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(5) 血約

「おい、カイト見なかったか!?」

 きょろきょろと忙しなく辺りを見渡しながら小走りで駆け寄ってくる大柄がこちらに向けて声を掛けた。

 その声に一番に気付いたのは、ネイサンであった。読み耽っていたのは、英訳してある日本コミックス最新版で、眼鏡のレンズごしに視線だけを上げ、ちらりとそちらを見やった。

「でさ、ニックの奴、もう一週間もメールの返事を送ってこないのよ。サイテーでしょ!?」

 ちょうどジェニーが何やら興奮気味にヴェラに愚痴を零しているところだった。

「ジェニー、後ろ」

 ネイサンが顎でしゃくったのを見て、初めてジェニーとヴェラがぴたりと会話を中断して後ろを振り向いた。

 薄っすらと額に汗をかき、焦った表情で駆け寄ってきたのは、いつもと少し様子の違うテッドだった。

「何、どうしたの? テッド」

 きょとんとした顔でヴェラが訊ねた。

「カイトを見なかったか? って」

 ふるふると首を振る三人を見て、テッドが明らかに落胆の表情を浮かべた。

「カイトがどうかした?」

 ジェニーの質問に、テッドが勢いに任せてテーブルに大きく手をついた。

「カイトがいねぇんだ!!」

「は?」

 話の筋が全く掴めない三人は、きょとんとしてテッドに視線をやった。

「カイトがいねぇんだよ、お前ら見なかったか?」

 顔を見合わせ、三人が首を横に振った。

「今日は休んでんじゃない? 朝から見てないけど」

 顔を青くして、テッドが昨晩の出来事を仲間達に話し始めた。

「それが、昨日の晩によ・・・」





 深夜二十三時半。テッドは酒に寄って眠ってしまった寮長の部屋からビールの瓶をくすねることに成功し、ビール瓶片手にいそいそと快斗との待ち合わせ場所を目指していた。

 約束の時間は二十三時ジャスト。時計はすでに半刻を過ぎ、いつものことながら、快斗への言い訳を考えながら、電燈も何も無い暗がりの丘を歩いていた。

「やべぇな・・・。のんびりシャワー浴びてて遅くなったなんて言ったら、あいつ怒るだろうな・・・」

 頭をぽりぽりと掻き、テッドはふと灰色の雲に覆われた空を見上げる。

 その手にぴちりと水滴がかかり、ぱたぱたと小雨が降り始めた。

(まじやべえ・・・! こりゃ急がねえと!)

 今日の集会は中止しようと、テッドは空いた方の手でポケットの携帯を取り出す。快斗にダイヤルするが、電波が悪いらしく、繋がらない。

「ちっ」

 本降りになる前にと、テッドは快斗を待たせてある場所へと早足で急いだ。


「カイト? いるのか??」

 けれど、その場所には快斗の姿はどこにも無く、テッドはもう一度携帯の画面を見る。圏外。ここでは電話をかけても彼に繋がることはない。

(なんだよ、せっかく慌てて来たってのに。先に帰っちまったのかよ、ちくしょう)

 不機嫌になりながら、テッドは先程よりも明らかにきつくなりつつある雨の中、もう一度辺りを見回した。人の気配はどこにもない。

(しゃあねえ、帰るか・・・。寮に戻ったら、あいつに直接文句言ってやんねぇと! なんかで埋め合わせさせなきゃ釣り合い取れねえよ)

 どう考えても、三十分以上遅刻してきたテッドに責任があるだろうに、彼は自分の行いを棚に置き、ぷんすかしながらいよいよ本降りになってきた雨の中元の道を引き返して行ったのだ。




「で、あんたが呼び出しておいて、遅刻して快斗に会えなかった訳だ?」

 ははん、とヴェラが小馬鹿にしたように目を細めた。

「まあ、それはそうかもしんねえけどよ、問題はそこじゃねぇよ」

 テッドが口を尖らせた。

「寮に戻ってすぐに、携帯から快斗に電話したけど、圏外でもねぇのに通じないんだ。電池でも切れてんのかと思って、こっそりあいつの部屋の窓から忍び込んだけど、中は蛻の殻だった・・・。で、一夜明けてから今朝も部屋には戻ってねぇし、携帯も通じねぇし・・・。学校にも来てねぇみたいだし・・・」

