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第十四章:「孤軍」

クルジシタン基準表示時刻02月09日 午後14時13分 旧王都アーミッド西区 「スカイ12」墜落地点。


 街路を塞ぐようにして横たわる、かつては文明の粋を集めた飛行体であった残骸―――――

 地上にその傷付いた身体を横たえるヘリには、まるで砂糖を(まぶ)したかのように砂塵が積もっていた。


 何時まで、此処に居ればいいのだろう……?

 残骸に寄り添うかのように腰を下ろし、助けを待つ内、四時間近く前にこの地に降り立ったときの身を震わせていた緊張と高揚感は、すでに過ぎ去っていた。そしてそれらと入れ替わるように今度は虚脱感が襲ってきた。


 東のはるか先に銃声を聞いたのは、20分も前のことだった。そして当面、それが彼ら二人――――石川 美明二等空曹と加藤 堅城空士長の二人の降下救難員(パラメディック)――――が聞いた最後の銃声となっていた。

 銃声が過ぎ、その後には虚無にも似た静寂―――――

 虚脱―――――あるいは、取り残されたかのような感覚。

 首からだらしなく提げた64式小銃は、降下以来一発も弾丸を敵に放つことのないままその黒い銃身にすっかり砂埃を纏っていた。最初はいざという時の作動不良を恐れて何度も拭ってはみたものの、きりがないことに気付き、結局はやめた。銃は重く、廃屋から響く何かの音に、反射的に持ち上げた銃口を向け、あるいは周囲に振り回すうち、度胸にも似た余裕が二人の胸中に芽生え始め、そして二人は残骸の陰に身を潜めたまま、銃を振り回すのを止めた。


 「石川二曹!」

 背後から呼び掛けられ、石川二曹はそれまで身体を預けていたUH-60JAの機体から弾かれたように振り返った。そお石川二曹の眼前に、ヘリの唯一の生存者である機上整備員を、二人で救助と応急処置の上で安全な廃屋に移し、その後の様子を見るべく留まっていた加藤空士長が銃を構え駆け寄ってきた。

 「容体は一応安定しています。ですが、基地に連れて帰らないことには……」

 「やはりまずいか……」

 嘆息―――――石川二曹は空を仰いだ。つい四時間前に、希望を胸に降り立った地上ではあったが、突き付けられた現実は途方もなく厳しかった。地上に降り立った段階では、機長は即死、副操縦士はまだ息があったものの救出から二時間後に死んだ。墜落時の胸部強打による内臓損傷、それに伴う出血性ショックも加わり、気付いた時には手の施しようのない状態だった。

 未だ息のある機上整備員……あれほど恐ろしい目にあったのにも拘らず、二人の救難員の誰何に精いっぱいの笑顔で応じた彼ですら、今ではあの世に旅発つ準備をしているように二人には思えた。墜落時の衝撃で、散乱した機体の金属片が機上整備員の腹を抉り、その損傷は胴体の中央を走る動脈にまで達している。応急的な止血を終えたとしても、それは問題の何ら解決にはなっていなかった。

 「点滴が出来ればいいんですが……」

 「迂闊だったな……」

 降りれば、何とかなるものと思っていた。だが、そうではないことを石川二曹が悟るのに、優に一時間の時間が必要だった。その間、彼らを拾い上げるべきヘリは何処かへと飛び去り、期待した地上からの増援もまた、彼らの佇むこの平地に、一人として到達してはいなかった。

 加藤空士長を見遣り、石川二曹は言った。

 「何故、降りてきた?」

 いまさらな質問だと、尋ねる本人も思い。尋ねられる方もまたそう思う。

 「何故って……助けを求めている人間が、下にいるから……」

 「俺は求めてはいなかった……!」

 不意に荒くなった石川二曹の語気に、気圧されるような加藤空士長ではなかった。

 「あんたを助けに来たんじゃない。勘違いも程々にしてください!」

 「へぇ、言うじゃないか」

 そう言いつつ、石川二曹の片手は64式小銃の膏管に延びていた。彼が勢いを付けてそれを引き、銃を構え直す頃には、加藤空士長もまた、空地の周辺に充満するかのように感じられる異様な気配の存在を察していた。そして気配は、潮が満ちるかのように拡がり、銃を持った民兵の大群の姿を借りて此方へ押し寄せて来るだろう―――――

 石川二曹は言った。

 「生存者はうまく隠したか?」

 「はい……!」

 「よし……!」

 『―――――墜落地点、墜落地点、こちら「サクラ」、状況報せ』

 「こちら石川、間もなく敵と交戦―――――」

 ドンッドンッドン!!

