サクラサク ~蛍雪の春~
2009年04月02日
1997字。
2000字制限電撃リトルリーグ「3つのお願い」お題に出して落選し、後に改題改稿して「サクラサク」お題に出して、やっぱり落選した版がコレです。その後、かなり加筆してゆきのまち幻想文学賞にも出したけど落選しました。
クリスマスイブも真希は自室で勉強していた。中央高校合格を目指し肩凝りや目の疲れにも耐えている。窓の外では白い妖精のような雪がちらつく。
英文読解が一区切りついたので、休憩を挟む。
差出人不明の郵便物が来ていたのを思い出した。普段なら怪しんで開封しないが、イブだから誰かからの贈り物かもしれないと思い、封筒を開けた。
緩衝材に包まれて、コルクで栓をされた透明硝子製の小瓶が入っていた。中には小さな白い粒が一つ。よく見ると虫の形をしていて、丸っこい体と六本の脚が雪の結晶みたいだ。
一緒に取扱説明書が添えられていた。
『蛍の形をした雪、蛍雪です。中国の晋の時代に車胤が蛍の光で、孫康が窓の雪で苦労して勉強に励んだ故事に由来する成語【蛍雪の功】にちなんだ学業成就のお守りです。暗闇の中で光と言葉を発して、あなたを優しく見守り応援します』
「ケイセツ?」
説明書には更に注意事項の箇条書きがあった。
・雪なので冷暗所で保管してください。
・きれいな水を好む蛍なので、きれいな言葉で話してください。
・コルク栓は開封厳禁です。雪がとけてしまいます。
*
早速真希は蛍光灯を消し、遮光カーテンを閉めた。部屋は完全な暗闇に包まれる。
すると……蛍雪が青白い朧ろな輝きを発して、瓶の内側を浮遊し始めた。
「本当に蛍みたい。きれい」
幻想的な瓶の中から、少し籠もったボーイソプラノが聞こえてきた。
「初めまして。僕は蛍雪。勉強頑張ってね」
「あ、喋った! こんばんは、真希です。蛍雪は瓶の中をずっと飛び回っているのですか?」
「そうだよ。僕は、雪は雪でも、吹雪だからね」
「かわいい……」
真希はすっかり蛍雪に魅せられた。
誰が何故、蛍雪を送ってきたのか、もう気にならない。
硝子瓶の中であっても、蛍雪が側にいてくれたら辛い地道な勉強も今まで以上に頑張れる。
だけど……蛍雪が瓶に入ったままというのが物足りなくも感じた。栓を開けて、素敵な蛍雪と直接触れ合いたい。
それでも蛍雪がとけてしまったら本末転倒だから、栓を開けるのは我慢した。
*
普段は冷凍庫に保管し、一言一句丁寧な言葉遣いを心掛けて話し、コルク栓を開けない。
真希は蛍雪の使用法を正しく守りつつ、年が変わっても受験勉強を継続した。
「温度による物質の状態変化。固体、液体、気体。氷が水になると、体積は変わるが、質量は変わらない」
疲れたら、カーテンで窓の雪明かりを遮断して電気を消し、蛍雪と語る。
「なぜ蛍雪は私の所に来たのですか?」
「僕を必要とする温厚篤実な人の所へ、旅をしているから」
狭い瓶の中を飛び回りつつ蛍雪は答えた。学業成就のお守りだけあって難しい言葉も知っているらしい。
「今は冬だけど、蛍雪は夏はどうしているのですか?」
「僕は蛍だよ。自分で言うのもなんだけど、夏の風物詩だよ」
「じゃあ夏になっても蛍雪がとけちゃう心配は無いんですね?」
「いや。暑い夏は冷凍庫で眠っているのが気持ちいいね。僕は冬を象徴する雪でもあるから」
蛍雪は渦を巻くように飛んだ。おどけているらしい。
「この部屋は暖房きいているけど大丈夫なのですか?」
「瓶には保冷効果があるから栓を抜いて外に出ない限り平気さ。雪がとけたら何になると思う?」
理科で勉強した物質の状態変化を思い出す。
「……やっぱり瓶からは出られないのですね。とけちゃうから……」
蛍雪の幻想的な光は、夜空を翔けて願いを叶える流星のように尾を曳いた。
*
化学式を暗記し、図形に補助線を引き、漢字を読み書きする。継続は力なり。その言葉を信じて真希はベストを尽くした。
そして、春は訪れた。
厳しくも美しい白一色だった街も、今は土が見えて、気の早い新緑が待ち切れずに萌え出している。
「中央に受かりました!」
「真希、合格おめでとう」
「蛍雪が励ましてくれたおかげです」
蛍雪の存在は、勉強で心身共に疲れた真希を常に癒してくれた。感謝と共に愛おしい気持ちがこみ上げた。蛍雪を抱きしめたい。
そう思った時にはもう、コルク栓を抜いて蛍雪を取り出し、左手に載せていた。
掌に触れた蛍雪は冷たかった。
「頑張ったね……」
冴え冴えとした青白い光を放ち、弱々しく蛍雪は呟く。
もとより小さかった蛍雪は、真希の体温でとけて更に小さくなり、輝きも弱まり……遂に冷たさも消えた。部屋は暗黒に塗り潰される。
「け、蛍雪?」
軽く手を握ってみた。薄く柔らかな紙切れのような物が載っているのが感触で分かった。
慌てて灯りをつける。
「桜の花びら?」
問いかけても、小さな花びらは応えない。
春の代名詞でもあり、合格を象徴する桜。
「雪がとけたら春になる、ということなのね」
真希はカーテンを開いて窓も開放した。
「さようなら蛍雪。今までありがとうございました」
掌の花びらを、真希は優しく息で吹き飛ばした。たった一枚の桜吹雪は、東風に乗って新たな旅路へと舞い上がって行った。