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第1話 最低最悪な出会い

 あれはまだ夏の暑い日。ちょうど太陽が顔を出して、受験生たちを容赦なく照りつけていた。

美湖みこ、もう帰る?」

 聞き慣れたお母さんの声が耳に届き、私はパンフレットから顔を上げる。

「んー、まだ。見たいところがあるの」

 そう言ってまたパンフレットに視線を落とした私に、お母さんは「そう」と返して、

「じゃあお母さん、校舎内を色々見てくるから。美湖も用が済んだらちゃんと連絡してよ」

「はーい」

 私の間延びした返事を聞くと、お母さんは少し微笑んで校舎内へと歩いていった。

「……さて、図書室はどこだっけ」

 立派な校門の前で、さっきもらったばかりのパンフレットをめくる。

 ――ここは朝ヶ谷高校。数多くのエリートたちが集う超難関校なのです。

 私、菊地きくち美湖はいたって普通の……いや、見た目でいえばかなり地味な女子だと自分でも自覚している。

 毎朝起きたら天然パーマがそれはそれはすごいことになっていて、それを隠すためにはおさげが一番いい。小さい頃から目が悪かったから黒縁眼鏡をかけているのは仕方のないこと。……だってコンタクト怖いんだもん。

 そうして出来上がった私は、たぶん真面目な優等生そのものだろう。

 そしてもちろん、勉強もできないわけじゃない。むしろ常に学年一位だった。

 だから決めた。――私はこの朝ヶ谷高校を受験すると。

 私の唯一の取り柄、勉強ができること。それを最大限に生かせるのが、この高校だと思ったから。

「ここを右に曲がる……」

 校内地図を参考に進むと、遠くの方に図書室の扉が見えてきた。廊下の突き当たりにあるその扉は装飾が施されていて、とても豪華だ。

「失礼しまーす……」

 力強く押してようやく開いた。

「う、わ……すご……」

 一歩足を踏み入れたら、そこは別世界。

 高い天井いっぱいにそそり立つ本棚。その中にはたくさんの本が隙間なくびっしりと詰め込まれていた。

 本好きな私にとってこの光景は夢のようなもので。

「すごい、すごい……」

 合格したらここにある本を全部読める。そう考えただけで気分は晴れやかになった。

 奥へ進むと、そこは勉強スペース。そしてその先には二階への階段。

「図書室なのに二階あるの……?」

 ここからじゃ上が見えない。私は好奇心に負けて、その階段を登り始めた。

 階段を半分くらいまで登ったところで、段々と上の景色が見え始めた。

 あれ、誰かいる。こちらに背を向けて、その人は本棚と向き合っていた。制服を見た限りでは、ここの生徒じゃない。たぶん私と同じ受験生だと思う。

「あのぅ……」

 勝手に本を物色してよろしいんでしょうか。一応、ここの高校の物ですけど。

 人見知りな私はもちろんそんなこと言えない。

 大きな窓から太陽の光が差し込んで、その人の方を向いているのにも限界があった。うう、目に直撃する。めっちゃ眩しい。

 するとその人は振り返る。まるでそこだけ風が吹いているような、そんな仕草で。

 すらりと細い足。本を掴んだままの綺麗な手。

 太陽光のせいで顔がまったく見えないけれど、男の子だということは分かった。

 まるで、時間が止まったような。穏やかな沈黙が私とその人を包んだ。

「……あなたも、受験生ですか?」

 こっちからは向こうの顔が見えないのに、いま目が合っていると断言できる。なぜかそんな気がした。

「……うん」

 たったそれだけなのに。その一声で、私は底のない穴へ真っ逆さまに落ちた。

 ――人はそれを、恋という。


          *


「はあ――――――!?」

 朝ヶ谷高校の廊下に、私の声が清々しいほど響いた。

「美湖、みんな見てるから……とりあえず落ち着いて、ね?」

 隣から私をなだめるのは友達のさき。咲、ごめん。私それどころじゃないよ今。

「な・ん・で、私が学年二位なのよ! おかしいでしょ!?」

 教室の前に貼られたテストの順位を指さして喚く私を、咲が「まあまあ」と苦笑いで再びなだめた。

 だっておかしいじゃん! 受験は一番の成績で合格した私が! なぜ!

 学年二位なんでしょうか!?

