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【ジグザとアリグラの心魔狩猟 ~ラックスマイル・カンパニー事件簿~ ※習作版】

作者: 林中象

■あらすじ

マインド・スイープ。

それは、人間の精神世界に潜り、内面世界に巣食う怪物・ガルキゲニマを駆除する技術。

超オカルト科学都市「オクタ・カテドラル」を舞台に、なぜかワケアリ美女・美少女ばかりに取り巻かれる悪運を持つマインドスイーパーの凸凹コンビ、ジグザとアリグラの冒険と日常を描くファンタジー・SFアクション小説。

※こちらは習作版です。連作の長編にするべく、加筆・修正したものを現在「連載小説」形式で執筆中です。10月18日現在、第二話(このシリーズの次の短編)までアップされていますので、よろしければそちらもお読みいただければ幸いです。

【ジグザとアリグラの心魔狩猟 ~ラックスマイル・カンパニー事件簿~】


そのとき確か、俺は幸せな夢を見ていたと思う。

 でも、それがどんな夢だったのかは、どうしても思い出せない。

 そうこうするうちに、場面はこれまた得体の知れない悪夢へと転換してしまったからだ。

 まあ、だいたいそういうもの。幸せな時間ってのは、長く続かない。


 そんな風に割り切ってしまってから、ふと悲しい気持ちになる。

 大切な何かを、無くしてしまったような。

 灰色の、空虚な寂しい気分が訪れて……俺は目を覚ます。


 どうやら目が覚めたのは、フライパンから立ち上る、胡椒と油の香りのせいらしかった。

「うう、頭、イテエ……」

 顔をしかめながら、俺はリビングのソファから起き上がる。


 最初に眼に入ったのは、キッチンに立っている誰かの後ろ姿。

鼻歌まじりに、フライパンを調理箸でつつきまわしている。この匂い……どうやら野菜炒めだな。

 隣の鍋からは、香ばしいオニオンスープの匂い。キッチンの人影が手際よくそこで動き回るたび、白いエプロンと長い金髪が揺れる。

 そいつはちらりとこちらを見ると、呆れたようにいった。

「ようやく起きましたか? それにしてもジギー、昨日はちょっと飲みすぎだったのでは?」

 さらり、と黄金色の長髪が揺れる。といっても、こいつは幼なじみの美少女などでは断じてない。というか、俺の人生に幼なじみの美少女などいた試しがない。ここは薄汚れた大都会の片隅、家賃9万ティカで借りてるボロい一戸建てのリビング・ルームだ。

「うるせえな。放っとけよ」

 頭の中で黒づくめの小人が、ゲラゲラ笑いながら確かなビートで鐘を突き鳴らしている。

「いてて……まだアタマ、ガンガンすんわ……」

「ふん。自業自得ですね」

 メガネ越しに、じろりと一瞥べつをくれたのは、アリグラ・ゼ・クルスニカ。束ねた長い金髪。大理石みたいな白い肌。薄いレンズ越しにも目立つ、神秘的な紫がかった瞳。

 そこらの女の子よりよっぽどツラが綺麗なムカつく野郎で、俺とほぼ同じ身長だが、細身でスカした優男だ。おまけに育ちだってお上品とくるから、始末におえない。持ってるやつはなんでも持ってる、それが世の中の仕組みだよな。

 北方の名家クルスニカの息子、正真正銘の貴族の坊ちゃんが、何の用でこんな大都会に出てきて、俺と同居するハメになったのか。しかも、過去に凄惨な一家心中があった訳アリ格安の築30年物件でね。まあ、事情はそのうち話すな。このアリグラのことは、とりあえず今は俺の相棒の“クソメガネ”と覚えておいてくれればいい。

「そんなとこで妙なクスリをキメた牛みたいに寝そべってないで、二階の自分の部屋で寝てくださいよ」

「うるせーな。別にそれくらいかまわんだろうが」

 ちなみに二階にあるのが俺とアリグラの私室。この一軒家はもともとごく普通の住宅だから、一番広い部屋をオフィス兼応接室に設定したら、壁と扉を経て奥にリビングとキッチンがあるちょっと妙な間取りになっちまった。

「君はかまわないだろうが、僕は気になるんですよ。君は態度がでかい、性格がふてぶてしい、食ったらすぐ寝る。存在感の無駄なボリューム感が、やっぱり牛に似ていますね」

「ほっとけよ……」

「加えて飲酒のペースは守れないし、だらしがなくて教養もなく、運にも見放されており、なによりも人徳がない……人間性の貧困ぶりの王立博物館だ!」

「ちぇっ。ま、確かにちょいと飲みすぎたけどよ。もうちょっと優しくしてくれてもいーんじゃねえの……? あ、べ、別に好きとかそーいうんじゃないんだからね!」

「……リアルで銀のスペル・バレット撃ち込んで、復活できないように頭を下にして埋葬してあげましょうか?」

 俺は吸血鬼か魔物のたぐいか。

「へえへえ、ちょっとからかってみただけでごぜーますよ、アリグラぼっちゃん」

 俺は亀のように首を縮めて言った。

「もちろん、わかってます。冗談は、その目つきの悪い悪人面と君の底辺人生だけにしていただきたい。で、食事、どうします?」

「もらう。けどそれにしても、たまにはさ……」

「なにか?」

「肉だよ、やっぱ! 肉が食いてえ……そう、ぶ厚いステーキだ! つけあわせはポテトとニンジン、コショウと塩を一つまみ散らして、脂がジュウジュウ言ってるレア、焼き立てのヤツ!」

「そんな夢でも見てたんですか? 僕はこれでも、完璧に栄養バランスを計算しているつもりです。そんなに肉が食べたいなら自慢の腕かフトモモの筋肉でも切り出して焼いたらどうですか、ジグザ・バドラルクくん」

「猟奇妄想のガルキ憑きかよ!?」

「ふふ、まあスジ張ってて美味ではないでしょうね、相当ぐつぐつ煮込まないと……あ、もちろん冗談ですから」

「あたりめーだ。だいたいな」

 俺は軽く肩をすくめる。

「……悲しいかな、金がもうねえよ」

 またも襲ってきた二日酔いの頭痛に顔をしかめ、俺はリビングの床に転がった空き缶の山を眺める。もちろん、格安の特売泡酒ばかり。しめて3000ティカちょいの安っぽい天国の残骸が、そこにあった。

「精進料理ばっかは、飽きるんだよ。お前みたいにウザート様の信者じゃねーんでな、俺は」

 軽口を叩きつつ、近くに散らかっていたシャツを体に引っ掛け、俺はひょい、とソファから降りた。ちなみに今日のメニューは野菜炒めのようだが、昨日は大皿山盛りの千切りキャベツ、その前は野菜スティックの和え物、潰しコンニャクゼリー乗せ。アホか。

「ザウートです。御名を違えるのは、冒涜ですよ。それに、教えの上で食事に制限はない」

「あら、そう? でも、過度なダイエットは推奨してるんですかね?」

「いいえ。ダイエットは僕の個人的な意思によるものです。神の導きでこの世に生まれ落ちておきながら、自分という存在が、美しく均整がとれた肉体を保っていないなんて、許しがたいことだ……そう思いませんか」

 サラリと言い放つ。過剰なナルシストは女に嫌われるはずなんだが、こいつの場合は妙な自信と融合して、一種のアイデンティティーとして確立されちゃってるから、女はあまり嫌味に感じないのかも。

 ま、よく言えば、大物のオーラってやつ? 俺? 嫌いだね、アリグラなんて大嫌いだ。派手すぎる恋愛関係のもつれで、女に刺されて死んじまえ。

「ザウートは、もともと戦いの神ですから。生命を讃え、健康的な欲望は肯定する。どうでもいいけれど、同じ肉なら、獣肉より魚肉にするべきだ。それと、アルコールの取りすぎもやめたほうがいい。君はもともと、頭がそう回るほうじゃないのだから、これ以上血液の循環が悪くなると……」

「余計なお世話だね。後悔と節制は墓に入ってからしろってのが、親父譲りのわが一族のポリシーでな」

「……そうですか。ならご自由に。でもまあ、僕には到底、理解できませんけどね」

 とびきり高性能の冷凍庫で結晶化されたような、さげすみの視線。やれやれ、まるで動物園のサルにでもなった気分だ。

 確かに、田舎町の定食屋の次男坊の俺なんざ、北方の大貴族兼聖職者の息子に比べりゃ、サル同然だけどな。だが、いくら俺でも、人格でいけばコイツに比べりゃずいぶんとマトモなつもりだ。アリグラの中には、最高クラスのスペル・バレット&呪法銃の知識と、史上最悪の犯罪者の魂が同居してる。

 ウソじゃない。アリグラがガルキゲニマどもの駆除作業中にキレた後の現場を見てみればいい。そうすりゃ誰だって、こいつが芸術の神様みたいなハンサム面の下に、大量の破壊衝動を詰め込んだ、正真正銘のイカレ野郎だってことが一目瞭然で分かるハズだ。まったく、この性格さえなければ、政府専属のエリート・スイーパーにだってなれたに違いないのだが!

 まあ試験に遅刻して、それをたしなめた試験監督を逆に脅し上げたとか、この年ですでにクライアントを何人かロストさせてるとか、アリグラを取り巻く「伝説」にはことかかないからな。ただ、確実に事実だとわかってるのは学生時代、エキセントリック過ぎる行状にあきれ果てた親父に実家を勘当されたってコトぐらい。まあ、とてつもなく賢いおバカさんなんだ、ようするに。

「ほら、完成です。君は皿を並べてください」

「へえへえ」

 やがて、ケセル中央公園の自由市で1000ティカで買った組み立て式テーブルの上に、湯気を立てる朝飯が並ぶ。

 メニューは皿に山盛りのライス、ニンジン&キャベツ&モヤシの赤緑白のビタミントリコロールが鮮やかな野菜炒め、そして、キツネ色のチーズの塊を申しわけ程度に突っ込んだ濁り気味のオニオンスープ。素晴らしい、最高のフルコース。思わず出てくる涙のしょっぱさが隠し味ってわけだ。

「ま、文句ばっか言っててもしゃーないわな。いただきまーす」

 俺がスプーンとフォークを伸ばそうとすると

「おっと、その前に」

「ん? なんだ、この手は?」

「200ティカ」

「何の冗談だ?」

「……質素ですが、街の食堂で食べれば500ティカはします。もちろん、ライスのぶんも入ってますから」

 俺は天を仰いで嘆息。

「は~~~ッ! ケチくせえ! ケチくせえよ!」

「ついでなんですが、先月の君の家賃は45000ティカ、ガス・水道・電気料金が15000、ネット使用料・電話通話料もろもろは15000ティカ。端数切捨てですが、すべて僕が立て替えてます。耳をそろえて、今ココで払ってください」

「……その前に、てめえが先月ブチ切れて撃ち尽くしたスペル・バレットの代金が65500ティカあるんだが。あと、作業中に発生した事故による精神被害についての、家族からの賠償請求な!」

 幸いにして俺たち2人の「ラックスマイル・カンパニー」は役所に届出だけ出してる有限会社だから、無限賠償責任はない。最悪、名前を変えて出直しちまえばいいが、それにしたって限度ってもんがあるぜ。

「まあ、そこについては、正直、反省の余地はあると思われます……が」

「だろう? あの時、どっかの短気なバカさえブチ切れなけりゃ、万事メデタシメデタシ……ぐぐっとお仕事をスマートにやれたと思わねえか?」 

 目の前の優美なる人間瞬間湯沸かし器に、思い切り嫌味をカマしてやる。

「前衛がガルキを狩り出し、後衛が仕留める。ああ美しきコンビネーション、ストライカーとスナイパーはかくあるべし、だろ? 何のための二人セットなんだよ」

「……でもですね、無職・無収入の上に恋人に日常的に暴力を振るうなんて、人間のクズでしょうが。挙句、妙なクスリを乱用してガルキゲニマに取り憑かれるとか……僕の判断ではすでにウジ、虫ケラのたぐいですね。ザウートも、きっと僕の行為を許してくれます……クォ・ラム・ザウート!(我が神を見よ)」

 アリグラが神妙な顔をして十字を切ると、胸の銀色のパイク・クロスがチャラリと澄んだ音を立てた。

「お前の私情と邪教の教えを仕事に持ち込むな! 対象者がクズかどうかなんてギャラとは関係ねえんだよ! 狩り出しがうぜえからってガルキをアバターごと撃ちまくったら、弾も尽きて当たり前だ! しかも最悪、対象のアバター崩壊までコトが大きくなるかもしんねえんだぞ!」

「ああ、それなら僕は、“エスケーパー”着けてたんで。緊急脱出も可能でした。それに、あんな駄目人間なら、人格が崩壊してしまっても誰も困らない……むしろ、積極的に抹消すべきですね」

 コイツ、脳ミソが砂糖製か?

