幕間:ある兄の地獄道
「へ~い、兄貴、邪魔すんで~!!」
「邪魔するなら帰ってほしいのでござる」
「はいよ~………というとでも思ったのかぁ~!?このマヌケがぁ~!!」
「んなっ、ナニィ~~っ!?」
ドアをノックしてあきれたような拒絶が返ってきたので突撃した。
外は猛暑日だというのに、寒いくらいにエアコンを利かせた部屋の主………身長159センチ、体重98キロのおデブが、座っていたゲーミングチェアを軋ませながら振り返る。
相変わらずノリのいい兄貴を無視して、部屋の中を見渡し。
「………兄貴、またフィギュア増やしたな?」
ずらっと並んだフィギュアケースの中に、某頭のおかしい爆裂娘の水着姿のフィギュアが追加されていた。
「おっ、わかるでござるかぁ~?」
「そりゃ、わかるに決まってんだろ。俺と兄貴の仲だぞ?」
「野郎に言われてもうれしくないでござる。どうせならシオンたんとアヤメたんに言ってほしいですな」
「そんなんだから実の妹に接近禁止命令だされるんだろ」
「うぐっ………否定できないでござるよ。ところで、飲み物はどうするでござるか?ちょうどモンエナのトロピカルフレーバーが」
「兄貴、俺がエナジードリンク嫌いなの知ってて言ってるだろ。普通に水で頼む」
「かしこま!!」
ゲーミングチェアのまま移動した兄貴が、備え付けの冷蔵庫から三ツ矢サイダーを投げて渡してきた。
………普通に、水で良いって言ったんだけどな。
「水なんて味のしないものが、この部屋にあるとでも?」
「そりゃ………そうだな」
何故か無性に懐かしい缶のプルタブを起こし、中身を一気に流し込んで。
「………それで、留学はどうでござった?」
「最高だった。………まぁ、一度、同じクラスの女生徒と良い感じになりかけてフラれたのを除けば、だけどな」
「青春でござるなぁ」
「おう、兄貴が捨てたもんだ、せいぜい羨ましがればいいさ」
「人の心とかないんですか?」
「そこになけりゃないな。………ああ、あとこれ、お土産だ。冷凍の揚げバター」
「………今、なんと?」
「兄貴が知らないわけないだろ。揚げバターだよ、冷凍の。こんまま油で揚げたら食えるぞ」
「お、おぅ………」
「それとこれだな」
「ぬっ?」
「ゾーンたんのフィギュア。やるよ」
「ごふっ!?」
落ち込んだり笑ったり引いたり百面相してた兄貴が盛大に咽た。
ついでに眼鏡も吹っ飛んだ。
「………ちなみに、そのフィギュアはどこで?」
「向こうで出来た友達に兄貴が重度のオタクだって伝えたら1週間で作ってくれた」
「そ、そうでござるか………」
ずれた眼鏡を直しつつ額の汗をぬぐう兄貴。
サイダーを飲み干して。
「それで、兄貴、そっちは最近どうよ?」
「順調そのものでござる。ああ、でも」
「でも?」
「日陰商会という倒産寸前の小さな個人経営の会社に出資していたのでござるが、蒸発されたでござる。あれは、回収は無理でござるな」
「らしくねぇな、なんかあったのか?」
「いやはや………小さな女の子を連れて各所に土下座して回ってたと聞けば、情が湧いてしまって」
「兄貴、性癖に関しちゃ何も言わんから児ポでひっぱられたりすんなよ?」
「失敬な!!この宗親、ロリコンはロリコンでもいわば紳士!いつ何時でも、YESロリータNOタッチの精神を胸に」
「ああ、すまん。失礼なこと言った」
「わかればよいのでござる」
「………しかし、ガキをネタに金借りようってのは、胸糞悪いな」
「それは同意見でござるが、拙者らにできることなど、せいぜい、無事を祈るくらいでござるからな」
「だな。ああ、そうだ、コーヒーあるか?」
「マックスコーヒーなら」
「………クラフトボスのブラックは?」
「拙者、ブラックコーヒーは嫌いでござる」
「………んじゃ、三ツ矢サイダーで」
「了解でござる」
「シュワッチ!!」とか言いながらデブが滑走するのを尻目に、ポッケに突っ込んでたウメミンツを口に放り込み。
「なぁ、兄貴」
「なんでござるか?」
「阿川さんとは、最近どうなんだ?」
「うぐっ」
そう尋ねて、兄貴があからさまに呻いた。
まったく………。
「まだ、返事してないんだな?」
