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(1) 廻り始めた運命

 

 人は、自分勝手な生き物で、自分たちがまるでこの世界の頂点トップに存在するかのように勘違いし、生きている。

 人々が日の当たる世界で生きているのならば、いわば彼らはその正反対の闇の世界の住人と言えるだろう。

 

 彼らはひっそりと、俺たちの近くに潜んでいる。

 そのことに、このときの俺はまだ気付いてはいなかった・・・。








「カイト! ランチまだだよね?」

 大見 快斗おおみかいと。横浜で生まれ、育った。

 十六歳になるまでは、地元を離れることなんて考えもつかなかったが、中学三年の冬、事態は一変。イギリスに住む叔父のすすめで、彼はリディストン校へと留学を果たした。

「うん。まだだけど」

 これはジェニー。留学当初、ほとんどまともに話のできなかった快斗に、色々と世話を焼いてくれた女の子だ。しっかり者の彼女の周りには、いつだってたくさんの友人が取り巻いている。

「よかった」

 快斗の腕を掴むと、ジェニーはウインクして食堂へと歩いていく。


 彼が到着する頃には、すでに三人のメンバーが丸いテーブルに腰掛けていた。


「カイト、遅いよ」

 膨れっ面の眼鏡の彼はネイサン。IQはこのメンバーの中で最も高い。顔は悪くないのに、日本の少女アニメを愛している時点でちょっぴり変わり者と言える。


「早く早く。もうお腹減って死にそう」

 痩せ身の長身の彼女はヴェラ。こう見えて、一番の大食いだ。見ての通り、彼女のトレーには男2人分とも思える量のサラダとサンドウィッチが載せられいる。


「おい、カイト、忘れてねぇよな? 今日の夜のこと」

 意味深な言葉を言って口元をにやつかせている眼つきの悪いマッチョは、テッド。彼はお調子者で女癖があまり良くない。

「ちょっと、テッド! 純情ボーイのカイトを悪の世界へ引きずり込まないでよね」

 ジェニーがテッドの耳をくいと引っ張り、テッドは「いてて」と顔を顰める。


「早く食べるもんとってきなよ。先食べちゃうよ?」

 ヴェラが痺れを切らしサラダをつつき始めた。


「ああ、ごめん。俺ちょっとトイレ行ってくるから先食ってて」

 俺はそう言うと、皆を残しトイレへと向かう。

 今朝からちょっと腹の具合が良くない。昨晩に食べた残りもののスープがいけなかったのかもしれない。

「わかった。早くね~」

 ジェニーに見送られ、俺は軽く腹を押さえて一番近くのトイレへと駆け込む。

 ここのトイレは薄暗いせいか、たいていはすいている。俺も、あまり薄気味悪いのは得意じゃないから、普段はこのトイレは使わずに別のトイレを使うのだが、今日はそうも言ってられそうになかった。


「やべぇ。こりゃ当分出られねぇかも」

 思わず日本語で呟きながら、先程にも増して痛みの強くなる腹部になるたけ力を入れないようにしながらトイレのドアを開くと、ばったりと鏡の前にもたれ掛かるようにして立っていた人物と目がかち合った。


 この薄暗いトイレを使用する生徒がいたことに驚いたこともあるが、それよりも、快斗はここにいた男子生徒と目が合ったことに驚いたのだと思う。


 目の合った瞬間、俺は一瞬金縛りにあったような不思議な感覚に囚われた。


(こいつ、こんなに青白かったっけか・・・?)


 クラスメイトのラディスラス・ヴァレンタイン。

 快斗がここへ来てから約二年の月日が流れたが、彼とは一度も口をきいたことはない。


 彼は由緒ある家の出らしく、気軽に友達と馴れ合ったりは決してしない。

 快斗の知るところ、彼はかなりの教育を受けてきたようで、他の生徒とは違った空気を纏っている。教養豊かで、スポーツも人並み外れてよくできる。どういう訳か、こういう男に限って見た目もずば抜けていいときた。黒に近い焦げ茶の髪は、知的な雰囲気を醸し出していると、女の子達がよく噂していた。

 確かに男の目から見ても、彼には非の打ち所がまるで無いように見えた。

 

 無言のまま数秒程互いに見詰め合っていた二人だったが、俺は腹痛に耐えきれずに慌てて視線を逸らして個室へと飛び込んだ。


 しばらく個室に篭っていた快斗だったが、扉の開く音はしない。

 ヴァレンタインはまだ鏡の前で突っ立っているのだろうか、とふとそんなことを思った。

 だが、あまりにも静かすぎる。

 まるで快斗以外の誰もいないかのような静けさ。


(ひょっとして、俺の気付かないうちに出てったとか・・・?)


