表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/22

第三章:「Into The Bush 後編」



 ――事情は、一年前に遡る。


 日本とほぼ期を同じくして「転移」してきた国に、スデアネス公国という国がある。主産業は牧畜業で、国土の4割を占める冠雪山地帯と、それにより気の遠くなるような年月を経て発達した高原地帯は、「転移」という波乱を経ても、この国に畜産業で生計を立てる術とその恩恵を十分なほど与えてきた――唯一つ、その近隣に、凶悪な獣人(モーロック)が棲む地が存在していることを除けば。




 「転移」から七年後……そのスデアネス公国で一つの問題が持ち上がった。


 発端は一人の高級官僚だった。公国軍務省の一部門の長であったレオポルテ‐マリクという名のその男は、国内に存在する公国軍の主要拠点の位置と、その中の軍部隊の配置、そして有事の際の動員計画とを記した機密書類を不法に持ち出し、それを欲する国外勢力に売却しようとしたのである。事が露見し、書類の流出こそは未然に防げたものの、治安当局が彼の私邸に踏み込んだそのときには、すでにもぬけの殻の屋敷と、主に見捨てられ呆然とする二桁の召使たちが残されていた。


 問題は、すでにスデアネス一国だけに留まる問題ではなかった。何故なら略取対象となった書類には、スデアネス有事の際の同盟国の動員計画すら、詳細に記述されていたからである。「転移」による混乱が何時収束するとも知れぬこの時期、喩え口述によるものではあっても、スデアネスとその同盟諸国にとって防衛計画の露見は致命的であり、そしてその「同盟国」の中に、日本という国があった。


 防衛計画作成に関しある程度の助言こそしたものの、実のところ日本は位置的な事情もありこれらの諸国と軍事的な同盟関係を結ぶには至っていない。ただその前の段階で、自国に比して破格の日本の軍事力に驚愕した一部の国が、「希望的観測で」防衛計画の中に「日本の参戦」を書き加えてしまっただけである。だが外交に限らず物事の実情と建前には、建前がもたらす影響力の方こそに対外的な影響力があって、文書の流出はこれら諸国に安全保障上の助言を与える決定を下した政権の運営、ひいては日本の国防政策に少なからぬ「悪影響」を与える可能性があるわけで、日本としてはこれら諸国の独断に不快感を覚えつつも、機密流出を防ぐために何らかの手段を講じる必要があった――


 ――そして、スデアネスを始め当の諸国は、始めからそのための手段すら有してはいなかった。




 最高機密流出防止の、最も確実な手段――それは、「情報源」を文字通りに「消去」することに集約される。


 マリク「消去」の試みは、これらの諸国の間で三度行われ、その三度とも実行部隊の全滅という形で失敗した。同じく「転移」いう形で諸国の近隣に出現し、弱小の種族や小国を呑みこみつつ拡大していくモーロックの「棲息圏」――マリクが彼の後ろ盾となった国外勢力に匿われるがまま逃げ込み、身を潜めるそこに潜む凶悪な獣人たちの追跡を突破し、「始末」を付けるのに、尋常ならざる戦闘能力を持った「戦士」が必要なことを、諸国の指導層は数多の犠牲を以て思い知らされることになったのである。それも、「勇者」とか「騎士」とかいった表現を使うことすら追い付かないような――


 そのような獣人の巣窟に身一つで飛び込み、生きて帰って来ることのできるような「勇士」が、果たしているのか?――


 それが、いた――


 日本、陸上自衛隊特殊作戦群(JGSDF-SFGp)――ニホンの誇る「抹殺部隊」。


 ――つまりは、日本はこれらの諸国に泣き付かれた。


 そしてその「始末」こそが、この異世界に於いて最初の、あるいは第二次世界大戦後史上初の、「転移」前に成立した所謂「スパイ防止法」に基づいて日本政府が下した「暗殺命令」となった。














北方世界基準表示時刻10月16日 午前11時12分 「失われた世界(ロストウェルト)






 潜伏――狙撃位置に付くまでの、衝撃と緊張に満ちたその過程の半ばから、まる二日が過ぎた。


 御子柴三佐と鷲津二曹――二人は衛星写真と無人偵察機(UAV)を基に事前に設定した狙撃ポイントたる高層建築物の中腹であった階層――そこから上の層はとうの昔に折れ、崩壊していた――そこに陣取り、身を横たえたまま時を待った。




 身を横たえたまま、二日間――


 待つ――


 ひたすら待ち続ける――構える双眼鏡の先に、自分の獲物が現れるその時を。


 決して苦痛ではなかった。むしろ狙撃兵にとっては、ただ「待つ」ことが日常であり、「狙撃」はその日常の終わりを告げるものでしかないことを、二人はそれまでの訓練と実戦から学んでいた。


 「日常」の終わりに訪れる「狙撃」の(とき)――それが上手くいけば、その狙撃兵が新たな「日常」を迎える機会もまた巡ってくる。


 もしそうでなかったなら――


 「…………」


 波のように込み上げてくる不安の赴くまま、鷲津二曹は自らの傍らに横たえた黒光りする銃身を凝視した。護身用に携帯し、此処に来るまでに多くの獣人の血を吸った64式小銃よりもその銃身は長く、そして口径は大きかった。今回の任務で最も重要な役割を果たすこいつを持ち込むのに、事前の分解の上、二人がかりで分散させて運ばねばならないほどそれは長く、そして重かった。




 長距離狙撃の切札――その名を、バーレットM82A1という。


 本来、人を撃つための銃ではない。


 対物ライフル――アンチ・マテリアル・ライフル――というその種別の通り、M82A1は装甲された車両や、防御の厳重なトーチカを撃破するための特殊な銃ということになっている。だが、その性質故に合わせ持った破格の威力と長大な有効射程、同クラスの銃に比べて破格に優れた携帯性の高さが、その用途を飛躍的に、だが最悪の形で広げた。専用の狙撃用ライフルの倍以上の距離から、大半の防弾鋼板や防弾服を無力化するM2 12.7㎜重機関砲と同形の高威力弾を、それも迅速な次弾発射を可能にするセミ-オートマチック機構で撃ち出すというまさにその点が、バーレットをして強力な対人狙撃銃(・・・・・)として大成させたかたちとなったのである。


 「苦労してこいつを此処まで持って来たかいがあるってもんだ。ここなら、広場から距離があるから勘付かれにくい」

 「撃たれる身からすれば、溜まったものではありませんね」

 「それは事実だな。それもこんな銃では……」


 撃たれた人間は、痕跡すら留めないだろう――その感慨を、鷲津二曹は胸中で押し殺す。


 御子柴三佐が言った。


 「そろそろ時間だ……配置に付け。おれが観測手(スポッター)をやる。狙撃に専念しろ」


 




 軍隊に於いて狙撃(スナイプ)とは、基本的には狙撃手(スナイパー)観測手(スポッター)の二人で協働して遂行される「任務」のことを指す。


 遠距離射撃に適した長銃身、高威力の銃を構え、照準した目標に対し必殺の引鉄を引く「実行役」たる狙撃手、望遠鏡を以て目標及び周辺の状況を監視し、目標の発見から追尾、捕捉を含め、射撃に至る任務の始終にわたり狙撃手を誘導し、補佐する「指令役」たる観測手……観測手も実際は専門的な狙撃訓練を受けた純然たる狙撃手であり、狙撃手より技量の高いことは勿論、経験も豊富な隊員が観測手を務めるのがこの任務の通例であった。




 狙撃教程――それが自衛隊に於いては特殊戦要員の登竜門たる部隊レンジャー課程修了が志願の最低条件であり、さらに高度な冬季戦レンジャー教程や空挺レンジャー教程と並び称されるほど過酷な教程となって、現段階ではかなりの時期が過ぎている。富士山麓の陸上自衛隊富士学校を本拠に行われる総計十週間に及ぶ狙撃教程に於いて、学生はその最終教程の段階ではまる二週間に亘り、二人一組のチームで遠く離れた北海道は矢臼別演習場の原野、森林を駆け、あるいは這い回って対抗部隊の只中に浸透し、演習場内に点在する複数の「目標」を、原野を移動しながら追跡しつつ狙撃で倒し、そして速やかに敵中から離脱することを要求される。その間、学生は対抗部隊にその存在を察知されることは勿論、一切の潜伏の痕跡を残すことすら許されない。それだけでも、狙撃兵が如何に強靭な体力と精神力、並外れた忍耐力、正確な判断力を要求されているかが判るというものだった。