「アホ! お前とか対象者はどうでもいいんだ! 俺だよ俺! 俺はあのときエスケーパー、持ってなかったんだぜ!? 分かるか? ロストに俺が巻き込まれたら、このクソッタレな世界は、前途有望で善良な若者を一人失うことになってたんだぞ!?」


 あんたはアバターとかコア、シェルって言葉を聞いたことあるかな? 専門用語ってのはどうにもシロウトさんには分かりにくいけど、つまり、人間の心、精神の形を考えてみてくればいい。形っていっても別にゼンとかコギト・エルなんとかとか、そういう抽象的なことをいってんじゃないぜ? 

 そのままズバリ、心ってのは、ゆで卵みたいなもんなわけだ。殻は精神世界の外壁。俺たちの業界では、文字通り、壁とかシェルっていわれる。で、それぞれの個人のよりどころとなる記憶や経験が集まっている部分――いわば白身が“コア”。そして、さらにその中心、一番大事な黄身に当たるのが“アバター”ってわけ。

 で、そのコアに侵入し、アバターに寄生するのがガルキゲニマ。まあ分かりやすくいや、俺たちがいるこの現実とは別のセカイから、次元を超えてやってくる怪物だ。つまるところそいつの相手をするのが俺たちの商売、マインドスイーパーってわけだ。

 ちなみに駆除作業中の事故で、アバターが一時的に破壊されたり失われたりして精神世界が崩壊した瞬間、その精神世界の持ち主は概ね二つの運命をたどることになる。ひとつが、重度の昏睡状態に陥る“スリープ”。これはだいたい、三日から一週間くらい続くが、やがてアバターが自然再生することで治癒するのが普通。

 そしてもうひとつ、アバターが徹底的かつ完全に崩壊してしまった場合が“ロスト”だ。  

 ああ、聞くだけで首をすくめたくなる、イヤな響き! 

 これはズバリ、精神世界自体の消し飛びだ。もしも、俺たちスイーパーの駆除作業中に、アバターとコア、精神世界が崩れて、ロストが発生したら? 

 答えは明快。駆除対象者と一緒に、スイーパー自身もめでたく精神崩壊ってわけ。まあ、精神世界の中でガルキゲニマどもに食い殺されても結果は似たようなもんだが、それでもやっぱり、ロストに巻き込まれるのは別格だ。一番遠慮したいオチなのは間違いない。

 少なくともガルキゲニマとやりあっての名誉の殉職なら、相棒が“メタファ化された精神のカケラ”ぐらいは持ち帰ってきてくれる可能性があるからな。

 また、ときにはアバターの変質による肉体の異形化、リ・ボーンが待ってることもあるが、こっちもこっちで胸糞が悪いケース。文字通り、この現実世界の中に、異界の化け物が一匹登場しちまうわけだ。ここまで話がコジれると、政府の特保警察まで出てくるケースもあり、かなり厄介な事態になる。

 マインド・スイーパーが、やり方次第でなかなか稼げる商売なワリに「子供が将来なりたい職業」「女子の結婚相手として望ましい職業」ランキングに顔を出さないのは、こういうところにも原因がある。要は3Kの中でも、飛びぬけて「キケン」のKがデカイわけだ。


「とにかく! こっちもお前の尻拭いはもううんざりなんだよ! さあ、無駄ダマ使ったぶん、きっちりカネを払え!」

「ああ、もう、分かりましたよ……だったら、それは、さっきのこっちの立て替え分と帳消しでいいです」

「OK。いくらよ?」

 アリグラはちょっと瞬きして、すぐに計算を終えた。

「合計75700マイナス65500……差額の10200ティカをください」

 シュガーな脳みそでも、こういうことには役立つ。だいたい、繊細なスペル・バレットの調合と呪法銃のメンテをあれだけこなせんのに、コトの後先が考えられないってどんなアタマの構造してんだ?

 俺は最近、コイツは高性能だがたまに熱暴走する、欠陥アンドロイドとして扱ったほうがいいんじゃないかと思いはじめている。

「……おっと忘れてたぜ。協会に差っぴかれた仲介手数料と保険費用、お前の負担分が10000な」

「細かいですね……じゃあ、200ティカでいいですよ」

「本来なら、てめえの尻拭いの手間賃をもらいたいぐらいだが」

 俺は破れかけたジーンズのポケットからウォレットチェーンでつながれた財布を取り出し、コインを2枚つまみ出す。そらよ、と放り投げると、アリグラは事も無げにそいつを手の平で受け止めた。その後、ふと気づいたように言う。

「そういえば」

「ん?」

「今日は……どっちが行きますか? 食事の前に決めておきたい」

「いいぜ。じゃあ、そうだな……そいつで決めるか」

「了解です。ほら、タネも仕掛けもないですからね」

 アリグラは手の平からさっきのコインを1枚選び、つまみ上げて見せた。俺がうなづいた次の瞬間、さっとそれを右親指で弾き上げ、甲の上に落ちた瞬間を左手で押さえ込む。

「表ッ!」

 と俺。

「裏ですね」

 これはアリグラ。

 続いてゆっくり手がどけられると……我がジアスポリカの象徴、飛竜と盾の紋章が彫り込まれた、銀色の100ティカ硬貨の裏側が、表に面したガラス戸から差し込む陽光の中で輝いた。

「ちっ……」

 俺は頭の後ろで手を組んで、そのままソファにぼすり、と身体を沈めた。

「決まりです」

 ニヤリと笑って、アリグラがいう。

 天性のバッド・ラック……俺、こういうのって本当に弱いんだよな。ガラス戸越しに見上げた空は、今日もキラッキラに晴れ渡っていた。


 事務所の壁のホルダーから駆除用ロッドを取り上げ、ちょいと具合を確認してからホルダーに戻す。その後、衣装掛けから黒地に炎のロゴが入ったお気に入りのジャンパーを取り出すと、さっと羽織る。それから俺は、振り返って食器を洗ってるアリグラに声をかけた。

「じゃ、いってくるわ」

「はい。朗報と高ギャラの仕事に期待してますよ」

 ひざが抜けかけた防刃ジーンズに履き替え、玄関で履き古しのブーツを履く。見た目は売れないバンドマンってところだが、その正体は……どこに出しても恥ずかしい、最近仕事にありつけてないガテン系スイーパー! やれやれ、洒落にならない。

 駐輪場に停めてあるフローターバイクにちらりと視線を走らせるが、少し考えた末、今日は歩いて駅に向かうことにする。まあ、最近燃料も高くなってきたしな。たまには歩くのもいいだろう。軽い食後の運動ってヤツ。

 息を整え、小走りで走り出す。前衛のストライカーとして、日々体は鍛えておく必要がある。結局他人様の精神世界の中でも、頼りになるのは自分の体だけ。妙な話に聞こえるかもしれないが、理由はちゃんとある。

 他者の精神世界の中で己のアバターの形や性能を保つためには、結果的により明確に己の肉体を管理し、把握しておく必要があるわけだな。まあ、簡単にいっちゃえばアバターは外界の肉体を模したパワードスーツみたいなもので、そいつを俺たちはココロの力で操縦するってわけだ。

 10分ほどで駅につく。

 ジリリリリリ……発車間際のベルが鳴り響く中、さらにひとっ走りして無人のオートマ・トレインに駆け乗る。

 なんとか間に合った。やれやれ。急ぐ必要もないが、チンタラやってて美味しい仕事が目の前で売れちまったら、シャクだからな。

 都心を八角形に囲むように作られた高架の上を走る、無人のオートマ・トレイン。ドアにもたれ、外の風景をぼんやりと眺める。


 高架を挟むように林立したビルの隙間から、この雑然とした街が一望できる。

人口1500万、かつてはこの世界有数の繁栄を誇ったが、今では少しずつ栄光の座からずり落ちていこうとしている街。

 大陸南端の半島に突き出た港町から発展した、科学と神秘の魔都。多民族国家・ジアスポリカの各地から人と情報が集まる、東洋世界のヘソ。

 富と貧困、生と死、欲望と純潔。この世のあらゆるものが対でごっちゃになった混沌の坩堝るつぼ。オクタ・カテドラルは、折しも4月下旬。

 見下ろす街路にときおり、白とピンクのハイブリッド・チェリーの花。

 もうそろそろ、散り始めている。

 いつも、今年こそは花見をしようと思うが、忘れてしまうのだ。

 そして花見を忘れていたことを思い出すのと同時に、すぐにこう思うのも同様だ。そういえば、去年も同じことを思ったな、と。

「僕らはいつも、そんな風に繰り返している……」

 ふと、いつか聞いた安っぽいポップスの歌詞が思い浮かぶ。同じところを、何度も行ったり来たりしているようなデジャヴ。

 だが、それはあくまでも錯覚だ。

 一度通り過ぎてしまったら、二度と戻らないものは、確実にある。

 街路に敷き詰められた、白とピンクの花。

 それが無数の雑踏に踏みにじられ、汚くなっていく様子を思い浮かべた。

 咲いて、散る。それがリズムだ。

 昨年の花と今年の花は、似てはいても別のもの。

 今、目の前にあるこの花は、この世界でただ一度しか咲かない花。

 ふと思う。ガルキゲニマには、この綺麗さが分かるのだろうか。


 虚空間からやってくるガルキゲニマどもは、4月になるとぐっとその数を増す。

 たぶんリストラ候補のおっさんおよび、新入社員と対人関係に悩む学生が増えるからだろうと思っているが、危険区域の予想を出す異象庁によると、単純にこの季節は世界の軸がブレて、次元の境界が曖昧になるからだそうだ。

 ちなみにガルキと同様、幻素粒子の流入量も、この時期がMAXになるらしい。

 まあ、ガルキどもが生まれる虚無の異世界なんて、俺は別に行きたくないからどうでもいいが、俺たちにとって掻きいれ時なのは間違いない。

 多種多様なガルキゲニマどもは、複雑な精神構造を持った人間という種族を偏愛している。そのあふれる愛で精神世界に棲みつき、コアを食い荒らし、アバターに寄生する。

 ときには無理やり人生と行動をコントロールすべく人格を豹変させ、破壊衝動と精神エネルギーをしゃぶり尽くすのだ。


 ヤツらがいつごろからこの世界に現われたのかは誰も知らないが、頼みもしないのに勝手に空間に穴を開けてやってくるから、実質的に侵入を防ぐ手立てはない。この街だけでも年に数千人もが大なり小なりの被害を受け、“精神外科”のある病院やら専門駆除施設やらに訪れたり、運び込まれたりする。

 いわばガルキゲニマは、都市に野放しになっている、猛獣みたいなものと言ってもいい。だが、飢えたライオンが一日に数十匹まぎれこむからといって、この街に暮らす1500万以上の人間を喰らい尽くすことなど到底できない。それに、人の住居を侵す猛獣は、いつでもすぐに狩られる運命にある。

 売春婦と狩人は人類最古の職業のひとつらしいが、その狩人に当たるのが俺たち――スイーパーってわけだ。

 昔はいざしらず、現代では空間の乱れを観測して大量出現の予測もできるし、駆除の方法だって、かなり確立されている。結果、ガルキゲニマどもが引き起こす被害の結果として生まれる死者は、昨今ではだいぶ少なくなった。

 まあとにかく、世界各地の紛争や交通事故、殺人事件による死者や中絶される赤ん坊より、全然マシなレベルまで減少したのだ。

 やっぱり呪法科学の力ってのは偉大だよな。人間は確かにこの世界の寄生虫かもしれねえが、そう言ってるあんただって、やっぱしガルキゲニマに黙って精神を食われっぱなしでいたくはないだろ?