 しばらくして、腹痛が少しおさまったところで、快斗はもうすっかりヴァレンタインの存在など忘れてしまったかのように個室から気だるげに出ようとした。


「!!」


 快斗は思わず驚いて一歩後ずさる。

 快斗が個室に篭ってから二十分は経つだろうに、彼はまだ変わらぬ姿勢でそこに突っ立っていたのだ。


 気まずい空気が流れ、俺は彼のすぐ脇にある洗面台で手をさっさと洗ってトイレを出ることにした。

何くわぬ顔で水道の蛇口を捻り、手を洗い始めたところで、ふと鏡に映った彼の横顔が視界に入ってきた。

 異様に青白く、ひどく具合が悪そうに見える。


「おい、ヴァレンタイン。具合が悪いのか・・・?」

 気がつけば、快斗は無意識のうちに彼に話し掛けていた。

 彼は無言のまま視線を床に落とす。

「誰か呼んで来ようか?」

 そう言って、彼の表情を覗き込んだ瞬間、「いい」と無愛想な返事がかえってきた。


「けど、お前、すげえ顔色悪いよ?」

 そう言った直後、手首をすごい力で掴まれ、快斗は驚き彼の顔をまじまじと見つめた。

 尋常じゃない程に冷えた手。

 手首がぎりぎりと締め付けられ、快斗は思わず顔を顰めた。


「薬が切れただけだ。早くどこかへ行ってくれないか」


 目を細め、強い口調でそう言った彼に、快斗はなんとか手首と掴む彼の手を振り解き、逃げるようにしてトイレを後にした。


(なんだ、あいつ・・・。人がせっかく心配してやってんのに・・・)


 掴れていた手首にはくっきりと手の形が浮き出ている。余程強く握られていたのだろう。

「ちくしょ、強く握りやがって」

 愚痴をこぼしながら俺は仲間のもとへと向かった。


 



「もうっ! カイトったら遅いー!」

 ジェニーが膨れっ面で、氷だけになったグラスをストローでつついている。

「お前、まさかトイレに行くっていう口実で、女の子とトイレでいいことしてたんじゃねぇだろうな?」

 テッドがにやつきながら椅子に腰掛けたばかりの俺のわき腹を肘で小突いてくる。

「あんたと一緒にすんなっての。この純情ボーイがんなことする訳ないじゃん、ね?」

 ヴェラがサンドウィッチの最後の一口を頬張りながら言った。

「確かに。カイト、何か変なもんでも食ったんじゃないか?」

 眼鏡拭きを取り出し、命の次に大切にしているという愛用眼鏡を念入りに磨きながら、ネイサンが言った。彼の言うことは正しい。

「まあ、そんなことよりさ、トイレでヴァレンタインに会ったぜ」

 そう言うと、ヴェラとジェニーがやけに前のめりになって食いついてくる。

「えっ、まさか、あのラディスラス・ヴァレンタイン!?」

 頷くと、二人は顔を見合わせて目を丸くした。


「あいつと話したことある?」

と、質問すると、四人は顔を全員首を横に振った。

「彼はわたしたちみたいな一般人なんか相手にしないよ。

彼と対等に話ができるのは、ケイティー・マクレーンかレイモンド・ウォレスくらいでしょう?」

「言えてる。

彼はすごくイケてるけど、ちょっと近寄りがたい感じ。

ケイティーとレイモンドは彼の遠い親戚だと聞いたことがあるけど、三人ともなんだか謎めいた雰囲気があるっていうか・・・」

 ヴェラとジェニーが言うことはおそらくほとんどの生徒が思っていることで、それには快斗も同意見だった。


「そんなこと聞くってことは、カイト。君、彼と話したね?」

 さすがネイサン、読みが深い。


「ああ、まあ。具合悪そうだったから声掛けただけだけど」

 ヴェラはますます前のめりになって、興味深々といった様子で聞いている。

「で、何を話したの??」

 ジェニーの質問に、快斗は溜息をつきながら溢した。

「どっか行けってさ」

 そう言った直後、四人の動きがぴたりと静止し、すぐ後にテッドが「ぷっ」と吹き出した。


「カイト、そりゃあ完全に邪魔者扱いじゃねえか! ラディスラスの奴もなかなかやるな!!」

 テッドが大声で笑っているすぐのを、ヴェラが服の袖を引っ張って「黙んな!」と慌てて止める。


 ジェニーとネイサンも何かに気付いたようで、視線を同じ方へとやる。


 ケイティー・マクレーンとレイモンド・ウォレス。

 二人がゆっくりとこちらへ近付いてくるのが見えた。


(まずい、聞こえてたか・・・?)

