第32話 ひまわりの花言葉
「ねえ、あんたはバカ?」
電話口から聞こえる声に、私は肩をすくめた。バカって……ついに咲まで言い出したか。
「ちょっとひどくない? 友達をもう少しいたわる気持ちは、」
「ない。一ミリもない。ていうか今回はあんたが悪い」
ぴしゃりとはねつけられ、思わずため息をつく。
一月二日、おやつの時間。といっても届いた年賀状を眺めながらゴロゴロしていただけなんだけど。
お泊まりが終わり、私たちは至って普通に安本くんのお家をあとにした。そう、あくまでも普通に。
中原の顔を一瞬も見られなかったのは許して欲しい。だって無理じゃん! あんなわけ分かんないこと言われた後で見れるわけないじゃん!
「もうさあ、何が不満なの? 中原くんがそろそろかわいそうなんだけど」
不満なんてない。ただ本当に分かんなくて。どうして中原があんなこと言ったのかが、純粋に知りたくて。
私は近くにあったクッションを抱き寄せ、顔をうずめた。分からないからこうやって咲に訊いてるのに。私の自惚れだったら恥ずかしいじゃんか。
「咲」
「何?」
「今から私、すっごいうざいこと言うけど聞いててね」
「やだ」
いやそこは聞けよ。嘘でもいいから聞くって言ってよ。再びため息をついた私に、咲が「はいはい、いいよ」と面倒そうに訂正した。
「…………中原って、私のこと好きなのかな?」
そんなわけないでしょ、と笑い飛ばして欲しかったのに、咲から返ってきたのは間の抜けた声。
「………………は?」
何その間。何これ、どう受け取れば正解なの? すると咲は唐突に「あーもう!」と叫び出し、
「いい加減にしなさいよ! そんなん当たり前でしょ、とっとと気付きなさいよドアホ!」
「ごめんなさいもう言いません……って、え?」
ちょっと待とうか。今この子、何て言った?
「ねえ咲、私すごい耳悪くなったみたいなんだけど耳鼻科行った方がいいかな」
「……もうやだこいつうざい」
うざいって言われた!? 愕然とする私に、咲はとどめをさしてくる。
「じゃあ訊くけど、昨日の中原くんの言葉……美湖はなんだと思ったわけ?」
痛いところを真っ向から突かれた。
あれが聞き間違いじゃないのなら。私の自惚れじゃないのなら。――あれはたぶん、彼なりの告白だった。
告白、という単語が頭に浮かんだ瞬間、ぶわっと顔が熱くなる。
「こ、告白……かもしれない」
「かもしれないじゃなくて、そうなの! 本当にあんたは……鈍感通り越してうざい」
こんな短い間に二回もうざいって言われた……
うなだれる私に、咲は「あのさ」と続ける。
「あんたは自己肯定感が低い。低すぎ。普通に可愛いんだからもっと自信持ちな」
驚いた。咲が私にそんなことを言うと思ってなくて。自信持ちなって、そんなことを。
「……ま、中原くんはそういうとこがツボなんだろうけど」
「ツボ……?」
聞き返すと、「そうそう、背中とかにあるツボね。押したら気持ちいいでしょ」と言われたので納得した。中原とどうつながるのかは激しく謎だったけど。
「美湖、どうするの? 中原くんはちゃんと美湖に言ってくれたでしょ?」
そうだ、私は言わなきゃいけない。未だに現実味がなくて実感がわかないけど。今もまだ夢かもとか思ってる。でも、これが現実なんだとしたら、私は。
「……言いたい。私もちゃんと、告白する」
中原は返事なんて求めてなかった。私には他に好きな人がいると思い込んでた。
バカだなあ。バカだよ、中原。私、最初からあんた以外好きになれるわけなかったよ。
「本当に……大丈夫かな。迷惑じゃないかな」
そう言った私に、咲は「今度こそ怒るわよ」と脅してきたので即座に謝った。
「咲、ありがとう」
「何? やけに素直ね。今度何かおごってよー」
「あは、りょーかい」
そして電話を切った後も、しばらく動けずにぼうっと考えていた。
『俺はお前を全力で落としに行く』
思い出すだけで心臓がとくとくと脈打って、顔は火照る。信じられないな……中原が私を好き、とか。
今なら分かるのかな。今までくれた中原の言葉の数々。本当の意味を、きっと私は知らないでいたから。
「好きだよ」
そう伝えたら、君はどんな顔をするんだろう。
*
「えー、最近ニュースで見て知っている人もいるかもしれませんが、ストーカー被害が多発しています」
何とも恐ろしい内容で始まった朝のHR。新学期は昨日から始まり、今日から本格的に授業が再開する。
「そしてうちの女子生徒も昨夜、不審な男性に追いかけられたそうです」
ざわ、と教室内の空気が凍る。
「犯人は捕まっていません。帰り道は十分、気を付けるように。特に女子」
担任の先生が私たちの顔を見回し、念を押すかのように頷いた。みんなが神妙な顔でお互いを見やる中、正直私はそれどころではなかった。
