第二章:「クルジシタン」
クルジシタン基準表示時刻02月07日 午後3時27分 クルジシタン西部 クルジシタンPKFサンドワール基地。
アスファルトの灼熱―――――
揺らぐ地平は広く、それを圧するかのように降り来る爆音―――――
―――――南から戻って来たUH-60JAは基地上空を大きく旋回し、それから仮設格納庫の方向へと機首を向けて着陸態勢に入った。
それまで不機嫌そうにアイドリングしていた73式小型トラックが、それを待ち構えていたように司令部施設の建物の傍から走り出し、そして着陸した後もまだブレードの回転を止めないヘリコプターの傍へと横付けする。
キャビンのドアが開き、そして武装した特殊作戦群隊員に両脇を抱えられた老人が、ヘリコプターから降ろされた。そのか細い人影が、迎えの73式小型トラックの後部席に乗せられて司令部施設へと取って返すのを、定例のパトロールへと飛び立つ別のUH-60JAに搭乗する道を歩みながらに、大友拓也一等陸士は見詰めていた。そして目を奪われているうちに、彼の足も止まっていた。
「おいおい……特殊作戦群の連中、また何かやらかしたみたいだぞ」
と、大友一士の傍を歩く木村 武陸士長が言った。あたかも大友の感慨を代弁するかのような口振りだった。首に架けたスリングベルトと繋がったMINIMI分隊支援機関銃は、現地の忌々しい風と砂に晒された結果としてその黒々とした輝きもだいぶ色褪せてはいたが、かなりの頻度で使い込まれていることもまた雄弁なまでに示していた。その一方で、大友一士の首から提げられた89式小銃はまだ真新しく、使い込まれたことを示すいかなる痕跡も留めてはいなかった。
『いくぞ』と木村陸士長は大友を促し、先に歩き出した。
それに気を取り直し、大友もまた歩を早める。その彼の遥か眼前の飛行場で、二人が乗り込むことになるUH-60JA汎用ヘリコプターはゆっくりと、だが眠りから覚めた虎のような鼓動と躍動感とを以て始動に入っていた。動き出したプロペラブレードのたわみは大きく、完全に速度と勢いを得て、二人がキャビンに入ろうとしても支障ない高さで回り出すには、まだ少し時間がかかった。機体の前方に立った地上員がハンドシグナルでパイロットと交信し、昇降舵やプロペラブレードのチェックをしている様子は、これから空の客となる隊員にとって、それだけでも見応えのある光景だった。
搭乗―――――木村陸士長に続き、キャビンに近付いた大友一士に、先に乗り込んでいた別の普通科隊員が手を伸ばし、手を握ってキャビンまで引っ張り上げた。パトロール任務に参加する全員の搭乗を機上整備員が確認し、インカムで操縦席の機長に隊員全員の搭乗完了を告げる。
『―――――管制塔へ要請、こちら「モンスターハンター」離陸準備完了』
『―――――「モンハン」、離陸を許可する』
急激に上がるローターの回転数、繋いだインカムに飛び込んできた機長の声は、ハスキーな女性の、凡そ戦場にあるとは思えない砕けたそれだった。
『―――――ご搭乗の皆様、本日は当エアラインをご利用頂き誠に有難うございます。本日機長を務めさせて頂きますのは私機長、二等海尉谷水 美紗緒と副操縦士 二等陸尉 須田 正明、皆様のお相手をあい務めますのはフライトアテンダント……もとい……機上整備員の二等空曹 石川 美明の以上三名で御座います。ご搭乗の皆様、当機は間もなく離陸いたします。気まぐれな機長の、気分に任せた急激な操作に振り回されることの無いよう、シートベルトの点検をお願い致します』
「何かの間違いか? どうして陸自の乗り物に海さんと空さんが乗ってる?」
と、木村陸士長が言うが早いが、浮遊したUH-60JAはいきなり右方向に一回転し、バランスを崩した木村は乗り合わせた隊員に装備に固められた身体を強かにぶつけてしまう。
「――――――殺すぞ。キサマ」
「……スンマセン」
三等陸曹―――――その階級の隊員は、忌々しげに木村を睨み、その殺気溢れる眼光に、パトロールに出た回数なら誰にも負けない筈の「歴戦の勇士」であるはずの木村ですら萎縮してしまう。その様子に、思わず微笑を禁じえない大友一士だった。そして大友はあの三等陸曹とは、過去三度のフライトでその全てに乗り合わせている。
