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第22話 恋わずらい

「えーっ、何それ!? だましてたの!?」

 夏休み明けの教室。目の前でにっこり微笑む咲に、私は思わず声を上げた。

「だましてたなんて人聞きの悪いこと言わないでよ。ちょっとした親切心でしょうが」

 むす、と効果音が聞き取れそうなくらい大げさに顔を歪めた咲。私はといえば、もちろんそんなの親切ではない。

「いいじゃん、せっかく二人きりでデートできたんだから。むしろこっちとしては感謝してほしいくらいよ」

「そのデートって単語禁止! ダメ、絶対!」

 軽くデジャヴを覚えつつも、私は精一杯抗議した。

 花火大会の日、私と中原以外が全員ドタキャンというありえないハプニングは、やっぱり意図的なものだった。言い出しっぺは大垣くんで、他のみんなはあっさりとその提案に乗ったらしい。

「せめて私には言ってくれても良かったじゃん!」

 帰った後も咲に何回か電話かけたのに出てくれないし。

「あれれ、中原くんは知ってたわよ?」

「はい!? 何で!?」

 ひどいよ! 私だけ仲間はずれじゃん! 思い切り睨んだ私を、咲がおかしそうに眺める。

「それは本人に聞いたら? まあ教えてくれるかは保証できないけど」

 中原は知ってたの? 知ってて私と一緒に花火見てくれたの? じゃあそれはつまり――私のこと、嫌いではないってことだよね?

 どうしようもなく頬が緩むのを自覚しつつ、私は気になっていたことを口にする。

「でも元々は咲と花火見ようって言ったのに……何かごめんね」

「大丈夫よ、私も花火大会行ったし」

「え!?」

 私たちを放っておいて!? そんな薄情な! しかしふと思う。……誰と行ったんだろう?

「ね、咲。もしかして好きな人いるの?」

「はあ? 何よいきなり」

 遠慮なく顔をしかめた咲は、「ああ」と何かを察したように頷いた。

「言っとくけど、別に好きな人と花火見たわけじゃないから。大垣くんたちと行ったのよ」

「え――――!? 何それ何それ! ずるい!」

 私もみんなとわいわいしたかったー! 咲の浴衣姿見たかったー!

「割と美湖たちの近くにいたんだけど、気づかなかった?」

「そうなの? 全然分かんなかったよ」

「ま、あんだけイチャイチャしてたらねえ」

「してないし!? ていうか見てたんかい!」

 そういうの世間ではストーカーと言うんですよ! 知ってますか!? まあ知ってますよねあなたなら!

