第五章:「嵐の前 空の旅」
クルジシタン基準表示時刻02月08日 午前6時17分 クルジシタン北西部 日本 陸上自衛隊PKF(平和維持軍)サンドワール基地
日が昇ると同時に地から湧く茹だるような暑さが、人を夢の世界から現実のそれへと引き戻すことから、クルジシタンの朝は始まる。
クルジシタンに平和維持軍が展開したごく初期に作られた、航空機用の巨大な格納庫を改造した隊員宿舎は、その広さこそ十分ではあったが、決して快適というわけではない。まず此処では、常に酷暑に等しい気候が支配するこの地で、文明人が生きるのに必須の空調設備すら満足に整備されていなかった。あったとしても、基地の索敵、通信機能を掌る電子機器の維持用にその多くが回されている。空調を整備する意思と能力はあったものの、そのための予算が無かったのが大きかった。よほどの体力と精神力が無い限り、此処で任務を続けるのは難しい。
間近で特殊作戦群という、同じ身内内でも闇のベールに覆われた異能集団に接するようになって、高津一等陸士が内心で驚愕したのは、その戦慣れした様子もさることながら、基地内における彼らの行動の端々にまったくの戦闘部隊らしき規則性が感じられないことだった。
喩え日本を離れていても0600きっちりに敷地内に鳴り響く起床喇叭に合わせて飛び起き、朝を朝礼、あるいは体操に費やす一般隊員の一方で、特戦群はといえば自堕落に朝寝を決め込む者もいれば、起きている者の大半は昨夜から麻雀を打ち、あるいは本土から持ち込んできた家庭用ゲーム機に夢中になっているという具合だった。まるでこの基地に流れる空気を意図的に無視するというより、それを超越したかのような生活パターンだった。
朝礼と朝食が終わり、業務開始の時刻に達してもなお、彼らの動きは変わらず、ある者は自堕落にガムを噛みながら彼らの武器を手入れし、本土から持ち込んだ工作機械を使い、無断で武器の改造まで行っている者すらいる……税金で調達した武器に、何ということをするのだろう、という一般隊員の険しい――――あるいは羨望すら籠った――――視線すら、彼らの前では何の痛痒すら感じさせないのかもしれなかった。特殊作戦群の隊員は、特例として自身の武器に独自の改造を加える権限が認められていた。改造……とは言っても単に銃の外にガンサイトやフォアグリップ等のいわゆる「アクセサリー」を付けるのとは訳が違う。彼らがやる改造とは、銃の機関部に手を加えて連射性能を高めたり、撃針を鋭くし、引鉄の感触を軽くして速射性能を向上させるとかいった、本当の意味での「チューンナップ」なのであった。特戦群隊員の中には、小銃の改造に留まらずUSP自動拳銃まで連射可能に改造し、あたかもサブマシンガンのように使っている者もいるという噂すら、高津一士は聞いたことがあった。
生え放題の不精髭、寝癖の生々しい長髪、素っ裸の上半身あるいはよれよれのシャツにツッカケ、中には明らかに、ここ一週間一度として身体を洗っていない者すらいた。これでは陸上自衛隊の最精鋭部隊というより、隊規違反者の隔離病棟と言った方が、より現状を説明できているように高津一士ならずとも思われた。起きてから寝るまでを厳しい規則と集団行動で自らを律し、縛って来た高津一士のような典型的な自衛隊員からすれば、それはあまりにも衝撃的な光景とも言えたかもしれない。同じ場所に在りながらまるで別の世界で過ごしているかのような、この基地の空気を無視しているかのような振る舞いだった。
「特戦群? はっきり言っておれはあいつらのことは嫌いだな」
と、着任した翌日、昼食の基地食堂で初めて顔を合わせた島 亘という三等陸曹は、特戦群についてそう言った。彼のように剛直で、謹厳な一般自衛官からすれば、彼らの行動はあまりに頽廃的で、奔放に過ぎるという。そして彼が特戦を嫌う理由は、それだけではなかった。
「あいつらは、殺し屋だ」
日頃の振舞いから想像の出来ないほど、その実彼らの戦闘技術が半端なものではないことを、島三曹は知っていて、それを教えてくれた。何故ならここクルジシタンでは状況によっては特殊作戦群と基地内で応急的に編成されるレンジャー部隊が、合同で敵地における威力偵察任務や警戒任務に当たるというケースが多々ある。先年に課程を修了したレンジャー資格保持者たる島三曹もまた、この任務に度々参加していたからだ。
出撃――――――それまでただ基地で、まるで来客のように安楽を貪っていたような連中が、一度装備を身に纏いヘリから舞い降りるや、まるで血に飢えた狼のように獰猛で、かつ俊敏な狩人と豹変することを島はその時初めて知った。戦闘要員は元より通信兵、はては衛生兵にいたるまで特戦群の隊員はレンジャーを超える素早さで道なき道を駆け、敵の籠る室内に突入し、そして敵を制圧するのだ。特戦群の衛生兵は、従来の衛生兵課程に加えて本土の自衛隊中央病院や民間病院の救急病棟で専門の医療研修を受け、さらに防衛医科大学校での高度な医学講習を修了していることが義務付けられている。一般の衛生兵のそれを超える能力を持つことは勿論、簡易な外科手術まで行える程の技術を持っていた。
そして彼らは戦闘に関するすべてを、レンジャー部隊以上に知っていた。
