第31話 みんなで年越し
「ここ、だよね?」
待ちに待った大晦日。目の前に立ちはだかるお寺を見て、私は隣にいる咲に同意を求めた。
「本人が言ってんだから間違いないでしょ。ほら、行くわよ」
さっさと歩き出した咲に慌ててついていく。すごいなあ、安本くんの家がまさか本当にお寺だったなんて……
「あ、美湖! 咲ちゃんも!」
前方から手を振りながら駆け寄ってきたのは、
「えっ……安本くん!?」
お坊さんが着るような黒い服に身を包み、髪を後ろに流している安本くんだった。学校で見る彼とはずいぶん雰囲気が違う。
「すごいね! 何か本当にお坊さんみたい!」
「あー、まあ格好だけはな。一応お客さんが来る時はいつもこの服着るんだ」
法衣って言うんだよ、と親切に教えてくれた。一つ予備知識が増えたところで、お寺の中にお邪魔する。
戸を開けると、一気に広い空間が現れた。その奥には金色に輝く大きな仏壇。詳しいことは分からないけれど、威圧感がすごい。
「最初は落ち着かないかもしんないけど、慣れたらどうってことねえよ。とりあえず仏様に挨拶してって」
言われた通り仏壇の前まで行き、教えてもらいながら手を合わせる。すると、後ろから荒々しい足音が聞こえてきた。
「おい、洸。お前、廊下の掃除さぼっただろ」
顔を覗かせたのは安本くんと同様、黒い服――確か法衣――をまとった男の人。髪の毛はきちんと剃られていて、まさにお坊さんという感じだ。
私たちに視線を移した彼は、はっとした顔になるとすぐに笑顔で会釈した。
「わざわざお越しいただきありがとうございます。洸の父です」
お父さんだったんですね! 私と咲も軽く頭を下げて挨拶をする。
「洸、その子たちを案内してからでいいから掃除しなさい」
「へいへい、分かったよー」
お父さんとそんな会話を終えた安本くんは、再び私たちに向き直る。
「あの廊下をまっすぐ行って、突き当たりを右に曲がったら部屋があるから。そこに荷物置いてきたらいいよ」
「分かった、ありがとう!」
しっかし本当に広いなー。下手したら迷子になりそう……
「美湖、そっちじゃない。こっち」
咲が呆れたように息を吐き、私の腕を引っ張った。あれ、おかしいな。もう間違えた……やばい、重症。
「一人で夜中トイレ行かないでよ。絶対戻ってこれなくなるでしょ、あんた」
く、悔しいが言い返せない! でも広すぎるから仕方ないじゃん! そう、広いから!
「あ、もう来てたんだね。二人とも」
後ろから声が聞こえて振り返ると、そこには男子三人が揃っていた。どうやらいま来たらしい。
「わくわくするなあ、合宿みたいで」
大垣くんが嬉しそうに横の中原に言う。
「そうか? そんなこと言ってお前、誰よりも早く寝そうだけどな」
「まあ聡には負けるけどさー」
そこで部屋に入り、みんなでくつろぐことにした。
和室はやっぱり落ち着くなあ。寝ちゃいそう。ごろん、と畳の上に寝っ転がる。咲に「ちょっと」と脇腹をつつかれたけど気にしない気にしない。
「てか洸、失恋したっつってたけどさ……誰に?」
大垣くんの問いかけに答えたのは咲だった。
「四組の可愛い子。彼氏持ち」
「うわ、えげつねー……彼氏いんのかよ」
「そりゃ、ある程度可愛かったらいるでしょ」
さも当然かのように言う咲だけど、一体どこからそんな情報を集めてくるのか謎である。ふと気になったので私は口を開いた。
「ねえ、咲は好きな人いないの?」
「は? 何よいきなり。いると思う?」
「……いや、まったく」
うん、だめだね。この子とはたぶん一生コイバナできないと思うな。そんなことを考えていると、
「美湖は好きな人いるんでしょ?」
咲が爆弾をぶち込んできた。
何この子。最近怖いんだけど。私に恨みでもあるんでしょうか。まあ今さらだよね。咲と大垣くんは知ってるし。
「任せなさいよ。今日と明日で急接近させてあげるから」
耳元で聞く咲の言葉は、悪魔の囁きのようだった。
「へーい、年越しそばお待ちどーさま」
