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第二章:「Into The Bush 前編」





 「――おれが未だ駆け出しだった頃、ちょっとした汚れ仕事をしたことがあってな……あの頃おれは当時三佐だった御子柴一佐の指揮下にあって、ともに『失われた世界(ロストウェルト)』への潜入を命じられた。


 『失われた世界(ロストウェルト)』――誰も踏み入らない、神にも悪魔にも見放された土地……あそこはまるで野獣どものクリスマスセールさ、思い返しただけで胸糞が悪くなる。


 ……だが、いま思えばそれが、全ての始まりだったのかもしれない――」













北方世界基準表示時刻10月14日 午前10時25分 「失われた世界(ロストウェルト)




 乾いた風が、緊張に馴れたばかりの身には心地よい。


 枯草の海は見渡す限りに拡がり、その辺縁で鬱蒼とした森と同化していた。


 早朝――当該地域上空に到達した特殊作戦専用のMH-53EJ輸送ヘリから、高高度低開傘(HALO)で侵入を果たし、そこから歩くこと四時間――眼前に広がる草原が、自分がこれから身を潜め、任務を果たすことになる地の、ほんの入り口に過ぎないことを、鷲津克己 二等陸曹は嫌というほど知っている筈であった。


 「…………」


 今の彼自身の姿を、鷲津二曹はさり気無く見回すようにした。そして外見だけなら明らかに「人ならざる者」に変わり果てた現在の自分自身に、鷲津二曹としては苦笑を覚えるしかない。


 あたかも体毛のように全身を覆う、特殊繊維製の襤褸布の上に、無数の小枝や葉を張り付けた偽装服(ギリースーツ)――当該地域の植生を考慮して作られた特別製のそれが、周囲の風景に融け込んだとき、例え至近距離であっても彼を肉眼で識別できる敵兵などまず皆無であるはずだ。それほどまでに完成度の高い偽装服は、今回鷲津二曹と彼の上官とが課せられた秘密任務に、うってつけの装備と言えた。


 狙撃用スコープと消音器(サプレッサー)を装着し、さらに銃床から銃身の尖端に至るまで迷彩塗装を施した専用の64式小銃を構えながら、鷲津二曹は草原へ一歩を踏み出す――




 そのとき――


 ガガガッ……ガガッ!


 「――――!?」


 ガイガーカウンター ――周辺に拡散した放射能を感知するそれは、鷲津二曹が踏み入ろうとした土地に充満する最悪の邪気を感じ取り、そして持ち主に報せてくれたのだった。


 『――放射能の量が多いな。回り道をした方が良さそうだ』


 骨伝導(DB)式のイヤホンから声がした。直後、それまで草原の一部であった筈の地表がいきなりに盛り上がり、そのまま人型となって浮かび上がる様にして立ち上がるのに、一秒も要しなかった。鷲津二曹と同じく、照準鏡を装着した64式小銃を構えながらに、その地表を切り取ったような人型は鷲津二曹を顧み、手招きをした。


 『――付いて来い。姿勢を低く』


 姿勢を下げ、鷲津二曹は走り出した。先頭を行く偽装服(ギリースーツ)の歩行速度は速く、鷲津二曹の若く、鍛え上げられた身体でも追随に労苦を強いられた。走る内に、ガイガーカウンターの耳障りな音が徐々に遠ざかり、そして周囲に溶ける様にして消えた。


 『――気をつけろ。この辺りは放射能汚染区域だ。深入りすると命を落とすことになる』


 御子柴 (ただし)――前を行く男の名を、鷲津二曹は脳裏で反芻するようにした。階級は三等陸佐、彼と鷲津二曹の所属する陸上自衛隊最強の特殊部隊、特殊作戦群(SFGp)では、彼の決して表に語られぬ経歴と活躍ぶりは、もはや伝説の域に達している。




 「転移」前、日本を取り巻く世界情勢の混乱に乗じ――あるいは混乱を収拾し国内を糾合する唯一の途として――その内外より日本へ侵略的な浸透を始めた「特定アジア」諸国に対峙する、「影の部隊(シャドウ‐フロント)」の第一線に、常に彼の姿はあった。国外よりの明確なる領域侵犯、国内の破壊工作、諜報活動……それらを繰り返す敵性勢力より日本を防衛し、あるいは敵を排除するためのあらゆる作戦に彼は参加し、嚇々たる戦果を上げたものだ。かつて、過酷な選抜訓練を克服し、発足間もない特戦群に入隊を果たした当初は医大出の「変種」扱いされていたこの男は、「転移」後の現在では、今や日本の特殊作戦の第一人者的な存在となっていた。だが、それらが表沙汰になることがないのが、特殊部隊という兵種の宿命であって、この時期、特殊部隊隊員としての経験は決して長い訳ではなかった鷲津二曹もまた、それを粛々と受け容れていたのだった。