 いや、待て。見られてたってことは……あんなことやこんなことも知られてるんじゃないだろうか。

 すると案の定、咲がにやにやと私を見つめた。

「ずっと手つないでたもんね?」

「あああ言わないでえっ!」

「『中原って好きな人いるの?』……きゃっ、訊いちゃったあ~」

「いやあああああ! 待ってごめんなさい本当に勘弁して!?」

 どこまで聞いてたの!? 怖い、怖いよこの子! ぐったりと机に突っ伏した私に、咲はとどめの一言を投げかける。

「美湖って中原くんのこと、好きだったんだねー」

 そうですよ、もう何とでも言ってください。否定はしませんよ、ええ。

 確かに今までは何だかんだではっきりとは言ってこなかった。私だけの秘密にしておこうって思ってたんだけども。

「てかあんた分かりやすいからすぐバレるわよ。みんなほとんど気づいてるし」

「嘘ぉ!?」

 思わず立ち上がると、クラスメートの視線が飛んできた。……お食事中すいません、騒がしくて。

 でもそれってまずくないですか。ヘタしたら中原にもバレちゃうってことだから……

「わあ――――!? だめだめ絶対だめ!」

 一人で騒ぐ私を、咲が心底呆れたようになだめた。

「心配しなくても本人にはバレないと思うけどね。中原くん、ああ見えて鈍感だから」

 う、確かに。初恋もまだ、みたいなこと言ってたしな。

「中原くんはちゃんと自分の気持ちに気づいてんのかしらねー。いや、気づかないか」

 咲の言葉に、私は勢い良く顔を上げた。

「何それ、中原って好きな人いるの?」

「それは本人に訊いたんじゃなかったの?」

 質問に質問で返され、私は黙り込む。だって「さあな」ではぐらかされちゃったんだもん。

「どっちにしろ、頑張らないととられちゃうわよ。中原くんのファン密かに増えてるんだから」

「わ、分かってるよ」

 そう、中原は男子からも女子からも好かれるようになった。本人は気付いていないだろうけど、ファンからモテモテなのだ。

「ま、でも良かったね。立花先輩と別れてくれて」

 さらっと言ってのける咲に、私は視線を落とした。そんなはっきりな物言いはしたくなかったけど、でも私だって考えていることは咲と同じ。

「ていうか同好会解散うんぬんの話はどうなったのよ? なしになったわけ?」

「あ、うん……もし成績が下がったらその時は覚悟しておけって言われたけど」

 先輩と二人でレモネードを飲んだあの日、帰り際に先輩は「取り消すわ」と言った。

「あなたたちを見てるとキラキラしてる。心の底から楽しそうだから……どこかで嫉妬してたの」

 だから解散はなしね。そう付け足した先輩は「ただし成績が下がったらその時は覚悟してね?」と満面の笑みを浮かべていたけども。

「ふーん、要するに様子見ってことか。次のテストも近いしねえ」

 何てことないようにつぶやいた咲の言葉を私も聞き流そうとして――待て。テストっていつだっけ?

「ねえ、次のテストっていつ?」

「来月末よ。こないだのテストより教科数増えるし、ちゃんと勉強しないとね」

 うわあ、と内心頭を抱える。正直色々ありすぎてテストのことまで考えが及ばなかった。あいつのせいだ、と頭に浮かんだのはやっぱり中原。最近は勉強より先に中原のことを考えてしまう。

 しっかりしろ、私。いま成績が落ちたら同好会解散なんてことにもなりかねない。――今回のテストは絶対に落とせないんだから。

「あ、聡! 辞書ありがとう、助かった!」

 不意に大垣くんの声が聞こえて、私はその方向を振り返った。別に中原の名前で反応したわけじゃ……ないよ、うん。

 教室のドア付近で話しているのは、やっぱり大垣くんと中原だ。ずっとその光景を眺めていると、中原がこちらに視線を移した。あ、目が合う――そう思った瞬間、中原はぱっと目をそらし、再び大垣くんに向き直る。

 あれ……?

