影と踊れば
昔々、まだ小さな国がたくさんあった頃。
ある国にある一族がいました。
その一族は他の国の人たちとは少し違う、不思議な力を持っていました。
彼らは木や草や花や石や火や水や風や様々なモノに宿る神様を呼ぶことができました。語りかければ、応えてくれました。
気まぐれな神様たちだけれど、一族を気に入り、気まぐれに手を貸しました。
しかし、周りには普通の人間たちが住む国しかありません。
未知なる力に脅威を感じていた周囲の国々は、ついに手を組み一族たちの国に攻めこんで来たのです。
平和に暮らしていた小さな国は、ひとたまりもありませんでした。
たくさんの人が死にました。
たくさんのものが壊れました。
そして国は、滅びてしまったのです。
しかしひとりだけ、戦火を免れ逃げ延びた少女がいました。
両親に庇われ、傷を負いながらも逃げ出したのです。
共にいた優しい両親はもういません。
逃げて、逃げて、泣きながらひとりで逃げました。
生き延びた少女は森の奥深くで、泣き叫びながら神様に願いました。
どうか皆の仇を打たせて下さい。
奴等に復讐する力を下さい。
神様たちは少女たち一族の事が好きでした。
彼らの危機に手を出すことが出来なかった自分たちを責めました。
彼らを殺した人間たちに、少女と同じように憎しみを抱き、そして、少女の願いを聞き入れました。
月日は流れました。
少女は幼い子供ではなくなりました。
海を渡り山を越え、静かに国から国へと旅を続けていました。
たった一人生き残った娘の傍らには、いつも黒い影が付き添っていました。
娘と共に旅をするその姿は、娘以外には誰にも見えませんでした。
ある時ある国で、娘は噂を耳にします。
『一番大きな国の王様が王子様の結婚相手を探している』
娘は目的地を決めました。
人が、物が、溢れかえる大きな国の大きな街ーー王都。
娘はその街並みを眺めていました。
かつて娘たちの一族を滅ぼすために団結した小さな国々は、一族を滅ぼしても元の小さな国々には戻りませんでした。
誰もが力を求め、今度は互いの国々で争い、やがて大きな争いになっていきました。
そして勝利を手にしたのがこの国です。
最も大きな国となりました。
王となった男がいて、傍らに王妃と呼ばれる女を置きました。
二人の間に王子という存在がいました。
成人を迎える王子の結婚相手を、前の年からずっと探していました。
最も美しい女を。最も賢い女を。最も愛らしい女を。最も歌の上手い女を。最もダンスが華麗な女を。
国内が駄目なら国外の女を。
大勢の女たちが名乗りを上げましたが、誰も王子の心を射止める事が出来ません。
なかなか決まらず、王様と王妃様は頭を抱えていました。
そんなお二人を慰める意味もあり、この日のパレードが行われることになっていました。
騎士たちが取り囲む大きな馬車から王様たちが手を振っています。
娘は初めて寄り添う影に語りかけ、命じました。
影は音もなく馬車に近づき、王様の影に溶け込みました。
「おお!そこの娘が良いだろう!」
突如王様は声を上げ、人込みを指差した。騎士たちは慌てて馬車を止め、人々は王様の指差した先を追いました。人込みの、さらに後ろの方。
ひとりの娘がいました。
驚きの表情を浮かべ首を傾げるその娘の長い髪が、さらりと肩をこぼれていきます。
人々はざわざわとざわめきました。視線の先にいた娘はまだ大人になりきれていないような年頃の娘でした。
丸みに欠ける身体、薄汚れた衣服、平凡な顔立ち。ただ、長い髪だけが装飾品のように美しくて、それが異様でした。
戸惑いが人々の間に広がっていきます。
王様が動きました。止めようとする騎士たちの言葉もきかず、馬車を降りていく。
王様が進むたび、人込みが割れていきます。そのまま王様は娘の目の前まで進み、足を止めました。
王様の顔を見つめる娘の手を取り、馬車へと導き、そのまま王城へと向かって行きました。
娘は、一度も口を開きませんでした。
王城はきらびやかな場所でした。
高価な椅子に座り、高価なテーブルをはさんで王様と王妃様と王子様は娘と向かい合っていました。
部屋の中は人払いがされ、王様たちのほかには宰相がひとりだけです。
王妃様と王子様と宰相は戸惑っていました。それほど王様の言ったことはとんでもなく、突然すぎるものだったのです。
娘は黙ったままでした。顔をうつむかせたまま椅子に浅く腰かけ、身動き一つしません。
「そなたを王子の妃にしよう」
王様はそう宣言し、いったん娘を客間へと下がらせました。
「父上、あまりにもいきなりすぎます。なぜ彼女なのですか」
王子様は王様の言葉に異を唱え、王妃様も眉をひそめて王様を見ています。
「わしにはあの娘の纏う光が見えた。あの娘は加護を持つものだ。間違いない」
皆驚きに目を丸くし、言葉を無くします。
加護持ちとは世界に愛された稀有な存在。その愛により、時に大きな幸運をもたらす存在。人が、国が、喉から手が出るほどに欲しい存在なのです。そばに置けば、その幸運にあやかることが出来るのです。
「あの娘がいれば、益々国は富み、豊かになるだろう。繁栄をもたらす、ありがたい娘だ」