 ――その御子柴三佐が、不意に手を上げた。


 『――止まれ(スタンバイ)


 反射的に、鷲津二曹も64式小銃を構え直す。御子柴三佐の言葉は続いた。


 『――接敵(コンタクト)、前方に歩哨……二匹(・・)

 「…………」


 言われるがまま、鷲津二曹は前方へと目を凝らした。そして驚くまいとして失敗した。


 嘘……だろ?


 ――丈の高い枯草の茂みからそれを目にした当初は、単なる人影だと思った。


 ――だがそうではないことに気付いたのは、その直後のことだった。


 そいつは、猿とも豚とも区別のつかない、獣の顔を持っていた。


 頭から顎、首にかけて強い剛毛がびっしりと覆い、その体躯こそ戦闘服らしき作業着に包まれてはいたが、異様なまでの筋肉の盛り上がりを、その輪郭の内に示していた。鷲津二曹はその姿に、少年の頃に読んだファンタジー小説に出てくる悪鬼(オーク)を連想した。


 ……だが、そいつが手にしているのは斧や棍棒ではなく、紛れもない自動小銃――


 どうなってるんだ……?


 『――野獣人(モーロック)だ。隣国の連中はそう言っている』と御子柴三佐が言った。


 『――あいつらの膂力は人間の倍はある。格闘で勝とうなんて馬鹿なことは考えるな。倒すには銃を使うしかない』


 二人は、小銃を同時に装填した。御子柴三佐が続けた。


 『――低い姿勢のまま、ゆっくりと近づけ。大丈夫、このギリースーツなら絶対に怪しまれない』

 「()るんですか?」


 今更とは思ったが、鷲津二曹にしてみれば問うしかなかった。


 『――大丈夫、あいつらは馬鹿力でも、脳味噌は猿以下だ。それに……』

 「それに……?」

 『――人間じゃないものを撃ったって、罪にはならん』


 何かを言おうとした鷲津二曹を、御子柴三佐は「散開」の手信号を示して制した。


 『――片方が目を離している隙に、もう片方を殺れ』


 一時目を瞑り、そして鷲津二曹はさらに姿勢を低くしたまま草原を分け入った。距離を置き隣を進んでいる筈の御子柴三佐の姿は、もはや枯草の只中に融け込み、完全に見えなくなっていた。




 狙撃位置に就く――


 照準鏡を覗く――


 眼前に入る、二匹の獣人(モーロック)の姿――


 確かに……人間とは思えない。動物か何かに見えた。


 「――――」


 思わず漏れる吐息――


 互いに話をしていた二匹が、照準鏡で見守る内、立ち話を止め異なる方向へ向け歩き出す。


 その内の一匹――


 そいつの側頭部を照準に捉えたまま、引鉄の遊びを引く。


 「――――!」


 息を止める――照準鏡のブレを止める。


 引鉄を引く――


 ガンッ――!


 機関部から伝わる金属の響き――消音器(サプレッサー)は、64式小銃の射撃音を完全に抑えた。


 「――――!?」


 命中――頭部から血を噴き出し、声を上げることもできず昏倒する獣人――


 更なる射撃音――仲間の異変に気付くまでもなく、もう一匹も草原の中で斃される。御子柴三佐の指示と狙撃は的確だった。二匹とも、恐らく自分の身に何が起こったのか知る由もなかったろう。


 「目標排除(ターゲットダウン)


 そのまま進み、草原を抜けた先。気が付けば御子柴三佐もまた、鷲津二曹と並んで草原を抜けていた。


 『――始末したな』


 小走りに進みながらも、遠巻きに獣人の死体を見守るようにする鷲津二曹。同じく、獣人の死体を無感動に見つめる御子柴三佐が言った。


 『……よい夢を。行こう』


 前方に、家屋らしきものが見えた。






 身を屈め、あるいは匍匐前進で進み。新たな草原に分け入りつつ家屋に近付く内、異変を覚えたのは鷲津二曹だけではなかった。


 『――何だ。この臭いは……?』


 鉄分と肉の腐敗臭を含んだ、かつ何か甘ったるい臭い――それが何かを鷲津二曹はこれまでの経験から知っているような気がしたが、距離を詰めるにつれてそれが確信に変わってもなお、半信半疑でいたのだった。それでも臭いの源たる家屋に迫るにつれ、認めたくない予感は、いよいよその事実なることを鷲津二曹の鼻先に突き付けて来る。