 ――再び、かつては「街」と呼ばれていたであろう場所。


 配置に付いて一時間で、状況は急変した。


 レーザー測遠器付き双眼鏡を覗きつつ、御子柴三佐の観測が始まる――


 『――目標の車両が入ってきた』

 「…………」


 バーレットのグリップを握り直し、そして照準鏡を覗く目を鷲のように細める。その照準鏡の煌く遥か先で、鷲津二曹は、ビルの廃墟に遠巻きに囲まれた市中央の広場に差し掛かろうとする車列の一群を見出していた。


 『――軍用トラック三両、小型地上車両七……うち二両は荷台に機銃を積んでいる』

 「三佐……距離を」

 『――距離1.5キロ……大丈夫、バーレットとお前の腕なら届く』

 「了解……」


 冗談だろう……と思いつつ、照準鏡を覗く眼には、本気が宿っている。


 『――トラックが散開……止まった。やはりな……護衛のモーロックがどんどん降りて来る』

 「何をやる気でしょうね」

 『――まあ見ていろ……これから面白いことが始まる』






 銃で武装した獣人たちがトラックから一斉に散り、周囲を固めたのを見計らった後に、その場の主役たる面々は彼らの仕事に取り掛かったように、遠方からそれを監視する二人には思われた。


 「…………?」


 人間?……そう、取引を主導しているのは明らかに人間だった。彼らのいずれも白人もしくはその系統と判る顔立ち……そして彼らが来ている服には、何かしらの統一性があった……言ってみれば、軍服のような――


 その人間たちを、獣人の兵士はまさにVIPでも遇するかのように周囲を守り、そしてこれから始まるであろう取引を見守っている。その態度たるや、普段同種の人間を食用にしているとは思えないような丁重ぶりだった。人間が地上車の後部から巨大な箱を二、三個引き出して獣人たちの長の前で並べ、そして箱の蓋を開けた。


 「…………」


 箱の中身に、厳重に梱包された小銃とその弾薬を見出した時、双眼鏡を覗く御子柴三佐の目に好奇の光が宿った。獣人の幹部がその箱から一丁の小銃を手に取り、そして戯れに天に向かい構えて見せた。


 「武器の取引か……」

 『――あの連中はモーロックに武器を渡す。モーロックどもはマリクの身の安全を確保し、連中に引き渡す……人間からすればあまり割りのいい取引ではないな。それにしても……』


 御子柴三佐の凝らす眼は構える双眼鏡を通じ、先刻より一人の人物に注がれていた。


 『……何だ、あの男は?』


 取引に立ち会う人間たちの多くが、緑の軍用コートに身を包んでいたが、例外がいた。長身、後方に撫で付けられた金髪の印象的なその男は、まるで法服の様な、長く赤いコートに身を包んでいたのだ。取引を見守る赤いコートの男は始終無表情ではあったが、その眼差しは、時折ダイヤモンドのような烈しい光を瞬かせていた。他の人間との位置関係、そして彼らが時折彼に指示を仰ぐ素振りを見せている点からして、この場では明らかに、赤いコートの男に取引の主導権があるように思われた。




 そのとき――


 『――――!』


 遠方よりじんわりと響き始めるヘリの爆音――その機影は御子柴三佐らのいるビルよりも低い高度まで降下すると、そのまま機首を転じつつ空中で停止した。


 前後に別たれたタンデム式ローターの機体を持つ、旧型のレシプロエンジン式のヘリコプター ――それも、機体の両側のパイロン部分に固定式の機銃とロケット弾と思しき矢状の弾体を吊り下げている。


 『――二時方向よりヘリコプター一機。ほう……操縦しているのは人間のようだ』

 「…………」

 『……しかし、こんなものまで引き出して一体何を守ろうっていうんだ?』


 取引が成立したのか、獣人の長らしき陰が、遠方で待つ部下に合図を送る。その少し後、一台の地上車が廃ビルの陰から走り出、そして人間たちの前で止まった。


 「三佐……車から二人降りた」


 車から降りた二人の男――その内の小柄で、太り気味の男に御子柴三佐は眼を凝らした。


 『――よし……おそらくあの小男だ。確認するから待て』


 鷲津二曹は大きく息を吐き出した。御子柴三佐がReCS端末から衛星回線を通じ、後方基地のデータベースにアクセスし、目標を照合する。そして――


 『――目標(ターゲット)確認。あの男だ』

 「了解……」


 いよいよか……集中力を解き放ち、照準鏡に向き直る。御子柴三佐の指示は続いた。


 『――風が強い。風を読むか……止むのを待つか……だが標的を逃す危険性もある。判断は任せる』

 「…………」

 「教程を思い出せ。弾道は湿度と風速によって変化する。それにこれだけの距離だ……転向力(コリオリ)も考慮しなければならない」


 転向力コリオリとは、回転座標系上で移動した際に移動方向と垂直な方向に移動速度に比例した大きさで受ける慣性力の一種である。


 地球は自転しているため、北極点上空から見ると反時計回り、南極点上空から見ると時計回りに回っている。そのため、北半球では右向き、南半球では左向きにコリオリの力が働く。従って、ロケットや大砲、そしてバーレットで行う様な長距離射撃には、コリオリの力による補正を必要とするのだ。日本は「転移」により、第二次世界恐慌後の混迷を極めた世界情勢から幸運にも(!?)逃れることになったが、住む世界を異にしても、こうした物理的法則から逃れることは結局出来なかった。


 『……よし、ダイヤルを左に3、下に4回せ……それで上手くいく』

 「照準補正……」


 教程で嫌というほど叩き込まれた弾道計算式と、訓練の経験とを脳裏で駆使し、照準鏡の調整ダイヤルを回す。確かに、御子柴三佐の計算は正確だった。


 『――そのまま……後は待てばいい』


 照準の中心は、すでにマリクの胴体中心線に沿って充てられている。バーレットの大口径弾は発射され、目標に命中するや単に目標の身体に穴を開けるだけでは飽き足らず、その衝撃力で身体を引き裂き、文字通りに粉砕してしまうだろう――


 あとは引鉄を引くだけだ――


 遊びを、限界まで引く――


 「――――!」


 息を止める――照準固定。


 終わらせる――




 火柱――


 轟音――


 「――――!!?」


 衝撃は広場を覆い、護衛の獣人たちが一斉に散開しはじめ、そして四方八方に向け小銃を乱射し始めた。


 「何だ!?」


 思わず照準鏡から目を放し、頭を上げる。


 『――迂闊に動くな! ヘリに見つかる!』

 「チッ……!」


 憔痩とも怒りとも付かない感情の赴くまま、再び覗く照準鏡――


 「――――」


 取り戻す平静――


 照準鏡の中で、目標たるマリクという名の男は、為す術もなく身体を震わせて立ち尽くしていた。


 唐突に始まった銃撃戦――混乱が、むしろマリクに対する獣人たちの注意を散漫にさせていた。


 『――鷲津二曹、今だ』


 慎重に、状況を見極めつつ引鉄の遊びを引く――


 「――――!」


 息を止める――


 狙撃――弾丸はマリクの胴体を正確に撃ち抜き、そして引き裂いた。恐らくは、混乱の中で彼自身知らぬ内に、彼は死んだ。


 『――命中! 目標の死亡を確認! 長居は無用だ。撤収するぞ』


 『同感!』との思いを胸中に宿しつつ、鷲津二曹はバーレットの撤去にかかった。任務を終えたからには、こちらの位置を相手に探知されるまでにビルから出、そして迎えのMH-53J「ベイヴ‐ロウ」特殊作戦機との会合地点まで速やかに移動する必要があった。その間も、彼ら二人が睥睨するビルの谷間の広場では、銃撃戦は一層に烈しさを増していた。


 「バーレットは置いていけ。あの状況だ。じきに此処にも捜索の手が及んでくる」


 痕跡を残すわけにはいかない……とすると、狙撃ポイントたるこの階は放火なり爆破するなりしてそっくり「撤去」する必要があった。御子柴三佐が戦闘服と密着した用具入れからC4爆薬を取り出し。手際よく狙撃ポイントの周囲の壁や柱に取り付け始めた。距離を取り、安全な階まで降りたところで、遠隔操作スウィッチで点火すれば、全ては解決される。