彼らは敵の肉体の何処に打撃を与えれば、相手を死なせることなく無力化できるかも知っていたし、自隊のあらゆる武器の操作にも通じている上に武装勢力の武器の扱い方までも知っていた。知っているだけではなく教えることにも彼らは長け、野営において地面や床の上に防水シートを敷く即製の寝床の作り方、そして曳光弾を弾倉の最初と最後に入れておくことで、射撃しながらに給弾の始まりと終わりを把握する方法、手榴弾のピンにテープを巻き、ピンが引っ掛り抜け落ちるのを防ぐ方法も、島三曹は彼らから教わった。
そうした経験の中で、特戦群とレンジャー、両者の中を流れる気風の相違に島三曹が気付いたのは、ごく自然な成り行きのなせる業であったのかもしれなかった。困難に対するにあたり、レンジャーが重視したのは忍耐力と精神力だが、特戦群が重視したのはあくまでも体力を温存し困難を乗り切るべく「合理的」に振舞う事だった。前述のように有り合わせの材料を使い、山中で体の汚れない寝床を作る方法、常に保有する残弾を把握しつつ行動する方法、レンジャーならば常に携行しての行動を義務付けられる、総重量で30キログラム近くに達する携行物資を近辺各所に分散隠匿させ、山中に作戦行動の拠点を築き上げる方法……凡そ戦闘中におけるそうした困難の受容を当然のことと考えていた島三曹にとって、自由、だが合理的な特戦群のやり方は衝撃を以て受け止められる種類のものであった。何から何まで、この連中は我々とは違う。
「……で、島三曹は特戦に誘われたら行きますか?」
「もちろん、志願するさ。嫌な連中だが、すごい連中でもあるからな……」
やっかみの中に、自ずと混じる羨望―――――それを自分でも意識し、苦笑する島三曹がいることもまた事実だった。
戦場ではありながらも、その日は平穏の内に日は降りた。
烈火のごとき灼熱が支配した昼とは打って変わり、この国では夜はひんやりとした空気が辺りを支配する。天空からの烈光を吸収しても、乾き切った大地はそれを貯め込むことなく地上に炎熱を発散し続け、その帰結として太陽が眠りについた夜には、灼熱の供給が断たれた大地には気温の急激な低下が訪れることになる。
そうした時刻に設けられた夕食の時間は、大抵は非番の者たちの間で酒宴へと変わるのが常であった。政府方針により、「前線勤務に差し支えない程度の」飲酒が認められてだいぶ刻が過ぎ、今では昼の警備任務に就いていた隊員が仕留めた巨大な野豚の丸焼きを肴に、缶入りの発泡酒を呷る。兵科、階級の別ない辺境での饗宴は、そこに身を置く若者たちにここが前線であることを忘れさせ、内地の街々の喧騒への郷愁をもまた駆り立ててしまう―――――
―――――そんな背後の喧騒に、あえて身を背けるかのように、
あるいは―――――
―――――背後に佇む人影をその背中に感じながらに、その青年は愛用のマウンテンバイクの車軸にオイルを射し続けていた。薄い不精髭にヨレヨレのシャツ、そして薄汚れた短パンにサンダル……まるで貧乏旅行者のような出で立ちは別の意味で基地内では目立った。
「――――克己」
「…………」
「克己」
「…………?」
訝しげに、青年は背後を顧みた。その顧みた先では、彼の上官が静かに佇み、青年の様子を伺っていた。「克己」こと、鷲津克己 一等陸曹の上官たる御子柴 禎三等陸佐が彼を呼ぶとき、決まってその名で呼ぶようになってすでに二年の歳月が過ぎていた。
鷲津一曹は特殊作戦群でも異色の経歴の持主だった。特戦群隊員たるを目指す隊員ならば誰もが潜っているはずの、空挺レンジャー課程はおろか、部隊レンジャー課程を経た形跡すらない。その代り、空、海、陸上の三自衛隊全てで勤務した経験を持っていた。工業系の高校を卒業後最初に入隊した航空自衛隊で、戦闘機の整備員を四年勤めた際、鷲津は趣味として民間の講座でスキューバダイビングの技能認定を得、任期の間に徐々にそのレベルを上げていった。そして任期を満了した彼は、どういうわけかそのまま海上自衛隊に入隊した。
次に海上自衛隊に入隊した彼は、三年間を掃海部隊付きの水中処分員として過ごした。江田島の第一術科学校の水中処分員養成課程は、敵制圧下での掃海任務をも旨としている以上、別名を「海のレンジャー」と呼ばれるほどに厳しく過酷なものだったが、スキューバダイビングで培った技術と、持ち前の適応力はそれによく耐えた。そしてその際、勤務の傍らで彼は新たな趣味としてスカイダイビングを始め、終には単独でパラシュート降下ができるまでにその腕を磨いた。
海自での任期をも満了し、次に陸上自衛隊に入隊した彼は、施設科に勤務する一方で新たな趣味として今度はロッククライミングを始めた。ロッククライマーとして何度も岩山に足跡を標し、一通りのことが出来るようになったとき、彼はあることをして周囲を驚かせた。いきなりに特殊作戦群への入隊を志願したのである。彼の上官は特戦群志願に必要とされるレンジャー課程未修了を理由に翻意を勧めたが、鷲津の決心を前に終には折れた―――――あるいは、選抜訓練に堪え切れずすぐに放り出されるだろうという計算が働いたのかもしれない。周囲の懸念に対し、意外にもすんなりと彼の志願を受け容れた特戦群でも、この無謀な若者が、過酷な訓練を前にすぐに振い落されるだろうという計算が実際には働いていたのかもしれなかった。
