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第28話 優しさブランケット

「はいっ、美湖ちゃんの番ー!」

 弾んだ結衣ちゃんの声に、私も「はーいっ」と元気よく答えた。

 ――所は中原宅。初めて来る彼の家に緊張しつつ、私はその敷居をまたいだ。

 結衣ちゃんがいるからか、カラフルな家具が多いリビング。それでもすっきりして見えるのは、きちんと整理整頓されているからだ。

「お前、ミルクティー好きだったよな?」

 先ほどそう訊いてきた中原は、今はキッチンにいる。きっとお茶をいれてくれているんだろう。その証拠にリビングにはほんのりと甘い匂いが充満していた。

 ……私の好きなもの、覚えてくれてるんだなあ。そう思ってちょっときゅんとしちゃったのは内緒だけど。

 結衣ちゃんに早く早く、と急かされて、私は小さなおもちゃのピアノに右手を乗せた。何でも、今日は保育園で歌を歌ったらしい。カエルの歌の輪唱をみんなでやったんだって。

「かーえーるーのーうーたーがー」

「かーえーるーのーうーたーがー」

「きーこーえーてーくーるーよー」

「きーこーえーてーくーるーよー」

 私がピアノを弾きながら歌うと、追っかけで繰り返す結衣ちゃん。ちなみにさっきは逆でやった。

「結衣、菊地も。お茶はいったからちょっと休め」

 中原がお盆を持って側のテーブルに向かう。あ、ミルクティーだ。いい匂いするー。

「えー、もうちょっとー」

 結衣ちゃんがそう言い出し、次はドレミの歌を歌うことになった。

「結衣ちゃん、ドレミの歌弾けるの?」

「結衣は弾けないのっ。美湖ちゃん弾いてっ」

 んー、私は別にそれでもいいんだけど。カエルの歌を弾けるんだったら、ドレミの歌も弾けるんじゃないかな。

「じゃあ結衣ちゃん、私が教えてあげるね」

 ちょいちょい、と手招きをして結衣ちゃんを呼ぶ。隣にぴったりくっついて座ったのを確認して、私はピアノを弾き始めた。

「ドーレミードミードーミー。はい、真似してねー」

「ドーレミードミードーミー」

「そうそう! レーミファファミレファー」

 さすが四歳児。吸収が早い早い。そこから何だかんだ二十分練習して、結衣ちゃんはドレミの歌をマスターした。

「お兄ちゃん! 結衣、ドレミの歌弾けるようになったー!」

「良かったな」

「美湖ちゃん美湖ちゃんっ。もっかい弾くから聴いててねっ」

 今日何度目かのドレミの歌。嬉しそうに、楽しそうに、結衣ちゃんの右手は鍵盤の上を動く。まだ拙さは残るけれど、それがかえって愛おしい。私は頷きながら、穏やかな気持ちで見守った。