 ようやくテッドの焦りの原因を理解した三人は、少し顔色を変えた。

「それ本当?」

 ジェニーがテッドの腕をぐいと引っ張った。

「お、おう・・・。嘘だったらこんなに焦ってねーよ」

 伏し目がちに、テッドが呟く。

「だよね・・・。ってか、あの真面目くんのカイトが、わたし達に何の連絡も寄越さないでサボるなんて天地がひっくり返ったってないだろうし・・・」

 真剣なヴェラの言葉の後に、ネイサンが追加して訊ねた。

「ね、テッド。待ち合わせしてた場所って・・・」

「教会から少しいったとこのあの丘の上だよ。あそこなら、ちょっとくらい焚き火して煙があがっても、まず気付かれねぇし」

 読んでいた本をぱたりと閉じると、ネイサンは何かじっと考えているようだった。


「・・・カイトの身に何か起きたとは考えられない?」

「何か起きたって? あんなとこ、俺達にとっちゃ庭みたいなもんだぜ?」

 テッドの感情的な抗議に反し、ネイサンは理論的に状況を整理しているようだった。

「でもさ、あの辺りは特に電波状況も悪いし、野生動物だって出ない訳じゃないし。もしどこかで怪我でもして、もしくは雨で足でも滑らせて動けなくなってたら? そのまま携帯も雨に濡れて使えなくなってる可能性だってある訳だ」

 昨晩は天気も悪く視界も悪かったこともあって、彼の言ったことは全く否定することはできないものだった。

「・・・だよね・・・。それってさ、かなりやばくない? もしどっかで倒れてたら早く見つけないと最悪の事態になり兼ねないよね・・・?」

 ヴェラの言葉に、ジェニーが青い顔でがたりと椅子から立ち上がった。

「ジェニー?」

 ネイサンの呼びかけに応じる暇もなく、「わたし、カイトを探して来る!!」っと、バッグを引ったくるようにして肩からかけると、勢いよく飛び出していった。

「ちょっ、このあとの授業は!? ねえ、ジェニーったら」

 ヴェラが叫びと同時に、ネイサンとテッドも顔を見合わせる。

「僕も様子を見に行ってくるよ」

「お、俺も・・・」

 大切な漫画を手に、立ち上がったネイサンの服の袖を、ヴェラが咄嗟に掴んだ。

「ちょっと待って!! わたしも行く!!」

 









 鹿の血を接種したことで、万全の状態では無いものの歩ける程度に回復した快斗は今、昨晩の埃臭く湿っぽい山小屋などでなく、随分小マシなモーテルのソファで、グレンヴィルの話に耳を傾けていた。

「明け方、教会の後始末はレイモンドと一緒に済ませておいた。あのどこかしらの客人二人のバラバラ死体だが、一部分を取調べように採取した後焼却。お前達があの教会の地下にしばらく住んでいた形跡もなくしておいた・・・。問題は・・・」

 明け方にやっと戻ってきたラディスラスは、快斗にはまるで何の関心も無いかのように、視線の一つもそちらに向けようとはしない。どこか張り詰めたような空気が部屋の中に漂う。

「問題は山積みだ。一つは僕らの仮住居がなくなったこと」

 古びた教会は、休みの日は学生や村人がミサを受けにやってきてはいたが、それでもあそこの地下は神父でさえ把握できておらず、身を隠すには持って来いの場所だったのだ。

「それから、あいつらの仲間が探しに来る可能性が大いにあり得るということ」

 腕組みしたまま、レイモンドがこくりと頷いた。

「それに、血清の問題だ・・・」

 ケイティーがはあと小さく溜息をついたのを、快斗は聞き逃さなかった。ちらりと落ち込むケイティの整った横顔に視線をやる。

「血清がなければ、僕達が人間の振りをして人間に紛れて暮らすことは不可能だ。血清さえあれば、取り敢えずは食べるものもパンやスープなどでまかなえたが、血清が無ければそうはいかない。血を定期的に接種しなければならないし、日中の動きはかなり制限されてしまう」

