第六章:「出撃」
クルジシタン基準表示時刻02月08日 午後6時20分 クルジシタン北西部 日本 陸上自衛隊PKF(平和維持軍)サンドワール基地
その日は朝から何時になく風が強く、外を吹き廻るそれは肌を苛むかのように乾ききっていた。風が運ぶ砂埃はプレハブ造りの司令部の、防弾された窓ガラスを汚し、内からの眺めに煩わしいまでの曇りを与えている。
「―――――状況を説明する」
基地のブリーフィング-ルームに集められた警備部隊に属する分隊長以上の幹部、曹に、基地司令部幕僚の口を通じて反政府軍の根拠地急襲作戦の実行が知らされたのは、作戦実行まで一日を残した2月8日の夜のことであった。
大規模な作戦が始まるという予感は、いざそうなれば真っ先に前線に立つことになる彼らの間にはすでにあった。偵察や連絡に忙しなく飛び回るヘリや無人偵察機、急に頻度を増した射撃訓練、任務の合間に行われる戦闘訓練もまた野外よりも都市部や建物等の閉所を想定した状況設定が大半を占め、回を重ねるごとにその緊張の度合いを積み重ねていったものだ。
そして彼らは知っていた――――実戦での緊張を忘れさせるために、厳しい訓練は存在するものなのだ。
筧陸将補が、突入作戦に備えた練成訓練の開始時期を作戦開始予定日の前月に設定したのは、絶妙な判断といってもいいのかもしれない。何故なら一か月が過ぎた現在では、将兵の練度は特戦群の御子柴三佐が太鼓判を押すぐらいまでに向上し、研ぎ澄まされていたのだから―――――
それでも不安は存在する。「転移」後、これまでにもPKFが国外で活動し、実戦任務に就いたことはある。しかしそれらは全て他国との協働作戦であって、自衛隊独自の作戦行動ではなかった。だが今回の作戦は、もしこれが実現すれば「転移」以来最初のPKF陸上自衛隊単独の実戦となる。その成否は、今後のこの世界における、日本の対外政策にも大きな影響を及ぼすことになり得るのだった。
筧陸将補を始め、作戦に参加する指揮官の全てが、自らとその部下たちの能力に疑問を抱いているわけではなかったが、隊員個々の能力を超えた不確定要素が、何時何処で作戦遂行そのものに悪影響を及ぼすかわかったものではない。今回のブリーフィングはそうした懸念を洗い出し、払拭する意味合いもあった。
――――作戦の概要は、陸と空の二方面から機動打撃部隊を「神の子ら」の本拠たる「旧都」アーミッド市街地中枢に突入させ、「神の子ら」の幹部を全員――――可能な限り生きたままで――――捕縛する。
アーミッドは王都であるのと同時に、十重二十重に路地の入り乱れる無秩序な複郭都市でもある。かつて――――アーミッドに未だ王都としての威厳が存在した頃――――楕円状の街区の中で、貴族、聖職者等の上層階級と庶民層の住む区画は厳密に別たれ、内戦勃発まで規模的には両者の勢力は均衡を保っていたが、内戦から数十年が経過した現在では、内戦に起因する王都の放棄にも等しい「遷都」を経ても旧都に残った後者と、以後続々と流れ着いた流民とにより形成されるスラムの拡大によりかつての上流層用の居住区は緩慢な荒廃を迎えつつあった。かつての王宮と豪奢な邸宅はその資材の尽くを剝されて持ち去られ、庭園の草花は手入れの為されないままに荒れ果て、街路や広場を彩っていた多種多様な木々は燃料用にあらかた切り倒されてしまっている。内戦前は宝石箱にも形容されたという壮麗な空間の面影など、もはや殆ど無い。今次の作戦には、反乱勢力の壊滅と同時に、無秩序なるがゆえに反乱の温床ともなっているこの国の最大の都市に、実力行使により秩序を回復するという意味合いもまた含まれていたのだった。
作戦開始時刻―――言い換えれば、突入予定時刻―――は0830。当然、作戦開始を企図する移動はそれ以前から始めておかねばならない。
具体的には、作戦行動開始時刻に先立つこと0520に、車両部隊はサンドワール基地を出発する。その陣容は戦闘要員214名、彼らを2台の73式大型トラック、4台の73式中型トラック、17台の高機動車、8台の軽装甲機動車、4台の96式装輪装甲車が支援する。特に大型トラックは、突入によって確保した捕虜の輸送、そして戦闘時に発生する負傷者の輸送もまた考慮されていた。
彼ら車両部隊は全部で四班に分かれ、異なるルートから市街地に突入する手筈になっている。ちなみに、作戦開始時のこれらの部隊のコールサインは「ゲンブ」、「スザク」、「ビャッコ」、「セイリュウ」だ。
車両部隊の一翼を担う73式中型トラックの内、二両には特殊な改造が加えられていた。荷台に砂袋を詰めた即製の「防弾板」を装備し、M2 12.7ミリ機関砲を一門、74式7.62ミリ機銃を二~三丁搭載するそれは、車両部隊の護衛用に現地で改造された「特殊仕様」の武装車両だった。「転移」前を含めた従来のPKF前線部隊の指揮官に比して、筧陸将補はこれまでに無い自由な裁量を振う権限を政府より認められている。彼自身、「転移」前にイラクやスーダンでのPKF任務を経験しており、武装車両もまたそうした経験から生み出された判断の産物だった。
一方、航空強襲部隊の戦闘要員は40名、これをUH-60JA3機、OH-6D4機に便乗させ、アーミッド中心部に置かれた武装勢力の本拠地、秘匿通称「パブロフの家」の周辺、そして屋上にラペリングにより降着させ、突入させる。これは対象の迅速な身柄確保を企図すると共に、敵に対処の暇を与えず逃走ルートを封鎖することにより、任務の成功を確実なものにする意図があってのことだ。航空強襲部隊のコールサインは「キツツキ」。
作戦時に主力を務める前二者に加え、より戦略的な観点から戦闘部隊を支援するべく、新たな職種として前線作戦管制官がこの作戦には参加する。菅生 充明三等陸佐と内海 亮一等陸尉、本土の中央即応集団から派遣された情報科幹部たる彼らは作戦では専用の監視機材を搭載したUH-60JAに搭乗し、ヘリのさらに上空を監視飛行する無人偵察機の支援を受けつつ、上空より突入部隊の移動経路、展開地点周辺の敵情を監視追跡し、速やかな進撃路啓開を期待されていた。彼ら前線作戦管制官(FOC)専用のUH-60JAは通信用アンテナをも搭載し、緊急時には前線部隊とサンドワール基地との通信中継任務までも要求されている。
そして―――――
旧都アーミッドに侵入し、所定の位置に就いたそれらの部隊が一斉に行動を開始する合図として、発令されるコールは、「アイリーン」と決められた……
任務完遂予定時刻は、1030――――強襲部隊に与えられた時間は二時間でしかなく、それは司令部を抑えられたことに気付いた反乱勢力の主力が態勢を整え反攻に転じる可能性のある最小限の時間でもあった。本格的な戦闘はこれを避け、機動力と速力を生かして任務を完遂する……本格的な戦闘に突入した際に生じるであろう両者の犠牲を極力抑えることもまた、本作戦の主眼だったのである。
