第二章 病院の白い壁
病院のICU前には、無数の報道陣と要人たちが殺到した。FBIのジャクソン・バーンズ特別捜査官は、医師から大統領の容体について簡単な説明を受けると、すぐに警護責任者と合流して事態の対策を協議する。
彼は硬い表情をしていた。ジャクソンはかつて、シークレットサービスの一員として要人警護の経験もある。大統領暗殺未遂など、あってはならない最悪の事態だ。しかも撃たれたのは現職大統領。国内外の政治的影響は計り知れない。
「ジャクソン、お前が現場指揮をとれ」
上司のフレイザー副長官がジャクソンを呼びつける。
「FBIとして全力で捜査に当たる。暗殺未遂事件と判断していい。テロの可能性も視野に入れろ。大統領が意識を取り戻す前に、犯人の狙いを突き止めなければならない」
ジャクソンは了解の意を示し、院内での捜査担当チームを編成した。病室の周囲は厳戒態勢。シークレットサービスは自責の念に苛まれている様子だが、ジャクソンは彼らを責める余裕もない。何よりも大切なのは、誰が、何のために大統領を撃ったのか。その真実に迫ることだ。
ジャクソンは心の奥底でトランプ大統領に対して複雑な感情を抱いていた。大統領としての彼の資質や政策には同意しかねる部分もあるが、それはそれとして、合衆国の元首を守る義務がある。政治的立場の違いは、事件捜査において些末な問題だ。
一方、病院の廊下では、メディア関係者や政界の重鎮らしき人々が入り乱れていた。アンナもそのうちの一人だった。病院に駆けつけたはいいものの、情報は限りなく閉ざされている。救命措置の真っ最中で、当局の正式発表もまだない。誰もが一刻も早い続報を求めていた。
「すみません、FBIの方ですよね。取材を……」
アンナは規制線の前でジャクソンを見つけて声をかけた。しかし、ジャクソンは足早に通り過ぎる。いまは捜査が最優先で、記者の相手をしている暇はない。
アンナはため息をつきながら、ノートPCとスマートフォンで情報を整理しようとする。ネット上では既にフェイクニュースのようなものが拡散しており、「大統領は死亡した」「犯人はリベラル派の陰謀だ」「トランプの自作自演」という荒唐無稽な説まで飛び交っている。真実がまだ何もわからないこの段階で、世界は大きく揺さぶられていた。
ICUのドアが開き、主治医らしき医師がホールへ出てきた。瞬時にメディアが群がる。アンナも駆け寄ろうとするが、FBIスタッフによって制止される。数秒の沈黙の後、医師は短くアナウンスした。
「大統領は重体です。弾丸が胸部を貫通し、肺と肋骨に深刻な損傷を与えています。現在、緊急手術を行っておりますが、今のところ予断を許しません」
その場にいた全員が息を呑む。医師はそれだけ告げると、急いでICUに戻っていった。
アンナは焦燥感に駆られながら、病院ロビーへと下がり、編集長への一報を入れる。可能な限りリアルタイムで報道するよう指示を受けた彼女は、何か有力な手がかりをつかもうと必死だ。しかし、カメラマンのデイヴィッドもなかなかつかまらない。現場の混乱ぶりは尋常ではない。
この時点で、アンナは自分自身が世界的スクープのど真ん中にいるという意識をまだ明確には持っていなかった。ただただ、「大統領が撃たれた。もし亡くなればアメリカ史に残る歴史的大事件だ」という恐怖と混乱の只中にいるだけだ。