午後十時頃。みんなでテレビを見ていると、安本くんが言いつつそばを運んできてくれた。
「おう、悪いな」「ありがとー」と口々にお礼を述べて器を受け取る。だしのいい香りが部屋中に広がった。
「え、いま紅組と白組どっちが勝ってんの?」
某テレビ番組がかかっている画面を見て、安本くんが訊く。
「白組ー。やっぱ今年も白かな」
「僕は紅組に勝って欲しいですね」
「しっ! 次ABC48出るんだから静かにして!」
賑やかだなあ、やっぱりみんなといると落ち着く。つるつるとそばをすすりながらそう思う。
「あ、ねえ。年越す瞬間にみんなでジャンプしない?」
「出たそれ。『俺、新年迎えたとき地上にいなかったから』ってやつでしょ」
咲と大垣くんが楽しそうに話す。それをぼーっと見つめていると、「菊地」と横から声がかかった。
「ん? 何?」
中原の方を向くと、思ったより顔が近くて少しびっくりする。私の目を覗き込むようにした彼は、口を開いた。
「眠たそうな顔してるな、お前」
ぎく。実は昨日楽しみすぎてそんなに寝れなかったんだよね……正直、年越す瞬間まで起きていられるか不安。
「眠たいなら寝たらどうだ? 年越す前に起こしてやるから」
そうだよねー、それが一番賢明だよねー。私は「うん、そうする」と頷き、残っていたそばをかきこんだ。
みんなの邪魔にならないところで寝てようっと。移動しようとした矢先、右腕を軽く引っ張られる。
「え、中原?」
腕の先には中原の手。自分の隣をとんとん、と叩いた彼は、
「ここで寝ろよ」
と言い放った。
えーと、それだと完全に中原に寝顔見られますよね。絶対嫌なんですけど、変顔してるから。しかし中原は動かない私の頭を引き寄せ、近くにあった座布団を枕の代わりに床に置いた。半ば強制的に寝かされる。
「え、ちょ……顔見ないでよ絶対!」
それだけは約束していただきたい! 見られたら幻滅されて終わりだ!
「分かったから、寝ろ」
すっと手のひらで目隠しされ、心臓が跳ねた。いや、待て。こんなことされたら寝れない。
仕方なく目を閉じると、肩から下の辺りがふわりと何かに覆われた。うっすら目を開ければ中原のカーディガン。かけてくれたんだ、と思うと胸の奥が少し熱くなる。
そしてぽんぽんと頭を軽く撫でられた感触を最後に、私の記憶はそこで途絶えた。
「……おい、起きろ」
安心する声。私の好きな声。そういえば寝たんだっけ、と思うほどには浅い眠りだったようで。
「おい、菊地」
揺さぶられる体に、私は声を出さずに中原の服の裾を掴んだ。眠たい……まぶたがすっごい重い……
「寝ぼけてんのか、お前」
「んー、起きてる……」
口ではそう言ったものの、なかなか起き上がれない。とりあえず無理やり目を開け、私の顔を覗き込んでいる中原に笑って見せた。
「中原、おはよ」
瞬間、ばっと顔をそらされ、
「……お前、その顔やめろ」
ってそうだった私いま寝起きだったぁぁぁ! 中原の的確な指摘に、一人愕然とする。
「ごめんごめん! いま起きる!」
勢いよく体を起こすと、なぜかみんなの視線が痛かった。何だかとても嫌な予感がする。
「年越し前にいいもの見れて良かったねえ」
「そうねえ、中原くん顔がゆるゆるだったしねえ」
と大垣くんと咲が言えば、
「ねえ、二人ほんとに付き合ってねえんだよな?」
「僕もちょっと疑いましたね……」
安本くんと森岡くんが便乗してきた。しかし横にいる中原を見れば、仏頂面で黙り込んでいる。ほら、みんなが変なこと言うから! 機嫌悪くなっちゃったじゃん!
「中原くんねー、ずっと美湖の頭なでてたんだよー」
咲が心底愉快そうに口元を押さえるので、中原が物凄い勢いで否定し始めた。
「余計なこと言うな! これはその……犬をなでるのと同じ感覚だ!」
「犬――――っ!?」
思わずそう叫んだ私に、大垣くんは盛大に吹き出す。
「わ、分からなくもないけど……聡、それはちょっと……」
分からなくもないんかい! 否定してよそこは! みんなして犬呼ばわりか!
