第2話――『20人の悪漢と三田三太』
大澤が率いる「チーム悪漢」こと正式名称「マッド・ベア」は、
この街でも屈指の武闘派集団である。
病院送りにされた者は数知れず、大澤自身チーム発足の前から
かなりの人数を再起不能にしたと噂される猛者だった。
そんな彼らが悪徳の街で存在感を発揮したのも自明のことと言えるだろう……。
ただ、彼らが台頭し始めた頃から、街の治安が良くなったと語る者もいた。
実際、それまで30分おきに起こっていた暴力沙汰が劇的に減ったのも事実だ。
それは、彼らがこの街に跋扈していた他の勢力を潰して回った結果になのだが、
それ以上にリーダーである大澤の喧嘩哲学がこの街の治安に大きく関係していた。
大澤は、ある時を境に、格上か同程度の強さの勢力しか相手にしないようになっていたのだ。
そして、そんなリーダーに魅せられた落ちこぼれ集団がマッド・ベアであった。
そのマッド・ベアがホームとする、四方をビルに囲まれた空き地では、
今まさに彼らの大きな笑い声が反響していた。
「サンタクロース!? ボクたち、頭大丈夫か!?」
そこでは、マッド・ベアの面々に、三太とルドルフが自己紹介をしていた。
正真正銘、由緒正しい「赤きサンタクロース」である三太だが、人間の思い込みというヤツで
その身分を信じてもらえたことは一度も無い。
今回もルドルフが判り易いようにと用意した名刺が、若者たちの嘲笑へと繋がった。
確かに、髭も無ければ小太りでも無く、老人ですらない三太である。
赤いコートも、大きな袋もただのコスプレにしか見えないだろう。
場合によってはコスプレにすら見えないことだってある。
とはいえ、大澤を含め20人のマッド・ベアは、先刻目の前で起こった非現実的な出来事を目にしている。
本来ならば、三太に嘲笑を浴びせるには多少の勇気が要ったはずだ。
三太が跳び去ってから再び現れるまでのおよそ3時間。
チーム全体に拡がった動揺が短時間で抑えられたのは、
大澤と田中、両首脳陣への信頼によるところが大きかった。
三太たちが跳び去り、取り残されたマッド・ベアの面々は混乱の中で沈黙していた。
その時、おもむろに大澤剛司が自力で肩を入れ、
No.2の田中康弘が照れ笑いで「リアルにチビッた」と
告白したことで雰囲気が一変した。
混乱するばかりだった一同が、2トップの冷静な反応を頼りに
「ほんの少しだけ怖い目にあった」という
共通の答えにたどり着いたのである。
さらに、再び落下して現れた三太への大澤の乱暴な一言が、
少年への複雑な感情までをも一瞬で飲み込むきっかけとなった。
「お前のその赤い上着も悪くねぇ。ただ、その大袋がいまいちだな。危ねぇ上に小汚ぇ」
ここで、すかさず応えた三太の少年らしい笑顔も彼らの警戒心を解くのにひと役買っている。
「まぁな。この袋は仕事道具だ。俺もイケてないと思う。なんかちょっと臭いしな」
「仕事? 若いのに偉ぇじゃねぇか。でもよ、チャカ持ち歩くって、その歳でお前カタギじゃねぇのか?」
かくして、この問いに対するルドルフの横やりが先程の爆笑を生んだのである。
赤と緑のクリスマスカラーで作られた名刺を差し出して曰く――。
「どもッス。アタシらぁサンタクロースッス! アンタたちを守るために来たッス!」
皆に笑われ、涙目のルドルフが三太に小声で話しかける。
「やっぱりクズッス! コイツら性根が腐ってるッス! いきなり笑うなんてあんまりッス!」
苦笑いで獣の相棒をなだめる三太。
「まあ、いいじゃねぇか。コイツら全員“ギフト持ち”だ。
性根の、そのまた大元のとこじゃ、良い子なんだよ」
ルドルフから受け取った名刺をしげしげと眺めていた大澤も思わず吹き出し、
厳つい顔に不似合な笑顔を浮かべている。
「ほらな? 可愛いもんじゃねぇかよ、な?」
満面の笑みをたたえ、なぜか自慢げに同意を求める三太。
ルドルフは口の中に反論を押し込み、一先ずは納得したように
まぶたを軽く閉じて三太の次の言葉を促すことにする。
その合図を受け、三太が語りかける。
一拍置いて、皆が落ち着くのを待つ。
「あ~……まあいいよ、信じなくても。それよりも……
おい、お前、さっきは殴ってゴメンな? 名前は?」
不意に指名された若者のアゴは赤黒く腫れていた。
先程、出会いがしらに三太がぶん殴った若者である。
大澤が「大丈夫だ」と言いながら頷くのを確認すると、その若者はボソリと応える。
「……鈴木」
「お前が鈴木か! どうだ、まだ野球やってんのか?