「いや、それは、その、そう、彼女には拙者なんかよりもずっと」
「ずっといい人がいるってか?いい加減覚悟して受け入れろよ、さもなきゃあの人、行き遅れることになるぞ」
「ぐぐぐぐぐぐぐぐぐ」
阿川さん────聞いて驚けマジの合法ロリ巨乳美女だ────は、兄貴が高校を中退した時からずっと、目の前の引きこもりの世話を甲斐甲斐しく焼き続けている、奇特な人だ。
兄貴も阿川さんも、今年で32になる。
そろそろ身を固めてほしいところではあるが………。
「………実は、最近、彼女に言われて筋トレを」
「………マジか?」
「………日に日に体が細くなっていくので、正直、自分でもびっくりしてるでござる」
そういう兄貴の体が、確かに、記憶にあるよりも、ほんの少しだけ細くなっている………ように見えた。
「なるほど、むこうで特大級のデブを見慣れたせいだと思ってたが、兄貴が瘦せたのか」
「そういうことでござるな」
「ああ、一応言っておくが、俺は阿川さんの味方だからな?今の俺があるのは、兄貴と、あの人と、久根崎の叔父貴のおかげだ。あの人を泣かせたら承知しないからな?」
「………わかったでござる。今度、一緒に、映画でも観ることにするでござるよ」
「そうしろそうしろ、ついでにその、いにしえのオタクエミュもどうにかしろ」
「それは無理でござる」
「………まぁ、無理にとは言わんけどな」
プシュリ、と、プルタブを引っ張って。
「………なぁ、兄貴」
「なんでござるか?」
「………シオンと、アヤメの、調子はどうだ?」
「………はっきり言って、あまりよくはないでござる。あと、どれだけ持つか………」
「………そう、か」
「………エイジ、あまり気に病まないほうがいいでござるよ。2人の病気は、エイジのせいじゃな」
「違う、俺のせいだ。俺は、あの2人に、何もしてやれていない。兄貴は株やって医療費稼いでるし、その金で治療を請け負ってくれてる柳笊先生は、叔父貴の伝手で仕事を受けてくれた。何もできてないのは、俺だけだ。違うか?」
「それは違うでござる。拙者も叔父上も、その程度の事しかできないのでござる。………本当の意味で2人の助けになっているのは、エイジだけでござるよ。父上とママ上はああでござるし」
「………そう、か。それじゃあ、そろそろ見舞いに行ってくるよ」
「うむ。ついでに、拙者の事もなんかいい感じに」
「誠心誠意努力はする」
「そこは確約してほしかったでござるなぁ~………」
「無茶言わんでくれ。………それじゃ、また来る」
「行ってらっしゃいでござる」
缶のサイダーを飲み干して、部屋を出た。
「えぇ~………宗親兄さん、まだ、阿川お姉ちゃんに手ぇ出してなかったの?」
「というかそのうち食われそうじゃね?」
「わかる。阿川姉、間違いなく肉食だし」
「………お前ら女子高生だろ?あんまりそういう事言わないほうがいいぞ?」
「ウチら高校いってないからセーフでしょ」
「だね、間違いない」
「あんまり笑えないからやめてくれ」
「へいへいどうしたお兄ちゃん、元気ないぞ~?」
「ウチらは余命がないけどね」
「シオン、それはマジで笑えん」
「マジか、バビショックなんですけど」
真っ白い病人服を着て、パイプベッドで上半身だけ起こしたまま、コントめいた会話を繰り広げる双子の妹たち。
思わず笑ってしまいそうになりながら、構ってほしそうに伸ばしてきたアヤメの手を、そっと握りしめる。
血の気の失せた、色白な、強く握れば壊れてしまいそうな手。
「そーだ、お兄ちゃん、アレ作ってよ、リンゴのウサギさん」
「おっ、いいね。んじゃ、エイジにぃ、私にもアレ作ってよ、リンゴのバラ」
「おいおい待て待て、ウサギさんはわかるが、バラってなんだ?そんなものあるのか?」
「あるらしいよ?可愛いから作ってほしいなって」
「それは………まぁいいが、体の調子は大丈夫なのか?」
「もち、柳笊センセーからオッケー貰ってるし。実を言うとウチら、今、ゼッコーチョーなのよ。なんか食べれるうちに食べときたいなってかんじ?」
「………わかった。ちょっと待っててくれ」
病室の冷蔵庫からリンゴを取り出して、グーグル先生でリンゴのバラとやらを調べる。
………ふむ、ふむ?
