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第3話 学年三位はプレイボーイ

「おはよー!」

 教室に入ってきて開口一番、私は元気いっぱいに咲に挨拶。

「おはよう美湖、今日は元気ね」

 うんうん、だって昨日の夕飯がオムライスだったからね!

 咲は読んでいた本をぱたんと閉じると、「そういえば今日、英語の小テストあるけど……」と言い放った。――オーマイガー。小テスト忘れてたぁぁぁ!

「咲っ! 単語帳貸して!」

「えー嫌よ、私だって勉強したいし」

 つ、冷たい! 咲さん冷たいです! こうなったら誰かに借りるしかない。

「大垣くん! 単語帳貸して!」

「え、美湖ちゃん?」

 おはようより先に言うことじゃないかもしれないけど、でもやっぱり単語帳貸してください!

 すると大垣くんは「うーん」と眉を八の字にして、あくまでも優しい口調で言った。

「ごめんね、俺も勉強したいから……」

 ですよねー。まあ普通はそうですよねー。しょんぼりと肩を落とすと、大垣くんは「あ、そうだ」と何か思いついたように人差し指を立てた。

「聡に借りれば?」

 う、と言葉を詰まらせた私に、

「昨日で仲直りしたでしょ?」

 と大垣くんが追い打ちをかける。いやあれは仲直りっていうか仕方なくっていうか。

「……中原って何組だっけ」

 ぶっきらぼうにそう訊いた私は、たぶん素直じゃない。

「五組だよ」

 行っておいで、とでも言うように微笑んだ大垣くんに「ありがとう」とお礼を言って、私は教室を出た。

 にしても、いきなり単語帳貸してって言うのはどうなのか。正直そこまで仲がいいわけじゃないし、昨日だってあれは流れ的にしょうがないというか……

 心の中でぶつぶつ文句を並べながら、五組の教室まで向かう。普通に、ナチュラルに。別にやましいこと言いに来たわけじゃないんだから。

 なぜか緊張し始めた自分自身にそう言い聞かせながら、五組の教室の前で中原を探した。

 あ、いた。窓側の一番後ろの席で本を読んでいる中原。

 気づくかなー。おーい。精一杯背伸びしてアピールしてみる。

 それでも一向に気づく気配がないので、いい加減いらついてきた。

「おーい、中原ー。おーい」

 小さめの声で呼ぶと、肩をびくっと震わせて中原がこちらを向いた。そして「なんだお前か」というような顔でため息をつく。

「……用件は」

 私のところまで来た中原が短く問う。

「え、ええっとですね。今日英語の小テストがあって……単語帳を貸していただけないかなーと……」

「却下」

「なぜ!?」

 少なくとも同じ時間に小テストがあるわけではないだろう。貸してくれたっていいのに、けちなやつ。

「お前に貸すと一生返ってこない気がする」

「し、失礼な! 借りたものくらい返すわ!」

「じゃあ証明してみせろ」

 え? どういう意味? 目をぱちくりする私に、中原は単語帳を突き出した。

「今日中に返せよ」

 驚いて思わず中原を見上げると、彼は目を逸らして「早くしろ」と単語帳を押し付けてくる。

「あ、ありがとう!」

 まさか本当に貸してくれるとは思わなかった。感謝しつつ受け取る。

「じゃな」

 相変わらず素っ気なかったが、それにはもう慣れた。これが彼の素なのだ。

「ありがと!」

 自分でもよく分からないうちに、自然と笑顔がこぼれる。

「早く行け、バカ」

「バカ言うな!」

 その会話を最後にお互い背を向けて歩き出す。私は教室に戻る時間がもどかしくて走った。

 何か今日の小テストいける気がする!

「あら美湖、おかえり。貸してもらえた?」

 私が戻ってくるやいなや、咲が訊いてくる。手を持っていた単語帳を掲げてみせると、「おおー」と拍手する咲。

「あ、美湖ちゃん。良かったね、貸してもらえたんだ?」

 大垣くんも言いつつ微笑む。ああ、良かった。これで追試は免れる。

「ま、美湖なら五分もあれば覚えられるでしょ。暗記得意だもんね?」

「ふふ、任せて!」

 苦手な部分はほとんど暗記でカバーしてきた私。暗記は得意ですよ! どーんと来い!

「しかも英語だし! 余裕余裕!」

 私の得意教科は英語。テストでは教科別で学年内の最高得点が掲示される。まあもちろん英語の一位は私でしたけどね!