って、やってねぇな……俺はその手の豆の痕、嫌いじゃねぇけどなぁ」
その言葉に一同が目を見開き、再び静まり返る。
確かに鈴木は野球少年だ。いや……正確には「だった」だ。
高1の春に、ある事故がきっかけで利き腕とそれまでのキャリアを
フイにするまでは……だ。
「確かに残念だったけどよ、そんなに好きなら辞めるこたぁねぇんじゃねぇか?」
不意に三太が鈴木の尻のポケットを指さした。
そこには薄汚れた硬式球が入っている。
しかし、そのことは仲間の誰にも、尊敬する大澤にすら話していない彼の恥部である。
そのボールは、鈴木が野球への未練を断ち切れずにいる“夢の残骸”であったからだ。
今まで隠し通してきた弱みを見透かされ、驚きのあまり言葉も出ない鈴木。
さらに三太はその元野球少年・鈴木を皮切りに、全員の疵を次々に言い当てていく……。
「設楽。ピアノじゃなくても音楽はまだまだ奥が深いんじゃないのか?
やめんなよ」
「まだ諦めるのは早ぇだろ。お笑い大好きなんだろ、高橋?」
「遠藤、親のせいにすんなよ。奨学金って知ってるか?」
「ビビってんのか、竹井? お前より強ぇ棋士なんてゴマンといるんだぜ?」
「まあ、島崎の気持ちも判るよ。でもさ、マイナーでも良いじゃねぇかよ、好きなんだろ?」
………………。
20人分の鬱屈した想いを一気に言い終えた三太が大きく息を吐く。
さっきまで笑っていたマッド・ベアの面々は、三太の不気味な叱咤を受けて完全に黙り込んでしまっていた。
「いい加減にしてくれ」
永い沈黙のあと、口を開いたのはやはりリーダーの大澤だった。
静かな口調ながら表情は強張り、握った拳が震えている。
「どこで聞いたか知らねぇが、偉そうにくだらねぇ説教始めやがって。
……ガキが、俺らなめてんのか?」
顔面蒼白の仲間たちを庇うように、一歩前に出る。
「くだらねぇ? そりゃ聞き捨てならねぇな、大澤。
ここにいる全員が素晴らしい才能を受け取ってるはずだぜ?
