第2話 意外な一面?
「あーもう何なのあいつ!」
次の日、昼休み。いつも通り咲とお弁当を食べている私は、えらく不機嫌だった。
「なーに、そんなに怒っちゃって。可愛い顔が台無しー」
「咲に言われたくないやい!」
ぶすっとハンバーグに箸を突き刺す。そんな私の様子を見て、咲は「おー、怖い怖い」と大げさに腕をさすった。
「で、昨日図書室で何やらかしたの? 朝から結構話題になってるけど。美湖が中原くんにケンカ売ったって」
そう訊きながらどこか楽しそうな咲に、私は大きなため息をついた。
「別にぃ? 向こうが私の顔見て笑ったのが悪いのよ」
「笑われたんだ?」
そりゃもう鼻で笑われましたとも。ふん、だって! バカにしてるよね完璧!
「でもあんたもバカねー。何も図書室で口論始めなくてもいいでしょうに」
くっ、辛辣! 咲の一言が心にぐさっと刺さった。
「バカじゃないもん、勉強できるもん」
「そうね。でも知ってる? 勉強できる人って結構そういうとこあるのよ」
あれ、何かそれ私が昨日あいつに言ったことと似ているような……
「って、誰かさんが言ってたみたいだけどね?」
「おのれ確信犯か!」
一体どこから仕入れてきたんでしょうか。まあ、あんだけ大声で叫んでたら誰にでも私の声聞こえたよね……
「でもおめでとー。良かったね、いいライバルが現れて」
ちっとも良くありません! あんなやつ、誰がライバルと認めるものか!
「でもさ、ちょっとは興味わかないの? 中原くんイケメンでしょ?」
あ、また恋バナに持ってこうとしてるな。そうはいかないよ。死んでもあいつに恋はしないよ?
「いくらイケメンでも中身が伴ってないと! 私の王子様は中身も素敵だったし!」
そう、私には王子様がいるんだから! ドヤ顔で反論すると、後ろから笑い声が聞こえた。
「ふは、王子様って……! 痛すぎだろ!」
なっ!?
慌てて振り返ると、そこには笑いを堪えているのか、肩を震わせている男子が一名。この人の名前は大垣愁。ちなみにテスト順位は学年三位というなかなかの秀才。
「な、何よ! 悪い!?」
「いやー、菊地さんやっぱ面白いわ!」
うん、何か軽くバカにされたような気がするんだけどなあ。地味に傷ついたよ、ほら私ガラスのハートだからね。
「大垣くんもそう思うー? やっぱ美湖って面白いよねぇ」
咲がすかさず相槌を打つ。大垣くんは「うんうん」と言い、
「前々から思ってはいたけど、昨日ので確信したね。菊地さん、君には才能がある!」
くっそぉ、二人して私をバカにしやがって。いいよもう。いじけちゃうんだからね。何言われても知らないんだからね。
そっぽを向いた私をよそに、二人は会話を続ける。
「美湖ってどっか抜けてるというか、バカっていうか……」
おいこら咲。バカとか言うな。
「分かる分かる。勉強できるのに肝心なとこ抜けてるよね」
大垣くんも! そこは否定して!
「でも一番はさ……」
と大垣くんはそこで言葉を切った。そして私の方を見る。
「王子様とか言っちゃうとこだよね」
おーい、笑うの我慢してるのバレバレだぞー。そんなにだめかなあ。ただ憧れてるだけなんだけど。
「まあいいのよ。そこが純粋で可愛いから」
咲があまりにもさらっとそんなことを言うので、褒められていることに気づかなかった。
え? 可愛い? 咲さんそれマジで言ってる?
「はは、そうだね。可愛い可愛い」
大垣くんが心底おかしそうに笑うので、私は今度こそびしっと指さした。
「心にも思ってないこと言うな!」
「えー、褒めたのに」
「そんなお世辞いりません!」
まったく。人の気も知らないで。
「まあこれから仲良くしてね? 美湖ちゃん」
わざとらしく首をかしげて、大垣くんは微笑む。
「あったり前! クラスメートだもん!」
「あー……そういう意味じゃなくて」
少し言葉を詰まらせた大垣くん。
「俺さ、聡と幼なじみなんだよね」
聡? 突然出てきた名前に一瞬、理解が遅れる。
ああ、あいつのことか。
「へえ、そうだったんだー」
「あ、美湖ちゃん棒読み。本当に聡に興味ないんだね」
だってむかつくんだもん。顔見たくもないんだもん。
「ま、そういうことで。俺、聡のことよく知ってるんだけど……」
と言いながら大垣くんは私の顔を覗き込む。
「美湖ちゃん。あいつのこと、知りたい?」
「はい!?」
何で!? 知りたいわけないじゃん!
