第7話 天才なあいつの好きなもの
「だからさ、討論会にはコミュニケーション能力も必要でしょ?」
放課後、図書室。私は中原にそう問いかけた。
「本番までにたくさんの人と関わって欲しいの。それでうまい返しができるようになって?」
というのは口実であって、本当はコミュ障を直して欲しいだけである。
中原は思い切り不機嫌そうな顔をすると、私をスルーして大垣くんに訊いた。
「これはこいつの独断か? それとも愁、お前も絡んでるのか?」
むむ、お主鋭いな。本当は昨日、大垣くんと二人で話したことだけど。
「まあね。誤魔化しても聡は気付くから言うけど、これは僕からのお願いでもある」
そう言った大垣くんは腕を組んで中原と対峙した。
「ていうかさ、あんたこのままだと日常生活にも支障きたすよ? 将来仕事就いた時とか」
私が思ったことを率直に述べたのがいけなかったのか、中原はこちらを見ることもなく言った。
「余計なお世話だ」
はあ? と声を上げそうになったのをぐっとこらえる。はいはい、あんたはそういう人でしたね。余計なお世話ですいませんでしたー。
ふいっと中原から顔を背けて、心の中で「この野郎!」と叫んだ。どこまでも愛想ないんだから!
「ほら、聡。言い方ってもんがあるでしょ。美湖ちゃん怒ってるよ」
「知るか」
ふん、そうよ。別に謝罪とか期待してないし。そんな心がある人だとも思ってませんからね!
「あんたなんか大っ嫌い!」
最後にそんな捨て台詞を吐いて、私は図書室を後にした。
あーもう、最悪最低。
づかづかと歩きながら、私は中原の顔を思いだす。何よ、すました顔しちゃってさ。
下駄箱で靴を履き替えていると、廊下からバタバタと足音が聞こえてきた。音の方を見ると、そこから現れたのは中原。
え、何。困惑する私などお構いなしに、中原は目の前まで来ると口を開いた。
「……悪かった」
言ったと同時に顔を背けた中原は、難しい顔をしている。
え? 嘘でしょ? 中原が謝った? 目をぱちくりさせて今一度、中原を見つめた。
「謝ってるだろうが! 何か言え!」
「はあ!?」
意味不明です! 激しく意味不明ですこの人! てか、何かすっごい不機嫌だし!
……でも、ちゃんと謝りに来てくれたんだ。
「じゃあさ、」
本当はもう全然怒ってなんかなかった。
だけど中原の焦ったような、恥ずかしがっているような、そんな顔を見ていたら興味がわいた。
「ちょっと付き合ってよ」
そう言った私もたぶん、余裕がなくて難しい顔をしてたんだろう。
少し前に見た、中原がコーヒーに砂糖をいっぱい入れてるとこ。それを見られて不機嫌になって、照れたように目を逸らした時の顔。
その時の顔をもう一度見てみたくなった。――なんて言ったら、きっとこいつはまた不機嫌になるんだろうけど。
「別にいいけど」
素っ気なく返した中原が自分の靴を履き替える。その素っ気なさは照れ隠しだって分かっちゃうくらいには、私はこの人を知っているみたいで。
「クレープおごってよ。いま私お金ないから」
クレープという言葉に、中原が私の方を向いた。
……待って。本当にこいつ甘党なんだな……
「おいしいお店あるんだ。結構近くだよ?」
「へえ」
気のないふりをしてるのか、中原はそれしか言わない。
やばいよ、だめだよ。吹き出しそう。でも笑ったら絶対怒られるからやめておこう。
しばらく歩くと、黄色のワゴン車が見えてきた。周りには女子高生がちらほらいる。あれがクレープ屋さん。
「あそこのはね、生クリームとカスタードの配合が絶妙なの! それで、生地がもちもちしてて、」
「分かったから、黙れ」
「なっ!?」
クレープの魅力を語っていたら、つい熱くなってしまいました……
でも中原の顔を見上げると少し口角が上がっていたから、きっとすごく甘いものが好きなんだろう。あー、だめだ。可愛いんだよなあ、ちくしょう。
並んで順番を待つ間、会話もないので私は単語帳を取り出した。
「……ずいぶん個性的な財布だな」
「はい!?」
違う! これ財布じゃないから! てか何でそういう発想になんのよ!?
「違うよ、単語帳だってば。来週また小テストあるし」
「は?」
信じられない、といった表情で私を見る中原に「何よ」と睨み返す。
「別にそんなもの今からやる必要ないだろう」
「今からやったら満点取れるでしょ!」
まったく、何で分かんないかな。私には勉強しか取り柄がないんだってば。
「三日前から始めても満点は取れる」
何だそれ! ケンカ売ってんのか!
と、そこで私たちの順番がきたので注文する。私はいつも頼むやつ。ストロベリーカスタード!
中原は何頼むんだろ。そう思っていると、
「あ、俺も同じのでお願いします」
「ええっ!」
思わず大声を出してしまった。
「……何だ」
中原が睨んできたので、「いや別に」と誤魔化す。
意外だっただけですよ。ストロベリーとか女の子っぽいの頼むんだーって思っただけです。
その流れで財布――今度は本物――を取り出すと、
「お前はいい」
「え? 何で?」
「……さっきおごれって言っただろうが」
ぶっきらぼうに中原がそう言った。え、何ですか。何なんですかその優しさは!
「いやあれはノリだよ? 本当に言ったわけじゃ……」
「別にいい」
「あ、ありがと……」
中原はさっと財布を取り出し、非常にスマートな動きで会計を済ませた。
そしてお姉さんがクレープを渡してくれる。
「お待たせしましたー」
二つともを受け取った中原は、「行くぞ」と促してくる。え、え? 持ってくれるの?