――――だが、彼は選抜訓練に最後まで残り、そして榊と鳶と剣――――特殊作戦群部隊章――――を手にした。およそこの青年がそれまでの自衛官人生の傍らで、陸海空でフルに動くために必要な資格をすべて持っていること、青年のそうした「趣味」に向けられた熱意が実は、特殊作戦群への入隊という最終目標にあったことに多くの人間が気付いた時、鷲津はすでにいっぱしの特殊作戦部隊員となっていたのだった。
「苦しまずに特戦群に入隊できたのは、自衛隊広しといえどこのおれだけさ」
と、彼は知り合いの自衛官にそう嘯いたと言われている。実際、彼は特戦群で課されたあらゆる訓練を、文字通りに「楽しんだ」。第一線で戦える特殊部隊隊員として必要な、パラシュート降下はもとより水中行動訓練、そして山岳踏破訓練……その全てが彼の「趣味」の範疇であり、それらの「趣味」によって鍛え上げられた肉体、そして天性ともいえる強靭な精神と楽天家ぶりにとって、特殊作戦群入隊への過程はまったくの苦行にはならなかったのである。
「どうですか御子柴センセイ。訓練の進捗ぶりは?」
と、チェーンの撓み具合を指で確かめながらに鷲津 克己は言った。特戦群の一員となってからも彼の多趣味ぶりは変わらず、現在彼が弄っているマウンテンバイクもまたその趣味の一つであり、そして彼の私物であった。
「…………」
苦笑を、その背中で鷲津一曹は聞いた。苦笑の響きは次にはこちらに歩み寄る足音となり、御子柴三佐の気配を鷲津一曹の傍まで運んできた。
「もうすぐ、出撃命令が出る。お前さんにも、一緒に来てもらう」
「いい加減休みがもらえるものと思っていたが、世の中そんなに甘くはないか……」
「そうだ。甘くはない」
「…………」
今度は鷲津一曹が笑った。やはり苦笑だった。その時、鷲津一曹の首元にある物を認め、御子柴の目付きがやや緩んだ。
「未だ持っていたのか? それを……」
「おれの、唯一の戦利品ですからね……」
「鍍金じゃなかったんだな」
ペンダントだった。鎖からロケットに至る金色は、三年前にそれを鷲津が手に入れた当時から色褪せることなく変わらず、鈍く明るい光を放っていた―――――それは、鷲津一曹が、特殊作戦群隊員として初の「実戦」を経験した際に手にした「戦利品」――――というより「遺品」。
御子柴三佐は言った。
「写真の女のことは、判ったか?」
「当然……処置なしですよ」
と応じ、鷲津一曹は徐にロケットの蓋を開いて見せる……楕円形に切り取られた、セピア色の風景は、恐らくはかつての持ち主の妻であろう、一人の美しい女性の容貌をそこに刻んでいた。よく整った目鼻立ちと顔の輪郭、そして豊かな黒髪との配列は、装飾を身に付けていないながらも――――あるいはそれ故に――――息を飲むほどに美しく、対象を見つめる瞳は柔らかな、淡い光を称え、ペンダントのかつての持ち主に注いでいたであろう愛情の程を、赤の他人にも等しい二人でも容易に察することが出来た。そして、ペンダントのかつての持ち主もまた―――――
女性の姿を覗き込み、御子柴三佐は言った。
「何度も見たが、やはり美人だな……だが、何処となく危うい」
「御子柴さんも、そう思いますか?」
意見の一致を、鷲津一曹は心から驚いた。
「美しいが、何か途轍もないことを仕出かしそうな顔だ。悪女の顔だよ」
「それは……言い過ぎですよ。御子柴さん」
「だといいがな……」
苦笑し、御子柴三佐は辺りを見回すようにした。やや離れた宿舎では、恒例の酒宴が既に始まり、羽目を外した男どもの上げる気勢すら、此処まで聞こえてくる。
「……あのときは、凄まじかったな」
「ええ……」
と、見上げた天井に、鷲津一曹は思わず目を細めた。何十年も前の遠い昔のことを思わせるような回想は突発的に、そして急激に御子柴三佐と鷲津一曹の胸中に苦い感慨とともに広がっていく―――――
―――――偽装服に身を包み、枯草の生い茂る平原を駆け抜けたあの頃。
―――――追撃を振り切るべく駆け抜け、あるいは息を殺して進んだ廃墟の光景。
―――――迫りくる敵を近距離の射撃で倒し、あるいは遠距離の狙撃から仕留め、生還への道を切り開きつつ進んだあの戦い。
―――――死中に活を見出さんと、必死で戦い生き抜いたあの日の、決定的な一場面……また一場面。
「――――よくもまあ、還って来れたもんですよ」
「お前さんの、ガッツのお陰さ」
「御子柴さんが、一番暴れていたクセに」
フッ……と、御子柴三佐は笑った。
「……頼んだぞ。鷲津一曹」
御子柴三佐は踵を返し、そして外へと歩き出した。これ以上の感傷への執着を、振り切るかのような挙動だった――――――それはまた、再び生じた感傷に、独りで身を任せたい鷲津一曹にとっても都合がよかった。
烈光――――――
「撃ち方始め!」
銃声――――
それは一斉に生まれ、そして重複する―――――
銃声、多様で、相互に交差する銃声―――――
放った後の金属的な余韻―――――
それが終わるのを待たずに銃声はさらに重なり、そして蒼空に刻まれゆく―――――
連射の中にも抑制の効いた89式小銃の射撃に比して、MINIMI――――分隊支援機関銃の銃声は独特だった。弾幕を生み出す間隔は、それに慣れない者にとっては撞目を覚えるほどに早く、その発火と同時に金属的な余韻すら響かせる連射は、雷鳴のようにけたたましい。
銃口を向けた目標は、300メートル先―――――
薬莢受けを装着したMINIMIを、伏射の姿勢で構え、振動する銃身を抑えながらに、大友一等陸士は何時の間にか知らず、必死で縋るように引き鉄を引き続けた。
当たれ!……当たれってば!