お前だって……」
言い終わらないうちに大澤の拳骨が三太の口を塞ぐ。
「偉そうに! てめぇに何が解んだよ、あん!?」
顔面に大澤の拳を残したまま三太が笑顔を作る。
「この一発は仲間想いが高じてってことにしとこうか……。
だがな大澤、それじゃぁ俺はビクともしねェ。
なにしろ俺は、本来お前がこれから持つはずのギフトをまとってんだからな。
それを俺達はそれをこう呼んでる」
"スキルズギフト・タイプ:アイアンマン"
「弛まぬ努力を続けたヤツにだけに渡される後天型のレアものだ」
三太の言葉に耳を貸さず、続けざまに拳を繰り出す大澤。その度に衝撃音が重く響く。
「訳わかんねぇこと言ってんじゃねぇよ!」
しかし、いくら殴られても三太は涼しい顔だ。
逆に大澤の拳の方が傷つき、血がにじんでいる。
「ただし、俺が使うのは、ギフトのポテンシャルを100%引き出した深化形だ。
それに……まあ、ちょうどいいや。見せてやる、これがお前のギフト。アイアンマンだ!」
三太の袋が発光し、次いで右手が黒く変色する。
そして、ゆっくりとした動作で大澤を軽く小突くと、その巨躯がいとも容易く浮き上がり、
かたわらに積んであったビールケースの山に吹き飛ばす!
派手な音をだしてケースの山に埋もれていく大澤。
リーダーのピンチに気色ばむ一同だったが、目の前の超人に飛びかかる勇気があろうはずもなく、
目を血走らせて遠巻きに取り囲むばかりだ。
「そういきり立つなよ。悪いようにはしねぇから。てか、言ったろ?
俺はお前らを守りに来たんだって。
……そうだな、まずは鈴木、お前からだ」
三太が一歩踏み出すと、鈴木は腰を抜かしてへたり込んでしまう。
「ひっ! く、来るな、化け物!」
三太は苦笑いしながらコートの内ポケットに手を伸ばし、一冊のノートを取り出す。
「はいはい。お前にはコイツを渡すだけだから近づかなくても大丈夫だよ」
そう言うと、薄汚れたそのノートを鈴木に投げる。
受け取った鈴木はノートの表紙に書かれた、クセのある極太の文字にさらに驚愕する。
“香林高校野球部活動日記”
狼狽する鈴木に三太が告げる。
「そう、お前も知ってる野球部の顧問が書いてた日記だよ。
死ぬ直前まで部員のことばっかり飽きもせず延々と書いてあったぜ?」
三太は声のトーンを少し落とし、務めて優しい声音で鈴木に語りかけている。
「死んだ!? あのジジイが!?」
鈴木の顔は一層青ざめ、その目はいまにも泣き出さんばかりに充血していた。
「ああ、先月な。まあ、残念だけど仕方ねぇさ。人間はいつか死ぬ。
ただ……それよりも、それ見てみろよ。もっと驚くぜ?」
震える手で乱暴にノートをめくり、むさぼるように読み進む鈴木。
その日記には、部員それぞれの家庭環境、学校生活での問題から始まり、
現在に至るまでの経緯とこれからの対処法が事細かに記されていた。
その中でも特に鈴木の目を惹いたのは、左投手の育成法やら、
ポジションのコンバートを円滑に進める指導法、故障者へのメンタルケアなど、
部員をドロップアウトさせないために顧問が試行錯誤を繰り返す欄外のメモだった。
そして、最後のページ……つまり三太が言うところの彼の死の直前。
そのページを見た鈴木の目から大粒の涙があふれ出す。
"野球は楽しい。
1年前、それをアイツに目一杯教えてやれなかったことが心残りだ。
鈴木、野球は楽しいんだ"。
「お前、右利きだろ? で、ぶっ壊れたのも右。でもよ、左がまだ残ってるんじゃねェの?