 やがて、車両が向かう先に、俺の目的地でもあるジグラト・タワーが見えてきた。この巨大都市、オクタ・カテドラルを象徴する超高層ビル。

 まだ世の中が華やかなりしころ、巨額の予算を注ぎ込んで建設されたそのバベルの塔は、灰色の市街と蒼穹をつなぐかのように、どこまでもまっすぐに聳え立っていた。

 より高く、より遠くへ――誰もが背伸びしていた時代はとっくに終わっているのだが、完成時期までびっちり組まれた特別予算と利権が絡み合った建築計画だけは白紙に戻せなかったってわけだ。

 街頭でがなりたてる新興宗教の勧誘員いわく、神はとっくに地上から去り、あとには愚かな人間と闇雲に広がる混乱だけが残された、とか。

 意外に言い得て妙かもしれねえ。俺も今度、集会所とやらに行ってみようか。とりあえず、勧誘員はボサボサ頭の冴えねえメガネっ娘じゃなくて、もっとカワイイ子にしたほうが効率がいいと、教えてやりたいね。


 それから、十数分後。長い昇りエレベーターから出ると、そこはジグラト・タワーの46階だった。全体に白とオレンジのカラーリングで統一されたこのフロアの正式名称は、協会が運営する業務斡旋所――通称、ニコニコジョブセンター。でもまあ、背に腹は代えられないって言葉もある。若いうちは、見栄や外聞のことは考えずに、ただただ黙って働いた方がいい。親父がよく言っていたが、全くその通り。


 俺は「ガルキゲニマ駆除業務関連」と書かれた札が下がっている一角に向かう。受付けの子に愛想を振りまきながらスイーパー資格の証明書を見せる。

 その後、俺は指定されたデスクトップPCの前に行き、カタカタと検索キーを叩きはじめた。

「ね、あの赤毛の人、ちょっとワイルド系だけどよくない?」

「マジでいってんの? アイツ、ジギーよ。ジグザ・バドラルク。ほら、あの“バッド・スミス”……スイーパーの中でも最悪の“悪運野郎”。はっきりいって負け組じゃん。そういやこの前も、危うく駆除対象者をロストさせちゃうところだったらしいわよ」

「あ、あれが? やだぁ! じゃあ、あのアリグラさんとコンビ組んでるのって、あの人?」

「そうそう、でももったいないよね。なんでアリグラさん、あんなにイケてるのにわざわざあのバッド・スミスなんかと仕事してるのかしら?」

「きっと昔からの腐れ縁か何かで、仕方なくなんだろうな……彼、冷たそうだけど話してみたら、意外にいい人っぽいもん」

「え、なに~? さてはあんたも、アリグラさん狙いか!?」

「え? いや、そ、そういうワケじゃないけど……。でも、大貴族兼なんかの宗教の司教さんのご子息なんて、できれば乗りたい玉の輿じゃーん!」

 背中で受付嬢たちの会話と、お決まりのクスクス笑い。

 ……聞こえてんぞ、スイーツ女どもが。

 俺は内心舌打ちしながら、黙ってキーボードを叩き続けた。

 だいたい人間、外見より中身だなんて大嘘だ。ガラの悪そうなのと優等生っぽいのがつるんでりゃ、世間の悪いウワサや悪事の主犯格は当然、まとめて片一方に押し付けられる。

「泣いた赤トロル」って話を知ってるか? 昔々、人里離れた山奥に一匹の赤トロルが住んでいました。彼は人間の子供が大好きで、いつもどうやったら友達になれるか考えて……。

 いつ読んでも泣ける話だ。そして赤トロルの親友、青トロルはイイ奴だよな、ホント。俺もあんな友達がいのあるヤツを相棒にしたいもんだぜ。とがった尻尾の生えたメガネ色魔とかじゃなくてな。

 ……まあ、相棒を見る目がなかったって意味では、俺にも大いに反省すべき点があるが。


 まもなく画面にヴン、という音とともに、最新の依頼がまとめて表示された。俺はさっさと画面を覗き込む――残飯ピラフと床落とし済みパン、クズ野菜のサラダに激冷めスープのセットで600ティカになります! 

 夜中に場末のファミレスでオーダーを選んでるみたいにハイな気分になったが、無理もない。ここに集まってくるのは、いわゆるヒモ付き、札付きの依頼ばかり。

 つまりは“特殊な事情”(経済的理由含む)がある被害者のガルキ駆除を国および協会がまとめて引き受け、駆け出しの新人や自力でクライアントを確保できない底辺スイーパーにブン投げるわけだ。

 ちなみに、それでも引き受け手がいないようなクズ依頼の場合、駆除担当は協会に名を連ねてる名簿の中から強制指名される。それこそ目玉が飛び出る格安ギャラで、協会内でのコネが弱く、若くてヒマそうな低認定ランクのヤツが人身御供になるって仕組みだ。

 もちろん駆除作業の途中で“事故”があってもわずかばかりの見舞金が支払われるのみ。ま、あんたもスイーパーになるなら、最低自力で保険くらい入っておけ。


 俺は目をフクロウのようにしてチェックしていき、ようやくその中からひとつを選び出す。ギャラは15万。正直、そう高くない。だが必要条件は、最低一年の経験とスイーパー三級資格以上。侵入してるガルキゲニマは……Eランクと推定。

 まあ安全パイだろう。あまり手強いヤツと出くわしちゃ、こっちの方が“駆除”されかねないしな。後は交渉次第。

「ああ、B-56番の仕事なんだけど」

 俺はそそくさとカウンターに向かい、オペレーターに伝える。幸い、まだその依頼は空きのままだった。依頼案件のコピーを受け取り、改めて内容を確認する。

 駆除対象者は……サラリーマン、男性、43歳と。やれやれ。場所は……ケセル地区第七総合精神外科病院か。お高い私立病院じゃない、良心的価格の庶民向けホスピタル。

「では、規約を確認してサインを」

 そう言われて俺は形式どおり、長々と連なってる文字の羅列にちゃちゃっと目を通す。最後の空欄に自分の名前と、こちらは正当な代理人として、アリグラの名前も本人に代わって書き込む。   

 こりゃあ要するに、駆除作業中に俺たちの身に何かあっても、国や協会をむやみに訴えたり、被害の申し立てをしたりしないってこと。自己責任制度と象徴帝制つき自由民主主義、万歳!

 これで契約は万事完了。ジャンパーのポケットから、携帯受話機を取り出す。

 アリグラに連絡を入れ、もろもろの情報を伝えるためだ。

「ケースはA-012。ガルキはE級。ギャラは15万。じゃあ、14時に現地集合な」

「了解」

 ちなみにA-012は「一般人への侵入。現場にて状況要チェック」を指す。俺はちらりと、カウンターの上にかかっている時計を見る。

 11時38分。

 俺は少し考え、寄り道をすることにした。

 ジグラト・タワーから少し離れた街の一角。

 ここには、それこそ何でも売ってる一大マーケットが形成されている。

 ないのはドラマみたいな素敵な出会いと、一等の宝くじを引き当てる幸運、あとは死体くらいだ。おっと、死体なら地下の食料品売り場で腐るほど売ってるか。

 タチの悪い冗談を思いつきながら、だらだらと古ぼけたビルの階段を登る。

コンクリむき出しの壁に、看板がひとつきり。スイーパー御用達。この商売が成り立つほどのでかい街にはよくある「道具屋」だ。

 店番は、この陽気なのに毛糸の古ぼけた帽子をかぶったじいさんが一人。

 ありふれた通常の銃砲や武装に加えて、「Mスイーパー用(取り扱い注意!)」の札が貼られたコーナーには、専用グッズも各種取り揃えられている。 効果範囲ごとにクラスが分かれたシャッター・フィールド発生器。多様な形と機能を持ったスイープ・ソード&ナイフの替え刃。色とりどりのマテリアルと、出来合いのスペル・バレット。サイレンサーやスコープその他、呪法銃の改造パーツ(アリグラなら、ケースに張り付いたまま一時間は粘りそうだ)。狭い店内は、無数のアイテムでごったがえしていた。

 調合に長けたアリグラと組んでるせいで、少なくともスペル・バレットは不要だ。俺は長モノ振り回すほうが性に合ってるが、一応持ってる予備の短呪銃の整備だって、奴に任せておけば問題はない。こういうところは、あのバカと組んでると何かと便利なんだな。適当におだてておけば、よその業者みたいに金も取らずに上機嫌で道具をメンテしてくれるわけだし。

(あれで、キレやすい性格が丸くなって、、やたらとスペル・バレットをぶっぱなす回数さえ減ってくれればなあ……)

 ふと、そんなことを思ってしまう。でもまあ、無理か。歩く非常識に、まともな人間のフリをしろってほうが難しいわな。

 それに、実はこの人間トラブルメーカーには、故郷に面倒見のとってもよいお姉さんが付いてるって特典もある。

 このお姉さんがまた、実家に勘当された人格破綻者のクソメガネに、親父さんに内緒で、毎月のように仕送りや食料を送ってくれるわけだ。

 さらに、このお姉さん――ナタリナさんは、写真を見る限り、目が覚めるような金髪のスレンダー巨乳さんで、悔しいが顔立ちもアリグラ同様の美形。外見的にはパーフェクトな、まさにマジ天使と言っていい。そしてあろうことか、性格までも良い。素晴らしく良い。ぶっちゃけ、マンガやドラマの中に出てくる「上流家庭育ち」がリアルに形を取って顕現したみたいな、本物の「天然モノお嬢様」であらせられるのだ。

 「都会は寒いでしょう。これでコートでも仕立てなさい」という優しい筆跡のお手紙と一緒に同封されていたIDマネーカード。なにげなくその金額を聞いて、俺は、目の玉ひん剥いておったまげたね。なにしろ、ちょっとした新車が買えるくらいの額だったんだから。

 もっとも、アリグラのヤツは「よくあることさ。まったく、お姉様も世話焼きなことだ……」とヌケヌケとのたまわった挙句、肩をちょいとすくめただけで、涼しい顔をしていやがったが。やっぱり生まれが高貴な方々は我ら庶民とはどっか違うね、金銭感覚のタガがさ。

 結局、俺が必死でアリグラを説得し、それらはありがたく我が事務所の収支赤字を埋めるために使われ、俺はとっとと縁切りしようと思っていた厄介事に導火線が付いた人間爆弾が、ときどきではあるが、豪快な金の生る木でもあることに気づいたわけだ。

 ……しっかし、なんであんなイカレ野郎に、こんな素敵すぎるお姉様がいらっしゃるのか。まったく世の中、不思議なことに満ち溢れているよな。


 閑話休題。俺はアイテムの山の中から、迷いに迷った挙句、強制脱出用の旧式エスケーパーと予備バッテリーを選び、カウンターに持っていく。ついでに値切り交渉をしたが、欲深じじいめ、ガンとして応じようとしない。

 畜生、どうせたいした品でもねえくせに。てめえの貪欲さに惹きつけられたガルキに憑かれても、絶対に助けてやんねえぞ。

 心の中で悪態をつきながら、代金をカードで支払う。味気ない数字で表示されたカード残額は、俺をまたちょっぴり憂鬱な気分にさせてくれた。


 バイクのローンの支払い期日が迫っているのだ。ディーラーの親父の精神世界に潜って、アバターにスペル・バレットでも撃ち込んで記憶消去してやりたいところだが、ガルキ憑き相手じゃないとD・Dは効果がないし、第一、一般人にそんなことをしたら、監獄にぶち込まれた挙句、スイーパー免許取り消しになっちまう。

 協会の影響力は、この狭いピラミッド社会において絶対だ。基本が自由業とはいえ、しがらみってものは、社会で生きてる限り、どこにでもついてまわる。ま、長いものには巻かれておけってね。買い込んだものをザックに仕舞い込んで店を出ると、俺は歩きでケセル地区に向かった。


 14:00。

 第七総合精神病院は、もう何度目かの取引になる、おなじみの得意先だった。

「ちわーッス。ラックスマイル・カンパニーのものですけど」

 ポケットから協会のロゴ入り営業許可証を取り出して、受付に声をかける。カウンターの妙齢のおばちゃんが、俺を待合室に通してくれた。

 間もなくドアが空いて、一人の女性が入ってきた。

 この白衣の女医の名前は、アリカ・ハミルトン。彼女は精神外科医、通常の精神科医としてのスキルに加え、ガルキ関連の被害者の精神傷治療の専門家。

「うん? 今回のスイーパーってまたキミなの」

「えへへ、どうも……」

 毎度の事ながら、俺はついつい下手に出てしまった。思わず見惚れる美貌の彼女はまさに才色兼備、腕のほうもたいしたもので、街の中心から少し離れたケセル地区の病院にしては、法外な額を稼いでいるという噂。さらに、スイーパーの仕事にも一般人よりよほど詳しいというおまけつきだ。こういう女に、エプロンつけて手料理を作ってもらえたら最高だ。

 ……ま、料理の腕については知らないけどね。

「最近、縁があるわね。バッド・スミスくん」

「あのぅ、アリカ先生。ボクのことは、できればジグザってほうの名前で呼んでほしいんスけど……」

「はは、気にしてるんだ? でもまあ、若いコはやっぱりバリバリ働かなくちゃね。魅力あるもん、頑張ってる姿って」

「え、そうですか!? いやあ、まだまだ、ボクらなんて駆け出しですから!」

 俺はデレデレしながら、白くて長い彼女の指をちらりとチェックする。綺麗な左手の薬指に、指輪はなかった。きっとまだフリーに違いない。フリーであってほしい。フリーだといいな……ま、そういうことにしておけ。

「そうだ、今度、お友達を誘って飲み会やりましょうよ? いい店、見つけたんですよ!」

 俺は持てる限りのチャーミングさをかき集め、今の自分に醸し出せる最大値のにこやか口調で言う。ギャラの交渉と女は、ちょっと無理そうでも高目を狙っとけ。親父よ、勇気が出る言葉をありがとう。

「そうね……でも最近、ちょっと忙しいのよ。また今度、考えておくわ。あなたにツキが向いてきたら、ね」

 クスリと笑って、アプローチはやんわり回避される。軽くヘコむが、これもまあ、いつものことだ。ド田舎の定食屋の次男としてこの世に生を受けてこのかた、俺の人生はいつだって、ツキに恵まれた試しがない。幸運だったのは、ハイスクールで優等生の副会長ミリア・ニーアと付き合えたときぐらい。

 卒業してこっちに出てきて、いろいろあった末にこのスイーパー業を開業して……そこから、俺の人生は浮かび上がることがない。

 クソメガネことアリグラ――呪法系メンテと飛び道具の取り扱いに長けた、能力的には理想的な後衛タイプ――に出会ってから、なけなしの幸運さえ、全て吸い上げられてしまったかのような感さえある。やれやれ! 

