見ました。
もうすぐあの日がやってきそうです。女の子はみなうきうきとし、頬を赤らめさせて。男の子はみなそわそわとし、女の子の様子を窺う日。
そう、バレンタインデーである。
店内には専用コーナーも設けられて、金を落とさせる気満々である。
いつもはあまり入っていない所に、可愛らしい女の子達が想い人を想像しつつ顔を綻ばせている。なんというリア充。なんという製菓業界の陰謀。いや、この際陰謀でもいいのだろう。内気な子も、天邪鬼なツンデレも、これを機会に「義理なんだからねっ!」という感じにプレゼントできるというモノ。さらにいつもは固く結ばれている財布の紐も緩んで、世間にお金が回る。良い事づくめです。
かくゆう私も晴翔にあげた事がありました。いや、若気の至りですね。今はもう気にしてません。気にしてませんったら気にしてません。晴翔は本命だとも思ってなかったようですけどね。まぁ、その時はそれで良かったんですけど。はぁ。
さておき、この学校ももれなくはしゃいでる女の子は多い。
あれですね、深見君が男子にもててますね。バレンタインデーの時のチョコをお願いします!ってめっちゃ頼まれていた。お菓子がおいしいのは、桜さんも変わらないのですけれど。やはり桜さんは言いづらいのでしょうかね……?男から貰うより、義理でも女の子の方が良いと思うのですけれど。
深見君も少し困った顔をしながら了承している。料理に関しては我が強いけれど、それ以外だと押しが弱いのですね。頼まれると引き受けちゃうタイプ……。
目が合うと、思いっきり首を振って顔を逸らされた。……あれ、嫌われてるんでしょうか。
深見君の反応に地味にショックを受けつつ、生徒会室に向かう。
生徒会室は会長がいなかった。
もうすぐ大会があるらしい。勝ってくる、と男らしく言い放っていった。なんの恥ずかし気もなく、負けるという不安も欠片もないその表情はまさに攻略対象者といえるのではないだろうか。かなり上手いらしいですからねぇ……。実際見た事ないので知りませんけれど、鬼のように強い、らしいですね。甘党で情けない所ばかり見ているせいか、どうにもピンと来ないんですよねぇ……。
ああ、そうだ。晴翔も遅れるって言ってましたし、見に行ってみましょうか。大会前の練習なので、あまり邪魔にならないようにチラッとだけ。
そう思い、生徒会室の鍵を閉める。
歩いていると、バサバサという音と、「うわあっ」という情けない声が聞こえて来た。音のした方に歩いて行って、廊下の角を曲がると、そこに高天原先生の姿が。
書類をぶちまけており、わたわたしている。
この人は、デフォルトで書類をぶちまけているのだろうか。だとしたらとんでもない時間のロスをしていると思う。よく試験とかもろもろ受かりましたね……ある意味すごく頭は良い人なのかもしれない。
「大丈夫ですか?」
「わ、わ、あ!すみません!また迷惑を!」
慌ててまた書類を落としている。
「まぁまぁ、慌てないでください。落ち着いて」
「あう、はい、すみません……」
なんだか、落ち着いて下さいって、どっちかっていうと養護教諭の方がいいそうなセリフなのに。立場が逆転している気がします。妙な気分ですね。
書類を拾い、手渡す。
「ところで、どうして学校へ?ええ、と。高木先生はいらっしゃらないのでしょうか」
「ああ……僕、書類忘れちゃって……それで来たんですよ」
あはは、と乾いた笑いを零している。ああ、ドジっ子なんですね、わかります。ほんと、試験日とかでドジは踏まなかったんですかね。
……誰か親切な人にお世話されたんでしょうか。
「はぁ……いつも、こんなんじゃダメだと思うんですけどね」
どんよりと暗くなってしまっている。
「ま、まぁまぁ、それでもこんなに素晴らしい職業についているではありませんか」
「勉強頑張るしか取り柄がなかったからね……」
わ、わぁ。暗いです、よ。
ちょっと引き攣ってしまった顔を咳払いで戻し、真顔になる。
「先生、ちょっと偉そうな事言ってもいいですか?」
「え?……いいですよ。いつも言われ慣れてますし……へへへ」
め、目が死んでいる……!