それにさ、俺は良く知らねェけどピッチャーだけじゃねぇんだろ、野球って?」
三太の言葉は最早鈴木の耳には届いていないようだ。
込み上げる感情に押し流されまいと、瀬戸際の処で必死に立ち尽くしている。
「さあ、どうする鈴木? 俺はその顧問のオッサンなんて知らねぇし、思い入れもねぇ。
だがな、お前は違うんじゃねぇか?」
皆が固唾を飲んで見守る中、尻のポケットに入ったボールの熱を感じる鈴木。
鈴木の中で顧問の言葉が蘇る。
"記念に"
そのボールは鈴木が学校を辞める時、そう言って顧問が放ってきたものだった。
顧問が見せた悲しそうな目を、鈴木は今でもハッキリと覚えていた。
……と、ビールケースの山の中から野太い声がする。
「鈴木、お前先週顧問に街で会ったって言ってなかったか?」
乱暴にビールケースを蹴散らしながら全く無傷の大澤が現れる。
「おおっ。大澤、お前やっぱ頑丈だなぁ」
明るい表情で感心する三太を無視して大澤が鈴木に歩み寄る。
「確か……元顧問のヤロー、白髪が増えて年取ったとかって言ってよな?」
短く呻いた鈴木が、殺意のこもった目で三太とルドルフを睨みつける。
嘘がバレてバツが悪そうに頭を掻きながら三太が笑う。
「あ、バレた? あ~あ、もう一押しだったのになぁ、チェッ!」
その瞬間、三太の頭がハリセンで弾かれ、辺りに乾いた音を響かせた!
どこから取り出したのか、ルドルフが鼻息荒く厚紙で出来たハリセンを握っている。
「親分、最低ッス! 人の生き死にネタにしたらダメッス! 鈴木さんに謝るッス!」
言いながら、三太に土下座をさせようとグイグイ頭を押さえつける。
子供のように口を尖らせてソッポを向いている三太……。
土下座するのしないのの押し問答の中、鈴木に謝るルドルフ。
「ウチのバカ親分がすまないことしたッス!」
そう言うと、鈴木を正面から見据えて問いかける。
「でもッスよ、鈴木さん。今、一瞬心動いたんじゃないッスか?
結果、本当に大事なモノ、見つけたんじゃないスカ?」
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太陽が西に傾き、黒崎の足元に長い影を落としている。
セーラー服の腹部に開いた穴のせいで、冬の気配を含んだ秋風が一層肌寒い。
三太がある一人の若者の岐路に立ち会っていたその頃。
黒崎は、三太との小競り合いを思い出していた。
三太を出し抜いたかに見えた彼女だったが、実際のところは命からがら逃げ伸びたと言った方が正しかった。
服が焦げ、むき出しになった白いウエストを気にしつつ冷や汗を拭っている。
「まったく、忌々しいですね。この私が……危うく消し炭になるところでした!」
高層ビルが立ち並ぶ街の中でも、一際高いビルの屋上で誰に言うでもなく苦々しく呟く。
彼女にしてみれば、突如現れた商売敵に獲物を奪われたのだ。
しかも、まるで自分が悪者であるかのごとく批判され、自慢の胸まで侮辱された。
サンタクロースの仕事を始めて、こんな屈辱は初めてだった。
本来ならばあの場で八つ裂きにするところだが、三太の灼熱の拳は思いのほか強力だ。
あのまま続けていれば、パワーで押し切られていたかもしれない……。
黒崎は吹き上げるビル風に黒髪を弄ばれながら、小さく舌打ちする。
その時、ビル風のそれとは明らかに違う突風が彼女を襲った。
黒崎は、足元にステッキに変えたリボンを突き刺して突然の猛風をやり過ごす。
「くっ……何ごとですか!?」
風が止むと、今度は誰もいないはずの背後から声がする。
「白……黒ジャナイノカ……ザンネン」
驚いて振り返ると、そこにはワラで編んだ大きな蓑を被った、赤ら顔の大男が立っていた。
「黒ノ末裔ノ、パンツ、白……自覚ガ、タリナイ、オマエ、ワリィゴカ?」
顔を真っ赤にした黒崎が慌ててスカートの裾を押さえるも、時すでに遅し……だ。
「余計なお世話です! アナタ、この私にセクハラなんていい度胸ですね!」
非は相手にある。むしゃくしゃもしていたし……。
ひと目見て普通の人間ではないと判るコイツを相手にひと暴れしてやろう。
黒崎はこの時、そう考えたのかもしれない。
「スキルズギフト:タイプ・マジシャン! 喰ってください、剣山大脱出!」
黒崎が叫ぶと、彼女を巨大な箱が覆い隠し、中空に現れた無数の剣がその周りを取り囲む!