「それはそうと、今日はもう一人……アリグラくんのほうは?」

「あ、少し別件の処理で手間取ってまして……もうちょっとしたら、到着すると思いますんで!」

 流行っていると見せかけるのも、商売上のテクニック。この時期にヒマなスイーパー=腕か評判が怪しい。でも、それがアリカ先生に通じるかどうかは微妙だが。彼女については、決してお日様ぽかぽかのまっとうな道だけを歩いてきたわけでもなさそうだ、という印象を、俺は密かに抱いている。これだけの美人でやり手が、こんな場末の病院にいるってことがそもそもおかしいのだ。

 俺のそんな商売上の手管を見透かしているのかいないのか、彼女はちょっと含み笑いを浮かべたようだったが、そこはやっぱりオトナだった。

「ああ、そうなの。じゃ、対象者の侵食止めの処理を確認してくるから、後でまた。じゃ、よろしくね」

「ハイ、任せてください!」

 胸を張って、俺はひときわ声を張り上げた。アリカ先生が行ってしまうと、俺はポケットからケータイを取り出し、クソメガネに連絡。時刻は14:07。

「おせえよ。さっさとこいよ」

「ああ、失礼。ちょっとスペル・バレットの精製とアガーテの調整に手間取りまして」

 楽しそうな声。どうやらまた、呪法銃をいじってたらしい。物騒極まりない違法スレスレの改造モノに女モノの名前をつけて喜んでるあたり、いかにもダメっぽいよな。

 だが、同じマニアック趣味でも、イケメンがたしなんでりゃ「意外で男らしい趣味」になるのはお約束。赤毛のツンツン頭の上、眼光鋭い俺がガンマニアであってみろ、即座に犯罪者予備軍扱いされるのは目に見えてる。

 ま、俺もガルキ駆除用のマテリアライズ・ロッド(海外メーカー・ロッソ社の「バジュラSS」だ)にはこだわりと愛着があって、あちこちいじってるけどね。

「で、どれくらいかかりそうなんだよ?」

「そうだな、あと15分ちょい、待っててもらいましょうか」

「俺たちゃ迅速、格安がウリなんだから、とっととしろ。どうでもいいけどお前、なんでいつもそう、上から目線の物言いなのよ?」

「おや? 僕の口調、そんな風に聞こえます? そんなつもりはないんですがね」

「ああ、そうかい。そんじゃアリグラくん、今後、注意してくれたまえ。キミと話していると時々、どうしようもなく苛立つことがあるんでね」

「ほう? それはなんだか、僕に比べると自分が惨めに見えてしょうがないって風にも取れますね? 赤毛虎くん」

 ぶ厚いコンクリ製のトーチカのような、にこやかな傲慢さ。まったく、人をイラつかせるのが上手いヤツめ!

 やれやれ、お前は本当にできた相棒だよ――だが俺は生まれついての前衛タイプだし、アリグラはこれでも頼れる後衛であることには間違いない。

 親父が言ってた通り、人生、何事も我慢が肝心ってわけだ。ストライカーの前衛とバックアップの後衛、二人そろわないと、このスイーパー稼業は不都合だらけだからな。


 結局、ヤツから呑気な電話がかかってきたのは、かっちり20分後だった。

俺は外に出て、素敵な相棒のご到着を出迎えることにした。しばらくすると、道路の向こうに、ヤツの姿が現れる。

「待たせちゃってスミマセン、いや、失敬失敬!」

 携帯受話機を持った片手をちょいとあげて、さわやかに言う。そのくせ、ちっともすまなさそうに聞こえないのはなぜだ? 

 ……しかもまたがってるのは俺の愛車、ハンニバル550RXじゃねえか。ガソリン代をけちって、わざわざ置いてきたってのに。

 しかも、ハンドルを握ってるのは片手だけ。今、ちょっとフラフラしてなかったか? 俺は気が気じゃなくなり、大声で叫び返す。

「アブねえな、片手運転やめろよ! まだローン終わってねえんだぞ、それ!」

 それどころか、正直、後部シートに女の子を乗せて走ったことすらない。あーあ!

「大丈夫、ザウートの御名と僕を信じてください。これでも学生時代、バイク事故は3回しか起こしていない」

「普通はゼロだよ! ……今すぐ降りろ、今すぐ! 降りて押せ!」

 わめきたてる俺に向かって、心配ない、を連呼しながら、アリグラはようやく俺の前に到着する。

「ほら、大丈夫だったでしょ」

 言いながら、エアロスタンドを立てた……と思ったが。クソメガネめ、しっかり確認もしないで手を離しやがった。

 スタンド掛けが甘かったため、自重で哀れなハンニバルはゆっくりと傾き……俺の悲鳴と同時に、車体がアスファルトに叩きつけられる最高に嫌な音があたりに響く。

「おおっ?」

「て、てめえ!」

 俺は髪をかきむしって目を剥いた。

ああ……メシ代とか栄養価とかスペル・バレットのマテリアル調合にはうるさいくせに、こういうところはホントに抜けてやがる。幸い、カウルに目だったキズはついていなかったが……

 ぶつくさいいながら、俺はアリグラと連れ立って再び受付を訪れた。


 被寄生者の寝ている部屋まで俺たちを案内してくれたのは、可愛い女の子だった。蜂蜜色の髪で、目の色は碧。ちょっとタレ目気味なのがポイント。薄桃色のナースキャップも良く似合っている。

「あたし、ティナっていいます。アリカ先生の下で、いろいろ勉強させてもらってるんです。まだ見習いですけど、なんでもおっしゃってくださいね」

 胸のピカピカの名札が、実に初々しい。0.1秒で気に入った。

「あ、俺はジギー。ジグザ・バドラルクです! よろしくね!」

 ポテンシャルゲージをMAXまで振り切った笑顔で俺がそう言うが早いか、横からクソメガネが口を挟む。

「僕はアリグラ・ゼ・クルスニカ。今回、コレと一緒に、スイーパー業務を担当させていただきます。よろしくお願いしますね、可愛いお嬢さん」

 涼やかな声で挨拶し、さりげなくメガネを外すと、するっと右手を差し出しやがった。大理石の英雄像みたいな顔立ちと、神秘的な紫の瞳があらわになり、ティナはちょっともじもじしながら、手を握る。

 アリグラの白い歯がさわやかにキラめく。長い金髪が揺れ、嫌味なほど整った顔にやわらかな微笑がふわりと浮かぶ。お前は一体どこのルネサンス絵画から抜け出してきたんだ、ええ?

 ちらりと見ると、案の定、ティナの頬がほんのり桜色になっちゃってるので、俺は内心気が気ではない。

(騙されちゃいけない、お嬢さん! こいつは人の皮を被った悪魔なんだ! ぼ~っとしてたら、コンビニのチョコバーみたいに、朝食代わりにサクサク食われちまうぜ!)

 叫びだしたくなるのを必死でこらえて、俺は仏頂面で歩を進めていく。

 隣でにこやかに会話が展開し、え~、とかそんなぁ~、とか照れたような声が時折聞こえるその数分間が、俺にはハイスクールの数学の授業なみに長く感じられた。

 まったく、人生ってのはホントに不公平にできてやがる。以前、俺がちょっかい出してた飲み屋の女の子が、朝、こいつの部屋で下着一枚で寝ているところを目撃し、遠まわしになじってやったら、野郎、澄ましてこう言いやがった。

「花はその価値を知る男性に寄り添うもの……それが自然の成り行き、すべてはザウートのおぼしめしですよ」

 元は戦いの神様が、そんな色事の微妙な機微や風流のセンスを持ち合わせてるか? 絶対ウソだろ。

 まれに現実世界に顕現するS級ガルキゲニマが持つという、あの一瞥いちべつ即死の邪眼。そいつが手に入らないものかと、あのときばかりは本気で考えたね。


 俺たちはティナの案内で別棟に移動し、廊下をしばらく歩いた。やがて、別棟内の一画に入ったとき、廊下の向こうから声がかかった。

「こっちこっち! ようやくそろったわね、ラックスマイルくんたち」

 そのぶ厚いドアの前には、アリカ先生が待っていた。

「ティナ、それじゃもういいわよ。どうもご苦労様」

「はい! じゃあ、私は仕事に戻ります。頑張ってくださいね!」

 ティナは笑顔で去っていく。彼女が去り際、アリグラに小さく手を振ったのが妙に俺の気に障った。ジロリ、と隣でさわやかに手を振り返しているクソメガネを睨む。

(てめえ、わずか10数分の間に、何、心のキョリ縮めてんだよ?)

 アリグラのヤツも俺の刺すような視線に気づいたが、余裕の笑みを返してきやがる。とことんムカつく野郎だ。ハイハイ、どうせ器の小さいオトコのヒガミですよ。

「さて、それじゃあお仕事、始めてもらおうかしら」

 先生の声に、俺たちは扉に向き直る。


 鋼鉄製の厳重な扉。その向こうにあるのは、ガルキゲニマがらみの被寄生者のための部屋……駆除室だ。精神に不調をきたして運び込まれた哀れな被寄生者は、ガルキ憑きと判明した場合、ここで“悪魔祓い”を受けるって流れ。俺たちゃいわば、ガテン系のエクソシストってとこだな。


 中に歩を進めると、せせこましい部屋の中には、巨大なメインベッドが一つ。どこでもそうだが、駆除室は簡素な作りだ。窓はなく、棚には万が一のための駆除グッズの予備。駆除業者用の空ベッドや椅子と、被害者の侵食度やガルキゲニマのレベルをチェックするウォッチャーマシンが付属した治療台が一つ。これはまあ、長いコード付きの特殊ゴーグルがセットになった手術機械だと思えばいい。

 今回の被寄生者のおっちゃんは、パジャマみたいな病院着でベッドの一つに横たわっていた。薬か何かで快眠中らしく、大きないびきまでかいてやがる。

「侵入痕は?」

「腕よ。右腕の手首」

 俺はおっちゃんの服の袖をまくりあげ、手首を確認する。ほんのり広がった、奇妙な桜色のあざ。スティグマともブランデッドともいわれるが、ガルキがコアに侵入する時にできた孔が、現実の身体に影響するのだといわれている。このあざの形なんかで、ガルキがどういうタイプかわかることもあったりするんだ。

 ややあって、俺は先生に声をかける。

「じゃあ一応、フック、掛けときますね~」

「ええ。どうぞ」

 おっちゃんの身体をベッドごと特殊素材のコードで固定する。これは万が一のリ・ボーン対策だな。これは一応、病院で駆除作業を行うときの決まりみたいなもんだ。

「依頼時の情報だと、ガルキゲニマはE級ってことでしたけど?」

「ええ、そう。さっき正式に確定したけど、“ウーズ”タイプよ」

「ウーズですか。楽勝ッスね」

 ウーズタイプの主成分は、赤いドロドロのアストラル質の流動物質塊。具体的には、たっぷりバケツ3杯分くらいの生きたストロベリー・ゼリーを思い浮かべてもらえばいい。

 被害者の精神外殻……シェルを溶かしてズルズル滑り込むために、被寄生者のあざはうっすらしたシミ状で、面積の広いものになる。ちなみに確認されている中でも一番の下級タイプで、そのぶよぶよした塊の中に取り込まれさえしなければ、駆除作業の危険は少ない。