「暗記できる人っていいよなあ。俺にもその能力わけてよ」

「大垣くんは国語得意でしょ。文章力あっていいじゃん」

 そう、国語の一位は大垣くん。文系男子ナンバーワン!

「さーて、覚えよっと」

 意識を単語帳の方に戻し、暗記を始めた。英語は一時間目。あと五分。


 キーンコーンカーンコーン。

 一時間目終了のチャイムが鳴り響き、私はがばっと後ろを振り返った。

「咲!」

 後ろの席にいる咲に小テストを見せる。

「あー、うん。満点おめでとう」

「冷たっ!? 祝福の言葉冷たっ!?」

「えー! やったじゃん美湖ー! 良かったねー!」

 いやそんなあからさまに態度変えられても。はあ、とため息をついてから立ち上がる。

「私、中原に単語帳返してくるね」

「はーい、行っといでー」

 と教室のドアに視線を移した時。

「え!? 中原!?」

 え、何これ幻覚? ドアにもたれかかってこっちを見ている中原に、私は急いで駆け寄る。

「もしかして、わざわざ来てくれたの!?」

「……は?」

 思いっきり睨まれました。え、なぜだろう。私何か間違ったこと言ったかな。

「単語帳、早く返せ。次の時間英語なんだよ」

 あ、そういうことか。何だか勘違いしてしまった自分が恥ずかしい。そうだよね、こんなやつに優しさ期待する方がおかしいよね!

「はいはい、どーもありがとうございました」

 ぽん、と中原の手のひらに単語帳を置く。返事は特に求めてなかったものの、中原は何も言わずに受け取った。それにちょっとだけいらっとくる。

「何、何か文句でもあるわけ?」

「別に」

 じゃあそんな不機嫌そうな顔すんなや! 内心激しく反抗するが、それ以上言ったら口論になりそうなのでやめておいた。

「じゃあね!」

 一方的に話を切り上げて自分の席に戻る。そこではたと気づいた。

 チャイム鳴ってすぐ来たってことはあいつ、だいぶ走ったんじゃない? かなり慌ててたんじゃない?

 いつも無表情な彼のそんな姿を想像するだけで何だか笑えた。やっば、おもしろ。

 今度会った時にからかってやろうっと。

 そしてその「今度」は、思ったよりも早く訪れた。


 放課後、図書室に向かう途中で肩を叩かれた。振り返ると大垣くん。

「美湖ちゃん、図書室行くの? 俺も一緒にいい?」

「いいよ!」

 二人で並んで歩き始める。すると大垣くんはとんでもないことを言い放った。

「咲ちゃんから聞いた話によると、毎日図書室に通って王子様捜しをしているそうですが」

「のおぉぉっ!?」

 すごい声を上げてしまったことに後悔するも、今はそれどころではない。

 咲のやつ、言いやがったな! あれだけ誰にも言うなって言ったのに!

「あは、ごめんね。俺が勝手に聞き出したんだ。だから咲ちゃんを責めないで?」

「う、まあ……別にいいけど」

 よくもないけど。ていうか何で大垣くんがそんなこと聞き出したんだろう。

「もし良かったらさ、俺に協力させてくれない?」

「え?」

「王子様に会いたいんでしょ?」

 い、いいの? 目で訴えかけた私に、大垣くんは人のいい笑顔で頷く。

「だって美湖ちゃん、何か応援したくなるんだもん」

「えーっ、ありがとう! 本当に大垣くんいい人だね!」

 嬉しくて大垣くんを見上げると、ぱっと目を逸らされた。――あ、あれ?