「さあ、お客さんAのアナタ。アナタはもうこの舞台から逃げられない!
私が入ったこの箱、剣が貫いた瞬間、何が起きますか……とくとご覧あれ!」
サンタクロースの強さは、スキルをいかに上手く組み合わせて使うかにかかっている。
三太は灼熱の拳の圧倒的熱量を、ダッシュが得意なギフトを駆使して敵に叩きこむ。
シンプルだが複数のギフトを使い分けることで立体的な打撃を与える事が出来る。
その意味で言えば、彼女本来のギフト「ボイス」と、偶然手に入れた「マジシャン」の相性は抜群だった。
今も、「ボイス」の能力で相手の行動を制限し、破壊力抜群の「マジシャン」の術中に陥れている。
無数の剣が巨大な箱を一斉に貫いた!
しかし、その中にいるはずの黒崎は、箱の横で不敵な笑みを浮かべている。
そして……目の前に突っ立っていたはずの大男の姿が消えていた!!
「大丈夫です。殺しはしませんから」
黒崎がステッキで箱を小突くと、扉が嫌な音を軋ませながら開いた……。
中から現れたのは……そう、片言で黒崎を侮辱した大男である!
彼は力なく一歩踏み出すと、その場に倒れ込んでしまう。
だが、次の瞬間、黒崎は信じがたい光景を目にすることになる。
その大男は、こともあろうに大きないびきを立てて眠り込んでいたのだ!
見ると、男を貫いたはずの剣は箱の中でひしゃげ、柔らかいはずの蓑さえ貫くには
至っていなかった。
大きな鼻提灯が弾けるのを合図に、目を覚ました男がゆっくりと立ち上がる。
「アデ!? クライカラ、ネチマッタ! タイクツナ、ギフト……クッテモ、不味ソウダ、ザンネン」
もう既に目一杯驚いていた黒崎だったが、男がポツリと言ったその言葉にさらに驚愕する。
ウホウホとせき込む様な不快な笑い声を吐き出しながら、その大男は
サンタクロースの天敵とも言える存在の名前を口にする!
「デモ、オラハ“レパルージ”。おっ母ノタメダ、オラ、ガマンシテ喰う!」
レパルージ……。かつて『悪徳はびこる背徳の街』で、一夜にして全ての人間のギフトを
奪い去った“お仕置き機関”の呼称である……。
黒崎の脳裏に、恐怖と共にある疑問が浮かび上がる。
「遥か昔に解体された組織の名前が何故、この怪物の口から?」
しかし、その疑問は黒崎の口を突いて出ることは無く、
代わりに、ギフトを奪われる可憐な少女の悲鳴が漏れ出るのみだった。
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「さあ、どうなんッスカ? 鈴木さんは果たして今ここでこうしていることが
本当の望みなんスカ?」
相変わらず土下座を嫌がる三太の頭を抑えつけながらルドルフが元野球少年・鈴木に迫っていた。
その鈴木は、眉毛が片方だけ吊り上がり、口元をへの字に曲げ、
混乱の極みといった表情を浮かべている。
三太の手の込んだ嘘への怒りと、ルドルフの問いに対する自問自答が彼を追い詰めていたのだ。
本来武闘派であるはずのマッド・ベアの面々も、鈴木の葛藤を想ってか一様に深刻な顔で
事の成り行きを見守っていた……。
「鈴木。今、思ったことを全部言ってみろ」
大澤が口を開く。一同が鈴木の返事を待つ。
戸惑う鈴木だったが、大澤に背中を押された事でようやく話し始めることが出来た。