 「…………!!」

 耳を劈く銃声、火蓋を切ったのはやはり石川二曹だった。前方の廃墟を横切った影――――明らかに銃を持ったそれに、引鉄を引かない理由などこの場に存在してはいなかった。続いて加藤空士長が膏管を引き、小銃を構え直した時には、影の数は一気に十数体に増え、その一人々々が持っている武器の相違すら、量れる距離にまで迫っていた。

 「射撃なんて……レンジャー課程以来だぜ」

 「自分もですよ」

 四発を噛み締めるように放ち、石川二曹は言った。

 「お前、家族は?」

 「妻と……子供があと約二ヶ月後……」

 「そうか、俺にも妻と娘がいるんだ」

 「じゃあ、お互い死ぬわけにはいかないですね」

 と言いつつ撃ち放つ三発―――――それはマシンガンを構え突進してきた二名の敵兵を即座に打ち倒した。その間も、敵の発砲はその数を拡大させ、物陰という陰から放たれた弾幕は、彼らの寄り添うヘリにまで及んできた。

 「廃屋まで後退するぞ!」

 「もう少し! もう少し粘りましょう!」

 被弾し、火花の散るヘリの残骸に体躯を預けて応戦しつつ、二人の会話は続いた。影、また影――――それらに彼ら二人が狙いをつけ、引鉄を引く度に敵は明らかに怯み、そして圧されていくかのように二人には思われた。

 「装填……!」

 低い声で叫び、新たな弾倉を64式小銃の機関部に叩き込む。ただ引鉄を引き続けている間だけ、自分たちが危機にあるという現実を忘れられるような気がする。増援を求めるとか、逃げるとか、そんな行為など愚かであり、そして無駄であるということを、彼らは無意識の内に悟っていたのかも知れなかった。

 軽快なまでに轟き、必殺の弾丸を送り出す小銃―――――跳ね上がった薬莢の数だけ敵は斃れ、そして新たな敵の影を射手の前に見出させてくれる。

 屈射の姿勢のまま、あるいは中腰の姿勢のまま移動を繰り返し、凡そ肉眼で視認しうる敵影に対し、二人は銃の引鉄を引き続けた。大抵の場合、64式小銃は命中すれば一発で敵兵を昏倒させることが出来た。口径が大きい分威力のある弾丸を使用できる64式の、それが今現在の唯一の強みであった。そして正確な照準は、二人を取り囲む襲撃者たちに接近を躊躇わせる効果を期せずしてもたらしていた。

 「ロケット弾!」

 加藤空士長の絶叫に、思わず巡らせた眼差し―――――

 「――――――!?」

 ロケット砲を担いだ敵兵が、その(やじり)のような先端をこちらに向けるのを見た瞬間―――――

 「伏せろ!」

 ブウゥゥゥゥ……ン!!!

 回転する弾体の発する不気味な飛翔音を、石川二曹は伏せた姿勢のまま背中に聞いた。金属が捩れ、弾ける音とともに、背中が熱くなるのを石川二曹は感じた。ロケット弾を被弾したヘリコプターが炎上し、もはや弾よけとして用を為さなくなったのを彼は悟った。

 「加藤!」

 身体を起こし、名を呼びつつ視線を巡らせる。その眼差しの先に倒れ込んだまま動かない加藤空士長の傍まで駆け寄り、石川二曹は言った。加藤空士長の横たわる地面に赤い池が出来ているのを、石川二曹は見逃してはいなかった。

 「立てるか?」

 「ハイッ……!」

 「後退するぞ!」

 「了解!」

 肩を貸し、引き摺るように廃屋へと後退する。その彼らの後を追うように着弾は間断なく続く。

 「こんなところで死ねるかよ!」

 「同感です……!」

 応じる加藤空士長の声に籠る苦悶―――――彼の股の付根部分から酷く出血しているのを、石川二曹は見逃してはいなかった。放り出すように廃屋へ加藤空士長を押し込み、石川二曹は迫る敵兵に向かい64式小銃をフルオートで撃った。敵の追撃を遅らせ、時間を稼ぐための乱射―――――出来得れば、弾丸の浪費は避けたかった。

 「まだ銃は使えるか?」

 「はい!」

 ガン! ガン! ガン!