 だが――


 二人にとって最悪の脅威とでも言うべき「それ」は、低空から上昇し敵の位置を俯瞰しようという意図を持って、彼らの潜む廃ビルの、狙撃ポイントのある階に迫ってきた。


 『――――!?』

 「――――!!?」


 真正面から目を合わせたときの衝撃は、おそらくはヘリの操縦士たる人間の方が大きかったのに違いない。何故なら彼の意図せぬ――それもごく至近の――場所に、奇怪な体毛状の外見をした「獣人」が二匹、銃を手に潜んでいたのだから――


 御子柴三佐が声を張り上げた。


 『――鷲津二曹、あいつを撃て!』

 「くそっ!」


 罵声とともにバーレットを構え、鷲津二曹は撃った。


 一発――


 照準鏡など使わぬとも当たる近距離――


 重い弾丸はそれを瞬間的に飛び越え、風防ガラスを貫きヘリの操縦士を正面から打ち抜いた――


 機内で飛び散る鮮血と肉片――


 操縦士死亡――途端に、崩壊するヘリの均衡。


 ヘリは左右に機体を振りながら降下し、直後に廃ビルの外壁にローターを接触させたのが、運命の直接の原因となった。一層に不安定さを増したヘリは左右の廃ビル群の窓と言わず外壁と言わず機体をぶつけ、そしていきなり機首から地上へ突っ込む姿勢を取り、そのまま地上に激突し大破した。


 爆発――それを見届ける暇すら与えないかのように、御子柴三佐が鷲津二曹の肩を叩いた。


 「行くぞ! 先導する」


 バーレットを放り出し、鷲津二曹は駈け出した。崩壊しかけた階段を駆け下り、距離を取ったところで御子柴三佐は無線式の爆破スウィッチを取り出した。


 「爆破する!」


 轟音――


 震動――


 不快な礫の崩落――それに急かされるように足に力を入れ駆け降りる。


 『――ホークアイよりセクション9へ、緊急事態発生! 緊急事態発生! 現在退却中! 繰り返す退却中! 第4回収点へ向かう!』


 無線に声を上げる御子柴三佐の声からは、当初と比べ余裕の成分がかなり失われているように鷲津二曹には思われた。


 そして――


 屋内にいても伝わる、遠雷のような爆発音、そして射撃音――


 何が起きている――?


 疑念を抱いたまま、二人は地上へと駆け降りる――






 地上――


 二人がそこに降りたとき、そこはすでに地獄に変わっていた。


 「――――!」


 黒々と立ち上る黒煙を目にしつつも、足は止まらない。獣人たちの絶叫と銃声の折り重なった悲鳴にも似た音をビルの壁が吸い込み、あるいは反射して、一層に空気の不気味さを強調しているように思われた。


 『――前方に敵影! 隠れろ!』


 側道に回り、息を潜める。歩兵戦闘車(AFV)を押し立てた獣人たちの隊列が、戦闘の現場へと二人が元来た道を慌ただしく駆け抜けていく。


 「襲撃者はあの向こうだ! 見つけ次第殺せ!」

 『――おれ達の事ではないようだ……ひと安心だな』


 と、御子柴三佐は苦笑気味に言った。獣人たちが完全に遠ざかるのを見届け、そして二人は現場から距離を取ろうと走り出す――側道からビル間を繋ぐ隘路に入り、半壊したアーケードを駆け抜ける。


 商店街らしき一角――


 警戒しつつ、走る――


 無情にも、こちらに迫り来る銃声――


 どういうことだ――?


 御子柴三佐が、アーケード街の一角を指差した。


 『様子がおかしい。一旦隠れるぞ』

 「了解!」


 身を潜めてほぼ五分後に、状況は急変した。


 急速に迫る銃声――


 身を隠した眼前に駈け出して来た、迷彩戦闘服の一団――その何れもが、人間。


 傷付いた者もいた――


 その中の一人、リーダーらしき青年が手信号を送る―― 一団は一斉に散開し、迎撃配置に就く。


 『ほう、上手いな』


 と、御子柴三佐が呟いた。


 前方からのスキル音―― 人間たちの一団を追うように迫ってきた地上車の一団が止まるや、分隊規模の獣人をその場に展開させる。


 間を置かずして始まる銃撃戦――


 最初は、伏撃を仕掛けた人間側に利があった。


 だが時を追うにつれ、それも虚しく覆される。


 斃れる人……また人。


 「…………!」


 舌打ちし立ち上がろうとした鷲津二曹の手を、御子柴三佐が抑えた。


 『――何をする気だ?』

 「助けます!」

 『――助けて、どうする?』

 「この街の住民かもしれない……!」

 『――敵かも知れんぞ』


 そして――最後に残される指揮官の青年。


 彼自身、遂に傷付き、腹部より烈しく出血し銃を捨てその場に倒れ込む――


 勝利を確信し、銃を構えつつ包囲を狭めるように迫り来る獣人――


 「――――!」


 鷲津二曹は立ち上がった。御子柴三佐の隙を付き、潜伏場所から離れた。


 『世話が焼ける……!』




 疾駆――その先に新たな狙撃地点を見出し、滑り込むようにして銃を構える。


 照準鏡に入れた獣人の後頭部――


 息を止める――


 狙撃――必殺の弾丸は獣人の頭を粉砕する。


 「――――!?」


 一斉に獣人が背後を顧みた時、鷲津二曹は既に立ち上がっていた。


 更なる狙撃――二発目でもう一匹を斃す。


 喚起される敵意――


 応戦――自動小銃を向けようとした獣人たちの側面。


 別方向からの狙撃の一閃が獣人の側頭部を貫き、昏倒させる――


 更なる一閃――獣人の胸を貫く。


 撹乱――獣人たちは混乱した。そして彼らが新たに視線を巡らせた時には、後背の狙撃手の姿はすでに無かった。


 もう一方の側面――いち早く狙撃位置の変更を終えた鷲津二曹は再び撃った。


 狙撃――頭部を貫通。


 『あと三匹!』


 距離は――すでに至近。


 64式小銃を背部に納め、鷲津二曹は飛び出した。


 引き抜く、消音器(サプレッサー)付きのUSP自動拳銃――


 鉢合わせした獣人に、目と鼻の距離で連射する――


 その死を見届けるまでもなく、敵中に疾駆――


 咆哮し、銃床を振り上げた獣人――鼻先三寸の距離で振り下ろされたそれを、バックステップでかわす。


 接近――


 獣人のこめかみに触れた、USPの銃口――


 射撃――側方――それも近距離から頭部を吹き飛ばす。


 「――――!」


 対峙――――同じく飛び出してきた御子柴三佐と最後の獣人のそれに、鷲津二曹は我が目を疑う。


 「グルルルルルル……!」


 御子柴三佐から獣眼を逸らさない――否、逸らせない――獣人の唸りには、明らかな恐怖がある様に鷲津二曹には思われた。そして恐怖は何時しか純粋な戦闘力に勝る獣人を内心から追い詰め、それが限界点に達するや――


 「…………!!!!」


 表記不可能な怒声を上げ、獣人は腰から長大な戦闘用ナイフを引き抜き、御子柴三佐に躍り掛かった。


 『やばい!』


 反射的に向けられる、鷲津二曹のUSP――


 だが――


 「――――!?」


 獣人の姿勢が、崩れた。


 まるで、何か見えない力に、身体の動きを狂わされたかのような――


 狼狽する獣人の顔から、それが彼の意図しないものであることが鷲津二曹にはすぐに判った。だがその時同時に鷲津二曹にはもう一つ見えたものがあった――獣人が躍り掛かるその間際、御子柴三佐が僅かに姿勢を下げ、獣人から視線を「外す」ようにしたのだ――獣人が、辛うじて崩れかかる姿勢を取り戻したそのときには、隙を付いた御子柴三佐は獣人と擦れ違うように背後へと抜けていた。


 「…………!」


 その手には、逆さに握られたサバイバルナイフ――


 鮮血―― 擦れ違う一瞬で、横真一文字に裂かれた獣人の首筋から勢いよく噴き出したそれは、獣人を叫ぶ間もなく苦渋させ、前から斃れて絶命させた。


 「…………」


 あまりの事に、戦闘中であることを忘れ呆然と立ち尽くす鷲津二曹に、御子柴三佐は言った。


 『この馬鹿。隠密(ステルス)を何だと思っている?』

 「すみません……」


 嘆息し、御子柴三佐はとっくに敵の気配が消えた周囲を見回すようにした。


 『急げ! やつらが嗅ぎつけてくる前に此処からおさらばだ』


 鷲津二曹は青年の傍らに歩み寄った。


 「――――!」


 それまで一部始終を見ていたのか、青年はその茶色の眼差しを凍らせたまま、仰け反る様にした。それもその筈だ。死すら覚悟していたまさにそのとき、奇怪な風体の連中がいきなり現れ、信じられないような戦闘力を発揮し、凶悪な獣人たちを僅かな時間で蹴散らしてしまったのだから――


