第30話 月が綺麗ですね
冬休みを目前にし、教室内の空気はふわふわとしていた。初雪も降り、外に出るにはマフラーと手袋が手放せない。
「えー、冬休みがやってきますが、次回のテストに向けて準備を怠らないように」
担任の先生が教壇で話すのを聞きながら、私は一人ため息をついた。
冬休み――それはつまり、約束をしない限り誰とも会えない日々のことを指す。冬のイベントと言えば数日後のクリスマス、そして年越し。絶賛片想い中の私は、そう気軽に誘えるような勇気を持ち合わせていなかった。
ていうか中原だって、特別な日くらいは好きな子と過ごしたいだろうなあ。それに私はついこの前、映画に行く約束をしてもらったばかりだ。
今回は咲を誘おう。うん、そうしよう。そう自己完結して、くるりと後ろを振り返る。
「ねえ咲、クリスマス空いてる?」
イブでもいいけど、と付け足した私に、咲は衝撃の事実を告げた。
「あ、ごめん。その日は彼氏とデートするのよ」
「は!?」
何だそれ!? いつの間にできたんだ彼氏!? 驚きのあまり固まっていると、
「っていうのは嘘でー、毎年クリスマスは家族団らんの日なんだよね。だからごめん」
びっくりした……とうとう隠しごとされるほど信頼失ったのかと思った! ひとまず胸をなで下ろす。でもそうなると私、クリスマスぼっちになるんですが……
「中原くん誘えば?」
さらっとそんなことを言ってのける咲が心底恐ろしい。無理に決まってんでしょうが! クリスマスに誘うとか告白してんのと同じでしょうが!
「ちょっとそこ、静かにね」
先生に注意されたので渋々前を向く。ちぇー、どうしようかな。一人でケーキ買って食べようかな。たぶんお父さんもお母さんも帰り遅いだろうし。
しかしそんなことを考えていた私は、ある人の言葉によってどうでもよくなってしまった。
――その日の放課後。図書室で集まっていたみんなに、安本くんは唐突に口を開いた。
「みんなさ、大晦日って暇?」
いきなりどうしたんだろう。揃って首を傾げる私たちに、さらに彼は続ける。
「もし暇だったら、みんなで年越さない? 俺の家で」
「どうしたんだよ突然」
大垣くんがみんなの心中を代表して問うた。安本くんの家にみんなで? それって迷惑じゃないのかなー。
「やー、実はさ。俺、失恋しちゃったんだよねー。だから人肌恋しいっつーか? 一人でいると無性に寂しくなるっつーか?」
失恋……したんだ。うまい言葉が出てこない私たちに、安本くんは苦笑する。
「別に変な気使わなくていいからさ。ただみんなで騒いで、そのまま年越してましたーとかだったら幸せかなとか思ったわけよ」
はは、と乾いた笑いをこぼす彼は、明らかに無理をしている。……ちゃんと好きだったんだなあ、その人のこと。
「分かった」
私は言いつつ立ち上がった。
「みんなで年越そう。いっぱい騒いで、笑って、来年はいい年にしよう!」
誰だってあるよ。一人になりたくない時。誰かにそばにいて欲しくて、そうじゃないと寂しくてどうにかなっちゃいそうな時。
「よっしゃ! そうと決まれば準備しないとな!」
大垣くんが手を叩いてみんなに笑いかける。そうだよね、お邪魔するんだから色々準備はしないと。
「あ、準備とかいらねーよ? 料理も出るし、布団あるから泊まってけばいいし」
そ、それはさすがに申し訳なさすぎるのでは……!? でもお泊まりとか楽しそう!
「咲も誘っていい? さすがに女子一人はちょっと……」
恐る恐る手を挙げて提案すると、「いーよいーよ」と鷹揚に手を振る安本くん。すごいなー、何人分布団あるんだろ。もしかしてお金持ちだったりするのかな。
ちょっと興味がわいた私は、質問してみた。
「ねえ、安本くんのお家ってもしかしてお金持ち?」
「そんなことねーよ。無駄に広いけどな」
そして「ああ、それと」と付け加えた安本くんは、
「夜中に鐘の音うるさいかもしれねえけど、それでもいい?」
とみんなの顔を見渡す。鐘の音? 頭の上にクエスチョンマークを浮かべる私たちに、彼は面倒そうに言い放った。
「――俺ん家、寺なんだよね」
*
十二月二十五日、クリスマス。私はキッチンで忙しなく動き回っていた。
「お母さん、これ温めとくよー」
「はいはい、お願いね」
結局、この日は家族で過ごすことになった。仕事で遅くなるだろうと思っていたけど、お母さんは早く帰ってきてくれて。お父さんもちょっと遅くなるけど、いつもよりは早めに切り上げてくれるみたいで。
本当はちょっと寂しかったから、嬉しい。
「ただいま」
「あ、おかえり! 早かったね!」
玄関からお父さんの声がして、私はぱたぱたと駆け寄った。鞄を持つ反対の手には白い箱。たぶんケーキかな。
「これ、美湖の好きな店で買ってきたから。いっぱい食えよ」
「えっ、やったあ! お母さん、お父さんがケーキ買ってきてくれた!」
キッチンから「良かったわねー」と間延びした声が届く。ふっふっふ、もう今日はカロリーとかどうでもいいや。
そして三人揃ってテーブルにつき、お父さんとお母さんはグラスにワインを注いだ。私はシャンメリーですけどね! いいな、早く大人になりたいな!