 土塀を穿つ……というより砕き割るかのような勢いで着弾する弾丸――――炎上を続けるヘリの向こうに、迷彩したピックアップトラックが蠢いているのを石川二曹は見た。

 『武装車両(テクニカル)―――――!』

 ピックアップトラックの荷台に乗せられた長大な機関砲が、火炎のような発砲炎とともに重い弾丸を吐き出す。機関砲弾は石川二曹たちが立て籠もる廃屋の土壁を軽々と貫通し、二人はその破壊力、そして衝撃力に翻弄された。

 「伏せろ!!」

 言うが早いが、加藤空士長を庇うように石川二曹は伏せた。弾丸が土壁を穿つ度に上から容赦なく飛び散り、降りかかる破片と埃……全身を預けた地上までも着弾の衝撃は拡がり、二人の肉体を苛むのだった。それでも着弾によって穿たれ、拡がった孔は、二人に反撃の機会をも与えていた。再び身を起こすと、二人は同時に孔から64式小銃を構え、近付いてくる民兵に向けて引鉄を引き続けた。

 マシンガンを乱射しつつ走り寄って来る人影が、正確な射撃に弾かれ前のめりに倒れ込む。人影はさらにその数を増し、二人の射撃に阻止され斃れる人間の数もまたその数を急激に増していくのだった。

 「装填!」

 「弾がない! 弾を!」

 と石川二曹は叫んだ。加藤空士長が弾倉を一本投げ渡し、そして叫んだ。

 「これが最後だ!」

 最後の一本を機関部に叩き込み、石川二曹は膏管を引いた。切換スイッチが単射モードになっていることを一瞥で確かめ、もはや群衆とでも言っていい数にまで膨れ上がった前方の敵へ向け狙いを付け、そして引鉄を引いた。何度も、何度も――――――

 銃声―――――

 絶叫―――――

 引鉄を引く度に斃れる人、人、また人……それでも彼らにとっての敵は凶暴なまでの直進性を持った「群」となって、ジワリジワリと、そして着実に二人との距離を縮めてくる――――――

 「―――――!」

 小銃弾の枯渇―――――

舌打ちとともに、加藤空士長は腰のSIG9mm自動拳銃を引き抜いた。引鉄を引く度に、噴水のように勢いよく飛び出す薬莢―――――吹っ切れたように放たれる拳銃弾の発砲間隔はマシンガンのように短く、不用意に距離を詰めた民兵を、それこそ草を刈り倒すかのように昏倒させていく。それに続くように、小銃弾を全て使い果たした石川二曹もまた、SIGでの応戦を始めていた。

 「――――――!?」

 最初に気付いた加藤空士長が目にしたその影は、明らかに子供だった―――――

 群衆を掻き分け、そして二人を守る土塀の死角から走り寄って来た子供は、その手に何かを持ち、そして加藤空士長の眼前でそれを投げ込んだ―――――

 『手榴弾――――――?』

 その「何か」の正体を最初に察知したのは、子供の接近に遅れて気付いた石川二曹だった―――――

 投げ込まれた「それ」が接地するより早く、石川二曹は小銃をかなぐり捨て、加藤空士長の上に圧し掛かる様にして伏せた―――――

 ボン――――――……!!!

 閃光――――――

 空白――――――

 硝煙――――――

 強烈な血の匂い――――――

 直後に群衆は距離の壁を越え、そして土塀を越える―――――

 「…………!!!」

 表記不能な絶叫とも、喚声とも付かぬ声―――――それらを上げる「群」は、堰を切った洪水のように、溢れんばかりに廃屋に殺到し、それまで彼らの前進を止めていた二人の異邦人を取り囲むや否や、表記不能の罵声を投げ掛けつつ交互に蹴りを入れ、または足を蹴り下ろし、唾を吐きかけ、そして銃床を振り下ろした。

 「…………!」

 暴力の暴風に、歯を食い縛って耐え続ける内、二人から次第に薄れゆく意識―――――

 ドン! ドン! ドン……!!

