第十五章:「夜戦」
クルジシタン基準表示時刻02月09日 午後17時41分 旧王都アーミッド西区
廃墟から延びる影は時を経るにつれて長くなり、そして影は日のあたる場所を少しずつ、そして確実に蝕んでいった。
人の気配は、3時間前を境に完全に消えた。
静寂―――――久しぶりに感じたその感覚は、その只中に放り出された男たちに、取り留めのないものに対する畏怖のような感情すら喚起させる。
廃墟の屋上―――――そこから見渡せる限りに拡がる荒廃に、三河真一二等陸曹は今更ながらに目を奪われる。
「……兵隊って、死ぬ場所を択べないんだな」
こんな恐ろしい場所で少なからぬ仲間が死に、そして傷付いたことが、彼には未だに信じられなかった。そして自分すら、いずれは此処で傷付き生を終えることになるかもしれない……直に目にした戦場の現実に対する。それが彼の感慨だった。そしてこれからも、この場所での戦いは続き、戦いはもはや何時終わるとも知れない。困難は未だに続いている。
三河二曹は思った―――――何が名誉の戦死だ。それは将来ある若者たちを、国家の名誉だの平和のためだのと屁理屈を付けて地獄の底へと叩きこむための方便であるのに過ぎないではないか? 死んだやつらは可哀想だ。そしておれは、ごみ溜め以下のこんな場所で死ぬのなんて、絶対に御免だ……!
だが―――――
これからおれは―――――
近い未来に、自分が為すべきことが、まさに今死に瀕した仲間に、死に勝る苦痛を与える行為であろうことに三河二曹が絶望を覚えかけたそのとき―――――
人の気配を三河二曹は感じた。それは予想通り奥村陸士長だった。指揮官の姿を求めて屋上まで上がってきた彼の姿を見出すのと同時に、一人の人間の生き死にに責任を持たねばならない決断を下すべき時間が来た事を、三河二曹は悟った。
「何だ?」
「分隊長、どうなさいますか?」
「おわかりでしょうに」とは言わなかったが。悲しげな眼つきが明らかにそう言っていた。決断を下したくないがあまり、三河二曹は話題を変えようと試みた。
「お姫さまは、どうしている?」
「奥の部屋で、休ませています」
「敵とはいえ民間人を抱えているんだ。こんな場所では、戦えないな」
「そろそろヘリが来る筈なのですが……」
ヘリの手配は、すでに済ませた。偶然の為せる業として掌中に収めた敵勢力の頭目を、いち早くこの街から連行するためでもあるのと同時に、激戦の最中で抱えた一人の死者と重篤者の後送が、ヘリの手配の目的であった。そして奥村陸士長の言葉は、彼の指揮官への同情と同時に、空からの救いへの渇望もまた、その語調の中に含んでいた。
「それまで待てないか……」
「いまやらないと、どっちみち手遅れです」
自分に言い聞かせるように、奥村陸士長は言った。どうやら指揮官としての適性は、彼の方が自分以上のようだと三河二曹は思った。ヘリは確かに来るだろう。だが、降りられるかどうかは別問題だった。事前には予想すらできなかった立て続けのヘリの墜落と喪失が、司令部を慎重にさせている。
「……わかった、わかってる」
押し殺すような口調で応じ、三河二曹は頭を抱え込むようにした。そして意を決し、勢いを付け立ち上がった―――――
「――――加藤空士長、ヘリが来るまでの間、これより応急処置を行う。痛いだろうが、少しの間我慢してくれ」
「…………」
再び屋上から降りて来るや、開口一番に自分にそう言い放った二等陸曹を、加藤堅城空士長はテーブルに横たわったまま呆然と見上げた。そして彼は、自分の運命がもはや引き返せない分岐点に達したことを悟った。
切欠は、内股への貫通銃創―――――最初は、軽微な傷だと思った。
だが、いくら抑えても一向に止まらない出血と、それに伴って奪われゆく体力が、やがて衛生兵資格を持った当人と、増援部隊の隊員たちに、恐ろしい可能性の存在に思い当らせた。胴体中央を走り下腹部で分岐する大動脈、内股から後下方に腿を貫通した銃弾は、ひょっとしてその大動脈を切ってしまったのではないか?……不安の内にも出血は続き、それが仮初の寝台たる廃屋のテーブルの下でどす黒い池を作るに至った瞬間、隊員たちにある決断を促した。
銃創が大動脈に達している以上、止血用のスプレーや包帯など何の役にも立たないだろう。そして延々と流れる血液を補充するべき輸血用の血液、そして生理食塩水を彼らは持っていなかった。残された方法は一つしかなかった。
三河二曹は、言った。
「動脈を探し出して、そこを直に抑える。それしか助かる道は無い」
「自分も……そう思っておりました」
レンジャー有資格者としての三河二曹の提案に、加藤空士長は白い歯を見せて笑い掛けた。作り笑いであることは、彼の笑っていない眼から三河二曹にはすぐに判った。判ったからこそ、三河二曹は加藤空士長の健気さがいたたまれなくなった。
「モルヒネを使いますか?」
という奥村陸士長の問いに、三河二曹と加藤空士長はともに頭を横に振って応じた。麻酔を使えば唯でさえ危うい心臓の鼓動を緩慢にし、却って人体に余計な負担をかける。痛みには堪えてもらうしかなった。
「……じゃあ、始めるぞ」
「三河二曹」
「?」
「自分が死んだら、女房子供には自分は苦しまずに死んだと言ってください」
「それは無理だ」
「何故?」
「何故なら、お前は、絶対に死なさない」
確証がないのに、そう言ってしまった……だがその時は後悔を覚えなかった。
「始めるぞ」
「はい!」
目配せ―――――隊員が加藤空士長の手足を抑え、そしてもう一人の隊員が血でどす黒く汚れた下腹部のズボンを、ナイフで切り開いた。身構えるように、加藤空士長の身体に力が籠るのを三河二曹は感じた。
「やるぞ……!」
傷口に突っ込んだ両手の指――――――
それに力を籠め、傷を押し開く――――――
「――――――――――!!!?」
表記しがたい絶叫――――――それを聴覚に受け入れまいと、三河二曹は歯を食い縛って指に力を込め続けた。今止めてしまえば、確実にこの勇気ある若者の生命は終わる……!
