第10話:夜叉覚醒む、あるいは修羅の十億年
…………ここは、どこなのだろうか。
からだが、ひどく、さむい。
鉛のように重い体を引きずって、前に、前に、自分でも笑ってしまうような鈍足で、進んでいく。
肺が軋む。
視界がぼやける。
奥歯の付け根が、妙に痛む。
喉が詰まって、呼吸すらままならない体で、足がもつれて倒れこむ。
いっそ、このまま眠ってしまいたいような倦怠感と疲労の中で、ゆっくりと目を閉じ、そこで初めて、いつの間にか、雨が降っていたことに気づいた。
………道理で、寒いわけだ。
ざぁざぁと心地よい音と、頬に降る、冷たい雨粒の感触。
………なにか、大事なことを、忘れているような気がする。
回らない頭で、考えようとして。
いつの間にか銃声が鳴りやんでいた。
それだけじゃない、割と近い場所から、誰かの話し合うような声も聞こえる。
………という事は、戦闘が終わったという事だろう。
まったく………パパが「ここは俺に任せて先に行け(意訳)」みたいなこと言うから焦らされたが、よくよく考えるまでもなく、チンケなザコがいくら集まったところで、パパとママ&リナの武闘派無敵トリオに勝てるわけがない。
前世ならまだしも、魔法とかいうファンタジーのあるこの世界じゃ、戦闘はときとして無双ゲーになるのだ。
あれだ、胡乱な剣ビームで敵を薙ぎ払うタイプなんだ。
パパもママも剣ビームの使い手っちゃ使い手だろうし、リナはメイドさんだから無敵だし、ぶっちゃけ、私、逃げる必要なかったレベルなのだ。
そうと決まれば、こうやって死んでる場合じゃない。
可及的速やかに看護にあたらなければ。
ポーチから《呪々胎符》を取り出して《怪力の巨神》を発動、痛む体を堪えて、声のする方へ向かう。
まったく………今日はマジで厄日だったのだ。
不運と踊っちまったとはまさにこのこと。
というか、普通にお腹減ったし。
今日の晩御飯は、なにかあったかいものが食べたい。
生い茂る藪を、掻き分けて
「クソックソックソッ!このアマが、舐めた真似しやがって!!!」
血溜まりの中で動かない見知った人を、銃剣で執拗に刺突する男がいた。
「このグズがっ、よけーなことし腐りやがって!もっかい犯して殺してやる!!」
「落ち着け、ロッキー。傷口が開くぞ」
「知るかよっ!!こちとらこのババアに指2本切られてんだぞ!これじゃ割に合わねーだろうがよ!!」
「それにしても、ロッキー。彼女は妊婦で、それにもう死んでいます。死者を犯すのは流石にいかがなものかと」
「デューク!テメーは神父様か何かか!?あぁん!?」
嘘だ。
嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ噓だ噓だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!!!!
ありえない、信じない、こんな、こんなもの、認めてやるものか。
だって、いや、いやだ、こんな、こんなひどい事があるわけ、そうだ、これは夢だ、私はひどい夢を見てるんだ。
そうでもなけりゃ、こんなことが
「あん?………てめぇ、殺せって依頼のあった忌みガキか。………つったく、こんなしけたガキじゃ、穴にもなりやしねぇ。さっさとぶち殺すか」
「待ちなさい、ロッキー」
「んだテメェ、ケツの穴に弾ぁブチこまれてぇのか!?」
「私にそちらの趣味はありませんよ?………いえ、そうでなく、いくら忌み色の髪の劣等種でも、子供は子供という事です」
「けっ、博愛主義者かよ、気色ワリィ」
「それに、忌みガキにも穴はあるでしょう?」
「ぷっ………ギャハハハハ!!そうだな、確かに穴はあるもんな!!」
「………お前、ロリコンだったのか」
「人聞きの悪い事を言わないでください。これくらいの子供の方が、おさまりがいいというだけです」
「だから、それをロリコンっていうんだろうが」
なんで、なんで、こうなった。
俺は、また、何か間違ったのか?
