第一章 銃声の幕開け
アメリカ合衆国第45代大統領、ドナルド・トランプが演説を終えた直後、突然の銃声が会場を震わせた。
それはまるで、消えかかった火薬の匂いを辿って存在を主張するかのような鋭い轟音だった。夕刻とは思えない強い陽光が、ニューヨーク郊外の大型アリーナを照らしている。数千人の聴衆の前で、大統領は自信に満ちた表情を浮かべていたはずだった。が、その瞬間、彼の姿は大きくよろめくように崩れ落ちた。
「大統領が撃たれた!」
悲鳴があがる。周囲は一瞬で混乱に包まれ、警備要員が大統領を取り囲む形で遮蔽する。セキュリティ要員のヘッドセットからは怒号にも似た指示が飛び交い、緊急搬送の手はずが整えられた。アリーナ内には、恐慌状態のまま立ち尽くす市民が混在し、出口へ殺到する者、床に伏せてうずくまる者、携帯端末を構えたまま動かない者などが入り乱れる。
アンナ・ハミルトンは、ローカル紙の政治記者としてこの集会の取材に来ていた。普段はあまり注目されない、市議会レベルのニュースを扱うことが多い。しかし、その日だけは事情が違った。なにしろ、現職大統領が自ら地方演説に訪れるのは異例のこと。アンナの所属する小さな新聞社にも、政治部記者を総動員で送り込めという指示が上司から出されたのだ。
銃声を耳にした瞬間、アンナは反射的にカメラマンのデイヴィッドを探した。デイヴィッドの姿は、パニックの群衆の向こうにわずかに見える。大きなレンズを構えつつも、俯瞰で状況を捉えようとステージ近くを目指しているようだ。
「デイヴィッド!」
アンナは叫んだ。が、周囲の騒音にかき消されて届かない。
一方、ステージ上の混乱はさらに激しさを増している。大統領を囲むシークレットサービスが、必死の形相で担架へ移送しようとしているのがかろうじて見えた。そこにもう一発、乾いた銃声が響いた。二発目か。観客席の奥、壁際の方角からだろうか。銃声の後にはあらゆる叫び声が乱舞するばかりで、何が起きているか正確にはわからない。
アンナはまるで身体が凍りついたようにその場に立ち尽くしていた。通常の取材なら、即座にメモやレコーダーを手にして、状況を克明に記録するところだ。だが、あまりの衝撃で頭が追いつかない。――大統領が銃撃された。これは史上稀に見る大事件だ。
数分後、アンナはようやく意識を取り戻すかのように、携帯端末を握りしめて会社の編集部に連絡を入れた。
「もしもし、私、アンナ。すごいことになった。トランプ大統領が……撃たれたの。現場に救急隊とFBIがすぐ来て、会場は封鎖されつつある……」
まだ言葉がうまく出てこない。編集長は取り乱すアンナを宥めながら、撮影した映像や写真を最優先で送ってくれと言い、詳細は後で確認すると伝えた。アンナは深呼吸して、ようやく頭を働かせる。こんなときこそ記者としての冷静さが必要だ。
その後、会場は完全に閉鎖され、捜査当局とシークレットサービス、FBIの捜査官が慌ただしく動き始める。犯人はどうやら現場で取り押さえられたらしいという情報が、断片的に耳に入る。名前はエリック・ファーゴ。元海兵隊出身の男で、会場の外壁付近から狙撃した疑いがあるという。アンナは自らの目で確かめようとしたが、規制線が厳重に張り巡らされ、近づくことすらできなかった。
トランプ大統領は急ぎニューヨーク市内の病院へ運ばれた。容体はわからない。全米、いや世界中が今この瞬間を息を詰める思いで見守っている。アンナはそのただなかに立ち、汗ばんだ手のひらを握りしめながら、事件の重大さに圧倒されていた。