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成立条件

「あとは細々とした問題だが、3つ疑問点がある。まず、その一」


 榊は指を立てて立花に振り返った。

「なぜ“突然現れたように”見えるのか。だな」


 榊は赤い像からいったん視線を外し、坑口の縁――コンクリートと闇の境界を指でなぞるように見つめた。


「あれはな、突然“現れた”わけじゃない」


 立花は息を詰めたまま、榊の横顔を見る。


「ただ、見える条件が一瞬で揃っただけだ」


 榊は一歩、横に動いた。

 それだけで、赤い女の輪郭がわずかに崩れ、像が薄くなる。


「いいか。人間の視覚は連続じゃない。明るさ、コントラスト、動き――それらが一定の閾値を超えた瞬間に、像として“確定”する」


 そう言って、今度は立花の立ち位置を、肩に触れて数十センチだけずらした。


「今、どう見える?」


 立花ははっとして、坑口を見直す。


「……さっきより、はっきりしない」


「だろう」


 榊は小さく頷いた。


「赤い光源は、ずっと存在している。車のテールランプ、反射、トンネル内部の減光――

 それらが坑口付近で重なって、人の形に“収束”する配置になった瞬間だけ、脳が像を確定させる」


 榊は、指を鳴らした。


「蛍光灯と同じだ。スイッチを入れた瞬間に光ったように見えるが、実際には電流も、電子も、前からそこにある」


 立花は、喉を鳴らした。


「……じゃあ、僕らが見た“出現”は……」


「脳の側の話だ」


 榊は静かに言い切った。


「現象が始まったんじゃない。君の視覚が、あれを“人だ”と認めた瞬間が、あのタイミングだっただけだ」


 赤い女は、相変わらず坑口に立っている。

 だが今はもう、“出てきた”という印象は薄れていた。


 最初から、そこにあった――

 そう思えてしまうこと自体が、逆に不気味だった。


 榊は、再び指を一本立てたまま、続ける。


「これが一つ目だ。次は、もっと厄介だぞ」


 その声に、立花は思わず背筋を伸ばした。


「なぜ、“女が立っているように見えるのか”――だ。

 ただ、これは一つの理由じゃない。五つの視覚条件

 が、同時に満たされている」


 榊は立てていた指をそのままに、赤い像の下半分へと視線を落とした。


「なぜ“女が立っているように見えるのか”」


 立花は、反射的に赤い女の足元を見る。

 確かに、地面に“立って”いるように見える。

 宙に浮いているわけでも、壁に貼り付いているわけでもない。


「でも……本当に、立ってますよね」


 そう言った瞬間、立花は自分の言葉に違和感を覚えた。


 本当に?