 入学式の新一年生挨拶だって、トップで合格した私がやり遂げた。

 中三のときに絶対合格するって決めて、猛勉強した。合格発表の日は死ぬほど嬉しかったのに。

 やっとこの朝ヶ谷高校に通えるって。あの日に出会った王子様にまた会えるって。――そう思ったのに。

「もう、誰よ一位の中原なかはらってやつ!」

 入学してから毎日図書室に行って二階に登るけれど、あの彼とは一度も会えない。

 かれこれ二ヶ月も経って、現在六月。最初の定期テストを迎えて今、こうして順位が張り出されている次第なわけです。

「高校なんて色んな人が集まってくるんだから、美湖より頭いい人がいて当然でしょ?」

 さらっと辛辣なことを言われてへこんだ私に、咲がフォローを付け足した。

「でもトップで受かった美湖なら本当に実力あるってことだよ。そんなに落ち込まないで!」

「うう、私には勉強しか取り柄がないんだよぅ!」

 大げさに顔を覆って嘘泣きをしてみる。まあ、勉強しかできないってのは本当なんだけども。

 何言ってんの、と咲が私の肩を叩いた。

「美湖は可愛いから大丈夫! 勉強だけとか悲しいこと言わないで!」

「咲に言われたくないわ!」

 高城たかぎ咲。私の唯一の友達であり、――超絶美人さんです。

 さらさらの長い髪にぱっちり二重。ほんのりピンク色の頬は思わずスリスリしたくなる滑らかさ。

 女子なら誰もが欲しがる要素をすべて持っている! それが咲という女の子なのです!

 それに比べて……と、私は自分の髪の毛をつまむ。くるっくるの天パで、それを隠すために中学の頃はおさげにしていた。だがしかし!

 高校デビューですよ、皆さん! 私はイメチェンしたのです! おさげからポニーテールにしてみたのです!

 そして眼鏡はやめてコンタクトにした。

 なぜか? 王子様に会った時のために決まってるでしょ!

「とりあえずお弁当食べようよ、お腹空いた」

「そうだねー。腹立ったらお腹空いたわ」

 二人で並んで一年二組の教室に戻る。

 教室に入った瞬間、クラスメートの視線が一気にこっちへ集中した。

「……おっと、これはどういうことだ?」

 思わずそうこぼした私。

「学年二位のお出ましだーってとこかしらね」

 平然と咲が言う。「さっきあんだけ廊下で叫んだから」

「ああ、そういうことか……」

 数分前に戻って自分の口を塞ぎたい衝動に駆られた。……って、いやいや。

「どう考えても咲が美人だからでしょ」

 男子の視線は私を通り過ぎて咲に向かっている。ああもう、目がハートになってるわー。

「どうでもいいわよ。さ、食べよ食べよ」

 これだけ注目されているのに、さっさとお弁当を開いてしまう咲。やっぱり慣れてんのかなあ、こういうのは。

「で、気にならないの?」

 ポテトサラダを一口食べた咲は私にそう訊いた。

「はひは?」

 何が? と言うつもりが、ご飯を詰め込みすぎて変な応答になってしまった。慌てて飲み込む。

「学年一位の男よ」

「あー、あの中原ってやつ?」

 学年一位のところには堂々と「中原さとる」と示されていた。

 むかつくから名前ちゃんと覚えてるもんねーだ! いつか会ったときに宣戦布告してやるわい!

「気になんないの?」

 咲の視線は明らかに恋バナをする女子のそれになっていて――

「あのね、たぶん咲が想像してるのとちょっと違うと思う」

「当然自分が一位だと思っていたのに、突如現れたライバル! しかも相手は超絶イケメン! 最初は嫌いだったけどどんどん彼に惹かれていって……」

「あの、咲さん?」

「それでも二人は運命に引き裂かれてしまう……」

「ねえ、待とう? 勝手にベタな展開用意するのやめよう?」

 また咲の悪いくせが始まった。何かと物事を恋愛に持っていってしまうというくせ。しかもドロドロの昼ドラ風。

「二人は一体どうなっちゃうの!?」

「やめんかい!」

 咲の頭をパコーンと叩くと、

「あ、あれ? ごめん、私またやっちゃった?」

 我に返った様子で周りを見渡す咲。そう、この子は無意識のうちにこんなことをやらかすんです。そしてそれをとめるのはいつも私の役目。

「ほら、みんな引いてるから……」

 さっきまで咲を熱っぽい視線で見つめていた男子たちも、今のを見て開いた口が塞がらないようだ。

「だから言ってるでしょ、私には彼氏ができないんだって」

「うん、よく分かった。分かったから」

 何がなんだか。ふう、とため息をついたそのとき、廊下が騒がしいことに気づいた。

「何の騒ぎ?」

 食べかけのお弁当をそのままにして、私と咲は廊下の様子を少しだけ見てみることにした。

「ああ、中原聡じゃない」

 咲が腕を組みつつ言う。

「え? あの人が?」

「そうよー。なかなかのイケメンじゃない?」

 廊下を歩いていた人はみんな立ち止まって、彼の通る道を開けている。いや、どちらかというと彼を避けているだけかもしれない。

 当の本人――中原聡は、そんな周囲に物怖じせず、すたすたと通り過ぎていく。

「ていうか美湖は疎すぎんのよ。中原聡なんて入学当初から騒がれてたじゃない」

 そう言われたって、知らないものは知らない。今回だってテストの順位が張り出されていなかったら、たぶんずっと彼の存在に気づくことはなかったと思う。

「ほら、これからめくるめくラブストーリーが始まるのよ」

「やめてよ」

 縁起でもない。誰があんな憎たらしいやつと恋するんですか!