わけがわからない。
脳味噌が煮えそうになる。
「しかし………この状況で逃げないという事は、コレ、心が壊れちゃってますね。こう、いい感じに抵抗するか泣き喚くかしてくれないと、いまいち盛り上がりに欠けるのですが」
「………お前、本当にクズだな」
「おいデューク!一番槍は代わってやるから、壊すんじゃねぇぞ!!」
「約束はできませんが、善処しましょう」
…………ああ、そうか、そういう事か。
俺の、せいだ。
また、俺が逃げたせいで、人が死んだ。
俺が、また、見殺しにした。
あの時から、俺は、また、いや、ちがう、俺の、俺のっ、せいでっ、
「そうですね………片耳くらい切り落とせば、少しは面白くなりますかね?」
「おいおい、壊すなってさっき言っただろうが」
「耳切ったくらいじゃ死にませんよ。死んでも使えない事はないですし」
………考えるのは、後回しだ。
悔やむのも、ケジメを付けるのも、後でいい。
俺が、いま、やるべきは。
「さて。せいぜいいい声で鳴いて」
「ブタみてぇに泣き喚け、チンカス野郎が」
近づいてきたバカの目に、両手の親指を全力で捻じ込んだ。
ぐじゅりとした嫌な手応えと、絶叫。
振り回されるナイフを《怪力の巨神》の装甲で受け、膝を蹴り潰して足を逆さに曲げてやる。
バランス崩して転びかけた体を、引っ捕まえて。
「あ、ぁああぁあああ!!!!」
渾身の手刀を首に叩き込み、引き千切った。
グチャグチャの切断面から噴水みたいに血を撒き散らして、喋るゴミが喋らないゴミにジョブチェンジ。
突然のスプラッタに呆けていた馬鹿どものうち、赤髪のバカが銃を俺に向けて。
「クソッ、頭吹っ飛ばしてや」
「キャッチボールか!?いいぜ、殺してやんよ!!」
振りかぶった変態の頭を思いっきり投げつけ、頭蓋骨が陥没するほど濃厚なディープキスと、卵の殻を踏んづけたような音。
もう1人もぶっ殺してやろうとして、緑色の髪したバカが、全力で逃げ去っていくのが見えた。
何故か動かない知らないお兄さんから、銃剣付きのアサルトライフルを借りて。
「逃げられると思ったか?」
適当に弾をバラまいて、1発が右太ももに、もう1発が脇腹に命中した。
撃たれた衝撃につんのめって前のめりに吹っ飛ぶ馬鹿野郎。
顔面泥塗れにして藻掻くそいつの後頭部を、思いっきり踏みつぶす。
脇腹を蹴り上げて仰向けに転がし、両足のスネと両肩に弾を打ち込んで動けなくする。
薄汚い首に、銃剣を突き付けて。
「なぁ、いくつか聞きたいことがある。答えてくれるか?」
「誰が、答えっ」
「そうか」
馬鹿なこと言おうとしたので指を切り落とした。
「あ、ぎゃあっ!?」
「いいからはよ答えろ。………そうだな、5秒だ、5秒たつごとにおまえの指を切り落としていく。一人でケツも拭けない体になりたくないなら、早く答えることだ」
「わ、わかった!答える!答えるから!!」
「よし………なら、最初の質問だ。なんで俺たちを襲った?」
「金を積まれたんだ!!ローブの男に、お前らを殺せば革命軍でいい思いができるって言われてよぉ、銃と爆薬もたっぷり貰ったから、ぜってぇ上手くいくって思ってたのに………」
顔面から色々と体液を撒き散らして泣き喚くバカ野郎。
クッッッソ汚いが、それでも、1つ合点がいった。
………このアサルトライフルに刻まれている紋様は、アルスシール政府軍の正規部隊の物だ。
恐らくは、政府軍からの横流し品。
型落ちの銃が市場に出回ってソレを入手した可能性もない事はないが、それにしては、銃が新しすぎる。
………この先を考えるのは、やめておいた方がよさそうだ。
正気を保っていられる自信がない。
「じゃあ、2つ目の質問だ。お仲間の数と、拠点の場所を吐いてもらおうか」
「っ、ンな事、言えるわきゃ」
「おおっと手が滑ったー」
ついうっかり手が滑って指を2本ほどまとめて切り落としてしまった。
いやはや、不幸な事故もあるものだ。
「~~~~~っ!?!?」
「おいおい、俺が美幼女なのはわかるが、そう興奮しないほうがいいぞ?出血多量で死にたくないならな。………それで、お仲間はどこにいるんだ?」
「あっ、あいつらなら、ここから西に少し行ったアジトにいるはずだ!数は全部で18人いて」
「そうかそうか、ご協力感謝する」
そこまで言って、俺は、銃剣で奴の腹を掻っ捌いた。
「ぎっ、いぃ!?」
「安心しろ、俺は優しいから、今この場で殺したりはしねぇよ。………ただ、まぁ、なんだ、これは実体験だが、人ってのは、腹を裂かれた程度じゃなかなか死ねないんだよな。もしかしたら半日くらいかかるかもしれんが、ま、頑張ってくれ」
なんだか元気にギャーギャー喚くバカを無視して、来た道を戻り。
「…………ごめんなさい、ママ」
かけた言葉に、返事はなかった。
そこにあったソレは、全身をズタズタに切り刻まれ、刺突された、ただの死体で、降り続ける雨は、すでに体から温度を奪っていた。