若干引きつつ、気を取り直す。
「私は先生よりももっと酷い人生を歩んだ人を知っていますよ。勉強も出来ない、人付き合いも出来ない、面倒くさがりで、仕事もしない。そういう、どうしようもない人間が、最期に路上で仰向けに倒れて30代にして死んだ事を知っています」
言うまでもなく、自分の事である。思い返せば、やりたい事だけやってるような人間で。まぁ、楽しかったっちゃ楽しかったのですけど、もうちょっと長く生きたかったかな、とは思う。
ちょっとしんみりしていたら、凄く痛ましげな表情をした高天原先生がこちらを見ていた。少し咳払いをして、言葉を続ける。
「ですから、そんなにご自分を卑下なさらないでください。貴方はすでにとても立派な方だと、私は思いますよ。ですからもう少し自信を持って下さい」
「それは褒められているのかな……?」
「ええ、もうこの上ない褒め言葉ですとも……って凄く偉そうですね。すみません」
自分の発言があまりにアレだったので、慌てて謝罪する。高天原先生はまだ20代でお若い感じなので、どうにも年寄りの説教っぽい感じに……見た目も幼いですから、ついつい……。年下にこんな事言われるなんて嫌でしょうに。
「いや……そんな事言われた事なかったから、びっくりして……ありがとうございます」
それでも高天原先生は嫌な顔はせずに、口元を緩ませている。
「ああと、いえ、お礼を言われる事は……すみません」
「いや、こちらこそすみません。あまり話した事もない相手に、そんな風に気に掛けるなんてそうそう出来ないですよね。すごいなぁ……」
ええと、お節介なババァということでしょうか。
それは穿ちすぎか。
互いに謝り合ってから、クスクスと笑う。謝りまくっているのが、なんだかおかしかった。
顔を見ると、眼鏡がまたずれている。よくずれる人ですねぇ。
「先生、眼鏡が少しずれてますよ」
「え、あ、うう……すみません」
「いえ、それじゃあ……私はこれで」
「あっ」
高天原先生が何か言いたそうにしているので、立ち止まる。口を僅かに開いた先生と目が合って、しばし見つめあう。すると、段々と顔が紅潮してきた。
ハッとした後、何故か資料でバシッと顔を叩いた。
「!?」
結構良い音が鳴ったのでぎょっとする。
「うう……痛い」
「それは……そうでしょうね」
顔から資料を離す時に、資料に引っかかって眼鏡も落ちてしまった。カシャンと、結構重みのある音が響く。
慌ててしゃがみ込んで眼鏡を見るが、幸いにして割れてはいなかった。丈夫で良かったです。というか、丈夫じゃなかったらあっという間に破壊しまくって破産しそうだ。いつもドジ踏んでそうですしね。
「壊れていませんでしたよ、先生……ん?先生?」
返事がないただのしかばね……ではないはず。直立不動で目を見開いて私を見つめている。
その隙に、高天原先生のご尊顔をマジマジと見させて貰った。とても顔が整っている。男っぽさはなくて、なんだか女の子みたいな可憐さがある。水無月の弟くんよりも幼い感じの印象を受けるのは、その情けなく下がっている眉毛のせいか。まぁ、そのオドオドした態度もあるんでしょうけれど。高校生みたいに若々しい顔ですしね。
そしてなにより目を引くのは、その青と赤紫の瞳だった。キラキラと宝石のように光っているようだ。
まぁ、いつまでも見つめていても失礼なので、ひらひらと先生の目の前で手を振る。
「先生、高天原先生っ!」
「はっ!え?運命!?」
「……あ?」
「うわあああ!違いますすいません変な事言ったうわああ!」
半泣きになってその場にうずくまる。
意味分かんねぇ、と思って若干声が低くなったのでビビらせらしい。
「あの、怒ってませんから、顔を上げてください」
そろそろ……と顔をあげる。
「……普通ですか?」
「ええ、どちらかというと普通です」
怒ってませんよ!そんなに怯えなくても……そんなに怖い顔してたでしょうか。ええと、なんかこの状態を見られると非常に不味い現場の気がするなぁ。新任の教師をいじめるてる!みたいな。
小動物を必死で手なずけている気分ですけれど。
「……すごい」
「……は、はぁ」
ドジっ子な上にちょっと天然が入っているのでしょうかねぇ?天然なドジっ子……!そして丸眼鏡!なんという希少種。ある意味貴方の方が凄いですよ。やっばいなぁ……保健室の先生がこんな風だと不安しか感じない。
体育座りしている先生に眼鏡を手渡す。
「……ありがとう、ございます」
「どういたしまして」
会話をするだけで、なんだかずいぶんと時間が経った気がします。けれど、晴翔がきませんね。そう思ってメールを覗くと、「遅れる」と書いてあった。なら、まだ会長を見に行く余裕はあるか。
ゆったりと立ち上がる先生をハラハラしながら見つめる。なんだかとても危なっかしい。
「じゃあ、いきますね」
「ま、まって!その、ちょっとだけ、学校案内してもらってもいい、ですか?迷子に……なるので」
「ああ……なるほど、分かりました」
だから呼び止められたのか。なるほど確かに迷子になりそうである。そこまで難しい作りではないんですが、結構大きいですからね。就任するまでに覚えていた方が良いだろう。まぁ、養護教諭なので、そこまでうろうろする事もないだろうが……。
