第10話 燃えろ、討論会!
「ではこれより、第二十七回朝ヶ谷祭討論会を始めます。まず討論の議題について発表いたします」
司会を行っているのは生徒会の先輩方。客席もしんと静まり返り、司会の声だけが淡々と響く。
「今回の議題は、『朝ヶ谷高校図書室の二階は必要かどうか』です。それでは今から五分間差し上げますので、それぞれのチーム内で意見をまとめてください」
……は? 図書室の二階は……必要かどうか!? そんなの、
「必要に決まってるじゃない!」
だって王子様と出会った場所だよ!? それがなかったら私、ここにいなかったかもしれないんだよ!?
「……余計な発言は控えるように」
司会者に冷静につっこまれて、私は思わず口を押さえた。うう、でも! やっぱり必要なんですあそこは!
「そちら側の意見はもうまとまっているようなので、五分も必要ありません。討論を始めましょう」
唐突にそう言ったのは、向こうのチームの先輩だった。私の方を見てにやりと口角を上げる。
「ちょ、ちょっと待ってください! まとまってるなんて一言も……」
今のは勢いで口走っただけであって、まとまっていたわけじゃない。ここで討論を始められたら私たちが撃沈するのは目に見えていた。
……まさか、
「分かりました。それでは討論を始めます」
まさか先輩たちの目的は――そういうこと、だったのかもしれない。
考えたくなかったけれど。もしこの人が、生徒会にこの討論のテーマをあらかじめ用意させていたとしたら。私がこんな風に口走るのを予測していたのだとしたら。
そうしたら、確実に向こうは勝つことができるわけであって――
「それでは、まずはそちら側の主張からどうぞ」
司会者に指名され、向こうチームの先輩がマイクを持って立ち上がる。
「私たちは、図書室の二階は不必要と考えます」
清々しいほどの声で、先輩は言い切った。
「朝ヶ谷高校の生徒は実に勉強熱心であり、図書室で学習をする生徒が大勢います。図書室の二階は小説や随筆を置いてありますが、そこを利用する生徒はごく少数です」
そのごく少数に含まれている私の神経を逆なでするような口調だった。
「実際、小説を置くくらいなら参考書や実用書を置いてほしいという声が例年多く見られます」
ふと、思った。この人がこのテーマを生徒会に提供したとして……
どうして私が図書室の二階を必要と言うに違いないことが予測できたんだろうか。
もしかして王子様のエピソードを知ってた? いや、そんなはずはない。だってこの人とは何の接点もない。
じゃあ何で――
「それでは次に、こちら側の主張をお願いします」
その言葉で我に返った。いつの間にか向こうの主張は終わっていたらしい。どうしよう、最後の方きいてなかった……
私は恐る恐るマイクを握る。何て言おう。王子様のエピソード話しちゃう? でもそれだとここにいる全員に恥をさらすことになる。
「美湖ちゃん?」
後ろからぽそりと大垣くんが呼ぶのが聞こえた。分かってるんだよ。早く何か言わなきゃ。
客席の視線が痛い。
――もし、この中に王子様がいたら?
そうしたら、いまここで話しちゃえば王子様を見つけられるかもしれない。どうすればいいの……?
「――昨年の夏のことです」
私が持っていたはずのマイクは、あっさりと奪われて中原の手の中に収まった。あまりに突然すぎて固まる私をよそに、中原は横でマイクを握り直す。
「僕はここの学校説明会に来ていました。そして朝ヶ谷高校の図書室は立派だと言われていたので確かめたくて、図書室へ向かいました」
客席がざわつき出す。司会の人も顔を見合わせて、止めるべきかどうか吟味しているようだった。
「図書室の二階は僕の好きな本で溢れていて、その世界にあっという間に夢中になりました。そして座るのも忘れて読書に没頭している時、一人の少女と出逢いました」
――うそ。冗談、でしょ?