 「安心しろ……俺たちは敵じゃない」


 と、鷲津二曹は背を屈めた。それに対し青年がさらに身を捩じらせたそのとき、青年の端正な表情が苦渋に歪むのを鷲津二曹は見た。


 「酷い傷だ……」


 躊躇(ためら)っている暇は無いように思われた。腹部からの出血が酷く、安全な場所まで運び、応急処置を施す必要がある。


 「立てるか?」

 「ああ……」


 青年に肩を貸した鷲津二曹を、訝しげに見遣る御子柴三佐―――


 そのとき―――


 「図書館へ……!」

 「…………?」

 「頼む……図書館に……連れて行ってくれ」


 哀願――自分を覗きこむ青年に眼差しにそれを見出した時、鷲津二曹は困惑した表情もそのままに御子柴三佐を見遣った。それを無視するように、御子柴三佐は鷲津二曹から眼差しを逸らすようにした。


 『近道をしよう! 先導する!』


 颯爽と駆けだす御子柴三佐――抗弁の余地は、すでに無いように思われた。



 警戒しつつ、前進――それでも前方を行く御子柴三佐の移動速度は速く、鷲津二曹を彼が抱える重傷者を無視しているかのようだった。それでも、かつては公園であったろう鬱蒼とした林道に入り、その向こうに見覚えのある白亜の建物を見出したとき、鷲津二曹は驚いて前方の御子柴三佐を見直した。


 「図書館……」

 『―――ここはちょっとした拠点でしかない……長居する気ならあきらめろ』

 「感謝します……三佐」

 『これでも、昔は医学を齧った身だ。手を尽くせる限りでは、手を尽くすさ』


 裏口の戸を蹴破り、再び図書館に入ったとき、青年が脂汗を浮かべながらに言った。


 「地下だ……地下に偵察用の拠点を作ってある」

 「…………」


 思わず、御子柴三佐と鷲津二曹は互いの顔を見合わせた。作り笑いとも苦笑とも知れぬ笑みを浮かべ、青年は前進を促すように顎をしゃくる。


 「君たちなら、死んだ仲間も歓迎してくれるだろう……大丈夫、連中も此処までは追ってこない」


 階段を使い、滑るように降りた地下――その奥の、最も開けた一角に達したとき、二人はさらに驚愕を覚えた。


 「三佐……ここは……」

 「驚いたな……」


 凍り付く眼差し――極端なまでに落とされた照明は蒼く、その下では見覚えのある巨大な箱の連なりが、その一つ一つの中でいつ終わるとも知れぬ電子と光の営みを刻んでいた。広々とした、かつ清浄感溢れる冷たい空間……そう、それはまるで――


 「――電算室か?」

 「君たちには、これが判るのか?」


 と、青年は言った。


 「以前、部下の一人が戯れにスイッチを押してしまったのさ……その結果が、これだ。どうやら非常用電源が生きていたらしい」


 鷲津二曹は青年の身を床に横たえた。御子柴三佐が青年の傍に腰を下ろし、傷口の様子を窺う。出血は相当に酷く、開いた傷口からは肋骨の一端すら窺うことができた。傷が回復しようもなく、青年の死期が近いことを御子柴三佐は悟った。


 「……私の名前はローリダ共和国国防軍第7特殊遊撃大隊指揮官、国防軍大佐サドレアス‐コート‐カーティファロスだ」

 「…………」

 「君たちは?」

 「通りすがりの異邦人さ」

 「名ぐらい明かしてくれてもいいだろう?」


 頭を振ったのは、御子柴三佐だった。


 「悪いが、迂闊に自己紹介は出来ない決まりなんでね」

 「マリクを殺し、回転翼機を墜としたのは君たちか?」

 「……そうだ」

 「君たちはどうやら、我々と同じ兵科の軍人のようだな」


 一旦黙り、咳きこむと、青年は続けた。


 「だが……戦闘技術は君たちの方が圧倒的に上だ。君たちの戦いぶりを見るに、急ごしらえの我々とは違う」

 「……で、これからどうするんだ。サドレアス大佐」と、御子柴三佐は言った。彼の未来を聞くことで、青年になるべく死を意識させまいと配慮したのかも知れない。だがそれに応じる青年の表情に諦観があるのに、逆に御子柴三佐の方が内心で動揺を覚えた。


 「私は多くの貴重な部下を失った。私の理想に就いて来てくれた、掛け替えのない部下たちを、だ……それを失った以上私だけがおめおめと生きて祖国に帰るわけにはいかない」

 「じゃあ、おれ達と一緒に来るかい?」と、鷲津二曹。

 「そうしたいところだが、私は未だ私の任務を捨てていないのでね」

 「任務?」

 「ガーライルを殺さなければならない。共和政の敵を……」

 「あの赤いコートの男か?」

 「やはり……全てを見ていたのだな。君たちは……」


 御子柴三佐が、再び頭を振った。


 「その身体では……任務は無理だな。悪いことは言わない。出直した方がいい」


 鷲津二曹が言った。


 「連れて行きましょう。マリクの背後関係を洗えるかもしれません」

 「……それは、我々の任務には含まれていない」

 「――そこに、配電盤のようなものがあるだろう……」


 と、青年が不意に指差した先には、土俵を小さくしたような円形の台の傍に、これまた円柱状の、演説机のような台が設えられていた。それに目を奪われる二人に、青年は眼を笑わせる。


 「君たちも此処に来たからには、この国のことに興味があるだろう? 特に……何故、この国の文明が今ではかくの如く衰退……いや、消滅してしまったのか……」

 「…………」

 「私にも最初は判らなかった。だが……すべての答えは、あれ(・・)が教えてくれた」

 「…………」


 鷲津二曹は立ち上がった。そのままコンソールに歩み寄る鷲津二曹――それを止める言葉を、御子柴三佐は持っていなかった。


 コンソールに、開いた掌が触れた――


 「――――!?」




 ブウゥゥ…………ン――電子音はコンソール傍の台を瞬かせ、何度かの点滅と文字の羅列の後、青色の冷たい光と共に像を浮かび上がらせた。その様は丁度、鷲津二曹たちの母国日本の、スウィッチを入れたパソコンでOSが起動する様を連想させた。


 『――私の名前はセディナ。サンタゴナを守る叡智の巫女』

 「…………」


 浮かび上がった像に、二人は目を奪われる――


 女神だった。人並み外れ美しい容貌、蒼い眼差し、蒼く長い髪。滑らかな肢体を覆う長衣と、身体の各所を彩る装飾はけっして華美ではなく。それゆえに未だ少女と思しき像の、近づき難いまでの純潔さを見る者に印象付けようとしているように思われた。


 「3D画像か……」

 と、鷲津二曹は感嘆の声を漏らす。日本では原理そのものはすでに確立しているが、完全な実用化にはまだまだ幾つかのハードルが存在する技術であることを、鷲津二曹は以前に見たインターネット新聞で知っていた。


 ――それを、此処のかつての主人はとうの昔に実用化している?


 その女神が、言った。


 『――問いを求めよ。さらば導かれん。我は巫女、叡智の神オルテナの第一の(はしため)

 「何故だ? 何故この国は崩壊した。何故このように荒廃し、化物がうろついている?」

 『――――』


 女神は何も話さなかった……プログラムに無い質問なのだろうか? それとも、質問の方法が悪いのだろうか?……などと思考を巡らせる内――


 『――モーロック……我らが創り、生命の息吹を与えし人に在らざるもの。我らはモーロックを以て地上の一切の労役に就かしめ。地上の一切の苦役より解放されたり』

 「何……?」

 『――我ら偉大なる文明を築きたり。我ら大いに繁栄し、大いに歓楽を覚えたりし。然してモーロック、土偶の身にて我らと同等の権利を要求したり。父たる我らに叛逆したり。全能の父たる我らに背きたりし』

 「…………」


 気付いた時には、御子柴三佐が傍にいた。神妙に目を細め、三次元画像の女神を見詰める御子柴三佐――


 「――違うな」

 「――――!?」

 『――――』

 「冷静に考えれば判る筈だ。お前たちは、そのモーロックをどう遇したのだ? あのようなものを創ったからには、何れは自らの中にあれらを受け入れなければならない筈だ。いずれ単なる奴隷扱いでは済まされなくなることぐらい。お前たち程の歴史を持っていれば判る筈ではないか?」

 『――モーロックは不完全なるものなり。知性に劣り、指導者たるの資質なく、我ら無くんば存立出来ざるものなり。然してモーロック我らに公然と反逆せし。我らそれを抑える術なかりし。我らモーロックの暴虐に抗する武力、元より必要無かりし故――』

 「軍事力に無縁だった?……自らを守る力が無かった……ってことか?」


 鷲津二曹は、放心したように呟いた。あの獣人は外部から来たのではない。かつての此処の主人が文明建設の労働力とするべく、生体科学の粋を集めて創った、いわば「人に似せたもの」だったということか……?