飛び出した曳光弾の描く軌道すら、集中した意識でははっきりと見受けられた。それでも曳光弾は人型の的へと吸い込まれることなく、徒に周囲の砂へと突っ込み、そして跳ね上がり、徒に砂柱を吹き上げるのみ―――――
教育隊で初めてそれを手にした時から、MINIMIは嫌いだった……何というか、相性が悪い。それにMINIMI自体にも問題があった。頻繁に弾詰まりを起こすのである。大友一士の原隊に配備されていた銃が、工作精度の悪い初期生産型であることも理由の一つではあっただろうが、その悪癖は大友一士が配属されたここクルジシタンに持ち込まれていた型でも変わらなかった。振り回して撃てる分隊支援機関銃、というのがMINIMIの触れ込みだったが、これではそうした利点も全てお釈迦になってしまう。
ところが腐れ縁とはよく言ったもので、大友一士は演習ではよくこの厄介な代物の世話係を命ぜられた。分隊支援機関銃という性格上89式小銃以上にかさ張るのは当然として、時として大友一士は、それを小銃のように構え、あるいは振り回しながらに扱うことを強いられたものだ。駐屯地内に設けられた室内演習場や、あの悪名高い、富士演習場の市街戦訓練場で行われる対ゲリラ制圧演習が、まさにそれであった。従来の機銃に比して携帯性を高めたとはいっても、小銃のように扱うにはMINIMIは重く、そして小銃のように扱うのには、その命中精度は決して良好とは言えなかった。あの演習で何度も「殺された」のは、自身の兵士としての適性云々以前にこの取り回しづらい欠陥銃のせいだと、今に至るまで頑ななまでに信じてやまない大友一士であった。
『――――七番、何やっとるか!?』
距離を置いて、射撃訓練の様子を見守っていた指揮官の怒声が、トラメガから響き渡る。銃を構えながらに肩を竦める大友一士に先立つこと二ヶ月前に、警備部隊の第一中隊長として着任を果たした橘行人 一等陸尉だ。首都圏防衛を担当する第一師団で、一普通科隊員として訓練を積んできた大友一士の一方で、向こうはその階級も然ることながら、生え抜きの空挺部隊隊員。その兵士としての資質は基より戦闘に臨む心意気もまた違うだろう。
ヘルメットに射場管理者を示す赤いカヴァーを纏った橘一尉はずかずかと歩き出し、そのまま大友一士の傍に立った。
「たかが的だと思うな。嫌いな奴と思って狙えば当たる。根性を見せてみろ」
と、橘一尉は標的を指差した。銃を構え直した大友一士の肘を、重い靴で軽く蹴り、姿勢の修正を促す。何度かの荒っぽい修正を経たのち、大友一士の射撃姿勢が安定したのを見てとり、橘は言った。
「撃て!」
返事は、怒涛のごとき一連射――――――飛び出した弾列は微妙な撓りを見せながら、そして着弾するや人型の周囲で土色の煙を幾重にも噴き上げた。
「処置なし! 弾薬庫で今日使った弾の数でも数えてくるか!?」
「いいえ!」
「じゃあ練習だ! 人形のどてっ腹に大穴を明けるまで宿舎に戻るな!」
「わかりました!」
焦燥―――――急に湧いたそれは、唐突に射撃場内に響き渡った軽妙な連射音に、忽ちにして追い散らされる。
「…………?」
音楽的なリズムすら醸し出す連射……また連射―――――それは射場から瞬く間に銃声を奪い、隊員たちの関心を、それを構える隊員に対するのと同様に集中させた。
「…………」
伏せながらに、大友一士は息を呑んだ。
見たことのない銃だった。89式小銃に似てはいるが、所々が少し違った。切り詰められ、短くされた角ばったバレルから突き出たかのように銃身は長く、そしてストックは折り畳み式、強化プラスチックを多用し軽量化を指向した89式小銃から、さらに無駄な部分を削ぎ取ったかのようなコンパクトな形状は、大友一士ならずとも訓練中の隊員の関心を引くにはあまりに十分過ぎた。
「へぇ……あれが89式カービンかぁ」
「…………」
疑問は、大友一士の胸中からすぐに消えた。個人的には銃そのものにあまり興味が無かった彼でも、89式小銃を改造した接近戦用の銃の配備が始まっているという話ぐらいは聞いたことがあり、そして記憶もまたしていた。
例の如く、89式カービンと呼ばれるその銃にもまた、嵩張る薬莢袋が付いてはいたが、それによって生じる重量バランスの変化に惑わされることもなく。また軽量化から来るであろう射撃時の反動の大きさすら感じさせることもなく、それは単調で、かつ安定した発砲を続けている……それが少なからぬ数の隊員に、感銘にも似た驚きすら与えていた。
89式カービン銃は、「転移」時にはすでに開発が完了していた陸上自衛隊の正式装備の一つだ。「転移」前の対テロ、ゲリラ戦重視の流れから派生した都市部における接近戦闘に対応するべく、アメリカ製のコルトM4カービン銃を参考に正式小銃たる89式小銃の軽量化を徹底した結果として完成された。当初は陸自の特殊作戦群や海自の海上自衛隊特殊部隊のみの限定的な配備に留まっていたが、今では一般の部隊は固より警察や海上保安庁の特殊部隊にも供与が開始されている。
銃器開発は、「転移」前の対外情勢の混乱を契機に、これまでにない速度で進んでいた。そして「転移」により、主要な銃器の供給先たる欧米諸国との通交が断たれたことがその傾向を一層に促進した。その際の副産物として、憲法で規定された武器輸出禁止項目に起因する国内限定の銃器供給体制は、生産及び調達コスト面から問題視され、それを解決するべく現在では条件付きながら輸出すら許可されるまでに至っている。それはかの「太平洋戦争」以来、兵器輸出の禁止を国是としてきた日本の、歴史的な方針転換の象徴とも言えた。
