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捕食者より、愛を込めて





 猫を拾った。


 ……いや、拾ったというより連れ去ってきたと言った方が正しいかもしれない。狼から逃げ惑う桃色の猫を見た時、食欲にも似た――何か、強い渇望を感じた。


「非常食にするか」


 そう言うと、脅えたような慌てたような様子になるのが面白かった。にゃあにゃあと喧しい猫は、咥えて飛ぶと更に悲鳴のような鳴き声を上げた。



 脅えていた割に、巣に来て数十分もすればのんびりとしている猫は、どうもかなり図太いらしい。野生に生きるものとしてどうかとは思うが、早々に宝石を食べていいかと言ってきた。

 ……そうか、鉱物を食べるんだったか。


「ところで、やっぱり人肉がお好きですか?」


 聞いてどうするのだろうか。

 こいつは訳の分からない事を言う。食べられたいのか食べられたくないのかもよく分からない。牙や爪に脅えたその顔を、すぐに和ませては「優しくしてくださいね」などとのたまうのだ。

 食べるのに、優しいも何もあるのだろうか。

 ……噛み千切るか潰すか、精々暫く舐め転がしておくか。それくらいの差しかなかろうに。


 更に驚くのは、何の躊躇もなく口の中に飛び込んできた事だ。食わせろとは言ったが、まさかこうもあっさりと――……甘い?


 思わず口を閉じると、くぐもった悲鳴が耳に届いた。

 甘い。

 ……融けた宝石らしき味もする。僅かに刺激を伴う甘さが、それだろう。

 けれど、宝石ではなく。

 猫が舌にしがみついてくると、ますます顕著になるその甘さ。

 ……こいつの味、か?


 一口に食べてしまうのは、あまりにも、惜しく思える。


 口を開けると、慌てたように転げ出た。やはり、訳が分からない。死にたい訳ではなさそうなのに、死ぬ事をあっさりと許容する。

 どういう精神構造なのか、想像もつかない。


「それになんだか食べられてもいいような気がしてきまして――」


 口先だけかとも思ったが、その言葉には嘘らしき色がない。

 やはり甘さが名残惜しく思えて、舌を伸ばして舐めた。逃げようとするのを舌で止める。そのうちふらふらとし始めて、ついにころりと転がって気絶した。

 仕方ないので、咥えて寝床に運ぶ。

 どうせ毎日眠ってばかりの生活だった。まだ夕方にもならないが、別段気にせずに眠れる。


 薄暗い洞窟で、布地や葉を適当に盛っただけの寝床に転がる。

 当然のように猫を横に転がして爪の先で引き寄せてから、自分の不可解な行動に首を傾げた。



 翌朝目が覚めると、猫は昨日のことも忘れていたのか脅えていた。

 何故だろうか、これに恐れられるのはとても嫌だ。

 いつか食うつもりで置いているのに、それは傲慢とも言える内心。口に出すことなど、無論なかった。

 なのに、だ。


「……その内、連れて飛んでやらんこともない」


 この口が勝手にそんなことを言う。

 気づけば誓っていたことは、猫を食うのは最後にするというもので。

 ますます、自分が何をしたいのか、分からなくなってゆく。


 底なしの沼に嵌ったように、何かに落ちていくのが分かる。

 巨大な心臓がうるさい程の音を鳴らしていた。



「――何がそんなに、恐ろしいのです」



 澄んだ桃色の目が全てを見透かすようで、びくりとする。

 図星を付かれたことに、頭が沸騰したように思考が混沌と化した。


 動揺。

 ――何故、そう思ったのか?

 

 否定、肯定。

 ――恐ろしくなどない、いや、恐ろしくてたまらない?


 疑問。

 ――何故恐ろしい。何が、何に、どうして?