「嫌よ嫌よも好きのうちって言うじゃん?」
それとこれとは違ーう! 心の中で全力で否定するものの、大垣くんは懲りない。
「あれ、違うの? 俺てっきりそういうことなのかと思ってた」
オーマイガー……何だかものすごく誤解されてたよねこれ……
「じゃあ安心だ」
そう言って息を吐き出す大垣くんに、私は「何が?」と訊く。
「えー、美湖ちゃん可愛いねっていう話」
はい? まったく意味が分かりません。どうしていきなりそんな話になるんですか。
すると咲が「あらあら」と口を押さえた。え? 何? 何なの?
「まあいいよー。そういうとこも可愛いからさ」
大垣くんはまた笑った。な、何か……バカにされてるような。
「そうだ、大垣くん! 今日ね、咲と勉強会する予定だったんだ。大垣くんも一緒にどう?」
「お、いいねー。行く行く」
「じゃあ放課後にまた!」
「おう!」
良かったー。大垣くん頭いいし、頭いい人と勉強したらすごくはかどるんだよね。
やがて昼休みの終了を告げるチャイムが鳴り、午後の授業が始まった。
そして放課後。約束通り校門で咲と二人、大垣くんを待つ。
「遅いねー」
教室を出る前、「ごめん、校門で待ってて。すぐ行くから!」と大垣くんに言われた。何か用事あったのかな。
「ごめん! お待たせ!」
走ってきた大垣くんを見て、私は「全然大丈夫だよ」と言おうとした。……けど、
「……え?」
幻覚でしょうか。大垣くんの後ろにどうして――
「中原聡――――!?」
な、なぜ! どうして!
「いやーごめん。だってさ、女子二人に俺一人だったら男女比率悪いじゃん?」
だから誘っちゃった、と大垣くんは悪びれなく笑った。
まじですかこれ。まじなんですか。
「……おい、愁」
口を開いた中原が大垣くんを呼ぶ。
「こいつがいるなんて聞いてないぞ」
こいつ、のところで指さされたのはもちろん私。
「だって言ったら聡こないだろー」
「お前な……」
うわー。うわー。嫌です私この人と勉強会なんて絶対無理です!
「あー何か私、急に頭痛くなってきたなあ。今日やっぱり帰……」
「さ、行こっか!」
咲ぃ! 私の言葉最後まで聞いてよ!
抵抗も虚しく、咲に腕を引っ張られて半ば強制的に歩かされる。
ちらっと後ろを振り返ると、中原と目が合ってしまった。うわ、と思った時には向こうから先に目を逸らされる。何よ。私だって別にあんたと勉強会したいわけじゃないんだからね!
そうして歩くこと十分。私たちは近くのカフェに足を踏み入れた。
テーブルの上には私と咲が頼んだアイスミルクティー。そして大垣くんと中原が頼んだアイスコーヒー。
「ねえ美湖、いい加減こっち向きなよー」
咲がそう言って私の肩を揺する。ふん! 知りません! あいつを視界に入れたくもありません!
「あはは。聡、ずいぶん嫌われてるね?」
大垣くんが参考書を開きながら口を挟んだ。中原は「知るか」と素っ気なく答えて、また押し黙る。
仕方なく勉強道具をスクバから取り出し、私はミルクティーを一口含んだ。ふふ、ここのはいつ飲んでもおいしい。
「美湖ちゃん、何笑ってんの? 聡と仲直りする気になった?」
「しません! 絶対しません!」
今のはちょっと気が緩んだというか! ミルクティーがおいしくって思わず!
「まあ取りあえず勉強しよう? そのために来たんだから」
咲が困ったような笑みを見せた。そうだよね、今日は課題もいっぱい出たし!
そこからはしばらく無言で勉強に取り組んだ。
――こほん。こほん。
数十分後、向かいから咳き込む音が聞こえて、私は顔を上げた。口元に手を当てた中原が、眉根を寄せて苦しそうな表情をしている。咳が収まると、コーヒーを一口すする。
そしてまた咳き込む。……何やってんのこの人。
大丈夫? と一応声をかけようとした時、目の前で信じ難い光景が繰り広げられた。中原はテーブルの端に置いてあったシュガースティックを一本手に取ると、それを躊躇なくコーヒーの中に入れた。しかしそれでは終わらず、二本、三本とカップの中に砂糖が吸い込まれていく。
え? え? 嘘でしょ?