『―――――たしか、島三曹とか言ったっけ……』
上昇――――――キャビンから掌を延ばし、基地の全容を掴む仕草を為せば、上空から見下ろしたそれが掌にすっぽりと入ってしまう程の――――――かなりの高度までUH-60は昇る。そしてヘリは事前に定められた離陸コースを使って基地を脱し、そこで目指す街――――あるいはかつて街と呼ばれた場所―――――へと機首を向け、そして空を駆け始める。
不快な熱気が支配する地上―――――
それから逃げるかのように上空に在っても、キャビンに吹き込む風は決して心地良くは無く、温く気だるい。
地上で慣性航法装置と地形指示装置に入力した数値の命じるがまま、操縦士の手を離れ自動飛行に入るUH-60JA――――高高度から加速を付け紅い大地を駆ける姿は、鷲のように荒々しくも美しい。
開けっ放しのキャビン――――
吹き込む熱風――――
赤茶けた大地の只中――――そこに時折見える人影は、その身形のいずれも貧しく、もの憂げだ。上空を駆ける、高度文明の所産の象徴とでも言うべきヘリコプターを生気のない表情で呆然と見上げつつ、あるいは無視して日々の生業に身を傾け続ける人、人、また人―――――
一向に、見出せない希望―――――
内戦は、とっくに終わった筈なのに――――と、機上で疑念を抱くのは大友一士だけでは無かった筈だ。
そして、こうして飛び上がるたびに大友一士は思う―――――どうしておれたちは、こんな終末の世界のような場所に放り出されたのだろう?
おれたち自衛隊ではなく―――――
おれたち日本人が、何故?――――
クルジシタン基準表示時刻02月07日 午後4時23分 クルジシタン北西部 小都市クミ-バト近郊 難民キャンプ
時間にして、およそ八年と五か月も前のことだった。
「転移」という、人智を超えたその現象は最初は緩慢に、だが最後は急激に、当時膨張を続けていた新興のファシズム勢力たる「特定アジア」との対立構造を為していた日本とその国土、そしてその国民の大多数を呑み込み、その後には未知の「新世界」と、その中のただ一国、かつて自国を育み、あるいは多くの試練に晒して来た「前世界」から完全に切り離された日本が残された。
だが、そのような異常事態を前に呆然としている暇をこの「新世界」の超越者――――日本と同じようにして新世界に導かれた先達たる異邦の住民が言う、そのようなものが実在するのかどうか、当時も今も日本人の多くには大いに疑問だったが――――は与えてはくれなかった。混乱する社会と国論の収拾と、外部より掠奪と占領を目当てに日本の領域に侵入する異種族との攻防と折衝に最初の一年が費やされ、同じく異種族の侵攻に晒された異邦の人々の求めに応じた異例の海外派兵に次の二年が費やされた。それらと並行した三年、さらにそれから五年以上の月日の間、日本は「転移」の傷からゆっくりと癒え、そして着実に復興していった。
クルジシタンという、日本からは広漠たる海原を挟んだ南西の大陸の、そのまた最果てに位置する国へ、停戦協定成立後の停戦監視を目的に、武装した要員を派遣するという話が出たのは、全ての始まりとなった「転移」から八年後のことだった。当初その遠距離なること、クルジシタン国内情勢の不安定なることを理由に、日本は周辺国および関係国からの派兵要請を固辞したが、停戦後の政治的対立から逆に「転移」前からの混迷を一層に深めることとなったクルジシタン情勢を目の当たりにして、内乱のクルジシタン国外への不随意の拡大、それに伴う広範な地域への戦乱の拡大を防ぐ目的から実戦部隊の派遣に踏み切ることとなった―――――
「―――――護衛艦は今どこにいる?」