ただ、粘性の高い赤黒い血液だけが、雨に洗い流されずに、ゆっくりと、土に染み込んでいく。
………ママは、大きくお腹を引き裂かれていた。
すぐそばに、一抱えほどもあるグチャグチャの肉塊が、転がって。
「おっ、えぇええぇぇえ…………っ」
喉元から急速にせりあがる吐き気を堪えようとして、無理だった。
半ば消化しかけた朝食だったものを、雨にぬかるんだ森の地面にビチャビチャとぶちまけていく。
ツンと鼻を刺す刺激臭と、口腔を満たす、不快な、酸っぱい味。
吐くものが何もなくなって、胃液すら出なくなるまで吐き切って、ようやく、少し、落ち着いた。
口の端についていた吐瀉物を、手の甲で拭い。
「………ごめんなさい、ママ」
こんなひどい雨の中に、ママを置き去りになんて、私だってしたくない。
でも、私が殺さなきゃいけない相手は、まだ何人も生きていて、ケジメすらついていなくて、何より、このままじゃ、私の気が収まらない。
だから。
「ごめんなさい、ごめんっ、なさい、ごめんなさい」
嗚咽を堪えて、アサルトライフルを杖代わりに、立ち上がる。
………私は、まだ、やれる。
まだ、壊れるわけにはいかない。
これは、私が果たすべき、義務だ。
だから、だから、だから。
「………ごめんなさい」
無情に降る、しとどの雨の中、歩き出した。
「お、ぉオオオォォォオオ!!!!」
全速力で突撃し、全体重を乗せて繰り出した切っ先が、見張りの男が咄嗟に張った風の鎧を貫いて突き刺さる。
勢いに任せて押し倒し、引き抜いて、顎から脳天まで貫いて引き金を引いた、
こめかみから上を吹っ飛ばされた死体を切っ先で引っ掛けて、盾代わりにして銃弾を防ぎ、距離を詰める。
怯みつつも魔術を発動しかけたバカの頭を銃床で叩き潰して殺し、すぐそばにいた1人の喉笛を左手で掴んで千切り取る。
大きめの洞窟めいた拠点に、足を踏み入れ。
「いまだっ、撃ちまくれ!!!」
掛け声と同時、無数の弾丸が一斉に放たれた。
幼女1人を殺すには明らかに過剰な弾幕は、時間にして数十秒も続き、ダメ押しとばかりに放たれた火球が、炸裂する。
並の精鋭が相手なら、今ので勝負が決まっていたのだろうが。
「………それで、もう終わりか?」
《怪力の巨神》による装甲は、この程度の攻撃なら容易く弾く。
もっとも、ダメージを受け過ぎれば身体強化用の魔力が減衰するため、あまり攻撃を受け続けるわけにもいかないのだが………こいつら程度なら、十分だ。
アサルトライフルを、八双に構え。
「なら、殺してやる」
距離を詰め、力任せに叩きつけた銃剣の刃がスキンヘッドの巨漢の脳天から股座までを割断し、衝撃力に耐え切れなかった銃が、メキャッと嫌な音を立てて壊れた。
もはや使い物にならないソレを投擲し、顔面からガラクタを生やしたバカが倒れこむ。
………《怪力の巨神》は確かに強力だが、その分、燃費が壊滅的に悪い。
残りの手持ちの《呪々胎符》を含めても、あと、14,5分も持てば出来過ぎなくらいだろう。
そうなれば、俺は年相応の無力な小娘だ。
勝ち目など億に1つもないし、リナの言う通り、ケツ捲くって逃げるのが一番お利口な選択肢なのは間違いない。
だが。
「それは出来ねぇ、よなぁ?」
「何を言って……なっ!?まっ、やめっ」
一人の頭を引っ掴んで岩剥き出しの壁に叩き付け、削り卸す。
放たれた火球に残った部分を放り投げて空中で誘爆させ、不運にも巻き込まれたのか、火達磨になって転げまわるバカが1人。
足元に転がってた石を投げて黙らせて。
「大人がピーピー喚くんじゃねぇよ、情けねぇな」
《呪々胎符》を三枚取り出して使用。
莫大な魔力を惜しげもなく消費し、作り出したのは無数の刃。
高密度の魔力を直接射出する、今の私に使える、数少ない遠距離攻撃手段。
血塗れの右手を掲げて。
「《唾吐き娘》!!」
狭い通路を、不可視の刃の群れが埋め尽くし、一切合切を蹂躙した。
魔力を術式に流し込んで発動する通常の魔術と違って、純粋な魔力を放出するこの技は、防御も回避も出来ない、文字通りの必殺技。
………もっとも、今の一撃で、《怪力の巨神》も随分と減衰してしまったが。
やはりというか、消耗が激しすぎるのがこの技の欠点だな。
「あっ、ぐぅ………」
「うるせぇ、黙って死んでろ」
はらわた撒き散らして藻掻くバカの顎を蹴っ飛ばして、一撃じゃ死ななかったのか、ビクビクと痙攣するバカの首を踏んづけて、胴体からぶっちぎる。
あたりに動くものがいなくなったのを確認して、詰めていた息を、ゆっくりと吐きだした。
………ダメ、だな。
これだけ暴れれば少しは落ち着くかと思っていたが、全然ダメだ。
まだ、ぜんぜん、殺し足りない。
引き千切って砕いて引っこ抜いてバラバラにして、それでも、まだ、まるで殺し足りない。
全身の血が沸騰する。
脳味噌が煮え切って、世界が曖昧になっていく。
今度こそ、守ると決めたはずだった。
今度こそは、守って、守り抜いて、幸福にすると、誓ったはずだった。
だが、現実はどうだ?