 そのとき、御子柴三佐が言った。


 『――止まれ』

 「三佐、この臭い……まさか……!」

 『シィ――』


 人差し指を立て、御子柴三佐は鷲津二曹を制した。そして続けた。


 『――裏に回った方が良さそうだな』


 そして立ち上がり、小走りに進みだした。不承……鷲津二曹も続く。そのまま二人は、窓越しに屋内を覗える位置にまで家屋に迫った。屋内は見た目よりも広く、そして造りはいい。


 『――屋内に敵四名……言っておくが、変な考えは起こすなよ』


 屋内で交わされる、聞き取れない濁声の会話――そのとき、嫌な臭いの元が、隣接する小屋であることに鷲津二曹は気付いた。そして安全に彼らが進める路は、その傍にしかなかった。角の向かい側を確かめつつ、不機嫌そうに御子柴三佐が呟いた。


 『――前路クリア、仕方がないか……』


 そして続けた。


 『――いいか……これから見る物は、全て忘れろ。おれも忘れる。それが二人のためでもある』

 「…………?」

 『――返事は?』

 「……了解」

 『――よし、行こう』


 何がある?――歩きながら、鷲津二曹は訝しむ。


 壁越しに歩を進め、角に達したそのとき――


 「――――!!?」


 鉄製の太い鉤で吊り下げられていた何かの塊を目にし、鷲津二曹は危うく動きを止めそうになる。


 枝肉――?


 手足をもがれ、真っ二つにされた何かの肉塊――その輪郭には見覚えがあった。そして肉塊は一つではなく、数えるのすら嫌悪感を覚えるほど無数に吊るされている。


 ――人肉……だと!?


 『――走れ!……止まるな……!』


 御子柴三佐が言った。それが鷲津二曹に走る意思を与えた。家屋から離れ、藁を積み上げた荷車の陰に滑り込み、そして御子柴三佐は再び周囲を確認する。


 『――よし……見付かってはいないな』

 「待ってください三佐、あれは何だったんですか? あれは……!」

 『…………』


 無言のまま、御子柴三佐は別の小屋を指差した。小屋というよりそれは、厩舎といった表現を使った方がいいのかも知れなかった。その中で身体を折り、息を潜める何かを見出し、鷲津二曹は再び我が目を疑う。


 「人……間?」


 人間だった。紛れもない、裸の人間――それも多数。


 体毛を剃られたそれは、辛うじて男女であることを明確にできるのは身体の輪郭のみ。


 そして――身体の各所に捺された記号、それが日本では牛や豚に対し為される焼印であることに鷲津二曹が気付いた時。


 「――――!」


 不意に立ち上がり掛けた鷲津二曹の腕を、御子柴三佐はがっしりと掴んだ。傍目には人並みの体躯で、かつ美形に属する容姿からは想像できぬ、強い力であった。


 『――何をする気だ?』

 「助けます……!」

 『――助けて……任務はどうする?』

 「それは……」

 『――あれは家畜だ……連中にとってのな』


 鷲津二曹にというより、自らの内面に言い聞かせるように、御子柴三佐は言った。


 『――この世界は、人間だけが主人じゃないってことさ……』

 「ですが……!」

 『――国の方針を忘れたか? おれたちは、自衛官だぞ』


 他国、異文化圏への政治的不干渉――それが「転移」以来の日本の外交方針であり、自衛隊の国外での行動指針であることぐらい、鷲津二曹もまた、教育隊の段階で嫌という程に叩き込まれている。それでも……眼前の光景は若い鷲津二曹にとってあまりに衝撃的に過ぎ、想像を超えていた。


 御子柴三佐が言った。


 『――救おうとしたって無駄だ。以前おれも試したが駄目だった。あいつらにはもはや知性も何も無い。家畜であり、奴らの与える餌を食い、奴らに食われることがあいつらにとっての人生の全てなんだ。この地も、かつては人間が支配する国だったそうだが……それも今では……』

 「…………」

 『――前方クリア、行くぞ』


 歩を進めながら、鷲津二曹は思う。


 充満する放射能――


 支配者たる獣人――

 家畜として扱われる人間――


 ――此処で、一体何が起こったっていうんだ……!?