筋肉の裂ける感触―――――
「…………!!!」
「―――――――――!!!!!」
嘔吐への誘い―――――
逃避への誘い―――――
指に触れる鮮血の、生暖かい感触――――――
―――――それらに、三河二曹は必死で耐え続け、指を動かし続け、まさぐった。
頼む!……動脈に当たってくれ!
「もう殺してくれぇぇぇっ――――――――!!」
絶叫が、傷を探る男から気力を急激に奪い続けた。それを聞くまいと、患者の体を押さえ続ける男たちは、必死で目を塞いで耐え続けた。
もう駄目か―――――
くそっ!――――――
発疹のように顔面に湧く冷や汗――――――
俺は何のために此処にいる!?――――――
そのとき―――――
「――――――?」
噴流の源に、指が微かに触れた―――――そんな気がした。
「あった……!」
肉体を裂き延びた指が捉えた脈動の感触―――――逃すまいとそれを必死で掴む。
「ガーゼだ!! ガーゼを持って来い!!」
救急キットのガーゼを取り出した奥村陸士長に叫ぶ。
「この位置だ! 急いで詰めろ! グズグズすんなっ!!」
押し込むようにして充てられ、詰められるガーゼ―――――血を吸いしめったそれは、却ってそれ故に血の外への噴出を止め、体内に循環を取り戻す
奥村陸士長が声を弾ませる。
「処置終わり!……あとは包帯で巻きます」
大きく、腿にぽっかりと空いた傷口から指を引き抜くのと、脚から人形のように崩れ落ちるのと同時―――――
冷たい汗が顔を覆っているのを、今更ながらに感じる―――――
荒い息もそのままに、三河二曹は這うようにして壁際へ進み、そして土塀に背を預けた。再び目を向けた寝台では、気色を取り戻した部下たちが、開いた傷口に包帯を巻き始めていた。治療を受ける奥村陸士長の身体に、生気はもはや感じられなかった。
死んだのか?……否、虚ろな表情もそのままに続ける荒い息が、ただ無言の内に加藤空士長の生を三河二曹に語りかけているかのようであった。
「やりましたね。分隊長!」
歩み寄る奥村陸士長の顔は蒼白だったが、心から浮かべる笑顔が、救われたかのように思う。空気を手繰り寄せる様に口で息をしながら、三河二曹は言った。
「なァ奥村……」
「は……?」
「俺の顔は何色だ?」
「はっきりと申し上げますが……真っ青です」
「やっぱりな……」
心なく、三河二曹は笑った。同時に手に違和感を覚え、両の掌をじっと見詰めようと、彼は試みた。
「血――――――」
手一面を覆う鮮血―――――強烈な鉄分の臭いを伴ったそれに怯えを感じるほど、三河二曹は軟弱ではなかった。ただ、不覚にも奥歯がガチガチと鳴り始めるのを、彼は止めることができなかった。
そのとき、確かに彼は手を血に染めた―――――殺すためではなく。ただ救うために。
――――――何時の間にか、空を覆い始めた星々。
――――――何処からか、ヘリの飛ぶ音がした。
クルジシタン基準表示時刻02月09日 午後18時32分 旧王都アーミッド西区
―――――単調だが、重い響きが、混沌とした脳裏にまでズカズカと踏み込んで来るのを覚える。
―――――空飛ぶ乗物の、あの忌まわしい響き。
―――――あれほど撃退しても、未だ街の上空を我がもの顔で行き来しているであろう異邦人の乗り物。
―――――それに対する怒りが、負傷し傷付いた青年の眠りを、覚醒へと誘っていく。
―――――異邦人……
―――――ニホン人……!
―――――まだやつらは、この街中をうろついているというのか……!?
眼を開け、ダキは自身の肉体の実存を慎重に確かめるかのように、ゆっくりと半身を起した。そして期せずして生じる痛みが、彼に彼の実存を意識させるのだった。被弾の痛みは強烈だったが、ダキの強靭な肉体と精神はそれに余裕で耐えた。
暗がりの中にあって、何処とも知れぬ部屋の一隅を灯す蝋燭の炎が、光に馴れない眼にはやけに眩しく思えた。そしてその時はじめて、ダキは自らを取り巻く周囲の状況に「日暮れ」を意識した。朝方から、ニホン人の急襲を受ける形で始まった戦いが未だ続いていることも、ダキには混濁から抜けきっていない意識であっても察することができた。
「アル‐ティラか……?」
直に見たからではなく、傍に息を殺して控える気配を感取ったが故に、ダキは自分に付き添う影の名を呼んだ。寝台の足元に寄り掛かり、膝を抱えて座り込んだ姿勢から頭を上げ、アル‐ティラはまどろみ掛けた眼を完全に醒まして自身の恋人を見遣った。
ダキは言った。
「どれくらい寝ていた……?」
「かれこれ五時間だ。」
「リュラはどうしている?」
「…………」
「グラデスの仕業か?」
「グラデスが造反した。俺たちの兵士を襲い、街々に火を放ってる。この街を焼き尽くす積りだ」
「…………」
「グラデス……あの裏切り者は、最終的には国王軍を此処に引き入れる積りらしい」
「言わんこっちゃない。これだから大人は――――――」
ダキが、自分の肉体の変わり様に気付いたのはまさにそのときだった。
「くそ……!」
身体の端々がしぶとく痛む。完全に動けるようになるには、それらを無視する必要があった。そしてそのための具体的な方法を、ダキは一つしか知らなかった。
「アル‐ティラ、クヌートを出せ」
「ダキ……?」
「痛みを消す。早くしろ」
困惑したように、アル‐ティラはダキを見返した。クヌートには確かに鎮痛作用もある。だがそれが発揮される時は、即ち治癒の目算の立たない重篤者の苦痛を和らげる意味もあった。苦痛を消す程に大量のクヌートを投与すれば、覚醒後の禁断症状は心身が抗えぬ程烈しく、そして苦痛を伴うものになる―――――
「ダキ……死にたいのか?」
