第四章:「決断」
クルジシタン基準表示時刻02月07日 午後5時34分 クルジシタン北西部 日本 陸上自衛隊PKF(平和維持軍)サンドワール基地 「統合作戦センター」
「佐々三佐、入ります!」
佐々 英彰 三等陸佐が基地の中枢とでも言うべき統合作戦センターに足を踏み入れた瞬間、最小限の照明を維持したそこは、実用本位を前面に押し立てたような簡素さの中にも、圧倒的なまでの重厚さを以て自身を遇したかのように彼には思われた。
今なおクルジシタン各地に展開する軽車両部隊、警戒飛行中のヘリコプター、そして高高度を飛行する無人偵察機―――――それらの搭載する監視下カメラよりもたらされる画像情報は、24時間途切れることなく平坦な情報端末に分割表示され続け、それ以外はテーブルと通信機、ノートパソコンしか置かれていない漆黒の空間を前衛芸術のオブジェのように彩りかつ照らし出していた。通信機は衛星単一可搬局装置と同じく可搬式の局地無線搬送端局装置、データ交換装置等から構成される防衛統合デジタル通信網により常時クルジシタン各地の部隊、そして本土の陸上幕僚監部との音声、画像、各種データの個別回線を開いており、従って本土の司令部もまた、東京に在りながらにしてクルジシタン情勢の推移をリアルタイムで知ることが出来たのである。
技術的には近い将来導入が始まる陸上自衛隊野戦部隊の国外展開用指揮通信システム中枢の、有力な試作モデルとして位置付けられているJOC―――――それゆえにこの部屋は、基地開設以来一度として外部の人間はおろか、身内である自衛隊内でも上位に位置するごく一部の人間にしか公開されたことはなかった。そこは明らかにPKFの情報中枢であり、その情報収集、分析能力は仮設にも関わらずクルジシタンに存在するあらゆる機関、施設のそれを凌駕していたのである。
「…………」
自身に先んじ、すでにブリーフィングルームの一隅に腰を下ろす男を、佐々三佐はだいぶ闇に馴れた目で訝しげに見遣った。特殊作戦群の指揮官、御子柴三等陸佐であることは、照明の抑制されたそこでも、すぐに判った。戦闘に生業を見出す者特有の、外面より一切の無駄を廃した体型の輪郭というか、そこから拡散する雰囲気で判った。表立った治安維持業務を指揮する佐々三佐、一方で数々の得体の知れない特殊任務の指揮を執る御子柴三佐―――――佐々が陸自クルジシタンPKFの光とでも言うべき存在ならば、御子柴はまさにその裏に存在する影であった。
「遅れて申し訳御座いません」
一礼した佐々三佐を、会議用テーブルを挟み向かい側に座る影が宥めるように言った。
「いや……こちらこそ多忙な中に急な召集、済まなかった」
防衛大学校卒業、専攻は機械工学という典型的な陸自幹部である筧陸将補は、落ち着き払った、柔和な表情もそのままに佐々三佐に椅子を勧めた。佐々三佐が着席するのを見計らい、そして彼は切り出した。
「先日、御子柴三佐の特殊任務班が、『神の子ら』の主要幹部の身柄を拘束したことは、佐々君も知ってのことだと思う。彼の供述から得た情報を詳細に分析した結果、今日から三日後、『神の子ら』の幹部一同がその勢力圏下の旧首都アーミッドに集まり、現況打開を意図した会合を開くことが判明した。そこでだ――――――」
「…………?」
「…………」
佐々の疑念、御子柴の興味―――――趣の異なる二人の沈黙を交互に見廻し、陸将補は切り出した。
「―――――今日から三日後、我々PKFは武装勢力に対する最初にして最後の攻勢に出る」
「…………!」
期せずして湧く驚愕――――だがそれは予測しえた事態だった。膠着したクルジシタン情勢を打開するための方策としての武力行使は、これまでも現地部隊司令部や本土の統合幕僚監部でも度々検討されてきたのだ。そして今次提示された作戦案は、数多提示されたそれらの中でも、もっとも現実的で、かつ完成度の高い性格のものであった。作戦幕僚の作成した資料を情報表示端末に映し出し、それをレーザーポインターで指しつつ、筧陸将補は続けた。
「―――――動員主力は普通科部隊230名。これをクルジシタン派遣飛行隊のヘリと特殊作戦群20名が支援する。目標は旧首都アーミッドの中央地区。我々は陸空から敵中に突入し、『神の子ら』首魁アルデム-ドルコロイをはじめとする幹部メンバー全員の身柄を拘束する」
「敵地制圧及び幹部の拘束に要する時間は、どれ位を見込んでいるのか?」