 銃声――――――

 その暴風が、不意に止まった―――――

 「…………」

 加藤空士長は、眼を開けた―――――否、開けようと試みた。

 「…………」

 開かない?……片方が腫れている、と思った。

 どうにか開いた一方の眼差しを凝らした先―――――彼は我が目を疑う。

 「石川二曹……!」

 苦しそうに、大きく胸で息をする様と、地面に拡がる血溜りから、加藤空士長は僚友が死に瀕しつつあることを知った。

 落涙―――――――霞む視界。

 同時に―――――――じんわりと湧く覚悟。

 そのとき――――――

 「群」の一隅が割れ、一人の男が進み出た。

 「…………?」

 若い……未だ二十歳にもなっていないだろう。顔立ちでそう判った。編まれた長髪は八方に拡がり、顎に髭を生やしていたものの、明らかに若々しい顔立ち、それでも長身も相まって鞭のような細さと強靭さとの絶妙なバランスを持った体躯と、そして精悍な顔の輪郭と鋭く烈しい眼光は、およそ加藤空士長の知る限り、二十歳で持ち得るそれではなかった。

 あいつが――――――?

 あいつが……この群衆の長か?

 心中の問いかけでは、彼の気を引くことなど出来はしなかった。そして何よりも、いまのところ漆黒の肌を持つその青年の関心は、自分の相棒にあることを加藤空士長は悟っていた。左右に部下を従えたその若い男は、ただ凝視のみで、その対象と意志を通じ合える能力を持っているかのように見えた。

 男が、拳銃を抜いた。

 「…………」

 何も言わないまま、憔悴し切った薄目で男を見上げる瀕死の石川二曹の頭に、彼はその狙いを付けた。

 パンッ―――――――銃声、その一回で吐き出された弾丸は、正確に加藤空士長の相棒の頭部を貫き、そして彼から命を奪った。

 「――――――――!!」

 絶叫―――――――それを発した異邦人の片割れを、ダキは拳銃をこと切れたもう一方の異邦人に向けたまま、無感動に見遣った。拳銃には未だ十一発の弾丸が残っていた。

 「…………」

 その異邦人の装具は乱れ、そして彼自身も酷く傷付いていた。

 片眼の瞼が醜く腫れ上がって膨らんでいたが、開かれたもう一方の目が、ダキに対する怯みの無い敵意を注いでいた―――――それこそが、ダキに足を向けさせる動機となった。

 足音は加藤空士長の耳元に迫り、そして恐るべきまでの至近で止まった。

 「…………」

 自分の顔面に向けられた銃口を見上げる頃には、加藤空士長はもはや戦闘とは関係のない、まったく別のことを考えていた。

 戦況――――――

 死後の自分に対する扱い―――――

 そして―――――

 遺された妻子のこと―――――

 不思議と、怖くは無かった。

 不思議と、涙はすでに枯れていた。

 そして―――――

 拳銃を下ろした若者が、何かを言った。

 「楽に逝け」

 パンッ――――――!!

 思わず瞑る目―――――

 『―――――――――!!?』

 顔面に降りかかる、生暖かい何かを感じた時、加藤空士長は思わず眼を開けた。

 血……?

 自分のものではない……?

 探る様に見上げた先で、加藤は信じられないものを見た。

 静寂―――――それも嫌な―――――

 加藤空士長に拳銃を向けていた男は、不意に襲いかかってきた打撃に対し踏みとどまるかのように二、三歩よろめいた直後に、加藤空士長の隣に音を立てて倒れ込んだ。

 手を離れ、地上にバウンドする拳銃――――――

 同時に付きつけられる体臭と血の匂い―――――倒れた彼の背中が血に酷く汚れているのに、加藤空士長は驚愕した。

 「―――――――――!!!!」

 「何だ!?」

 群衆が割れ、そして崩れた―――――

 側近らしき人影が倒れた男を引き摺り、そして担ぎあげるや、混乱は一層広がり、群衆は自壊していく―――――その指導者を失った途端、暴力的な秩序で維持されていた群衆は、自ずと崩れざるを得なかったのであった。

 「みんな無事かぁ―――――――――っ!!」

 何処から聞こえて来たのか測りかねたが、それは紛れもない日本語だった。上方からの銃撃、期せずして沸き起こる悲鳴―――――指導者を失った上に、突如の奇襲に浮足立った群衆が八方に散り、全てが静寂に戻るのと打って代わり、数名の見慣れた人影が廃屋の陰から走り寄って来るのを加藤空士長は見た。

 自衛官……?