「彼女は階段を登る途中、僕に問いかけました。『あなたも受験生?』と。僕は頷いて――頷いた瞬間、なぜだか心が温かくなりました」
何で、どうして。どうしてあなたがそれを知ってるの――
「僕にとって……図書室の二階は、運命の人と出会った場所です。そこが他の人に不必要と言われても、それを受け入れることは出来ないでしょう」
例えどんなにごく少数であっても、その人たちにとっては必要なのだから。そう付け加えて、中原は口を閉じた。
ぱち、ぱち、ぱち……
客席から一人の拍手が聞こえた。顔を上げるとにっこり笑った男子生徒が、中原に拍手を送っている。
それに続いて客席の人たちは一人、また一人と拍手を重ねていく。しまいには会場全体が拍手の嵐だった。
中原は気まずそうに俯くと、「以上です」と手短に告げて腰を下ろした。
「……は、はい。ではこれから討論を行っていきます。意見がある方からどうぞ」
こんなの、討論どころじゃないよ。私にはもっとちゃんと聞きたいことがあるんだよ。
私は椅子を引いて勢いよく立ち上がると、迷わず中原の腕をつかんだ。
「お前、何して……」
困惑する中原など気にもとめず、私はそのままステージを下りる。
「あ、ちょっと待ってください! まだ討論会は終わってな……」
司会の人の声がどこか、遠くで聞こえていた。
「おい、待て。待てって!」
中原を引っ張ってずんずん歩く私に、当の本人はご立腹のようだった。
「――離せよ!」
ぱし、と手を払われて、私は息を呑む。
「あ、ごめん……」
「お前いきなり何してんだ? バカなのか? いや、もうバカ確定だ」
そう言われても仕方ないことをした自覚はある。突然連れ出されたら誰だって怒るだろう。
「ごめんね。でも、どうしても……確かめたかったから」
私にとっての王子様はたった一人だけ。その一人がいま目の前にいたら、――私は無理。冷静でなんていられない。
ねえ、中原。さっきのは本当に本当なのかな。あなたは私の、
「中原、……さっきの話ほんとなの……?」
――王子様なのかな?
黙り込んだ中原に、私はさらに言い募る。
「私の王子様の話知ってるでしょ? お願い答えて。中原、は……」
私の――
「――さっきのは、嘘だ」
中原は私の言葉を遮り、はっきりとそう言った。それなのに視線はそらされている。
「お前の王子様うんぬんの話を俺が代弁しただけのことであって、別に本当に言ったわけじゃない」
……そんなの。胸の奥が深くえぐられたように傷んだ。
代弁しただけとか、言わないでよ。私にとっては大切な思い出で、それもまだ諦めてない人で。
でも、中原は悪くない。きっと見るからに困っている私を助けようとしてくれたんだろう。
「そっ、か……」
それだけしか言えない自分に――そんな言葉で片付けてしまった自分に、嫌気がさす。何で大切なのにそれを言えないんだろう。何にも恥ずかしがることなんてないはずなのに。
私の初恋ってそんな程度のものなのかな。
「……おい、泣くな」
中原に言われて自分の頬に手を当てると、しっとりと濡れていた。ああもう、何で泣くんだ私。情けない……
ぐしぐしと涙を拭っていると、頭に温かい感触。顔を上げたら中原と視線がぶつかった。
「俺が悪かった。……だよな?」
温かいと思ったのはどうやら中原の手のひらだったらしく。そのままぽふ、と軽くたたかれてからその手は引っ込められた。
「中原は……悪くない」
「じゃあ何で泣いてるんだ」
何で? 何でだろう。もしかしたら、期待してたのかな。
「……中原が王子様かもしれないって、思ったから」
上げて落とされた、みたいな。すると中原は「お前……」と遠慮なく顔をしかめ、
「そんなに俺のこと嫌いか」
「え、何で!?」
嫌いなんて一言も言ってないのに。しかし自分がさっき言った言葉は確かに、誤解を招くものだった。
「あ、いやあれは違くて! そういう意味で言ったんじゃなくて!」
「もういい、言い訳は別にいらない」
だから違うんだよ! いやまあ確かに君が王子様だったらちょっと困るかもだけど!