「いずれ死ぬなら、ニホン人をもっと殺してから死にたいものだ」
「駄目だ……!」
色を為したアル‐ティラに、ダキは眼を剥いた。
「今やらなければ……俺はお前を一生呪う事になる!」
「…………」
期せずしてアル‐ティラの頬を伝う大粒の涙―――――それに心を動かされるには、ダキにとってこの日の戦いはあまりに烈しく、厳し過ぎた。
「……残りの兵を集めろ。ニホン人に一矢報いてやる」
アル‐ティラが無言で頷き、立ち上がった。彼の恋人は自分の言った事に、今更後悔を覚えるような男ではなかった。
クルジシタン基準表示時刻02月09日 午後18時40分 日本 陸上自衛隊PKF(平和維持軍)サンドワール基地 統合作戦センター(JOC)
『――――――輸送任務より帰還中のCH-47より報告、王都方面より大規模な兵力の移動を確認。旧都方面へ移動中―――――』
急報は、統合作戦センターを文字通りに一閃した。そしてヘリ搭載の下方監視赤外線装置の捉えた画像は、崩れ気味な隊列を為し疾駆する旧型の装甲車、兵員輸送トラック、そしてその荷台に過積載気味に兵士を満載した日本製ピックアップトラックの姿を鮮明な像を以てJOCの戦況表示端末に映し出していた。
「何をする気だ……?」
「転移」後、クルジシタンと「友好関係」を結んだ諸外国の手により「近代化」されたクルジシタン国王親衛軍。これまで「兵力温存」の美名の下、一度たりとも国土平定作戦には投入されなかったそれらが今日になって突如、一つの纏まった秩序を以て移動を始めたという事実は、それが察知されるや忽ちにPKF側の関心を惹いた。数秒間、沈黙の内に彼らの進撃を凝視した後、筧陸将補は送受話器を取り上げた。
「通信室、筧だ。聞こえるか?」
『――――こちら通信室』
「国王軍の無線が傍受できるか?」
『――――やってみます。暫くお待ち下さい』
さらに数分―――――通信室に詰める情報担当幹部の声は、明らかに張り詰めていた。
『――――国王軍は旧都への侵入を企図している模様。どうやら……旧都内の反乱勢力の中に内通者がいたようです』
「…………」
苦虫を噛み潰したかのように、筧陸将補は口元を歪めた。通信室には引き続き傍受に務めるよう命じ、筧は戦況表示端末に向き直る。
「すぐに無人偵察機を向かわせろ。監視を引き継がせる」
外部からの通信が入って来たのは、監視を徹底させるよう命令した直後のことだった。
「司令、王国政府より入電です。宰相キャバラ閣下の名で入って来ております」
「宰相だと……?」
キャバラの現在の肩書は、国教会最高教主のはずだが……外務省の情報を脳裏から引き出し、思考を廻らせつつ筧陸将補は報告を促した。
「―――――読みます。我々は独自の判断により討伐軍を旧都に侵攻させ、これを叛徒より奪回する。本日2000までに日本の軍隊は一切の軍事行動を停止し旧都より退去せよ。さもなくば日本人の安全は保障できない……以上であります」
「何を言っているんだ! クルジシタン人は?」
「何故進軍を止めさせない? 大使館は何をやっている?」
「東京に報告だ。正式に抗議させないと……」
幕僚たちの動揺と怒りを余所に、筧陸将補は押し黙ったまま戦況表示板を見詰めた。
「…………」
連中の目的は、これだったのか……!―――――王国政府は最初に「神の子ら」とPKFを争わせ、ある程度に「神の子ら」の力を削いだ後、決着を付けにかかったのだ。そして事実に気付いた時には、PKFは前進も後退も儘ならない状況に追い込まれていた―――――
……我々は、土人どもの争いの、格好のカードにされたということか―――――これまでの、「神の子ら」に対してきたのとは違う苦々しさが、次第に筧陸将補の胸中を灼き始めるのに、時間は掛からなかった。
その上に―――――脅威は旧都の南部からも迫っていた。午前、聖殿での攻防戦の後、撃退したはずの「神の子ら」の本隊が新たに陣容を整え旧都西部へと移動を始めていることが、よりによってこの時点で無人偵察機により確認されている。もしこの連中が北西部を根拠とする武装勢力と合流すれば、兵力面での格差は一層に拡がり、PKFは孤立した状態で更なる苦闘を強いられることになるだろう……その集団的な統一性の無さ故に、徹底的に殲滅することのできないというゲリラの利点を、敵は有効に活用している。
嘆息―――――無線電話を取り上げ、筧陸将補は言った。
「佐々三佐に繋げ」
『―――――佐々です。どうぞ?』
「神殿で撃退した敵が、南東方向から再び進撃を始めようとしている。これを阻止できるか?」
話を進めながらも、視線が前方の戦術情報表示端末へと向かう。用途に応じ多分割表示された端末の一部は、統合指揮センターから前線の佐々三佐の持つReCS端末に送信される位置、敵戦力の各種戦術情報の分量を、数値とゲージの上昇で示していた。おそらくは彼自身もReCS端末を覗いているであろう佐々三佐が、明瞭な音声で筧陸将補に応答する。
『―――――敵の予想進撃ルートが掴めれば……おそらく』
「少し待て、シミュレートさせてみる」
数秒の後、旧都アーミッドの南東の敵潜伏地点から、主力の集結している邸跡へと延びる幾重もの経路を示す赤――――――勢力規模と移動速度、経路の重複―――――それらはすぐに多数から少数に絞られ、最後には最も有力な2,3経路が残った。それからあとは、前線にいる佐々が判断し、選択せねばならない―――――何処に戦力を割くのか……を。
「どうだ? やれるか?」
『――――では、こちらから戦力を割いて遅滞防御に充てさせます』
「大丈夫か?」
『――――特戦群もいますし……何とかなると思います』