 ……とすれば、この地の文明は、その担い手自らの手により自滅を強いられたということになる。




 『――文明の所産たる工場、文化の担い手たる学校、母都市の中心たる政府、全て滅びたり。その後、モーロックの暴虐なお50年に渡り続いたり。我ら全てを失い。偉大なる文明の所産、全て灰燼に帰したり』

 「50年か……よく持ったもんだ」


 同時に、鷲津二曹は背後に気配を感じた。身を起こし、足元をよろめかせつつ歩み寄る青年。慌てて彼を支えに回った鷲津二曹に、青年は声を絞って言った。


 「……もう一つ、君たちに見せたいものがある」


 コンソールへ誘導するよう、鷲津二曹に目で哀願する青年……それに促されるがまま、鷲津二曹はコンソールへ歩み寄り、再び触れた。女神の像が消え、投影装置から一切の画像が消えた。




 『――おれの名前はレイドル‐アーズ。市防衛隊の分隊指揮官、年は24歳だ。夢は……建築士になりたかったな……でも、夢を語るのももう今日限りだ。これからおれ達は最後の戦いに挑むことになる――』


 『――私の名前はリル‐ナイナース。市防衛隊の看護婦よ。年は……レディだから勘弁ね。医療の仕事も今日で終わり……私も武器を取りこれから最後の戦いに赴きます。でもその心は晴れやかです。私の青春には――』


 『――僕の名はリオン‐コール。市防衛隊の隊員で年は17歳です。今日でどうせ死ぬのなら……一回はキスをしてみたかったな――』


 『――わたしの名前は、リュサ‐ローオン。市防衛隊の隊員です。年は17歳です。わたしたちはこれから獣人相手の、最後の戦いを挑みます。わたしが生まれるずっと前から、すでにこの街は獣人との戦いの中にありました。そしてわたしたちは獣人と戦う最後の世代です。私の短い人生に悔いはありません……でも……でも……ここで希望を言うのならば、わたしも平和な時代の女の子のように、おめかしをして、おいしいものを食べて……そして……そして……同い年の男の子と一緒にあの遊園地で遊んでみたかった……――』




 「…………」


 堰を切ったかのように、次々と流れ出す音声の記録――否、今聞こえれているそれらが、今ではもう生存しないこの街の人々の、最後の記憶であることはもはや言うまでも無かった。不覚にも、目に涙を宿している自身に気付いた時、鷲津二曹は思わず目を瞑り、天を仰ぐようにした。人々の声は、街の衰亡の記録でもあった。


 「……この街の人々は、最後まで希望を捨てなかった。だが彼らですら最後は……」


 そう言うや、青年は崩れ落ちるようにして倒れ込んだ。抱き起こした鷲津二曹、その様子を上から見守る御子柴三佐――


 その御子柴三佐が、言った。


 「さっき、理想があるとか言っていたな」

 「…………」

 「理想とは……?」

 「遊撃と侵入偵察に特化した、特別な軽歩兵部隊を作ることだ。ちょうど君たちの様なものだ」

 「…………」

 「我々はそのための試験部隊だった。もっとも、我々が上に無理を言って作ってもらったようなものだがね。だがそれももう……」


 烈しく、そして不吉に咳き込み、青年は言った。青年を庇う鷲津二曹に、青年は聞いた。


 「君には、祖国に家族は?」

 「家族と呼べるものは……いないな」

 「妻がいるんだ……祖国に」

 「美人か?」と、鷲津二曹。

 「ああ……飛切りの」


 直後、一層に烈しい咳――青年士官の口元には、血の飛沫すら滲み始めている。


 「おい……!」

 「駄目だ……ショック症状が始まっている」


 急速に変わりゆく顔色――御子柴三佐の目に宿る苦悶。


 「言い残すことは、あるか?」

 「……我々は嵌められた。全ては私を葬り去るための南ランテア社とドクグラムの謀略だった……軍を私物化し、国家を食い物にしたあの連中に正当な裁きを下せないことが心残りだ……それに……!」


 歯を食い縛って苦痛に耐え、最後の力を振り絞るように、青年士官は首元からペンダントを取り出した。震える指で、それを開いた先――


 「女か……」

 「……妻だ」


 ペンダントの写真――その向こうで微笑む美女の写真に注ぐ青年の眼付きが、明らかに変わった。戦士のそれではなく、恋人のそれであった。写真の対象を慈しみ、自らを慰める様な――


 硬い笑みもそのままに、青年はペンダントを鷲津二曹に差し出した。


 「無理かも知れないだろうが、何時か……これを……妻に……」

 「…………」

 「もし機会があれば……愛していたと、伝えてくれ」

 「努力しよう」と、御子柴三佐が言った。そして――

 「しっかりしろ! おいっ!」

 「…………」


 鷲津二曹が叫んだ時には、青年からは完全に生気が消え、目を見開いたままの(むくろ)がただ鷲津二曹の胸に抱かれていた。


 「眠らせてやれ」と御子柴三佐。やがて観念したように鷲津二曹は青年の遺体を床に横たえると、手ずから目を瞑らせた。御子柴三佐が、立つように促した。


 立ち上がる――敬令。


 「大した男だった。敵ではなかったのが何よりだ」

 「……無念です」


 御子柴三佐は息を吐き出した。


 「さてと……これで生きて還る理由が一つできたな」

 「はい……!」


 頷き、そして涙を振り払い、鷲津二曹は再び天を仰いだ。





 『――ホークアイへ、こちらセクション9。迎えを寄越した。ヘリの到着予定は一時間後。遅れるなよ!』

 「ホークアイ了解した。すぐに向かう」


 青年の遺品――都市主要部を標した地図――恐らくは軍用の正式地図であろうそれを広げ、全体を俯瞰するや、御子柴三佐の指示は迅速を極めた。


 「防衛線を敷く。場所は此処だ。此処の、敵が展開しうる地点全てに爆薬を仕掛ける」


 二人が驚いたことに図書館は、かつての抵抗軍の本拠地でもあり、武器庫としての役割も果たしていたようだった。だが武器と言えば、鉄くずを改良した槍、殺虫剤噴霧器を改造した火炎放射機、障害撤去用の斧、自作の弓矢……つまりはこの国の住民は、戦争を経験したこともなければ武器らしい武器を作り出す体系的なものを持たないまま、高度な文明を作り出した節があった。そのような彼らにとって、凶暴なモーロックに対する抵抗は、まさに絶望的なものであったに違いなかった。その中でも最強の武器は、恐らくは土木工事用に使われていたであろう爆薬とその起爆装置……それを扱う人々がいなくなってもなお、それは豊富な量を二人の前で誇ったのである。


 鷲津二曹が言った。


 「妙なもんですね。図書館に爆薬があるなんて……」

 「恐らくは、この街の住人たちが残していったのかもしれんな……彼らの武器として。あるいは――」


 ――自決の道具として……という言葉を、御子柴三佐は喉元まで出かかったところで抑えた。そして、彼らに残された時間もまた残り少なかった。


 獣人たちはいずれ、此処を嗅ぎつけて来るだろう。何故なら以前も、人間どもは此処から最後の抵抗を挑んできたからだ。連中に経験則というものがあれば、いずれは絶対に此処へと向かってくる。そしてこちらといえばまずは図書館で敵を迎え撃ち、そして出血を強いつつ徐々に後退し、ヘリ到着までの時間を稼ぐ。