「……正直、良く判んねぇです。
でも、俺、どっかであの人が俺を待っててくれるかもって、その……今までどっかで思ってて。
そんで、俺の肩はぶっ壊れて、部の連中にも迷惑かけちまったけど、コッソリ隠れて素振りとかしてたり……。
そんでそんで、あの人が死んだって聞いた時は、ああもう、それも終わったかもって。
んで、それが嘘だって解って安心したけど、そうなるとそれはそれで怖くなったっつうか。
その……」
たどたどしくも一気に話す鈴木の顔は真剣そのもので、大澤たちはそれを黙って聞いていた。
三太をなおも押さえつけるルドルフも、務めて音が出ない様に小声でたしなめている。
「何が怖いってんだ? 俺達マッド・ベアが恐れるほどに、それはそんなに恐ろしいモンか?」
鈴木の目をを真直ぐに見据える大澤。
三太が外野から「俺のこと怖がってたじゃん」とチャチャを入れそうになるのをルドルフが制する。
「あの……戻っても、実際には俺の居場所ねぇんじゃねえかとか……
あの人もすっかり忘れてんじゃねぇかとか……俺、今まで考えないようにしてきた事が、
そういうのが一気に来たっつうか……」
そう言って薄汚れた硬式球を見つめる鈴木は、今にも泣き出しそうだ。
もうとっくに答えは出ていた。彼はまだ、野球がやりたいのだ。
「このバカ野郎が!」
大澤が鈴木を一喝して殴り飛ばす!
勢い空中で一回転、そのまま着地して殴られた頬を押さえてうずくまる鈴木。
余談だが、猫のように身軽な動き……それこそが、
おそらく野球で磨かれたであろう鈴木の特技である。
強烈な一撃を喰らったはずの彼だが、自ら後方に跳んだことでダメージは最小限に抑えられている。
勿論、大澤もそんな事は承知している。元より本気でぶん殴る気などなかったのである。
不器用な大澤に代り、No.2の田中が口を開く。
「この腰抜けが! そもそもぶっ壊れて逃げ出したヤツを誰が待ってるってんだ、ああ!?
怖がる前にまずやってみることがあんじゃねぇのか!?」
両トップに責め立てられ、思いつめた表情でうつむく鈴木。
仲間たちが彼を庇うように大澤たちとの間に割って入り、口々に鈴木に代って許しを乞うている。
“こいつ、野球やりたいんですよ! 俺たちも協力しましょうよ!”
ルドルフの執拗なプレッシャーに耐えながら、三太が小さな声でボソリと呟いた。
「お前らやっぱ、いいヤツらだなぁ。ポンコツで、誰も待ってないかもしれないお前を、
コイツらは仲間だと思ってくれてるみたいだぜ? どうする鈴木?
お前、コイツら裏切って高校戻んの?」
鈴木は遂にその場で泣き崩れてしまった。
彼が隠し通してきた夢の欠片を顕在化させ、葛藤の淵に叩きこんだのは三太である。
その三太が今度は「裏切り」という激しい言葉でチーム離脱の罪悪感を煽っている……。
この少年は一体何がしたいのか?
その時、マッド・ベアが、遂にその狂暴な本性をむき出しにする!
「ふざけんな、てめぇ!」
三太を畏れていたはずの一同が、次々に襲い掛かってきたのだ。
「おお、いいね! お前らも仲間の為なら本気になれんじゃねぇか!」
受けて立つ三太。当然、ただの人間が彼に敵うはずがない……それでも誰一人怯む者などいなかった。
三太に殴り飛ばされても、すぐに立ち上がって向かっていく!
