第6話 名前を付けるのって難しいよね
部屋を出てから5時間ほどが経過していた。
夜の鐘が鳴り、もう18時を過ぎた頃だろうか。
父親はリビングをせわしなく動き回っていた。
鬱陶しいから座っていてと何度も言ったのだが、座った2分後には活動を開始するため、もう放っておいている。
かくいう僕も内心ではソワソワしている。
なにせ、この出産は父親と母親、そして僕が頑張ったことによって成立しているものであり、もはや僕の子どもですらあると言っても過言ではないため、期待しないわけがないのだ。
妹か弟かなんて関係なく、元気な赤ん坊が産まれてほしい。
まあ、でもできれば妹がいいなぁとか、ちょっとだけ思ってはいるが、弟でもちゃんと可愛がるつもりだ。
将来的には、僕が妹に全てを捧げるための、恋のキューピット的な重要な任務を務めてもらおうと考えている。
目的を果たすためには、手段を選ぶつもりはないのだ。
そんな期待に胸を膨らましていると、ほどなくして、家の奥から赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。
「オンギャー!オンギャー!」
父親と二人で一目散に駆け付けると、元気に泣きわめく赤ん坊が、タオルでグルグル巻きにされていた。
母親はそんな我が子を抱き上げ、慈しむような表情を浮かべている。
その姿はまるで一枚の絵画のようであったが、そんなことはどうでもいい。
重要なのは性別なのだ。
いや、確かにさっきは妹でも弟でも構わないと考えてはいたが、気になるものは気になるのだ。しょうがないだろう。
だが、赤ん坊はタオルで簀巻きにされている状態のため、ブツを確認できずにいた。
「よく頑張ったね!」
「ありがとう、おばば!」
「流石は村の一番の産婆だな!俺からも感謝をさせてくれ、ありがとう!」
「今回はスムーズに終わって良かったよ!このぼんずのときは半日以上かかったからね、老人の体には堪ったもんじゃないよ……」
ふと、壁に立てかけられている斧を見ると、血液のようなものが付着していることに気が付いた。
傍らにはへその緒と思しき物体が転がっていることから、これでへその緒を叩き切ったのかと、僕は人知れず震えた。
果たして、へその緒を切るためだけに、そんな大仰な得物を使う必要があるのだろうか。
「それでおばば、どうなんだ?」
父親が待ちきれないとばかりにおばばに声をかける。
「どうって何がだい?」
「いや、どっちなんだ?勿体付けるなよ……!」
「そうさね……」
僕と父親はソワソワしながらおばばの二の句を待つのだった――
***
「おめでとさん、男の子だよ!」
おばばの言葉により、僕は身体から魂が抜けるような感覚を覚えた。
僕の努力が無駄になってしまったが、こればかりは仕方がない。
うーむ、お腹の中をあれだけお酢で満たしたというのに、そんなに都合よくはいかなかったようだ。
生命誕生の奇跡をお酢で操作しようだなんて、思い上がるなという神様のお告げなのかもしれない。
まあ、全ての努力が実を結ぶとは限らない。
頑張ったけど結果が伴わないなんてことは、この世界に限らず、星の数ほどあるものだ。
こういう時は逆に考えるのだ。
あのお酢の海の中を生還したのだ。きっととてつもない生命力に違いない。
それに、おばばは男の子だと言っているが、歳も歳だし、耄碌していてもおかしくはない。……そうだ、まだ希望を捨てるんじゃない!
妹でさえあれば、それが怪物であろうが、妖怪であろうが、ただ愛を注ぐだけだ。今から成長が楽しみである。
そうと決まれば、色々とプランを考えないといけない。これから忙しくなるぞ!
「おお!男の子か!よし、ではカーラ、約束は覚えているな?ふふっ!確か、産まれてくる子が女の子ならお前が名付ける、男の子なら俺が名付ける、で間違いなかったよな!?」
僕がああでもないこうでもないと皮算用的に将来の展望を考えていると、父親が腹の立つニヤケ面をしながら、母親に確認をする。
どうやら、産まれてくる子どもの性別次第で、どちらが名付けるかを事前に決めていたようだ。
母親もそれを思い出したのか、苦虫を噛み潰したような表情をしていた。
「そ、そうだったかしら?ニアの名前はあなたが付けたわよね?なら次は順番的に私が名付ける番じゃないかしら」
「……ち、ちょっと待てよ、約束が違うじゃないか!」
「そもそも、私の子でもあるのよ?あなたばっかり名付けたら、二人ともあなただけの子みたいじゃない!公平じゃないわ!私だけのけ者にするの?酷いわっ!ぐすん……」
「ぐっ……!泣き落としとは……!ず、ずるいぞ!大人が約束を反故にするな!」
「ねっ、ねえ……僕も名前付けてみたいなぁって……」
「そうよね?ニアも家族なんだから、名前付けたいわよね?……もう一度家族で話し合うべきよ!!」
「い、いや、でも……」
「あなたは、子どものささやかな願いも叶えられないような狭量な人じゃないわよね?そうよ、私の愛した人は、とても懐が深い人だわ。今は少し疲れているようだし、後でまた話しましょう?」
「そ、そんなことは……うっ……うぅぅ…………」
僕の発言を聞いた母親は、これ幸いとばかりに畳みかけると、何も言い返すことができなくなった父親はシュンとしてしまった。母は強いのである。
ちなみにニアというのは僕のことである。ニア・シスコーン、それが僕の名前だ。
農民が家名を持っているのは珍しいのだが、父親の出生はシスコーン領を治めている男爵家の三男坊であった。
次男のようにスペアということでもなく、爵位や財産も継ぐことはできないため、何らかの職に就く必要があり、冒険者として活動するようになったのだとか。
父親の性格的には貴族をするよりも自由な冒険者になる方が合っていたのだろう。
しかし、冒険者となることについて、実家では、野蛮だとか、貴族の子弟が就く職ではないとか、強く反対され、喧嘩別れのような形で実家を出てきたようで、今となっては実家との繋がりも無くなったらしい。
***
「話はまとまったかい?体力も消耗しているだろうし、続きは明日にしな!」
話が一段落したところで、おばばがしわがれた声でそう言い放った。