 魔力は、持ち主の精神状態に忠実だ。凶暴に震えたそれは、壁を、地面を、揺らがすほど。

 なぜ、どうして、こんなに混乱しているのか。苛立ち混じりに尾を地面に叩き付ける。乾いた感触に何か別のものが混じった。


 そして、僅かに理解する。

 ――この猫が、全ての引鉄であったと。


  血塗れのずたぼろで転がる小さな猫の姿を視界に見とめて、はっとした。ずるりと尾を退けると、浅く息を繰り返しながら体を痙攣させている。

 自分がやったのかと気づき、急激に頭が冷え切る。今までは力を揮うことに躊躇したことも後悔したことも、なかったというのに。


 恐ろしい。


 こいつが失われることが、たまらなく恐ろしい。

 こんな事態になってから、ようやく気づいた。気づいてしまった。もう、戻れない。――もしもこの猫が命を落としたのなら、もう、生きていけない。


 必死に呼びかけ、名すら知らない事に愕然とした。ようやく意識を取り戻した猫は、こんな時にも飄々としてすっとぼけたことを言っている。

 自分でも赤面ものの台詞を口走りながらも、ようやく突破口は見えた。なるほど、確かに俺の血なら、何にも勝る特効薬となるだろう。


 ……いや待て、何かとんでもない事をやらかしたような……!?


 はた、とようやくまともになった脳が羞恥心と後悔のないまぜになった混乱を再び招く。思考能力を持つ魔生物だが、基本としては理性よりは本能寄りの生態だ。

 血を与えるというその行為。

 つがいを得たとき、その時だけに行うべきそれは、つまり結婚してくれと言ったようなもので、更に言うと最上級の愛情表現でもある。

 唾液を始めとした体液の交換は魔生物共通の愛情の表現ではあるが、血だけは別だ。特に竜にとっては、何よりも大事にすべき血だ。


 無意識にもその禁を破るほどの、なにか。

 そして氷解する、最後の疑問。もう、迷うことはない。


 出来るだけ丁寧に告げると、ぽかんと暫く硬直していた。

 ……あとは、理解させればいいだけだ。幸いなことに、魔生物の1番鋭敏な直感というのはつがいに働く。いわゆる一目惚れというものにも近いが、多分、生まれた時から決まっているのだ。

 生まれた瞬間から、出会うべきつがいを追い求めて生きている。


 懇々と一つ一つ疑問を融かすように誘導していく。泣き出した時にはひやりとしたが、漸く、漸く理解できたらしく一瞬硬直したかと思うと――立て板に水の勢いでつらつらと語り始めた。なんと言うか、こいつ、頭は大丈夫なのか?


 ……ほぼ理解できなかったが、最後だけは、この上なく心に染み渡った。

 理解できない所は悉く無視できる都合のいい脳に、今は感謝しておこう。


「好きです!」


 こんなにも心を揺らす一言が、他にあるだろうか。……いや。

 これからきっと、沢山溢れていく。その分だけ、俺も返す。幸せの満ち溢れる未来が、確かに脳裏に浮かび、俺は万感の思いを込めて咆哮した。



 ノーチェリエスカ=ナーティタ。星辰を描く宝珠。

 俺の、唯一無二のつがいの真名。この世で1番大切な名。


 ティエラと名を贈り、ラオムと名を貰った。

 しりとりのようで、繋がりを感じさせるところが好ましいと、そんな思考まで出てくる。

 頭に蛆が湧いたかと思うほど、そわそわとして落ち着くことが出来ない。嬉しさに、愛しさに、頭が可笑しくなってしまったようだ。



 世界の全てを眺めながら、ティエラを首のあたりに乗せて空を飛ぶ。

 ――いつもよりも世界は広く、美しく感じられた。






 我らは生物ではない。

 永く、考えてきた。我は他の動物のように母の胎から生まれておらぬ。卵ですらない。ただ突然そこに在り、存在を示すものは真名のみであった。

 あるとき、強く惹きつけられるものに出逢った。それは美しい雌で、真名を教えあうとひどく満たされた。この名は互いにしか知られてはならぬと、本能的に分かった。

 故に、互いに名を付けた。これもまた、甘美なる悦びを伴うものであった。

 真名とつがいは、己という存在を証明できるものである。

 母の胎から生まれておらずとも、我はここにありと言えるのはふたつが揃ってこその事である。

 捜し求め、見つけろ。さすればお前はそこに生まれる。


 ――紀元前、とある魔生物の言葉。






予想以上に沢山拍手コメントなど頂き、非常に感動しています。うきうきしながら拝読しております。

おまけを挟んでまだ続きますので、どうぞ引き続きお楽しみください。

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