(4) 闇の世界へ
重苦しい空気漂う中で、ラディスラスが何かを感じ取った様子で、古ぼけた一枚板の扉をしばらく見つめている。
「誰か来る・・・」
そう言った直後、勢いよく扉が開きもの凄い勢いで何かが飛び込んできた。
「ラディ!! 無事か!?」
聞き覚えのある声に、快斗は視線だけを泳がせた。
「レイ! 戻ったのね!」
ケイティーがどこかしらから帰還したと思われるレイモンド・ウォレスに駆け寄った。
「遅くなって悪かった。けれど、無事で何よりだ・・・。戻ってみれば隠れ家にしていた教会はあの有様だし、驚いたよ。生憎俺の血清の効果はまだ持続中で鼻は利かない上、雨で視界は悪いわで・・・」
頭から被ってい黒いレインコートは頭から下までぐずぐずに塗れていて、外はまだかなりの雨に見舞われていることが明らかだった。
「じゃあ、どうやってこの小屋に?」
不思議そうに首を傾げたケイティーに、ラディスラスがレイモンドの代わりに答えた。
「どうやら来客のようだ」
きょとんと扉を振り返ると、扉がゆっくりと開き、レイモンドと同じく真っ黒いレインコートの人物が姿を現した。快斗の位置からは顔と性別までは判断できない。
ぼたぼたと雨の雫を垂らし、その人物がレインコートのフードを外したと同時に、それが男性であるということが判明した。
「やあ、久しぶりだね、元気にしてたかい?」
赤い目に白い顔。明らかにその人物が人間でなく、ラディスラスやケイティーと同種であることから、世間で言われる”ヴァンパイア”の一人だと判別できる。しかし、ラディスラスやケイティーの落ち着いた様子から、その人物が脅威ではないことは確かであった。
「グ、グレンヴィルおじ様!? どうしてここに!!」
ケイティーが予想外の人物の登場に、驚きの声を上げた。
「やあやあケイティー、しばらく会わないうちにまた磨きがかかったかな? おじさん会いたかったよ~」
ヴァンパイアらしからぬ親馬鹿を発揮しながら、濡れたレインコートのままケイティーに抱きつこうとするこの男に、ラディスラスの投げた小瓶がゴンと音を立てて男の頭に命中する。
「ぐがっ」
男の呻き声の後、ごろんごろんと床に転がる小瓶の悲しげな音。
「馬鹿はよせ、グレンヴィル。ケイティーは今血清の効果でただの人間と変わらないんだぞ。そんな馬鹿力で抱きつけば死んでしまう。間抜けも大概にしろよ」
淡々としたラディスラスの声に、「ん?」と反応し、今度はラディスラスに向き直り、抱擁の意を示し駆け寄った。
「ラディ~~!! 元気だったか??」
「気色が悪い! 離れろ!!」
抱きつこうとするグレンヴィルの額を右足の靴底でぐいぐいと突っ張るるラディスラス。この男の登場で、一気に先程までの重い空気が吹き飛んだと言っても過言ではないだろう。
「ひどいな、ラディ。以前は『グレンヴィルお兄ちゃん、大好き』って言ってくれていたのに・・・」
抱擁を拒否されたことにすっかりいじけてしまったグレンヴィルは、がっくりと膝をついた。
「どれ程昔だ!! それは何世紀も前のことだろうが!」
すっかり男のペースに巻き込まれてしまっているラディスラスに、レイモンドとケイティーは顔を見合わせて微笑んでいる。
ようやく濡れたレインコートを脱ぎ、蜘蛛の巣の張った窓べの出っ張りにそれを引っ掛けるながら、レイモンドが話を切り出した。
「貴族院の使者と落ち合った帰り、ロンドンの街中の思わぬところで父さんとばったり出くわしたんだ。ちょうどこちらへ別の用事でやって来ていたらしいんだけど、事情を話したら力を貸してくれることになって」
椅子に腰掛けたまま、ラディスラスが頷いた。
「なるほど、それでこんなところまでわざわざ。で、教会の有様を見て、この山小屋まで僕達の匂いを追って来たってところか」
「まあ、そういうところかな」
レイモンドが肩を竦める。
「しかし、これは一体どういうことだ、ラディ。なぜああいうことになった・・・? もしや、奴らにここの居場所を知られたのか?」