 

 赤毛のふわりとした髪を耳に掛けながら、ケイティーが俺達のテーブルの前でぴたりと足を止めた。

「ご機嫌よう。今、ちらっとラディの話が聞こえたものだから・・・。

その、彼を見かけなかった? わたし達、彼を探してるんだけど、見当たらなくて」

 恐らくは、快斗だけじゃなく、ここにいるネイサンやテッドも顔を赤くしているに違いない。

 彼女には全ての男を虜にする摩訶不思議な魅力が備わっていると、快斗は思っていた。


「えーっと、ここにいるカイトがトイレで見たって」


 ジェニーは親しみのある笑顔を作りながら、ケイティーに返した。


「どこのトイレで見たって?」

 そう言ったのは、後から到着したレイモンドだった。

 彼は同じ歳とは思えない程落ち着いた大人びた声をしている。


 ブロンドの髪を肩の当たりで切りそろえ、彼はいつも一つに後ろで結わえていた。


 人付き合いをあまりしないヴァレンタインとは違い、彼はいつだって人当たりのよい笑顔で他の生徒に接していた。そのせいか、彼に好意を抱く女子生徒も少なくないと聞く。

 

「あ、えーと。あそこのトイレだよ。なんか具合悪いみたいだったけど」

 ケイティの視線が俺に向いていることに、些か緊張を覚えながら、俺はあの薄暗いトイレの方角を指さして言った。


「そう、どうもありがとう。行ってみるわね、カイト」


 にこりと全てを魅了する笑みを浮かべ、ケイティはレイモンドと去っていった。

 しばらく快斗達男組は、夢心地で余韻を楽しんでいたが、ジェニーの一言ですぐに現実に引き戻されてしまった。


「ケイティーとレイモンドって付き合ってるのかしら」


と、いう言葉に。












「ラディ、大丈夫?」

 薄暗いトイレの中で、彼は先程と変わらない姿勢のまま何かに必死で堪えていた。

 

 ラディスラス・ヴァレンタインは言った。

「血清の効果が切れた」

 レイモンドは胸のポケットから黒く細長いケースを取り出し、ラディスラスに手渡す。

「血清はこれで最後だ・・・」

 手渡されたケースの蓋を開けると、透明で水よりも少しとろみのある液体が注射器の中に収められている。


「貴族院は一体何をやってる? まだ見つからないのか」

 注射器の先に取り付けられているキャップを外すと、ラディスラスは慣れた手つきで自らの腕に液体を注入した。

「・・・もう限界だ、僕が本部へ行く」


「ダメよ。貴族院からこちらから連絡を取ることをきつく禁止されているじゃない」

 ケイティーはぎゅっと自らの腕を抱くように身を固めた。

「だが、このまま僕たちが血清なしにいられると思うか!?」

 床を睨むようにして、ラディスラスは言った。


「だが、ここで俺達が動くことで、数年かけてこうして人間達に紛れうまく身を隠してきた努力が無駄になるかもしれない・・・。奴らに居所を知られる可能性もある」

 レイモンドの言葉に、ケイティーも深く頷いた。

 

「そんなことはよくわかっている!

でも、血清がなければこうして人間に紛れることも難しくなる。

それに、さっきだってやばかった・・・」


 青白かったラディスラスの顔に血の気が戻っていく。

 