「シオン」
「えっ、なになに?できないの?お兄ちゃんなのに?」
「コレ、電子レンジ使うみたいだぞ」
「………お願い、やって?♡」
「よし任せろ」
ポケットから肥後守を取り出して、深呼吸1つ。
おもむろに、切っ先を入れて。
「………うっわ、アレ、指、どういう動きしてんの?」
「やっぱお兄ちゃん頭おかしいよね」
「すまん、少し静かにしてくれ、気が散る」
「「は~い」」
元気のよい返事を聞きつつ、刃を滑らせていく。
ひたすらにリンゴを切る事、およそ三分、なんとか作業を終えて、ついでにリンゴのウサギさんも量産した。
「ふぅ………。よし、出来たぞ」
「マジか。流石エイジにぃ」
「というか、何、そのちっこいナイフ。いつも持ち歩いてんの?」
「肥後守だ。一個持ってたら便利だぞ?」
「………ソレ、大丈夫なの?」
「おまわりさんには内緒な?」
「おー、お兄ちゃんワルだ、アウトレイジだ、アウトサイダーだ」
「それはまた意味が違うくないか?」
とにもかくにも、紙皿に切ったリンゴを乗せて、2人に差し出し。
「「あ~ん」」
「………何やってんの?」
「食べさせてちょーだい?」
「みーとぅー」
「えぇ………まぁ、いいけどよ」
ひな鳥みたいに口を開けて可愛らしくねだる2人に、リンゴを差し出してやり。
「………なぁ、指舐めるの、やめてくれない?」
「別にいいじゃん」
「いーじゃん」
「いや、良くねぇからな?」
「えぇ~………」
「ブーブー」
「お行儀悪いからやめなさい」
「はいはい」
「ハイは一回」
「は~い」
愉快そうにケラケラ笑うシオンの唇を、ハンカチで拭ってやって。
「………それで、最近、あの2人はどうだ?」
「ここ一年くらい一回も来てないよ?」
「案外、ウチらの事、忘れてんじゃね?」
「うっわ~………マジでありうるな、ソレ」
「ま、宗親兄さんがヒキニートでウチらがずっと病気で治療中だしで、あの2人的にもさんざんなのは間違いないと思うんだけどね?」
「それで見捨てられる側の気分にもなりやがれって感じだよね」
「それな。………つ~か、そういう意味じゃ、血の繋がってないエイジにぃ以外、全部失敗作じゃね?ウケる」
「そのお兄ちゃんも宗親兄さんと叔父様に毒されてこんなだし、ほんとツイてないよね」
「お前らなぁ………」
「でも、あの2人がやりたかったのって結局のところお人形遊びでしょ?お兄ちゃん、人形ってガラじゃないし」
「アレだ、天網恢恢疎にして漏らさずって奴でしょ?」
「そうそう、悪は滅びる定めなのだ」
愉快そうに笑い合う2人に、釣られて笑ってしまった。
────俺たち家族の中で、血の繋がっていないのは、俺だけだ。
高校で虐められたのに加えて受験のストレスで兄貴は引き籠り、シオンとアヤメが生まれつきの難病で使えないと判断した両親が、孤児院から養子に引き取ったのが俺だ。
………もっとも、その俺すらも、アイツらからすれば失敗作だったようだが。
俺は、とどのつまり、少しだけ優秀な凡人だ。
兄貴のような、ずば抜けた商才があるわけでもなければ、叔父貴のように、狂気的なまでの執着心があったわけでもない。
それなりに器用にやりはするが、それでもせいぜいが2位どまりの、凡人だ。
畢竟、言ってしまえば、他人に出来て俺に出来ないことはあっても、俺に出来て他人に出来ないことなどないのだから。
つきかけた溜息を、無理矢理飲み込んで。
「ま、私達と違ってお兄ちゃんは優秀だし?私達が居なくてもなんとかな」
「違うっ!!!………違う、違うんだ、アヤメ。俺は、何もできない、ただの人間だ。だから、ダメなんだよ、2人がいてくれなきゃ、俺は、ダメなんだ、だっ、からっ」