「苦労をかけるな……」
交信を終え、幕僚たちを前に、筧の言葉は続く。それをまさに、彼自身に言い聞かせているかのように―――――
「諦めるな。希望は……まだある」
―――――中央指揮センターとの交信を終えるや、佐々三佐は御子柴三佐を呼んだ。
「君ならどのルートを採る?」
と、佐々三佐が指し示したReCS端末の一点に、御子柴三佐は目を細めるようにした。その眼差しには、明らかな余裕が感ぜられた。
「この橋……この橋ですな」
「橋……」
アーミッド中央を東西に貫くイヴィ川、そこに架けられた合計八つの橋の中で最も広く、頑丈な石造りの橋……正式名称「ハガル橋」の位置を、御子柴三佐の指は指し示していた。大兵力の移動に適した石橋、その上にそれが存在する一帯は見晴らしがよく、向こうからすれば敵の伏撃にも十分対処できる。
「残念ながらこいつを爆破できるほどの爆薬は持ってきてはいませんが、通行不能にはできます」
「どうやる?」
「10名ばかり連れてこっちに行きますが、宜しいですか?」
思わず、佐々は御子柴を見返した。
「10名? それだけで大丈夫か?」
「大丈夫でしょう」
御子柴三佐は笑い掛けた。歴戦の勇者らしからぬ、これから悪戯でも仕掛けようかと言いたげな子供を思わせる、砕けた笑いだった。
「―――――諸君らは別働隊に加わりハガル橋の確保に向かえ。後で拾ってやるから」
ハガル橋? 確保?……集合を命じた武藤陸曹長によって告げられたその名称と任務によって掻き立てられた不安は、すぐさま的中した。
出発時刻までわずか10分を残した時分に行われた状況説明、それは一人の人間を死地に送り出すにしてはあまりに簡易な状況説明であったが、生存への希望を昂ぶらせ始めていた高津憲次一等陸士を、再び地獄のどん底へ叩き込むのに十分な衝撃力を持っていた。
「…………」
暗然として、大友一士は同じく状況説明に聞き入る七名の隊員を見遣った。七名の内四名が一般の普通科隊員、その中で最先任たる島亘三等陸曹は、平然とした表情で説明に聞き入っていた。他三名は大なり小なり大友一士と似通った表情―――――それ故に、大友一士としては心を新たにして作戦に臨む他はない。
武藤陸曹長の傍らで、立ったまま彼の状況説明の様子を窺う二名の特戦群隊員に、大友一士は視線を転じた。精悍な顔立ちの三等陸佐に、不精髭の印象的な一等陸曹……こちらと同じく、彼ら二人の装備や顔色もまた、硝煙に酷く汚れていた。それでもそうと判るぐらいに、彼ら二人の表情は悟りきった高僧のように平然としていた。
「健闘を祈る! 生き残れよ!」
それが状況説明を締め括る武藤陸曹長の、最後の言葉だった。それに促されるようにして隊員たちは立ち上がり、そして彼らの視線はエンジンを始動させつつ待機する一機のUH-60JAへと向いた。
「総員! 急いで乗り込め!」
御子柴三佐が叫んだ。隊員は装備を抱えて一斉に駆け出し、全員の搭乗を確認するやヘリは急速にエンジン出力を上げ、そしてゆっくりと上昇した。
クルジシタン基準表示時刻02月09日 午後19時53分 旧王都アーミッド西区
廃墟の窓から臨む外には、すでに闇の帳が下りていた。
安寧を貪っていられた後方から一転、再び前線に舞い戻ったことを後悔する時が来るのはそう遠くないことぐらい、高津一等陸士には判っていた。
「…………」
暗視双眼鏡を覗くのを止め、高津一士は廃屋の奥を顧みる。恐らく廃屋で一番まともなその部屋では、応急処置の結果、死の淵からほんの数センチを残して踏み止まったあの加藤空士長が、衛生兵の持ち込んだ血液による輸血を受けている筈だった。それでも未だ彼は、死の淵から更にほんの数センチを後退したに過ぎない。真に彼の生還を企図するのならば、やはり後送が必要だった。
配置に付いた高機動車、廃墟の陰に巧妙に配された高機動車の天井に据え付けられた擲弾発射銃を、高津一士はさり気無く見詰めた。もし手持ちの暗視双眼鏡から覗く、広場の向かい側に拡がる廃墟群に不審な影が見えた場合、射手は何の躊躇もなく擲弾発射銃の引鉄を引くことを要求されていた。
―――――当初は八名で確保し、守っていた「スカイ12」の墜落地点、今やそこは、圧倒的な火力に裏付けられたPKFの前進拠点と化していた。
それは、もはや一種の要塞と言ってもよかった。89式小銃はもとより中距離援護用の64式小銃、分隊支援用のMINIMI軽機関銃、M2重機関銃、擲弾発射銃、「カール-グスタフ」こと84ミリ対戦車無反動砲……決して広いとは言えない街の一角は、およそ陸上自衛隊の保有する歩兵用火器の展示場といった観があった。
「――――本隊へ、こちら西区。発進まだか?」
指揮官の声に、高津一士の視線は再び廃屋の屋内へと向けられる。その彼の視線の先では、いまやあの「事務屋陸曹」に代わりこの場の最高責任者となった大清水一等陸尉が、中隊用無線機を前に此処からそう遠くない区画に基地を構えた本隊との交信を試みていた。
『――――先遣隊が警戒しつつ進撃準備中、そちら状況報せ』
「周囲の状況がおかしい。妙な気配がする」
『――――妙なだけではわからない。もう少し具体的に――――』
「こっちには重傷者がいるんだ。そう長くは持ち堪えられない。早く回収してくれ……!」
発砲音!――――それは直後には光弾の数珠となって廃屋の土塀に延び、そして打ち砕いた。
「――――――!?」
『――――守備隊どうした!? 今の銃声は何だ!?』
無線機越しの質問―――――だがそれに守備隊が応じる間もなく、周囲の現実は本隊に前線の状況を生々しく響かせ始めた。
ドンッ――――――ドンッ――――――ドンッ!!