「私、中原のこと嫌いじゃないよ!?」
無愛想で素っ気ないけど。嫌味なやつには変わりないけど。でも、意外だなってところも、ちゃんと知ってるから。――大切な仲間だから。
「中原が私のこと嫌いなのは知ってるけどさ……私、これからちゃんとみんなで仲良くしたいと思ってるし」
ケンカもたくさんするし、バカとか暴言吐かれるだろうし。
それでもね、この同好会のみんなのこと。私は大好きなんだよ。
「だから私のこと嫌いでもいいから、少しだけ仲良くして……?」
中原は一つため息をつくと、呆れたように口を開いた。
「……バカか、お前は」
「え!?」
この状況でバカとか言う!? もう私、完全に心折れそうだよ……?
「いつ誰が、お前のこと嫌いだって言った?」
中原……!
嬉しくて飛び上がりそうになるのを必死にこらえた。だってだって、あの中原が私のこと嫌ってないだなんて! そっか、私って思ったよりも嫌われてなかったんだ!
「そんな目で見るな。……色々と調子が狂う」
「えっ、ごめん!」
私、一体どんな目で中原を見てたんでしょうか……そんなに気持ち悪がられるほどの視線を浴びせてたんでしょうか……?
慌てて目をそらすと、中原はこつんと私の頭を小突いた。――さっきよりも優しい。
「戻るぞ。まあ、どうせ棄権扱いされてるんだろうが」
「ああっ! そっか!」
そうだよね! 途中で抜けてきちゃったんだもんね! ごめんね三人とも……
見えない三人に手を合わせて謝罪する。
「早く走れ」
中原にそう急かされて、私も走り始めた。
ふと見た前にある彼の背中が大きい。――ああもう、ずるいよなあ、中原は。
まるで私の気持ちを全部分かってるみたいにして。冷たいくせにこういう時は優しくて。
一瞬、ほんの一瞬だけ――中原が王子様だったら……って、思ってしまった。
きっと中原が女の子のファンができるのはそういうところがあるからだ。何だかんだで相手を冷たく突き放せないから、最後まで面倒をみちゃうところ。
だからさ、中原もきっと。いつか素敵な「運命の人」と出逢えるよ、絶対。
振り向きそうもない背中に私は心の中、そんなことを投げかけて走り続けた。
「美ー湖ーちゃーんー! 聡も! どこ行ってたの!?」
会場に戻るや否や、大垣くんが私たちに駆け寄ってきた。うう、ごめんなさい。さすがの大垣くんも怒るよね、仕方ないよね……
「ああ、お二人とも無事で……良かったです」
大垣くんの後をついてきた森岡くんが安堵したように微笑んだ。や、優しい! まるで天使のような微笑み!
「ちょっと妬けちゃったよー。何、二人っきりで何してたの?」
にやにやと訊いてくる安本くんに軽く一発蹴りを入れてから、私は「ごめんね!」と叫んだ。
「本当にごめん! 気付いたら体が勝手に動いちゃって……迷惑おかけしました……」
すると大垣くんが「気にしないで」と笑った。
「聡があんなこと言って、美湖ちゃんが黙ってるわけないもん。ある程度は予想してたことだよ」
「でも……棄権になっちゃって」
「いいっていいって! どうせ思い出づくりみたいなもんだし!」
優しいです……その優しさが身にしみます……本当にごめんね、みんな。
「もー、そんな顔しない! はい、元気出してー」
大垣くんが私のほっぺをぎゅーっと引っ張った。い、痛い!? 割と結構マジで痛い!?
涙が出そうになる寸前でこらえ、大垣くんを見上げる。……無理、もう無理です。ギブです。
「ああもう……」
大垣くんはそう言ってぱっと手を離した。うん、痛かった! 非常に痛かった!
「美湖ちゃん、涙目禁止! ついでに上目遣いも禁止!」
びしっと指をさされ、私は「ええっ」と声を上げた。そ、そんな高度なテクニック、使った覚えはありません……!