 そして――


 後退の結果、広範囲より迫る敵を待ち伏せ、かつ迎えのヘリによる回収を期待できる場所――地図で図書館の周辺を見る限り、それが一箇所しかないことに鷲津二曹も気付くのに、それほど時間を要しなかった。最後の迎撃ポイント。それは――


 「――悪い冗談ですか? 御子柴三佐」

 「悪い冗談だろうな。敵にとっては……」


 と、御子柴三佐は悪戯っぽく眼で笑う。


 「(けだもの)どもに悪夢を見せてやるさ。飛びっきり最悪のな……」





 ――二時間後。


 モーロックの一群は、横方向に散開し、鬱蒼とした森の只中を進んでいた。


 あの小賢しい人間ども(ヒーロック)――モーロック達には、彼らが根城にし、潜んでいそうな場所について心当たりがあった。この森を抜けた先に在る巨大な白亜の建造物。その中に書物やら記録やら愚にも付かないものを詰め込んだ、外見だけ立派な取るに足らない「神殿」……遥かな昔、「種族解放戦争」で反乱軍たるモーロックに追い詰められたヒーロックどもは、そこを根城にモーロックの覇権に敢然と反旗を翻したのだ。


 ……だが、それは無駄な抵抗だった。


 連中は弱い――


 力に劣り――


 闘争を継続しようという意思に劣り――


 そして、団結力においても劣った――


 結果として、かつての主人たちは根こそぎ殺されるか、抵抗を止め進んで「家畜」となるかの、彼らにとっての最悪の選択を迫られることとなったのだ。それから後の時代になって、新しい主人となったモーロックの地に踏み込んだ人間もまた、大体に於いて同じ運命を辿った。


 ――だが現在、彼らがその行く先を追っている人間種は、これまで彼らの知る人間とは、明らかに様子が違っていた。


 「森が襲ってきた……!」


 侵入者を追跡中に彼らの襲撃を受け、瀕死の重傷を負った仲間は、死ぬ間際にそう言った。そこに重なる様に発見の相次いだ警備兵の死――その死者の何れもが、頭部や胸部といった急所を一撃で射抜かれて斃されている。殲滅した侵入者たちとは明らかに毛色の違う、得体の知れない何者かが、すでに旧市中心部に入りこんでいることの、それは何よりの表れだった。


 今度の侵入者は強い――


 やつらは銃の扱いに長け――


 気配を悟られぬまま進む術を持ち――


 気配を殺したまま敵に迫り、息の根を止める術を持つ――


 まったく――それまで知らない異質の敵。


 まったく――恐ろしい敵……!




 ――それらの思いが、獣人たちに前進の足を鈍らせていた。


 それらの思いとともに、人間の白亜の神殿に迫り、人間種が作った森を抜けようとしたそのとき――


 「――――!?」


 空を切る音――それは一条の弾丸の瞬きとなり、隊列の先頭を行く獣人の額から後頭部を貫通し、絶命させた。


 「敵襲――――うッ!!!!」


 散開するより早く、応戦の銃撃が始まっていた。自動小銃、機関銃の乱射――恐怖に対する反射的な攻撃衝動により紡がれた火と鉄の旋風が森を揺るがし、そこを住処としていた小鳥たちを舞上がらせ、そして弾幕の礫が白亜の壁に襲いかかった。


 「――――!?」


 応戦の最中、瞬時に頭頂部を吹き飛ばされ、昏倒する獣人が二名――それが始まりだった。「神殿」の白亜の何処からか撃ち出される射弾は正確に過ぎ、獣人を一匹、また一匹とその一閃で葬り去っていく――恐るべき狙撃手の数はおろかその所在すら探れないままに前進を強行した結果、「神殿」の敷地内に達する頃には、十数匹の獣人が森に斃れていた。それでもかなりの数の獣人が、森に面した「神殿」内部へと続く裏口のドアへと殺到する――


 「――――!!?」


 ドアノブに手を掛け、それを乱暴に開け放った直後に炎が生まれ、生じた炎は金属製の礫の矢を獣人たちに叩き付けた。即製の仕掛け爆弾――それは発火薬と数百のネジ釘から成り、一度点火すれば少ない火薬量で広範囲に渡り敵兵を殺傷する。それでも怯まず――あるいは獣らしい攻撃性から前進以外の選択肢しか考えられず――獣人の一群は同胞の屍を乗り越え館内に突入した。



 『――前方クリア! 鷲津二曹!……急げ!』


 64式小銃の銃口を、四方に巡らせつつ、御子柴三佐が叫んだ。いち早く狙撃位置から離脱し、走る二人はすでに一階正面玄関のロビーに達していた。正面玄関を出、そのまま直進すればその先は――


 一階の奥からコードリールを提げつつ、鷲津二曹が御子柴三佐の背後に付いた。そのまま二人は正面玄関を抜け、電線を引き摺りながらに白亜の図書館を抜けた。彼らが図書館に仕掛け、そして用意した罠の全てがその建物の中で入手した材料から成っていた。外に出て十分に距離を取り、かつ内部の気配が窺える位置に身を伏せたところで、御子柴三佐が鷲津二曹に言った。


 「よし……やれ!」


 捻るスウィッチ――


 直後――


 ズウウウゥゥゥ……ン――!!!!


 白亜の図書館を揺るがし、その根底から突き崩した震動が、まさに天の怒りであるようにそれを直接に引き起こした鷲津二曹には思われた。凡そ把握できる限りの主要な支柱に仕掛けた爆薬の連鎖は、神殿にも似た「知恵の館」の重量配分のバランスを完全に破壊し、爆発の衝撃以上にその自重によって館を破壊し、中のモーロックもろとも崩壊させたのである。それによって、一個中隊相当数の獣人が業火と崩落の中に呑み込まれて消えた。


 『――後退だ!』


 破壊を見届けるや、二人は素早く立ち上がった。事前に設定した最後の防衛線、それが彼らの俊足が向かう先であった。すでに放置され、草木に蹂躙されるがままに放っておかれた観覧車とメリーゴーランドに面した空地……それが、彼らが設定した最終防衛線であり、彼らが目指す最後の場所だった。


 『敷設しろ』


 と、御子柴三佐が鷲津二曹に爆薬の詰まった背嚢を放った。人間たちの最後の拠点となった図書館の地下に秘蔵されていたものを、持てるだけ持ってきた量だった。爆薬とネジ釘の袋、そして彼ら二人が破壊工作用に携帯していた手榴弾――それらを組み合わせて作った即製の「クレイモア」。その安全装置は手榴弾の安全ピンとそれに繋がれた糸で辛うじて支えられ、防衛ラインに侵入してきた敵が張られた糸を引っかけた途端、起爆装置で覚醒したそれは闖入者に対し牙を向くという仕掛けだった。