「――――質問」
と、挙手したのは、車両部隊の一翼、「ゲンブ」を指揮する川辺靖二等陸尉だった。短く刈り上げた頭髪に交る白髪と、屈強な体躯を包む赤銅色の肌が、いかにも叩き上げの前線指揮官らしい貫禄を、何も語らなくとも披瀝しているかのように見える人物。立っている主任幕僚の傍に座り、それまで会議の流れを見守っていた筧陸将補が、その川辺二尉をボールペンで指さし、起立するように促した。
「作戦遂行に二時間しかかけないと仰いますが、目標地点に敵の指導部が存在するという確証はあるのか? また、もし敵の指導部が存在したとして、不測の事態により作戦時間が二時間を超えた場合、司令部に於かれては如何なる対処を想定しておられるのか伺いたい」
「…………」
筧陸将補は、傍らに控える御子柴三佐と顔を見合わせた。この種の質問を二人は、決して想定していないわけではなかった。その眼差しで数秒、何事かを話し合ったのち、口を開いたのは御子柴三佐だった。
「――――貴官の質問は、至って正当なものと小官は考えます」
疑念に対し同意を示し、御子柴は応じる。
「――――まず、敵指導部の存在に関する情報ですが、彼らの存在は確実に特定されております。先年より秘密裏に開始している特戦群による懐柔工作の結果として、我々はアーミッド市内に相当数の現地人内通者を確保し、彼らは今現在に至るまで敵の本拠地において監視活動を行っております。翌日午前の『神の子ら』指導部のアーミッドにおける会合もまた、彼らよりもたらされた情報であり、その確度には我々としては些かの疑念を抱くものではありません」
「信用できると、仰るのか?」
御子柴は頷き、そして続けた。
「次に……不測の事態に対する対処でありますが、意に反し目標が展開地域に存在しない、あるいは作戦時間が事前の想定時間を超えた場合、部隊は任務を中断し、速やかにアーミッドより撤退します」
「…………!?」
場が、どよめいた。苦笑する者、困惑する者、顔を顰める者、それぞれに浮かんだ表情の中で、一人の幹部が手を挙げ、真顔になって御子柴に聞いた。橘一等陸尉だった。彼は今回の作戦では、車両班「スザク」を指揮することになっている。
「それは……逃げると捉えてよいのですか?」
「そう、逃げます」
「…………」
沈黙――――その後で食い下がる様に橘一尉は言った。
「ですが、その後の事をお考えください。万が一、『神の子ら』の連中が我々の撤退を自分たちの勝利と捉え、これを大々的に喧伝でもしたら……」
「そのときは、彼らのやりたいように、やらせておけばいい」
と言ったのは筧陸将補だった。彼とて部下幹部たちの懸念に、根拠があることはわかっていた。今次の作戦が失敗し、「神の子ら」が勢い付いた場合、最悪一旦収束した内戦が再び拡大する恐れがある。最悪それはクルジシタンPKFの「失敗」を意味する。
「喩え今次の作戦が失敗したところで、我々には取れるオプションはまだ残されている。それだけは断言できる。諸君らには後顧の憂いなく当面の任務に専念してもらいたい。本官から言えることはただそれだけである」
一息つき、筧陸将補は何時の間にか静まり返った一座を見渡した。
「今次作戦に際し、最優先されるべきは「神の子ら」首魁とその一党の確保ではない、作戦に当たる諸君ら幹部及び隊員の生命である。従って我々はこの作戦にはヒットアンドアウェイで臨む。もし突入した先に対象がいなければ、速やかに来た道を引き返し戻って来い。それが本作戦の最優先事項であり、政府の方針であり、本官の意志である」
「…………」
部屋に漂う静寂は、指揮官の決意に対する同意の証であった。明後日の作戦に際し、一般の隊員たちの決意の程を固めるのは各級の指揮官とその幾下隊員の職務の内であろう。彼ら幹部とて、それが判る筈だ―――――これ以上に余計な事は何事も告げるべきではないことを、陸将補は知っていた。
同時刻―――――
明後日に何が起こるとも知れぬ作戦が控えているのにも拘らず、航空機用格納庫を改造した隊員食堂は、まるでその住民の全員が明日にも満期除隊を控えているかのような明るい喧騒に満ちていた。
セルフサービス方式の配膳設備に並び、好きな分だけ惣菜や飲物を取る。カウンターを隔てて全てが配膳員の匙加減で献立が割振られる、本土の駐屯地にある隊員食堂とは趣の異なる方式に、高津憲次一等陸士は既に慣れた。むしろ好きな分だけ盛付でき、かつ食べられるだけあって、こちらの方が性に合っている。
「食い過ぎるなよ。慣れないと自分でも知らんうちに太って動けなくなる。食い過ぎちゃあ戦にならんからな」
と、分隊長の宮本三等陸曹が高津一士の隣席に着きながらに言った。陸曹となって未だ三か月、さらに分隊を預かる身となって未だ二か月、経験は決して豊かとは言えないが、それでも高津をはじめ部下の信望は厚かった。高校生時代、陸上競技の国体選抜にも選ばれた程の、訓練の端々で発揮されたずば抜けた身体能力、それと比例するかのように指揮能力も高く、また個人的にもアマチュア無線とプログラミングといった「知的」な趣味を彼は持っていた。
その宮本三曹の盆には高津一士と比べ、食事の分量が少ない代わりに、彼が本土から持ち込んだものであろう、プロテインのチューブやら、栄養補助食品の錠剤やら妙なものが乗っていた。兵士の食事というより、総合格闘技の選手かボディビルダーのそれを思わせる献立―――――それに対し怪訝な表情を隠さない高津一士に気付き、宮本三曹は目元と口元とを笑わせて応じた。
「体作りの一環ってやつだ。ここの食事は、筋力を付けるのに向いていないのでね」
「分隊長殿は、特殊作戦群の入隊試験を受けるというのは本当でありますか?」
「何だ、聞いていたか……」
と、宮本三曹ははにかみを隠さない。
「実はここに来る前から、推薦を受けていた」
「そうでしたか……」
驚いて見せつつも、内心では納得にも似た感情を覚えている高津一士がそこにはいた。例の如くレンジャー章持ちであることもそうだが、敏捷な豹を思わせる筋肉の付き方、絶妙の体躯のバランス、そして訓練や演習の端々で見せる卓越した戦闘技術……他の陸曹とは異彩を放つ外見の持主たる宮本三曹にとって、戦闘部隊の最高峰たる特殊作戦群は、たしかに天職であるように高津一士には思われた。
「準備はしておくに越したことはないですよ。海自特殊部隊の入隊訓練なんて、地獄そのものだと言いますし……」
「ハハハハ……実は海自特殊部隊の入隊訓練を受けてみようとも思ったんだ」
「へぇ……」