まだ考えや感覚が全く追いついていない快斗にとっては、ラディスラスが言ったことがどれだけ今の自分に痛手となるのかを、まだ理解できてはいなかった。

「そのことなんだが・・・」

 グレンヴィルは持って来ていたビジネスバッグを机の上で手繰り寄せると、ごほりとわざとらしい咳払いをして三人を見渡した。

「なんだ、焦らすような真似して」

 いつもはあまり何かに興味を示さないラディスラスだったが、今回は本人も無意識のうちに、ほんの少し身を乗り出してビジネスバッグを見つめる。

「言ったろ、俺は君達の役に立てるって」

 ラディスラスの反応に満足したのか、満面の笑みを浮かべ、グレンヴィルが片目を閉じた。

「一体なんなの、父さん」

 レイモンドがそう言いって急かすのを、「まあまあ、ちょっと待てって」と、諭しながら、グレンヴィルはゆっくりとバッグの蓋を開けていった。


「これって・・・」


 ケイティーが呆けたように声を上げた。

「まさか」

 レイモンドも驚いたように呟いたが、快斗にはそれが一体何なのか理解できないまま。

「そのまさかだよ」

 小さな医療用の小瓶のを取り出すと、トンとそれをテーブルの上に置いた。


「血清・・・? なぜグレンヴィルがそれを持っているんだ!?」

 勢いよくラディスラスがテーブルを叩いたせいで、テーブルが弾け見事に真っ二つに落ち窪んでしまった。その拍子に小瓶が飛び上がり、宙を舞う。

「おっとっと」

 ひょいとそれを空中でキャッチすると、グレンヴィルは言った。

「おいおい、貴重な一瓶なんだ、大事に扱ってくれよ?」

 血清の効果が切れてしまったせいで、ラディスラスのパワーは人間の何十倍にもなっていた。ナノマシンが全身の筋肉の強化、活性化をさせ、フルに活動させているせいだとグレンヴィルは話していた。解りやすく言い換えれば、世間一般で言われる”火事場の馬鹿力”という瞬間的なパワーを、常備した状態にあるということだ。よって、今のラディスラスは、気をつけていなければそこら中の物を破壊し尽くしてしまうことだろう。彼の場合、血清の効果でしばらく人間の力加減に慣れてしまっていたせいもあり、力のコントロールが少々麻痺しているようだ。

「グレンヴィルおじ様、どういうことか説明していただけません?」

 ケイティーが、落ち着いた口調で訊ねる。

「まずはじめに、この血清はあくまでその場凌ぎの品だということを言っておくよ。君達が今まで使用していた血清とは、見た目こそ同じだが大きく違う点がある」

 見たところ、透明感のあるすこしトロミのついた水といったように快斗には見えたが、これがラディスラス達にとってとても重要なものであることは確かのようだった。

「どう違うの?」

 まだ前回の血清の効果が持続しているレイモンドは、青く澄んだ青年らしい瞳をじっと凝らし、小瓶の中身を電気の光に翳して見つめる。一見しただけでは誰も彼をヴァンパイアとは気付くことはまず無いだろう。

「カーティスが救済処置として作った、通常の血清の五十倍に薄めたものがこれだ。即ち、今までの効果は約二週間程度だったが、これは約六時間程度しか効果を持続できない」

 レイモンドがぼそりと呟いた。

「・・・五十倍・・・。ラディは俺達よりも効きにくくなってきているから、きっと六時間も持続しないだろうな・・・」

「でも、数時間でも無いよりはずっといいわ。でしょ?」

 ケイティーはにこりと笑った。

「残り少なくなっている血清を五十倍に薄めたことで、まだしばらくはなんとかその場を凌いでいる・・・。が、一刻も早く”特別な血”を探し出さなければならないという事実は変わらない。でなければ、この薄めた血清さえも底をつきてしまう」

 快斗は意を決したように声を発した。

「すみませんグレンヴィルさん。その、血清や”特別な血”って・・・?」

 ああ、と快斗が未だ無知であったことを思い出したように、グレンヴィルが顔を上げた。

「そうだった、君にはまだ説明していなかったね」

 小瓶の中身を見せながらグレンヴィルは丁寧に言った。

「この小瓶には、血清が入っている。これを注入することで、俺達の体内で動き回るナノマシンを一時的に眠らせることができるんだ。ナノマシンが動きを止めている間、俺達は普通の人間と同じ状態に変わることができる。そうすることで、俺達はずっと人間の中に紛れて生きてきたって訳だ」