 迷彩、装備、立ち居振る舞い、そして言葉―――――それらから導き出した結論が、友軍による救出であることを加藤空士長が悟った瞬間、両の眼から大粒の涙が零れ出し、そして血と泥に汚れた顔を濡らしていく――――――

 「こちら先行班、墜落地点に到達。一名の死亡を確認。あとの二名は生存を確認した。至急救援を要請する。救援を請う。送れ」

 マイクに告げるや、指揮官らしき隊員が腰を下ろし加藤に顔を近付けた。階級章から最初に二等陸曹だと判り、そして何処かで見た顔だと判ったが、それ以上を考える精神的、そして肉体的な余裕は加藤空士長からはすでに失われつつあった。

 おれは助かった……

 だが他の連中は……

 自分以外の誰かの無念を代弁するかのように、加藤空士長は涙を流し続けた。



クルジシタン基準表示時刻02月09日 午後15時52分 PKFサンドワール基地


 飛び込むように走り込んできた車列は、さながら敗残の列となって基地の正門を潜り、そして広大な飛行場内の基地本部前で止まった。

 「負傷者を下ろせ! 医務室へ!」

 医務室……とは言っても、辞書的な意味でのそれは、それ以前に搬送された負傷者の数そのものにより、とうにその機能の限界を超え、そしてその収容機能を失っていた。従って基地の医務班と施設科は協働し何処か広大で、雨露を凌げる場所に、相応の機能を即興で設けねばならなかった。そしてそのような余剰性を持った場所は、この広大な基地に一箇所しかなかった。

 「あー…………」

 とうに負傷者が搬入され、医療機材と医務班でごった返す隊員宿舎を、停車場を求めて移動する武装車両(ガン‐トラック)の荷台から、高津 憲次一等陸士は呆然として眺めていた。同じく荷台からその様子を見詰めていたガン‐トラックの隊員が、呆れたように言った。

 「今日は外で寝ろってか……」

 「ばか! 負傷者の身にもなってみろ」

 と、車両指揮官の大石二等陸曹が目を剥いて声を荒げた。元の隊員宿舎から視線を転じた先、被弾した高機動車の並ぶ一角では、少なからぬ数の健在な隊員が、武器科員を前に色を為してなにやら言い立てていた。

 「――――弾薬をくれ。交換の武器も頼む」

 「――――食糧と医薬品も欲しい。すぐに準備してくれ。もう一度行くぞ」

 「武器弾薬」、「食糧」、「再出撃」―――――停車場から聞こえてくる会話の何れもが最低一つはその単語を含んでいた。高津一士は蒼白な顔もそのままに呟く―――――

 「まだ行く気なのかよ……」


 「大清水一尉であります!」

 自分の前に進み出、敬令した若い幹部自衛官を、筧陸将補はあくまで平静そのものの表情で迎えた。答礼した後も、その立ち居振る舞いは変わらなかった。

 「筧だ。任務御苦労。状況を報せ」

 「報告します。帰還部隊、死者7名。負傷者37名……健在な者、18名。全員を司令にお預けします」

 彼自身傷付き、汚れた装具、同じく汚れ切った頬―――――だが憔悴の色は大清水一尉からは一片すら見出すことができなかった。筧陸将補は小さく頷き、言った。

 「本隊は間もなくアーミッドより撤退し、作戦は終了する。戦地からの負傷者の後送という困難な任務をよく完遂してくれた。あとはこちらに任せ、ゆっくり休んでくれ。報告書は後でよい」

 「司令、気になる情報を聞いたのですが……」

 「ドルコロイのことか?」

 「はい、そのことであります」

 筧陸将補の顔に、やや明るさが戻るのを、大清水一尉は見たように思った。

 「指導者ドルコロイは現在前線本隊の保護下にある。本隊は今夜の内にドルコロイを連れあの街から完全に撤退する。ドルコロイ本人の身柄を確保した以上、この戦闘を明日まで持ち越すようなことは絶対にしない。それが司令部の方針であり、私の方針だ」