その名の通り、海上自衛隊の特殊作戦部隊たる海自特殊部隊は、その秘匿性と威力において陸上自衛隊の特殊作戦群と並び優秀な部隊として知られている。いずれも政治的、戦略的に高度かつ難解な任務に投入されることを前提に編成され、また特殊作戦群と同じく、その選抜方法、訓練ともに過酷なことで知られていた。それ以外に両者の共通点としては、それぞれ陸海の部隊でありながらも、陸海空自衛隊の垣根を越え広い職種から人材を募っている点が挙げられよう。従って、陸上自衛官たる宮本三曹が海自特殊部隊の入隊試験に志願したところで、何ら違和感など無いというわけであった。
高津一士は聞いた。
「何時、この基地を離れるのですか?」
「勿論、明日の戦闘が始まる前に決まってるだろう?」
「うわっ、きったねー」
宮本三曹は笑った。
「冗談だよ、ジョーダン。俺が貴様らを見捨ててここを去るわけがないだろう? 国に帰るのは最短でも、明日の任務が終わってからさ」
人並み外れた握力と肺活量に任せて一息でプロテインのチューブを空にしたところで、宮本三曹は話題を転じた。
「遺書は書いたか?」
「遺書なんて……縁起が悪いですね」
「書いておけ、後で揉めるのは確実だからいざという時の意思表示ははっきりとさせておいた方がいい」
「分隊長は書きましたか?」
「ここに来る前に、とっくに書いてるよ」
「死ぬつもりがないのに?」
「そう、死ぬつもりはない」
あっけからんとした表情で、宮本三曹は言った。その豪胆な態度に表情を引きつらせた高津一士が、やっとといった感じで応じようとしたその時――――――
「――――レディー……ゴゥ!!」
食堂の隅で上がった歓声は、期を同じくして始まった、人ごみの環の只中で繰り広げられる筋肉と腕力の鬩ぎ合いを、一層に白熱させる効果を催していた。そして高津一士には、周囲の白熱の真ん中でアームレスリングを繰り広げる一方には、見覚えがあった。
「加藤空士長……?」
「何だ、知り合いか?」
「まあ……」
体格的には宮本三曹に似た、細身の加藤空士長、その彼が腕を組み膂力を競っている相手は彼よりもずっと腕と首筋が太く、厚い胸板を薄生地のシャツ越しに誇っていた。それでも、加藤空士長は彼に対し一歩も引くことなくアームレスリングを成立させている。
「大崎、空自に負けんな!」
「加藤、しっかり!」
筋力と精神力の戦闘的な均衡は、周囲の予想に反して長引き、それは更なる熱狂を呼ぶ。それが始まった当初は圧され気味だった加藤空士長が、それまで溜めていた馬力を注ぎ込むようにして反攻に転じた瞬間、熱狂は頂点に達したかのように高津一士には思われた。
「――――――――!!!」
勝負はついた……おそらくは筋肉の量に勝る相手の腕を、加藤空士長は裂帛の気合とともに捩じ伏せるようにしてテーブルに叩きつけ、その瞬間、熱狂は歓喜へと変わる。
「あいつは……?」
「空自のパラメディックです」
「ふーん……威勢がいいな」
横目に至近の歓喜を見遣りつつ、宮本三曹は微笑んだ。
「まるで……明日にでも国に帰るみたいだ」
宮本三曹の言葉に、笑いで応じようとして高津は失敗した。
何故なら、その言葉に明言しがたい不吉な響きを聞いたように思えたから―――――
「注目ぉーーーーーく!!」
突然に注がれた声に、食後のレクリェーションに参加していた連中の子供っぽい歓声と、それ以外の個々人の明日への思いは中断を強いられる。基地の最先任陸曹たる武藤正義陸曹長に先導され、実戦部隊の最高指揮官たるサンドワール基地警備部隊指揮官 佐々 英彰三等陸佐が隊員食堂に足を踏み入れた瞬間だった。同時に隊員の誰もが、食事を頬張る口、同僚と話す口を止め、異彩を放つ青年指揮官の挙動を見守るのだった。
「嫌いだけど……いい指揮官だ」と、宮本三曹は言った。それは真に自分の指揮官の存在を疎んでいるのではなく、むしろ純粋な競争心の発露であるように高津には思われた。
「全員そのまま、食べながら聴け」
目を合わせた隊員に会釈しつつ、佐々三佐は軽やかに歩を進め、食堂の全容を見渡せる場所に立った。そして二、三度、自身を中止する一同を見回し、口を開いた。
「明日、我々は敵中に突入する。訓練ではなく、実戦として突入する。諸君らもそれをすでに承知のことと思う。諸君らの中には、二度と生きて祖国の土を踏めない者も出るかもしれない。我々指揮官も諸君らの生還のためには最善を尽くすが、それでも不可抗力というものも生じ得るだろう。賢明なる諸君らには今再び、この場で覚悟を決めてもらいたい。これは本官の心からの願いである」
そこまで言って、佐々三佐は再び一同を見回すようにした。すでに先刻の活気は何処かへ消え去り、そこにはすでに重苦しいまでの緊張が漂っている。だが自らが作り上げた空気に気圧されるような男では、佐々三佐は決してなかった。
「明日、我々が対することになる敵は、多くの戦闘を経験し、武器の扱いにも習熟している。文字通りプロの民兵だ。だが練度と戦術、そして意志の力では我々は引けを取るどころか彼らに明らかに優越していることを自覚していてもらいたい。その自覚がある限り、我々に敗北と失敗はない。任務の成功と全員の帰還を期し、これで終わりとする……以上!」
そこまで言って、佐々三佐は白い歯を見せて笑った。釣られて不敵な笑みを見せる者、緊張を隠さない者、平静を装う者……部下隊員の多様な顔触れを、その全てを受け入れようとするかのように一瞥し、佐々は軽くうなずき、そして踵を返し、幹部や陸曹たちを引き連れて食道から歩み出る。だが、外に出た時、佐々の表情は、先刻のそれなど微塵も覗わせない程険しいものとなっていた。
「……難事だな」
「どうかなさいましたか? 隊長」
「何でもない。こちらのことだ」
沈黙と決意―――――それらを独りで引き摺りながら、佐々は元来た道を辿っていく。
クルジシタン基準表示時刻02月09日 午前4時11分 旧王都アーミッド 中心部広場近辺 市場内
薄汚れたジムニーは、濃い土煙を立てながらに隘路を駆け、そして市場に差し掛かった。
プライベートにおける愛車であるパジェロの、その巨体に比して取り回しの効くパワーステアリングに慣れたヴィヴィ‐ヴェンにとって、愛車より一回り小さいジムニーのハンドルは意外と重く、そして操り辛く感じられた。ハンドルを手繰るうちに溜まった、腕の筋肉にかかる負荷が、それを教えていた。
クラッチを踏み、細いレバーを小刻みに動かして変速を繰り返し、またクラッチを繋ぐ度、古ぼけたギアはおぞましいまでの悲鳴を上げ、廃車寸前の四輪駆動車を走らせる。そして僅かな間の疾走は、唐突なまでに眼前に飛び込んで来る、襤褸を纏った群衆や隊商の引く運搬用の家畜の群れに行き当たる度に中断を余儀なくされる……まったく、ストレスの溜まること甚だしい。