「被害者はこれまでも少しずつ浸食を受けてたみたい。今朝、ついに限界を超えちゃったのね。職場で突然凶暴化したってことで、同僚に押さえ込まれてここに運び込まれてきてるわ」

「どれくらい前から、侵食されてたんですかね」

「さっき診た感じだと、結構な量が溜まってるみたい。数ヶ月から半年くらい前から、ってとこかな。でもまあ、まだ侵食は初期段階っていえるレベル。ここ数時間での急激なアバター崩壊は、まずないでしょうね」

ウーズタイプは潜伏期間が長く、シェルを、ちょっとずつ溶かして侵入する。一気に力づくではなく、徐々にコア内に侵入してアバターを捕らえ、じっくりコトコト消化・吸収する、コツコツ型の侵食が特徴だ。

 まあ、扱いやすくてひ弱な、駆け出しスイーパーの経験値稼ぎにはもってこいの下級ガルキゲニマ。確かにギャラが安めなのもうなづけるね。

「ふぅん……ま、とりあえず潜ってみますかね」

 やがてウィィン……と静かな音を立てて装置が作動し、あたりが薄青い光のベールに包まれ始める。ころあいを見計らって、俺は呪法銃を調整していた相棒に声をかけた。

「OKっス。アリグラ!」

 メガネ野郎はうなずき、マルチザックから輪っか――通称エンジェル・リングを3つ取り出し、1つをおっちゃんの頭にセッティングする。続いて俺が取り出したのはD・Dだ。デイメンション・ディガー、つまり空間掘削機なんて言われるが、要は俺たちスイーパーの精神を対象にリンクさせるための装置だ。

 ガルキどもが持っている「空間を掘削する」能力を研究した結果開発された、人類の英知の結晶。もちろん相応に値が張るから、俺たちは協会に開業許可と同時にレンタルしてもらってるわけだが、原理はよく知らねえ。

 まあ、エンジンの仕組みを知らなくてもクルマは走らせられるし、ソフトのプログラムを知らなくてもゲームはできる。どちらにせよ、最初に考え付いたヤツは、ちょっと頭がいいよな。


 やがて、残り2つの輪っかを俺とクソメガネの頭に乗っけて、認証を通す。見た目は妙な形のヘッドフォンを付けた2人組+おっさんって感じ。

 次に俺は、予備のベッドに寝っ転がる。アリグラは手近の椅子に腰掛けることにしたようだ。いよいよ本番。

「じゃあ、キッカーはアリカ先生、お願いしますね」

「分かったわ」

 キッカーってのは、何かトラブルがあった時、薬剤を注入して、精神の同調状態から強引に連れ出してくれる役割。

 今回はエスケーパーも持ってるけど、誰かが待機してくれてたほうがより確実。この仕事、こう見えてなかなか外部のサポートが大事なんだ。これは、俺とアリグラの関係にも言えることで、だからこその前衛・後衛のチーム構成なんだが……。

 俺はちらりとアリグラのほうを見る。椅子に腰掛けながら、ヤツは鼻歌まじりにスペル・バレットを準備、呪法銃に装填していた。ん? なんだか今、見たこともない妙な色のバレットを弾倉に押し込んでたような……気のせいか? 

「それじゃ、始めてちょうだい……」

 アリカ先生にうながされ、俺とアリグラは同時に目を閉じ、若草色と白の精神同調カプセルを口に放り込んで目を閉じた――


※※※


 精神世界に潜るのは、いつでも夢の世界に落ちるのに似ている。

 原理的な部分だけじゃなくて、その導入部分に、人それぞれに似たパターンが現れやすいこともだ。

 俺の場合は、まるで特殊部隊の降下作戦のような落下シーンだ。

 薄い大気の中を、体という実態が風の壁や空気を切り裂く音を感じながら、どこまでも落ちていく。

 やがて体が地表に叩きつけられ、着地に失敗したときは、肉の風船のように酷くバウンドする。

 外の世界、通常物理法則の重力下ならたちまち落下エネルギーと衝撃で四散しちまいそうな体も、精神世界の中だから、深い穴に転げ落ちた「不思議のアリス」みたいなノリで、なんとか無事に落ちつく。

「いてて……」

 今回は久しぶりに失敗しちまったな……腰のあたりをさすりながら、俺は起き上がった。

隣を見ると、済ましてクソメガネも立っている。

 ちなみにアリグラの導入部は、古い美術館や博物館、神秘めいた蔦で覆われた館なんかに、きしむ扉を開けて踏み込んでいくイメージだとか。

 まったく、この野郎は潜入シチュまでお上品にできてやがる。とはいえ、俺みたいに着地に失敗するたびに転げまわらなくていいってのは、ちょっぴり羨ましくもあるが。

 

 眠っているおっさんの中には、無音の夜の世界が広がっていた。

夜、といったのは別に比喩的な意味じゃない。本当に、そこは夜の街だったんだ。ただし、人は誰もいない。

 俺がたっぷり100人ぶんの背丈はある、無数のビルの陰。街灯が静かに照らすアスファルトの路面は、夜気に冷たく冷え切っている。

 闇の帳に覆われた中、街灯とビルのランプだけが唯一の明かり。耳に届くのは、風がビルの林の中を通り抜ける時に立てる、かすかなうなりだけ。


 とことん無機質で冷徹な、まるで見知らぬ惑星の上にある無人の街みたいな、荒涼とした光景。

 まるで世界のすべてが墓の下で眠っているかのような、静まりかえった風景の中に、俺とアリグラは二人だけで立ち尽くしていた。

「ふぅん……」

「ジギー、あれを」

 アリグラが目ざとく気づき、指差した。

 それは、すべてが凍て付いているような静けさの中、遠くに明滅する明かり。巨大ビルの谷間にある、中程度のビルのものだろうか。

 救難のモールス信号のように点滅し続けるその灯は、まるで俺たちを誘っているかのようだった。

 ……まあ、実際にガルキに食われかけている「コア」が、俺たちの到着を無意識下で察して、半泣きで出してるSOSの“メタファ”である可能性は高いわけだが。

「どうやら、あれがこの世界の中心部みたいだな」

「そうですね。精神磁針マインド・コンパスでも、間違いないようです」

 アリグラが、手元の腕時計みたいな器械を覗き込みながら言う。

「とっととおっさんのアバター、見つけてやんねーとな」

 俺たちは、ひとまずそこに目的を定めることにした。


 目の前に広がるアスファルトの路面。その脇の歩道を、俺とアリグラは警戒しながら急ぎ足で歩いていく。

 不気味なほど静まり返り、あたり一面が黒いビロードで覆われたような都心の夜にこだまする、二人分の靴音。

 文字通り、現代人の孤独を絵に描いたような風景。

 俺は思わずつぶやく。

「……ずいぶん、寂しい内面世界だな」

 良くも悪くも、都会は人と人とのつながりが希薄だ。それがいいか悪いかは、人それぞれの価値判断によるだろう。

 人と人とのつながりが深いってことは、それだけしがらみが多くて、不自由ってことだからな。

 俺はド田舎の海辺の町の出身だから、なんとなく分かる。ガキの時分、俺が悪さをすると他人の家の子でも構わず、本気で叱ってくれた雑貨屋のばあちゃん。

 通っていたのは子供が六学年全部で20人しかいない小学校だったから、みんな互いの家族構成から家の間取りまで知っていた。土着の海神様を称えるフェスの夜、ガキどもみんなで集まって騒ぐ時間の楽しさ。

 夜空に弾ける花火に照らされ、思わずドキリとしちまう同級生の女の子の横顔と、伝統の民族衣装の図柄が浮かび上がって……

 都会には都会の気楽さがあるけれど、その逆の孤独や魂の憂鬱も、もちろんあるんだ。都会と田舎、どっちがいいかを選択式のマークシートで答えられると思うのは、本当のガキか、どちらかの生活しか知らない人間だけだ。


 ……ふと気づくと、隣でアリグラがぐちっていた。

「やれやれ、長年都会で、無味乾燥な社畜生活を送った果てがコレですか……まさに都会の闇、ここに極まれりだな」

 ちょっと内容は違うけど、同じようなことを考えてたらしい。おかしくなって、軽口を叩いてやる。

「へえへえ、お前の中身は、さぞ豊かで美しい世界なんだろうな?」

「ふん。僕の内的世界は、女性専用です。君みたいな無粋でガサツなオトコに、踏み込まれたくないな」

「ちっ、言ってろよ」

 ぶつくさしゃべくりながら歩を進めるうち、相手が知能ゼロのウーズだけのことはあって、まるで迎撃らしき行動もなしに、俺たちは目的地に到達する。


 それは高層ビルの林の中にぽつんと紛れ込んだような、中規模のごく普通の商業ビルだった。高さはさしずめ、20階はあるだろうか。

「オフィス・ビルですか……ふぅむ、たぶん、被寄生者の勤めてた会社ってとこかな?」

 アリグラが言う。田舎のじいちゃん家、放課後の教室、あるいは昔の彼氏彼女の部屋、どこかうら寂しい美術館や考古学的価値が満載の財宝・秘宝が満載の博物館。そんなのを精神世界のコアに持ってる被寄生者なら、わりにお目にかかったことがあるが……

「これが、今回の被寄生者のコアのイメージってわけか?」

 俺は呆れて、ビルを見上げる。やれやれ、よっぽどの会社人間なんだろう。

「まあいいや、とりあえず入ってみるか」

「了解!」

 正面玄関の自動ドアは開かなかったので、俺は愛用のバジュラSSの柄を取り出し、シャキンと伸長させた。大きく構えたところで、専用グラブ越しにイメージを送る――すると、たちまち先端に青い光がきらめいて、ハンマー状のヘッドが生まれる。そいつを振り上げて、そのまま思い切り打ち降ろす。

 これはこの内的世界ならではの現象だ。外の世界じゃさすがのバジュラもただの棒で、こんな魔法なんて使えない。

 でもまあ、内的世界の中なら、俺のなけなしの才能――人並み外れて優れたマテリアライズ能力が役立ち、多少の形状変化が可能なわけだ。まったく、芸は身を助けるってヤツだね。

 一撃してハデなヒビをつけてからブーツの蹴りを見舞うと、ガラスは見事に砕け散った。

アリグラが呆れたように肩をすくめたが、数に限りがあるスペル・バレットなんかを使うより、よっぽど効率的だろうが。

 現実なら警報装置でも作動するところだろうが、ここではそういうこともなく、中は完全に静まり返っている。

「お~い」

 一応、声をかけてみるが返事はない。

「構造的には、とにかく上に行けばいいって感じかね、こりゃ?」

「そうでしょう。道があれば進む、山があれば登る、海があれば潜る。それが駆除作業の基本ですから。マインド・コンパス的にも間違いなさそうですね」

 アリグラが言う通り、特にコアが人工的な構造物の形を取っている場合、奥まったところにアバターが存在する傾向が顕著だ。

 よくあるRPGと同じで、お宝がダンジョンや危険な場所の奥深くに配置されてるのって、人間の意識下の世界にも、普遍的に通じる構造なんだよね。

 もちろん、ヤバいほど強力な魔物や邪悪なドラゴンが守ってたりするのも、お約束だけどな。とにかくまずは、そこに到達することが大事。早い話、コアの中から被寄生者のアバターを発見して、取り憑いてるガルキゲニマを駆除してやれば俺たちの仕事は一丁あがりってわけだ。