 


 二人は、さらに奥へと歩を進める――


 『――止まれ、車の傍に敵だ』


 車――そう表現するにはその物体はあまりにも原型を崩し、無数の醜い蔦に覆われていた。それに、鷲津二曹は純粋な感銘を覚えた。


 この地にも、かつては車があった?――


 そして、車を走らせていたのは――


 あの不愉快な家屋を離れ、丈の高い草叢に伏せて潜みつつ、御子柴三佐の言葉は続いた。


 『――排除するか、やり過ごすか、お前が決めろ』


 言われる前から、64式小銃の引鉄はすでに掌中に在った。


 「殺します」

 『……オーケー、おれは左のやつを殺る』


 照準鏡を覗き、車の傍に立つオークの頭を中心に捉える。


 「――――!」


 止める呼吸――


 引く引鉄――抑制された機関の響き。


 異なる狙撃地点より同時に飛び出した弾丸は、ほぼ同時に二匹の脳天を捉え、四散させた。


 『――排除完了(ターゲットダウン)……前へ、音を立てるな』


 前方に柵が見えた。それを鮮やかな手際で飛び越え、二人は丈の低い枯草に覆われた一帯を駆け抜ける。その先に、再び廃屋――


 『――空家だ……誰もいない』


 それでも、御子柴三佐は銃を構えたまま忍び寄り、ドアの無い屋内を覗き込むようにした。完全に無人なのを確かめ、後方を警戒する鷲津二曹に入るよう手招きする。家に仕切りは無く、使われなくなってかなりの刻が経過しているように思われた。




 そのとき――


 爆音?――空から?


 聞き覚えのある音に思えたが、それは少し違った。鷲津二曹は割れ窓の陰から空を窺い、そして我が目を疑った。


 『――敵のヘリだ。伏せろ……!』


 御子柴三佐が言った。壁の陰に伏せつつ、鷲津二曹の眼は低空で廃屋のすぐ頭上を航過する機影に注がれる。細いテール、楕円状のキャビンを持つヘリの速度は緩慢で、それが上空に差し掛かるにつれ、決して健全とはいえない造りの廃屋は不快なまでに震え続けるのだった。そして黄土色に迷彩されたその機体に映える国籍マークのような紋章に、鷲津二曹は思わず目を凝らす――


 ――赤い……(さそり)


 「…………」


 鷲津二曹は思った――あのヘリは、やはり先刻の獣人が操縦しているのだろうか?


 旋回を終えたヘリが徐々に遠ざかり、そして不快な爆音も空の向こうに消えた。御子柴三佐が立ち上がり、言った。


 『――よし、行こう』


 二人は廃屋を抜け、さらに駆けだした。






 なだらかな丘に達し、それを乗り越える。


 風が吹く度、微量な放射能を拾ったガイガーカウンターが不快な間奏曲を奏で、それが二人の胸中を苛立たせた。


 丘を降りた直後、唐突に、前方を行く御子柴三佐が叫んだ。


 『――伏せろ。早く……!』

 「――――!?」


 伏せた理由は、すぐに判った。身を伏せた全身に、地面を伝わって感じられるのと同じ種類の重い響きを、鷲津二曹は日本の演習場で感じたことがあった。


 戦車――――?


 ゆっくりと顔を上げ、そこで鷲津二曹の表情は固まった。




 ――――!?


 機甲部隊……だと?


 横一線に拡がり、緩慢な速度で草原を進む装甲兵員輸送車、それにつき従うようにして進む獣人(モーロック)の一団――遠方から近付いてくるその集団の姿を捉えた瞬間、鷲津二曹は我が目を疑った。


 まさに、装甲車両に随伴する歩兵――


 そして――


 連中が持ち、そして操っているのは紛れもない近代兵器――


 連中は、自らの力でこれらを作り、運用しているというのか……?


 それとも……




 御子柴三佐の指示が飛んだ。


 『――落ち着け……敵が多すぎる。このままやり過ごそう。発砲せずずっと伏せているんだ』

 「…………」


 言われたとおり、鷲津二曹は伏せながらに身を屈めるようにした。


 確かに、御子柴三佐の判断は正しい――


 それに、もう立って逃げられる距離ではない――


 高鳴る地響き――


 ともすれば、獣人(モーロック)の粗い息遣いすら聞こえるように思える――


 『――相手の動きを読め……移動する時はゆっくりと慎重に……焦るな』


 足音――歩兵戦闘車の速度に合わせたそれは悠然とし、強力な兵器を(とも)にした獣人たちに、余裕すら与えているように思われた。


 眼前に迫る車体――


 伏せた身体の、すぐ傍を通過する無限軌道の軋み――


 同じく、談笑しながら鼻先を通り過ぎる獣人の兵士たち――


 草を踏みしめる足音は、もはや地を揺るがす振動としても感じられる――


 緊張――不快な、心臓を握り潰すかのような響きを、息を潜めて耐える。


 そして伏せながらも、鷲津二曹の眼は装甲車の緑色の一点、先刻のヘリと同じく車体に(しる)された紋章に目を奪われる――そこにはやはり、先刻のヘリと同じくあの赤い蠍の紋章が、装甲車の車体を飾っていた。


