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第一章:「旧都アーミッド」

クルジシタン基準表示時刻02月07日 午後2時31分 旧王都アーミッド 中心部広場近辺


 その街には活気こそ存在してはいたが、荒れ果て崩れ落ちかけた建物や土壁の佇むその場所に、洗練された文化とか、人間的な身奇麗さを見出す事など不可能に近かった。

 無造作に居並ぶ果物や吊るされた獣の肉の干物、得体の知れない何かの肉の塩漬け、草篭一杯に満たされた香辛料……それらの発する臭いと燃料に使われる天日干しの家畜の糞の強烈な臭い、そして場を行きかう雑多な人々の体臭に、上空から容赦なく照り付ける陽光と濁った風がアレンジを加え、その場独特の市の臭いを作り出すのだった。そして人々はそうした臭いを嗅ぎ付けてきたかのようにそこへ集まり、種々の商い―――――売り子、禁制品の取引、あるいは物乞い―――――に精を出して日々を過ごす。この国にとって八年前の「法難」の起こる前からずっと、それを繰り返してきたかのように―――――


 大路を行き交う群衆の中を、流れに抗う魚のように歩く、一人の男―――――


 その手は、およそこの場には場違いなまでのマウンテンバイクを握っていた。


 先入観の無い者が接すれば、王国の成立以来永遠に続いて来たかのように見えるであろう市の歪んだ繁栄―――――それが大きな誤認に基づくものであることを、市の広場にあって人々の往来を眺め続ける男は、痛い程によく知っていた。かつて王都と呼ばれたこの街は、この王国―――現在でもその呼び方が通用するかといえば甚だ疑問ではあるが――――が未曽有の内戦に突入するまでは、「最も神に近き処」として富と繁栄を集める都市であった。乾いた風、荒れ果て朽ち果てた干し煉瓦造りの建物、腐れかけの食糧、秩序と道徳の破綻し、堕落しきった生活、そして醜く日焼けし、薄汚れた襤褸を身に巻き付け甲高い声で罵り合い、揃いの悪い歯をむき出しにして笑う人々など、この場にあろう筈がなかったのだ。だが眼前に広がる現実の原因が、現在のこの街の住民の過半を占めるかつての流民たちにはなく、むしろこの旧都のかつての主人たる王族や聖職者、そしてその取巻きたちにあることを知っているという点で、男は流民に同情を覚える者であった。


 「おじさん……」

 「……?」

 「異邦人のおじさん……これ買わない?」


 気が付けば、男の足元には売り子の子供が寄り添うように佇み、子供は男に向け青々とした葉っぱの詰まった手籠を突き出していた。ウラートという、覚醒作用をもたらす植物の葉で、街の男たちは午後の長閑な一時を仲間と連れ立って集まり、気晴らしにこれを噛んで過ごす。ちょっとした嗜好品となっている。あるいは戦闘の前に、これを何枚も口に頬張ることで意識を高揚させ、恐怖心を忘れさせるという用途にも使われることがあった。ここまでくれば単なる嗜好品どころか、純然たる「麻薬」と言った方がいいのかもしれない。


 「…………」

 男は笑った。それにつられるようにして笑った子供に銅貨を握らせる。

裏側がまっさらな、いかにもその辺の坩堝を使って鋳造してきたという感じの、粗末な造りの銅貨――――広範な国土に比して、この街でしか流通せず通用しない、男の生まれ育った国のそれからすれば奇妙な貨幣であった。そしてその事実自体が、この国の置かれた状態をなによりも雄弁に物語っている。


 ―――――そして、彼自身も気付いていたことだが、そうした喧噪の中で、男の姿は明らかに浮いていた。その肌はこの場の人々の誰にも劣らず日焼けしてはいたが、薄汚れたTシャツから覗く鞭のような細長い腕の筋肉、豹のそれのように絞られた胴の肉、腰から膝までを覆う短パンの輪郭から窺える太い脚の筋肉の付き具合は、市の人々の、栄養分に乏しそうな細身の身体つきよりは明らかに恵まれていて、そして彫りの深い顔立ちすらも明らかに違っていた。その眼は真黒いサングラスに覆われてこそいたが、照り付ける陽光を吸い込むその下には、不敵までのぎらつきが隠れていた。