何人分もの拳を右手一本でいなしながら、持て余した左手の人差し指でなおも鈴木を挑発する。
「畜生!」
手にしたボールを投げ捨て、戦列に加わろうとする鈴木……しかし、鈴木が一歩踏み出した瞬間、
大澤の平手が鈴木を打ち据える。
「お前は手を出すな。この喧嘩はお前とは関係ねぇ。
俺たちはあのガキが気に食わねぇから潰す、それだけだ」
大澤の傍らで、敬和しい表情をした田中が乱暴に通訳する。
「要するにだ……あんな化け物みてぇなガキに目ぇつけられやがって、この足手まといが。
これ以上、面倒持ってこられても困るから、お前はもうクビって事だよ」
マッド・ベアが痛々しい努力を続ける中、いたたまれなくなったのか、
涙も拭かずトボトボと歩き出す鈴木。そして、去り際に一礼し、空き地を出て行った。
すると、怒りに我を失っていたはずの若者たちが急に大人しくなって
振り上げた拳を治めていく。
鼻から満足げなため息を漏らし、三太がなおも挑発する。
「フフン。どうした、もうお終いか?」
その言葉は三太の本心ではない。その事はここにいる全員が、なんとなく感じている事だった。
三太は、彼らの本心を余すことなくぶちまけようとしている。
ここを去った鈴木だって、野球への未練をさらされ、仲間の同情を買い、
挙句の果てに半ば強引に仲間たちと別離ることにもなっている。
この一連……本性を曝け出した気恥ずかしさも然ることながら、取り返しがつかない程に
鈴木の今後のキャラクターが決定される出来事であったと言えるだろう。
照れ隠しか、苦笑いの三太も語っている。
「はぁ~、恥ずかし。お前ら見てるとこっちが照れ臭くなんな」
こうなれば、鈴木もおいそれと「やっぱダメでした」と言って戻ってくる訳にもいかない……。
打ち捨てられた薄汚れたボールを手に、大澤が三太を睨む。
「これ以上やるんなら俺が死ぬまでつき合う。死んでもお前を潰す」
わかってると笑顔で答えた三太だが、恐らく大澤は本気だ。今日はもう潮時かもしれない。
「そうだな、出直すとするか。でもな、俺はまた来るぜ。
お前らとはまだ話さなきゃならんことが19コも残ってる」
三太が不敵に笑い、怒っているはずの大澤も、なぜか苦笑で応えている。
と、相変わらず三太にまとわりついていたルドルフが小声で話しかけてくる。
「(上手くいったッスね。これで彼のお人のギフトも浮かばれるッス)」
曖昧に答える三太。
「ん? あ、ああ……そう……かな」
三太が言葉を濁す時は、致命的で決定的な何かを隠している時だ。
周囲を驚かせながら大声を上げるルドルフ!
「何スカ!? 何、隠してるんスカ! この期に及んでまだ何やらかそうってんスカ!?」
殴りかかからんばかりの剣幕に、思わず真実を打ち明けてしまう三太。
「あ、いや……だからさ……あの鈴木のギフトなんだけどね」
「何スカ! 野球やり直す決意ぃ~色々な努力ぅ~開花ぁ~って、シナリオは出来上がってんじゃないスカ!」
やや間をおいて、決意したように三太が告げる。
「彼のギフトってば、ホントは“クラウン(軽業師)”なんだよね……てへっ」
ルドルフは口を大きく開き、真上に見えるビルに囲まれた狭い空を見上げている。
“開いた口がふさがらない”まさにその言葉通りの格好だ。
「てへっじゃねぇッス! じゃ、なんで、わざわざこんな手の込んだことをしたッスカ……?」
すかさず、自信満々で答える三太。
「鈴木の経歴を見たら、一途に野球好きだったから!」
三太に絡みついていたルドルフのか細い腕に力がこもり、頸動脈を圧迫する……。
あれっと間抜けな声を出しながら咳き込む三太。
その顔が徐々に血の気を失っていき、ゆっくりと崩れ落ちる。
薄れゆく意識の中、三太はマッド・ベアの面々が自分たちとは別の事で騒いでいる光景を目にする。
緊張した面持ちで携帯電話で話す大澤。
三太たちに背を向け、メンバーに何事か指示を出す田中。
しかし、今はルドルフからいつも聞かされているお説教が頭の中で忌々しく鳴り響いていた……。
“ギフトを無駄にするなッス!”
三太は諦めて、一旦眠っておくことにする。
(第3話につづく)