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第16話 傷ついて、傷つけて

 目の前の鏡とにらめっこ。そこにはピンクの水着を着た私。

「美湖、ちょっと開けてもいい?」

 カーテン越しに咲の声が聞こえて、私は「いいよー」と鏡を見つめながら言った。

「お、可愛いじゃない。似合ってる似合ってる」

「そうかな? じゃあこれに決めるよ」

 咲がいいって言ってくれたんだから、きっと問題ない。私は急いで元々着ていた服に着替えて試着室を出た。

 そしてレジまで持っていく。

「ごめんね、せっかくの休みなのに付き合わせちゃって」

 財布を取り出した私に、咲は「いーのいーの」と鷹揚に手を振った。うん、近所のおばさんみたいって言ったら怒られるなこれ。

 会計を済ませて、私たちはお昼ご飯を食べようとフードコートへ向かう。結局、二人ともパスタを頼んで腰を下ろした。

「海とか羨ましいわー。私なんて小学生の頃から行ってないわよ」

 咲はパスタを器用にフォークで巻いていく。一方、器用じゃない私は麺をすくうので精一杯だ。

「楽しんでおいでねー。みんなで行くんでしょ?」

「……うん」

 今日は夏休み初日。水着を買いたいと騒いだ私は、咲と一緒にショッピングモールに来ていた。

「あんたさー、何かあったならあったって言いなさいよ。さすがの私でも透視能力はないんだから」

「わ、分かってるよ」

 分かってますよ。こんなうじうじしてたら、見ててうざいですよね。分かってます、分かってるけど。

 ――立花先輩と付き合うことになった。

 鮮明に頭に残るそのフレーズは、確かに私の心の中を侵食していた。

「……中原がさ、突然びっくりすること言うんだよ。立花先輩と……」

 立花先輩と。付き合うことに、なった――

「立花先輩と?」

 続きを言わない私に、咲が問いかける。ほら、咲が訊いてる。言わないと、答えないと。中原は立花先輩と付き合うことになったんだ、って。

「中原、が……」

 あれ? おかしいな。言えないよ。昨日はあんなに普通に言えたじゃん。中原に「そうなんだ、おめでとう」って、素直に声かけられたじゃん。

「――美湖」

 おかしいよ、私。何でこんな一言が言えないの――

「美湖、泣かないの」

 パスタの中に水滴がぽたり、落ちていく。

 知らなかった。気づかなかった。いつの間にか私は、こんなにも悲しかった。

「……中原が……付き合うって言ったの」

「うん」

「幼なじみだけど、どうしていいか分かんないから……だから付き合うって、言ってた……」

「うん、そっか」

 胸の奥がじんわりと痛くて苦しい。お腹なんて全然、空いてなくて。

 分からないよ。何でいま、私は悲しいの? 涙が出るほど苦しいの?

「そのとき、中原くんどんな顔してた?」

 どんな顔? どんなだろう。付き合うって幸せなことだから、たぶん嬉しそうな顔かな。でも声はどっちかっていうと苦しそうだったな。

 もしかして私、――ちゃんと中原の顔見てないかも?

「美湖はそのとき何て言ったの?」

「おめでとうって、言ったよ……?」

「じゃあそれに対して『ありがとう』って、中原くん言ってた?」

 言って、ない。そうだ。中原は何も言ってない。

 私がおめでとうって言っても、良かったねって笑っても。隣でずっと、黙って座ってた。何でだろう。嬉しくはなかったのかな――

「男女が付き合うのって、どんな時だと思う?」

 咲にそう訊かれるから、私は思うままに口を開く。

「好きな人に告白して、両想いになった時」

「じゃあきっと、立花先輩と中原くんは両想いだったんだね」

 どくん、と自分の中の何かが脈打った。両想い。二人は両想いだった。――本当に?

 ――俺はあの人を幼なじみ以上の存在として見たことはない。

 中原は確かそう言っていた。両想いだったとしたら、そんな言葉は出てこない。

 中原は本当に、立花先輩のことを好きなのかな?

「私はね、変だなって思う。幼なじみだけど……よく分からないけど付き合うって」

 穏やかな声。咲がゆっくり話し始める。

「だって付き合うっていうのはもっと幸せなことなんでしょ? 美湖が言うには」

 そう、付き合うっていうのは想いが通い合うってこと。大切な人とたくさんの時間を共有するってこと。楽しいことも、悲しいことも、全部二人で分け合うって。それでも嬉しいって思えるのが本当のカップルだから――

「中原くんも立花先輩も幸せになれるんだったら、問題ないわよ。だけど美湖の話聞いてる限りじゃ、そう簡単にもいかないみたいだし」

 それに、と付け加えた咲は、とても優しい笑顔で私の顔を覗き込んだ。

「美湖自身が何か納得してないみたいだね?」

 はっと顔を上げて気づく。確かに私はまだ納得できてない。

 あの時もっと中原の顔を見ておけば良かったなって思う。もっと気の利いた言葉をかけてあげたかったなと思う。そして、中原の幸せそうな笑顔を見つけてくれば良かったなと思う。

