第17話 さよならデート
「落ち着けー、落ち着けー」
かれこれ十分だ。出かける準備を済ませ、私は部屋の中で自己暗示中。
今日は大垣くんと出かける日。一応、スカートをはいてポニーテールにシュシュなんかもつけて。
「んー、よしっ」
気合を入れるために自分の頬を叩くと、何だか元気がわいてきた。
「行ってきます!」
部屋を飛び出し、そのままの勢いで玄関のドアからも飛び出す。
お気に入りの腕時計が指し示しているのは、約束の時間の三十分前。待ち合わせは学校の最寄り駅だから、ここからは二十分もかからないはずだ。
――俺を彼氏にしてください。
昨日、弱々しくそう言った彼の言葉が思い出される。いつもはあんな声を出さない大垣くん。少し驚いた。
たった一日とはいえ、好きじゃない人とデートまがいのことをするのはどうなんだろう――そう思ったけど、大垣くんのお願いを聞くって言ったのは私の方。そして苦しいのは絶対に大垣くんの方。
報われないと分かってて。それでもいいからと笑ってしまう大垣くんは、きっととても強くて綺麗。
だから少しでも良かったって、思って欲しい。私を好きになって良かったなって、最後にそう思ってさよならしてほしいから。そんなこと言ったら、調子いいかな。
約束の十五分前、待ち合わせ場所に着いた。そして大垣くんを見つけた途端、息を呑む。
「あ、美湖ちゃん」
私の存在に気づいた大垣くんが歩み寄ってくる。しっかりと整えられた髪、白とチェックのシャツ。長い足にまとうのは、彼のスタイルを最大限引き出すジーンズ。
うわあ……すご。これ本当に大垣くん……?
「美湖ちゃん?」
「あ、遅れてごめんね! 待たせちゃった……?」
「待ってないよ。てかまだ時間の十分前」
そう微笑んだ大垣くんは、ちょっと意地悪な顔になった。
「俺、そんなにかっこいい?」
ば、バレてる!? 何か心読まれてる!? いやまあかっこいいなあと思ったのは確かなんですけど。ですけど!
でも、そんなこと思ってもいいのかな。私、大垣くんのことフっちゃってるのに。
「か、かっこ……いい、です」
おずおずと口に出して彼を見上げる。すると大垣くんは目を見開いて「本当?」とつぶやいた。
「……やっべ、思ったより余裕ないかも」
そんなこと言わないでぇ! 赤面しないでぇ! こっちが恥ずかしくなるからっ!
行こうか、と背筋を伸ばした大垣くんは、私に右手を差し出した。あ、もしかしてこれは……手、つなぐの?
「ごめん、嫌?」
切なげに見つめられると、どうしても断れない。うう……今日だけ、今日だけだから!
「嫌じゃないですっ」
答えた声は裏返ってしまった。でも、大垣くんは優しく笑ってくれる。
「緊張してる? ……大丈夫、俺もだから」
ふわりと握られた手から伝わる温かさ。それを実感しながら、私は大垣くんと歩き出した。
「最近気になってたんだけど……」
雑貨屋さんで小物を真剣に見つめていた私に、大垣くんは突然投げかけた。
「夏休みは王子様に会えないよね? 嫌だなとか思わないの?」
あ、確かに。なぜか妙に納得してしまう。でも考えてみれば、最近は王子様捜しをしてなかった。
「俺だったら、好きな子に会えないとか辛いな。美湖ちゃんは?」
「うーん、辛いっていうか……寂しいかな」
今まで恋愛とは縁がなかった――といえば大げさかもしれないけど――から、みんなと感覚がズレている自覚はある。よく友達が「好きすぎて辛い!」って言ってたけど、その気持ちがいまいち理解できなかった。
「何かね。最近は王子様っていうよりも、素敵な恋したいなあって思うようになったんだ」
王子様はあくまで理想像。その人と出会えるのが一番いいけど、現実問題そうもいかない。そう思えるようになったのは――
「……そっか」
頭上から降ってくる声が悲しげだったから、私は慌てて付け足した。
「ご、ごめんね。無神経だったよね!」
告白されてる人の前でこんなこと。私ほんとに失礼だ。もう申し訳ない……
「美湖ちゃんは、まっすぐだよね」
大垣くんがしみじみといった様子で話すから、私は「そうかな?」と純粋に疑問に思う。
「だって普通さ、デートくらいならみんな気軽に行くんだよ。好きな人とじゃなくても」
そんなことないと思うけどなあ。世の中そんな人ばっかりだったら、大変だよ。
「手、つなぐのだってさ。俺……あんなに緊張したの初めて」
「私だって緊張したよ! 初めてだったもん!」
「……美湖ちゃんといると、全部ドキドキするんだ。何てことない出来事でも、一つひとつが大切なものなんだって」