 胸の奥、つきりと嫌な音が鳴った。いまそらされた? どうして? 気のせい? 疑問がいくつもいくつも、消化できないまま消えていく。

 いつもならここで目が合ってた。意味もないのに口パクでバカって言われてた。それに言い返したら小さく笑ってくれて。

 気にしすぎ、かな。気のせいだと思いたいのにそう割り切れない。

 中原が立花先輩と付き合うと言った、あの日のようなざわめきが胸を支配していたから――。


 放課後、テストも近いということでみんなで勉強。図書室の特等席で私たちは参考書を広げる。

「あーあ、夏休み終わったかと思えばテストか……やってらんねえよ」

 安本くんが大きくあくびをして頭を掻いた。そう言いつつも手は動いている。

「いーじゃんか、どうせ勉強しかやることないんだから」

 つまらなさそうに返したのは大垣くんだ。安本くんは「は?」と顔をしかめ、ため息をつく。

「俺は愁と違ってやることあんの。デートとかデートとか、あとデートとか」

「……お前、一回水かぶってこいよ」

 今度は大垣くんがため息をついた。すると森岡くんが「え!?」と声を上げる。

「洸さん、彼女いるんですか!?」

「あー、洸のデートはお遊びだから。ちょっといいなって思った子なら誰でも行けんだろ、お前」

 大垣くんの言葉に、安本くんがガタンと椅子から立ち上がる。

「みんなに報告がある。……俺、本気で好きな子できたんだ」

 やけに真剣な顔をしているので、どうやら嘘ではないらしい。へえ、安本くんが好きになるのってどんな子だろう。

「だからさ、その子を射止めるのにいま必死なわけ。俺は忙しいの」

「どうでもいいけど、デート誘ったのか?」

 大垣くん、心の声出てます。どうでもいいけどとか言っちゃだめだからね。

「これから誘うんだよ! その一歩が勇気いるんだよ!」

「要するに誘えてないってことかよ」

「うるせえ!」

 賑やかだなあ、と思いつつ私はちらりと中原を見た。手元はすらすらと問題を解いていて、視線は参考書に固定されている。

「ねえ、中原」

 特別用があったわけではない。ただ確認したかった。昼間のざわめきは気のせいだと、安心させて欲しかった。

「何だ」

 いつも通りの返事にほっとしつつ、私は続ける。

「この問題の別解が分かりにくいんだけどさ、これって途中式省いてるだけだよね?」

 そう訊いても、中原は顔を上げない。手も止めない。いつもこうだったっけ。ううん、前ならきっと「どこだ?」って聞き返して、教えてくれた。

「ねえ、聞いてる?」

「他のやつに訊け。いま忙しい」

 どくん、と心臓が波打つ。――突き放された。はっきりと。

 出会った頃の彼だったら、これが普通だった。だけど、今は。もっと優しい彼を知ってしまった今は。

「……ごめん」

 曖昧に謝り、私はシャーペンを握りしめる。これくらいで泣きそうになってしまうのは、中原のことがそれくらい好きだから――というのは、もう痛いほど分かっていた。

 目が覚めたのかな、と思った。中原は花火大会で私の気持ちに気付いたのかもしれない。それが迷惑だったとしたら、避けられるのも納得はできる。

 できるけど、きつい。

「あ、やば。そろそろあの子の委員会終わる時間だ。ちょっと俺、待ち伏せしてくるわ」

 安本くんがそわそわした様子で片付け始め、リュックを背負った。

「洸、知ってるか? そういうのストーカーって言うんだぞ」

「黙れ!」

 大垣くんにそう叫び返した安本くんは、足早に図書室を去っていった。

「あの、僕も今日は帰ります。久しぶりに家族全員で外食しに行くので」

 森岡くんが軽く手を挙げ、おずおずと述べる。すると大垣くんが「俺も帰ろっかなあ」と間延びした声で言った。

 え、みんな帰っちゃうの? 私、今日は図書室で勉強したい気分なんだけど。というよりも、いま家で一人になったら泣いてしまいそうだから。

「俺も帰る」

 中原がスクバを肩にかけ、立ち上がる。ああ、そうだよね。私と二人きりなんて嫌だよね。

「私はもう少し勉強してから帰るね。じゃ、また明日」

「おう、ばいばーい」

 過ぎ去っていく三人の背中をぼんやりと見つめながら、そっとため息をつく。……あーあ、何やってんだろ私は。

 中原との距離は一進一退を繰り返して、今もこれ以上は縮まる気配はない。

 気を紛らわしたくて、計算問題をひたすら解いた。中原が得意な数学。私の苦手な教科。数学が得意になればもうちょっと中原と仲良くなれるかな、とか。そんなことが頭に浮かんで消えた。

「……好き……」

 思わず漏れた心の声に、慌てて口を塞ぐ。俯いて自分の胸に手を当てると、鼓動がいつもよりはっきりと感じられる気がした。


 ――それからどれくらい経ったのか。

 頭にかすかな違和感を感じて、私は薄く目を開いた。寝ちゃったのか、と思い至り、なんとはなしに視線を上げて驚く。

 感じた違和感は髪の毛をつままれているからだった。そしてその指先をたどると、――中原がいた。私の髪を一束すくい、毛先に唇を当てて。そう、そこにキスをして。

 その瞳は閉じられたまま。けれども、彼の表情に釘付けになる。息を呑むほど綺麗で愛おしい。

 ふっと中原のまぶたが開いた。まっすぐで繊細な瞳と視線が交わる。瞬間、彼の頬はみるみるうちに赤く染まり、その手からは私の髪がぱさりと落ちた。

「……あ、いやこれはその……」

 動揺しているのか、中原の声はうわずっている。しかしそれ以上、何か言葉が出てくることはなかった。

「何で?」

 私はぽつりと投げかける。

「中原、何で……?」

 どうしてこんなことするの。私のこと好きでも何でもないのに、どうしてこんなこと。

「――ごめんな」

 中原は苦しげにそう吐き出すと、背を向けて歩き出す。図書室を出るまで、一度たりとも振り返ることはなかった。

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