「じゃ、食べよっか。いただきます」
こうやって食べるの久しぶりだな。手を合わせながらそんなことを思う。
熱々のグラタンと格闘していると、お母さんが唐突に訊いてきた。
「そういえばこの前、友達の家でご飯ご馳走になったんだって?」
危うく口から柔らかい物体が出てきそうになり、慌てて飲み込む。ええ、そうですとも。友達です。嘘じゃないです。
「そう。同好会で一緒なの」
「へえ、でも咲ちゃんじゃないのよね?」
咲は何度か家に遊びに来たことがあるから、お母さんも知ってる。これはちょっと怪しい雲行きになってきた。
「まあ、うん。そうだね」
「女の子?」
やばい。何かちょっとやばい。ここで男の子って言ったら絶対気まずい感じになる。
「や、その……女の子かな?」
何で疑問形なんだよ私! 自分自身に怒りつつ、お母さんの反応をうかがう。しかし口を挟んだのはお父さんだった。
「別に隠さなくてもいいんだぞ。男なのか?」
ぎく、と肩を強ばらせた私に、お母さんが「あらぁ」と口を押さえる。やめて。その反応やめて。
「……ゴメンナサイ男の子デス」
こういう時は大人しく白状するに限る。かなりカタコトになったけど。うん、気にしない気にしない。
「もー、そういうことなら早く言ってよー。お母さん何も挨拶してないじゃない」
「違っ……! そういうんじゃないから!」
断じて怪しい関係ではありません! いやまあ、そりゃそうなりたいなあという一方的な願望はあるけど。
それから誤解を解くのに時間がかかり、ご飯を食べ終わる頃にはすっかり気力を消耗していた。
自分の部屋に戻り、何気なく携帯を見る。――と、着信があったらしい。
「えっ……中原!?」
どうしたんだろう。電話かけてくるなんて、よっぽど何かあったのかな。とりあえずかけ直してみることにした。
「――もしもし」
三コール目で出た中原。いつもより近くで聴こえるそれに緊張しつつ、私は声を出した。
「あ、もしもし……あの」
私の言いたいことが分かったのだろう。中原は「ああ」と思いついたようにつぶやき、「悪いな、わざわざかけ直させて」と謝った。
「こないだ、映画行くって言ったろ。いつがいい?」
どきん、と心臓が跳ねる。何か……カップルの会話みたいだ。
「え、と……私はいつでも大丈夫だけど」
そうか、と声が返ってくる。低くて心地よい声。私の好きな声。
「どっちにしろ、年明けてからだな。……休み明けになるかもしれない」
「ん、そっか……じゃあそれまで会えないね」
早く会いたいな、とか思ったら怒られるかな。付き合ってるわけでもないのに。だめかな。中原からの返事がないから、急に不安になる。
「中原?」
「……お前、それ無意識なのか?」
無意識? 何が? 何か変なこと言ったっけか、私……
「前にも言ったろ。……そういうこと他のやつにも言ってんのかって」
「そういうことってどういうこと?」
「……いや、やっぱいい」
何だそれ。今日の中原はよく分からない。会話が途切れても電話は切れる予感がないから、私は訊いた。
「電話したのって、これだけ?」
別にこれだけならメールでも済ませられそうだけど。まあ私は電話できて嬉しいからいいけどさ。
「……これだけじゃ、だめなのか」
すねたような声が向こうから聞こえて、何だかキュンとする。
「だめじゃないよ? 私は嬉しいよ。中原と電話でき……」
おっと私は何を言ってるんだ!? ぎりぎりのところでとめたはいいものの、かなり際どい。
「……聞きたかったんだよ」
突然中原がそう言うから、「え?」と聞き返す。
「――お前の声が、聞きたかったんだよ」
紛れもなく彼の声で紡がれた言葉。耳元で囁かれているような感覚に陥った。
「え、な……何言って、」
「いま何してる」
「え? 部屋でゴロゴロしてたけど……」
「外、見れるか。雪降ってる」
窓の近くまで行ってカーテンを開ける。そこには確かに、ふわりふわりと白い羽が空から舞い降りていた。
「ほんとだ……綺麗……」
「こっちも降ってる。……綺麗だ」
綺麗だ。――それが自分に言われているような錯覚。
今この瞬間、私と中原は同じ景色を見ていて、同じ感覚を共有している。それがすごくすごく、嬉しくて。胸の奥がどうしようもなく疼いて。
「――月、綺麗だな」
中原がそう言うから、私は藍色の空に浮かぶそれを見つけて、「そうだね」って返した。