クルジシタンと同じく、未成熟な産業構成ゆえの農鉱業偏重構造を有し、「転移」以降、それらの産物の輸出先として日本に対する依存を深めつつある南洋諸国で騒乱や紛争が発生する度、首都東京は霞が関の外務官僚が、海外情報収集用の特別室で「最新新世界地図 (暫定)」を睨みながらに発する第一声が、それ一言になってどれ位の時が過ぎたであろうか? 地域間紛争の調停役、平和の守護者、市場の庇護者―――――いまや「新世界」において日本に課せられる使命は、否応なしに「前世界」のそれとは比較にならぬほど大きく、そして実効力を要するものとなっていた。その実効力の象徴の最たるものたる自衛隊、彼らの中でもそうした傾向が特に顕著なのは、その影響力の大きさゆえ表に出せぬ数多の秘密任務に投入される陸自特殊作戦群や、海自特殊部隊であるのかもしれない―――――
―――――再び、ヘリの機上。
すでに、戦場―――――そう思えば、89式小銃を抱く腕に、一層の力が入る。
怖い―――――眼前の現実への恐れは、自らが択んだこの途への、止め処ない疑念となってこちらに跳ね返ってくる。
ヘリコプターはゆっくりと高度を下げ、そして荒れ果てた地上の装いもまた一層明瞭な輪郭を伴ってその乗員の視界に広がっていく―――――
頬に温い風を受けながら、大友 拓也一等陸士もまた、それに目を奪われる―――――
一切の豊潤さも躍動感も感じさせない、未来の存在すら想像出来ないような荒れ果てた黄土色の大地、だが今のおれが仕事をしているのは紛れもない、この地の果てのような世界なのだ。
『――――分隊長より全員へ、間も無く警戒区域上空……警戒準備』
「…………」
そうか……この人は分隊長だったんだ。今更ながらに大友は向かい側に陣取り89式小銃に弾倉を叩き込む島三曹を眺めるようにした。目深に被ったフリッツヘルメットから伺える顔立ちは精悍ながらも険しく、つい五分前に死線をさまよって来たような顔……と表現した方がしっくりくる。
傍らの木村 陸士長は馴れた手つきでMINIMIの機関部を開け、そこに5.56ミリの弾丸の帯を挟み込んでいるところだった。あと一週間で除隊という木村陸士長は、ここのところ彼自身の自衛官人生で最後の瞬間を、精一杯に満喫しようとしているかのように大友には見えた。一方で、ぎこちない動作で89式小銃に弾倉を装着する大友といえば……彼と一緒に隊を辞め、娑婆に戻ろうかという思案に、実のところ連日のように苛まれている。
大友一士は高校卒業後、情報通信系の専門学校で学んだ後に陸上自衛隊に入隊した。当然、当初は電算なり通信なり彼の得た資格と知識の活かせる職種に就けるものと思っていたが、「自衛官なら短期ぐらいは実戦部隊を経験しておいた方がいい」という教班長の甘言(?)に誘われるがまま、本人としては腰掛のつもりで普通科に進んだのだった……だが現在、その当ては大きく外れ、入隊して三年目の彼は未だに重い銃を担ぎ、重い装備に身を包み日本から数千キロ単位の距離を隔てた異郷の荒野をこうして駆け、這いずり回っている。
勿論、抗議はするにはした。だが直談判の先、所属する普通科連隊の小隊長の、「コンピューター? 何それ美味しいの?」と言わんばかりの唖然とした表情に接した途端、その意思は完全に挫けてしまった。それでも希望を捨てることなくそのまま何時かは転属を許されるだろうという楽観―――――というより惰性を抱えたまま訓練に明け暮れ、彼が気付いた時には、入隊以来自衛官として勤務するべき最低限の期間たる3年間は、とうにその終盤に差し掛かっていた。
おれはこんなところで、何をやっているのだろう?……否、何をやってきたのだろう?――――――そんな意味の無いように思える自問を繰り返し、すでに一か月が過ぎようとしているのは判っている。本来なら自衛隊という職場で、安全な後方にありながらリース品の机を友として、コーヒーを啜りつつ、または持ち込んだ私物のノートパソコンで時折インターネット上の巨大掲示板を覗きつつコンピューター関係の業務経験を積み、あるいは資格を取りつつ過ごすというのが、彼が思い描いていた理想であった筈が、そろそろ自分の意志で任務継続か除隊かを決められる今に至っても、自分は未だ第一線、それも嫌がらせかと思えるほど最悪なほど危険な紛争地帯に放り込まれ、乗り心地への配慮など塵ほども為していないであろうヘリコプターの機上に揺られ、何時来るともわからぬ武装勢力の襲撃に対する緊張を強いられている……