―――――リズム感すら感じさせる射撃は三分間連続して続き、その着弾は殆どに渡り標的の人型の中央に集中していた。射手の腕もあるだろうが、89式カービンの命中精度の良さが、89式小銃に勝るとも劣らないことを誰もが知った瞬間だった。
「装填……!」
弾倉の弾を撃ち尽くし、弾倉を交換する段になって、大友一士はその手際に目を細める。装填の手際の鮮やかなることも然ることながら、薬室に繋がれた弾倉は形状、規格とも89式小銃のそれと変わらない。89式カービンの供与以前から広まっていた、工作精度の拙さと軽量化による銃身強度の低下から、89式カービンと89式小銃とでは設計段階から前提とされていた使用弾薬の互換性が無いという噂が、その実悪質なデマに過ぎなかったことを大友一士が確信した瞬間だった――――そして大友一士の眼前で全弾は撃ち尽くされ、しばしの静寂の後に居合わせた隊員たちの感嘆が続いた。
「へぇ、やっとカービンが普通科にも回って来たってわけかい?」
「一丁30万だ。あんま気安く触らん方がいいぞ?」
「いいじゃないか? どれどれ……おおっ、すげぇ軽いじゃないか?」
「七番、気にするな、的に集中しろ」
傍に立つ橘一尉の声に、盛り上がる隊員たちを余所に、大友一士は的へと向き直る。オープンサイトの頂点に当たる人型の中央―――――分隊支援機関銃としては軽量に属するMINIMIだが、その実構えてみるとズシリと重い。しかも射撃時の反動は機関銃の常として大きく、撃っている内に身体の芯まで響いてくる。
狙い撃ちや接近戦には到底向いていない、銃を構える自分が存在する前方を面単位で制圧するために作られた、まさに「弾幕製造機」……だが、精鋭を以てなる特殊作戦群の隊員は、この機銃で中距離の狙撃すらこなしてしまうというのだから恐れ入る。
「…………!」
気合を押し殺し、大友一士は撃った。勢いよく銃身から飛び出した黄色い礫が一つ二つ、瞬く間に的へと吸い込まれる。一連射を放った後に指を引き鉄から離し、再び一連射、指を離しもう一連射……それを何度か続ける内、大友一士の内心から不満とか不安といった雑念は消え、息詰まるほどに向けられる意識の集中は、やがては弾丸のグルーピングすら集中させる。
「やればできるじゃないか。七番!」
橘一尉が声を上げ、勢いよく大友一士の肩を叩いた。同時に全弾を撃ち尽くし、吐息――――――途端に大友一士の双肩に伸しかかる脱力、ともすれば伏せたままその場に寝そべりたい衝動に、大友一士は必死で耐えた。
「ふぅ―――――――っ……」
そのとき――――――
降り来たるローター音は地上に突風を運び、そして地上の目を天球へと集中させる―――――
「迷惑だな……」
と呟く橘一尉の眼前で、上空からの気配は二機のOH-6D観測ヘリコプターの機影となり、機影はそのまま飛行場の方向へと機体を転じていく―――――
『――――こちらハヤブサ01、サンドワール管制塔、着陸許可求む。送れ』
『――――こちらサンドワール管制塔、ハヤブサ、着陸を許可する』
左側から吹く風を揺れる愛機の感触で察しながらに、村上 士郎二等陸尉は少しずつコレクティブ-レバーを押し下げた。軽い機体の常かOH-6Dの沈みは遅く、ややもすれば出力を下げ過ぎて浮力を失う恐れすらある。慎重に、かつ粘り強く……それが、上空では軽妙な機動を発揮できるOH-6D観測ヘリコプターを操る基本中の基本であった。OH-6Dは軽妙に過ぎ、操縦性に過敏なところがあったのだ。
OH-6Dは、初配備からすでに30年近くの年月を経ていながらも、その数の上では、未だ陸上自衛隊の主力観測ヘリコプターの地位を後継たるOH-1に譲る気配を見せていない。OH-1は観測ヘリコプターとしては過分なまでに優秀な飛行性能を持つ機体だったが、「転移」後に訪れた対外的な平穏と、何よりもその高性能に起因する高コストが、もともと高いとは言えなかったその調達速度をさらに鈍らせていた。
それでも、村上二尉はこのOH-6Dが好きだった。軽快な飛行性能も然ることながら、いかにも軽量ヘリコプターに相応しい構造と内装のシンプルさは、それを飛ばす者にとっては、常にこの機体を自らの腕一本、あるいは身体全体で飛ばしているという感覚を呼び起こす。言い換えればシンプルな構造ゆえこの機体は奥が深く、乗り手の腕によってはOH-6Dは、その飛行特性に関し顕著な変化すら催すのだった。そして何よりもこいつは、少年工科学校の航空機整備課程と、それに続く明野航空学校の陸曹航空操縦課程以来ずっと共に過ごして来た「相棒」のようなものだ。
OH-1の配備が一向に進まないという事実は、部内でもはや旧型化したこのOH-6Dに、機体寿命延長を図るための措置を取るべく指向させるのと同時に、新たな運用法を図らせる機会を与えることになった。言うなれば「特殊作戦支援機」という役割である。
従来の偵察任務も然ることながら、状況によってはOH-6Dはその輸送能力を駆使して簡易な空中機動作戦に用いられ、あるいは兵装を搭載し地上部隊の航空支援にも投入される。前年より定期検査(IRAN)に入った機体から順次始まったより高出力な国産エンジンへの換装に続く、兵装及び各種観測機器搭載用のハードポイント付設と、7.69ミリミニガンとロケット弾といった専用の兵装調達は、まさにその任務のための布石であった。
村上二尉の操縦するOH-6D偵察ヘリコプターは、舞い降りるように飛行場へと滑り込み、そしてゆっくりとその橇をアスファルトの地面に付けた。地上員のハンドサインに従い、村上二尉は徐々にエンジンの回転を抑え、そして機体は沈黙を迎える。整備員に機体の状況に関し引継ぎを済ませ、村上二尉は装具を手に操縦士の待機所へと歩き出した。
