村山愛―2
そして、私は最初の人生で、それなりに満足した人生を送った末、70歳過ぎで亡くなったが。
その一方、私の実父は日清戦争の際に戦死しており、実母は義父母や実家の援けがあったから、単純には言えないが、そうは言っても、実母は女手一つで私を育て上げて、更に実父には兄弟がいなかったこともあって、「靖国の妻」の理想を護るかのように、再婚しなかったのだ。
(戦死した夫がいるのに、他の男と再婚して子どもを捨てて家を出るとは、日本婦人の理想の貞婦にもとる、と世間から叩かれるのが、「靖国の妻」の現実だったのだ)
そんなことから、私は小学校を卒業した後、少しでも実母を援けようと芸妓になったのに。
だが、結果的には、私が野村雄に惚れ込んで、幸恵を産んだことから、実母に迷惑をかけてしまった。
(それにしても、私の実母は、私からすればだが、本当に女神と言えた。
私が幸恵を妊娠して悩んだ際、幸恵を産むように、私の背を推してくれたのだから。
だが、実母は様々な苦労が祟ったのか、自分の初曾孫、幸恵の初の娘が産まれるのと相前後して、私からすれば若死にしたのには、私は泣くしか無かった)
そして、幸恵が乳離れした後、私は料亭の仲居に就職して、板前と職場結婚して、夫婦で小料理屋を開き、更に北白川宮殿下の知遇を得た。
更には、北白川宮殿下に、幸恵の実父の消息を調べて貰って、幸恵に異母弟妹が居るのを教えられて、トラブルを懸念して、私は幸恵の認知を求めることを断念したのだが。
その代償として、北白川宮殿下の多大な援助を得られ、料亭「北白川」を経営することになった。
更に紆余曲折があった末、幸恵は全ての異母弟妹、それこそアランに至るまで、と知り合うことになり、私はそれを陰ながら見守ることになったのだ。
そして、21世紀に自分は転生することになり、更に野村雄が生き延びた異世界に行けば、幸恵は認知して貰えて、私は幸せになれると考えたことから、ヴェルダンのあの宿に、私は赴いたのだが。
岸忠子では無かった、岸澪の暴走は、私の予想を完全に超えていた。
21世紀の感覚を、20世紀に持ち込んで、喧嘩上等という態度を、岸澪は執ったのだ。
(最もその一因が、私がこの当時の法律を楯にとって、岸澪に幸恵の養育費を請求したことにあるのには、流石に私も反省せざるを得ない。
岸澪にしてみれば、何でこの時代では、嫡母として自分が養育費を全面負担し、更に実父が欧州に居る以上、幸恵の親権者として面倒を見ないといけないのか、とブチ切れたのは、分からなくもない話だ)
その一方で、ジャンヌ・ダヴ―は、20世紀のこの時代に合った判断を貫き、結果的にだが、あの世界の野村雄と結ばれて、50年余りに亘って内妻生活を送ることに成功することになったのだ。
私にしてみれば、こんなことになるとはね、としか言いようが無かった。
尚、この世界では、私は岸澪から幸恵の養育費を貰うことは出来たが、正直に言って、北白川宮殿下からの援助と比較すると、少額の養育費に結果的に成ってしまった。
更に言えば、北白川宮殿下の知遇も、顔見知り程度に止まったこともあって。
結果的に、私は料亭「村山」の経営者を務めるに止まることになったのだ。
料亭「村山」は、それなりの料亭にはなったが、私の前世での料亭「北白川」と比較すれば、小さな代物に、結果的になってしまった。
その一方、私の娘の幸恵達は、篠田千恵子や岸総司と、兄弟姉妹として仲良くなった。
その果てに、幸恵からすれば異父妹になる美子は、義兄と言える岸総司と結婚したのだ。
こうして考えると、私の人生は最終的には収支が合ったのだろうが。
何とも言えない事態としか言えなかった。
実際にはそうでも無かった、旧民法下の「家制度」だが、地域差等があるので、全てがそうとは言えなかった等、と言われる方がおられますが。
旧民法下の「家制度」の理想を貫く、とこの話のようになるのです。
厳密に言えば違いますが、21世紀の横須賀で生まれ育った現代女性が、大正時代に転生したら、女性の地位の低さにキレて当たり前の気が、私はします。
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