 おっさんの精神が不調なせいか、はたまたそれがただの内的世界の象徴的な物体だったせいか、エレベーターは故障中で動かないようだったので、階段を使うことにした。

「なんだか、匂うな」

「甘いような、酸っぱいような……」

「あ、お前もわかる?」

「はい」

「ウーズ…かな?」

 おそらくこれは、この低級ガルキが作り出す異臭。精神の外壁を溶かす時に出るものじゃないかと思う。

「どうにも嫌な匂いですね。やれやれ、やっぱり気が乗りませんねえ。臭いガルキゲニマなんて、相手にしたくもないです」

「贅沢いってんじゃねえよ。今月も赤字にしてえのか」

「知りませんよ。事務所の細かい会計の気苦労はジギーに任せてます」

「お前のほうが計算は得意だろうが」

「計算は得意でも、お金にはちょっと無頓着なんでね」

「自分で言うなよ。これだから坊ちゃん育ちはよお……いいですか、お坊ちゃま。お金は一ティカでも宝ですよ?」

 なんだかんだいいつつ、妙に長い階段を慎重に上って、やがてようやく二階に到達しようかという時……

「上を、ジギー!」

 アリグラの声に見上げると、階段の踊り場の天井が、真っ赤に染まっていた。

すぐに上から俺の目の前にだらりと滴り落ちてきたのは……もちろん、血っていうほどシリアスなシーンじゃないぜ。

「やれやれ、こびりついてるねえ、いろいろと」

 雑念や欲望のカケラを身にまとって、肥大化したんだろう。増殖後、体積を増し、寄り集まったウーズがだらだらと流れ落ちてくる。

 強い異臭を漂わせるそれを、カサ状に変形させたバジュラでベショベショと受け流しながら、俺は愚痴った。

「レインコートでも着てくればよかったぜ」

「……ついでに防臭グッズも、ですね」

 アリグラがスイーパー用のコートを頭の上で広げ、顔をしかめながらいった。甘い匂いは、いつしか耐え難い腐臭に変化しはじめていた。


 そんな風に、階段をどれくらい上がったか。

 もう、目の前には階段はなかった。代わりに、そこにあるのは鋼鉄製の扉。

「屋上、か」

「この先ってとこですかね……終着点は」

 息を整えて、俺は思い切りその扉を押し開く。

 その途端、ごう、と不気味な風が吹きこんできた。

 鼻をつく、ひときわ強い異臭。

「おうふ……」

 たまらず、俺は吐きそうになった。アリグラも、右手でしかめた顔の下半分を覆う。


 街の光はどこかに消え、黒いビロードのような闇で覆われた空には、真っ白くてバカでかい月が一つ浮かんでいるきり。薄青い雲間から、かすかな光があたりを照らしている。

 そして、そんな吹きさらしの屋上に広がっていたのは、異様な光景。赤い。見渡すばかりの赤い海。しかも、屋上を埋め尽くすウーズの塊は、たまに盛り上がったり泡だったりしながら、うぞうぞと蠢いている。さすがにこの光景には俺もドン引いたね。そして、その真ん中に、小さくうずくまっているものがある。


 それはゆっくりと起き上がり、こちらに向き直った。まるで……ひときわ真っ赤な肉のヨロイを着込んだかのように見える。

 かろうじて形が分かる頭部、顔のあごらしき部分から、だらりとウーズの塊がひとつかみほど、流れ落ちる。

 そして……ちょうど顔のあたりに、ひときわ赤くて丸い半球がひとつ、ぼこり、と盛り上がった。色がたちまち透き通り、中に黒い目玉のようなものができて、キロリ、とこちらをにらみつける。どうやらあれが、ウーズの本体の中心核ってわけらしい。

「ビンゴ。おっちゃんの“アバター”みっけ」

 アバターはその人間、個人の映し身だ。早い話、卵の白身・コアの中にはそのまんま、体のスケールを小さくした黄身、「もう一人の自分」がいるってわけだ。それは、ウーズの塊に取り憑かれた被害者の哀れな姿だった。

「しかし……醜悪ですねぇ、どうにも」

 アリグラがまた、顔をしかめた。こいつはゴキブリを殺すのに火炎放射器を使いかねないくらいだからな。潔癖症だかなんだかしらんが、行きすぎだ。

「まあ、ぼやぼやしている場合でもないみたいだな」

 アリカ先生の見立て通りならしばらくは大丈夫だとは思うが、アバターが完全に侵食されたとき、現実世界の被害者が辿る結末は3つのいずれか。

 スリープ、ロスト、リ・ボーン。つまるとこ、アバターの自然治癒まで昏倒状態が続くか、精神世界が消し飛ぶか、精神の中核を失って化け物になるか……究極の3択だ。

 最初のルートはまだマシだが、二番目三番目は、俺ならキッパリ願い下げだ。

「とっとと駆除すっか。バックアップ、ヨロシク!」

「こんな時は、つくづく後衛でよかったと思いますね」

 俺はバジュラを構えて走り出す。

 足元では赤い海がもぞもぞ動いて俺の動きを妨げようとするが、ブーツは抗精神汚染仕様。しょぼいウーズのからみつきなんざ、ハナから寄せ付けない。

 遠慮なくウーズを踏みつけて、とにかく走る走る。ちなみに踏んづけた感覚はニチャニチャではなく、どっちかっつーとプルプルした感じ。ガキの時分、海水浴でクラゲを踏み潰して遊んだときのことを思い出した。

 おっちゃんのアバターに近づくと、ウーズに絡みつかれて泥人形のようにも見えるそれは、うつろな声を上げた。

「ばるあああおおおお……!」

 威嚇してるつもりか。だが、暗い洞窟を吹きぬける風のようなその声を気にもせず、一息で最後の間合いを詰める。

「おりゃ!!」

 思い切り踏み込んで、大きく両手で構えたバジュラを振り下ろす。バキッと屋上のコンクリを割る音を響かせ、それはアバターの足元のウーズの海のただ中に突き立った。

 俺はそのまま、握った柄に全体重をかける。弓形にしなったバジュラが元に戻ろうとするのに合わせ、と全身のバネを使って跳躍。一瞬後、俺はすでに数メルテ空中にいた。特殊素材でできたロッドを生かした棒高飛び。着地したところは……アバターの肩の上だ。

「おあああああ……」

 脚の間で、アバターの顔面部から盛り上がったウーズの眼がゆっくりと動く。操られているアバターは妙な叫びを上げながら、スローモーションのようなのろい動きでゆっくり腕を持ち上げ、俺を捕まえようとするが、間に合うわけもない。

 バジュラをそのまま思い切り振り上げ……先端をウーズの眼に、一気に振り下ろす。

ガッ! ぶしゅり。

 盛り上がったウーズの眼球が弾け、中から気色悪いどす黒い液体が飛び散った。まるでドブの溝ブタを開けたみたいに、ひときわ強い異臭。間髪入れず、俺は親指でバジュラの柄をいじる。飛び出したスリットの中のスイッチを、ガチンと押し込んだ。

「そらよっ!!」

 電撃の走る音と同時に、スパークが飛び散る。「雷火」のスペル・バレットと同様の効果があるエネルギーの塊を流し込んでやったのだ。想力に反応する複数の幻素を調合し、電気刺激で反応を加速させたことで生まれる衝撃と雷光は、青い大蛇のようにウーズの肉に絡み付いて弾けた。

 ちなみに俺には特別製のパーカーと絶縁性もあるブーツのおかげで、まったく影響はない。直接的な威力には乏しい電撃を使ったのは、ウーズを攻撃するためというより、ショックを与えてアバターから引き剥がすためだ。あまり派手にやって、アバターを傷つけたくはねえからな。


 案の定、電撃を嫌がり、アバターを覆っていたウーズの塊はずるり、と剥がれ落ちた。まずは中身のアバターの頭と身体、やがて全身があらわになる。

 偉大な宗教人や心を磨きぬいた英雄、大芸術家なんかのアバターはそれなりに洗練・昇華されており、見た目もどこか神々しいし綺麗な後光なんかを帯びてることも多いが、おっちゃんのは……ホントに、ただの本人の映し身だった。

 ある意味、等身大で親近感が沸く、ともいえるがね。アバター本来が持つ光は失われており、ちょっとグレーにくすんでいるようでもある。

「やれやれ……」

 地面に倒れたそれを、抱き起こした。あとは、ウーズを防ぎつつ、この侵食されたコアから外に連れ出してやれば、内的世界がガルキの侵食から解放されて一丁あがり。つまり、この後のミッションはお姫様を連れて、無事にダンジョンから脱出せよ! だ。

 だが……

「ジギー!」

 アリグラの声の意図を察し、俺はおっちゃんの身体を抱えて横に転がる。俺たちがいた場所に、赤いウーズの奔流が、まるで触手のように伸びてきて叩きつけられた。

 そちらを見ると……さっき流れ落ちたウーズのひと塊は、すでに力を回復しているようだった。突き潰したはずの眼球が、再生しかけている。

 さらによく見ると、もぞもぞと動いてほかのウーズの塊を取り込んでいる。どうやら受けたダメージを、そうやって回復しているらしい。

 そこにオレンジ色の光弾が数発、まとめて飛来した。アリグラが、呪法銃からスペル・バレットを撃ち込んだのだ。その色から、じんわり広がる炎でウーズを焼くための焼夷系のスペル・バレット……だと思ったのだが……。

 予想に反して、それは地面のウーズの固まりに着弾するとともに、凄まじい轟音を上げて爆裂。ド派手な火柱を吹き上げ、挙句の果てに燃えたぎる火球の塊をあちこちに撒き散らす。

俺はとっさにおっちゃんの身体を抱え込み、ジャンプ。爆風の勢いもあって、ごろごろとそこらを転がるハメになる。

 ウーズの塊には効果覿面で、炎に焼かれ、赤い海の体積が驚くほどの速さでみるみる縮んでいってるようだが…畜生め、TPOってもんがあるだろが!

 全身をウーズのカケラまみれにしながら、俺は叫んだ。

「アホ!ネズミの駆除にロケット弾かよ!」

「う~ん。オリジナルブレンドで改良したんですけど、ちょっと予想外の威力でしたね」

「てめえ、俺を巻き込むところだったじゃねえか!」

「大丈夫、君は煮ても焼いても、簡単には死にません。それに被害者のアバターをかばいつつ回避することも、すでに予想済みでした……まあ、別に予想が外れてくれてもよかったんですが」

「いっぺん、このウーズの海ん中に沈めるぞ?」

 なおもピーマン頭をののしろうとして、俺は顔をしかめる。

ぐぐ、甘酸っぱい……ぐう……少しウーズの飛沫が口ん中に入っちまったじゃねえか……。


 そうこうしているうちに、おっちゃんのアバターは正常化したようだった。体全体が、ぼんやりと白く輝きはじめている。

「うう……」

 軽く頭を振りながら、起き上がる。本来の輝きは取り戻したようだが、まだ意識ははっきりしていないようだ。

「ようやく元に戻ったな。あんたは取り憑かれてたんだよ、ガルキゲニマに。何があったか知らねえが、気をつけたほうがいいぜ。ウーズタイプは、負の感情が淀み、溜った心に忍び込むのが得意な……」

「なぜ……目を見て話してくれない」

「ん?」

 あれ? おっちゃん、まるで聞いちゃいねえ。瞳があさっての方向を見ている。

「なぜ……私を避けるんだ。お前は私の妻だろう? 娘だろう?」

 なおも、ぶつぶつ言い募る。

 どうも、おっちゃんのアバター、正常化したってわけじゃないみたいだ。

「まだウーズの影響が残ってるんですかね……幻覚でも見てるらしい」

アリグラも頭をかきながら言う。

「25年間、働いてきたのに! 家庭を大事に! 酒もギャンブルもタバコもやらずに!