 ――はずだったんだ、うん。

 気づいた時には目の前に目を閉じた結衣ちゃんがいて。自分の体も床に寝そべっていて。どうやらいつの間にか寝てしまったらしい。

 眠たい目で確認すると、私と結衣ちゃんにブランケットがかけられていた。中原がかけてくれたのかな。

「だから、あいつはそんなんじゃないって言ってんだろ」

 ふと、中原の声がリビングより奥の部屋から聞こえてくる。

「素直になりなよー。いいじゃん、可愛い子だったね?」

「……それは、そうだけど」

「うわっ、聡がデレたー!」

「ばっ……そんなんじゃねえ! つか声デカい!」

 誰かと話してるのかな? 私はゆっくり起き上がると、結衣ちゃんにブランケットをかけ直した。その頭を起こさないように、優しくぽふりと撫でる。

「……あ、」

 ガチャリと開いたドアから顔を覗かせたのは、中原と若い女の人だった。私はと言えば、にやにやしながら結衣ちゃんの頭を撫でているところを見られてしまったわけで。

「起きてたんだねー。おはよう、聡の彼女さん」

「おい! 姉さん!」

 お姉さんだったんだ! 私は今一度姿勢を正して、彼女の顔を見た。

 中原と同じで整った顔立ちだ。唇が少しぽってりしてるところや、髪の毛先が軽くカールしているところはお姉さんだけの特徴かもしれない。

「いえ……彼女、ではないんですけど……」

 とりあえず否定しておくと、お姉さんは「あーあ、フラれちゃったね聡」と中原に憐れむような視線を送った。

「あのな……」

 中原は目に見えてイラついている。そりゃあ私みたいなやつと付き合っているって言われたら腹も立つだろう。

「結衣の面倒みてくれたんだってね? ありがとう」

 にっこりと微笑んでそう言うお姉さんに、私は「とんでもないです!」と手を振った。

「結衣ちゃんとってもいい子で可愛くて……素直だし、元気だし、お行儀も良くて」

 つらつらと並べるうちに、とまらなくなった。

「ほんとにほんとに可愛いんです! 私のこと美湖ちゃん美湖ちゃんって呼んでくれて! にこって笑ってくれるのがもう……!」

 たまりません、とまで言おうとした時、お姉さんが思わずといった様子で吹き出した。

「ふは……ごめ、笑うつもりじゃなかったんだけど」

 な、なぜに笑われたのでしょう!? 首を傾げていると、突然抱きつかれた。

「あーもう、可愛いなあ美湖ちゃん! そんなに結衣のこと可愛がってくれたんだねっ」

 よしよし、と頭まで撫でられて困惑する。可愛いのは結衣ちゃんであって、私じゃないはずなんだけども……

「姉さん、よせ。菊地が困ってるだろ」

「えーいいじゃん少しくらい。何、ヤキモチ?」

「……そろそろキレるぞ」

 このままだと本当に中原がキレそうだった。危険を察知したのか、お姉さんも渋々といった様子で私から離れる。

「菊地、門限大丈夫か? もう六時だけど」

 そう訊かれて時計を見ると、確かに針は六時を指していた。

「あ、すみません……こんな時間までお邪魔して」

 もうそろそろ帰らなきゃ。きっと夕ご飯の支度とかもあるんだろうし。

 腰をあげようとした時、結衣ちゃんが目を覚ました。

「んー、……あれ? おねえちゃん?」

 寝起きも可愛い……などと考えている場合ではない。お姉さんは「ただいまー」と笑った。

「結衣ちゃん、おはよう。私はそろそろ帰るね。またドレミの歌、一緒に歌おう!」

「えっ、美湖ちゃん帰っちゃうの!?」

 そんなあからさまにがっくりされると、胸が痛む。か、可愛いけど……これ以上いたらお邪魔だ!

「結衣。菊地もやることあるんだから、もうだめだよ」

 お兄ちゃんな中原が結衣ちゃんに言い聞かせる。するとお姉さんが唐突に訊いた。

「美湖ちゃん、門限何時まで? 送ろうか?」

「あ、お構いなく! 大丈夫です!」

「そんなこと言わずにさー。あ、ていうかご飯食べていかない? 今日はうちのお母さん残業で遅いだろうし」

 それは色々と申し訳ないんですが! 私は断固として首を振る。

「いえいえいえ! 本当に申し訳ないので!」

 しかし結衣ちゃんが私の制服の裾を、ついついと引っ張った。

「美湖ちゃん、一緒に食べよ?」

 ――だめだ。いま私、恋に落ちた。どうしてこの子はこんなに可愛いのかなあ! もうそんなこと言われたら帰れなくなっちゃう……ってだめだ!

 揺れに揺れる私に、中原はぽつりとこぼす。

「……食ってけよ」

「え?」

「一緒に食うぞ。結衣もそうしたいんだろ」

 その言葉に、声を上げたのは結衣ちゃんだった。「やったあ!」と喜び、私にぎゅーっと抱きつく。

「美湖ちゃんと一緒! 美湖ちゃんと一緒!」

 あああ可愛いどうしよう、これはもはやキュン死レベル!