 『――安心しろ……居ないものは探せない。だから気配を殺している限り俺たちは見つからない』


 御子柴三佐の言葉は正論だった。偽装服に身を包んでいる限り、そしてこちらの潜入が連中に周知されていない限り、こちらが連中に視認されることはまずない。喩え物理的には見えていても、予めそれがいると認識されない限り見えないのだ。


 横に拡がった隊列の過半が後方へと過ぎ去り、一帯に散りつつ前進する彼らの気配が薄れかけたとき、御子柴三佐は言った。


 『――よし……このまま前進しよう。ゆっくりと、慎重に……』




 匍匐――ゆっくりと、地面を手繰る様に這う。


 二、三回続けて止まり、息を殺す――


 そしてさらに二、三回――


 時間を掛け、相対的に彼我の距離は擦れ違うようにして離れ、そして二人は完全に隊列の真っ只中から抜け出した。


 御子柴三佐が立ち上がった。鷲津二曹も続き、そして後方を警戒する。振り向き様に銃を構えた後背で、獣人の隊列はもはや肉眼ではその詳細を確認しようもない長距離にまで遠ざかっていた。


 御子柴三佐が言った。


 『――ついて来い。駆け足……!』


 先は、再び丘陵――それを越え、駆け降りた直後、後背の脅威は消えた。


 『――あれは……何かを探しているような素振りだった。おれたち以外の何かをな』

 「何ですって……?」


 顔を覆うマスクの下で、御子柴三佐は笑った。


 『……まあ、好都合だ。却っておれ達の仕事がし易くなる』


 




 枯野――その只中で山を成す廃材に、鷲津二曹は我が目を奪われる。


 『――距離を取れ、周辺の警戒を厳に』


 言われるまでも無かった。周囲には身を隠す場所が数多くある。こちらにとっても、あるいは敵にとっても――


 廃材だけではなかった。かつては自動車であったかもしれない廃材、家電であったらしき鉄屑、元の姿すら想像できない何か……それらの形成する山を避けて迂回し、あるいは谷を越え、二人は相互に援護しつつ開けた場所を覗える一角に辿り付く――


 『前方、敵兵二名……いや、三名』

 「――――!」


 航空機?……三匹の獣人が焚火をしている背後には、かつてはそうであったらしき胴体が、その朽ち果てた姿を横たえていた。そして焚火にあぶられる何かを見出した瞬間、鷲津二曹は再びその光景に目を奪われる。


 手……?


 焚火の傍に突き立てられた、串刺しにされたその肉の塊が、かつては人間の手であり、足であったものであるのに気付いた瞬間、鷲津二曹は小銃を握る手に力が籠るのを感じた。御子柴三佐が鷲津二曹の肩を叩き、言った。


 『――もっと良い位置に移動しよう』

 「了解」

 『――見張りに知られることなく始末するのは難しいが、しかし排除せずに進むのはもっと困難だ。お前に任せる』


 意思はすでに決まっていた。腰を上げるや、鷲津二曹は音を立てないよう草原に出た。廃材の影まで這って進み、そこで64式小銃を構える。気配を感取られた兆候は、なかった。照準鏡を覗き、一息で人肉の串に手を伸ばした獣人をその中心に捉えたそのとき、御子柴の指示が飛んだ。


 『――そこの二匹はおれに任せろ。おれが位置に付くまで待て』


 そして……数秒。


 『――いいぞ……タイミングはお前に任せる』

 「――――!」


 狙撃――――放たれた弾丸は直後に、肉串に齧り付こうとした獣人の、開けられた口から脳幹を粉砕し、貫通した。


 「…………!!?」


 驚愕する二匹――――直後に別方向から放たれた一発は、巨漢の獣人の心臓を貫き、さらに傍にいた小柄な獣人の脳天をも左目から貫き、二匹を叫ぶ間もなく昏倒させ、絶命させる――――


 『――――目標排除(ターゲットダウン)

 「…………」


 唖然として、鷲津二曹は狙撃の主を探った。離れた草叢から立ち上がった偽装服(ギリースーツ)――――それが鷲津二曹を見出し、ついて来るよう手招きする。






 浸透は続いた。


 迷路のような廃材の集積所――――角を何度も越え、隘路を抜ける内、周囲をさざめく風の感じが、何となく変わりつつあるように鷲津二曹には感じられた。


 これは――何の匂いだ?