グレンヴィルの質問に、ケイティーがふるふると首を横に振った。
「まだ奴らにはわたし達の居場所は知られていないわ。けれど、知られるのは時間の問題かもしれない。わたし達には、もう身を隠す為の血清も残されていないし・・・」
グレンヴィルは、埃っぽい部屋の床に腰を下ろすのを嫌がったのか、落ち着かない様子でうろうろと部屋の中を歩き回り始めた。
「ただ、この雨は不幸中の幸いだった。雨は匂いも全部洗い流してくれる。雨が上がれば、きっと匂いの心配は無いだろう。・・・が、一夜にして元あった教会がぶっ壊れていたとなれば、周囲の人間達が騒ぎ始めるだろうな」
こくりとラディスラスが頷く。
「雨が止めば、燃やして後処理を済ませる。キャンドルの火の不始末と装って火事を起こせばいい」
レイモンドが、「後で俺がやっておくよ」と付け足した。
「それともう一つ・・・、妙に引っかかることがある・・・」
ラディスラスの珍しく訝しげな表情に、グレンヴィルもレイモンドもケイティーも、彼に視線をやった。
「何がだい?」
グレンヴィルがそう聞き返したしばらく後に、ラディスラスがじっと赤い目を細め呟いた。
「教会に押し入ってきたあの二人・・・、どう見ても下っ端に違い無いのに、ハーフでは無かった」
レイモンドが、脱いだレインコートをグレンヴィルと同じように窓辺の出っ張りに引っ掛けると、首を傾げた。
「それはおかしいな・・・。彼らは本当に完全体だったのか? 君の見間違えじゃ・・・」
「僕が見間違える? 冗談もほどほどにしろ、レイ」
機嫌を損ねたラディスラスは、不機嫌なまま続けた。
「あれは確かに完全体だ。あのパワー、間違いない。回復もハーフでは在り得ない程の速さだった」
それを聞いたグレンヴィルが、うむと一つ声を溢した。
「・・・となると、嫌な予感がするぞ。傷口からの血液分与ではどう頑張っても人間をハーフにしか作り変えることはできない。どっかの馬鹿一族が、ナノマシンの製造の掟を破り、直接体内に注入しているとしか考えられない」
ヴァンパイア界にとっては、相当不味い状況らしく、三人の顔色が強張る。
今度は腕組みしながらうろうろと歩き回るグレンヴィルに、ケイティーが口を挟む。
「おじ様、なんだか落ち着かないわ。座ってくださらない?」
一瞬ぴたりと動きを止めたグレンヴィルだったが、床の埃をじっと見つめた後、それは受け入れられなかったのだろう、何も無かったかのように、近くの壁に静かにもたれ掛かった。
「・・・ところで、ラディ。なんだか体調が優れないように見えるが・・・?」
そしてそう言った視線の先は、先程から気になって仕方の無かったベッドに横たわる青年の姿に向けられている。
「そうなの、おじ様。ラディったら、瀕死だった彼を助けようと血を分け与えてしまったのよ」
助けを求めるかのように、ケイティーが心配そうな目を、未だ動かないまま横たわる快斗に向けた。
「ラディが彼を助ける為に・・・?」
驚いた表情で聞き返したグレンヴィルに、こくりとケイティーは肯定の頷きを返した。
ばつが悪そうな顔をして、そっぽを向いてしまったラディスラスに、グレンヴィルとレイモンドが、珍しいものでも見たかのように互いに顔を見合わせた。
「なるほど・・・。それじゃ二人とも早いところ血液を接種した方がいい。二人が干からびてしまう前に」
どういう経過でこうなったのかを聞くようなことはせず、グレンヴィルは静かに小屋の扉まで歩いて行く。
「ちょうど、手土産にいいものを持ってきたんだよ。レイモンドから、ラディがそろそろ渇きを訴え始めている頃だって聞いていたもんだからね」
扉を全開にすると、小屋のすぐ入り口の辺りに置いてあった何かをずるずると引き摺り入ってきた。
「し、鹿!?」
「そうだよ、ケイティー、おじさんすごいだろ! 来るときにたまたま偶然見つけちゃってね、ついでにちょこっと捕まえてさ」