そのとき―――――
「―――――?」
減速?――――大友一等陸士が次に気付いた時には、ヘリはその速度を落とし、ゆっくりとその目指す場所の上空に差し掛かろうとしていた。
「―――――全員へ、部隊は只今より警戒行動に入る」
インカムに囁くようにして告げるや、島 亘三等陸曹は、溜めていた息を一気に吐き出すようにして肩の力を抜き、89式小銃のダットサイトを戯れに覗きこむ……覗き込み、目を細めたダットサイトの照星は、今まさにヘリの影が横切ろうとしている朽ち果てた地方の街の、同じく戦乱と風雨に崩れかけた寺院の尖塔の、未だ輝きを失うことのない天辺に重なっていた――――
―――――軽い調整の後、再び下ろした小銃をだらりと首に下げて視線を転じた先――――――程無くして島三曹の鷲のような眼差しは、街の広場に止まり陣取った他国の民間支援団体の食糧配給トラックと、糧を求めてそれに群がる飢えた民衆の姿を捉えていた。
「…………」
――――入隊前、関東に位置する某市の商業高校に在籍していた頃の島は、16歳でバイクの運転免許を取り、それから二年近くが経ったある時、学校傍の中古車店で見つけた手頃な値段のスポーツカー欲しさのあまりに自動車の運転免許を取った頃にはすでに、バイク乗りとしてはその運転技量の高さから地元の峠でも知らぬ者のない存在となっていた。
そして当然、それら少年期にはつきものの、数々の無軌道な行いもまた彼は経験していた。嗜好を同じくする仲間と夜毎に群れ、自らの駆るバイクや車の醸し出す加速に酔っていたことは勿論、その拳で刃向う相手を屈服させ、あるいは相手に叩きのめされといった経験を繰り返しているうちに、ふと湧いた現状への疑問から釈然と大悟し、高校を卒業したその足は自然と防衛省の地方連絡本部へと向かっていた。学校の先輩が既に入隊しており、年の離れた叔父がそれまでの自分と似たり寄ったりのことを繰り返している内に、何時の間にか自衛官になっていたことが、日常と受け入れてきた「それまで」に閉塞を覚え、現状からの脱出を考えていた島をして、「漠然と」自衛隊員への道を進ませた。
小学生の頃から続けていたサッカーと空手で鍛え上げられた身体と、中高生時代から明け暮れていた血の気の多い他校や、進路妨害しか能のない他所の暴走族との喧嘩で鍛え上げられた身のこなしと勝負勘は、島の場合意外にも、自衛隊という彼にとっては未知の職場では十分に通用した。卒なく年期を過ごし、程無くして彼は曹候補士に抜擢され、そして「転移」から二年後に自衛隊が初めて行った「海外派兵」にも参加し、そこで人生で初めて戦場の空気に触れた――――
――――そして現在、三曹昇進と期を同じくして志願し参加したレンジャー課程を優秀な成績で修了し、レンジャー章を手にした彼は、今ではクルジシタンPKFの中核たる警備部隊、その一個分隊を率いる身としてUH-60JAヘリコプターのキャビンから眼下の喧騒と荒廃とに目を細めている。
「餓え……か……」
何気ない呟き―――――だがこの地では、「餓え」という事象こそが重要な意味を持っていることを彼のような一隊員でも知っていた。内戦勃発と期を同じくして発生した干沫により引き起こされた飢餓は、その後慢性的にこの国を襲い、さらには支配層による強制的な食料の徴発、内戦を戦う各勢力によって人為的に引き起こされた国内流通網の遮断の結果、僅か20年程の間にこの国の全人口の7パーセントを死に至らしめた。人々は食料を求めて土地を捨て、流民の急増はたちまちにして租税を基とするクルジシタンの税制を崩壊させた。こうした伝来の土地と耕す術を失った人々は兵士、あるいは労役の担い手として各勢力に吸収され、各勢力はそれを維持する食糧を求めて更なる支配地域拡大を意図して衝突を繰り返し、その結果として一層に戦乱を拡大させるという悪循環を生みだすに至ったのだ。そして停戦後、飢餓に対する救済活動は、始まって二年目の現在に至って、漸く軌道に乗り始めたばかりだった。