「ああ、そうだ。敬語でなくて良いですよ。私は生徒ですし、そうかしこまられるとこちらが恐縮してしまいますから」
「ええ?えーと、じゃあ、木下さんも……」
「いや、それは無理ですね」
「で、ですよね!」
これから先生として入ってくる人にため口とかありえないでしょう。
というか、同級生にも敬語なんですから、先生などもっての外だ。
「じゃあ、保健室に案内しますね」
「あ、そこはもう案内してもらったから。き、木下さんの行こうとしているところでいいです……いいよ」
「あ、そうですか?じゃあ遠慮なく」
若干忘れかけていたが、目的は会長の剣道姿を見る事だ。第2体育館が剣道部と柔道部がいるんでしたね、そう思ってそちらに足を向ける。チラリと斜め後ろを見ると、黙々と高天原先生がついてきている。ううん……なんか、懐かれました?なんだか知らないけれど、凄く嬉しそうだ。
第2体育館までくると、剣道特有の声と、何かを叩くような音。それと、何か投げ飛ばす音……これは柔道部でしょうね。
高天原先生は大きい音が聞こえる度にビクビクしている。そんなに怯えなくても大丈夫ですよ。
「ええと、木下さん部活、してるの?」
「いいえ、私はしていません。生徒会長……ああ、そうそう、前に生徒会室にいた大きな人が生徒会長で、その人が剣道部に所属しているんです」
「あ、そ、そうなんだ。すごいね」
「ええ、凄い方なんですよ」
そんな会話をしつつ、チラリと中を覗く。
バシィイ!という大きな音と、腹の底に響くような低く大きな声が聞こえて来た。そこに、跪いた人と、竹刀を振ったであろう人がいた。
「次!」
と、勝った人が言い放つ。そう言い放った声が、会長だった。さっきの凄い気迫の声は会長だったらしい。叫び声じゃ分からないレベルの声だったよ、こわっ。
手とか、胴とか面にいれればいいんですよね?さっきのは胴に綺麗に入ってましたね。
次の相手も、難なく勝つ。本当に強いですね、なんか動きが他の人と違います。いえ、良くは知らないんですけれど、これだけ差があると上手い!って思えますね。いやぁ、会長が上手いのか、相手がヘタなのか。
2人目を倒した後、面をはずした。汗で髪がしっとりしてして、汗が頬に流れていく。なんというか、色気が凄いですね。男の色気が。
キャアアアっという黄色声援が響いている。別の入り口からファンが見ているようだ。おうおう、モテますのう。そりゃあれだけイケメンならキャアアって言いたくなるでしょうね。
「うーわー……かっこいいですねぇ……」
「ええ、とても」
高天原先生の呟きに力強く頷く。
スチル絵があるなら絶対入手したい代物ですね。
さて、そろそろ帰ろうか、と思ったら会長と目が合った。結構離れているんですけど、よく気が付きましたね。
部員となにやら話した後、また別の人と試合するようだ。それこそ、邪魔しないようにお暇しましょう……と思って会釈をした後に背を向ける。
僅かに距離をとったのだが、第二体育館からどよどよという声が聞こえて来た。
その動揺が走ったような声に耳を澄ますと、会長が負けた、という事らしい。これだけ騒がれるって事は会長、ほとんど負けた事がなかったのでしょうか。
気になって戻ってみると、先程まで元気そうだったのに今の動きは鈍い。……体調が悪くなったんでしょうかね。ちょっと心配です。
調子が戻らなかったのか、部活を中断して、こちらに走ってきた。
「透……」
「会長、大丈夫ですか?体調悪いのですか」
「いや、そんなことよりなんでその男といるんだ?こいつは4月からだろう」
そんなことって……体調は万全に越したことはないと思いますけど。試合前ですし……まぁ、質問には答えますけど。というか、先生に向かってこいつって……いや、まだ赴任はしていませんけれども。それでも目上の方なのですよ?
会長の態度に溜息を吐きつつ高天原先生が資料を忘れたので学校に来て、迷子になりそうだからちょっとだけ案内していた、と答える。
「そうか……そういう事なら、俺も生徒会長として案内しよう」
「へ!?いいいいですいいです!もう帰りますから!」
ぎょっとした高天原先生が逃げるように立ち去っていく。あれっ、案内しなくても大丈夫なのだろうか。迷子になっては困る、と思って追おうとしたのだが、会長に腕を掴まれていたので出来なかった。
慌てて会長に振り返る。
「あの、あの人迷子になっちゃいますよ」
「ふん、平気だろう。それに……あいつはちゃんと覚えているはずだ」
「え……そうなんですか?」
「ああ」
うーん、なら大丈夫でしょうか。保健室なら分かるって言ってましたし。もし迷子になっても人に聞けば大丈夫でしょうか。まぁ、もう見失っているので追えないのですけど。
もし見つけたら、案内しましょう。
会長、迫力あるから怖かったんだろうな。今日は妙に威圧的でしたし。完全に会長から逃げ出しましたもんね。
「ところで会長、体調悪いなら無理してはダメですよ?」
「……体調は……万全だ」
目を逸らしながら言ってもあまり説得力がないのだけど。
「まぁ、無理だけはダメですよ?私はもう行きますけど」
「ああ……」
生徒会室へと帰って、書類仕事をかたづけましょうか。会長が頑張っている分まで。