歩きがてら、村上は飛行場の全景をさり気無く見廻すようにした。その当初はクルジシタン陸自PKFの専有物件同然であった飛行場は、いまやクルジシタン全土の航空機の集中する一大拠点へと変貌を遂げていた。その多くが他国の援助機関の運用する物資輸送用の航空機だ。これまで日本が平和維持任務用の拠点として作り、使ってきたところに支援業務用に手頃な拠点を探してきたそれらの機関が相乗りしてきた形だった。もちろん使用料は徴収しているが―――――当初はPKF業務終了後にそうした機関やクルジシタン政府に引き渡されることになっていた飛行場は、事実上そのスケジュールが前倒しされた形となっている。
「…………」
嘆息―――――サンドワール基地に、現時点では果たして何機の航空機が展開しているのか正確に把握している者は此処には皆無と言っていい。それ位に、此処では機体の入れ替わりが激しく、そして混迷を極めている。
およそ飛行という「特殊な」任務は、航空機操縦士たる村上たちに、この国の地上で進行している現実の全てを空から把握させる機会を与えていた。「神の子ら」を僭称する武装勢力と中央政府との鬩ぎ合い、進行する大地の荒廃、その大地を、食料と安住の地を求めて彷徨う人々の列―――――それらに上空から接する度、自らに課せられた任務の困難さを村上ならずとも噛締めるのだった。
操縦士の待機所に戻った村上を、午後の飛行予定が待っていた。
「またか……」
嘆息―――――政府の臨時首都の置かれている小都市クラバまで赴き、政府要人を乗せての連絡飛行―――――連絡用のホワイトボードに書かれた彼らの任務は元来PKF飛行隊の業務内容にはなく、また業務そのものの内容もまたさして重要性のあるものではなかった。その上に、「乗客」たる彼らが人間的に成熟しているかと言えばそうではない。ヘリを利用する要人や高官の中には機内に酒を持ち込もうとしたり、公務に関係の無い親族を同伴する者までいて、そのような彼らの態度には、指揮官や隊員もまた任務に対し乗り気にはなれないでいたのである。未知の文物に対する物珍しさがあることには一歩を譲るとしても、この国の要人は我々操縦士とヘリコプターを私物化しているかのような趣すら感じられたのだった。しかも、「友好のため」と称し普段歯牙にもかけない自衛隊にこの業務を持ちかけた――――というより押し付けた――――のは―――――
「―――――外務省のくそ野郎ども!」
と、クルジシタンPKF飛行隊の面々は彼らの事務仕事の場でもあり、溜まり場でもある待機室や食堂で、事の張本人たちを口汚く罵ったものだった。あのどうでもいい体面の維持と、他者に対する根拠の無い差別意識に脳味噌の髄まで冒された連中は、この国の腐りきった指導層に媚びられ、優越感を刺激されるがまま、こちらに面倒事を押し付けようとしているのだ……!
ホワイトボードの前で嘆息する村上二尉、両手に装具をぶら下げた一人のパイロットが待機室に入って来たのはその時だった。
「コーヒー頂戴……!」
いかにも今しがたに任務飛行を終えて来たばかりといった感じの、装具の乱れは隠しようもなかった。オールバックから背後で束ねられた髪は、やや茶色がかっており、アクセントとして収まりの悪い幾束かが前へ飛び出している。銀色のミラーグラスが、持ち主が歩を進める度に窓から差し込む外からの烈光を吸い込み、鈍い輝きを瞬かせていた。二ヶ月前に着任し、UH-60JAの機長を務める谷水美紗緒二等海尉。海上自衛隊からの派遣要員の一人だ。
装具を収納ロッカーに収め、谷水二尉はコーヒーメーカーのある流し台へと歩み寄った。今朝方に作ったコーヒーが、ポットの中に残っているのを確かめると、それを全て自分のコップに淹れる。軽食がてらに冷蔵庫からドーナツを一つ取るのも忘れなかった。
谷水二尉はここに赴任する前、SH-60K哨戒ヘリの操縦士として護衛艦に乗っていた。ここに来た理由は、非常時に当たっての対処能力が評価されたとも、あるいはある意味パイロットらしい偏屈さが、上官の不興を買いここまで飛ばされたとも様々に憶測されていたが、それでも護衛艦隊出身の彼女が「危険な地べたの上を飛ぶ」ことになった主な理由は、ヘリコプター操縦士としての優秀な技量を見込まれてのことであったのは、今では飛行隊の誰もが認めるところだ。
パイプ椅子に座るや、谷水二尉はドーナツを齧りながら地図を広げた。午後のフライトに備えての空路と地形の確認だった。先週にC-2輸送機で本土から分解状態で新たに運ばれてきた補充機のUH-60JAの組み立てが終わり、その試験飛行を兼ねての訓練フライトだった。黙々と地図にラインを曳き始める谷水二尉を見、村上も観念して飛行計画を立てるべく椅子に座ろうとしたとき、谷水二尉が言った。
「どうした? 村上」
思えば谷水二尉が、村上を呼び捨てで呼ぶようになったのは、先月からのことだった。当初はちゃんと階級を付けて呼んでいたものが、何故か村上に関しては、何時の間にかそう呼ばれるようになっていた。年齢もパイロットとしての経験も彼女の方が二年上、そして谷水二尉には、呼び捨てで呼ばれても何故か納得してしまう程の操縦士として、あるいは自衛官としての貫録のようなものがあった。海上自衛隊で言われるような「スマートさ」こそあまり見受けられないから、彼女はいわゆる「ダーティ-ネイビー」というやつだろうか……?