向こうから散発的に放たれた重機関銃の曳光弾が余韻を引き交差し、そして土塀を打ち砕く。だがその狙いは余りに不正確だった。
「警戒要員へ、暗視鏡のスイッチを入れろ」
「了解……!」
ヘルメットに装着した暗視装置を目元に下ろし、そしてスイッチを入れる。それだけで暗視装置は夜間の防御に適切な視界を隊員に与えてくれる。
「――――――!?」
暗視装置の緑色のフィルター……その人工の視界の中で、高津一士は廃墟の陰で蠢く人影と武装車両の姿を認める。完全に周囲を支配した夜が、彼らから確固たる攻撃の方向性を奪っているかのように思われた。
「各個に応戦しろ!」
声を上げるや、三河二等陸曹は89式カービン銃を構え撃った。暗視装置とダットサイトの組合せ―――――正確な射撃は右往左往する人影を捉え、緑色のフィルターの中で、自分の撃った弾丸が命中した数名が昏倒するのを三河二曹は見た。そして暗視装置の中で部下の射撃を受け昏倒する敵は次々と増え、銃火の応酬もその密度を増していく。
「アールピージー!!」
奥村陸士長の絶叫!――――――発火とともに噴き出した火矢は、蛇のような軌道を描き、それは三河二曹たちの籠る廃屋の上方に刺さるや爆発した。
震動――――――軋む廃屋。
「―――――――!!」
「散開! 散開しつつ応戦しろ!」
「重機、支援しろ! 撃ちまくれ!」
震える廃屋―――――身を伏せ、歯を食いしばりながら振動と衝撃に耐える。直後も携帯ロケット弾の着弾が続き、分隊の動きは完全に止まった。敵の数は多く、その戦意は極めて高いことを三河二曹は感じた。だが、数ならこちらも揃っている……!
『――――こちらモンハン01、墜落地点上空域に到達、地上部隊状況報せ』
無線―――――同時にロケット弾の着弾とは異なる、細かい振動が廃屋を揺るがすのを感じる。それでもヘリからの無線の主が女性であることを意識するのが、若干遅れた。
「こちら守備隊。現在武装勢力と交戦中!」
『――――モンハン01、これより負傷者の回収に着陸する。地上から誘導出来ないか? 送れ』
「正気かよ!?」
「モンハン01、着陸は無理だ。敵がうじゃうじゃいるんだぞ!!」
『――――母親の頼みでも着陸を諦めるもんですか!! さっさと誘導しなさい!!』
「…………」
こちらの位置を察したのか、徐々に正確な方向に修正されゆく敵の銃火を避けて身体を屈めつつ、三河二曹は奥村陸士長と顔を見合わせた。着陸の機会が、決して容易に巡って来ないことを、彼らは知っていた。意を決して位置表示用のIRマーカーを取り出し、三河二曹はマイクを摘んだ。
「守備隊よりモンハン01へ、これより前進し地上から着陸可能な場所を指示する。上空から援護できるか?」
『―――――モンハン01了解、旋回待機しつつ援護する』
奥村陸士長の肩を叩き、三河二曹は言った。
「俺が行く、援護頼む」
奥村陸士長が頷いた。白い歯を見せて笑い掛け、三河二曹は小銃を構え直した。奥村陸士長が言った。
「カール-グスタフ用意!」
84ミリ無反動砲、通称「カール‐グスタフ」を構えた特技兵を顧み、屋上に上がるよう命じる。
『―――――無反動砲、準備よし!』
「よし撃て!」
伏射の姿勢で放たれた無反動砲は一発。バックブラストも鮮やかに砲口から飛び出した砲弾は、敵のロケット弾よりもその勢いは速く、軌道は太かった。そして弾道は広場の向かい側に拡がる廃屋の一群に吸い込まれるようにして突込み、派手な炎を吹き上げた。カール‐グスタフは廃屋の外に展開する隊員からも放たれ、擲弾発射銃がその後に続いた。着弾に向かい側の廃屋の一角が崩れ、その奥で右往左往する民兵たちの姿を露わにした。
「分隊前へ!」
「援護しろ!!」
敵が怯んだのは、完全に沈黙した敵の銃火からも明らかだった。三河二曹が二名を連れ、ヘリの着陸に手頃な広場の、中央部を目指し疾駆する。
「散開! 散開しつつ前へ!」
中央に達したのは三河三曹だった。スイッチを入れたIRマーカーを取り出し地面に突き立てる。三人の使命はそれだけでは終わらなかった。ヘリが着陸し、その仕事を成し遂げて帰路に付くそのときまで、三人は全身の勘を研ぎ澄まして全方位を警戒し敵の接近に対処せねばならないのだ。
「―――――――!」
『―――――モンハン01、IRマーカーを視認した! これより着陸!―――――』