私が逃げたせいで、あの子は死んだ。
………俺の、せいで、また、死なせてしまった。
………洞窟の奥、鋭敏化した感覚が、妙に緩やかな、2人分の気配を捉えた。
このバカ騒ぎの洞窟で、何、眠りこけているのか知らんが、上等だ。
1人は内臓引きずり出して、もう1人は魚みたいに掻っ捌いてやる。
床に転がってた、大ぶりのナイフを逆手に持ち。
腹に響く銃声と、右太ももに奔る灼熱感。
半ば転ぶように物陰に身を隠し、銃弾が、すぐ傍を掠めていく。
別動隊か何かによる、背後からの急襲。
散発的な発砲音からして、相手は3,4名といったところだろう。
ならば、最適解は決まっている。
ナイフでスカートの裾を切り裂いて、出血箇所をきつく緊縛する。
………感触的に、弾が骨に入っている気もするが、些細な事だ。
どうせ、すぐに関係なくなる。
手持ちの《呪々胎符》を全部消費して、《怪力の巨神》を最大出力で発動。
ナイフを、腰だめに構えて。
「ああぁああああああああっ!!!!」
敵は3人。
弾丸に体表を抉り取られつつ突貫し、一番近くにいたバカの喉笛を掻き切った。
邪魔な死体を放り捨て、轟音と共に放たれたライフル弾が、俺の左膝を粉砕した。
バランスを崩しつつも飛び掛かって押し倒し、眼窩に切っ先を捻じ込んで脳味噌を掻き混ぜる。
振り向きざまにナイフを投擲したのと同時、側頭部で熱い物が弾け、右の視界が完全に潰れた。
構う、ものか。
大きく踏み込んで渾身の右ストレートを叩き込み、顔面を引っ掴まれて投げ飛ばされる。
咄嗟に受け身を取ろうとして、ベキャッと嫌な音を立てて右足が逆方向に曲がった。
感覚のキャパシティーを超えた激痛の中、肥満体形の巨漢が、私の脇腹を痛烈に蹴り上げた。
軽く数メートルは吹っ飛ばされ、肋骨が折れて肺にでも突き刺さったのか、折れた歯と一緒に吐き出した唾は、赤く粘ついていた。
まるで杭でも打ち込むかのような無造作さで、俺の腹に拳が叩きつけられる。
あまりの衝撃に息が詰まり、次の瞬間、左足を蹴り折られた。
当然のように倒れこんだ私を、昏い喜悦に染まった眼が見下ろす。
どうやら、簡単に終わらせるつもりはないらしく、腐ったような息を荒く吐き出しつつ、男が、ズボンのチャックをまさぐるのが見えた。
何をする気かは大体わかるが、好都合だ。
………あの子は、私が、守るはずだった、あの子は、生まれてくる事すら出来なかった。
この程度で足りるとは思えないが、それでも、あの子が味わった苦痛の、その百億分の一だけでも負わなければ、それは不条理というものだ。
血走った眼の男が、何やら喚きながら、俺の肩を掴み。
「近づいてくれて、ありがとうな」
相手の肘関節を極めて圧し折りながら、全力で斜め後ろに倒れこむ。
顔面を思いっきり殴られるが、知ったこっちゃねない。
大口開けて相手の喉笛に嚙みついて、食い千切った。
「ああっ、クソっ、旨くもねぇや………」
ガボガボと呻きながら自分の血で窒息死したバカの死体を蹴っ飛ば………そうとして、今更ながら、両足が折れていたことを思い出した。
先ほど俺の脚を撃ち抜いたライフルを杖代わりに使い、洞窟の奥へと進む。
………奥の方から、2人ほど、人の気配がするが、こいつらの仲間にしては動きが妙だ。
お仲間なら、こんな奥の方でブルってないで、とっとと突っ込むのが普通だろうし、なにより、これだけの戦闘音が聞こえているはずなのに、まるで動きがなかった。
………あんがい、捕虜、もしくは奴隷かナニカなのだろうか?