 快斗にとって、この説明は驚くべき事実であり、そして天の救いのようにも思えた。

「じゃ、じゃあ、その血清があれば、俺は元の身体に戻れるってこと!?」

 目を瞬かせ、グレンヴィルは「まあ・・・。一時的とは言え、そうなるかな・・・?」と返答する。

 快斗はぎゅっと長いTシャツの裾を握り締めた。レイモンドに借りた服は快斗にとっては少しばかり大きすぎるようだ。ラディスラスは不機嫌に、嬉しそうな快斗から視線を逸らした。

「ぬか喜びさせて悪いがカイト、今、その血清が今にも底をつきかけている。今ここに残っているのが五十倍に薄めたものだけだ」

 やっと事態の飲み込めた快斗は、呆然としてソファの背もたれに深く座り込んだ。

「俺がカーティスから預かった小瓶は全部で十ある。このうち三つは俺の任務遂行で最低限必要な分にあたるから、君達に置いていけるのは全部で七瓶だ。効果は持って七時間。よく注意して慎重に使ってくれ」

 ビジネスバッグから次々に同じ形の七瓶を取り出すと、グレンヴィルは声を落として忠告した。

「いいか、今までのものとは違い、効果が切れるのはゆっくりではなく突然だ。それを忘れると命取りになるぞ」

 ラディスラスは「わかった」と、小瓶を受け取った。

 

「さ、そろそろ出発しないと。遅れをとった」

 グレンヴィルは立ち上がり部屋の入り口にかけてあった上着に手を伸ばした。

「おじ様、もう行ってしまうの?」

 ケイティーが少し淋しそうな表情を浮かべる。

「ああ。”特別な血”を見つける為に今はイギリス国内をあちこち飛び回ってるところだからね。早いとこ見つけないと、別の一族の動きも最近ではやけに活発化してきているから・・・」

 上着を羽織り、目深に洒落た帽子を被るとグレンヴィルはにへらと不似合いな間抜けな笑みを溢した。

「いや~~~~、おじさん嬉しいな~~~、ケイティーに淋しそうにして貰えるなんて! さ、おじさんに別れの抱擁を・・・」

 ぱっと腕を拡げてケイティーに歩み寄ろうとするグレンヴィルの額に、ゴンと黒い塊がぶつけられた。

「がっ!」

 皮の靴だった。固い皮の靴。

「馬鹿も大概にしろよ。ケイティーを圧死させる気か」

 左足の靴を失った足、ソックスだけの状態で何事も無かったかのように椅子に腰掛けるラディスラスの右足に組まれている。

「・・・酷いな、ラディ。そうか、ラディもお別れの抱擁をして欲しかったんだな!! なんだなんだ、最初からそう言ってくれれば喜んで・・・」

 くるりと方向を転換して駆け寄る男に今度はもう片方の靴を投げ付け、ラディスラスが叫ぶ。

「遠慮しておく! 早く行ってしまえ、このオッサンめ!」

 

(ひ、ひどい・・・!!)

 その場にいた三人は心の中で咄嗟に思っていた。


「ぐすん・・・」

 ラディスラスのオッサン発言にあまりにショックを受けたグレンヴィルががくりと膝をついて打ちひしがれている。

「グ・・・グレンヴィルさん?」

 憐れに思った快斗が思わずグレンヴィルの肩に手を伸ばす。


 がしり!!!