「大垣くん……」
胸がきゅっと締め付けられたように苦しかった。こんな素敵な言葉をかけてくれる人がこんな近くにいたんだね。私、何も知らなかったな……本当に何も。
「ごめん……一回フラれてるけど、もう一回言わせて」
真剣な瞳。それに応えたい一心で、私も彼をまっすぐに見つめる。
「俺、美湖ちゃんのことが本当に好きです。すっごくすっごく、大好きです」
ごめん、ごめんね。私も、とか言えなくてごめんね……
とっさに近くにあったうさぎのぬいぐるみを取って、大垣くんの顔に押し付けた。
「う、……え? 美湖ちゃん……?」
「……ごめっ、ごめんなさいっ……ごめんね……!」
泣きたいのは大垣くんだから、絶対に私が泣いちゃいけないって思った。でもこらえきれなかった。
ごめんって言葉も、言わない方がいいって聞いたけど、無理だった。
だからごめん。今は、今だけは。こんな私を見せたくない。
大垣くんの視界を覆って、私は泣き声を噛み殺した。泣くな泣くな泣くな。お願いだから、涙止まってよ……
「もう……まじかよ」
そんな声が聞こえたかと思ったら、ぬいぐるみごと抱きしめられた。強く、優しく。こんな私をいたわるように。
「がちで……誰にも、渡したくない」
それは心の底から絞り出したような本音。苦しそうに、切なそうに。彼の腕が震えていた。
「最後まで困らせてごめん。本当に、これでちゃんと線引きするから」
すっと私から離れた大垣くんは、儚げな瞳を潤ませる。そしておもむろに私の腕を取って歩き出した。
「え、大垣くん? どこ行くの?」
「けじめつけに行くよ。これは俺だけのためじゃない……美湖ちゃんのためだ」
けじめって……どういうことだろう。これ以上、大垣くんを傷つけたくないんだけど――でも、それは綺麗ごとなのかな。
しばらく歩き続けていた私たちだったけど、突然立ち止まった。大垣くんがある一点を見つめて止まったからだ。
「大垣くん?」
声をかけても彼は何も言わない。ただ前を見据え、そこから目をそらさずにいる。それにつられて私も同じ方を見て――、頭の中が真っ白になった。
ああ、まただ。あの時と同じ。時間が止まったかのように、目の前の光景だけがぼんやりと目に映る。
――立花先輩と付き合うことになった。その言葉がいま、現実として叩きつけられ。
「……中原……」
見間違いだったら、人違いだったら笑って済ませられた。だけどその先にいるのは間違いなく、あの二人。
中原は私が見たことない服を着ていて。その隣にいるのは、やっぱり。――立花先輩ただ一人。
分かってたはずだった。付き合うっていうのは、隣で歩くこと。恥ずかしいねって言って、手をつなぐこと。抱きしめたり、キスしたり。そんなことだってありえるわけで。――全部全部、分かってたはずなのに。
悲しいとか、嫌だなとか。そういう次元の問題じゃなかった。ただ単に、この景色を認めたくなくて。
だけど……どうして? 中原の気持ちは? 幼なじみ以上だと思ったことないっていう、その気持ちは?
辛くはないの――?
「ごめんとは……言わないよ。傷つけることは分かった上で連れてきたんだから」
大垣くんがそう言って、とても悲しそうに笑った。けじめをつける。それは私の方かもしれない。
「こんな言い方したら悪いけど、ちゃんと向き合ってきちんと傷ついて。そうしたら俺もその顔見て諦められるから」
傷ついてごめん。私には、向き合う勇気すらなかった。全部中途半端なままで悲劇のヒロイン気取り。傷つく資格なんて、ないよ……
だからせめて現実をしっかり、目に焼き付ける。中原と立花先輩。隣同士の二人。誰の侵入も許さない空気。
「美湖ちゃん、今日はありがとう。こんなやつだけどこれからは友達としてよろしく」
みんなはちゃんと、向き合ってる。現実を受け止めて、歩き始めてる。
ずっと中原を見ていた。何気なく、といった様子でこちらに視線を移した彼と、目が合った。――そらさないよ。泣かないよ。
だけど。思ったより、きつかった。
先に目をそらしたのは私。中原に背を向けて、ついでに大垣くんの横も通り過ぎようとして。
「――綺麗だよ」
後ろから大垣くんの声が飛んできた。思わず立ち止まって振り返る。
「君は本当に……綺麗だ」
「君」が誰のことかは、言わなかった。私の方を見ていたわけでもなかった。だけどその言葉は胸にしっかりと響いて、溶けていく。
そのまま走り去る私を、大垣くんは決して引き止めることはしなかった。