 広場を駆け抜ける乾いた風―――――あたかもそれに身を任せるかのように男は傍らのマウンテンバイクに身を委ね、そして颯爽と漕ぎ出した。


 変速と加速とを交互に繰り返し、向かった先は、人混みに溢れる路地―――――

 佇む人影、前を行く人影、前を横切る荷車―――――それらを巧みに追い抜き、かわしながらマウンテンバイクは路地を奔った。いかにもこの街を熟知しているといった感じの尋常ならぬペースを維持しながらも、ペダルを漕ぐ息遣いは決して乱れることなく、それが男の並みならぬ体力を伺わせる。

 軽妙な太鼓と笛のリズムが聞こえてきた。そこへ向かい何度も路地を曲がり、ペダルを漕ぎ進むにつれて人影は次第に疎らとなり、そして整然と居並ぶ長屋と静寂が支配する一般道を、それゆえに速さを得たマウンテンバイクは颯爽と駆け抜ける。

この時間、この長屋の住人は後睡についていて路地に出てくることはない―――――何度もここを通った経験から引き出された余裕が、男とマウンテンバイクに速さを与えていた。


 そして――――――


 「…………?」


 それは、見慣れない人影だった。

全身を包む紫のベールが、かつてこの街に足を踏み入れる前に受けた「風土教育」で、この国の貴人が纏うものであることを男は聞いたことがあった。そのベールは、やはり教わった通り、顔にまで達してはいたが―――――


 「――――――!?」

 ベールから覗く瞳――――

 その射るような眼差しに、ペダルを漕ぐ足を一瞬戸惑わせる―――――

 美しい女性だ……と男は思った。

 その顔は見えなかったが――――――

 そしてそのまま―――――男は人影を追い抜いた。

 太鼓と笛のリズムは、すぐ傍にまで迫っていた。

 「…………」


 喧騒が、男の周囲に戻っていた。別の市の広がる場所に、男とマウンテンバイクは出たのだ。


 同心円状に広がる市の中心――――そこに聳える巨大な、朽ちた四階建ての建築物を、マウンテンバイクを止めた男は無感動に見上げ、眺める。かつての寺院の面影を破壊と風化の中にあってもしぶといまでに残している建築物を、同心円状に取り巻く市の佇まいは先程のそれと殆ど変わらなかったが、実のところその場を支配する空気だけは全くに異なっていることを男は知っていた。


 ブウゥゥゥゥ……!


 この国ではまず聞くことのできない人工的な鼓動の接近に、男は弾かれたように後ろを顧みた。荷台付きの四輪駆動車がその重厚なエキゾーストを轟かせながら、彼の眼前を四階建ての建物へと走って行った。その荷台には口径の太く銃身の長い、明らかに重機関銃と思われる武器が備え付けられていて、進路を変えたそれの後ろには、男の母国の有名な自動車メーカーのロゴが太いアルファベット体で銘打たれていた。


 スタタタタタタタッ!――――――


 「―――――――!」


 背後からの、聞き覚えのある音―――――不用意に轟いたそれに、男は息を呑んでその元へ視線を巡らせた。

 市のど真ん中で、奇声を上げながら騒ぐ男たちの一団――――――その手に握られたライフル銃は、引きっ放しの引鉄(トリガー)の導くがまま、天へ向け軽妙な破壊への咆哮を轟かせ続けていた。そしてあの若者たちが銃という武器はおろか自動車という文明の利器の存在を知って、まだ五年の年月も過ぎてはおらず、そしてこの市一帯が、それら「文明の利器」の取引現場となっていることはそれを目にする男と彼が属する組織にとって、度重なる情報収集活動の末の公然たる事実となっていた。