「映画、どうしよう……」
結局決まらずにいた日程。中原とふたりで出かけられるし、告白をするにはいい機会だ。だけどいざ言おうとなると、緊張どころの騒ぎじゃない。本人を目の前にして平静でいられる自信がなかった。
今日の放課後、とりあえず空いてる日訊こうかな。そう結論づけて、私は一時限目の教科書を手に取った。
放課後。スクバに教科書を詰め込みながら、私はため息をついた。
「職員会議の結果、今日の放課後活動はすべて禁止となりました。速やかに下校するように」
帰りのHRでそう言われ、肩を落としたのは言うまでもない。確かに中原と今のままじゃ気まずい。だけどやっぱり会いたい。それに映画の約束だってしてないし。
「あ、おい。菊地いるか?」
不意に飛んできた声。反射的に振り返ると、教室のドア付近でクラスメイトと話している中原の姿が見えた。
「菊地さんならまだいるけど……呼ぼうか?」
「いや、いい。悪いな」
そして中原は私を視界に入れると、「菊地」と芯のある声で呼ぶ。
「今日、一緒に帰れるか」
まっすぐな瞳。けれどもほんのりピンク色の頬。目を逸らさないのはきっと、彼がそういう人だからだ。私も応えたい。そのまっすぐな想いに。
「――うん!」
恥ずかしいけど、精一杯笑って見せた。大きく頷いて見せた。中原は虚をつかれたように目を見開いた後、いつも私に見せてくれるような優しい顔で微笑んだ。
校門を抜けて二人で並んで歩く。一斉下校だから道がとても混んでいた。
しばらく何も話さず歩いているうちに人はまばらになっていき、しまいには駅に着いてしまう。
分かってるんだ、中原も緊張してる。私が何か話さなきゃって。だけど言葉が胸に詰まって出てこない。
「……これ」
突然、中原がそう言って自分の鞄から一冊の本を取り出す。
「お前がくれた本、読んだ」
ブックカバーがついたそれは、一切折れたりシワがついたりしていない。中原がどれだけ大切に扱ってくれているかを表していた。そんなところにも胸が熱くなる。
「映画、楽しみにしてる。帰ったらメールしておくから」
夢みたいだなって思ってた。中原が私のこと好きなんて、ありえないって。
だけど今、ここにいるのは間違いなく彼で。その優しい笑顔も、愛おしそうな瞳も、震えを誤魔化すためにきつくきつく握りしめている手も。全部、ちゃんとここにある。
「中原」
彼は返事を求めていない。押し付けることもしない。ただ、まっすぐに私を想ってくれた。
私は中原の右手を取る。ごめんね。いっぱい困らせた。大好きだよ。
「今から行こうか。映画館」
***
二人が出逢ったのは暑い夏の日だった。ひまわり畑の中だった。
少女が被っていた麦わら帽子を風がさらい、少年の元へ運んでいく。それを拾い上げた少年は、少女の顔を見て目を見張った。
白く透き通った、日焼けの知らない肌。黒く潤う瞳は大きく、すっと通った鼻筋は彼女のあどけなさを感じさせない。
綺麗な唇が動き、「ありがとう」と。彼女の言葉を耳で拾ったその時、彼は恋に落ちた。
二人は頻繁に会うようになった。出会った当時は中学生だった彼らは、大学生になっていた。関係は友達から恋人に代わっていく。
二人が惹かれ合うのは、もはや運命に近いそれだった。
しかし彼女は、彼との婚約に頷かなかった。次第に彼は彼女と距離を置くようになった。
また、暑い日だった。蝉の声が頭の中を支配する、うだるような暑さの日。
彼の電話にかかってきたのは、切羽詰まった女性の声だった。
彼はその言葉を聞いて走った。目的地へ着いて扉を開けた。そこには彼女がいるはずだった。
静かに目を閉じ、固く結ばれた口。たくさんの管が彼女の体に繋がれている。
彼女は重い病気を患っていた。こうなるのは、時間の問題だった。
彼は光の失った瞳で彼女を見つめた。けれども、まっすぐ逸らすことは決してなかった。
最期に何か声をかけてあげて欲しい、と言われても何も言えなかった。
彼女の母が彼にひまわりの花を差し出した。綺麗にラッピングされていた。
――私が目覚めなかったら、彼にこれを渡して欲しい。
彼女の願いは果たされた。彼はその花を彼のように抱きしめ、声が枯れるまで泣き続けた。
二人が出逢ったのは運命に近いそれだった。二人が惹かれ合うのも運命に近いそれだった。
ならば当然として訪れる将来も、彼女には分かっていた。
私は貴方だけを見つめる。ひまわりの花言葉。
それは二人の最初で最後の恋だった。
***
エンドロールが流れ始めたスクリーン。暗い空間の中、私はズッと情けない音を立てて鼻をすすった。
絶対泣くと思ったから、今日はちゃんとハンカチを持ってきた。それを頬に当てようとした時。
「……くっ、う、」
何かを噛み締めるような音に、私は驚いて隣の中原を見やる。え、嘘……もしかして泣いてる!?