……それに、冷房も効かない。砂埃を避けるべく窓を閉め切った運転席で玉のような汗が腕に滲み、滴が頬を伝って顎に溜まり、そして滴り落ちる。窓を開けないのには、他にも理由があった。市場の各所で、燃料代りに積み上げられている干した牛糞の強烈な臭いを、彼はなるべく手に入れたばかりの車の中に入れたくなかったのであるし、例え相手が車であっても強引なまでに迫ってくる押し売りを拒否する意思表示でもあった。それに此処は「神の子ら」の支配地域だ。無防備に車を走らせていては連中に目をつけられたが最後、下手をすれば「没収」される。
ヴィヴィ‐ウェンは、商人だった。「法難」の起こる前――――具体的に言えば祖父の代――――から、比較的治安の安定した南西部を根拠に、香辛料や生活雑貨を取扱ってきた。主な商売相手は政権側ではあったものの、原料調達先と職人確保の問題からそれだけでは到底事業を成り立たせることができず、収益の維持と政変時の「保険」という意味からも「神の子ら」の一員とも少なからぬ面識を重ねるに至っていたのであった。
やがて「転移」を経て、クルジシタンにも食料品の各種原料の調達先を開拓すべく日本の総合商社の手が及ぶようになり、ヴィヴィ自身の商売相手もまた一つ増えた。日本人のことは嫌いではなかった。日本人は公正だし金払いがいい。日本人は特に香辛料を好んで求めてくる。そして都合のいいことには、こちらの提示した値段を、有無も言わさず了承し即金で買い取ってくれる。だが、欲をかいて契約を反故にしたり、過度に吹っ掛けたり、モノの質を落としたりすれば、彼らは事前に何の警告もなしにその相手を容赦なく切り捨て、新しい商売相手に乗り換えてしまう。不正に対するに言葉ではなく「紳士的な」行動で示す――――根っからの商売人たるヴィヴィにとって、そこが日本人の恐ろしいところだった。
幾度かの商談と取引とを経て、日本側とのある程度の太さを持ったパイプを構築でき、個人的にも「現地人の情報通」として日本側にも知られる身となったそのとき、ヴィヴィは商社の日本人を通じ新たな取引相手を得た。しかし外見の服装こそ民間人だが、それまでの商社員とは明らかに趣の違う、凡そ没個性的な印象をヴィヴィに抱かせたその連中の求める商品は、香辛料や果物ではなかった。日本人商社員に、「政府の人間だ」と彼らを紹介されたのは、クルジシタンの治安維持を名目に周辺国と「ニホンの軍隊」が進駐して来る、あれはおよそ半年前のことだった。
「報酬ははずむ。反乱勢力の内情を教えてもらいたい」
自分たちも求めるものに関し、その「不思議なニホン人」はそれだけを言った。それは「神の子ら」と直接の面識があり、度重なる商売の結果として彼らの信頼をも勝ち得たヴィヴィにとって、あまりに容易な仕事であるように思われたし、事実容易だった。各地に分散した「神の子ら」の根拠地の位置、彼らの支配地域の内情、「神の子ら」の構成員のこと、そして「神の子ら」の思想的背景……何時しか日本人に言われるがままヴィヴィは「神の子ら」に関する全てを教え、あるいは探り出し、日本人の期待に応えた。その報酬は大きかった。独占的ともいえる香辛料の売買契約と、クルジシタンにおける日本製中古車の輸入販売業開始に必要な資金提供―――――それはヴィヴィに、「神の子ら」との商売関係をすぐにでも解消したとしても、余りある収益を約束するものであることは疑うべくもなかった。
――――土肌剥き出しの隘路の前方にあるものを見出すのと、ジムニーのブレーキを踏むのと同時だった。ヴィヴィ自身、個人的にはすでに五台の日本製自動車のオーナーだが、マニュアル車の操作に慣れず、クラッチを解かずにうっかりブレーキを踏み込んだ車は、エンジンから不気味な振動を上げて止まった。
前に聳える朽ち掛けた鳥居と、その両脇を固める飛竜の石像が、ヴィヴィに自身が中心部広場の北口に差し掛かったことを悟らせた。
「…………!」
自身の車を追い抜く形で、速度を落とさずに門を潜る同じく日本製の軽トラックに、ヴィヴィは思わず目を剥いた。その荷台にはおよそ立錐の余地も無いほどに多くの武装した若者たちが、手に手に銃を持って立っていたからである。軽トラックは不快な土埃を撒き散らしながらさらに速度を上げ、そして広場の中央に聳える出来損ないの聖堂のような建物へと向かっていくのだった。その速度に市場を成す露店、そこを行き交う人々や家畜に対する気遣いなど、毛ほども感じられなかった。
慄然――――連中と接する度覚える、芯から体を震わす感覚。
連中は―――――おれたちと何処か違う。
何処が?――――――全てだ。
生気の無い、どろんとした眼付き。
だがその眼の奥からは、純粋さと狂気の入り混じった淡い光が汲めども尽きぬほどに沸いている。
彼らの眼は輝いている―――――見ず知らずの誰かに殺されるまでの、殺戮と破壊に手を染めていられる僅かな間だけ。
そう―――――
殺戮と破壊―――――それが彼ら「神の子」がこの地上に生を享けた瞬間から存在し続けた日常であり、そして彼らにとって娯楽となり快楽となった。そして彼らもいずれ、彼らを取り巻き育んできた日常の中にその生を終えるのだろう……
そして―――――
彼らの命を奪い、彼らをそんな「日常」から「解放」してくれるであろう、見ず知らずの誰かは、ごく近い将来に、銃を構えたニホン人の形をしてこの広場に降り立つのだ。
リリリリリリ!……
「――――――!」
唐突とも思える、耳障りな電子音―――――無形の剛腕は、柄にもない感慨に浸っていたヴィヴィの心胆を一瞬握り締めた。音を打ち消すかのようヴィヴィの手は座席横の携帯電話に延びる―――――
『――――こちらサンクチュアリ、モーニングスター、現状報せ』
「こちらモーニングスター……広場に入った。連中……予想以上にいる」
『――――こちらも上空から確認した。もう少し前進できないか?』
そう言われて、ヴィヴィは反射的に空を仰いだ。その彼の眼差しの先で、烈しく照り付ける太陽を背に残飯狙いのカラスが数羽、翼を広げ虚しげに環を描いていた。だがヴィヴィと彼の車を見守る――――というより監視する――――眼は、それらの羽ばたきの及ばない遥かなる蒼空で無機質な瞬きを続けているはずだ。
しかし―――――とヴィヴィは思う。自分が広場に差し掛かった途端、ニホン人は電話を掛けてきた。元来は「商売上必要だから」と懇意のニホン人商社員に持たされた携帯電話。確かにこいつを持ってから商売の効率は大いに上がった。そして現在、手のひら大程度の大きさしかないこいつは、単なる商売の道具であるだけではなく、得体の知れない彼の雇い主と彼自身とを繋ぐ重要にパイプにまでなってしまっている。