「参ったよ……また要人輸送だってさ」
「陸さんは馬鹿が付くくらい真面目だからねえ。馬鹿のあしらい方を知らないのよ」
「馬鹿で悪かったな」
そう言ったところで、村上二尉は思った……そう言えば、こういう飛行任務は、よく自分にお鉢が回ってきているような感じがする。
ふと、谷水二尉が言った。
「わたし、行こうか?」
「え……?」
「新品の試験飛行に丁度いいって思ってね」
「ああ……そう?」
「でも、副操縦士をお願い」
喜色を取り戻したのも束の間、自ずと覚えた苦笑に、村上は口元を歪ませた。
『――――ルーキー01、離陸を要請、送れ』
『――――サンドワール管制塔、ルーキー01、離陸を許可する』
海自仕込みだけあって、機長席に座る谷水二尉の英語には滑らかな響きがあった。
搭載する、二基の1662馬力の定格出力を誇るエンジン、出力を上げるそれに突き動かされ回転数を増したローターは、最大10トン近くに及ぶUH-60JAの機体を軽々と持ち上げてくれる。ローターのトルク効果により、ともすれば右に持って行かれそうになる機首を、フットバーを踏んであやしつつ、サイクリックを解き放ちさらに出力を上げる。狭い上に動揺の絶えない護衛艦の飛行甲板上で離発着を繰り返してきただけあって、彼女の操作には些細な乱れすらなかった。
自分より上手い……と、副操縦席に居ながらにして村上は思う。
目的地は首都郊外、広大な王室の料地内にある狩場の一角、そこでは現国王の寵姫の父という豪族が、在クルジシタン日本大使の鏑木梧郎を始めとする日本側賓客を招いた狩猟を終え、「政務のため」王宮へと戻るべくヘリの到着を待っている筈であった。
基地を脱し、座標を入力した慣性航法装置に全てを任せ目的地への針路を取る途上、谷水二尉はニーパッドに挟んだ地図に目を細めた。
「谷があるのね……オーケー、帰りは此処を飛びましょう」
「冗談でしょう?」
「嫌なんでしょう? この仕事」
「…………」
村上の表情から、嫌気が消えた。料地と首都圏の間に、地震に伴う地盤崩壊によって形成された峻嶮な山地帯が広がっていることを村上はこれまでの任務飛行や訓練飛行で知っている。それでも気が進まないように見えるのは、同時に気付いた谷水二尉の企みが、彼の性に合わない種類のものであったからかもしれなかった――――――
機が設定した飛行経路に乗ったとき、何と無く、村上は背後を顧みた。二等陸曹の階級章を付けた機上整備員が、航法機器と睨めっこをしていた。背は高くやせ型、その表情の程は分厚いヘルメットに覆われ判らない。だが任官してずっと、機上整備員の乗らないOH-6Dで飛行してきた村上には、その様が珍しいものに思われた。
その機上整備員と、村上の目が合った。
「どうも……」
会釈――――――形のいい口と、口元から覗く並びのいい白い歯が、相手の性格の良さを感じさせた。
「石川美明二等空曹……空自からの出向だって」
「へえ……空自―――――」
そう言った直後、村上は石川二曹の胸を飾る徽章に我が目を疑った。桜と翼を組み合わせたその徽章―――――それが、精鋭を意味することを村上は知っていた。
「救難員なのか……」
石川二曹はまた微笑んだ。さっきとは打って変わり、その微笑に迫力を覚える村上が、そこにはいた。赤茶色の、所々に小規模な林が広がる大地を眼下に、速度を上げたUH-60JAは真直ぐに荒涼の空を駆け抜けていく。
途上、一機のCH-47JAと擦れ違うのを、村上二尉は見た。あとで知ったことだが山岳地帯に属する僻村への食糧空輸任務の帰りだった。ちなみにクルジシタンPKFではこれらヘリコプターの滞空時間向上を図るべく、空中給油機能を持ったC-130輸送機の常駐を強く希望していたが、最終的には内閣安全保障会議(NSC)の決定によりこれは却下されている。部隊の拡大に伴う地域に対するプレゼンス向上による財政的負担を避けんがための決定だった。いわゆる「異世界人」間の争いに無用の介入はしないという、「転移」以来の日本の国是が、クルジシタンPKFの行動に一種の制約を課している感さえあった。
斑模様に彩られた平地は、やがて萌えるような緑色の絨毯にその装いを変え、荒涼の退屈さに疲れた乗員の目を愉しませる。緑一色の大地はやがて木々や草花の生い茂り、大小の鳥類やシカ類が群れを為して駆け巡る楽園にも似た光景を二人のパイロットの眼前に運んできた。「転移」後、日本の農業技術者たちにより荒漠たる荒地からいち早く緑地帯へと再生した区域、だがそこは事前の協定で決定していた流民の植民には使われず、その民衆の「寄付」という形で王室の料地となり、内政干渉の謗りを恐れてクルジシタン側の「協定無視」に対する批判の鉾を修めた日本においては「与党の対外支援政策の失敗例」として常に野党議員の舌鋒に上がる場所でもあった。
高度を下げ行くUH-60JAの操縦席から村上は思う――――このような恵まれた場所、民衆が自発的に寄付などするわけがない。支援すべき相手と順序を、政府は明らかに間違えている。もしこの場所が本当に民衆に開放されていれば、今頃幾万人のこの国の人々が、明日の食べ物の心配もすることなく平穏な生活を送っていたことだろうか? 民衆に住む場所を与え、きちんと食わせる手段を与えることが反乱勢力根絶への第一歩であるとすれば、日本とクルジシタンは明らかに内戦終結の手順を誤っている。
『――――ルーキー01、着陸地点確認、サンドワール、着陸許可を要請』