 嘆息―――――同時に持ち上げたマウンテンバイクの方向を一瞬で変え、男は元来た路を引き返し始める―――――


 それから男は一度も立ち止まることもなく、街を抜けた。途中の道端に転がる、かつては家畜の肉であり、あるいは人間の身体の一部分であったかもしれない何かの骨……この旧都ではとうにありふれたそんなものに気を惹かれペダルをこぐ足運びを鈍らせたのは、何時の事だっただろうか?―――――そしてそのまま、男は全壊しかけた旧都の門を駆け抜けた。

 かつて王都と呼ばれた場所を脱すれば、手入れされることなく放置された道が延々と続いている。それでも旧都へ向かい行き交う人影や物資を満載した牛車に満ちたそこを避けるように、男はマウンテンバイクを道の外へ漕ぎ進めた。罅の入った荒れ地など、男の本国で人智を超えた厳しい訓練を重ねた末、苦行に慣れた足と肺にはさほど苦にはならなかった。そのまま男は、かつては緑に満ちた小山であったろう丸裸の丘陵までマウンテンバイクを漕ぎ、遠回りにその裏手に差し掛かる―――――そこでは迎えが、男を待っていた。


 けたたましいローター音―――――


 丘陵を舐める黒い機影は一つ――――――


 ――――――それは男の眼前で、重厚なフォルムをもったヘリコプターの姿となって舞い降りて来た。


 「ようSOG! サイクリングは楽しかったかい!?」


 砂塵をまき散らしながらホバリングを続けるUH-60JA輸送ヘリコプターの機上から呼び掛ける機上整備員の弾んだ声に、自ずと浮かぶ苦笑――――――

 「ああ、まずまずさ……」


 降りたマウンテンバイクを軽々と抱え、男は迎えのヘリへ向かいゆっくりと歩き出す―――――



クルジシタン基準表示時刻02月07日 午後2時54分 クルジシタン北西部 ラティ平野某所

降下――――――


 UH-60JAは荒野へ向かいその機首を下げ、一気に加速した。


 「―――――目標まで一キロ切った」


 陸上自衛隊、クルジシタン停戦監視部隊に所属するUH-60JA「ブラックホーク」汎用輸送ヘリコプターの操縦士、嘉津山 (しげる)二等陸尉は、眼前に迫る道の、土煙を立てて走る車の影を睨みながら、コレクティヴ-レバーを徐々に絞っていくのだった。


 「まるで……ヤクザの車だな」


 と、嘉津山二等陸尉は呟いた。彼の呟きには十分な根拠があった。使い古された様子が遠くからでも判るほどに痛々しい、それでも凡そ非文明的な、荒れ果てた道に不似合いなクラウン、その重厚な車体は黒く、窓ガラスには車体に負けないほどにどす黒いスモークが貼ってあった。どういう経緯を辿ってこの国に流れ着いたのかはともかく、あいつが日本で動いていた頃は、果たしてどのような乗り手に使われていたのだろうか?―――――などと、車を俯瞰する位置にある嘉津山二尉は、柄にもない感傷に襲われてしまう。

 「目標まで600メートル……」

 『―――――機長、併走できますか?』


 と、インカムを通じキャビンからの声を嘉津山二尉は聞いた。その声の主はと言えば、嘉津山二尉が言われるが侭の操作をする前に、すでに側面ドアを開け放ったキャビンから身を乗り出し、眼下の車に向けたM4カービン銃のダットサイトを覗いていた。あたかも自分の要請が、当然受け入れられるものであることを見透かしているかのように―――――


 「並走する。一発で決めてくれ」

 フットバーを踏み、そして倒す操縦桿――――――降下から一転、低空でくるりと横方向に一回転したUH-60JAは、そのまま車の横に付けつつ徐々に距離を詰め、そのまま道に沿って飛んだ。生易しい注文ではないが、総飛行時間2000時間に達しようかという嘉津山二尉の腕を持ってすれば、どうということはなかった。