二人で近くのベンチに腰を下ろし、中原がクレープを私に渡してくれた。「どうも」と可愛くないお礼を言って受け取る。
ぱくっと一口かじると、カスタードの甘さが口いっぱいに広がった。うわあ、やっぱりいつ食べてもおいしい!
苺の甘酸っぱさを感じながら咀嚼していると、中原と目が合った。
「……うまいな」
ぽつりと一言。甘党の中原は心からそう思ってるんだと思う。
「うん!」
素直じゃないんだからー。最高においしいって思ってるくせに。
それでも、盗み見た中原の横顔はやっぱり幸せそうだったから、可愛いなと思ってしまった。
「中原ってさ、すごい甘党だよね」
「は!?」
予想以上の反応だなこれは。
中原は頬をかあっと赤く染めると、見る見るうちに不機嫌そうな顔になった。
「あーはいはい、ごめんって。そんな顔しないの」
「からかってるだろお前!」
「うん。悪い?」
しれっと開き直る。だってポーカーフェイスな君の反応が意外すぎてね、うん!
でもいいや。やっぱりちょっと可愛いから。前は認めたくなかったけど、今なら素直に思える。
「ずっと思ってたんだけど、何で中原っていつも小説読んでんの?」
これ以上からかうと本当に怒られそうだったから、話題を変えた。まあ気になってたのは嘘じゃないし。
「……好きだから」
「え?」
「本が好きだからだ!」
いやそんな大きい声で宣言なさらなくても。
中原が叫ぶ時は照れてる時だと分かっているので、私は首を傾げた。今のどこに照れる要素が……?
「そうなんだ。へえー」
普通の答えだったので普通に返すと、中原は「は?」と眉根を寄せた。は? って何だよ。
「別にいいじゃん、好きならそれで」
私も小説好きだよ、と付け足すと、中原は俯いた。おーい。クリーム垂れるぞー。
「何? どしたの?」
本が好きなことにそんなに問題あるんだろうか。私はますます分からない。
「……俺が好きなのは、純愛ものだ」
「ぶっ」
「いま笑っただろ!?」
いや、笑うでしょ! ここは笑うでしょ! 純愛もの好きなの!? 何それ意外すぎて笑える!
「あははは! あーもう何それ!」
「笑うな!」
「無理ー!」
お腹痛い! 笑いすぎてクレープ食べられない!
「お前な、人の好きなものを毎度毎度笑いやがって……」
それはあんたが悪い。だって似合わないんだもん!
「はー、おかしー。笑いすぎて涙出てきた」
「ふざけんな」
ぎろりと睨まれるけど、そんなの怖くもなんともない。今は可愛いようにしか見えない。
「えーでもすごいね。いつも本読んでるのにいつ勉強してんの?」
私だったら学校の休み時間はほとんど暗記に費やしてる。家でも問題集解いてるし。
「テスト前に軽くする」
はい? え、ちょっと待って。テスト前? 軽く? 何それ嘘でしょ?
「嘘だ。それだけでトップ取れるわけないじゃん」
私なんてテスト前はがっつりやらなきゃ絶対無理。二週間前から計画立ててきっちり勉強。
「ほとんど授業中に理解しておくだけだ。テスト前は確認だろ」
「はあ!?」
何それ何それ何それ! むかつくんですけど!
「私の方がいっぱい勉強してるし! あーもう何であんたに負けんのよっ」
「量より質だ」
くっ、返す言葉がない。正論だ。
でもこの高校の授業を時間内に理解するなんて、やっぱり中原は――
「天才、なんだね」
この言葉は自然と漏れた。気付いてから口元を押さえるも、もう遅い。
私何言ってんだろ。永遠のライバルに変わりないはずだったのに。そんなやつに天才だなんてさ。おだてるようなこと。
「だとしたらお前は、秀才だな」
――いま、なんて?
「天才は生まれ持った才能、秀才は努力して得た才能。まあエジソンは99パーセントの努力と1パーセントのひらめきで天才は生まれると思っていたらしいが」
嘘、でしょう? 中原に褒められてる?
「だとしても、お前が努力家であることに何ら変わりはない」
とっさに返す言葉が見つからなくて、私はしばらく宙を見つめた。
……私が、努力家。中原そんな風に思ってくれてたんだ……
「あの……ありがとう」
「別に」
いつも通り素っ気ない返事。でも私は気付いてしまった。中原の耳が少しだけ赤かったことに――
ああ、やっぱり。照れてるでしょう。そうやって気持ち隠そうとするでしょう。だからみんな誤解しちゃうんだよ、というのは余計なお世話だろうか。
でも、みんなにちゃんと分かってほしい。中原が実はそんなに冷たいやつじゃないってこと。
「誰にも言うなよ」
「え?」
突然言われて何のことか分からない私に、中原は頭を掻いた。
「……俺が甘党だってこと」
何よそれ。やめてよ、可愛いからさ。まあ、そんなこと絶対言わないけどね。
「あー言わない言わない。中原が純愛もの大好きってことも絶対言わない」
「……殴るぞ」
「はは、冗談だって」
クレープを食べ終わって、立ち上がった中原の背中が思った以上に大きかった。私が座ってるからかもしれないけど。
私より十センチ以上高い背。よく見ると整った顔立ち。可愛いだけじゃないんだって、思った。ちゃんと男子なんだなあって。夕焼け効果かな。
『聡を好きになりそうになったら――』
ふと、大垣くんの言葉が頭をよぎった。
『全力で止めるから』
この人を好きになることは絶対ないとは思うけど。でも、この人を好きだっていう子が、これからきっと現れると思うから。
その時のために、コミュ障は克服してもらわないと。
私は一人そう思いながら、夕焼けに染まる中原を見ていた。