と、挙手もせずに質問を発したのは御子柴三佐だった……と言いつつ、彼自身はすでに脳裏で、彼なりに必要な時間と作戦を経験と計算と経験から導き出しているはずだ。彼が質問を発したのは、後方の司令部との認識の共有を図るためであろうことは想像に難くなかった。筧陸将補から説明を促され、司令部幕僚が事務的な口調でそれに応じた。
「一時的な敵地制圧作戦に一時間、制圧状態の維持に二時間。その二時間の間に部隊は幹部の拘束と収容を終え、敵の増援が集結する前に敵地を離脱する―――――そういう計画になっています」
「わかった……」
幕僚の説明を前に、それだけを御子柴三佐は言った。一方で基地幹部の説明に、それまでずっと沈黙を以て応えてきた佐々が、徐に手を挙げた。
「佐々三佐、何か?」と、筧陸将補は佐々三佐を指した。佐々三佐に関し、筧陸将補は時折「三佐」という呼称の他、「君」付けで呼ぶことがあった。それはつまりは、日頃から警備部隊の指揮官として任務の最前線に立ち、現地人との折衝に心身を砕いている佐々三佐に対する敬意と信頼感の表れでもあったのかも知れない。
佐々三佐は言った。
「幹部が集合する時刻……つまりは、我々が作戦を開始する時刻に就いてお伺いしたい」
「――――作戦開始時刻は1030……これは特戦群及び現地情報隊による情報収集活動と現地協力者からもたらされた会合開始時刻の最も確度の高い数字です。この時刻きっかりに部隊は行動を開始し、敵地を制圧する計画になっています。なお、同様の情報源から、武装勢力の幹部は監視の目を避けるべく、各方面より夜半に現地入りするようです」
「監視……?」
「……つまりは、我々の監視行動に、彼らが薄々気付き始めているようなのです」
「当然だろう。余計なことをしてくれる連中がいる限りではな……」
「…………」
御子柴三佐は無言のまま、横目で佐々三佐を見詰めた。佐々三佐の意図が現地住民に不用意に自衛隊に対する悪感情を招く恐れすらある秘密任務を繰り返す特殊作戦群と、その命令を与えている司令部に対する暗に籠めた批判にあることは明らかであった。二人の間に細流の一筋にも似た気拙さが流れるのを感じたのか、筧陸将補は咳ばらいをし、そして諭すように言った。
「それは、誤解というものだ佐々三佐。必要があるからこそ、特戦群はここに存在している。それに御子柴三佐たちの活動は現地政府の要請を受けてのことだ」
「…………」
佐々三佐は沈黙に転じた……我々はこのクルジシタンにおいて、結局は新政権とやらいう現地人の一部特権階級の駒として、いいように使われているだけではないのか? 手駒という点では、我々もまたあの「神の子ら」と何ら変わりがないのではないか?―――――喉奥にまで出掛かった批判を彼が飲み込んだのは、さすがにこの場でこれ以上の不協和音をもたらす恐れがある言動に、彼が自制を覚えたからであったに過ぎない。
……その代りに、佐々は言った。
「突入は、出来れば早朝が適当と小官は考えます。なるべく早めてもらえませんか?」
「理由を聞こう」
「この国の男は、ウラートという薬草……のようなものを好んで摂取します。これは所謂マリファナのような習慣性の薬物でして、使用する者に酩酊あるいは覚醒にも似た効果を催します。彼らにそのような状態で銃を執らせれば、部下の安全を考える上で甚だ厄介です。一晩過ぎ、効果が切れた辺りを見計らって作戦を開始するべきです」
「なるほど……佐々君はよく見ているな」
『御子柴三佐はどう思う?』という視線を、筧陸将補は御子柴に投げ掛けた。御子柴は軽く頷き、言った。
「自分も、佐々三佐に同意見です」
筧陸将補は頷いた。会議の過半が、終わりに近付いていることを佐々は悟った。
―――――佐々三佐が退出し、あとには筧陸将補と御子柴三佐が残された。決して退出した佐々三佐の陰口を言うわけではなく、むしろ彼らは現場の苦労をその心中から理解しているつもりだった。そして復興にようやく片足を突っ込みかけたこの国が、その実日本と比べ異常なまでの腐敗と混迷に冒されているという点でも、彼らは佐々三佐に同意見だったのである。
「……で、調査の結果はどうだ?」
と、筧陸将補は言った。航空科出身、元はUH-60J汎用ヘリコプターの操縦士から隊暦を重ね、この基地司令官を任される前は陸上自衛隊中央情報隊の要職にあった彼は、その実情報収集活動においても専門家だった。この国に来て湧いたある疑問から彼は御子柴たち特戦群にある調査を命じ、それは依然進行中だったのである。御子柴三佐は頷き、持ち込んだ小型HDDカメラを情報表示端末に接続させる―――――