 こちらの接近に気付いたのか、車が速度を上げるのが嘉津山二尉には判った。


 パンッ!――――――


 軽々と舞い上がる薬莢―――――


 乾いた銃声が一発―――――距離300で、それも高速で飛行するヘリから放たれたM4カービンの銃弾は、初弾で疾走するクラウンのボンネットを貫き、そして白煙を吐き出させ停止させた。

「降下する」


 その後方に付けるように、UH-60JAも降下、空を滑り達した車輪を擦ると思われる程の低空、まるでその場で時間を止めたかのように停止しホバリングするそのキャビンからは、武装した陸自隊員が五名飛び出しM4カービンを構えつつ小走りに接近、そのまま車の全周を包囲する形をとった。顔全体を覆う黒い面に、頭部に密着し、さらに通信機用ヘッドセットと一体化したヘルメット、そしてタクティカルベストとその下の戦闘服の色は、凡そこの国の大半を覆う黄土色には絶対に溶け込めないはずの、緑基調の迷彩だった。

 後部座席に付いた一人が片手でM4カービンを構えつつ慎重に歩みより、ガラスをノックして開けるよう促した……その指示は即座に叶えられ、鈍いモーター音を立てながらに下ろされたガラスの向こう側からは、日焼けした品のいい顔立ちの、法服を纏った顎髭の老人が現れた。

 「グルデバ師ですな?」と、銃を構えながらに隊員は老人に言った。

 「…………」


 無言―――――クルジシタン人の言うところの「異邦人」と話す言葉など無い、と言いたいかのように、老人はそれを貫きその黒い眼差しで隊員を見詰めた。だが、彼らの探し求める老人の顔形とその素性は、度重なるブリーフィングの末完全に隊員たちの脳裏に刻み込まれている。

隊員は言った。

 「あなたを拘禁させて頂きます。誠に不躾ではありますが、我々の基地まで御同道頂けますか?」

 「不躾か……確かにそうじゃね」


 初めて老人は口を開き、そして笑った。およそ年を感じさせない、闊達な笑いだった。運転手と近習の不安そうな顔に、余裕ある笑顔を以て応じ共に車を出るよう促すのみだ……老人の挙動には、確固とした余裕があり、これから捕虜として彼を遇する隊員たちの態度もまた、彼の物腰に対する尊重を意識したものとなっていた。


 「――――コアファイターよりホワイトベースへ、荷物を回収した、これより帰還する」


 UH-60JAは急激にそのローターの回転を上げ、上昇に転じた。降下とそれに続く対象の身柄確保、そして上昇離脱まで五分も要していなかった。


 両脇を隊員に固められ、遠ざかりゆく地上へと目を細めながら、「グルデバ師」と呼ばれた老人は言った。

 「……あんた方が、噂に名高いニホンの『抹殺部隊』かね?」

 「…………」


 老人と正対して座る指揮官らしき隊員は、何も言わなかった。それが老人の確信を高めたかのように、老人はなおも言葉を紡ぐのだった。

 「すでに七人、『神の子ら』の幹部があなた方に殺された……この上あなた方はこの老いぼれの命をも取ろうと言うのかね?」

 「いや……無用の殺生は我々の望むところではない」

 「……」


 老人は語るのをやめた。自分を睨む指揮官の眼差しに、只ならぬ真剣味を感取ったかのようであった。高度を上げつつ飛ぶ内、眼下の荒野はすでに緑の平原へと装いを変え、青々とした耕作地すらその視界には広がっていた。それに目を細めながら、老人は言った。

 「ニホン人は、草一本生えぬ荒野を肥沃な地に変える魔法を使うと聞いたことがあるが……やはり事実であったか」

 「魔法ではなく、れっきとした技術ですよ……」

 と、指揮官は素気なく言った。それでも当の彼自身、僅か三年でここまでに拡大した緑に目を見張りながら――――――

 


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