「ま、まあ落ち着きましょう。後少しで新年明けますから」
森岡くんが慌てたようにみんなを制した。「ジャンプの準備だ!」と安本くんがしゃがみ込む。……いや、あなたどんだけ飛ぶつもりなんですか。
テレビを見ると、あと三十秒。二十秒、十秒、と過ぎていく。
「五、四、三、二……」
その瞬間、ぐっと踏ん張ってジャンプの姿勢に入り――
「ハッピーニューイヤー!」
パン、とテレビの中でクラッカーが鳴った。それの後に私たちは床に着地する。
「おめでとう!」
「今年もよろしく!」
「よろしくお願いします」
そんな挨拶を交わす中、私は静かに思う。――今年こそは。今年こそは、言わなきゃいけないよね。
隣にいた中原をちらりと見ると、彼は私の方を既に見ていて。目が合った途端、その顔はふわっと崩される。
「今年もよろしくな。菊地」
ずるいなあ、なんて思っても、この人には自覚ないし。そんな笑顔でそんなこと言われたら、心臓がおかしくなりそう。
今まで笑うことが少なかったから分からなかった。今さら気付いたよ。中原は笑うとすっごくかっこいいって。
「もー……その顔、反則なんだよなあ……」
ため息をつくと、中原は「何がだ?」と怪訝そうに訊いてくる。この鈍感やろう。天然たらし。気付けバカ!
――でも、好き。
「んー。秘密」
いつか分かるよ。その時は私の気持ちも一緒だね。
一時間後、私は目の前の光景に呆然としていた。
「え、嘘……みんな寝たの?」
床に寝っ転がるみんな。テレビはつけっぱなし。すーすーと響く寝息。
ふすまを挟んで隣の部屋に布団をしいていた私は、戻ってくるとこの有り様だった。えー……やめて悲しいよ、せっかく布団しいたのに……
すると、後ろのふすまが開いて中原がトイレから戻ってきた。私と同様、みんなの様子を見て固まる。
「こいつら、寝たのか?」
呆れたように言った中原に、私は「みたいだね」と苦笑した。
「私たちも寝る?」
何かここで二人になるのも心臓に悪いというか。焦って変なこと言っちゃったら嫌だし。
「布団はしいてあるよ。おやすみ」
言いつつ振り返ろうとした時。嗅いだことのある、爽やかな香りに包まれた体。前にそうされたよりもずっとずっと、力強い腕。
「誰が寝るって言った?」
耳元で聞こえる心地良い中低音に、私はどきんと心臓を震わせた。中原の腕がより一層、強く後ろから私を抱きしめる。
「……さっきのは、嘘だ」
急に中原がそんなことを言うので、首を傾げた。さっきのって何だっけ? いや、今はそれより心臓が尋常じゃないくらいうるさいんだけども!
「犬っていうのは……撤回する」
ああ、それか。うん、そうだね私は犬じゃないね。
そう返す余裕もなくて首を横に振った。もういいよ別に、って意味だった。
しかし私は間違えた。
「……それ、どういう意味だ?」
あ、と気づいた時には時すでに遅し。中原はさらに腕の拘束に力を入れると、私の耳に唇を押し当ててくる。
「俺の犬になりたいのか、お前」
「や、違っ! 待って、それやめて……!」
くすぐったいから! めちゃくちゃくすぐったいから!
どこか愉しげな声に、私は慌てるだけでどうすればいいか分からない。
「……そんなに王子様がいいのか?」
「え?」
唐突につぶやかれた疑問。完全に虚を突かれ、言葉に詰まった。王子様がいいのかって……何でこの人は気付かないんだろう。目の前にいる人が私の王子様なのに。
ふと体が開放され振り返ると、中原は髪をかき乱して叫んだ。
「……あーもう、全部やめだ!」
そして、がっと私の両肩を掴んだ彼は、まっすぐな瞳で告げる。
「いいか、俺はお前を全力で落としに行く。悪いが――もう手段は選ばない」
えっと……ちょっと待とうか中原さん。あなたいま何を言った?
絶賛混乱中の私を見た中原はくすりと笑うと、
「……覚悟、しとけよ」
私の額に優しいキスを落とした。