 「保護下……ですか?」

 「そう、向こうの方からそれを申し出、我々が保護している」

 「…………」

 「司令、お願いがあるのですが?」

 「言ってみたまえ」

 「もう一度、自分をあの街に行かせてください。任務が成功したとはいえ、本隊には未だ戦力が必要です」

 嘆息――――――その後にははにかむ様な微笑が浮かんでいた。

 「止めても無理だろうな……」

 顔を上げ、筧陸将補は言った。

 「大清水一尉、出撃を許可する。健在な者より志願者を募り、装備を整えて直ちに出発せよ。全ての責任は……本官が取る」

 「大清水一尉、命令を受諾します!」

 敬礼するや踵を返し、部下の許へと引き返しかけた大清水一尉を、筧は呼び止めた。

 「……違えるなよ。これから行くのは健在で、かつ志願した者だけだ」

 「はっ! 心得ております!」

 了解―――――口元に微笑を溜め、筧の許から駆けた先、命ぜられずとも集合を終えていた健在な陸曹たちが、周囲に散る部下たちに声を張り上げた。

 「健在な者は集合しろ。集合!」

 一群を為し、自分の周囲に集まってきた隊員たちを、大清水一尉は見回すようにした。彼らの多くが肉体的には未だ健在さを保ってはいた。だが、泥と硝煙に汚れ、旧都の過酷な現実を前に精神的に打ち召された若者たちの顔、顔、また顔……その点で、自分が今まさに下そうとしている命令の、無謀なることを大清水一尉は自覚するのだった。

 「これより我々は武器弾薬の補給の後、再び旧都に進出する。だが再出撃にあたり、以後、我々はあくまで志願者だけを連れ旧都に出発する。諸君らはこれまで過酷な前線においてよく戦い、最善を尽くしてくれた。本官は指揮官として、そして一人の人間として諸君ら隊員にこれ以上の戦闘継続を要求することはできない。だから後の任務参加は諸君らの自由意思に任せる。なお、ここで表明された諸君らの意思が、今後の昇進や査定に影響することはないことを本官は約束する。随伴を望まない者は基地に残ることを許可する。任務参加を志願する者は速やかに武器弾薬の補給と装備の更新とを終え、再び此処に集合せよ……以上!」

 ひとしきり、言葉を口に出した後、大清水一尉は再び一団を見回すようにした。疲弊し切った無表情の一団―――――だがその内少なからぬ数が、その眼の奥に妙な光を湛えつつあるのに気付いたのは大清水一尉だけではなかった。

 「……これより隊は一時解散する。なお集合は十分後とする。解散!」

 「解散!」

 眼前の若い一等陸尉は、まるで部下たちを再び死線の只中に駆り立てる方策を、悪魔のように心得ているかのように高津一士には思われた。そして号令の直後、隊員たちの群は武器弾薬の集積された区画へ駈け出す数名と、引き摺るかのような歩調で宿舎へ足を向け始めた多数に二極分化したように、高津一士には見えた。武器弾薬の集積区画へ走った隊員は、表情一つ変えずに小銃の弾倉を防護服のポケットに押込み、あるいは淡々と以後必要となるかもしれない暗視ゴーグルのチェックに取り掛かっていた。

 「おい……どうする?」

 「おれはパスだ。行かないよ」

 「おれも……もう精神的に無理だ」

 背中に憔悴し切った同僚たちの会話を聞きながら、高津一士は集積所へ向け、知らず歩を進めている自分に気付いた。そして歩くのを止めた。

 『……行ってたまるか』

 怖かった……ごく近い過去の記憶は、若い隊員から動く意思を奪い、そして漸くで取り戻した生存への望みは、在るべき場所へ若者の身柄を留めておこうとしているかのようであった。

 そのとき、背後に気配を感じた。高津一士が振り返るより早く、大石二等陸曹が前へ進み出、すれ違い間際に高津一士の肩を叩いた。

 「二曹……?」

 「お別れだ。お前はゆっくり休め」

 「自分は……」

 「……いいって」

 大石二曹は笑った。疲れた男の笑いであった。だが、美しい笑顔であるように高津一士には思えた。その間、高津一士と同じ側にいた残留組から数名が駈け出し、二人を追い抜き集積所の方向へと向かって行った。

 「無茶だけど……これが俺たちの宿命よ」

 大石二曹は駈け出した。呆然と立ち尽くし、遠巻きに集積所の様子を見守る高津一士の眼前で、再出撃を望んだ男たちは見る間に装具の補充と装備を終え、そして指揮官たる大清水一尉の許へ集まって行く。時が経るに従い、高津一士の足もまた集積所へと向かい、そして近付いていくのだった。