伏射の姿勢を取ったそのとき、三河二曹は圧倒的な量感を持つ何かが、無灯火で急速に頭上から迫って来るのを感じた。身を震わすローター音は烈しく、身を切り裂くかのような風圧を以てUH-60JAヘリコプターの機影を地上へと運んできた―――――
「――――――!」
ヘルメットに装着した暗視装置―――――それは、UH-60JAヘリコプターを駆る操縦士の眼差しの先に、広場の一点で瞬くマーカーの光を見出させていた。それこそが、機長たる彼女が愛機を地上へと導く電子の篝火―――――
反射的に踏み込むフットバー ――――――それは旋回を続けていたUH-60JAの機首を瞬間的に転じ、夜間ながらも最適な着陸コースへと導いていく。
徐々に絞るコレクティヴ――――――それでもヘリの降下速度は速く、それは操縦経験の浅い副操縦士を困惑させるに十分だった。
『――――モンハン01、着陸する!』
「機長! 降下速度が速すぎます!」
副操縦士の苦言を無視するかのように、谷水二尉は暗視装置の緑の世界で点滅するIRマーカーに目を凝らし続けた。指示された広場は着陸するには狭いが、同じように狭い護衛艦の飛行甲板と違い、地面は前進しないし、そして揺れない。だが留意すべきは―――――
『―――――機上整備員より機長へ、敵兵の存在を確認! 掃射します!』
側面に備え付けられたミニガンに取り付いた機上整備員が叫ぶや、勢いよく回転を始めた四連装銃身が弾幕を吐き出した。同時に、計器類以外に光を放つ物の無い狭い操縦席で、副操縦士が叫んだ。
『―――――RPG! 下方!』
「くっ!!」
左下方、暗視装置で睨んだ廃屋の屋上が不吉な光に生まれ、天に向かい瞬くのと蛇のようにくねりながら此方へ突き進んでくるのと同時だった。降下を続けながらに、谷水二尉は操縦桿を左に倒す。天に向かい撃ち出された一発は、そのまま二人の眼前を掠め、そしてヘリの側面を抉る様に通り過ぎて行った。地上まで、もはやそれほど高度は無かった。操縦桿を右に倒し、さらにフットバーで進行方向を修正―――――それらを文字通りに一瞬で終えたとき、すでに高度の余裕は無く、機は廃屋の跡地スレスレを横目に叩きつけられる様にして着陸した。
機が完全に着陸した瞬間、礫を投付けられたような不気味な衝撃が、今度は断続的に機体に襲いかかってきた。
「くそっ! 撃たれてる!」
「チッ……!」
舌打ちし谷水二尉は敵の方向へ視線を転じた。暗視装置を通じ蠢く影、影、また影―――――それは不気味な圧迫感を以て操縦士の身体を震わせた。反射的に座席に延びた手が9ミリ機関拳銃を引っ掴み、装填レバーを引かせるや、谷水二尉は窓から片手でその引鉄を引いた―――――そして撃ちながらに叫んだ。
『――――モンハン01より守備隊員へ!……早く負傷者を運んで来い!』
『―――――了解!』
『――――そこにいる守備隊のあんた! 機内に入って物資投下を手伝いなさい!』
「―――――!?」
呼び掛けられたように感じ、三河三曹は伏せたままヘリの方向を顧みた。ヘリの操縦席から突き出た機関拳銃の銃身、本来そこにある筈のないそれは断続的に破壊の砲火を放ち続けていた。
驚愕を覚える暇など此処にはないことを、当の三河三曹が最もよく知っていた。身を上げて駆け寄るや、三河三曹は文字通りにUH-60JAヘリコプターのキャビンへと飛び込んだ。
「三河三曹であります!」
「自己紹介はいい。物資を下ろせ! 早く!」
応戦を機上整備員に任せ、共に前進した二名の部下と協働し物資を下ろしつつ、三河三曹はマイクに声を荒げた。
「こちら三河、負傷者をこっちに運べ! 急げ!」
『――――今やってます!』
『――――大清水より総員へ告ぐ。負傷者の搬入を援護しろ!!』
こちらはもはや八名ではない。増援と増強とを得た五〇名近く―――――彼らは広域に展開し、敵の反撃に備えて待機を続けている。全員に重火器が行き渡り、武器と同じく充実した無線機とReCSは、隊員相互の連携をより緊密なものとしていた。
「テッ!!」
連続して撃ち出された擲弾が真白い光の軌道を描き、廃墟に刺さる様に着弾する。吹き上がる炎と泥、そして衝撃が脆い土塀を崩し、そして廃墟そのものの存在すら完全に崩壊させてしまう。それは巧妙に隠蔽された敵の火点を、友軍の前に暴露させる効果をも伴っていた。
「―――――――!」
暗視装置から広がる前方―――――廃墟の奥で蠢く影に銃を向け撃つ。
ドンッドンッドンッ……!