親馬鹿ならぬ、おじ馬鹿炸裂のグレンヴィルを差し置いて、ケイティーがどこからか万能ナイフを取り出して死んで間もない鹿の喉に突き立てた。
「おじ様、何か器になるもの!!」
こういうときの為に、いくつか持ち歩いているゴム製の水入れをさっと差し出すと、ごぼごぼと溢れる鹿の血液を慣れた手つきで次々に集め入れていく。
小屋の中に充満する鹿の血の匂い。
以前の快斗ならば、この匂いを嗅いだだけで吐き気を催していた筈だった。
けれど、どういう訳か、嫌悪感は全くと言っていい程湧いてはこず、寧ろ早く自らの渇いた喉を潤おしたい、この渇きと石臼のように重く苦しい状態から解放されたい、と願っている自分がいた。
「さ、ラディ。飲んで。こんな動物の血でも、飲まないよりは少しは力がつくわ」
ラディスラスは、水入れにたっぷりと血の入ったまだ温かみのある鹿の血をケイティーから受け取ると、無言のままそれを口にした。あっという間に飲み干してゆく様子を、快斗は信じられないものでも見るかのように、じっと見つめた。
(・・・まじかよ・・・。ってか、本当は中にただの水が入ってたりるんじゃないよな?)
すぐ近くで事の成り行きを見ていた癖に、快斗は彼の飲んでいるものが血であって欲しくないと強く願っていた。
けれど、彼の口を伝ってぽたぽたと垂れたのは、あの黒く赤い血。それは、水などではない、本当の血液であった。
(本物のヴァンパイア・・・)
呆然としてそれを見つめる横で、ケイティーがゆっくりと快斗に近付いて来る。
「カイト、今度はあなたの番よ」
ちゃぷちゃぷと音を立てて、彼女の手の中の水入れが快斗の口元へと誘われる。
近付くにつれてきつくなる血の独特の匂い。
身体は確かに血を欲している。けれど、快斗の目には、血を水やジュースのように勢いよく飲み干してゆく、ラディスラスの人間離れした妖しい姿が焼きついて離れない。
(いやだ・・・、俺は飲みたくなんてない・・・。化け物になんてなりたくない!!)
口をぎゅっと噤み、快斗は動かない身体で懸命にそれを拒む。
唇を緩めてしまえば、なぜかもう取り返しがつかないような気がしてならなかった。
「お願い、口を開けて。でないと、あなた本当に死んでしまうわ・・・」
悲しい顔をして、ケイティーが快斗の唇にそっと水入れの口を押し当てた。
けれど、固く閉じられた唇から、血は入ることなくつうと流れ、快斗の胸の辺りに次々とグロテスクな血染みを作ってゆく。
快斗はじっと堪えた。化け物に成り下がってしまう位なら、ここで干からびて死んでしまっても構わない。そう思った。
「カイト、お願いよ。これを飲んでも、誰もあなたを責め立てたりなんかしないから」
ケイティーがなんとか快斗に飲ませようと奮闘するが、ぎゅっと目と唇を閉じたままの快斗に、一滴の血も飲ませることができないでいた。
「いい加減にしろ、さっさと飲め。言っておくが、干からびて死ぬと簡単に言うが、どれだけの渇きと苦しみを味わうのかを知らないだろう。体内のナノマシンが血液を欲し、血液増産を目的に体内の内臓や機能の全てをフルに稼動させようとする。そうすると、まず始めに内臓のあちこちが一度に炎症を引き起こし、膨張。それを修復しようと、ナノマシンがまた血液を消費する。これが三日三晩続き、三日後の朝にはカラカラに渇いた骨と皮だけの姿になって死ぬんだ」
恐ろしいラディスラスの忠告に、快斗は震え上がった。
そんな死に方をするくらいなら、あのとき、楽に死んでいたかった、と。
「そうだ、今はまだ受け入れられないかもしれないが、今は生き延びることだけを考えろ。どんな形であれ、君はもう、俺たちの同志なのだから」
グレンヴィルが優しい口調でそう言った。
「カイト、飲むべきだ。君の身体はあまりいい状態とは言えないみたいだ・・・」
レイモンドが困ったように後押しする。
もう一度ケイティーが水入れの口を快斗の唇に宛がうが、彼は一向にそれを飲もうとうはしない。