「な、中原……?」
覗き込もうとすると、「見んなバカ!」と顔を余計に逸らされた。隠すことないのに。映画で感動して泣くのは何も変じゃない。
私はそっと中原の手に自分のを重ねる。
「私は貴方だけを見つめる」
「は……?」
「ひまわりの花言葉! ほら、泣きやめ!」
隙あり、と中原の頬にハンカチを当てた。ぽふぽふと拭いていると、手首をつかまれる。
「俺だってお前だけを見てる」
交わった視線。放たれた言葉は私の頬に熱をもたらした。
「ちょ、何言ってんのいきなり……」
ちゃんと言わなきゃって思うのに。その瞳に見つめられると動けなくなる。
「……帰るぞ」
中原が私の手をつかんだまま立ち上がるから、私もそれに続いた。
「……今日は、ありがとう」
駅前まで送ってもらった私は、中原にそう言って頭を下げた。しかし彼は眉根を寄せて口を開く。
「お前、まさかここで別れるつもりじゃないだろうな」
「え? 何で?」
「家まで送る」
いやさすがに申し訳ないから! ぶんぶん首を振って、ついでに手も振って断る。
「……ちょっとは危機感持て。ここで帰してストーカーにでも追いかけられたら、お前に合わせる顔ないだろうが」
あ、と声を出しそうになった。そっか……そういうことだったんだ。もしかして今日の帰りも、そのつもりで一緒に帰ろうって言ってくれたのかな。私って自意識過剰?
「大丈夫だよ。気持ちだけで十分」
笑って返した私に、中原はますます不機嫌そうに顔を歪める。でも、これ以上一緒にいたら色々危ないんだもん。好きって気持ちが溢れすぎて、準備も出来ないうちにいい加減にこぼれちゃいそうで。そんなの嫌だから。ちゃんと伝えたいから。
「はいっ、帰った帰った! 中原はこっちでしょ!」
中原を無理やりくるっと回転させ、背中を押す。
「ちょ、お前……待て! 危ないから! 送らせろ!」
「走って帰るから大丈夫!」
「あのな……」
ぐいぐいと押し続けながら歩いていると、中原は「分かった」と呆れたように頷き、
「今日お前、家に誰かいるのか」
「えーと、お母さんはたぶんもう帰ってきてるかな」
「じゃあ迎えに来てもらえ」
連絡しろ、とまで言われたので仕方なく携帯を取り出した。でもお母さんも疲れてるだろうし……迷惑かけたくないんだよな。
「連絡したか?」
「うん、したした」
ごめん、嘘。でも私、大丈夫だから。携帯をしまって曖昧に笑ってみせる。
「じゃね、ばいばい!」
一方的に切り上げて駅へ向かって走る。
「あ、おい!」
そんな声が聞こえたけど、もう仕方ない。私は立ち止まらずにそのまま足を動かす。
その時、後ろから中原のただならぬ声が聞こえた。
「――菊地っ!! 逃げろ!」
どうしたんだろう。振り返った私の視界に広がった光景。あまりにも一瞬すぎて何がなんだか、分からなかった。
けれども銀色に光る何かと、それを遮るように現れた自分より高い藍色の影が。やけにクリアに、目に入ってきた。
ドサ、と目の前で藍色の影が崩れ落ちる。それを目で追いかけると、――苦痛に顔を歪めた中原だった。
彼の手が押さえている腹部。そこに突き刺さった銀色のナイフ。目の前に立っている全身黒づくめの人。情報が全部断片的にしか入ってこなかった。
「おい……! 救急車だ!」
「警察呼べ!」
かくりと、膝が折れてその場に座り込む。中原。ねえ、中原。何で。どうして。こんなことになってるの。
しかし何とか思考を巡らせる。動かない自分の体を叱咤し、着けていたマフラーを外した。それを中原の腹部に当てる。
止血しなきゃ。だめだ。死んじゃう。やだ。がくがくと震える手が今は憎くて仕方ない。
「やだ……中原、やだ……!」
私の手の上から、大きな手が覆いかぶさった。我に返って横を見ると、スーツを着た男の人。
「気を確かに持って! 大丈夫だ、彼は死なない!」
断固とした口調と、力強い手。
「ナイフは絶対に抜いちゃいけない。マフラーで固定するよ」
私の代わりにマフラーでナイフを固定した男の人は、「いま救急車が来るから」と肩で息をしていた。そしてもう一度、繰り返す。
「大丈夫だ、彼は死なない」