 そうだ――都市の匂いだ。


 気配も多い――


 廃材のコンテナを潜り、パイプの山を潜る。それを続ける内、あるコンテナの山を前にして御子柴三佐が足を止めた。


 『――待て(スタンバイ)……!』


 コンテナの陰で気配を殺す――御子柴三佐がコンテナの外板に耳を充て、耳を欹てた。


 「三佐……」

 『シィ――』


 程なくして、御子柴三佐は指を動かし此方に来るよう促す。彼に倣ってコンテナの外板に耳をあてた鷲津二曹に、最初の家屋で聞いた、あの耳障りな声が聞こえてきた。


 「――オイ、聞いたか?」

 「異邦人の潜入者のことか?」

 「そうだ、すでに七、八人が潜伏しているらしい」

 「人間種(ヒーロック)か?」

 「そうだ……今日の客と同じ種族だ」

 「しかし妙なもんだな。かたや俺たちのお得意先、かたや俺たちの食いもんだ。どういう違いがあるんだろうなぁ」

 「ヒーロックは弱い存在だ。かつては俺たちの主人で、立派な暮らしをしていたが、肝心の自分を守る術を持っていなかった。銃や戦車も知らなかった。平和ボケってやつさ……まったく馬鹿な連中だぜ」

 「ばか! それは黒歴史だ! 俺たちは従属した存在じゃない。始めから此処の主人だった! もしこれが王に聞こえでもしたら……!」


 沈黙――外板一枚を隔てた向こう側で、御子柴三佐と鷲津二曹は互いを見合わせる。そして獣人たちは、彼らの話題を変えた。


 「……その点、あの連中は違うやなぁ……南ランテア人とかいう連中は」

 「あいつらは俺たちに武器をくれる。車もくれる。戦争のやり方も教えてくれる。おれ達がヒーロックを従わせられるのも南ランテア人がくれる武器のお陰だ。おれ達は連中が仕事をする場所、そして神の火を破裂させる場所さえ提供すればいい」

 「神の火か……あれは恐ろしい。まさに滅びの魔法だ」

 「確かにな……北の山脈なんて、もう草一本残っていやしないらしいぜ」

 「人間種(ヒーロック)の街にいるバカ犬どもは、神の火の邪気に触れてああなったらしいな」

 「あれか……食っても美味くねえし、懐こうともしねえ、吠えるだけしか能がない、食い意地ばかり張った役立たずどもだ。そういや『牧場』のヒーロックが二匹(・・)、昨日もあれに食われたらしいなぁ」

 「犬にすら負けるのかよ。まったく……ヒーロックは柔でいけねえや」

 「ところで、今日の取引は何処でやるんだい?」

 「確か……東の区域だ。人間種(ヒーロック)の遊園地があった辺りだ」

 「ユウエンチって、何だ?」

 「人間種が作った、ガキの遊び場さ」

 「なるほどな! そんな無駄なもん作るから堕落するんだな! まったく連中には家畜がお似合いだぜ」






 下品な笑い――御子柴三佐は周囲を見回した。外板の向こう側の連中が、話に夢中になっているのを確かめ終えたかのような素振りだった。


 『――あそこだ。あそこに抜け道がある。ついて来い!』


 獣人が話をしている傍を、突っ切ると言う――だが、やらねば永遠に先へ進めないことを鷲津二曹は理解していた。手本を示すかのように、御子柴三佐が先に駆け抜けた。疾風のような足裁きだった。


 『――いいぞ、来い』


 獣人たちの様子を窺いながら、御子柴三佐が手招きした。意を決し、鷲津二曹は駈け出した。


 時間にして三秒――それが御子柴三佐の元に達するまで、三分を要したように彼には思われた。が、こちらの潜入が露見した様子は無かった。無造作に積み上げられたコンテナや配管で作られた自然の迷路――潜り込んだその只中を小走りに駆け、二人は進む。




 そして――出口。


 『――止まれ(スタンバイ)


 御子柴三佐が、手を上げた。壊れかけた扉の隙間から、目を細めて周囲を窺っている。扉の向こうで、あのおぞましい獣人たちが、銃器を触れ合わせながら集合している様子ぐらい、後に控える鷲津二曹には気配だけでそれを覗かずとも感じられた。アイドリング中のディーゼルエンジンが幾重に重なり、車両を装備したかなりの規模を持った部隊が、その扉の向こうにいることが察せられた。