「すみません、ありがとうございます……」

 深々と頭を下げると、「いいのいいの」とお姉さん。顔を上げた私に、さらにこう言った。

「結衣が懐いてるんだもん、美湖ちゃんは本当にいい子なんだね」

「当たり前だろ。こいつは……」

 とそこまで言った中原は、慌てて口を押さえた。そんな彼にお姉さんがにやにやと近寄る。

「あれれー? いま何て言おうとしたのかなー?」

「うるさい!」

 微笑ましい会話を聞きながら、私は胸の奥がじんわりと温かいのを感じていた。


 三十分後。

 目の前に並べられる料理に、私は「すごい……」とつぶやき、隣の結衣ちゃんを見やった。

「これね、舞衣まいおねえちゃんが全部つくったのー!」

 お姉さんの名前を今さら知った。へえ、舞衣さんと結衣ちゃんなんだ! やっぱり姉妹な感じだなあ。

「ふふ、結衣の好きなハンバーグだよー。美湖ちゃんも遠慮しないで食べてね」

「ありがとうございます!」

 本当に美味しそう。きっと結衣ちゃんのことを考えて、余計なものは一切入っていない。

「じゃ、いただきまーす」

 みんなで手を合わせて食事の合図。何だかこんなに賑やかな食卓は久しぶりだ。

 ハンバーグを口を入れると、いつも家で食べるものとは違う味。それでも素朴で温かくて愛おしくて、それだけでとても嬉しかった。

「美湖ちゃん、どうかした?」

 一口食べて固まる私に、お姉さんは不安げに眉根を寄せた。

「あ、もしかしてお口に合わなかった!? そうだよね、私あんまり料理上手じゃなくて……!」

 あわあわと慌てるお姉さんに、中原が冷静に「ひっくり返すから落ち着け」と忠告した。

「あ、ち、違うんです。とってもおいしいです!」

 あったかくて、心がじんわり満たされる。こんなに大勢で食べるのは……初めてだったから。

「本当に……とっても、おいしっ……」

 無性に泣きたくなって。それを堪えようとしたら声が震えた。

「……すいませんっ、私、お手洗いっ……」

 それ以上は、誰も何も言わなかった。ただ走ってトイレに駆け込む私の足音だけが響く。

 ぱたん、とドアを閉めた途端に、隠しようもない感情が溢れた。

 ――いいなあって。羨ましいなあって。あんなに賑やかで楽しそうな食事は、きっとこの家では当たり前のように行われてきたんだろう。

「……おいし、かったな」

 私が作ったものよりずっと。一人で食べるハンバーグよりずっと。すごくすごく、愛おしかった。


「お邪魔しました」

 玄関の前。私は頭を下げて丁寧に挨拶する。

「あの……舞衣さんの料理、本当においしかったです。ごちそうさまでした」

「やだ、やめてよ。そんなこと言われるほどのもんじゃないから」

 照れたように頭を掻く舞衣さんに、私はもう一度、頭を下げた。

「今日は本当にありがとうございました!」

 そしてくるっと回れ右をして家路につく。しかし後ろから舞衣さんの声が、確かに聞こえた。

「またいつでもおいで!」

「……はい!」

 振り返って大きく頷く。するとここまで走ってきた中原が、

「送ってく」

 と、いつもより無愛想な声で言った。

「え、いいよ! もう遅いから危ないよ!」

「アホ。だったら余計に送らせろ」

 軽く頭を小突かれて、私は「ありがとう」と笑った。さっさと歩き出した彼の背中についていく。

「……さっき、どうしたんだって……訊いてもいいか」

 恐る恐るといった様子で口に出した中原に、私は静かに頷いた。別に隠すことではない。隠したくもないと思った。

「私のお父さん、いつも出張で家にいないんだ」

 とりあえずそう切り出すと、「へえ」と素っ気ない返事が返ってくる。きっと彼なりに気を使っているんだろう。

「だから家にはお母さんと私の二人だけ。お母さんも週に三日働いてるから、実際一人の時が多いんだけど」

「そうなのか」

「うん。でも私はそれを嫌だって思ったことはないよ。二人とも家族のために働いてるから」

 お父さんもお母さんも、私にちゃんと愛情を持って育ててくれた。私が寂しいと言った時には、頭を撫でて一緒にいてくれた。

 嫌じゃないんだ。ただ、時々無性に泣きたくなるだけ。願わくば、その隣に温かい誰かがいてくれたらと思うけれど。

「懐かしいなーって思ったの。あんな感じにご飯食べるの、すっごい久しぶりだった」

 今の現状に不満を持っているわけじゃない。仕方ないし、どうしようもないことだから、何とも思わない。

「うん、だから本当に全然大丈夫なの。泣いちゃったのは不可抗力というか、」

 突然だった。ふわりと爽やかな香りが鼻をかすめたと思えば、私は温もりに包まれていた。

「……俺じゃ、だめか」

 背中に回された腕が、ひどく熱い。私の心臓の音も、どくどくと大きくなっていく。

「俺がお前のそばにいる。泣きたくなったら、いつでも」

 ああ、こうして助けられたのは、何度目だろうね。いつだって君は温もりをくれて、優しい言葉で安心させてくれた。

「……やっぱ、お前の意思はどうでもいい。嫌だって言われてもそばにいる」

「え、ちょっとそれは……」

 何か色々と誤解を生む発言、いただきました! 無自覚でそんなこと言えるの、ある意味才能だと思う……

「ん」

 すっと体を離され、代わりに差し出された手のひら。いまこの人、んって言った!

「可愛い……」

「…………何が?」

「いえ、何でもっ」

 いいのかな。もっと近づいていい? その心の中に、踏み込んでもいいですか?

 そっと握った手に力を込める。不思議と、恥ずかしくはなかった。

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