「…………」
まるでニホン人は、本来神しか棲むことの許されない天から自分を見張っているかのようだ―――――柄にもないヴィヴィの感慨は、実は正しかった。
それは無人偵察機だった。大きさでは軽飛行機ほど。高空と航続性能に特化したそれは、クルジシタンに展開を果たすや常時高空に在り、「神の子ら」の動静を探っている。特にここ旧都アーミッドは、それらの偵察機にとって、突入作戦を控えた今では最重要の監視地域になっていたのだ。一方で過分な報酬を示されながらも、その事を知る術を、ヴィヴィは持っていなかった。
――――それでも気を取り直し、ヴィヴィは計器に向き直る。「神の子ら」の接近するのは危険な仕事だが、それだけに報酬は大きい――――何せ、すでにこの国の経済を掌握しつつあるニホン人の、過分なまでのおこぼれに預かれるのだから……
『―――――モーニングスター、動きだしました』
偵察機の監視カメラに捉えられたヴィヴィと車、それらを取り巻く情景は、そのままサンドワールのPKF司令部にリアルタイムで転送され、指揮官たちは基地に居ながらにしてこれより彼らが飛びこむことになるであろう街の様子を知ることができた。
「躊躇したか……まあ無理もないな」
と、御子柴三等陸佐は言った。その間も、タクティカルベストを纏う手を彼は緩めていない。飛行場に隣接する隊員待機所では、32名に及ぶ彼の部下が、完全装備で準備を整えているはずだった。作戦では、特殊作戦群は24名の地上班、8名の航空班に別れ、御子柴はこの航空強襲部隊を直卒する。
「本当に信用できるのでしょうか?」
と、佐々三等陸佐が指揮官席の筧陸将補を顧た。緑色のシャツにズボン姿の、階級からは想像できないラフさが際立つ筧陸将ではあったが、それはむしろこの場に居合わせた部下たちに近親者と共に在るかのような安心感を抱かせた。佐々の眼差しに自らの目を合わせ、筧陸将補は口元を皮肉っぽく歪めた。
「そのために好条件でこちらに引き入れたんだ。信じようじゃないか」
『――――モーニングスター、「パブロフの家」まで800メートルに接近』
市場に溢れる人影を書き分けるように、ジムニーはゆっくりと走り始めた。それが防衛省情報本部の現地エージェントたる、ヴィヴィ‐ウェンであることは明らかだった。歪み、へこみと錆の目立つボンネット一杯に描かれた赤い×の字が、それを雄弁なまでに物語っていた。ジムニーが中心に近付くにつれ、徐々に変わりつつある周辺の様子に、筧陸将補はその眼を曇らせる。ジムニーを取り囲むように広がる群衆の波の中で、小銃等の武器を持った人間の割合は目立って増していた。「パブロフの家」への、地上からの突入に適した入口とルートの指示、ヴィヴィ-ウェンに課せられた任務は、その半ばで破綻を迎えつつある。
「危険だな、これ以上の接近は」
「強行突入しかありませんか……」
と、佐々は困惑気味に言った。強行突入時に市中に生じるであろう混乱を恐れての突入ルート確保任務だったが、もはやそうも言ってはいられなくなっている。
「ふむ……」
口元を歪め、筧陸将補は忌々しげに息を吐き出した。それまで黙ってモニターを見詰めていた御子柴三佐が歩み寄り、言った。
「ルート啓開は、捨てましょう。危険な上に時間が掛かり過ぎる」
筧は頷いた。
「エージェントに連絡、任務を中断し、現地より離脱せよ……と」
だが命令より数刻を過ぎても後退しないジムニーの姿に、筧は一層に表情を曇らせた。監視の隊員が、困惑したような顔を向け、筧に告げた。
「駄目です。指示に従う様子がありません。何度も呼びかけてはいるのですが……」
「意固地になっているのか……愚かな……」
「もう戻れない……と思い込んでいるのかも」と佐々。
再び嘆息―――――筧陸将補は二人の部下を近くへ呼んだ。
「……作戦は予定通りに始める。結果は問わない。すぐに終わらせて、また戻って来い」
「佐々三等陸佐、部署に戻ります」
「御子柴三等陸佐、部署に戻ります」
「頼む」
敬礼―――――それに対する答礼。
時に、午前4時27分。
キイィィィィィ……ン!!
耳を劈くジェットの鼓動―――――
縦列の配置から一斉に始動を始めたヘリコプターのローター音は不気味な振動すら生み、格納庫を改造した兵舎までその響きを伝えてくる。アスファルト敷きの飛行場に面した兵舎では、すでに鉄帽やボディアーマーに身を包んだ男たちが、長テーブルに並べられた銃器と弾薬の装備に取り掛かっていた。
大友 拓也一等陸士もその中にいた。鉄帽、ボディアーマー、ニーパッド、ゴーグル……そして歩兵用無線機、ヘッドセット。それに背負式の水筒に受傷時の応急処置用の薬品に包帯、さらに武器が加わるのだ。
「…………」
愛用(?)のMINIMI5.56ミリ機関銃の傍に、無造作に置かれた専用の弾倉を、大友一士はゲンナリとして見詰めた。本来ならば軽い89式小銃を大友一士は持って行きたかったが、分隊の編成と彼の立場がそれを許さなかった。
分隊支援用の機関銃と、それ専用に作られた重箱のような弾倉、重く大きいばかりで、戦闘に何ら役には立たないように見える荷物―――――それでも、今からきっかり三時間後には、大友一士はそれを抱えて弾丸飛び交う街中を駆けねばならないのだ。それも、あと一つ予備の弾倉をその背中に抱えて……
MINIMIに弾倉を装着し、渋々……といった様子で予備弾倉を腰に繋ごうとした大友一士を、咎める声がした。木村 武陸士長だった。
「馬鹿野郎、お前あの街で一晩過ごすつもりか?」
「え……要らないんですか?」
「どうせ作戦はすぐ終わるんだ。弾もそんなに要りやしねえよ」
木村陸士長は笑い掛け、片目を瞑って見せた。それはいわば「楽をしろ」という誘いだった。自衛官ならば教育隊の段階でいかなる任務に対しても、決して妥協をするなと教えられている。妥協が隊員を堕落させるからではない。妥協によって自身、ひいてはその同僚の生命すら危険にさらす事態に陥ることを懸念しているが故の、それは警告だった。だが……慣れは自信を生む反面でやはり妥協への呼び水となってしまうものだ。それに、今までの戦闘訓練では予備弾倉を使うような局面を大友一士は経験したことがなかった。そしてテーブルの周りではやはり、大友一士と同じく、MINIMIを担当する隊員が予備弾倉を持たずにそのまま集合場所へと向かっている。
「やっぱり……持って行きます」
「そうか?……ま、いいだろ」
弾倉を全て持ち、次にテーブルに置かれた機器に大友一士の手が延び、そこで止まった。夜間戦闘に備えての暗視装置だった。
「これ、要りますか?」
「どうせ昼までには還れるんだ。壊しでもしたらコトだからな。置いてけ」