王様の言葉に、皆も頷きました。
欲に染まった笑みを浮かべる彼らの影に、黒いものが静かに溶け込んだことに、気付いた者は誰もいませんでした。
国は富んでいきました。王様たちの打ち出す策は確実な結果を出し国が潤い、金銀宝石などが王城に溢れます。民たちが王様や貴族たちを崇める声が聞こえます。
この世で最も幸せな国はここだと、王様たちは心の底から思っていました。
どれくらいの時間が経ったのか、ある日、この世界から一つの国が消えました。
武器を取ったのはその国の民と兵士でした。怒りの声が日々、聞こえていたと言います。
「我々国民が貧しさに苦しみ、明日を生きるのも不安な毎日を過ごしているのに、王や貴族は私利私欲を満たすばかり。いつまでこんな生活は続くのか。こんな国は滅ぼしてしまえ」と。
民や兵士が王城へ押し寄せました。
王族を、貴族を、殺せと怒鳴り続けます。
王はすぐに見つかりました。扉を開けるとぶつかった宰相の首が転がり、王妃様の胸を剣で貫いていた王様が振り返ります。そのとたん、王様の両腕が斬り落とされました。倒れた王様の喉を、王子様は躊躇い無く剣で貫きました。
室内は濃厚な血の匂いが鼻をつきます。
よく見れば部屋の中には他の貴族の高官たちも動く者は誰一人いませんでした。
王様から剣を抜こうとしていた王子様の隙をつき、兵士の一人が後ろからその背中に斬りかかりました。倒れた王子様に民や兵士は手にしていた武器を力任せに振り下ろしていきました。
やがて王子様だったモノは、物言わぬモノになりました。
歓喜の声が上がります。
血の匂いが満ち、自身の身体も返り血に汚れたまま、民や兵士は喜びました。
そんな喜びに沸く室内を、突然奇声が響き斬り裂きました。
何事かと振り返ると、奇声を上げた人は隣にいた人を持っていた斧で斬り付けました。続けてその隣の兵士の首を力いっぱい飛ばします。
叫び声が広がりました。皆慌てて再び武器を握りしめます。
悲鳴はしだいに恐怖と怒りの声に変わります。
「何故まだ王が生きている」「王子の身体はもうつぶれたはずだ」「貴族の首がまだつながっている」
狂ったような悲鳴の中に、そんな言葉が聞こえました。
兵士が目の前に立っていた王様を斬り捨てると、続けて隣に立つ王様の心臓を貫きました。
パン屋の主人は持っていた棒で再び王子様の頭を潰し、食堂の女将は包丁を王妃様の喉に叩きつけます。
動くものが無くなるまで、悲鳴と怒号は続きました。
そうして一晩、城の中はいたるところが紅く染まり、王様と王妃様と王子様と貴族たちとお城の使用人たちと騎士たちと兵士たちと民たちが倒れていました。
パン屋の主人も食堂の女将も倒れていました。倒れて動かなくなっていました。
しかし一つだけ、王子様のお妃さまの部屋だけは空っぽでした。
雪深い静かな森の中をひとりの娘が歩いていました。
まだ大人になりきれていないような年頃の娘で、丸みに欠ける身体、薄汚れた衣服、平凡な顔立ち。ただ、長い髪だけが装飾品のように美しくて、それが異様でした。
『満足かい?』
「…わからない」
他には誰の姿もない森の中で聞こえてきた声に、娘は答えました。
小さな声は雪の中に吸い込まれるように消えていきます。
『王は死んだ。王妃は死んだ。王子は死んだ。人々は死んだ。国は消える。君の心は満たされたかい?』
娘の影が微かに揺れました。
少女の憎しみを共有した神様たちは、少女の願いを叶えるために力を合わせます。
草花の神様たちは教えてくれます。
“これは身体を弱らせる草です。これは幻覚を見せる花です”
風の神様は運びます。
“怒りの声をもっと遠く。不満の心をもっと広く。人々の耳へ、心へ運び、囁きます”
石の神様は授けます。
“人々の手に余すことなく武器を。王の首を取るための武器を授けます”
水が火が森が大地が、あの国を滅ぼすためにじわりじわりと進んでいきます。
『ごめんね。神様は直接手を出すことは出来ない。あの時も、攻め入る人間たちを一掃してあげることが出来なかった。ごめんね…ごめんね…。救ってあげられなくて、ごめんね…』
「いいえ。わかっていたのです。だから、充分です」
王様たちには全てがうまくいっているように見えました。失敗は見えず、民の不満の声は聞こえず、幸せな国にしか見えませんでした。
民は不満の心を煽られ、小さな炎は大きく燃え上がり、爆発しました。
城の者たちは聞こえないこと、見えないこと、気付かないことを誰も不思議には思いませんでした。
民や兵士たちは怒りを募らせるその手に、当然のようにぴかぴかの武器があることを誰も不思議には思いませんでした。
少しずつ少しずつ神様の協力を得たひとりの娘によって惑わされていった愚かな国は、ついに消えてなくなりました。
それを望み、実行したたったひとりの娘は今、静かな森の中を歩いていました。
「でも、わからないのです。これで私は満足なのか、わからないのです」
少女は力尽きてその場に倒れました。自らの影を抱きしめるように、雪に手を這わせ、握りしめます。
少女は目を閉じます。
身体の上にはしんしんと雪が積り、少女を白く染めていきます。
『ねえ、今度は…僕らは君を、救えたかい?』