 たぶん、私は――

「美湖が知りたいって言ったら、中原くんは答えてくれると思うわよ。何だかんだで優しい人だから」

 その言葉に、私は大きく頷いた。ずいぶん前から知ってる。中原が優しいってこと。

「さ、食べよ。美湖には私の買い物にも付き合ってもらうからね!」

「うへー。パスタのびのびだよー」

「どっちが速く食べ終わるか競争ね。よーい、スタート」

「ちょ、それ女子がやることじゃないでしょ!?」

 咲はいつもそうやっておちゃらけて。私を元気づけようとしてくれてるのが分かるから。だから笑うよ、精一杯。

 パスタを口に入れたら、鼻の奥がつんとした。


 その日の夜、私は中原にメールをしようと携帯を握った。

 みんなはラインがどうのこうのって言うけど、高校生になってから携帯を持った私にはついていけない。

 ピロン、と着信音がしてメールが届く。開いてみるとそれは大垣くんからだ。

「いま電話できる?」と、短い文章があった。「大丈夫だよ」と返信してから数分、携帯が光り出す。

「あ、もしもし。美湖ちゃん?」

 誰かと電話するのは、高校生になってから咲以外で初めて。ちょっと新鮮な感じがする。

「もしもし、どうしたの?」

「ちょっとね……真面目な話しようと思って」

 何だろう、と思うのもつかの間。次の瞬間、大垣くんは私の想像を軽々と超えてきた。

「美湖ちゃん。俺と付き合ってください」

「……え?」

 付き合うって……

 昨日も今日も、何度も頭の中で繰り返した単語。それが今は私に投げかけられている。

「俺さ、今まで遠慮してたんだ。聡は美湖ちゃんのこと好きなのかなって思ってて」

「そ、そんなわけないじゃん! だって中原は……」

 立花先輩と付き合ってるんだから。本当のところは謎のまま。だけど付き合っていることだけは覆せない事実。

「うん、だからさ。柄にもなく親友の応援してやろうと思ったけど、もういいや」

 何でもないことのように言ってのけるけど、大垣くんは中原のことを親友って思ってる。大垣くんの温かい人柄。だけど、でも。

「聡が立花先輩と付き合うなら、俺はもう一歩も引かない」

「……冗談だよね? 大垣くん、また私のことからかってるでしょ?」

 きっとこの次は「バレた?」と笑うんだろう。だけど電話の向こうは、驚くほど静かで。

「ねえ、知ってる? 俺、今までからかっただけって言って誤魔化してきたんだけど?」

「嘘だ……」

「嘘じゃない。気持ちバレそうになる度にそうやってかわしてきただけ」

 大垣くんはプレイボーイ。女の子には誰にでも甘い言葉を囁いて。

 そんなの、私の勝手な想像だった。

「本当は本気だったよ、全部」

 どうしよう。こんなまっすぐな大垣くん――知りたくなかった。

「ちゃんと信じてね? 俺、好きな子には割と一途だから」

「……うん。信じる、けど……」

 でも私の中の王子様は、たぶん。

「――でもね、ごめんなさい!」

 君じゃないんだなあって、思うんだよ。

「私はやっぱり、自分が好きって思った人と付き合いたいから……」

 ただでさえ出会いが多いこの世界は、常に誰かと誰かがこんにちはとさようならを繰り返して。

「ありがとう、本気で私を好きになってくれて」

 その中で想いを通わせるのは本当に難しいこと。だけど、だからこそ。私は気づいてしまった。傷ついて……傷つけて初めて、知ることの出来る気持ちがあるんだってことを。

「だよなあ……」

 苦笑気味の声が聞こえて、私は罪悪感でいっぱいになった。申し訳ないって思うけど、こういう時は素直に受け取った方がいいって誰かに聞いたことがある。

 だから、ごめんよりもありがとう。

「美湖ちゃんは俺のこと好きじゃないって思ってた。うん、分かってた分かってた」

 ごめんねって言いたくなった。本当にごめん。そんな辛そうな声出させてごめんね。

「あー、ふっきれた! うん! ありがと!」

「そんなそんなそんな! 私の方こそごめ……ありがとう!」

 危ない、謝りそうになった……! だめだ。このままじゃ私が気が気じゃない。

「大垣くん、あの! も、もし良ければ何でも言うこと聞きます!」

 何言ってるんだろうって思いながらも、私は大垣くんの返事を待つ。電話の向こうからため息が聞こえた。

「……だめ。今の俺にそんなこと言ったら本当に何するか分かんないよ?」

「え、殴られる?」

 そんなことしないって、と笑う大垣くんに、私は少しだけ安心した。

「んー、じゃあ一つだけ。一日でいいから一緒に出かけてくれない?」

「わ、私でよければ!」

「いや、美湖ちゃんがいいんだって」

 すかさず突っ込まれ、私は「ご、ごめん」と肩を落とした。そうだよね、そうだよね。何やってんだ私は。

「一日だけでいいから……その、」

 珍しく言葉をつまらせた大垣くんは、その後か細い声で、でもしっかりと意志の持った声で言った。

「俺を彼氏にしてください」

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