「・・・君の精神力には恐れ入るばかりだよ、カイト。けれど、君のやせ我慢は賢明ではないな。体内の血液を多量に失った際に、出る一つ目の症状が目眩。その次の症状が身体の麻痺・・・。その次が内臓、及び皮膚組織の急激な乾燥が始まる。そして、君の今の状態がまさに危険値が第二期に達していると推測される。そんな状態で目の前に血を差し出されて、理性を保つことのできる者がいるとは・・・」
ヴァンパイアとして生存してきたグレンヴィルやラディスラス達にとって、快斗の強い精神力には驚かされるものがった。
「ほんと・・・。これが日本の”大和魂”ってやつなのかな?」
レイモンドの感心の一声は、生と死の間で自我を守り続けようと懸命な快斗に対してあまりに軽口が過ぎた為に、ケイティーが強い視線でレイモンドを嗜めた。
「それ程の強い精神力を兼ね備えているんだ。君をここで失うのはあまりに惜しい。
ラディスラスの血を無駄にしない為にも、どうか今はその血を飲んでくれないか」
ゆっくりベッドの脇に歩み寄ってきたことで、快斗は初めてグレンヴィルの顔を拝むことができた。
レイモンドと同じ金の髪。レイモンドの父であり、実際は何世紀もの時代を生きてきたにしては、あまりに若い男の顔であった。人間で言うとどう見ても三十路手前。優しげな印象を覚えていたグレンヴィルの声だったが、反して意志の強そうな隙の無い目を持つ男だった。
ケイティーの手から水入れを受け取り、今度は自ら快斗の口元へ運ぶ。
(絶対に、飲んでたまるか・・・!)
恐ろしい程の渇きと、痛みに変わりつつある身体の重さに抗いながら、快斗はそれでも賢明に鹿の血を拒み続けた。
「貸せ」
突然ラディスラスの声がグレンヴィルの背後から割って入った。
いつの間に椅子から立ち上がったのか、不機嫌なラディスラスは乱暴にグレンヴィルの手からその水入れを引ったくった。
「ラディ!?」
ケイティーとレイモンドの驚いた声よりも先に、ラディスラスが水入れを持たない空いた手で、快斗の顎を無理矢理突き上げていた。
「ラディ、一体何をっ・・・」
グレンヴィルの静止の声を無視し、ラディスラスは力任せに抉じ開けた快斗の口腔内にどばどばとどす黒くい血液を流し込む。
「・・・!!!」
身動きのとれない快斗にとっては、ラディスラスに対抗する術は何もなかった。
突然流れ込んできた液体に咽返りながらも、涙ぐみながら快斗は強制的にそれを飲まざるをえなかった。
喉に直接注ぎ込まれた鹿の血は、まだ生暖かく滑らかで、そして濃厚だった。
不気味でそして何より恐怖の対象でしかなかったあの血が、まるで別の神水のようにも感じた。
「ラディスラス!」
グレンヴィルが、明らかにやりすぎているラディスラスの腕を掴み、静止させる。
その手に握られていた水入れの血液は、零れて流れ出た分も含め、ほとんど空になっていた。
「かはっ・・・」
ぴくりとも動かなかった身体がだるいながらもみるみる動くようになり、快斗は咽返りながら苦しそうに横向きになり、喉を押さえた。
「カイト、大丈夫!?」
慌てて駆け寄ったケイティーだったが、はっとして触れかけた快斗から離れた。
「・・・っで、なんで俺を助けた!!」
握り締めた拳がきつく握り締められ、小刻みに震えている。
もともとは真っ黒で澄んだ黒い瞳は、今や薄っすらと赤みを帯びていた。その胸元は、しとどに血液で濡れている。
快斗はラディスラスの胸に掴み掛かった。
「なんで俺をあのまま死なせてくれなかった・・・! なんで・・・」
顔中に付着した血の痕に、次々と溢れる涙の筋がぶつかり、血の涙となって滴り落ちてゆく。快斗の声はひどく震えていた。
「お前を助けたのに別に特に理由なんか無い。単なる暇つぶしだ。僕のように、長く生きていると楽しみというものが少ないからな」
口元をわざと引き上げ、ラディスラスはそう返答する。
「なん・・・だと?」
快斗は無意識に掴み掛かっていた手に更に力を込めた。
(俺は、こいつの気まぐれでこうなったってことか・・・?)