 私、何か嫌なこと言っちゃったかな。胸にちくりと痛みが走る。

「大垣くん? えっと、ごめんね?」

 普段はすごく優しい人なのに。何で目も合わせてくれないんだろう。

「あ、いやごめん。気にしないで……」

 弱々しく言った大垣くんの目が泳いでいる。

「本当に? 私何もしてない?」

「だ、大丈夫! 美湖ちゃんは全然!」

 良かった。ほっと胸をなでおろすと、図書室の前に着いた。

「さて、王子様はいるかな?」

 からかいモードに変わった大垣くんがそう訊いてくるので、私は「知りません!」と意地を張った。

「せっかく図書室来たし、勉強してから帰らない?」

「そうだね」

 大垣くんの提案に頷いて、勉強コーナーまで進む。ちょうど二人分席があいていたので、二人で隣に座った。

「美湖ちゃん英語得意って言ってたよね? 今日の授業のとこ、微妙に分かりづらくてさ。ちょっと教えてくれない?」

「あ、いいよ! 確かに今日の助動詞は複雑だったよね」

「そうそう、語順とかごっちゃになっちゃってさ……」

 そんな話をしながらも私は周囲に視線を向けていた。頭では分かっていても、自然と体はあの日の彼を捜している。――もう一度会いたい。

「美湖ちゃん?」

 呼びかけられて、我に返った。

「あのさ、俺……いいこと思いついたんだ」

「いいこと?」

 首を傾げた私に、大垣くんは続ける。

「俺らで勉強同好会、つくらない?」

 勉強同好会。それは部活のような存在である。超難関校の朝ヶ谷高校は、そもそも部活が存在しない。

 それに不満を持った生徒達が署名活動を行った結果、勉強同好会ならいいと許しをもらったそうだ。

 そうして誕生した勉強同好会だったが、参加希望者が多すぎて後に分裂。今では書類さえ出せば、誰とでも勉強同好会を作っていいことになっている。

「おおー、いいね! じゃあ咲も誘って……」

「だーめ。俺と」

 突然甘えるような声を出した大垣くんにびっくりした。

「……大垣くん?」

「美湖ちゃん。俺、英語苦手なんだ。つきっきりで教えて?」

「え、でも」

「美湖ちゃんは国語苦手だよね? 俺が分かるまで教えてあげるよ?」

 待って待って。どうしちゃったの大垣くん!?

 ね? と再確認のように顔を覗き込まれて、私は思わず俯いた。うう、私こういうの慣れてないんだよー!

 はっきり言おう。大垣くんはイケメンだ。

 中原がクールだとするなら、大垣くんは人のいい笑顔でたくさんの女の子を虜にしてしまうようなプレイボーイ。そりゃ女の子の扱いにも慣れてるだろうし、手を握る程度なら何とも思わないような感じなんだろう。

 でも私は! 中学時代は常に地味で勉強しか取り柄がなかった。初恋だってまだなのに。

 こんなに近いだけでものぼせちゃうくらい、免疫がないんです!

「わ、分かった! 分かったから落ち着こう!?」

 ぐいっと大垣くんの肩を押し戻し、深呼吸をした私。

「やったー! じゃあ早速、書類取りに行ってくる!」

「う、うん……よろしく」

 へなへなと机に突っ伏したのも束の間。大垣くんは私の耳元に口を寄せ、

「美湖ちゃん、顔赤いよ?」

「なっ!?」

 あんたのせいだ! この無自覚プレイボーイがっ! きっと睨んだ私に大垣くんはなぜか困ったような笑みを浮かべた。

「参ったな……そんな顔しないでよ」

「え、ごめん。本気で怒ったわけじゃなくて……」

 あなたがプレイボーイすぎてちょっと怒りたくなっただけなんです。

「いや、そうじゃなくて……そんな顔されたら俺、」

 そこで言葉を切ってもごもごとつぶやく大垣くんに、私は「書類取りに行くんじゃないの?」と訊いた。

「あ、うん。行ってくる!」

 焦ったように走り出した大垣くんの後ろ姿を見ながら、なんだかなぁと思う。

 それにしても今日の大垣くんは何だかワケありっぽい。何だろう、どうしたんだろう。

 一生懸命考えた結果、二つの仮説が浮上した。

 仮説その一。大垣くんは咲が好きなのではないか? だから私と勉強するということを口実に、咲のことを協力してもらおう、的な。

 仮説その二。やっぱり大垣くんは私に対して怒っているのではないか? さっき目を逸らされたし、その理由をはぐらかされたけど、やっぱり私が何か変なこと言ったのかもしれない。

 だからその仕返しに、「俺に勉強教えることくらいしてくれるよなぁ?」的な。いや待て。大垣くんのキャラ変わってないか。

「美湖ちゃん!」

 いつの間にか大垣くんが帰ってきていたらしく、顔を上げると至近距離で彼と目が合った。

「うわっ」

 思わずのけぞった私に、大垣くんが眉を下げる。

「そんなに俺のこと嫌い?」

「え? 何で? そんなわけないよ」

「本当に?」

 しょんぼりとした様子に、私は「本当だってば!」と返す。

「大垣くんのこと嫌いになるわけないでしょ?」

「じゃあ俺のこと好き?」

「うん、好きだよ」

 そう言った途端に、大垣くんの顔がぱあっと明るくなった。何か、分かりやすい子犬みたいだなあ。

「良かった。俺さ、思うんだ。俺と美湖ちゃんだったら、最高のパートナーになれるって!」

 ……はい?