……私はひたすら、働いてきたんだぞッ! なのに、なのに……!!」

 勝手に興奮をエスカレートさせ、ついに頭を抱えて叫び始める。

「うわ……こういうの、やりづらいよね。そう思わね?」

「はぁ? 見るからに、負け組のダメ人間じゃないですか」

 アリグラは道端の石ころでも見るような目で、おっちゃんのアバターを眺める。

「……お前、もうちょっと人の心の痛みってもん、分かるようにならなくちゃダメだよ?」

 野良犬にエアガン撃ち込んで喜んでる小学生を諭すような言い方で、俺が肩をすくめた次の瞬間。

 そのとき初めて、おっちゃん(アバター)はアリグラと俺に気づいたようだった。ゆっくりとこちらに向き直る。

「おっ、しゃんとしたか?」

 だが……

「なんだ? そんな眼で俺を見るなァッ! 目上の人間には敬意を払えッ!」

 アリグラがさらに眉をしかめる。

「はぁ? 人間のクズのくせに、敬意を要求するんですか?」

 ああ、この野郎! ぶち壊しにするつもりかよ! 俺が割って入る間もなく、おっちゃんのアバターは激昂してしまった。

「この若造が! なめるな!」

 アリグラをにらみつけ、両手を激しく振り回す。悲しいかな、拳にまるでスピードはなく、アリグラはひょいとそれを避わしたが、その拍子に、よれよれのスーツにくっついてたウーズのカケラが飛び散り……こともあろうに、奴の頬にぺちゃりと貼りついた。うわ。

 アリグラの形の良い眉がピクリ、と動く。

「まあ、待て待て、おっちゃんよぉ」

 俺は慌てておっちゃんに話しかける。

「落ち着きなよ、ほら」

「うるさいッ! オ……俺を尊敬しろぉぉぉ! 俺に優しくしろぉぉぉっ!」

 目を血走らせて叫ぶそんな姿を見て、俺はなんだか、すごく寂しくなってしまった。やっぱりさ、人生の先輩にはこう、それなりに胸を張っていて欲しいんだよな。

「ったく……しゃあねえな。ほら、しっかりしろ!」

 肩を手のひらでバンッとどやしつけると、ハッとしたようにおっちゃんの目が丸くなり、まもなく焦点が戻ってきた。

「う、うう……?」

 いちいち手間をかけさせんなよな。俺はころあいを見計らって、泣いてる子供を諭すかのような、柔らかい口調で話しかける。

「気がついたか? あんたはウーズタイプのガルキに乗っ取られてたんだよ……俺たちは、助けに来たんだ、分かる?」

「う……うるさい……俺を尊敬……しろぉ……!」

「なあ、一つ考えてみようや。なんでみんなが、あんたに優しくしてくれないんだと思う?それはさ、はっきりいっちゃうとね、アンタに価値がないからだよ」

「何……だと?」

「厳しいみたいだけどさ、世界の仕組みってのは、そうなってんだ。価値があるから、みんな優しくしてくれるんだぜ。面白いヤツって、人に好かれるだろ? あれはさ、面白いってことは、人を和ませるからだよ……つまり、価値があるってこと。美人がモテるのはなぜだ? 金持ちがチヤホヤされるのは? 同じことさ」

「……」

「人はみんな平等ってのは、最低限の部分だけだぜ。尊敬されたりチヤホヤされたいってんなら、それ相応のプラスアルファが必要……最低料金に加えて、チップを払ってやんなくちゃよ。せちがらいけど、この世界じゃ混じりっ気なしの好意とか善意ってのは、なかなかのレアアイテムなんだ……だから、みんなそういう話を美談にするんだろ? そういうことがありふれてたら、美談にはならねーさ」

「……わ、若造が」

「ね、根本的には他人に何かを期待するよりさ、自分に期待しようじゃない? そのほうが精神衛生上、いいと思うんだけどね」

 これは若き日に職を転々とすること十数回、最後に定食屋の主人に落ち着いた、親父譲りの人生哲学。息子の目から見ても親父はワリにダメ人間の部類に入る気がするが、そんな自分自身を受け入れ、立派に誇りを持ってタフに世渡りをこなしている。まあ、一種の開き直りともいうがな。

 だんだん、おっちゃんのアバターの目の焦点が定まってくるが――

「知った風なことをいうな! 私は、貴様らの倍も生きてきたんだ!」

 感情が安定しないらしく、またまたあっという間に激高してしまう。

「まあまあ、気持ちは分かる、気持ちはね?」

 なだめにかかる俺をズイ、と横から押しのけ、アリグラが言う。

「僕が分かりやすく言ってあげますよ」

 あ、ハナシがこじれるから、お前は出てくるなっての。

「祈りは大事だが、救いがあるのが当たり前ではない。まずは自分で自分を助ける努力をしろ! 分かったか、このクズめ!」

 ビシリと指を突きつけて妙に偉そうに言い放つ……当然逆効果だ。乗り物や建物を乗っ取った立てこもり犯の説得に、コイツほど向いてる人材はいないだろう。

 キレた犯人に人質が全員殺され、犯人射殺で事件に速攻で片が付くこと、請け合いだ。

「どうしろって言うんだ……! 借金だってあるんだぞ? 私は……もう……どうせ、ただの四十男で……人生やり直すことなんて到底……家のローンがあるし、小遣いは月に10000ティカだし……」

「そ、そりゃあ、大変だな。俺も儲かってねえから金の苦労は分かるよ、うん」

 俺はなんとかなだめようとするが……

「いや、私とあんたらは違う! いいよなぁ、若くてさ! 私の人生にはもう、何も残されてないんだ!」

 またも逆ギレするおっちゃん。アバターの輝きが、またグレーっぽくなってきている。しょうがねえなあ……。

「……まったく。なんで僕らが、こんな下らない負け犬に付き合ってなきゃいけないんです?」

 アリグラが心底うんざりした口調で言った。

「ふん! 上品ぶったお綺麗な顔しやがって! おおかた、どっかのお気楽な若造だろう! てめえらみたいなバカがいるから、世の中は悪くなる一方なんだ……寄生虫め! 俺に詫びろ! 地べたに頭を擦り付けて謝れッ!」

 さらにヤケになったおっちゃんは、アリグラのほうに向き直り、叫び出す。

「ホントはな、先物取引で作った借金があるんだ、400万ティカも! 会社だって派閥争いに巻き込まれて先日、左遷された! 私はもうダメだ……死ぬしかないんだよぉぉっ!」

 絶叫した瞬間、ガボガボゲボリ、と奇妙な音があたりに響いた。腹にまだ溜っていたらしいウーズのひと塊が、奔流となって吐き出されたのだ。

「うげっ」

 俺はあわやというところで身をかわしたが……ああ……その光景を目にした時、俺は……俺は……こみ上げる笑いを我慢できなかった。

 一歩逃げ遅れたアリグラの顔が、おっちゃんの吐き出したウーズの本流を浴びて、真っ赤に染まっている。

「ぎゃははははっ!」

 その場で笑い転げた俺は……アリグラの歪みきった表情に気づき、「ヘウレーカ!」だか「ウォーター!」だかの意味不明な絶叫とともにこの場から走り去りたい衝動に駆られた。

 ガチャリ。

 アリグラの呪法銃の弾倉が回る音。なんかヤバそうな色のバレットを、詰めなおし

てるよ?

「おい!! うわ、早まんな!」

 だってさ、後はアバターをなだめすかして、ここからどこか安全な場所に解放してやるだけで、自然に……!

「うるせえ!!  報告書にはこう書いといてやるさ! 対象のアバターはすでに侵食度が限界突破! 崩壊が自然発生したってね!」

 気取ったイケメン面が一転、悪鬼のような形相で吠えるアリグラ。間髪入れずホルダーから引き抜かれた呪法銃から、強烈な白と金色の混じりあったマズル・フラッシュがほとばしる。

「うおおおおっっ……」

 あの光の発色! 「ジハド」だ! アリグラの調合ラインナップ中、最大級の威力を誇るヤツ。畜生、本来、自分たちに防御壁を張ってから使うやつだろうが! 

 しかも多分、独自のアレンジとかを加えて強化してると見た。たちまち、恐ろしいスピードで膨らむ白い光の渦が、ぐんぐんあたりを飲み込んでいく。

(こりゃあ、ダメだ……!)

 俺はすぐさま直感した。この威力、この効果範囲じゃ、おっちゃんのアバターの崩壊は確実。この精神世界全体が、あと数秒で消滅するだろう。そうすりゃ俺たちだってただじゃすまない。行き着く先は……最悪、ロスト!?

 体中に戦慄が走った。……顔から血の気が引いていく。俺はイメージする。精神が消し飛び、廃人同様になった俺を、ベッドの横でお袋が泣きながら見守る……そして、少し痩せた肩に手を置いてなぐさめるオヤジと兄貴の姿……最悪だ。

 そもそもこのシーン、家族と一緒にハンカチで涙をぬぐう、憂い顔の恋人の席は空白のままかよ!?

(絶対に、イヤだああああッッッ!!)

 こう見えても、夢もやりたいことも掃いて捨てるほどある身だからな。俺は必死でザックの中に手を突っ込み、思い切り中身をまさぐった。

 が、こんな時に限って、目的のものがなかなか見つからない。以前、「大切なものは、いつでもしまうポケットを決めておけ」と言っていたのは、意外にマメなところもある俺の親父だったか……。

 やがて、ビリビリと空気を震わす轟音とともに、極太の白い光の十字架が出現。それはたちまちビルの屋上全体を包み込み、白い炎の奔流と光の嵐となって吹き荒れた。



 ゴツン。ベッドから転げ落ち、思い切りどこかに頭を打ち付けた。

「いってぇ……」

 思わずつぶやきつつ後頭部をさする俺。間に合ったのか? 俺はあわてて周囲を確認する。ここは……精神に潜る前の、駆除室だ。どうやら虎の子のエスケーパーは、きちんと作動したらしい。

 横には、ベッドのそばの床に頭をぶつけた俺と同じく、椅子から転げ落ちて憮然とした表情で尻餅をついているアリグラの姿。こいつ、しっかり自分の分のエスケーパーは作動させてやがったのだ。

 おっちゃんは、と見ると、苦悶に似た表情は浮かべてるものの、ベッドの上で一応静かに寝息を立ててはいる。リ・ボーン対策に、身体に引っ掛けたフックもそのままだ。

(どうやら、最悪でもスリープで済んだな……やれやれ!)

 大きく息をつく。どっと安堵感が押し寄せてきた。同時に、俺は頭を振りながら、起き上がった。すぐにつかつかとアリグラに近づき、胸倉をつかむ。

「てめえ! またムチャクチャしやがって! 脳ミソに学習機能がねえのか!?」

「いや、君がエスケーパーを無事作動させるであろうことを、僕はすでに予測していま……おぐうっ!」

 問答無用で下腹に重いパンチをかましておく。自慢の顔にぶち込まなかったのがせめてもの情けだ。

「……お前、『報告書にはこう書いとく』とか言ってたろうが! あれは明らかに“一人で脱出後”を想定したセリフじゃねえか、ああ!?」

「……コ、コホン……とにかく、ウーズの駆除には成功しましたよ。やりましたね、相棒!!」

「やりましたね、じゃねえ! 片目つぶって親指立ててもごまかされねえぞ、コラ!」

「被害者に強靭な精神力があれば、問題ないです。そうでなければ……弱きもの、醜悪なるものは滅び去るべし」

 チャラン、と胸のパイク・クロスを揺らして、アリグラは言う。

「何度も言ってるだろ、おめえんとこの土着信仰と、世間様の道理は違うんだよ!」

「土着信仰じゃない。ザウートは政府が認めた、正統なる教えです」

「まったく、とんだ邪教だな! 時代が時代なら、てめえはきっと火あぶりで、金髪のロースト・ポークだぜ!」

「むぅ……重大な侮辱ですよ!」

「ふん、俺が今すぐここで火刑にしてやろうか? あぁ?」

「キミたち……いい加減にしなさい!」

 ドアの方向から響いた凛とした声に、俺は我に返る。

 アリグラを放り、恐る恐るそちらを振り向くと、腕を組んで柳眉を逆立てたアリカ先生が立っていた。

「げっ! もしかして……全部を?」

「これでも私、キッカーの立場ですからね。最悪のことにならなくてよかったけれど、一部始終、し~っかり、見届けたわよ。何があったかもだいたい察したわ……」

「す……スイマセン、スイマセン!」

 ガバリと平伏し、コメツキバッタみたいにぺこぺこと頭を下げる俺。

「どうか、協会にだけはご内密に! ほら、お前も頭下げて頼むんだよ!」

 俺はクソメガネの金髪を鷲づかみにし、空っぽの鳥頭をぐいぐい押さえつけた。

「早く、早くしろっての! おい!」

「イツッ! 君、こともあろうに得物で相棒の頭を……」

「峰打ちだ、安心しろ」

「その駆除ロッド、どっちが峰でどっちが刃なんですか! だいたいですね、そんなずさんに扱ったら、僕の天才的頭脳が……」

「大丈夫、てめえの頭はもうこれ以上、イカれられない。すでに十分にネジが狂ってるからな!」

 俺はひときわ力を込めて、この天才的バカの頭をぐいぐい押し下げた。

「ほらこの通り! コイツも猛省してるみたいで! だからどうか、協会に報告だけは……」

「……う~ん、困ったわね」

 思案顔になるアリカ先生。おっしゃ、もう一押しだ! 