そして砂糖たっぷりのコーヒーを一口飲み、中原はふうっと息を吐いた。その表情の何と幸せそうなことか。
何この人。何なのこいつ。もしかして――
「……甘党なの?」
思わず心の声がもれた。
私の声にぎょっとした様子で目を見開いた中原は、みるみるうちに頬を赤く染める。やがて開き直ったように叫んだ。
「――悪いか!」
え、何それ。何恥ずかしがってんの。ちょっとやめてよ。可愛いとか思っちゃうじゃん!
って違うから! 断じて有り得ないから!
「あ、聡。我慢できなかったの?」
大垣くんが明らかにからかう口調で中原に話しかける。
「女の子の前でかっこつけたかったんでしょ。だめだよー、どうせばれるんだから」
「そんなんじゃない!」
男子二人の言い合いをぼんやりと聞きながら、私は中原を見つめた。
それに気づいた中原がこっちを向いて、
「……何だ」
短くぶっきらぼうな声。でもさっきの意地を張ったような声を聞いた後では、そんなのむかつきもしなかった。
「あはは、あははは!」
もう無理、我慢できん! 私は遠慮なく声を上げて笑う。
「甘党とか! 似合わな! 有り得ん!」
うっわー、やばいこれ超笑える。あんなにクールな表情してるくせに砂糖どばどば入れちゃうとか!
「う、うるさい! お前に笑われる筋合いはない!」
「あははは!」
「笑うな!」
無理ですー! これで笑わない方がおかしいですー!
散々笑った後、私は中原に言った。
「いや、ごめんって。まさか甘党だとは思ってなかったからさー。意外すぎて!」
あれ、私。何こいつにごめんとか言ってんだろ。しかもこんなフレンドリーに話しかけちゃってるし。
「……別に」
いじけたように目を逸らして答える中原に、なぜか親しみがわいてしまう。
「ねえ、私の名前知ってる?」
昨日は私のこと知らないみたいだったし。
「……菊地美湖」
ぼそっと小声でつぶやいた中原は、不服そうに続けた。
「学年二位だろ、お前」
「えっ、知ってたの?」
「当たり前だ。トップ10くらいは知ってる」
そうだったんだ……てっきり知らないかと思ってたけど。
――何かちょっと、嬉しいかも……?
「まあ図書室で叫ぶあたり、常識はないみたいだけどな」
前言撤回。何だこいつ。やっぱり嫌味ばっかりじゃないか!
「はいはい、すいませんでしたねー」
そうですよね、そんないい人じゃないですよね。分かってましたよ。あんたがどんな人かってことくらい!
「そろそろ帰ろうか。もう五時過ぎたし」
大垣くんが腕時計を見て口を開いた。「そうね」と咲も頷く。
「じゃあまた勉強会しようね。今度はもっと落ち着いたところで」
「そうだねー」
大垣くんの言葉に同意して、私は笑った。
会計を済ませて外に出ると、ふわっと優しい風が頬をなでる。うーん、今日は勉強はかどったな。
「じゃあ明日ね」
「おう!」
返事をしたのは大垣くんだけだったけど、私には分かった。中原は照れてるだけなんだと。――だってまた目が合ったから。
おかしいな、さっきまでだったら怒ってたのに。今はこんなにも清々しい。
「じゃあね!」
だからだと思う。柄にもなく、私は中原に笑顔で手を振ってしまった。
中原は目を丸くした後――
「またな」
声には出さず、口パクでそう言った。軽く、手を挙げながら。
背を向けて歩き出した中原と大垣くんが何か言い合っている。内容は分からないけど、それでも仲がいいのは伝わった。本当に幼なじみなんだなあって。
「美湖。帰ろう」
「うんっ」
咲の隣に並ぶと、「あんた、分かりやすいわねぇ」と呆れたように言われたので、首を傾げた。
「ま、いいわよ。美湖はそれで」
勝手に話を終わらせた咲は、私と同じように清々しい顔をしている。
「めくるめくラブストーリー、ね」
ぽつりと言った咲の言葉を聞き流していた私は、今日の夕飯何かなあと考える。オムライス食べたい。でもカレーもいいなあ。
私の心の中には穏やかな風が、六月の風のように流れていた。