 相克―――――勇気と恐怖。

 生を得た一方で、やり残したことがあることを、若者は知っていた。

 だが、その「やり残したこと」はあまりに厳しく、重い課題。

 課題―――――自らの生命をも賭さねばならぬ程の課題。

 気が付けば、高津一士は人影が消え、誰も立つ者のいなくなった集積所に、まるで取り残されたように立ち尽くしていた。

 「…………」

 9mm機関拳銃?……眼前にただ一丁残っていたそれに、何気なく手を伸ばそうとした瞬間―――――

 横から延びる手―――――不意に延びたそれは勢いでも、そして素早さでも高津一士の手に勝った。

 「!?」

 女性だった。しかも装具から判断するにパイロットだった。ミラーグラスにその険しい眼光を隠した女性幹部は、忙しげな手付きで手にした9mm機関拳銃を弄った後、それを纏っていたヘリコプター操縦士用のサバイバルベストに突っ込み、そして次にはあるだけの弾倉を鷲掴みにしてポケットに押し込み始めた。鬼気迫るその様子に目を奪われた高津一士を、その女性幹部は睨み返した。

 「…………?」

 「何見てるのよ。あんた……!」

 睨みながらに、彼女の手は次にはSIG自動拳銃へと延び、女性幹部は手にしたそれを空のホルスターに挿し込み、そして拳銃の弾倉をも凡そ持てるだけの分を再び飛行服に押し込んでいく。それだけを終えるや、女性幹部は全ての準備を終えたかのように集積所から離れ、おもむろに背後のヘリの列線を顧みるのだった。

 「もう一度出るぞ! ミニガンの点検を怠るな!」

 離陸を待つヘリのキャビンに積み込まれた物資の山――――機外に溢れんばかりに押し込まれたそれに、高津一士は改めて目を見張る。最初は大股に、やがて足早に駈け出すや、女性パイロットはUH-60JAの機長席にヘルメットを被りながらに滑り込み、そして窓から親指を上げて叫んだ。

 「モンハン01、準備よし!」

 心が決まるより早く、身体の反応の方が早かった。眼前に置かれた最後の一丁―――――MINIMI分隊支援機関銃を引っ掴むや、高津一士は声を張り上げた。

 「MINIMIだ! MINIMIの弾丸をくれ!」

 突然の怒声に、驚いた武器員が弁当箱のようなMINIMIの弾倉を持ってきてくれた。それを三個雑嚢に押し込み、さらに残された89式小銃の弾倉を凡そ持てるだけ掴み、青年はベストに押し込み始める。構造上、MINIMIは89式小銃の弾倉も使用できることになっているが、少数生産品特有の「くせ」のおかげで装着と給弾が上手くいかない場合がある。此処の点はまさに運の問題だった。高津一士は「上手くいく」方に賭けた。

 次に手榴弾、閃光手榴弾、暗視装置……一秒でも必要と思えたものを、持てるだけ持ったときには、増援部隊の隊員を乗せた車列が滑走路上をゆっくりと動き始めていた。

 「…………!?」

 「出発ぁーつ!!」

 指揮官の声が滑走路上に響いた。弾かれたように振り返り、高津一士は走り出した。

 『―――――モンハン01、離陸する(リフトオフ)!』

 物資を満載し浮遊を始めるUH-60JAの巨体――――――滑走路上に巻き起こる衝撃の波を掻い潜る様にして大友一士は腰を落として駆け、再び正門へ向かう車列の後を追う隊員の姿は、車列の後尾の認めるところとなる。


 「一人来るぞ!」

 後尾の速度が落ちた。高機動車の荷台後部から延びる手―――――それを掴もうとして高津一士は二三度失敗し、歩速を上げて漸くに掴む。

 不意に縺れる脚――――――やばい!

 引っ張られる!――――――そう思った時には高津一士は引き上げられ、烈しい衝撃と共に荷台の床に叩き付けられていた。

 「フン、感心なこった」

 手を引っ張った古参兵のからかう様な声―――――作り笑いでそれに応じる。

乗り込んでいた隊員が席を空けてくれた、勧められるがままにそれに腰掛けた高津一士の表情に、硬さが宿り始めるのを彼らは見逃さなかった。

 「ビビるなって、みんな生きて還れるよ」

 「だといいですね」

 荷台から臨む、遠ざかりゆく安楽―――――

 今度も、生きて還る――――――

 絶対に―――――

 生還を決意しながらも、脳裏で巡り来るその決意が、もはや確実に達成される種類のものではなくなっていることを高津一士は知っていた。


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