 榊は、その迷いを見逃さなかった。


「“立っている”というのはな、立花君。形の問題じゃない。配置の問題だ」


 榊は一歩、坑口の縁へ近づいた。


「まず一つ。あの像の下端は、路面と接しているように見える」


 立花は、視線を凝らす。


 赤い輪郭は、確かに地面の暗がりと自然につながっている。

 影のようでもあり、反射のようでもあり、境界が曖昧だ。


「人間は、地面と接しているものを“立っている”と解釈する。それが人であれ、標識であれ、影であれだ」


「……影も、ですか」


「影は特にだ。影は、立つものにしか出来ないと思い込んでいる」


 榊は淡々と言った。


「二つ目。縦の線が、無意識に強調されている」


 そう言って、榊はトンネル内部を指した。

 坑口の縁、排水溝の溝、内部の構造線。

 縦方向の要素が、奥へ奥へと重なっている。


「縦の情報が多いと、脳はそれを“胴体”としてまとめたがる」


 立花は、はっとした。


 赤い女の像が、

 急に“一本の軸”を持って見えた気がしたのだ。


「……真ん中に、芯がある感じがします」


「それだ」


 榊は小さく頷いた。


「三つ目。左右の非対称が、人型に寄せている」


「非対称……?」


「完全に左右対称なものは、人には見えない。マネキンですら、微妙に崩してある」


 榊は、赤い像の肩口にあたる部分を目でなぞった。


「片側だけ濃く、片側だけ薄い。そのズレが、“腕”や“肩”に割り当てられる」


 立花は、思わず息を吸った。


 言われてみれば、

 赤い女は、どこか片側に重心が寄っているように見える。


「四つ目。高さが、人の目線に合っている」


 榊は、立花と同じ高さで坑口を見据えた。


「人は、自分と同じ高さにあるものを、人だと思いやすい」


「……確かに、低すぎもしないし、高すぎもしない」


「偶然じゃない。テールランプの高さ、反射角、路面の傾斜。それらが重なると、自然とこの高さに集まる」


 榊は、そこで一拍置いた。


「五つ目。動かないことだ」


 立花は、思わず瞬きをした。


「……動かない、から?」


「そうだ。微妙に揺れているが、歩かない。近づかない。去らない」


 榊は、赤い女をまっすぐに見た。


「人が“立っている”時の状態に、一番近い」


 立花は、背中に冷たいものが走るのを感じた。


「つまり……」


「立っているように見える条件が、全部揃っている」


 榊は、指を下ろした。


「だから、脳は迷わない。これは“立っている女だ”と、即座に決める」


 赤い女は、相変わらずそこにいる。


 だが今、立花の目には――

 少しずつ、分解された情報の集合体として見え始めていた。


 それでもなお、

 “女が立っている”という印象だけは、しつこく残っている。


 榊は、静かに言った。


「ちょっと長くなったが、これが二つ目の理由だ」


 そして、わずかに声の調子を落とす。


「残り一つが――

 一番、幽霊らしく聞こえる」


            *

 

 榊は、赤い像から視線を外さずに続けた。


「これで二つ。残り一つが――

 一番、幽霊らしく聞こえる」


 立花は、ごくりと喉を鳴らした。


「……何ですか」


「見られていると感じる理由だ」


 その言葉に、立花の肩がわずかに強張る。


 確かに、赤い女は目を持っていない。

 顔と呼べるほどの輪郭も曖昧だ。


 それなのに――

 こちらを“意識している”ように感じてしまう。


「でも……視線なんて、ないですよね」


「ない」


 榊は即答した。


「だが、人間は視線そのものじゃなく、《《視線がある“気配”》》に反応する」


 榊は、自分の目元を指で軽く示した。


「これも単純な話じゃない。いくつか要因が重なっている。まず一つ目だ。あの像はな、上の方にだけ、情報が集中している」


立花は、改めて赤い女の“頭部”に相当するあたりを見る。


 確かに、最も明るく、最も輪郭がはっきりしているのはそこだった。


「人は、明るい部分を“顔”として読む」


「……目がなくても?」


「ああ。目がなくても、そこに注目点があれば、顔になる」


 榊は淡々と続ける。


「二つ目。像が、正面を向いているように見える」


 立花は、はっとした。


 横を向いているようには見えない。

 斜めでもない。

 ――こちらに向いている。


「正面性だ」


 榊は短く言った。


「人は、正面を向いているものに対して、“見られているかもしれない”と感じる」


 立花は、背中に汗が滲むのを感じた。


「三つ目。像が、こちらの動きに“反応しない”」


「反応しない……?」


「動いても、避けない。近づいても、逃げない」


 榊は一歩、わざと赤い像に近づいた。


 女は、何も変わらない。


「それを、脳は“無関心”ではなく、“注視”と誤解する」


 立花は、思わず声を落とした。


「……じっと見てる、みたいに」


「そうだ」


 榊は頷いた。


「四つ目。視線の高さが、君と合っている」


 立花は、無意識に自分の目の高さを意識した。


 確かに、

 見下ろしてもいないし、見上げてもいない。


「人は、自分と目線が合うものに、強烈な“対人反応”を起こす」


「だから……怖い」


「だから、幽霊になる」


 榊は、静かに言い切った。


「五つ目。動かないのに、消えない」


 その言葉に、立花ははっと息を止めた。


「動かないものは、普通は背景になる。だが、あれは背景に溶けない」


 榊は、坑口の闇を指した。


「闇は背景だ。コンクリートも背景だ。だが、あれだけは違う」


 赤い女は、闇の中で、確かに“残っている”。


「消えないものは、脳にとって“意味があるもの”になる」


 榊は、そこでようやく赤い像から目を離した。


「意味があるものは、意思があるように感じられる」


 立花は、長く息を吐いた。


「……じゃあ、僕が感じたのは」


「全部、脳の処理だ」


 榊は、淡々と結論を置いた。


「見られているんじゃない。見てしまうように、組み立てられている」


 赤い女は、今も坑口に立っている。


 だがそれはもう、

 何かを訴えかける存在には見えなかった。


 条件が揃った場所に、

 条件通りに立ち上がった“像”。


 榊は、静かに付け加えた。


「少し話が長くなったが、これが赤い幽霊の正体だ」


 立花は、もう一度だけ、赤い女を見た。


 恐怖は、まだ消えきってはいない。

 だがそれは――

 正体の分からないものへの恐怖ではなかった。


 分かってしまったものを、

 それでも怖いと感じてしまう、人間自身への恐怖だった。


(続く)


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