「どうかどうか……! もう、先生のお慈悲におすがりするしか……!」

 床に頭を摩り付けるようにして懇願する。

「……ふぅ、しょうがないわね。今回“も”大目にみといてあげるわ」

 彼女はそう言って、苦笑混じりに微笑んでくれた。

「ああっ、女神様ッ! 観音様! ありがとうございます! うう……一生恩に着ます、靴だって舐めます! ほらこの通り、レロレロレロ……」

「ちょっ……別にいいわよ、キミたち、毎度のことだし」

 彼女はそう言って、肩をすくめる。

「ああ、なんてお優しい……うう、感動だ……こんな虫ケラ以下のボクに!」

 オーバーアクション気味に、天を仰いで嘆息。

「虫ケラだなんてそんな……キミは立派なスイーパーよ? そりゃちょっと、無茶で乱暴なところはあるけど……私は評価してるわ」

 慌ててフォローに入るアリカ先生。俺はここぞとばかり胸の前で手を組むと、ひときわ哀れっぽい声を張り上げた。

「先生……正直に言います、ボク……ボク、もう耐えられません! こんな素敵にイカれたヤツが相棒だなんて……ああ、ボクは本当に不幸だ! こんなにまっとうに、一生懸命に日々を生きてるのに……」

 えぐえぐと、涙ながらにしゃくりあげる俺。

「でも、こんなボクでもこの街で生きていかなきゃならないんです……ああ、ああ、ボクは今、生きていることが本当に辛い!」

 ちらりと薄目を開けると、アリカ先生は、じっと俺を見つめている。

「……ジギーくん」

 ぽつり、と呟く。

「可哀想に」

 慈愛に満ちた瞳が、うるんでいるのをしっかと確認した。キュンキュン! 彼女の母性本能にダイレクト・アタック成功だ!

「ほらほら、涙をふいて。スイーパーなら前衛と後衛は、仲良くしなくちゃダメよ」

「はい、はい……」

 ポンポンと、背中を諭すように叩かれながら、差し出されたハンカチを受け取り、涙ながらにうなづく俺。ちらりと見ると、アリグラの紫の瞳が、メガネごしに呆れたようにこちらを見ていた。

(……くだらない茶番ですね。人間、そこまで堕ちたくないものだな)

 目が露骨にそう言っているが……

 ケッ、放っとけ、クソメガネが。プライドばっか高い貴族様と違って、庶民には庶民の世渡りの知恵ってのがあんだよ。「のれんと頭はいくら下げてもタダ」というのは、かつてダイエット器具の営業マンをやってたこともある親父の口癖だ。だいたい、もとはといえば全部お前のせいだろうが。


※※※


 結果から言うと……

 おっちゃんは結局、きっちり三日程度で昏睡から醒め、再び職を探し始めた。

 彼が目を覚ましたとアリカ先生から連絡があった直後、俺は病院まで菓子折り下げて会いにいった。

「そんな、謝罪してもらうなんて……私こそ、反省したんです」

 は? と顔に疑問符を浮かべた俺に、おっちゃんはぽつり、と言った。

「会社、でした」

「え??」

「私の精神世界のコア……会社、だったんです。ご存知でしょう? あそこは会社があるビルで、家族のいる家じゃなかったんです。私は、家族のために働いてきたつもりだった……でもいつの間にか、そうじゃなくなっていたんです。心の中では、そういうことは偽れないんですね」

 おっちゃんは、神妙な表情で静かに続ける。

「私が昏睡している間……ずっと病院に詰めて看病してくれたのは、妻と娘でした。目を開けたとき、目に飛び込んできたのは、嬉し涙を流している二人の顔だったんです……」

「……」

 俺はおっちゃんの顔をそっと見つめる。その表情はあの精神世界のアバターとは、まるで別人のような穏やかな顔つきになっていた。

「本当に久しぶりに……いろんなことを、話したんです。以前は、話がまったく噛みあわず、互いに疎んじあっていたのに。驚きでさえありました。そして、嬉しかった……実感したんです、家族のありがたみというものを」

「……そうだったんスか」

 なんと素晴らしい家族の絆再生ストーリー! その感謝の念が三日以上続けばめっけもんだな。ちなみに三日というのは、地元に帰省したとき、お袋が俺をちやほやお客様扱いしてくれる期間と同じくらいだ。

 それにしても、だ。結果としては、あのバカがやったことが事態を良い方向へ転がしたということになるのか……笑えねえな。

 そんな俺の内心を知ってか知らずか、おっちゃんはポケットから一枚の写真を取り出す。

「これは……?」

「私が目を覚ましたとき……娘の提案で撮ったんです。本当に何年ぶりかの、家族写真を。娘は先日、短大生になったばかりで……」

 おっちゃんは目を細め、うっすら涙さえ浮かべているが、俺にはすでに、そんなことどうでも良かった。ベッドに起き上がったおっちゃんの横で、肩に手を置いて笑顔を浮かべている少女。

(……カ、カワイイ。うう……彼女のことが好きだ……)

 奥さん似で本当によかった。清楚な雰囲気、ロングの黒髪……俺のストライクゾーンど真ん中じゃねえか。

 とにかくチャンスにバットを振らなくちゃ当たるものも当たらない、とは実は若き日にプロ野球選手を目指していたこともあるという親父の金言だ。

「実は、妻と娘がさっきちょうど、お見舞いに来てくれたんですよ」

「へ?」

「今は先生と話しているんだが、そろそろ戻ってくるころです。おう、リタ! カレン!」

「はいはい、あなた」

「どうしたの、パパ?」

 ギィ、と病室のドアが開いて、二人が並んで入ってくる。

「紹介するよ。こちら、今回の一件で世話になったスイーパーのジグザさんだ」

「あらあら、主人がどうも」

「このたびは、父が大変お世話になったそうで……」

 お辞儀をしようとした拍子に、娘さんと俺の目が合った。、

「あ……」

「あ……」

 その数秒が、俺には数十、数百年もの時間のようにも思えた。

 二人の間に走る閃光、稲妻、一瞬にして知る世界の理……マンガ喫茶で読んだ全4巻打ち切りのラブコメ、1巻の次に間の巻を全部すっ飛ばして最終巻に至ったかのような超スピード展開。

 その奇跡は、この可憐な少女に姿をやつして、ツキに見放された人生の果てに、俺を待っていたのだ。

「こんにちは。ボクのことは、ジギーと呼んでください……」

「はい……私のほうこそ、カレンって呼んでくださいね……」

「あの……よろしければ、メールアドレスをお聞きしてもいいですか……?」

「ええ……こちらこそ」

「今度、飲み会しませんか? ボク、良い店、知ってるんですよ……!」

「いいですね……! 楽しみにしてます……!」

 そう、春は、何かが始まるには良い季節だ。


 一週間後、俺が部屋でPCの前に座り、計算ソフトと電卓片手に今月の収支を計算していると、ブルブルッ、とケータイが震えた。

 差出人は……カレンさんからだ! 俺は速攻で、メールボックスを開いた。


『父のこと、本当にありがとうございました。また、先日の飲み会も、とても楽しかったです。でも実は昨日、ずっと好きだった同級生から告白されてしまって……ゴメンなさい。

ジギーさんのこと、別に嫌いなわけじゃないんですけど。その、やっぱり彼に少し悪いというか』


「……」

 俺はそのまま、ケータイをポケットにしまいこむ。

 ふぅ……思わずちょっと遠い目をして、窓の外を眺める。

 ハイブリッド・チェリーがひとひら、ふたひら、風に吹き落とされ、くるくると飛ばされていく。

 何かが始まり、何かが終わる。春はあまりに短い。

 柄にもなくメランコリィな気分に浸っているところに、ひょい、とドアごしに顔を出すメガネ面。

「ジギー! ジグザ・バドラルク!」

「なんだよ……」

 落ち込んでる時に、牧場の牛糞並に空気が読めないヤツの相手をするのは、心底辛い。

「実は先日の仕事で使った“ジハド”の調合費用なんですが、これはやはり必要経費として事務所の会計から」

「認められるか! てめえ、それよりハンニバルのガス代出せ」

「何をケチくさい……少々借りただけでしょうが」

「ケチくさいのはお互い様だ! だいたい、てめえの実家は、貴族兼大司教様の高貴なお家柄だろうが!」

「知ってるでしょ、あいにく今は勘当の身でして」

「またお優しいナタリナお姉様に、秘密の仕送りをしてもらえばいいだろが!」

「ダメですよ。一人前の男が、そう何度も何度も姉に頼りっぱなしでは、格好がつかない」

「は!? なんでお前は、そんなとこにだけ無駄に良識持っちゃってるの!?」

「男性として、当然の矜持です」

「せいぜい百分の一でいいから、その良識のカケラを仕事に持ち込んでくれないかな!?」

 吠える俺にお構いなく、アリグラはぬけぬけと言い募る。

「とにかく、今月はちょっと持ち合わせがないんですよ、残念ながら……ほら、無い袖は振れぬっていうでしょ?」

「てへぺろ、みたいな調子でウインクしてんじゃねえ! 貧乏人への施しは、貴族様の義務だろ! とにかく1220ティカだ、とっとと出せ!!」

 なおも詰め寄ると、野郎、眉をしかめてこう言い放つ。

「やれやれ……それにしても器が小さいことだ。……だから君は、モテないんですよ」

「ぐ……うるせえ!」

「ほら、なんていったかな。あの飲み屋の女の子……そうそう、エダだ。彼女から聞きましたよ」

「な……て、てめえ!」

 俺は正直、非常に動揺したが、ぐぐっと腹に力を入れ、それを顔に出さないように努めた。だがこの悪魔め、目ざとくクリティカルヒットの手ごたえを感じ取ったらしい。目を愉快そうに細め、底意地の悪い微笑をたたえて続ける。

「君、彼女を誘ったデート先が、“キングジェネラル”だったらしいじゃないですか。初めてのデートというのは、友人レベルだった男性の新たな第一印象が決まる場ですよ? もっとこう、ムードというものを考えてですね……」

 う……傷をえぐりやがって。キングジェネラルってのは、チューカ風定食が安く食える、場末感あふれるチェーン店な。まったく、ちょっと酒が入ってたとはいえ、当時の俺のバカさ加減にはうんざりする。

「余計なお世話だ、畜生!!」

 俺はたまりかねて叫び、猛然と立ち上がる。その拍子にポケットからケータイがポロリと転げ落ち、開きっぱなしだったメール欄の文面の続きが目に入る。ん? 俺はそいつを慌てて拾い上げ、じっくり再読した。


『本当にごめんなさい。でも、友達にジギーさんのことを話して写メールを見せたら、一度、会ってみたいと言っていました。きっと気に入ったんだと思います。とってもカワイイコですよ。彼女の写真、送ります。

 良かったら、今度、一緒に飲み会でもしませんか?』


 ちっ、ビッチめ、と舌打ちしながらも、俺は添付されていた写メールを見て、心がほんわか温まってくるのを感じた。俺はニヤニヤと微笑みながら、新たな出会いの予感に、心躍らせる。

「何をにやけてるんです? 脳ミソに注射器で直接麻薬をブチ込まれたブタみたいに、しまりがないですよ」

 不審げなクソメガネの声も、もはや俺の耳には届かない。


 そう、どんな人生だって、やっぱり捨てたもんじゃない。

 だって、次に出会えるコは、前のコより、もっとカワイイかもしれないものな。

 たとえ天性の悪運だって、そいつは間違いなく俺の一部だ。

 与えられたものは、それが金袋だろうとどっかの誰かが丸めて捨てたチリ紙だろうと、一緒にポケットに入れて持ってくしかねえ。たとえそれが、この街全部と同じくらいでっかい悪運だってね。

 まあとにかく、たったひとつはっきりしているのは、あの神話の箱みたいに、俺が俺自身を見捨てない限り、最後にひとつだけ残るものがあるってこと。

 口笛吹きながら椅子をくるりと回転させると、ガラス戸越しに窓の外が見えた。うーむ、光り輝くような午後!

 街路樹が立ち並ぶ通りを風が吹き抜け、白とピンクの花びらを舞い上げていく。

降り注ぐ春の日差しの中、オクタ・カテドラルの空は、今日も雲ひとつない快晴だった。


【了】

現在作家修業中ですが、感想などいただけると励みになります。よろしくお願いします。なお、こちらは習作版です。連作の長編にするべく、加筆・修正したものを現在「連載小説」形式で執筆中です。10月18日現在、第二話(このシリーズの次の短編)までアップされていますので、よろしければそちらもお読みいただければ幸いです。

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[良い点] 「マインド・スイープ」、「オクタ・カテドラル」、作品に出てくる単語の響きが心地よく、知らない単語に対するストレスなく読み始めることができました。 また、「バケツ3杯分くらいの生きたストロベ…
[一言] お話は、世界設定もしっかりとできていて面白かったです。 文体もなろうでは珍しいタイプですが、すっきりとしていて気軽に読めました。 ジグザのお父さん、これだけその生き様を息子が受け継いでいてく…
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