「何のこと?」

 レイモンドの問に、ラディスラスがうんざりしたように答えた。


「ここに人間が来た。

僕がどれだけ必死で襲いかかりそうになる衝動を抑えたのか知らないだろう」


 ケイティーが「ああ」と小さく納得し、ふふっと可愛らしい笑みを溢した。


「何がおかしいの? ケイティー」

 レイモンドの単純な疑問に、ケイティは言った。

「ここに来た人間って、きっとカイトのことでしょ? ね、ラディ」

 ぶすっとした表情でラディスラスは溜息をついた。

 それにはレイモンドも納得したらしく、「ふうん」と意味深な笑みを浮かべた。


「確かに、彼って魅力的だよね。彼はなんだか特別・・・。

そう、東洋の神秘ってやつかな? わたしもきっと血清の効果が切れたら、自分を抑え切れるかどうかわからないわ」


 ラディスラスは黙ったまま、思考していた。


 血清の効果は長くもって二週間。

 それまでにになんとかしなければならない。


「何を考えてる、ラディ」

 レイモンドは何かよくないことを考えているときのラディスラスが無言になることをよく知っていた。


「・・・」


 驚いたように、ケイティーがラディスラスを振り返る。

「危険すぎる! そもそも、わたしとレイモンドは、父達から貴方を奴らから守るよう言われてる。

貴方をみすみす危険に晒すようなことなんてできないわ」


 レイモンドが言った。

「いや・・・、けれど、ラディの言うように、このまま血清が切れて身動きが取れなくなるのもまずい。

そうなれば、周囲の人間達も俺たちが違うということに勘付き始めるだろう」


 ラディスラスは青く澄んだレイモンドの瞳を見つめた。

 まるで、次に彼が何を言い出すのかを知っていたかのように。


「だが、君はここにいろ、ラディ。動くのは俺だけで十分だ」


 レイモンドは動揺のない言葉で言い切った。


「レイ! そんなことをしたら、貴族院のお咎めを受けるのはあなただけになってしまうじゃない」


 ケイティーの抗議に、ラディスラスは静かに目を閉じ、小さく息を漏らした。


「ケイティーの言う通りだ。

まだ2週間の猶予がある。その間に何か有効な手立てが見つかるかもしれない・・・」


 このとき、ラディスラスの脳裏には、ある少年の姿が浮かんでいた。

 なぜ彼の姿が浮かんだのかは本人にもわからなかったが、どういう訳か、あの澄んだ黒い瞳がじっと心配そうに覗き込んできたときの様子がフラッシュバックしてきたのだ。


 数年前、留学生としてやってきた”カイト・オオミ”。

 東洋人であること以外、彼はラディスラスの興味を引き付ける要素を何一つと持ち合わせていなかった。ほとんどまともにこちらの言葉を話すことのできなかった彼が、今では全くといっていい程言葉の弊害を感じていないことに些かの感心は無いことも無かったが。


 こちらでは百六十センチ程しかないカイトは小柄で、そしてそれは彼を幼く見せる。

 学力も運動能力も人並み。特に目立つ容姿をしている訳でもない彼だったが、なぜか人を引き寄せる不思議な空気を纏っている。

 

 ラディスラスの顔を覗き込んできた彼の眼は、真っ直ぐで、裏表のないものだった。

 そこには、恐れや疑心、不安は一切含まれておらず、単純な良心と親切心だけが伺えた。


「さ、そろそろ午後の授業が始まるよ。行きましょ、ラディ。

皆が不審に思い始める前に・・・」


 ケイティの言葉に、ラディスラスはゆっくりと顔を上げた。

 そして、真白い手で滑らかな目蓋に僅かに触れた。

 まるで、何か余計な考えを忘れようとする仕草のように。


(カイト・オオミ・・・・)











 快斗は、腹痛を理由に寮へと一人戻ってきていた。

 腹の具合はおさまるどころか、より一層ひどくなる一方で、快斗はトイレを出たり入ったり往復することを余儀なくされていた。

 昼間、ラディスラス・ヴァレンタインに握られた手首は、少し赤くなっている。


「今日はなんか踏んだり蹴ったりだよな・・・」


 自室の鏡の前でいつもりよりかはげっそりとしている自分の顔を見ながら、快斗は日本語で溢した。


 そうしながらも、どういう訳かあの薄暗いトイレで異様に青白く顔色の悪いラディスラス・ヴァレンタインの様子に、やはり違和感を感じずにはいられない自分がいた。


(あいつ・・・、一体あのトイレで何してたんだ・・・?)


 ケイティーとレイモンドがあの後あの場へ訪れて、どうなったのかまでは知らない。

 ただ、あの二人はきっとラディスラス・ヴァレンタインの何かを知っているような気がしてならない。






 だけど、俺は知らなかった。

 すでに、あのトイレ彼と鉢合わせしてしまったことで、終わりなき運命の歯車が廻り始めていたことに・・・。そう、決して戻すことのできないその歯車は、僕の意思とは無関係に動き続ける。


 前の晩に、残りもののスープを口にしていなければ・・・。

 もしくは、あのトイレに行っていなければ・・・。

 そして、ラディスラス・ヴァレンタインに声を掛けていなければ・・・。


 その全ては、なるべくしてなった結果なのだ。


 運命はときとして皮肉なもの。

 何も知らない俺はまだ、幸せな日々の一端を過ごしていたんだ。

 

 





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