「はいは~い、エイジにぃ、いったんしんこきゅうしましょ~ね~」
シオンに、茶化すように頭を撫でられて、そこで初めて、自分が冷静さを失っていたことに気づいた。
言われるがままに深呼吸して、色素の薄い4つの瞳が、不安そうに俺を視る。
口角を、無理矢理釣り上げて。
「………すまん。ちょっと向こうで嫌なことがあってな。気が落ち込んでた」
「嘘だ、絶対嘘だ」
「いや、ホント、絶対ホント。お兄ちゃんウソつかない」
「エイジにぃ、嘘つかないっていうか、嘘は言ってないけどホントの事も言ってないって感じが多いよね」
「………」
「おっ、図星だった?」
「………実は、キャサリン……向こうで知り合った同じ講義とってた女子に、ホームパーティーに誘われてな。ウッキウキでついていったら、変な新興宗教の勧誘喰らってよ。ひどい目に遭った」
「う~ん………それ、自業自得じゃないの?」
「こんなかわいい妹が2人もいるのに他の女に現抜かしたエイジにぃが悪い」
「それはそう」
「お前らなぁ………」
ケラケラ笑い合う2人の頭を、優しく撫でて。
「………それじゃ、俺はそろそろ行くよ」
「ん?なんか用事あんの?」
「いや?ただ、あんまり長居しても悪いだろうなって」
「なら、まだいたっていーじゃん。エイジにぃがお見舞いに来てくれたのも久しぶりなんだし、もうちょっと話してってよ」
「それは………大丈夫だが、そっちは問題ないのか?」
「だから言ったじゃん。ウチら、今日ゼッコーチョーなのよ」
「というわけでお兄ちゃん、諦めて吐くもん吐け」
「えぇ………ま、いいけどよ。………それじゃ、そうだな、銀行強盗を捕まえたらチャイニーズマフィアと麻薬カルテルの抗争に巻き込まれた話から」
「ちょちょちょお兄ちゃん!?」
「何があったし!?」
「いやな?実は強盗と銀行職員の一部とマフィアがグルでよ、麻薬カルテルの先代ヘッドの遺産を狙って…………」
眼を輝かせて続きをせがむ2人に、身振り手振り、脚色も交えて、起こったことを話していく。
………俺は、この何でもないような時間が、好きだった。
ただ、2人が生きていてくれるなら、幸せになってくれるなら、それだけで良かった。
何の根拠もなく、こんな日常が、ずっと続いていくものだと、そう、思い込んでいて。
この6日後、同じ日に生まれた鏡合わせのような2人は、鏡合わせのように、静かに死んだ。
「………その、英二君。気分は、どうかな?」
「最悪だ」
腹部に感じる、引き攣ったような痛みと、酩酊にも似た、不快な感触。
真っ白い天井を眺める俺の視界の端で、怯えたような顔をする、亜麻色の髪を長く伸ばした女医が、立ち竦んでいた。
暗く淀んでいた意識が急速に回復していき、全てを思い出した。
深く、溜息をついて。
「それで、その、今はモルヒネが効いてるから痛みは少ないだろうし、不調もないと思うけど、君は、急性出血性ショックで死ぬ寸前で、2週間も目を覚まさなかったんだ。しばらくは、絶対安静にして」
「柳笊先生。1つ、聞いていいか?」
「………なんだい、英二君」
「どうして、死なせてくれなかった」
「っ、僕は医者だぞ!!目の前の患者を見捨てるなんて、出来るわけが」
「ならなおさらだろうが!!おい、先生、自分の大切な人が全員死んで、テメェだけみっともなく無駄に生き延びちまった奴の気持ちが、アンタにわかるのか?………俺は、あの2人に、最期まで何もしてやれなかった。アイツらの、死に目すら、看取ってやれなかった。俺は、死ぬべきだ。死ななきゃいけないんだよ」