―――――数刻の後、カメラは数葉の画像を端末に写し出した。それは旧首都アーミッドにおける市場の一角の光景、そこで扱われている品物の種類とその豊富さに、筧は思わず我が目を疑う。商品は、いずれも自動小銃や機関銃、そしてロケット砲などの銃器――――――
「これは……!」
「連中の武装の程度は、半端ではありません」
と、御子柴は切り出した。
「彼らの組織力、銃器操作の習熟度、その戦力構成……何れもこの国の地方部族の私兵集団や国軍を上回っております。これまでの任務で相応の打撃を与えはしましたが、未だこの国で、単体で彼らと衝突して勝利できる勢力は存在しません。それぐらい、『神の子ら』の存在は強大であり、危険です」
「問題はそこだ」
筧は言った。鷲のような目付きが、一層に鋭さを増した。
「最大の問題は、わずか二、三年前まで槍や弓矢で戦争をしていた国に、どうやって大量の銃器が流れ込んだのか……ということだ」
「それに関しては幾つか、興味深い事実が判明しております」
「…………」
筧の沈黙を、発言を促す素振りと察し、御子柴は続けた。
「彼らが主に使用している自動小銃や機関銃ですが、我々の89式やM4のような精緻な構造や機能性を持たないものの、極めて単純に、かつ堅牢に造られております。何れも分解整備が容易で、銃の知識のない人間でも短日時の内に操作の習熟が可能です。実戦本位の、真に実用的な銃器といった方がいいでしょう。そして最大の問題ですが、彼らの保有する自動小銃や機関銃、はては携帯ロケット弾に至るまで、統一された工業規格の様なものに基づいて製造されていることです」
「……クルジシタンに利害関係のある国、もしくは何処か我々の関知しない第三国が、『神の子ら』に対する軍事援助を行っている……そういう可能性があるということか?」
「その通りです。これをご覧ください」
端末の画像が、変わった。およそこの国に不似合いなコンクリート製の岸壁に横付けした船、その船影は決して立派ではなかったが、れっきとした中型の動力船であった。タラップを通じ埠頭から船へと延々と続く人々の列は長く、そしてその表情は一様に暗かった。
「……これは、先週に『神の子ら』の勢力圏下にある南西部の港湾で撮影された画像です」
「何だこの人の列は……人足か?」
「信じられないかもしれませんが、彼らは所謂奴隷です。この港は、奴隷貿易の主要港です」
「…………!?」
「『神の子ら』は、主に戦闘で得た捕虜を奴隷として他国に売り、その代価で銃を購入しているのです」
「…………」
筧は押し黙った。勝利のために同胞を売る……もし眼前の光景が事実であるとするならば、ここクルジシタンの抱える病巣は相当に深く、重いことは明らかであった。
写真の端々、だが重要な場面には必ず認められる人影に気付き、筧は顔を顰めた。
妙な男だった。全身を覆う黒いマントと同じく、黒い、尖った帽子に身を包んだその姿からは彼の体躯の程を量ることが出来ないのは勿論のこと、顔全体をすっぽりと覆う仮面―――――
正義、人道、平和――――――それら、およそこの世に存在するありとあらゆる光を憎む闇を表記化したかのような、禍々しいその仮面の紋様と顔つきに、筧は写真に対しながらに戦慄を覚えるのだった。
「この仮面の人物は? 現地の人間ではないようだが……」
「他国の武器商人兼奴隷商人のようです。『神の子ら』は、『西から来た人』と、彼とその一党のことをそう呼んでいるそうですが」
「では……ドルコロイと並ぶ重要人物というわけだ」
「確保しますか? それとも……?」
と言い、画像を睨む御子柴三佐の表情に、普段平静な彼に似つかわしくない程の苦々しさが宿っていることに気付き、筧陸将補は言った。
「……この人物に何か?」
「……実は、任務柄詳細は申せませんが、本官は以前この男を何処かで見たような気がするのです。初めてこの画像に接したときから、ずっと気になっていましてね」
特殊作戦群の行動地域は不定であり、そして広範である。「転移」後その傾向は一層に高まっている。そうした彼らの作戦記録の端々に、この男が知らず存在していたとしても不思議は無いのかも知れない―――――筧陸将はそう理解し、結論付けた。
「三日後、この人物がアーミッドに来るという確証はあるか?」
「実は、その情報も根拠が不確定的ですが得ています」
「では……やはり確保だ。この人物もリストに追加しよう」
「有難う御座います。司令」
指揮官の意思は、決まった。