だが―――――障害が無いといえば、それは明らかに欺瞞となる。
小岩に集る津波のような、圧倒的な量感で車両を取り囲む人々、それに対し荷台上の配給係は直接に食料を手渡す途を早々に諦め、袋のままそれを無造作に外へと放り投げ始める。食料援助を行っているのは主に、比較的政治的な成熟度に優れた近隣の国々と日本だが、その配給の一切はクルジシタン新政府側に委ねられていた。直接的な援助を行わないのは、未だその依って立つ基盤の不安定なる新政権に援助を担わせることで、政府に正当性を与え国内を安定させるための配慮でもあった。内乱の主軸を成す二大勢力の、第三国を介した和解の末に成立した新政権ではあったが、荒廃した国土の復興、民衆の権利を保障した新法の制定など、その抱える課題は山積みであったのだ。そして長きに渡る内戦によりその権威を著しく喪失した王政の復古と、「王国聖教」の権威回復とを重視する現政府の政治姿勢は、決して民衆向きと言うわけではなく、それもまた援助側の頭痛の種となっていた。
現政権を構成する二大勢力―――――高圧的な地方支配に反抗する地方部族の連合勢力から成る「共和派」と、それに対しあくまで王を頂点とする中央集権体制の維持を図る貴族層と聖教会側を主軸とする「王道派」―――――内乱が勃発した当初はごく典型的な二者分立型の構造だったクルジシタン内戦は、対外的には20歳の若さで早世した第13代国王コンラ2世の、葬送儀礼を巡る宮廷及び聖教内の教義解釈上の対立が顕在化した末に発生したもの……ということになっていた。だがそれは、内乱の五年目、「共和派」の一勢力として出現した「第三勢力」の存在を上げるだけで、もろくも崩壊してしまう解釈の方法だった。
その第三勢力を、両派と内乱の大地に生きることを強いられた民衆は、「神の子ら」と呼んだ。だが、その響きには得体の知れぬ存在、それらの見せる限度を知らぬ非道さに対する畏れが、多分に含まれていた。
「神の子ら」が、正確には何時、誰の主導によって発生したのか正確な答えを与えることのできる者はもはやクルジシタンにはいない。一説には、「共和派」の精神的指導者たる故、ガフラーデス‐ディワナ‐ドルコロイ師が各地に設立した、下層階級出身の少年層を対象とした「神学校」にその起源を求めることができるという。
本来、聖職者が中央の許可を得ずに、それも下層民向けの学校を開くことは国法で禁止されていたが、この時すでに地方勢力の後ろ盾を得ていたドルコロイはそうした政府の禁令を無視して各地に次々と学校を作り、子供たちに読み書きを習得させるのと同様に彼自身の教義をも植え付けていった。知識を得た少年たちは辺境各地に一種の反政府集団を形成し、やがては中央に対する叛乱の担い手として動乱において主要な地位を占めるようになっていった。
それらドルコロイの神学生が、中央の大学や寺院で学ぶ、本来の意味での神学生と自らを区別する意味で、自身のことを「神の子」と称するようになったのが、「神の子ら」という呼称の興りだったという―――――内乱が勃発して五年目には、「共和派」の実戦部門の兵士の三人に一人が、こうした神学生で占められるようになっていた。
―――――内乱を経る内、「神の子ら」は「共和派」内にその勢力を確立し、やがては内戦において「共和派」の主戦力と看做されるまでにその武力を強めていた。自らの犠牲をも厭わない、敵に対する狂信的なまでの攻撃性、降伏を望む敵兵すら拷問し、そして死に至らしめる残虐性――――――純粋な少年の、制御できぬ感情の沸騰の赴くがままの、突発的な行動にも似た、躊躇を知らないそれらの何れもが年月を経る内にエスカレートし、その攻撃は内戦の最中に於いても彼らの敵では無く―――――あるいは彼らの敵以上に―――――中立を貫く自治領や町村に向けられた。彼ら「神の子ら」によって、存在をその住民ごと「抹殺された」村々は、内戦後に行われた支援団体による調査で判明しただけで三桁にも上ったという。殺された無辜の民衆の数については―――――10万から200万と、その推定数の幅は未だに広い。