となると、動きがないのも理解はできる。
こいつらみたいなのが奴隷を買うとなれば、目的なんざ性欲処理用の玩具くらいだろうし、道徳のドの字も知らんような連中が人間をどう扱うかなんて、大体想像はつく。
………あるいは、襲った人間を玩具にしている可能性もあるか。
捕まってるのは、おそらく女性だろう。
いや、俺が殺した愉快な馬鹿どもの中に男も女も食っちまうようなのがいたのかもしれんが、今となっては真実は血溜まりの中。
………ケジメを付ける前に、助けておくべきだな。
善人ぶるつもりもないが、せめて、それくらいの事はしておきたい。
自分の物とは思えないほど、鈍く、重い体を引きずって、暗い洞窟の中を歩いていく。
…………さっきから、体が、妙に寒い。
血を流し過ぎたか、疲労のせいか、あるいは、変な病気にでもかかったか。
きっと、全部だろう。
辿り着いた先、半開きのきったないドアを開けて、部屋の中へ。
………部屋の中は、汚物と、黒く乾いた誰かの血の跡で満ちていた。
まったく、保健所の職員が見たら卒倒しそうな光景だ。
………血生臭さの中に混じった、イカ臭いような、栗の花に形容される悪臭からして、ここはいわゆる、『ヤリ部屋』というやつなのだろう。
案の定というか、錆びついたボロボロの牢の中に、酷く凌辱されて、蝿の集る、全裸の女の死体が転がっていた。
ゲスな光景に、思わず溜息をつきそうになるが、そんなことやってる場合じゃない。
壁に備え付けられてたランタンを手に取って、部屋の奥、もう1つの牢屋の方へ向かう。
「お~い………だれか、いるのか?」
返事は、ない。
だが、暗闇の中に、何かが蠢いたのが見えた。
死にかけの体を引きずって、牢の中を照らし。
「っ、ぁ、ぁあ…………っ」
暗闇の中にいたのは、互いを庇うように身を寄せ合う、2人の少女だった。
「やめっ、やめろっ、やめて、くれ」
1人は、鶯色の髪と朱金色の眼を、もう1人は、山吹色の髪と黒錆色の眼をした、2人の少女。
眼の色も、髪の色も、あの2人とはまるで違う。
だが、それでも、目の前の2人は、あの2人で。
「違うっ、違うんだ!!忘れてない、忘れてないから!!ずっと、ずっと憶えてたんだ、あの日から、ずっと、後悔して、ずっと」
射干玉の、暗闇の記憶の中から、あの日と同じ二対の双眸が、突き殺すように俺を視る。
血の気の失せ切った白磁の肌も、触れれば壊れてしまいそうな体も、まるで、変わらない。
「ゆるして、くれ、シオン、アヤメ、ゆるしてくれ、ゆるしてくれ、ゆるして、くれぇ………っ」
あの日と同じ、見るもの全てを冷たく刺すように、2人の眼が俺を視る。
「ごめん、なさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
脳が焼ける。
息が出来なくなる。
からだが、ひどく、さむい
「ゆるして、ゆるして、ください、もう、もう、ぜったい、しないから、だから、ゆるしてっ、ゆるしてよぉ………!!」
もはや、自分のことすらわからなかった。
平衡感覚すら消失し、グルグルと回る世界の中、意識は急速に劣化し、拡散していく。
ただ、たしかなのは、じごくのなかで、だれかがわたしのなまえをよんだきがしたことと。
あの日と同じ蝉時雨が、聞こえた事だけだった。
一応、法則というか、物語が大きく動く話のタイトルは5・7・5にしてます。
例:「いつだって 普段は突然 やってくる」
「夜叉目醒む あるいは修羅の 十億年」
「あるいは修羅の十億年」は、宮沢賢治の春と修羅から引っ張りました。
次回、幕間を挟んでから、次章に移ります。
書き溜め君がお亡くなりになられるので、投降頻度君は無限の彼方に消し飛びますが、どうかご容赦ください。