 二人が協働し、素早い手際で持てる全てを遊園地中に敷設し終えたその時――


 『――こちらセクション9、救出部隊の当該地点上空到達まであと20分! ホークアイ、それまで持ち堪えてくれ。送れ――』

 『――こちらホークアイ。全力を尽くす』


 それだけ言い、御子柴三佐は鷲津二曹を顧みた。


 『――これより我々は迎えの到着まで、各自の判断で敵を迎撃する。援護は期待するな』

 「はい。援護は期待しません!」

 『…………』


 御子柴三佐は苦笑した。顔こそギリースーツとマスクに覆われたままだったが、覆面から覗く眼差しが、そういう風に笑っていた。


 『だが生きろよ。おれも生きてやる』


 それが散開の合図だった。ともに距離を置き、それでも交互に援護できる遮蔽物の陰に隠れること10分――


 「――――!」


 一度消えた「群」の気配が急に生じ、そして慌ただしくなった。



 そして――


 空地へと続く広い道の角――


 その向こうから現れ、一斉に身を伏せて周囲を窺う獣人の一団――


 先程のトラップがよほど堪えたのか、彼らは慎重に前進し、距離を詰めて来る――


 『――まだだ……もう少し引きつけろ』


 御子柴三佐の指示を聞きながら、鷲津二曹は64式小銃を構え直した。


 照準鏡に入れる敵影――その背後に一匹、またもう一匹。


 当初は一個分隊に満たなかった獣人の数は、「遊園地」の入り口にさしかかる頃には、優に一個小隊分に匹敵していた。


 漲る闘志――


 『迎撃用意(ステンバーイ)――』

 「さあ、開園の時間だ……!」


 爆発――「遊園地」の横手に爆発を生じた「それ」は、罠に掛かった獣人を数匹単位で吹き飛ばし、金属片で切り刻んだ。それが戦闘開始の合図だった。


 「――――!」


 呼吸を止め、指揮官と思しき一匹の頭を撃つ――脳天を砕かれ、膝から崩れるようにして倒れる獣人。


 「敵襲ぅ――っ!!!」


 絶叫がこだまするや、即座の狙撃にさらに数匹の獣人の生命が奪われた。それに連鎖的な即製クレイモアの破裂が続いた。


 悲鳴――


 怒声――


 拡大する殺戮――


 「――――!」


 更なる狙撃――罠を掻い潜り距離を詰めた獣人の胸板を貫き、一発で昏倒させる。


 『位置を移動しろ! 狙われるぞ!』


 御子柴三佐の声――それを聞くまでも無かった。御子柴三佐の狙撃間隔はあまりに早く、そして無駄がない。迫り来る獣人を狙撃銃で文字通りに薙ぎ倒している。


 藪に紛れ、背を屈めて疾駆――


 身を掠め、あるいは至近を突っ切る銃弾の唸り――その数は多く、機銃を乱射する敵の圧力が尋常ならぬ一方で、獣人がこちらの正確な位置を把握していないことを示していた。


 狙撃位置を変え、再び狙撃――


 「――――!」


 ヘッドショット!――額を貫かれ、後頭部より肉片と鮮血を噴き出し斃れる獣人。


 狙撃――

 狙撃――

 装填――

 狙撃――

 爆発――吹き飛ばされる獣人。


 狙いを付けるのに困らないほど敵の数は多く、そして二人は敵の接近を許してはならない立場に身を置いている。それでも敵は、徐々に、だが確実に「遊園地内へ浸透を始めていた。狙撃と位置移動を繰り返しつつ、鷲津二曹は無線機に声を上げた。


 「救出部隊、早く来てくれ! 敵多数接近中! これ以上もたない!」

 『――われ当該地域上空。ホークアイ、信号を感知した。これよりそちらへ向かう!』


 発火――

 爆発――

 銃声――

 悲鳴――


 交叉する銃火と爆発するトラップ、それらに捕らえられ瀕死の獣人の上げる絶叫の充ちるかつての楽園の只中で、鷲津二曹は奇怪な影が敷地の外より疾駆して来るのを見た。


 「犬――!」


 野犬だった。それも複数。狼という表現では到底追いつかないほど巨大で発達した体躯のそれらは、一群を為し此方へ向かって来る――!


 「――――!」


 傷付き、地面に呻吟する獣人に飛掛り、その肉に喰らい付く野犬――


 獣人の断末魔の絶叫――


 彼らは察知したのだった。硝煙と鮮血の匂いから、この場に絶好の餌場が出現したことを――それに気付き愕然とした一方で、獣人のそれとは明らかに異質な影が複数、その場に紛れ込んだことに鷲津二曹は気付かなかった。


 『鷲津――!』

 「――――!?」


 狙撃地点からいきなりに突進し、御子柴三佐が鷲津二曹を押し倒した。直後に生じた着弾の衝撃――


 「――――!!?」


 全身を駆け巡る烈しい痛み――


 それに耐え、目を開け上体を起こす――


 「御子柴三佐――!!」


 その場にうつ伏せに倒れ、動く気配すら感じさせない御子柴三佐の姿に、戦慄を覚えないわけがなかった。動揺を隠せないまま傍へ寄り、鷲津二曹は御子柴三佐の上体を起こすようにした。


 『……生きてるか? 二曹?』

 「三佐……!」

 『……どうやら左足をやられたようだ。身体を支えてくれるか?』


 上体を支えたまま頷き、鷲津二曹は周囲を見回した。粗暴で間抜けな獣人たちは相変わらず、こちらの正確な位置を掴めないでいるように見えた。だが、連中とは打って変わり、片手にハンドガンを持った長大な赤いコートの男が、彼の取巻きと共に遠方から無言のまま此方を凝視していることに気付いた時、鷲津二曹は先刻とはまったく趣の違う戦慄に囚われた自己を覚えた。


 「…………!」


 あの青年士官の襲撃対象は、確かあいつではなかったか!……戦慄の赴くまま眼差しを凍らせた鷲津二曹の眼前で、赤いコートの男は淡々と長大なハンドガンの装填にかかっていた。太い銃身を中程で折り、そしてコートのポケットから弾丸を取り出し、詰め込む――


 擲弾(グレネード)――!


 弾丸の太さ、そして長さからすぐにそうと判った――


 もしあれをまともに食らっていれば、おれは今頃――


 弾丸が籠められ、持ち上げる反動で延ばされる銃身――片手で扱うのに相当の腕力と修練を要するであろう凶悪なそれは、再び此方に向けられた。


 「――――!」


 そのとき――


 爆音――


 重量感ある何かが迫る気配が、周辺の空気を震わせる――


 「…………!!?」


 右往左往する獣人――


 「――――!?」


 赤いコートの男が、背後を顧みる――


 「――――!」


 MH-53J(ベイブ‐ロウ)――直観と共に見上げた対象の正体と、抱いた予感はともに正しかった。


 任務を終えた二人を「回収」すべく作戦地域上空に進出したMH-53J「ベイブ‐ロウ」特殊作戦支援機は、救難信号を感知し、搭載する下方監視赤外線(DLIR)で二人の姿を見出すや即座に着陸態勢に入ってきたのだ。




 海上自衛隊のCH-53E掃海/輸送ヘリコプターを特殊作戦専用に改造したこの特別仕様の機は、その積み荷たる特殊作戦要員を支援するためのあらゆる機能を持たされている。それはまた一面では、積み荷の「回収」作業を妨害するあらゆる障害を「排除」する機能とも言えた。具体的にはMH-53Jは両側面のパイロンにロケット弾ポッドを搭載し、機体側面の銃座に7.62㎜ミニガン、機体後部の物資積載用ランプドアに96式40㎜自動擲弾銃発射機を搭載している。それは空に対する対処法を持たず、重火器にも乏しい獣人たちにとっては、まさに死神の到来を意味した。


 『――こちらベルダンディ! 待たせたな。今拾ってやる』


 操縦士の弾んだ声――烈しく瞬く両翼。


 吐き出されたロケット弾の矢束――それは着弾するや「遊園地」の真っ只中に展開を果たしたばかりの獣人の群、野犬の群を炎の壁で吹き飛ばした。同時に生じた爆風に、赤いコートの男たちの挙動が乱れるのを鷲津二曹は見た。


 『克己!』と、御子柴三佐が男を指差した。


 「――――!」


 あいつを撃て!――御子柴三佐の意思を汲むや、巡る視線は地面に落とした64式小銃を捉える。躊躇は無かった。


 「――――!」


 隙を見て迫る獣人――


 御子柴三佐がUSPを引き抜き撃つ、撃つ、撃つ!――昏倒する獣人。


 その援護を受け、鷲津二曹は拾い上げた64式小銃を構える――


 照準鏡に捉えた赤いコート――


 照星が、男の顔面に重なった――


 前方に向き直る、赤いコートの眼光――


 「――――!」


 止める呼吸――


 同時に交叉する、撃つ側と撃たれる側の視線――


 飲み込む闘志――躊躇うな、撃て!


 引鉄を引く――命中!