当然、「神の子ら」を構成する少年たちは、それを使う立場たる「共和派」の上層部にとってはまことに使い勝手の良い駒であったに違いなかった。あらゆる命令や無謀とも思える作戦にも沈黙を以て従い、犠牲はほぼ半永久的に神学校という拠点から補充されてくる。何故ならこの戦乱の時代にあっても、如何に貧しく、不遇な生まれの子であろうと神学校に入れば衣食住を保証され、なおかつ最低限の教育を受けられるからであった。そして同時期、神学校を通じて生じた独自の教義は、一層に「神の子ら」の戦意と闘争心を掻き立てた。
「聖戦に参加して死ねば浄土へと行ける――――――」
本来、聖教に関するいかなる書物にも記されていなかった、この新たな教義が披瀝された時、「神の子ら」は奮い立った。それはこの戦乱の時代に生を享け、その物心ついた時から殺戮と飢餓に接してきた少年たちほど顕著であった。神学校における徹底した宗教教育、現実の乱世にて生じた救済への渇望が少年たちを突き動かし、彼らによる破壊と殺戮を一層に拡大させることになった―――――そして、クルジシタンの言葉で「法難」と呼ばれる「転移」によって、内乱は新たな局面を迎えた。
転機――――その中には同じく「転移」を強いられ、その混乱からの回復を優先するが故に近隣に不安定勢力の出現を望まない周辺国の援助の手もあったが、一方で「転移」により訪れたそれは、この国を決して建設的な方向にではなく、内乱をより深く、烈しい混迷へと導く切欠にしかならなかった。これまで刀剣や弓矢、あるいは原始的な火砲のみで内戦が行われてきた地に、何処からともなく自動小銃や機関銃、そしてロケット弾などの、所謂「最新兵器」が流入するようになったのである。当然内乱は激化したが、それは内乱という篝火が燃え尽きる寸前の、最後の光芒でしかなかった。それまでの「共和派」と「王道派」との力関係に、無視できぬ変化が生じ始めたのだ。
「共和派」内部から生じた路線対立の結果、幾度かの流血を経て「神の子ら」が「共和派」からの分離独立を宣言したのである。当然、「共和派」はその勢力を大きく削がれ、それが却って両者の間に和平交渉が持たれる切欠となった。和平交渉はスムーズに進展し、早くもその翌年には日本の議院内閣制を参考にした「議会」が開かれ、両者の代表による初の連合内閣が成立した。そしてその表面なりとも和解を果たした両者は、「国内の秩序を乱す邪教の徒」として、共同して「神の子ら」に対する攻勢に出たのであった――――――
―――――それが、現在にいたる内戦の経緯である。
―――――再び、ヘリコプター。
事態は、ヘリによるパトロールが始まって五分後に急転した。
「…………?」
最初に変化を察したのは、やはり分隊長の島三曹だった。
トラックを取り巻く民衆の群れに、広場へと通じる大通りから土埃を蹴立てて迫る車列―――――
最初は、食糧を運ぶ車列かと思った。
だが、違うということはそれを視認して一分も経たぬ内に判った。
「…………!?」
食糧配給のトラックよりもみすぼらしく、だが大きな車体のそれが、錆び付いた荷台に銃を持った人影を満載していることに気付いた瞬間、島の手は反射的に小銃に伸び、構えられた小銃のダットサイトは、寸分の違いもなく荷台の先頭に立つ人影を捉えていた。そしてその屈強な人影は――――――
「―――――――!!?」
銃声――――――
豆の弾けるような銃声は、その最初に群衆に向けられ、その次に天に向けられた。唐突に生じた悲鳴と絶叫、それに続く混乱―――――鮮血を流して倒れ、あるいは算を乱し逃げ惑う人々に、荷台の連中は追い打ちとも言える自動小銃の連射を放ち、一方的な殺戮を拡大させていく。
「こちら『モンハン』、ベースキャンプ、緊急事態発生。緊急事態発生……銃を持った暴徒が食糧配給トラックを襲っている。死傷者多数、繰り返す――――」
眼下に生じた混乱を目にするや、谷水機長は自分でも驚くほどの即興性と精緻さで状況を告げた。視線を逸らさずに状況を睨み続ける彼女の眼前で、一方的な殺戮はさらに拡大し、生者は薙ぎ倒され、彼らの命を繋ぐ場から追われていく――――――