 御子柴三佐が言った。


 『――随分と集まっているな。合図と同時に一気に駆け抜けろ。後ろを離れるな』

 「駆け抜ける? 正気ですか?」

 『――おれは戦場では何時でも素面(しらふ)だよ』

 「そう言う問題では……」

 『――おれを信じろ。それにもう後戻りはできない』


 そう言って、御子柴三佐は扉の外へと向き直る。


 『――まだだ……』


 自ずと上がる手――


 それを目の当たりにしながら、鷲津二曹は覚悟を決める――


 『――よし……今だ! ついて来い』

 

 勢いよく開け放たれる扉――


 それが完全に開くのを待たず、二人は飛び出した。


 疾駆――


 前方のトラック――


 周囲に佇む獣人の影――


 見られていない!――後ろ向きの獣人に、覚える勝機!


 そしてそのまま――トラックの下へ――滑り込む!


 そのまま二人は、息を殺したまま車体の下で機を待った。


 「こいつが動き出したら、終わりですね」

 『――そう悲観したものではないさ。前方、もう一台トラックが来る。あれを遮蔽物にできそうだ。ついて来い』


 その間、トラックに集まる獣人の気配は次第にその数を増しているように鷲津二曹には思われた。当然、いい気がしない。トラックの下から覗いた先、同クラスの車体が、重いディーゼル音を響かせながらゆっくりと走り寄って来るのが見えた。


 そのトラックが、止まった。


 「行きますか?」

 『――まだだ。奴らがいなくなるのを待とう。このまま待機』

 「…………」

 『――我慢しろ。妙な気を起こすなよ』


 俄かに騒がしさを増す外――軋み出す頭上の車体から、集まった獣人たちが軍用トラックの荷台に続々と乗り込んでいるのが感じられた。同時に、潮が引くようにトラックの周囲から気配が消えていく――


 『――もう少しだ。準備しろ(スタンバイ)……まだだ(ステーンバイ)……今だ(ゴゥ)!』

 「――――!」


 匍匐――素早く車体後部から出、身を屈めつつ別の地上車の陰へと身を滑らせる。


 「…………!?」


 身を潜めた車のすぐ反対側で話し込む二匹――慌てて腰を屈め頭を隠したところで、御子柴三佐が車列よりやや距離を置いた、高層建築物の立つ一角を指差した。


 「あの方向だ。いいか?……走るぞ」


 無言で頷く。高層建築物の周りを囲む、完全に崩れた塀――あそこまで飛び込めば、ここはやり過ごせる。


 『――行くぞ……!』


 疾駆――背後は絶対に振り向かない。覚悟の赴くがまま二人は駆け、そして塀の割れ目から中へと飛び込み、そして再び身を潜めた。


 「…………?」


 それまで話し込んでいた二匹の獣人が、今更のように背後を振り向き、そして地上車の向かい側へと歩み寄ってきた。何かの異変を確かめるように車を触り、地面に目を凝らしている。


 「ばれましたかね?」

 『いや……誰にも見られていないな』


 やがて車列が動き出し、全てが遠ざかったその後には虚無が残された。それを確かめるように目を細めると、御子柴三佐は言った。


 『――行こう……もう此処には用は無い』




 


 「街……」


 呆然と立ち尽くす先には、高層建築物の杜――それらから生命と文明の息吹が消え去って、明らかに十年単位の刻が過ぎ去っていた。


 森と、かつては花畑であったろう荒れ果てた地を駆け抜けた先には、ビルディングの林が広がっていた。巨体を誇るその何れも荒れ果て、朽ち果ててはいたが、それが人間種によって支配されていた頃には、今の東京に劣らぬ程の繁栄を極めていたであろうことは鷲津二曹にも容易に想像できた。