 それに私には――

「わ、私にはちゃんと好きな人がいるもん」

「あーはいはい。そーだったね」

 心底興味のなさそうな顔をして咲が相槌を打つ。「白馬の王子様だっけ?」

「勝手に白馬に乗せるなっ!」

 確かにあの人は王子様だけど! でも白馬じゃなくて本を持ってましたとも!

「ま、それはそれとして。学年一位になりたいんでしょ? だったら中原聡と関わり持っておくべきじゃない?」

「いーの。私は実力で勝つの。才女だからね」

 はは、天才と呼んでくれたまえ! 中原とかいうやつより実力は上なのだよ!

「あっそ。まあいいけど」

 冷たいよー。咲さんちょっと私への当たり強くないですか。

「今日も図書室行くの?」

 そう訊かれて、私はぱっと顔を上げた。

「もちろん!」

 今日一番のスマイルをお届けしておりますっ! 待ってて王子様! あなたに会うためだったら私は何でもする!

「どうでもいいけど早く食べちゃお。あと五分しかない」

「うわ、ほんとだ」

 結局、残りのお弁当はかき込むはめになった。


 放課後。私は図書室に来ていた。

 もちろん、王子様を探すためですよ! もしかしたら今日突然出会えるかもしれないじゃん!?

 ……うん、本当は薄々気づいてる。夢見すぎだっていうことは。

 でも好きなんだもん! 好きな人を追いかけるのは恋する乙女の特権でしょう!

 とりあえず借りていた本を返却して、それからいつも読んでるシリーズものが置いてある場所へ足を進める。

 今日は時間あるしなあ。ちょっとここで読んじゃおうっと。奥の勉強スペースまで来て椅子に腰掛けた。

 周りの人はみんな参考書を開きながら勉強しているけど、私は一人本を読む。

 ああ、幸せ! これに憧れてたんです私は!

 すると突然、向かいに座っていた人がガタンと音を立てて立ち上がった。

「……あ、」

 思わず声を上げてしまった。だってその人は――

「中原、聡?」

 昼に見たあの人だったから。

 って、いやいや! 本人の前でフルネーム言うってどうなのよ!?

 ほら何かすっごい睨まれてるんだけど! 何でこいつ俺の名前知ってんだって顔してる!

「いや、すいません何でもないですごめんなさい」

 早口で一気にまくしたてる。

 だから誤解しないでください。決してあなたを恨んだりはしてません。……嘘です。ちょっとだけ恨んでます。

 彼は特に何か言うわけでもなく、私を冷めた目で見つめたまま――

「……ふん」

 こ、こいつ笑いやがった!? 鼻で笑いやがったぁ――――!?

 ふるふると怒りで震える私などお構いなしに、彼は参考書を手に取りその場を颯爽と去っていった。

「な、」

 人の顔見て笑いやがったな。許さん。絶対に許さーん!

「ちょっと待ちなさいよ!」

 思わず立ち上がって声を張り上げた私に、周りの人たちの視線が一気に集まる。

 中原聡といえば、顔だけこっちを振り返って涼しい顔をしていた。……その表情がむかつくんだよっ!

「いま笑ったでしょ。人の顔見て笑ったでしょ!」

 指をさしてはっきりと言ってやった。けれども返事は返ってこない。

「何とか言いなさいよ」

 彼は相変わらず冷めた目で私を見つめる。口を開く気は毛頭ないようだ。

 くっ、こいつ人のことバカにしやがって。

 すると彼は何事もなかったかのようにスタスタと歩き出した。ちょ、待て。この状況で行くか普通!?

 あーもう頭にきた。仕方ない、あまり言いたくはなかったけど……

 私はすうっと息を吸い、

「あーあ、これだから学年一位の方は! プライドがお高いようで!」

 ぴた、と彼の足が止まる。私はそのまま続けた。

「自分が失礼なことをしたのに謝罪もできないなんて、私がっかりです! 頭のいい人ってどうしてそういうとこあるんでしょうね!」

「……何?」

 初めて声が聞けた。

 その声は怒りの色を帯びていて、私の挑発が効いていることを表す。――だから、私はさらに調子に乗った。

「私、あなたみたいな人、大っ嫌いです!」

 彼はこちらを向いて、

「残念だが――」

 いま思えばたぶん、これが彼と私の最悪の出逢いだったんだろう。

「学年何位か分からないようなやつに、そんなことを言われる筋合いはないな」

 その目は確かに私の方を見据えていて。口角はなぜか愉しげに上がっていて。

「なっ……」

 拳を握りしめる私をしっかり見た後、中原聡は今度こそ振り返ることなく図書室を去っていった。

 ……何、だと。学年何位か分からないようなやつに?

 次の瞬間、私は高校生になってから一番大きな声で叫んでいた。

「あんたなんか大っ嫌い!」

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