一発、二発、三発―――――弾丸に捉えられて斃れ、動かなくなる影の数が、瞬く間に増えていく。それでも敵の数が闇の向こうで未だに増していることは、夜であろうと身を圧迫するかのような空気の流れで判った。
『――――これより負傷者を搬送する。援護してくれ!』
同時に、一人の陸曹が傍らの高津一士たちを指差し、言った。
「そこの四名、俺に付いて前進しろ! ヘリを援護する!」
「―――――!?」
窓の陰からMINIMIを敵陣に向けながらに聞いた指示を、信じられない気持もそのままに高津一士は指示の主を顧みた。その陸曹は64式小銃を構えながら既に、弾幕の交差する廃墟の外へと飛び出そうとしていた。それが出撃前以来行動を別にしていた宮本三曹であることに思い当ったのは少し後のことだ。
「行くぞ!……前へ!」
高津一士は駆け出した。反射的に構え、暗視装置で睨んだMINIMIのアイアンサイトの照準の先、広場の反対側の土塀に機銃を据え付けようとしている複数の人影を見出した瞬間、彼は走りながらにMINIMIの引鉄を引いた。フルオートだった。
撃ちながらに高津一士の脚は宮本三曹たちから距離を置き、爆音を響かせ続けるヘリの傍ら、屈射の姿勢で小銃を撃ち続ける一人の仲間の方へと向き、そしてスライディングの要領で彼の傍に滑り込んだ。
「―――――――!」
再び、引鉄に籠る指の力――――――フルオートで放たれたMINIMIの弾丸は、厚さの無い土塀をミシンのように貫き、その向こう側の機銃手を打ち倒した。そこで高津一士は弾倉を一本使い果たした。
「装填……!」
いちいち大きな弾倉を装填している暇は無く、89式小銃用の弾倉をMINIMIの機関部に押し込むようにして差し込む。装填レバーを引き、碌に狙いを付ける間もなく高津一士はヘリの周囲の、およそ敵兵が浸透しそうな包囲目掛けて引鉄を引き続けた。
緑のフィルター ――――――
円形の視界――――――
眼前を蛍のように飛び交い、行き交う曳光弾―――――
気を許せば、闇夜を舞うそれらが美しく、かつ甘美な光景に思われる―――――
装填――――――
また装填――――――
募る焦燥―――――
MINIMIはその圧倒的な連射性能を以て弾丸を吸い込み、そして新たな弾丸を要求する―――――
弾切れ―――――再び装填。
他の発砲音――――――そう聞きとるにはその音は大きく、そして鋭角的な響きを持っていた。
着弾――――――高速で飛来した砲弾は廃墟の一角に達し、轟音とともに崩落させた。
『―――――武装車両!』
「―――――――!」
即座に見出した発砲の源―――――それは確かに武装車両だった。そして武装車両はその荷台に長大な何かを積み、それは此方に狙いを定めていた。
『―――――無反動砲!』
そのとき、傍らの隊員が高津一士の肩を叩いた。宮本三曹だった。
『――――機銃! こっちへ来い! 援護しろ!』
「了解!―――――――」
高津一士は立ち上がった。跳弾が防弾ベストを掠め、あるいは耳元を通過する音を聞く。高津一士の前を行く宮本三曹は前進し、そして高津一士はMINIMIの引鉄を引きながら小走りに進んだ。
「走れぇーーーーー!!」
装具の重さ、弾倉の重さ―――――圧し掛かる全てに対する苦渋を感じる暇を、戦場は与えてはくれなかった。交叉する曳光弾の連なりは美しく、それで傷付かない限りでは幻想的で甘美な光景に見えた。だがその美しさに惹かれて立ち止まれば命は無かった。
無反動砲の発砲音―――――空を切り裂くその音は、これまで聞いたどの着弾の音よりも大きく、そして激しく地上を揺るがした。同時に誰かの絶叫を聞いたように高津一士は思ったが、こちらも必死なその身では、詳細を感じ取る余裕をそこに振り向けるわけにはいかなかった。
暫く走り、完全に敵の戦線に身を沈めたところで、二人は土塀に身を潜めた。そこで高津一士は、弾倉を大型に交換する余裕を得た。89式用の弾倉は、ここに来るまでに全部使い果たしていた。
「あれを見ろ」と宮本三曹は外を指差した。そこで高津一士の視線は固まった。
「―――――――!」
武装車両だった。荷台に積まれた長大な無反動砲が、その薬室から空薬莢を吐出し、新たな砲弾を押し入れようとしていた。
「貴様、今手榴弾持っているか?」
「せ、閃光手榴弾なら……」
舌打ち……それに気圧される高津一士に目を向けぬまま、宮本三曹は言った。
「よし!……一個よこせ」
手渡された閃光手榴弾を手にしたまま、宮本三曹は無反動砲を指差した。
「向こうに投げたら、全速力で突っ込む、そして制圧して車を乗っ取る……いいか?」
「わ……わかりました!」
「あれを破壊する。援護しろ」
「リョウカイ」
89式小銃をを背中に回し、宮本三曹は武器を閃光手榴弾に持ち替えた。ピンを引き抜くや、彼は立ち上がった。
「…………!」
大上段に投げ上げられた手榴弾は、荷台上の敵が宮本三曹の姿に気付くより早く、闇夜の中に放物線を描き、そして車体の真下に潜り込んだ。
「伏せろ!」
高津一士を引き摺り下ろすように、宮本三曹は彼を押し倒した。直後に爆発音―――――高津一士が再び頭を上げた時には、完全に沈黙した武装車両と、強烈な閃光と破裂音に視覚と聴覚とを奪われ、呻吟する敵の民兵の姿が暗視装置に拡がっていた。
「前へ!」
一気に身体を上げ、MINIMIを構えるや高津一士は引鉄を引き絞った。シャワーのような勢いで前方にばら撒かれた弾幕に、両手で顔を覆ったまま混乱する民兵数名が絡め取られるようにして斃れ、運転席へ向けて集中させた射撃に、座席にいた影が仰け反る様にして動かなくなるのを、高津一士は見た。宮本三曹はさらにスマートだった。数発で一名を倒し、続くもう数発で一名を排除……それを最後に無反動砲から敵影は消え、二人は目指す場所へと達した。
「…………!」
荷台に達するや、宮本三曹は勢いを付けそこに飛び乗った。防護服や銃を抱えているとは思えない程の軽妙な動きだった。砲身を敵の方向に廻らせるや、宮本三曹は続いて来た高津一士に言った。
「装填を手伝え。連中にお返ししてやろう」
「使えるんですか!?」
「寸法、仕組み共に土浦の武器学校にあるやつと殆ど同じだ……とは言ってもあれはもう骨董品だがね」
荷台に無造作に置かれた砲弾を抱え、薬室に押し込む。薬室を封鎖するや、宮本三曹は狙いを付け発射レバーを引いた―――――
「――――――!!?」
廃屋の陰に籠る武装勢力が気付いた時には、その場で彼らが有する最大の火力はすでに「異邦人」の手に握られ、発射された後だった。無反動砲はその発射速度こそ緩慢だが、威力は大きい。一発の着弾は廃屋の一棟を吹き飛ばし、そして紅蓮の炎を夜空へ高々と噴き上げた。
「もう一発!」
怒鳴られるがまま空薬莢を引き出し、二発目の砲弾を再び押し込む。撃ち出された二発目は隣接するもう一棟を完全に破壊した。
「こちら宮本、脅威を排除した。これより後退する!」
薬室を開くや、宮本三曹は残りの閃光手榴弾を全て詰め込むよう指示した。再び敵の手に渡った時に使用できないよう、兵器を完全に破壊する腹積もりだった。炎を背景に作業に取り掛かる高津一士の顔を直に見出した時、宮本三曹は驚きを隠さなかった。
「何だ……高津じゃないか……生きていたのか?」
「分隊長こそ、ご無事で……」
高津一士は思わず宮本三曹を見返した。暗視装置の生み出す緑のフィルターすら掛かってはいても、目を凝らしたその先にあったのは、やはり見たことのある顔だった。準備を終えたところで、宮本三曹は最後の一個の安全ピンを引き抜いて詰め込み、そして再び薬室を閉鎖する―――――
「爆破するぞぉ―――――っ!!」
二人は一斉に荷台から飛び降り、そして駆けだした。距離を取った直後、周囲に響き渡る金属の破裂する不快な音―――――走りつつ背後を振り向き、無反動砲の砲身がくの字状に折れ曲がっているのを見、宮本三層は通信用マイクを摘んだ。
「こちら宮本、無反動砲を破壊した! 送れ」
『――――司令部了解した。早く戻れ! ヘリはもう離陸する!』
『―――――モンハン01、負傷者の収容を完了。これより離陸する』
安堵――――――急速に高まり行くヘリのローター音は、死闘の終りを象徴するBGMであるように思われた。
そのとき―――――
『―――――分隊長がやられた! 搬送頼む!』
混戦の最中ではあってもその視線は周囲を廻り、二人の眼は同時に、ヘリからそう遠くない場所に倒れ込む人影と、それに寄り添いつつ銃を撃つ友軍の影を捉える。そして傷付き仰向けに倒れる人影にもまた、高津一士は見覚えがあった。事務屋の三河二曹――――――?