「………なぁ、先生。教えてくれよ、アンタは俺に、これから、何を望みに生きろって言うんだ?年末のガキ使か?旅行にでも行けってか?ああ、それともアレか、適当なガキでも飼って、また、お兄ちゃんごっこをすればいいのか?」
「僕はッ、そんなこと言ってな」
「先生。もう、希望なんてどこにも見えないんだよ。真っ暗なんだ、何もかもが。………アヤメとシオンは、あの2人は、俺の、太陽だったんだ。2人がいてくれるなら、何でも出来るって、本気で思ってたんだ。………それが、このザマだ。この有様だ。俺のせいで、2人とも、死んじまった」
「………」
「………なぁ、頼むよ、先生。俺を、殺してくれ」
「………すまないけど、それは、それだけは、聞いてあげられない」
「………そう、か」
絞り出すような否定の言葉に、頭が冷えた。
沸騰する脳味噌の中身を、吐きだすように息をつき。
「………先生、すまなかった。2人をずっと助けてくれたのは先生だったのに、失礼なことを言ってしまった」
「無理もないよ、今の君の状態じゃ。………とにかく、君が今するべきことは、しっかり眠ることと、おとなしく僕に看病されることだ。わかったね?」
「………ああ」
「うん、いい子だ。………それじゃあ、僕はこのあたりで失礼するよ。本当はつきっきりで看病してあげたいところだけれど、少し、外せない用事があってね。………もうしないとは思うけど、自分でお腹裂いて内蔵引っ張り出しちゃあダメだよ?」
「わかった」
麻酔が効いてきたのか、徐々に世界が歪んでいく中、どこか無理したように悪戯っぽく笑った先生が、白衣を翻して部屋から出ていく。
その寸前で、先生が、こちらを振り返り。
「………英二君。君は、自分のせいでシオンちゃんとアヤメちゃんが死んだと思ってるみたいだけど、それは違う。あの2人が殺されたのは、君のせいなんかじゃない。だから、生きてくれ。2人の分まで。それが、君に課せられた義務だ」
瞬間、意識が覚醒した。
「先生っ、待ってくれ、殺されたってどういうことだ!?」
「………言葉の綾というやつだ。忘れてくれ」
俺から顔を背けた先生が、そう言って、ポケットに手を突っ込んだまま部屋から出ていく。
脳が、痙攣する。
呼吸が荒くなり、視界がモザイクがかったようになる。
認めたくない。
そんなこと、認められる、訳が無い。
だが、脳裏に浮かんだソレは、否定しようのない、紛れもなく、ありうる可能性で。
「なあっ、先生!アイツラだな!?アイツラが2人を、アヤメとシオンを俺から奪ったんだな!?そうなんだろ!?」
思えば、そもそもがおかしかった。
いくら2人が双子で、鏡写しのような姉妹だったとしても、同じ日に同じ病気で死ぬなんて事が、そうそうあるとは思えない。
………それこそ、悪意ある第三者の介入でも無い限りは。
そして最悪なことに、シオンとアヤメに悪意を向け得る人間を、俺は2人しか知らない。
「英二君。ここは病院だ。少ないけど君以外の患者さんもいる。頼むから、静かにしてくれないか?」
「先生!」
「………わかったよ、英二君」
「なら!」
「どうやら君は今、酷く混乱しているようだ。麻酔を追加しておくから、安静にしていてくれ」
ブスリと、鈍い痛みが首筋に奔り、血管に冷たい薬液を流し込まれる感覚。
視界がモノクロになり、世界が不可思議に歪んでいく。
吐きそうなほどの眩暈の中、暖かな手が、確かに、俺を抱きしめ。
「………眠っててくれ、英二君。これは、僕たち大人の仕事だ」
ひどく残酷で、優しい声がした。
静まり返った夜の住宅街、暖色の街灯が照らす下を、亀か何かのような歩みで、進んでいく。