 「周辺クリア」

 『――気を抜くな。目的地はまだ先だ』


 四周に銃口を翻しつつ進み、そして二人はまた


 走り出した――


 「――――?」


 走る、警戒する、そして走る――決まり切った動作を繰り返すうち、鷲津二曹には込み上げてくる感触があった。


 アスファルトのひび割れ、あるいは禿げた車道――


 止まったまま朽ち果てた車――


 だいぶ色褪せ、蔦に覆われた商店らしき何かの看板――


 用を為さなくなった信号機が、その真中からへし折れ、そして雑草の覆う歩道とのキスを強いられている――




 東京に似ている――駆け巡りながら抱いた想いは、御子柴三佐も思うところであった。


 そして鷲津二曹の思考は廻る――


このように立派な文明を遺した人々が、何故現在は――


 何時しか二人の足はビルディングの林から離れ、団地のような複列状に並ぶ建築物の群まで達したとき、御子柴三佐の足が止まった。


 『――止まれ』


 遠方に何かが蠢いているのを、二人はほぼ同時に認めていた。


 獣人(モーロック)の死体?――


 まだ新しい――


 その傍で蠢く二つの影――


 「放っておこう。ただの野犬だ」


 御子柴三佐が言った。距離を取り、迂回気味に進む。影を警戒しつつ歩を進める内、不快な咀嚼の音を聞くとともに、鷲津二曹は野犬の姿を観察することができた。


 あれが……犬だと?


 大きい……日本の土佐犬など、問題にならないくらい大きい。丁度、狼とトラを足して2で割ったような、恐怖感溢れる大きさだ。


 それまで獣人の死肉を貪ることに夢中だった野犬が、一斉に此方を向いた。


 ガルルルルルル……!


 剥き出しの牙は大きく、鋭い。


 そして締まりの悪い口は、粘液質の涎を不注意なまでに垂らし続けている。


 爛々とした、凶気溢れる眼光――御子柴三佐が嘆息し、言った。


 「こいつらはあまり友好的ではないな。このまま進め。あまり近寄らない方がいい」


 三佐の言葉は、正論だった。




 『――前方クリア。前へ……!』


 不意に眼前に広がる、白亜の、殿堂にも似た荘厳な佇まいの建物――


 それは、この街が「街」として機能していた頃には、おそらくはこの地で最も美しく、威厳ある役割を課せられた建物だったのかもしれなかった。


 御子柴三佐が、囁くように言った。


 『――任務用ポイントへの近道だ。敵とかち合う確率も低い』


 赤絨毯の敷かれたホールを抜け、そして両側に設えられた螺旋状の階段を駆け上る。


 倒れた白亜の裸体像を飛び越え、二階の奥まで達したそのとき――


 ――それは、明らかに聞こえた。






 キャハハハハハハ――


 「――――!?」


 子供の声――――?


 確かめようと耳を欹てたときには、もう遅かった。だが鷲津二曹は、確かにこの建物の何処かで誰かが戯れる声を聞いたように思えたのだ。それを確かめるかのように脳裏でそれを反芻する度、天使のような子供の歓声は、明確な現実感と胸中にずしんと圧し掛かる重さを以て鷲津二曹の胸中でリフレインし続けた。


 「三佐、御子柴三佐……」

 『――どうした?』

 「聞きましたか? 今の」

 『――ああ……聞いた』

 「何なんですか? あれは?」

 『わからん……だが――』


 二人は、広い廊下に出た。窓ガラスを浸透し広い通路の片側から差し込んでくる陽光の束――それはまるで、長い時を経て訪問してきた他者を、温かく迎える祝福の光であるように二人には思われた。


 『見ろ』と、先導しながらに御子柴三佐は言った。廊下の窓からは、かつての大都市の、変わり果てた威容の大半を、その視界の内に収めることができた。それに、警戒を止めて思わず目を奪われる鷲津二曹に、御子柴三佐は続けた。


 『……かつてこの街には万単位の住人が暮らしていた。それなりに繁栄もしていたのかもしれない……それが今ではこの有様だ。こんな場所は他にはないだろう』

 「日本も、他人(ひと)事ではありませんね」

 『そうだな……だからこそ我々はこうして戦っているのだ』


 感傷と共に屋内を歩く内、鷲津二曹は今彼自身がいる場所が、実は図書館ではないかということに思い当る。歩を進め、開けた廊下から臨む下方のフロア一面に、巨大な書棚の居並びを見出したその時、彼は自分の予測が正しいことを信じた。


 「ここに一年もいれば、余裕で博士になれそうですね」

 『試してみるか?』


 そして二人はかつての知恵の宝庫を脱し、再び災厄渦巻く外へと出た――




 外――連絡路と思しき隔離された歩道から、御子柴三佐は一点を指差した。


 『――あのビルだ。あそこの最上階から目標を監視する。行くぞ』


 御子柴三佐が指差した先は、すでに最上階(・・・)の崩れ去った巨大なビル――


 そこで二人は、課せられた任務を果たすのに適した時が来るまで、ビルの天辺で只管(ひたすら)待つことを強いられる――




 任務――


 それは――


 未だ数少ない日本の「友好国」にとって不利益な何者かの「抹殺」。


 「抹殺」――それは具体的には「狙撃(スナイプ)」を意味した。




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