『―――――モンハン01、3分待つ。負傷者を連れて来い! 早く!』
宮本三曹が高津一士の肩を叩き、声を上げた。
「高津、戻れ! 負傷者を運ぶ!」
「はいっ!」
二人は元来た道を駆け出した。一転し前方から眼前を通り過ぎる凶悪な光の数珠――――それを掻い潜り、あるいは応戦し、突っ切る様にしては走る内、高津一士の脳内は氷でも詰められたかのような清涼感が満ち、それが彼に一層の余裕と力を与えていく―――――
『――――こちらキツツキ、モンハン01、離脱を援護する!』
「――――――!」
反射的に見下ろした戦術情報表示端末は、北東から接近するヘリの接近を指示していた。その間も撃ち上げられる弾幕は散発的ながらも確実に、UH-60JA「モンハン01」の首筋に悪魔の爪を突き立てつつあった。
『――――モンハン01よりキツツキへ、敵を視認できるか?』
『――――ばっちり見えている。心配するな。』
村上か!―――――聞き覚えのある声を、通信網の彼方に聞きながら、谷水二尉は周囲を見回した。何か不快なものが焼けるような臭いが操縦席にまで侵入し、未だ咆哮し続けるミニガンから吐き出される薬莢は、機体に当たるや鍵盤楽器のような響きをキャビン内で奏で続けていた。
3分―――――意を決し、谷水二尉はコレクティヴレバーを握り直した。そのとき、ミニガンを動かしていた機上整備員が声を上げた。
『―――――九時方向より負傷者! こっちに来ます!』
「――――――!」
視線を転じ、暗視装置越しに飛び込んできた光景に向け、谷水二尉は躊躇なく窓から突き出した9mm機関拳銃の引鉄を引いた。一人の負傷者を担ぎ近付いてくる一人の隊員、一方で無反動砲の攻撃で攻勢こそ削がれたものの、なおもその背後から追い縋ろうと迫って来る民兵、隊員を庇うように背後へ銃を向け応戦する別の隊員―――――暗視装置の緑のフィルターの中で、一人の小柄な民兵の影が、銃撃戦の末突き飛ばされたかのように斃れるのを彼女は見た。そしてその瞬間に、彼女は9mm機関拳銃の弾丸を撃ち尽くした。すでに弾丸は尽きていた。
『―――――早く来い!』
拳銃を引き抜き、有無を言わさず撃つ、撃つ、撃つ!――――――跳ね上がった薬莢がコックピットの床に転がったが、それをものともせず谷水二尉は拳銃を撃ち続けた。その間も操縦席から飛び込む強烈な弾幕の交差、跳弾を受け罅を入らせたガラスを前に、完全に緊張の糸が切れた副操縦士が、予定を過ぎても一向に機の離脱を図ろうとしない機長を無視しコレクティヴに手を掛けた瞬間―――――
間近に感じる、強烈な視線―――――
「…………!?」
「何やってるの? あんた……!」
「は?……離脱しないと……」
「(コレクティヴを)上げたら、殺すわよ……!」
そのとき―――――
『―――――負傷者収容完了!』
「――――チッキショウ厄日だぜ!」
「――――先に戻って俺らの超過勤務手当の計算でもしてなぁ! 事務屋さんよぉ!」
「――――うっせえ馬鹿!!」
『傷は浅いぞ!』
機上整備員の弾んだ声―――――副操縦士から凍った視線を逸らさないまま、そして谷水二尉は一転し白い歯を見せて笑った。
「モンハン01、これより離陸する!」
谷水二尉の手で開かれゆくスロットル―――――
浮上―――――
暗視装置越しに睨む、地上の煉獄―――――
地上を援護するべくばら撒かれるミニガンの弾幕―――――
負傷者の搬送を終えた人影が数人、銃を構えつつ元来た方向へ引き返していく―――――暗視装置越しに見送る、それら緑の世界で蠢く個々の背中に瞬くIRマーカーが、谷水二尉には彼ら兵士の生命の輝きのように思えてならなかった。
機体を打つ不快な銃火の響きが、消えた。
「モンハン01、帰投する!」
それでも戦いは、未だ続く……被弾し、傷付きながらも、ブラックホークは夜空へ向けその歩みを確固たるものとしていく。