思い切り殴りつけてやろうと思い、振り上げた拳だったが、それはラディスラスにぶつかるよりも前にぱたりとベッドの上に力なく落ちた。あまりの落胆で殴る気も失せ、快斗がそのままがくりと腕を落としたのだ。
「お前は僕に感謝すればいい。あんな小汚い場所で散々な死に様を晒さなくて良くなったんだ、喜べ」
快斗は涙に濡れた目でぎっとラディスラスを睨み上げた。
もともと好きではなかったが、このクラスメイトが、本当に薄情で最低な男だったと改めて感じたのだ。
「俺が感謝するって・・・? そんな日は千年絶とうが百万年経とうが絶対に来ない・・・」
憎しみを込めた目で、カイトはラディスラスにそう言い放った。
「ラディスラス・ヴァレンタイン。俺はお前を一生許さない」
掴んでいたラディスラスの服を、はねのけるようにして突き放すと、快斗はじっと彼の赤い目を見つめてそう続けた。
「勘違いするな、カイト・オオミ。お前は僕と血約を交わした。お前はもう僕の僕なんだ。
主である僕に逆らうことは許さない。お前の全ては僕の手の中にあるということをしっかりと覚えておけ」
突き放されたラディスラスは、ふんっと鼻であしらうと、つかつかと大雨の降りしきる小屋の外へと早足で出て行ってしまった。去り際の横顔が、ほんの少し辛そうな色を含ませていたことに、グレンヴィルだけは気付いていた。
「ちょっ、ラディ! どこ行くの!?」
ケイティーが咄嗟に後ろから声をかけたが、その質問の返事は来ないままラディスラスの姿は森の薄暗がりの中に消えてしまった。
悔しそうに唇を噛み締める快斗の肩に、レイモンドがぽんと手を置いた。
「カイト、許してやってくれないか? ラディはあの通り、俺様な性格だし素直じゃないから・・・」
こくりとケイティーが頷いた。
「そうよ気にしないで、カイト。ラディは気まぐれなんかであなたを助けたんじゃないと思うわ。だって、彼が自分の血を他人に分けるなんて何世紀も一緒に過ごして初めてのことだもの」
「そうかな? 俺には到底そうは思えないけど・・・」
ラディスラスに対する怒りは未だ消えず、快斗は床に転がった血の付着した水入れを見つめた。
(俺は化けものだ・・・。あれだけ飲まないと決めていた鹿の血も、気づいたら無我夢中で飲み込んでた・・・)
快斗を今、ラディスラスに対する怒りよりも、すっかりと変貌してしまった自分自身への恐怖心が覆い始めていた。
「ラディは相変わらずのようだね、困ったもんだ」
グレンヴィルが肩を竦めた。
やっと訪れた僅かな沈黙に、皆が黙ったまま雨の音を聞いていた。
想定外に新たに仲間に加わることになった快斗に、誰もが素直に喜べない状況にあった。快斗の存在こそ、彼らにとっては異端な存在であるのかもしれない。
けれど、彼らは微笑んだ。
「君を歓迎するよ、カイト。ようこそ、闇の世界へ」
グレンヴィルが青白くしなやかな手を快斗に差し出す。
おそるおそる伸ばされた快斗の手は、その上からケイティーとレイモンドの手にそっと優しく包まれていた。