 噴き出す鮮血――


 顔面を殴られたように仰け反り、直後に血を噴き出しつつその場に倒れ込む赤いコート――


 直後に間を割るようにMH-53Jが着陸し、二人と彼らは完全に別たれた。それが切欠だった。


 「――――!」


 鷲津二曹は御子柴三佐を抱え上げた。肩と背で彼の全体重を支え、そして脱兎の如くヘリへと向かう。MH-53Jの後部からは一個分隊相当数の特戦群隊員が駆け降りるや一斉にヘリの周囲に展開し、M4カービンライフルを翻し、なおも迫り来る獣人たちに応戦を始めていた。


 「――こちらアルファ、二人を確認。こちらへ向かって来る」

 「――各員援護しろ!」


 特戦群の射撃は正確だった。態勢を整える暇すら与えられず、一匹、また一匹と制圧されていく獣人の群――再び勢いを取り戻した殺戮の巷を掻い潜りつつ、鷲津二曹は駆け抜け、そのままヘリの内部へと駆け込んだ。


 「こちらアルファ! 二人を回収した」

 『――ベルダンディ、離陸する!』


 外に展開していた特戦群が一斉にランプ口に寄った。相互に援護しつつ一人、また一人とヘリの機内へと退()く。最後から二人目が機内に退く間際、なおも応戦する最後の一人の肩を叩き後退を促す。


 最後の一人が退いた直後、後部の擲弾銃座に取り付いた機上整備員が機外に向け銃を乱射し始めた。擲弾銃の威力は大きい、ヘリに接近することはおろか応戦すらままならず斃され、擲弾の爆風に弾き飛ばされる獣人――


 機内に在りながら、M4カービンとMINIMIの一斉射撃で銃手を援護する特戦群――


 それでも、交差する弾幕はMH-53Jの重厚な機体にまでその魔手を延ばし始める――


 飛び散る火花――


 重厚な爆音――MH-53Jは急速に浮上し、そして完全に追撃を振り切った。


 『――ベルダンディ、任務完了。これより帰投する!』






 空を征く現在を司る女神(ベルダンディ)――


 ランプドアから流れゆく眼下の地上――


 ――再び戦場と化した「遊園地」は、今や侵略者たちの墓標となった。


 ――かつて二人が狙撃ポイントとしたビルは、未だ黒煙を燻らせている。


 ――ビルの谷間。


 ――青年士官による襲撃が行われた場所には、増援と思しき禍々しい隊列が続々と集結し、遊園地の方向へと向かいつつあった。


 「…………」


 開け放たれた後部口より、流れゆく地上の風景を、鷲津二曹は噛み締めるように眺めていた。眼下の風景……それは文明の崩壊したこの土地の現実であり、来訪者たる彼らの行動によって生じた光景でもあった。


 彼らは課せられた任務を果たした。


 だが――此処から生きて出られない人間の、何と多いことか……!


 「……落とし前は、付けたか?」


 不意に背後から呼び掛けられ、鷲津二曹ははっとして顧みた。座席に腰を下ろした御子柴三佐が、硬い微笑とともにこちらを見詰めていた。


 「ええ……やつは()りましたよ」

 「それは何よりだ」


 ――思い出したように緩む、鷲津二曹の眼差し。


 「あんたって人は……」


 御子柴三佐は、黙って手を振った。


 「おれは、観測手の仕事を全うしたまでさ。狙撃手を最後まで援護するという、当然の仕事をな……」

 「…………」

 「見ろ……もうじき日が暮れる――」


 思い出したように、鷲津二曹の眼差しは街の彼方へと注ぐ。彼の視線の先で、赤く染まった日はその下弦の大半を地上と空の境界へ埋めようとしていた――その赤は、今日までこの地で流され続けた血の色――


 「…………」


 ……無言で、鷲津二曹はペンダントを取り出した。開かれた内側で、永遠に微笑を浮かべる美しい女性の像――鷲津二曹は思った。何時の日かこの女性に、かつて彼女を心から愛した男の記憶を、届けることのできる日は来るのだろうか?……と。




 ヘリはさらに高度を上げ、廃墟の街に回収し切れない多くを置き去りにしたまま、帰路へと向かって行った――










とある共和政国家 基準表示時刻10月20日 午前10時12分 共和国国防軍最高司令部




 その国で、最も権威ある国家機関の、奥まった一室――


 かつて部屋の主が仕留めた大鷲の剥製が、組織の最高権力者の主と報告に訪れた将官との会話を無機質な眼光もそのままに見詰めている。


 「サドレアス大佐は死にました……ということは、我らを脅かす懸案は一応片付いたということになりますな」

 「あの男は純粋に過ぎた。いい加減軍から身を引いて父祖の残した資産で貴族らしい生活に戻ればよかったものを……余計な正義感の発露は、碌な結果しか残さぬ」


 そう言って、(あるじ)は椅子を廻らせ、薄いカーテンに閉じられた窓へ向け視線を逸らした。わざとらしい仕草――だが初老に達しても気品の良さを漂わせる主のそれは、赤を基調とした軍服も相まって極めて優雅な動作に見えた。


 主の言葉に同意を示し、恐縮しつつ将官は続けた。


 「遺した……といえばサドレアスには妻がいましたな。それも美しく賢い――」

 「悲しみには応えてやるさ。盛大な軍葬と故人に対する称賛を以て……な」

 「ドクグラム閣下。そのサドレアスの件ですが……」

 「…………?」

 「死因は、どうなさいます? まさかあそこで味方に殺されたとは言えますまい」

 「ロークランドでノルラント軍と交戦中に死亡……名誉の戦死、ということにしておけばよい。手はこちらで打つ」


 将官の顔に浮かぶ驚愕の色――


 「それはまた……サドレアスは死して5000リークもの長旅を成し遂げたということですかな」

 「『失われた世界(ロストウェルト)』の件は我ら軍部でも私を含め限られた人間しか知らぬ。元老院に至っては皆無だ……まさかあんな野獣どもの培養所と大量殺戮兵器の実験場とを兼ねた場所の存在を、他者に明かすわけにはいくまい」


 両者の間に流れる微妙な沈黙、新たな話題を切り出すタイミングを計っていた将官の機先を制するようにして、主は言った。


 「ところで、サドレアス……奴が残した特務作戦……いや特殊工作部隊だが、あの件は破棄でいいのだな?」

 「特務機関(ナガル)との兼ね合いもありますし、軍中央から独立し過ぎた部隊の存在はあまり望ましくありません。サドレアス個人及び、やつの『特務部隊』には当初からその傾向がありました。それは閣下もご存じの筈です」

 「戦争に個人は要らぬ……か」

 「その通りで御座います。ドクグラム大将閣下」


 「大将閣下」と呼ばれた主は、嘆息する。だがその口元には皮肉っぽい微笑が浮かんでいた。


 「だが、可哀想な男だ……全てが我らの掌の内に在ったとは知らずにやつは死んだ。我らとガーライルが裏で繋がっていたとは、いかに俊英なあの男でも想像すらできなかっただろう」

 「ですから、今回の任務は失敗したのです。ガーライル暗殺作戦は……ね」


 主は短く笑い、言った。


 「それで――」

 「…………?」

 「ガーライルを殺し損ねたのは、何者だ?」

 「詳細は判り兼ねますが、現地からの報告では極めて高度かつ専門的な訓練を受けた。精強な破壊工作員……と、いうことですが」

 「あの野獣どもの巣に気配すら悟らせぬまま忍び込み、あまつさえ突破したのだ。相応の戦闘訓練を積んでいるのだろう。それだけの軍事教育を兵士に与えられるだけの力を持った国となると……我らが与り知らぬ強国が、この世界には未だ在るのであろうな」

 「ドクグラム閣下におかれましては、慧眼でいらっしゃいますな」

 「ガーライルは、今どうしている?」

 「彼なら今……」


 返答に窮した腹心を、ドクグラムは獲物を見出した蛇のような眼差しで睨んだ。


 「私が代わりに答えてやろう。彼はサドレアス追撃中に何者かに顔面を狙撃され、現在アダロネス国防軍病院で治療中……であろう?」

 「ハッ……!」


 報告が遅れたことに低頭した将官を、主は手を上げ窘めるようにした。




 主は腰を上げた。窓辺に寄り、カーテンを開く。それまで薄いカーテンの向こうにはち切れんばかりに迫っていた陽光が、その重厚な基調の部屋を照らし出し、秋中の静寂の内に話の終わりを告げた。


 「つくづく……ルーガ‐ラ‐ナードラには悪いことをしたな」

 「噂によれば、彼女は近い将来共和国外交安全保障委員会のメンバーに加えられるとか……」

 「祖父の威光……に拠っていないとは言えぬであろうが、あれはあれで中々よくやっている。だが……」


 主――ドクグラムの口元に、先程とは明らかに趣の異なる冷たい微笑が宿った。


 「なるべく良人の轍は踏んで欲しくないものではあるな……」


 窓より見下ろす広大な前庭――この国が新たに国外で起こす戦争の前準備は、首都警備部隊の行進訓練という形で、前線から遥かな後方に位置する此処にも及んでいる。そしてこの部屋にいる彼らが取り組むべき懸案は、つい先刻の話題以外にも山積していたのであった。




 ――それから三日後、共和国外交安全保障委員会は、共和国の生存と民族の生存権を著しく脅かす存在として新たな主敵を設定する。それまで、ごく一部の関係者や専門家にしか名を知られることの無かった、東方遥か彼方に位置するその島国は、名を「ニホン」と言った。








Into The Bush 終


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