 強く握られた快斗の手がメキメキと音を立てる。

「いっ!!!」

 痛みで顔を歪める快斗に、グレンヴィルが言った。

「ああ~~~、カイト、君だけだよ、俺の味方は!! あ、思わず強く握りすぎてしまった・・・!!」

 はっとした時には既に遅く、快斗の手はどう見ても骨折に至っていた。

 ほら見ろとでも言うように、ラディスラスが呆れたように溜息をつく。

「す、すまない・・・」

 しょんぼり肩を落とすグレンヴィルに、快斗は痛む手を擦りながら、ぎりぎりの苦笑いを浮かべた。

「い、いいんです・・・」

(いっててててて・・・・・)

 少し涙目の快斗の背に、レイモンドが苦笑を浮かべながらぽんと手を置いた。

「父さんは感情が高ぶると力のコントロールがきかなくなるから要注意だよ。手、大丈夫?」

 快斗の手を見るなり、「大丈夫、すぐ治るよ」と慰めた。


「本当にすまなかったね。今度この埋め合わせは必ずするからね」

 グレンヴィルは申し訳なさそうに頭を掻くと、すっと立ち上がった。

『カイト、ラディを頼んだよ』

 耳元でこっそり囁くと、グレンヴィルは目深に帽子を被り直し、モーテルの部屋を出ていった。

 勿論のこと、肉体の全てが研ぎ澄まされている状態のラディスラスの耳に届いていない訳も無く、グレンヴィルの去り際の囁きに、ちっと舌打ちをする。


「言っておくが、誰もお前に期待などしていないからな。ただ、僕達の足を引っ張るような真似だけはしないでくれよ」

 ふんっと言い捨てると、つかつかとラディスラスは受け取った小瓶を持って部屋のクローゼットへ向かう。隠れ家を失ったせいで、しばらくはこのモーテルの一室で過ごすことになりそうだ。

 そんなラディスラスの態度に、快斗は苛立ちを隠せなかった。

「俺だって、好きでこうなったんじゃない! お前が俺を助けるからこうなったんだ。気に食わないなら今すぐ俺を殺せばいい!」

「なんだと・・・?」

 きっと赤い目で睨むと、次に快斗が瞬きをして目を開いたときには、いつの間にかラディスラスの赤い目と整った顔が目の前にあった。

「調子に乗るな。言ったろ、お前を生かすも殺すも僕が決める。お前がそれを僕に意見することは許さない」

 並ぶと、快斗より十センチは高い身長のラディスラスは、ぐんといとも簡単に快斗の胸倉を掴んだ。

「ちょとラディ、やめて! 他の部屋にお客さんも泊まっているのよ?」

 ケイティーが快斗の胸倉を掴むラディスラスの手をそっと握った。

 相変わらず赤い目は快斗を睨んでいたが、快斗はそれに怯むことなく言った。

「俺の運命は俺自身で決める。お前なんかに握られてたまるか」

 レイモンドもケイティーも、内心ひどく驚いていた。

 十七という歳の割に、百六十しかない身長の彼は、北欧人からすればまだ少年のようにしか見えない程幼くも見える。そんな彼が自分よりも大きく、そして遙かに強いとわかる相手にまるで怯えたり怯んだりすることをしないことに・・・。

(カイト、君は・・・)

 レイモンドはその先を決して口には出すさずに、しばらくはそっと心の中にしまっておくことににした。レイモンドと同じように何かを感じたのだろう、ラディスラスも黙って掴んでいた手をそっと離した。


「そこまで言うのなら、いいことを教えておいてやる」

 ラディスラスの目は快斗の赤味がかった目をじっと見つめている。

「”特別な血”を見つけ出す、それがお前にとって最善の方法になる。特別な血を見つけ出せさえすれば、血清を新たに作り出すことが可能となり、向こう数百年は血清に困ることはなくなるだろう。即ちお前も血清を注入し続けることで、今まで通り人間のままの姿で歳を重ね、元の暮らしを取り戻すことができる」