『――――サンドワール、ルーキー01、着陸を許可する』
ローター回転を止めないまま、平原の只中でキャビンを開放し待つこと2、3分―――――近習を従え談笑しながら歩いてくる一団に、村上は見覚えがあった。クルジシタン国教会最高教主、王国の重臣にして王妃の父親たるグルーム-ロト-キャバラと、その取り巻きたち、在クルジシタン日本大使の鏑木梧郎だ。鏑木大使は特にキャバラの覚えが良いらしく、キャバラの公私に渡る行事の中でも度々その姿を認められていた。聖職者でありながらそのでっぷりと太った体躯の首や腕に巻かれた純金の装飾がケバケバしいキャバラと、接待ゴルフにでも行ってきたかのようなカントリースタイルの鏑木大使、見ようによってはこの光景は、国際交流というより単なる癒着と表現した方が正しいのかもしれなかった。
キャバラはその養女 (クルジシタン国教会の聖職者は、妻帯を許されなかったが、養子を持つことは認められていた)を後宮に入れ、彼女は国王の長子を出産したことを契機にその権勢を高めた。当然カネや政略の上での黒い噂もまた尽きず、一説には王妃となった養女は、彼が司祭時代に囲っていた愛人に産ませた「実の娘」であるとも言われている。
「まるでゴルフ場みたい」
と、谷水二尉は苦笑を隠さない。
ヘリの姿を認めた鏑木大使が、能天気なまでに声を張り上げた。猟銃をだらしなくぶら提げる鏑木の背後には、召使たちによりここまで引き摺られ、積上げられた鹿やら野豚やらが、噴き出す血汐も生生しく、圧倒的な量感を見せつけている。聖職者の身でありながら、権勢に任せ殺生に精を出す聖職者を、谷水と村上は半ば呆れ気味に見詰めるのだった。
初老に差し掛かりながらも未だ世間慣れしてない、罪のない笑顔もそのままに、鏑木大使は声を上げた。
「おい兵隊、こいつを機内に運んでくれ」
「―――――!」
「村上……!」
ぞんざいな物言いに、目を怒らせた村上を、谷水二尉は抑えた。そして鮮血に塗れた肉塊を前に戸惑い気味の石川二曹に、獲物をキャビンに入れるよう目配せする。「乗客」の邪魔にならないように場所を選んで運び込まれた獲物に続き、自衛隊機への搭乗をあたかも当然の権利であるかのように乗り込んでくる男たちを、まともに直視する無神経さを、村上は持ってはいなかった。
キャビンから操縦席に身を乗り出した同行の大使館職員が、谷水二尉に言った。
「王宮へ……」
「ルーキー01、これより離陸する」
再び回転を上げ始める主ローターが周囲の緑の草木を圧しつつ、ヘリは浮上を始めた。尾部を左右に振りつつの上昇は基地を発った時と比べ荒々しく、そして急に過ぎた。
―――――離陸して後、空からの眺めに、生まれて初めて飛行機に乗った子供のようにはしゃぐキャバラたち一行の傍らで、最初に異状に気付いたのは一人の大使館職員だった。
「オイ……何時ものルートと違うようだが?」
「申し訳御座いません、近頃通常ルート上に武装勢力の存在が確認されておりまして、ルート変更は全員の安全を確保するための非常手段です。ご了承願います」
「そうか……」
不承々々……という風に後席に引っこむ職員を座席越しに見送った後、GPS端末の指示す飛行ルートに乗ったUH-60JAの機内で谷水と村上は互いに顔を見合わせる。通常ルート上に重なる地域に、反乱軍らしき少数勢力が入り込んでいることは、確かに事実ではあったが、実のところ、さして重要な脅威とは考えられていない。
「…………」
「…………」
微笑と困惑―――――操縦席で無言の内に交わされたその遣り取りは、キャビンで談笑に耽る招かれざる乗客たちに感取られることは決してなかった。
前方―――――急峻な山々と谷の連続―――――へと、ヘリは十分な高度を取りつつ直進していく。
「――――――!?」
「乗客たち」が、周囲の情景の急変とヘリの異常な機動に気付いた時には、全てが遅かった。
急降下――――――狭隘な地峡を縫うようにUH-60JAは速度を上げ、超低空で谷を回避すべく急旋回を繰り返す。
眼前に飛び込んでくる絶壁、地表――――それらは旋回と上昇下降を繰り返す度に視界からは消え、新たな岸壁と山々もまた迫ってくる。そして、空飛ぶジェットコースターと化したヘリの機内で、加速と動揺に振り回される乗客からは完全に笑顔と余裕が消え、顔を蒼白にさせた補佐官が加速で姿勢を崩しつつも操縦席へと歩み寄り声を荒げた。
『――――おい君たち! どうした? 何故こんな無茶な飛び方をする?』
「――――申し訳御座いません。地上からの攻撃を避けるために、回避飛行中です。席に就き、ベルトを締めてください」
『――――もう少し安全な運転が出来ないのか!?』
「席につきなさい!」
女性操縦士からの強烈な一喝に、竦み上がった職員は、怯えたような足取りで席へと戻っていく。直後、急上昇に転じた機内で、職員は前から派手に転倒し、彼の上司と接待の相手に身体をぶつけ烈しい罵声を受けるのだった。無軌道な上昇と下降、そして急旋回の連続はさらに続き、乗客を文字通りに蹂躙する。
『この馬鹿! 何やってるんだ!?』
『申し訳ありません閣下!……何分ヘリが―――――』
キャビンの男たちから、手荒な操縦を続ける操縦士を非難する余裕は完全に失われていた。男たちの絶叫をBGMに、再び奈落へ向かい急降下に転じた機内で、村上二尉は機長席を顧みる。その彼の視線の先で、エキセントリックな女性機長は操縦桿を握りつつ、並びのいい白い歯を見せて無邪気に笑っていた―――――