いまだに麻酔が切れていないせいで頭もロクに回らないし、3階の窓から飛び降りたせいで膝から下の感覚もないが、のんきに眠ってる場合じゃない。
崩れ落ちそうになった脚にパイプベッドのパーツを引き千切って作ったナイフを突き刺して、深く、肉を抉る。
激烈な痛みに視界が明滅し、だが、頭にかかっていた靄が、僅かに晴れる。
太い血管を傷つけないように狙ったはずが、麻酔のせいか手元が狂い、ドクドクと熱い血が噴き零れていた。
まだ、だ。
こんなところで、寝るわけにも、終わるわけにもいかない。
それは、全てが終わってからだ。
歯を食いしばって、コンクリ塀に手をついて曲がり角を通り過ぎ。
「おい!そこで何をやっている!!」
「お前………ひどいケガじゃないか、何があった!?」
とっさの判断で、ゆったりとした病人服の袖にナイフを押し込み、前を向く。
警戒心剥き出しの眼を俺に向ける、2人の警官がいた。
………夜間パトロール中の、警官か。
まったく、ご苦労なことだが、間が悪すぎる。
貧血を装ってブロック塀にもたれかかり、そのまま崩れ落ちる。
何事か呼びかける2人を無視して、大きく、喘ぐような呼吸を懲り返しつつ、震える指を来た方に向けて。
「あっち………病院で、知らない男に刺されて、逃げて、あいつ、追ってきて」
「!?」
痛みに呻きながらそう言って、警官が、面白いくらいに血相を変えた。
俺を背後に庇うようにして立つ2人組。
涙声で啜りげるような声を出しながら、ゆっくりと、音もなく立ち上がり、ナイフを引き抜いて。
「キイィイイエエィイヤアアアアアッッ!!!!」
満身の膂力を以てコンクリ塀に突き刺し、何事かと振り返った警官の肩を踏み台に跳躍、ナイフの取っ手を足場に、3メートルほどの高さがあった塀を飛び越えた。
後ろから聞こえる悲鳴からして肩が脱臼でもしたのかもしれんが、勘弁してほしい。
にわかに鳴り出したサイレンと応援を呼ぶ無線を背後に、走り出した。
「………って事があってな。警察に応援呼ばれて散々追い掛け回されるし、犬には吼えられるし、子供にはギャン泣きされるしで、いやはや、最期の最期で、人様に迷惑かけちまった。やっぱ俺は、2人がいなきゃダメみたいだ」
目の前の冷たい石に、そう、話しかけて、朝焼けの中、沈黙が場を支配した。
自販機で買ってきたペプシとコカ・コーラの缶を、墓前に供える。
大きく、息を吐いて。
「………仇ァ、討ったよ」
叩きのめして、ふんじばって、言質を取った後、懇切丁寧に叩き潰して引き裂いて切り刻んで抉り取って削り卸して、殺してやった。
あいつらは、相応の報いを受けて死んだ。
………でも。
「………ゴメンなァ、何もできなくて」
何も、出来なかった。
俺が助けなきゃいけなかったのに、俺が、幸せにしてやらなきゃいけなかったのに、何も、何もしてやれなかった。
俺に出来たのは、何の意味もない、復讐だけだった。
………だから、だから、せめて。
「ケジメくらいはつけるよ、俺」
立ち上がり、そこらに転がってたトタン板を、引き千切った。
刃渡り数十センチの金属板を、自分の首筋に押し付ける。
守るものはなく、生きる意味など見いだせず、それになにより、俺自身、あの2人の居ない人生など、耐えられそうもない。
大きく、息を吐いて。
「………出来損ないのお兄ちゃんで、ごめんな」
頸動脈に熱が奔り、全身から力が抜けて倒れこむ。
ドクドクと、血の流れていく音がする。
俺の命が、終わっていく音が。
次第に、薄くなっていく世界に身を委ね、温かい暗闇の中で全てが窒息死した。