「……そうですね」
言われる通り、暗視装置の調達価格は高い。ワンセットで70万円はする。即金で中古車が楽に買える額だ。貧乏性とでも言おうか、それを戦場で使わず、徒に傷付けてしまうことへの恐れが、大友一士を躊躇させた。周囲では?……やはり、嵩張るのと壊すのを恐れてか暗視装置は敬遠の対象になっている。
機銃に加えあと一つ、突入部隊は拳銃の携帯を義務付けられていた。建物内に突入した際の閉所戦闘、それに伴う接近戦に備えた際の処置だった。陸上自衛隊の正式拳銃、SIG9㎜は大友一士の掌にはやや大き過ぎる嫌いがあったが、それでも訓練で体験した閉所における小銃や機銃操作の不便を考えれば、拳銃は必要な装備であるように彼には思われた。ホルスターを腿に巻き、拳銃と予備弾倉を収めたそのとき―――――
「準備の終わった者は集合! 急げ!」
痺れを切らしたのか、陸曹の声が荒い。装備の終わった者が櫛の歯が欠けるようにテーブルから次々と離れ、大友一士と木村陸士長もまた、慌ただしげに外へと小走りに駆け、そして列内に加わる。飛行場から距離を置いた遠方では、地上戦闘要員が一斉に彼らを待つ大型トラックや高機動車、そして装甲車に駆け寄り、各個に搭乗を始めていた。
「搭乗―っ!!」
車列から延びる号令に背を押されたかのように89式小銃を引っ掴み、高津 憲次一等陸士は駈け出した。荷台に機銃と弾薬を満載した武装車両、それが今回の任務にあたり彼に割り当てられた持ち場だった。
駆ける途上、ある人影に気付き高津 憲次一士は思わず目を凝らすようにした。航空強襲部隊に属する予備機のUH-60JA、そのキャビンで発進の準備を終え場に似合わず他のクルーと寛ぐ加藤空士長が、ニヤニヤ笑いながらこちらを窺っていた。
「はは……」
駆け出しながらも思わず上がる手―――――加藤空士長もまた手を上げてそれに応えてくれた。高津にとって見送りには今のところそれで十分だった。
「…………?」
今回の作戦では分隊に所属せず、新たに割り振られた彼の配置である武装車両の荷台に駆け寄ったとき、車体に描かれた絵に、高津一士は思わず目を奪われた。荷台に填められた防弾板に描かれたアニメの、それも半裸体の美少女が、無邪気な笑みで高津を見返していた。その傍に書かれた、「俺の嫁一号」という名称……先に配置に就いていた機関銃手が、声を上げて高津に上がるよう促した。
「早く乗れ。怖気づいたのか?」
「…………」
棘のある言葉に、高津一士は思わず言葉の主を見返した。防弾服とセラミック製の着脱式の防弾プレートに上半身を固めた不精髭の隊員が、高津の様子を訝しげに見下ろしていた。階級は二等陸曹だった。
「いま上がります!」
足を早めて荷台に駆け寄る。先に上がっていた隊員が、手を差し伸べて高津の搭乗を手伝ってくれた。
「第三分隊の高津一士でありますっ!」
「おれは銃手兼車長の大石二曹だ。宜しくな」
「…………」
防弾板に囲まれて見えなかったが、狭い空間に犇めく箱また箱に、高津一士は思わず目を奪われた。武装車両の搭載火器たる74式機銃とM2重機関銃、それらの弾薬を詰め込んだ箱がぎっしり、74式中型トラックの狭い荷台を埋め尽くしていた。それこそ、足の踏み場もない位に。
大石二曹は、自身の傍らに空いた74式機銃の銃座を指さし、来るように促した。
「お前の持ち場だ。しっかりと俺を守ってくれよ」
高津一士の任務は、接近してくる敵の民兵から、銃手と車を守ることにある。つまりは任務の主力たる突入部隊からは漏れたわけだが、兵士としての技量に自信のない高津にとってそれはむしろ仲間の足を引っ張らずに済むという点で有難かった。
「…………」
銃手たちの装備に、高津は思わず目を奪われる。上半身を固める防弾服は陸自普通科隊員にとって当然の装備だったが、その上に装着されたセラミック製の防弾プレートは、まるで中世の重甲騎士の姿を高津に連想させた。
「うわぁ……辛そう」
「辛いというか……暑苦しくてかなわん」
「任務、早く終わるといいですね」
「全くだ……」
語を継ぎ、大石二曹は言った。
「……インキンがますます酷くなっちまう」
期せずして荷台上で沸く爆笑、それに大石二曹がさらなる冗談で応じようとしたそのとき――――――
「―――――予定作戦時間は二時間! 作戦の成否に関わらず、所定の時間を過ぎた場合には部隊は速やかに撤収する。ではかかれ!」
格納庫傍に居並ぶ航空強襲部隊の隊員を前に、作戦指揮官の佐々二佐が声を張り上げた直後、銃を提げた一団が、颯爽とした駆け足でローターを羽ばたかせるヘリコプターの列線へと向かっていくのを、高津たちは見た―――――
「――――かかれ!」
大友一士は駈け出した。比較的軽装の他の隊員に合わせ歩速を上げる度、首から提げた、弾倉を装着していないMINIMI5.56ミリ機関銃が、脚を動かす度にブランブランと不快に揺れ、身体に当たった。およそ100メートルの距離を置いてメインローターを回し続けるUH-60J、それが、今回大友一士が乗り込むことになるヘリコプターだった。
窓から半身を覗かせた銃手が、丁度7.62ミリミニガンに弾帯を装着しているところだった。先着していた隊員が、大友一士がキャビン内に乗り込むのを、手を貸し手伝ってくれた。座席には就かず、地上を見下ろすかのように床に腰を下ろす。その際の、落下防止用の命綱の装着も忘れなかった。
隣に木村陸士長が座るのと、分隊全員の搭乗が終了するのとほぼ同時だった。分隊長の島 亘三等陸曹が、機上整備員に搭乗完了を告げる。大友一士もまた覚える胸の高鳴り―――――それが収まるのに、少なからぬ時間が必要であることは確かであった。
「やべ……金玉が引っ込んでやがらぁ……」
と、股間を抑えた木村陸士長が言った。大友一士の、思わず延びた手が股間に触れる。だが分厚い戦闘服の生地では、その奥の様子を確かめようがなかった。
「金玉が引っ込む内は、まだまだ半人前だ」と、島三曹も笑う。
期せずして上昇を始めるメインローターの回転数――――――
『―――――サンドワール‐タワーよりキツツキへ、離陸を許可する』
直後、隣接するように列線を形成していたOH-6Dが、一斉に浮遊した直後に隊列の方向を縦から横列に換え、そのまま上昇を始めた。機体の両脇に乗せた特殊作戦群の隊員の、装備の物々しさも然ることながら、その息の合った様子に、キャビン内から期せずして漏れる歓声―――――
「すげぇ……!」
その彼らにしてからか、感嘆に身を浸る暇は、すでに残されていなかった。空に出たOH‐6D隊に続き、UH-60もまた列線の先頭の機より上昇を始めていた。そして大友一士と彼の分隊の搭乗するUH-60JA「モンハン01」にもまた、上昇の時は廻って来た―――――