 快斗は我耳を疑った。もう後戻りはできないだろうと思っていたのに、まさか、そんな神か仏の救いが残されていようとは思いもしなかったのだ。

「・・・が、その血は数百年に一度、たった一人だけが持って生まれるもの。この時代にその血が存在するのかは誰にもわからない」

 途端にがっくりと肩を落とすかと思いきや、快斗は目を輝かせた。

「でも、可能性はゼロじゃないってことだよな!? 探せば、その”特別な血”を持ってる人がどこかにいるかもしれないんだよな!?」

 この反応は、また三人を驚かせた。

「え、ええ・・・」

 ケイティーが目を丸くしながら頷いた。

「それじゃあ探すよ!! 俺、その人を探す!!」

 快斗は笑窪をつくって目を輝かせた。

「でもカイト、”特別な血”がもしどこにも存在しなかったらどうする気なんだ?」

 レイモンドが思わず口を挟む。

「存在しなきゃその時はその時だよ。今、何もしないでぼんやり過ごすよりは、どこかにその血を持つ人がいるかもしれないと思って努力する方がずっといいだろ?」

 一度は諦めた人間としての人生。ひょっとしたら奇跡が起きて取り戻ことができるかもしれない、そんな風に快斗は僅かな期待に夢を託してみようと素直に感じたのだ。

「あなたって、ほんとに凄いわ、カイト。日本人ってみんなそうなの?」

 ケイティーがすっかり感心したようにそう訊ねるが、「なにが?」と当の本人はきょとんと彼女を見返してくる。


「じゃあ探し出してみろ。お前がその血を探し出せば、僕はお前との契約を無条件で無効にしてやる。自由を手に入れてみろカイト・オオミ」

 

 ケイティーとレイモンドは顔を見合わせた。 

 これではまるで、”僕はお前に期待しているぞ”と言っているようなものではないかと気付いたからだ。


「言ったなヴァレンタイン! 忘れるなよその言葉!」


 快斗は強い意志の篭った目で、ラディスラスを見つめた。











「カイトーーー!!! いたら返事して!!」

 ジェニーが喉に痛みを感じる位大声で叫んでいた。

「カイト!!! どこだ!!」

 テッドも今、後悔の念で胸がいっぱいになっていた。自分があんなにも遅刻しなければこんなことにならなかったかもしれないという思いが、ぐるぐると胸の中を駆けずり回る。

「この辺りにはいないんじゃないか・・・? 別の場所を探してみよう」

 ネイサンが息を切らしながら仲間に声を掛けた。

「・・・ちょ・・・ちょっと、あれ見て!!」

 ふとネイサンを振り返った拍子に、ヴェラの視界に煙が舞い上がるのが見えた。

「なに、あれ・・・?」

 はっとしてジェニーがその煙を見つめる。

「火事じゃないか!?」

「あれって、教会の方じゃない??」

 誰もがはっとして顔を見合わせた。

「まさか、快斗があれに巻き込まれてるってことないよね・・・?」

 ジェニーが駆け出す。仲間の誰よりも速く駆け出した。

「と、とにかく消防にすぐ連絡を・・・!」

 ネイサンがあたふたと携帯をポケットから取り出す。

「ダメだ、圏外だ・・・」

「お前は一度学校へ戻って先生達に知らせろ!! 俺たちは先に向かってカイトがいないか見に行ってくる!!」

 テッドはそう指示すると、慌ててジェニーの後を追った。ネイサンは「わかった!」と返事すると同時に、学校に向けて駆け出す。

 誰もが、あの純粋な日本からの留学生快斗の無事を祈っていた。


「カイトーーー!!!」


 教会のほとんどは燃え落ち、既に半焼している。けれどその炎は未だ古びた教会を包み込んでいた。


「どうしよう・・・、もしこの中にカイトが取り残されていたら・・・??」

 ジェニーがテッドの腕に縋るように抱きついた。その目は既に涙で潤んでいる。

「まだそうと決まった訳じゃない、だろ・・・?」

 そっとジェニーの肩を抱き寄せると、テッドは自分に言い聞かせるようにそう言った。


「二人とも、ちょっとこれ見て・・・!!」

 少し離れたところで、ヴェラが震える声でそう叫んだ。

「う・・・嘘・・・」

 ジェニーが口を押さえて崩れ落ちた。

「これって、快斗の携帯だよな?」

 テッドはヴェラの手の中のそれを見てそう確信する。彼の携帯には、ストラップの変わりに日本から持ってきていた布製のチャームがつけられていたのだ。それは日本では”お守り”と呼ぶと彼が話していた。

「ヴェラ、これどこにあった・・・?」

 ヴェラが指差したのは、教会からいくらも離れていない草の茂みの中。

 これでカイトが少なくともこの場所に昨晩訪れたということが証明されてしまった・・・。


「カイト・・・! カイト!!!」

 ジェニーは半狂乱になって叫んでいた。

 

 燃え盛る炎は、悲しげに天に向けて黒い煙を巻き上げていた。






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