「だからさ、俺と――」

「ちょっと待った!」

 ストップ! それ以上はちょっと待った! いきなり遮られて驚く大垣くんに、私はまくしたてる。

「あー、えっと。何か誤解を与えてたら困るから一応言うね? 私が大垣くんのこと好きって言ったのは恋愛感情じゃなくて……」

「美湖ちゃん、何言ってるの?」

「へ?」

「俺が言ったのは、学年二位の美湖ちゃんと三位の俺だったら、最強の勉強同好会だねっていう意味!」

 ……あー、うん。ですよね。やっぱり私だめだ。どうしてすぐ勘違いしてしまうのか。

 そんな私に、大垣くんはくすくすと笑い出す。

「ふは、ごめん! ちょっと美湖ちゃんをからかいたくなっちゃっただけ!」

「な! 何それひどい!」

「ごめんって!」

 でもだめだよ? とすぐに真剣な表情に戻った大垣くんが言う。

「好きじゃない男に好きなんて言ったら。本気で勘違いするやつ出てくるから」

 はい、重々気をつけます……。すっかり元気をなくした私は、あることを思いつく。

「そうだ、大垣くん!」

「ん?」

「中原も誘わない!?」

 だって学年二位と三位がいるのに、一位がいないのはおかしいでしょ! 私としてはいい案だと思う。

 すると大垣くんも同じことを思っていたらしく、「もちろん」と頷いた。

「最初からそのつもりだよ。学年トップ3が集まったら最強だしね」

 じゃあさっきのは本当にからかってたんですね……と落ち込んだ。こんな簡単に騙されるなんて、不覚!

「たぶん聡は二階にいると思うんだけどな」

「え、どうして分かるの?」

「だってあいつ、毎日そこにいるんだもん」

 そうなんだ、と内心意外だった。図書室の二階には主に小説の類が置いてある。勉強目的で来る人たちは一階に置いてある参考書などを借りるので、二階に行く人は少ない。

 それにしても、中原って小説とか読むんだ。

「じゃあ私、行ってくる!」

 立ち上がって二階へ向かう途中、かすかなデジャブを覚えた。太陽の光が眩しくて、目を思いきり開けられない。

「あ、中原」

 本を立ちながら読んでいるその姿を見つけたはいいものの、眩しくて直視できなかった。――あれ、何だろこれ。前にもあったような。

 焦れったくて一歩近づく。一歩、もう一歩。

「あ……」

 どくん、と心臓が大きく音を立てる。

 太陽の光の先。本を見つめたままの中原は、ふわりと笑った。

 やだ、何でそんな顔で笑うの。どうしてそんな優しい顔で。

 彼が読んでいるのはどんな話なんだろう。ポーカーフェイスな彼が思わず笑ってしまうほど。

「……中原」

 努めて小声にしたつもりが、驚かせてしまったらしい。中原はぎくりと肩をこわばらせてこちらを振り返った。

「何だよ」

「あー……ごめん、読書の邪魔して」

 これは純粋にそう思ったので、素直に謝る。すると中原は気まずそうに言った。

「何か用か」

「あ、あのさ。提案、なんだけど」

 言葉がうまくでてこない。嫌味の言い合いならポンポンできるのに。

「一緒に勉強同好会、つくらない?」

 中原が口を開きかけたのが分かったので、「あ、いやその」と慌てて付け足す。このままじゃ普通に断られて終わりだ。

「大垣くんが言ってたの! 学年トップ3で組んだら、最強だよねーって……」

 大垣くん、というワードが出てきた途端、中原はふっと目元を緩めた。やっぱり幼なじみがいれば警戒心は解けるんだろう。

「だ、だめ? かな?」

 これで断られたら潔く諦めよう。そう思いつつ中原の返事を待つ。

「分かった」

 え? あまりにもあっさりと承諾されたので拍子抜けする。

「本当?」

「ああ」

 良かった! やっぱり大垣くんと仲いいんだ! 安堵して息を吐くと、後ろから足音が聞こえた。

「ありがとう聡。聡ならいいって言ってくれると思ってたよ」

 大垣くんの声がして、私の肩に手が置かれる。

「良かったね、美湖ちゃん。これから三人で仲良くしよう」

 にっこりと嬉しそうに微笑む大垣くんを見て、私も笑顔になった。

「うん、もちろん!」

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