「―――――モンハン01、上昇する」
管制塔と交信を保ちつつ、引き上げるコレクティヴ-レバー――――――
谷水 美佐緒 二等海尉の、ほぼ前面を覆うミラーグラス越しの視界が、徐々に地上を俯瞰する高みへと昇っていく。上昇の速度は緩慢だったが、ヘリはあたかも大地の上に足を下ろしているかのような安定感で、機長たる谷水二尉の操縦に応えていた。
「…………」
上昇しつつ、谷水二尉は隣の列線を見遣った。彼女の隼のような眼差しの先で、OH-6D偵察/観測ヘリコプターの4機編隊が、その軽快さを誇示するかのように頭一つ上方まで浮揚を果たしていた。そして、その4機の内一機の操縦士に、つい最近ペアを組んで飛んだ村上士郎二等陸尉の姿もいる筈だった。それら4機のいずれも、例外なく7.62ミリミニガンで武装し、その両脇に設けられたステップには完全装備の特戦群隊員を載せている。強襲部隊隊員の輸送と同時に、それら部隊の空中からの火力支援もまた、これらOH-6D隊の任務だった。
『―――――間もなく変針高度です』
「……了解」
出撃に臨む気分の高揚を台無しにするかのような、唐突とも思える報告だった。浸りかけた感傷から一転、憮然として谷水二尉は副操縦士席の男を見詰めた。若く端正な容姿だが、その表情に無機質なまでの無愛想を纏わせた幹部が操縦桿を握り、報告から一転、機長たる彼女を無視するかのように前方へと目を凝らしていた。今回の任務で谷水機の副操縦士を務める水津秀治二等海尉だった。所属する組織と階級こそ同じでも、片や航空学生からの叩き上げたる機長、一方で防衛大学校を経て幹部操縦教育課程を修了したばかりの副操縦士……しかも彼は、交換要員としてこの基地に着任して以来、各隊との連絡要員に終始し一度たりとも技量維持訓練以外の任務飛行を経験したことが無かった。
機上整備員は石川二等空曹―――――彼とはこれまでにも何度か組んだ。その度に何の瑕疵なく任務をこなしている。そして今回の強襲任務にあたり、彼には通例の機上作業の他、UH-60JAの左側面に装備された7.62ミリミニガンの操作も課せられていた。その他、緊急時を想定し機内には護身用の64式小銃の他、機長たる彼女自身、SIG自動拳銃を持参している。
『――――全機転針』
フットバーを右に踏み込み、機首を巡らせる―――――期せずして一斉に方向を換えた四機のUH-60JAは、そのままエシュロン隊形を取りさらなる上昇に転じる。上昇しつつ頭一つ先に出た機影が一機―――――強襲部隊指揮官、佐々三佐を始めとする戦闘部隊司令部を乗せたUH-60JAだった。同時にOH-6D隊が一斉に散開し、谷水二尉の眼前でUH-60JAの周囲を固めるように広がった。
『―――――佐々より全指揮要員へ、ReCSをチェックせよ』
命令一下、安定した上昇姿勢に入ったヘリの機内で、PDA端末を取り出した隊員が起動ボタンを押した。その瞬間、一分隊に付き一基の割合で配備されたPDA型の端末は操作に応じて航空強襲部隊、車両部隊各隊の現在位置のみならず配置、陣容、そして装備の状態すら図表化して表示する。そして端末は、作戦地域上空に先行し待機するUH-60JA改指揮統制機を中継し、それが起動している限り自動的に司令部へ刻々と移り変わる部隊の状況を送信する。
ReCS (基幹連隊指揮統制システム)は、本来連隊以下の部隊単位でコンピューターネットワークを構成し、戦域における各部隊の状況をネットワーク上で集約することにより攻勢、防勢等の指揮統制を迅速に行うための機構のことだ。開発とそれに伴う試行、配備は「転移」前の段階で完了し、機構そのものは時を経るごとに熟成されつつあった。何より、最小端末たるPDA、無線通信機、そして各隊を統制する中枢にノートパソコン程度の容量の情報処理装置で済むシステム構成と、PDA端末自体携帯電話を扱う要領で操作が可能なことが、部隊においてスムーズに普及を促進した側面でもあったかもしれない。
基地上空――――――
「…………」
―――――上昇を続けつつ、基地の敷地内を走る車両の連なりを、谷水二尉は見下ろすようにした。
砂埃を上げ疾走する車両の一群――――
――――――それは基地正門に到達しようとしている車両部隊の車列だった。
クルジシタン基準表示時刻02月09日 午前5時34分 サンドワール~旧王都アーミッド間 通称「幹線道路227号」
サンドワール基地より直線距離で約90キロ。基地を発した車は、旧王都までの道無き道として、ただ平坦な、変化に乏しい土地を驀進することになる。
「法難」より前、かつて旧王都が王国各地より集められた富で満ちていた時代、PKF呼称「幹線道路227号」は、地方からの租税や特産物、そして行商人や雑徭として地方より集められた民に溢れていた数多の道の、主要な一つであった。やがて内乱の余波が旧王都に延び、やがて王族や政府をして王都を捨てせしめるに至った時、栄光の面影は吹き渡る風とともに薄れ、そして現在進行形で消えつつあった。
その道を、車列は進む―――――道の粗末さと、列を形成する各車両の、外見の重々しさに反し、その行き脚は極めてスムーズであった。当初は高揚感と緊張感とに支配されていた行程も、時を経て目的地に迫るにつれ、それらの感情は意外なほどに薄れゆくのを隊員の誰もが自覚した。
『――――こちら車両班、D点に到達。送れ』
『――――こちらカラス、車両部隊のD点通過を確認。送れ』
「カラス」とは、前方偵察を兼ね地上部隊の針路誘導のために行程上空域に配されたOH-6Dのコールサインである。そして「D点」とは、それまで一団となって進撃していた車両部隊が、事前の手筈通り三つの集団に別れ別コースを取るポイントの事を言った。
「先任指揮官より各車へ、各自のコースに散開せよ。幸運を祈る」
車両部隊指揮官最先任にして、自らは車両部隊「セイリュウ」を預かる大清水仁一等陸尉の命令が通信回線を駆け巡るや、車列はあたかも有機体のように三つに別れ、そのまま三方へと散った。車両の移動であることが信じられない程の、それは鮮やかな機動だった。そして上空を行くヘリコプター隊は、そのまま直進し旧王都を目指すことになる―――――
流れゆく―――――
変化に乏しい下界―――――
――――ヘリコプター隊は、予定の行程の半分をすでに越えた。
「…………!?」
ドアを開け放ったままのキャビンから広がる光景に、大友一士は我が目を疑った。岸辺と広漠たる海原―――――飛び上がる前は想像すらしていなかった光景が、彼の搭乗するUH-60JAの眼下にその碧を湛えていたからだ。編隊は、海を出たのか?