溜まらず、島は交信を外部に切換えインカムに叫んだ。
「こちら分隊長、武器の使用許可を請う。繰り返す、武器の使用許可を……!」
『――――分隊長、攻撃を受けたのか?』
「……いや、受けていません……!」
『――――正当防衛時以外の武器の使用は許可できない。繰り返す、武器は使用するな』
「くっ……!」
ともすれば激発しそうになる自己を、島は必死で抑える。
自衛隊をはじめとする諸国から成る平和維持軍は、クルジシタン各地に展開しているもののその目的は地域内の治安維持や民生支援であり、当の内戦そのものには不介入の立場を貫いている。例外といえば政府側の要請があった場合の、政府軍の支援任務に限られている。つまりPKFは、正当防衛以外に、独自に「神の子ら」に対する積極的な作戦行動を取ることは許されていないのだ。そしてサンドワールを拠点とするPKF陸上自衛隊にとって政府軍の支援任務は、具体的にはその大半がヘリによる支援物資や政府高官の空輸と、新編成った政府軍の訓練指導であり、それらは反政府勢力と戦うまでもなく腐敗しきった政府軍に接する限りでは、決して建設的な任務であるとは島たちには思われてはいなかった。
「…………」
脱力――――――気が付けば、分隊員だけではなく、機長の谷水二等海尉ですら、頑ななまでに銃を構え続ける島に、肩越しに心配そうな眼差しを注いでいた。観念した島が、息を吐き出しつつ銃を仕舞うのを見計らっていたかのように谷水二尉は前へと向き直り、キャビンと基地とに告げる。
『――――「モンハン」、これより帰投する……!』
憤懣やる方ない響きをその言葉に聞かなかった者は、少なくともこの機に乗り合わせた者のうち皆無であった。
そのとき―――――
『聞け衆愚ども……!!』
「…………!?」
唐突に響き渡る声が、地声ではなく文明の利器によるものであることは、もはや疑う余地もなかった。一斉に向けられた自衛隊員の驚愕の視線の先、広場に彼ら以外の生者の影が殆ど消えたところで、最初に銃を撃った長身の男が、トラメガを取り出し叫んでいた。
『食料とトラックは、我々神の子らが聖戦成就のために接収する! 糧を望む者は我らが下に集い戦え。糧を望まずに乾いた地に朽ち果てるのもまた、汝らの選択であり神の思し召しである。我らは汝ら衆愚の選択を、神の御慈悲と共に尊重するであろう……!』
「あのクソガキ……!!」
銃を下したことを、島は心から後悔した。長身、漆黒の肌、長いドレッドヘアー、そして黒いシャツからでも十分に輪郭を見出すことのできる、筋肉の付いた、ライト級のボクサーを思わせる鞭のように細く屈強な上半身―――――だが、その表情から伺える不敵な笑顔に、島は猛々しさというよりもむしろ、世間を知らぬ反抗期の少年のような幼さを見出していた。
――――――大友一士の目は、茫然として地上の惨劇へと注がれる。
「あれが……『神の子』?」
よく見れば、銃を持ち、乱射しつつ荷台より駆け降り、周辺に散る人影の全てが若者、あるいは少年……
それは「前世界」におけるアフリカや南米の紛争地帯の情景を彼に思い起こさせた。思えばそうした内乱でも、銃を構え戦場を駆け回っていたのは大の大人ではなく、彼らのような年端のいかない子供たちではなかったか……?
「あんまりだ……」
知らず、大友一士は震えた。早く此処から立ち去りたいと心から思った。
そして、こうも思った―――――おれは進むべき途を間違えた……と。
愕然と、惹かれるように地上へと注がれる大友一士の視線―――――
ヘリは、帰途に就くべくゆっくりと旋回を始めていた―――――
そのとき―――――
大友一士の眼差しの先で、あの屈強な体躯の男がこちらを見上げ、こちらに向かい何かを向けた。
「……?」
指――――――?
指さすように、あるいは拳銃を構えるかのように組まれた指―――――
『パンッ……!』
トラメガから響く銃声の、挑戦的な口音を、その場の誰もが聞いた――――