ぎゃーぎゃーと騒いでいると、
「ずいぶんと楽しそうだね」
後ろから落ちついた声が飛んできて、私たちは振り返った。さっきまで討論していた先輩だ。
「はあ……あんな棄権、今まで見たことないな。勝った気が全然しない」
「す、すみません」
思わずそう言った私に、先輩は意地の悪い笑みを浮かべる。
「今度こそ、勝ち負けはっきりさせない?」
「……え?」
「明日、生徒会が企画したイベントがある。そこで君たちと勝負をしたい」
勝負って……大人気ないんですけど。だって私たちが負けるの目に見えてるじゃん。
「嫌です。あなた、生徒会と手組んでるでしょう」
はっきり言ってやると、先輩は目を見開いて「へえ」とつぶやく。「……分かってるね、君」
やっぱりそうだったんだ。今日の討論会も仕組まれてたんだ。私はふつふつと怒りの感情がわいてきた。
「何なんですか? 私に恨みでもあるんですか?」
「恨み? とんでもない。ただ単に欲しいだけさ」
欲しい? ……何を?
「そろそろ一年生から生徒会のメンバーを輩出してもいい頃だ。どう? やってみる気はない?」
「やりません」
「あ、そう。じゃあいいや。僕、つれない子は興味ないんだよね」
何なんですかこの人。嫌味ったらしくて腹立つ! すると先輩はすっと人差し指を向け――
「中原聡。――君が欲しい」
挑戦的な瞳で、そう告げた。
「は……?」
名前を出された本人はといえば、そんな声を出して固まる。
「学年トップで常に冷静。運動神経も良くておまけに面倒見がいい。ほら、ぴったりだろ? 生徒会メンバーに」
中原の長所を羅列する先輩。確かに中原はすごい、けど……でも。
「申し訳ありませんが」
冷たい声がその場の空気を変えた。中原はそのまま淡々と続ける。
「俺は生徒会に入ろうと思ったことがありませんし、これから先も恐らくないです。他の人を当たってください」
相手の意思を一切受け付けない口調。こんなに冷たい中原は、久しぶりに見た気がした。
「あー、ごめん。言い忘れてたけど」
先輩はそこで言葉をとめて、後方をあおいだ。その先には現生徒会長――立花葵先輩の姿があった。
「生徒会長のご指名だから。――中原くんは」
……誰か嘘だと言って。もう私、脳が要領オーバーです。
そうこうしている間に、話は進む。
「明日のイベントで僕達が勝ったら、君を遠慮なくもらうよ。もし君達が勝ったら……そうだね、花火でも打ち上げようか?」
くっ、バカにしてやがるこいつ! 絶対私たちが勝てないと思ってやがるっ!
「いいですよ」
今度は挑発的な声。中原が静かに、先輩の要求を受け止めた。
「俺たちが勝ったら……本当に花火、打ち上げてくださるんでしょうね?」
「はは、もちろんだよ」
そうやって笑ってられるのも今のうちだぞ先輩! っていや違う! 問題そこじゃない!
何で中原、要求のんじゃうのよ!?
「じゃあ明日、楽しみにしてるよ」
手を振り去っていく先輩に、私は思い切り舌を出した。ふん、何よ。中原を奪おうったって、そうはいきませんよ!
こうなったら……
「みんな、絶対に中原を守ろう!」
意気込んでガッツポーズした私の頭を、中原がはたく。
「お前はアホか。何が守ろうだよ」
「だ、だって……!」
中原をとられちゃうかもしれないんだよ? あのムカつく先輩にとられちゃうんだよ?
嫌じゃん。せっかく仲良くなれそうなのに悔しいじゃん。
「中原がいなくなったら……だめだもん」
私たちは、五人揃ってこそ意味があるんだから。一人でも欠けたら同好会おしまいだから。
「だから私たちが守るの。中原は絶対渡さないの! ……って、ちょっと!?」
急にわしゃわしゃと頭をなでられて、私は困惑した。それをしたのが中原だったから、余計に。
「……そんなこと、言わなくたっていいんだよ」
そっぽを向いた顔からは表情が分からないけれど。その声がいつもみたいに照れた時のそれだったから。
「ん、でも……言いたかったからいいや」
ていうか君、言わないと分かんないでしょ。もっと自信持たないとだめだよ。ちゃんとみんなから必要とされてるんだよ。
私たちがついてるんだよ、って。
「……ほんと、バカ。バカだしアホ」
「何で!?」
励ましたのに!? 柄にもなく励ましたのに!? すると中原はまたぽふ、と私の頭をたたいて。
「別に」
と、ちょっぴり嬉しそうに笑った。