「海……?」
「ばか、海じゃない。川だ」
と、傍らに腰を下ろした木村陸士長が言った。そして言われてはじめて、大友一士は川の正体に思い当った。
「ああ、あれがイヴィ川か……」
イヴィ川といい、または「母なる川」ともいう。クルジシタンの国土を南北に縦断するイヴィ川はこの国の唯一の大河であり、そして川幅の広さと水深の深さゆえ流通の要たる運河としての性格もまた古来より持っていた。そしてその性格ゆえ、内戦では一帯の通行権と支配権とを巡り数多の苛烈な戦闘の舞台となっている。
川辺は砂浜、そこに押し寄せては返す波は途方もなく大きく、川のそれとは思えぬ量感があった。
「いい波ですね」
と大友一士は思わず言った。サーフィンが好きな者には堪らない情景だろう。河なのに、休暇を利用してよく改造車で出かけた湘南の海岸の情景と被るのは何故だろうか?
「ロンボの餌になってもいいんなら、サーフィンなりナンパなり何でもやっていいんだぜ?」
「…………!?」
怪訝さを隠さず、大友は木村士長を見詰めた。特に「ロンボ」という固有名詞に対する疑念は、隠しようがなかった。
「『ロンボ』ってなあ、イヴィ川に棲む巨大な肉食魚のことさ。最大で五メートルにはなる。手足みたいなでっかい鰭と、ドラえもんのポケットみてぇな馬鹿でっかい口をもってやがる。しかも目がよくねえもんだから、鼻先に触れたやつ触れたやつ、餌だと思って何でも呑み込んじまう。牛や犬だって喰っちまうんだぜ」
「そんなのがいるんですか?」
「河川の架橋作業中に、危うく喰われそうになった奴がいたっけなぁ?」
と、木村士長は同乗の仲間を顧た。
「ああ、そいつは助かったけど、小銃を一丁喰われちまった。だから施設科総出で捕まえて、腹を裂いて取り戻したんだとさ。員数が合ってないとコトだからなぁ……」
「……で、その銃はどうなったんだっけ?」と、木村士長は言った。
「お前が今持ってる」
「は?……マジかよ!?」
慌てたように、木村士長は彼の小銃に触れ、銃に目を凝らした。爆笑がキャビンを圧するのに、それから一瞬すら要しなかった。
「で、殺した魚はどうしたんですか?」
「あらいとバター焼きにして食ったとさ。泥臭くて、到底食えたもんじゃなかったって話だけどな」
「へえ、ブルーギルみたいですね」
「そう、ブルーギルの巨大版さ」
まるでピクニックにでも赴くかのような談笑の内に、ヘリの編隊はなだらかな岩山、そこに点々と拡がる村落の上空に差し掛かる。岩山の合間々々を縫うように、僅かな平地を利用して作られた干し煉瓦造りの平屋の傍に、家畜らしき騾馬と佇む小さな人影を見出したのは、大友一士だけではなかった。
「人間だ」
「何だ、子供じゃないか」
確かに、子供だった。襤褸を纏い、痩せてはいたが、その肉付きは決して悪いものではなかった。その子供たちが三人、遊びに行く途上であろうか、外に出たところを丁度頭上を通りかかったPKFのヘリコプター隊と行き合ったようであった―――――少なくとも、上空にいる方にはそう思われた。高度は、すでに互いの表情を探れるまでに下がっていた。
「手を振ってやれよ」
と、木村陸士長が言った。親善は、民生支援や治安維持と並ぶPKFの至上命題である。促されるがまま、ある者は本心から微笑み、またある者は作り笑いを浮かべながらに手を振る。大友一士はといえば、どちらかと言えば後者だった。
隊員を乗せたヘリは、瞬く間に村落を過ぎ、そして大友一士は何気なく眼下の人影に目を細める―――――
そのとき―――――
「携帯―――――?」
高度があり、大友一士にははっきりとは見えなかったが、その子供は上空を航過するこちらを見送りながら、明らかに何かを耳元に抱えていた。
「…………」
その芯を震わすほどおどろおどろしく、かつ喧しい音を立てながら頭上を飛び去っていく乗り物を、襤褸を纏った子供たちは口をぽかぁんと開けて目で追っていた。
それは、子供たちにとって初めて接した「ニホン人」だった。羽を持たないながらも、さながら鳥のように自在に空を舞う巨大な緑色の乗り物――――その中に、彼らの兄弟を殺し、あるいは捕えた連中が乗り込んでいる―――――
そして未だ生き残りニホン人や王党派と戦っている「兄弟たち」のもたらした報せによれば、連中はこれからアーミッドの都に向かい、さらに多くの彼らの仲間を殺そうとしているのだ―――――彼らより年長の「兄弟」より聞かされた話を、怒りや恐怖とともに共有する子供たちの一人が、厳めしい眼差しを遠ざかりゆくヘリに注ぎながら、耳元にあてた無線機に重い声を上げた。
「――――兄ちゃん、ニホン人来た。都まで飛んでくよ」
『――――わかった。さっさと降りて来い』
無線機を持つ少年が、何時しかその周囲に集まり彼の様子を窺っていた子供たちに目配せした。子供たちは一斉に散り、そして干し煉瓦造りの家の、その傍らに掘られた井戸へと飛び込んだ。井戸に水は無く、元々そのような用途に掘られたものではなかった。
薄暗い穴を、滑るように進む内、少年たちは広い場所へと出る。そこでは彼らより遥かに年長の少年が二人、配線や計器類の並ぶ巨大な箱に向き合い、ダイヤルを弄っていた。
「……こちらインディ村、ニホン人が上空を通過した。アーミッドの方向に向かっている。繰り返す……」
『――――こちら神学校、了解した。直にそこもニホン人に発見される。交信が終わったら、村を焼き払い合流しろ』
「……こちらインディ村、了解。交信終わり」
交信を終えるや、少年は無線機のスウィッチを切った。「西から来た連中」から、莫大な量の香辛料と、王党派軍の捕虜と引き換えに手に入れたという無線通信機を壊すのは惜しいが、指導部の決定には逆らえない。
「離れてろ!」
子供たちにそう言うや、少年は傍に立て掛けてあった金属の塊を手に取った、愛用の軽機関銃だった。構えるや、狼のような眼差しもそのままに引き金を引いた。布を裂くような射撃音、薬室から飛び出す薬莢、銃撃を前に配線と電池、そして金属の破裂する音、そして灼ける匂い―――――それらを不快に耳に聞き、不快に鼻に嗅ぎ、子供たちは戦慄に打ちのめされつつ顔を顰めるのだった。それは実際に破壊に手を染めた二人の少年とて同じ―――――
――――だが二人の少年は知っていた。
――――ごく近い将来、
――――此処から離れた都で、
――――自分たちがこれよりより不快で、生々しい音を聞き、そして臭いを嗅ぐことになるであろうことを。
4/29 誤字訂正。ご指摘下さった読者様、有難うございました。