのです。もっともっと、子供らしく、無邪気に遊びまわってください。
それから、センリ」
ソウシャの手が離れ、咄嗟に振り向く。
すると、ソウシャの頬には涙がつたったあとがあった。次々に涙が頬をつたい、床に落ちている。
それを見た僕も、我慢していた分の涙が一気に流れ始めた。
ソウシャは僕に涙ながらの笑みを向け、頭に手を置いた。
「明朝、私の部屋に来てください」
「ソウシャの?」
声が震え、うまく話せない。
「はい。センリが困らないように、先日教えた街路や商店のことをメモしておきます。その紙を、取りに来てください」
ソウシャの優しげな笑みに、もう我慢は不要だった。
ソウシャに飛びつき、思いっきり泣いた。
「行かないで、ソウシャ……。お願い、僕といてよっ。僕っ、僕さ、ソウシャが大好きなんだよ!? お願いだから、行かないで……」
ソウシャは僕の言葉を聞いている間、ずっと強く抱きしめてくれていた。
「ソウシャ、ありがとう……」
気づけば、ソウシャの腕の中で疲れ、眠ってしまっていた。
‡
その夜、ソウシャはセンリが眠るまでずっとそばにいることにした。布団を掛け、センリを見据える。
「ねぇ、ソウシャ」
「何でしょう?」
「ソウシャは僕のこと、どうして拾ったの?」
その言葉に、戸惑いを見せる。
どうして拾ったのか。それをすべて話してしまうには、少し早い……。
「そうですね、話してしまえば早いのですが、それは出来ません」
「どうして?」
「大人の事情というものです」
「じゃあ、いつになったら教えてくれる? 僕を拾ってくれた理由と僕の名前の意味」
「意味を知りたいのですか?」
「うんっ」
「センリという名は、ある方の名前でした」
「ソウシャの友達?」
「まあ、そんなところです」
「その人はどうしたの?」
センリの真っ直ぐな質問に口を噤んでしまう。動揺を隠せずにいたが、それでも苦笑を浮かべた。
「遠くへ行きました。もう、会うこともありません」
「友達なのに?」
「えぇ、とても大切な方でした」
「会ってみたい!」
視線をセンリから逸らし、月明かりの空を見上げる。
「いつか、会えるかもしれませんね……」
――――私も会いたいです……
「ほんと!?」
「写真くらいなら見せてあげますよ。また、いつの日にか」
「約束だよ?」
「はい。約束です」
「約束破ったら、僕、怒るからね!」
微笑み、センリに視線を戻す。
「そうですね、必ず約束は守りましょう。
それからセンリ、そのセンリを拾った理由ですが」
「うんうん」
「もう少し待っていただけませんか?」
「え?」
「大人の事情に間違いはないのですが、どうしても、今、センリに話すわけにはいかないのです。どうか、私を信じて待っていてくれませんか?」
センリは残念そうな表情を浮かべていたが、やがて大きく頷くとこちらを見た。とても、強い眼差しだった。
「分かった。待ってる。待ってるから、絶対に帰ってきてね!」
「約束です」
「うん、約束」
センリに優しげな笑みを向けると、センリもまた無邪気な可愛らしい笑みを浮かべた。それから一時間もしないうちに、センリは眠ってしまった。
センリの寝息が聞こえ始め、顔を覗いた。
――――眠ってしまいましたか……
そっと髪に触れる。
「……さようなら、センリ」
立ち上がり、センリの部屋を後にした。
自室に戻ると、柩婪は本を、啉杜は酒をたしなんでいた。
「寝たのか?」
「今寝ました」
「もう、いいのか?」
「……よくはありませんが、仕方のないことです」
紙と筆を取り出し、すらすらと筆をはしらせはじめた。
‡
『ソウシャ殿……』
柩婪と啉杜は急ぎ跪いた。
だが、突然のことに動揺を隠せないソウシャは呆然と立ち尽くしていた。
『…………何故……』
――――どうして、あなた様がここにいるのだろう……
腰まである紅と白の髪を靡かせ立っているのは、背の高いすらりとした女だった。巫女装束に千早を羽織った、軽装であった。
『ソウシャ殿に話がある』
それを聞いた柩婪と啉杜は並んで、奥へと下がっていった。
場に三人となり、千早を着る女はヴァリスに視線を向けた。
『そなたも去れ』
ヴァリスは肩をすくめ、柩婪と啉杜の消えた奥に去って行った。
二人きりになり、ソウシャは鋭い視線を向けた。
『あなた様が何故このようなところにいらしたのです?』
『変か?』
『い、いえ……。そういうわけではありませんが、わざわざ赴かなくても、ヴァリスがいるでしょうに』
『大事なことは口で伝えたほうがよいかと思うてな』
『ですが……』
『わらわと会いたくなかったのか?』
『それはどうでしょうね』
『わらわはそなたを気にっておるというのに、つれない男やのう……』
『申し訳あ』
『彼女のことをまだ、根に持っておるのか?』
言葉を遮られたうえに、図星をつかれた。
それに女は気づいているようで、自信気に笑みを浮かべた。
『なるほど。そなたは彼女が好きだったからの。しかたのないことではあるが、あれからどのくらい経っておると思うておる? もう、忘れよ』
『私にも……忘れられない者の一人や二人、いますよ』
『無頓着なそなたがよくいうの』
『あなた様に言われたくはありません。それで、話とは何でしょうか? 私は早々に帰りたいのです』
『家が嫌いだとぬかしておったのは、どこのどなたよ。そなたやのう。いい加減忘れ』
『…………無理だと言ったならどうなさいますか?』
『無理にでも連れ戻そう。そなたは、わらわらにとって重要な存在のうて、帰りを待っている者も多い。出来る限り早めに帰られよ』
『期限はあと九ヶ月あります』
『その前に、連れ戻そうと思えば連れ戻せるのだよ?』
女の脅しととれる文句に、フッと笑みを浮かべた。
『相変わらず、怖いですね』
『そなたに言われたない』
『連れ戻せるものなら、無理にでもどうぞ』
『ほぉ。受けて立つのか?』
『はい。私はあなた様にだけは、指図されたくありませんから』
『残念やのう。それは、無理やのう』
『私にも自由はあります』
『そなたはわらわのいわば道具にすぎぬ。それを忘れてはおるまいな?』
『私は道具などではございません』
『そなたがわらわに抗うのかの?』
『はい』
『そなたには出来ぬ』
『出来ますよ』
女は妖艶の笑みを浮かべ、ため息を吐いた。
『それはその話として、ソウシャ殿に用があってきた』
『……はい』
『九ヶ月という期限は置いておいて、今宵は戻って来なされ』
『お断りいた……』
『断らせはせぬ』
『……何故です?』
『平和ボケか何かかのう。今日は、そなたの誕生日ではないか。のう、ソウシャよ』
ソウシャは黙り込み、女を鋭く見据えていた。
誕生日など、ずっと忘れていた。
なるほど、きりのよい誕生日がきたというわけか。
――――あぁ、最悪の連続です……




